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Queen “Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-2 [音楽に関わるブログ]

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映画が
CGの発展で一部の例外を除いて映画そのものの創造性や個性、パワーを欠き始めたように、音楽でもPro Toolsの出現によって一部の例外を除いて音楽そのもの創造性や個性、パワーを欠き始めた部分を否定できない。余りにも容易に頭の中のクリエイティブをデジタル的に作り出せるという事は、実は人間の感動に違和感を覚えさせているのではないかと考えている。

例えば「地獄の黙示録。」の数多くの戦闘シーンや爆発シーン、またカーク大佐の異様な王国をCGによって作ったらならあれ程の名作に謡われるような作品にならなかっただろう。もちろんSFなどの分野でCGの作り出す世界観が想像を超える効果を生み出す場合もあるだろう。しかしそれでもブレードランナーのような混沌とした世界観を生み出すことはデジタルCGには不向きだと信じている。
人間はどこかでアナログ的なグラデーションのある世界観に親近感を覚える動物なのだと思っている。

Bohemian Rhapsodyはアナログ的な手法の果てに完成した人間臭い作品だ。そして常にユニークな存在であり続け、他の追随を許さないまま今日に君臨していると言い切って良い。あの楽曲には人間の英知と工夫、そして綿密なクリエイティブが集結しているからこそ時代を超えて残っているのだ。
私は音楽業界でシンセのプログラマーとしてレコーディングに携わるようになった80年代後期に、常々このサウンドの構築方法に興味を持ち、その後ネット時代になって開示された様々なデータを読み漁ってきた。

8090年代当時、海外のレコーディング現場の情報を適切に得るのが難しい時代だったが、昨今はネット上に数多くの記事や証言が残されるようになったことは幸いだった。
本ブログでは
Bohemian Rhapsodyのサウンドの秘密に迫るため基本的にネット上にアップされて散乱している情報を基本にした上で私なりにまとめてみたものだ。
他にも本作のレコーディングを解説しているブログはあるのだが、それらと一線を画すように出来るだけ詳細を極められるようにしたつもりだ。
名曲の生み出される過程は実に感動的ですらあるのだ。

19751031日に発売された、Queenの“Bohemian Rhapsody”は、シングル曲として、技術面や商業的な成功といった側面において極めて例外的な位置にいる作品である。

UKチャートの1位に9週間も居座り、1977年にはBPI(イギリスの著作権管理団体)から過去25年間の中で最高のシングルレコードとして表彰され、その後、曲の作家でもあるフレディー・マーキュリーの悲劇的な死によってこの曲は1991年に再び1位の座に返り咲いた。本作はイギリスだけで200万枚を、世界でも100万枚を超えるセールスをしたという。その後、1992年に公開された映画「Wayne's World。」も本作を当時のティーンエイジャー達に伝えるための重要な媒介となった。
悲愴的なバラードからオペラ調に転じ、燃え盛るようなロックで最高潮に達する約6分にも及ぶこの曲は、グラムロックとパンクが全盛時代の退屈で荒涼とした音楽状況に天から贈られたものとも言うべきものであった。

1974
年に発売されていた“Killer Queen”は、バンドがロックの創造性と独自性において1つ抜けた存在であることを示していたのにも関わらず、“Bohemian Rhapsody”は、リスナーの予測を遥か超えたものとして出現した。そしてQueenはこの曲によってロック・パフォーマーにおいても、スタジオ制作における実験的挑戦者としても、他を寄せ付けない存在となる。
だがこの曲は当時のラジオ局にとって非常に困った存在になった。ラジオ局ではこの曲の全編を放送できる音楽プログラムは皆無といって良い時代だったからだ。通常は330秒以内の楽曲が主流だった時代に“Bohemian Rhapsody”は完全に規格外だった。この点は、2018年公開の映画「ボヘミアン・ラプソディー」でも語られている。
海外はもとより、当時の日本でも深夜番組で本曲の全編を放送しようとする局は稀だった。しかしそれでも必ず例外がおり、ニッポン放送のオールナイトニッポンなどが全編放送をするその稀な例となった。

ちなみに1970年代中期当時のQUEENのファン層の位置づけについて語ろう。
ロックファンという定義は、主に男性が支配する分野だった。当時のロックは殆どハードロックを意味し、Deep PurpleやLed Zeppelinに代表されるバンドのファンが多く、硬派なロックファンが多数派だった。またこれらのバンドは例外なくスターギターリストが存在しており、男性ファンの多くは、音楽、楽器、機材、ギターリストの側面でロックを捉えていることが多かった。雑誌で言えば「Player」を読んでいる連中であり、絶対に「Music Life」なんかを読む連中ではなかった。
これとは対照的にQUEENは、化粧をしイケメンも多く、コスチューム的な衣装でステージをこなし、ちょっと乙女チックな要素が多かったためにロックの中でも軟派な扱われ方をしており、男性ロックファンからは敬遠された存在で、仮にファンだったとしても硬派なロックファンの前でQUEENに共感を覚えているような事は言えなかった。つまり、
「Music Life」を読んでいる女性ロックファンがQUEENファンのマジョリティーだったからだ。
それでも硬派な男性ロックファンの中にも、心の中ではQUEENを結構良いバンドだと思っている連中は多かったが、それを公言するのは勇気のいる時代だった。共産主義思想に染まった連中の中で資本主義を美化するような発言をする感じと言って良いだろう。

 
話は逸れたが、“Bohemian Rhapsody”にはポップミュージックにありがちな1番、2番というパターン的な繰り返し部分が殆どないため全編を聞かないと曲の全貌に触れる事が出来ない。日本の深夜放送で全編がかかった事は当時ではニュースになった程だったが、隔世の感がある事象だ。

実は、1975年にはロック音楽史上もう一つ重要な曲が生まれている。10ccの“Im not in live”である。音楽的にもレコーディング技術的にも伝説的な逸話を残すこの2曲が奇しくも同じ年に同じイギリス国内から生まれたのは偶然を超えた興味深い符合であろう。
なお、“Im not in live”のレコーディング制作秘話については私自身が以下にまとめてある。
http://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2012-10-02

つづく。 

Part-3はこちら:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-19-1 


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