悩ましいエンタメ業界の未来 ~ストックビジネスとフロービジネス~ [独り言]
感染が落ち着いて来ても、再度感染者数が増加する傾向は各国で見られてもいる。
大会の開催方法を大幅に見直し、受け入れ選手団の管理を徹底出来るかどうかだろう。
海外からの観客を無作為に受け入れるやり方は、日本国内に相当なリスクを背負うため困難だろう。
2020年以降のコンテンツ産業の未来 [独り言]
2020年以降のコンテンツ産業の未来
音楽産業がビジネスモデルの転換を余儀なくされたのはituneの登場だった。
ジョブスはパッケージ・ビジネスモデルを棺桶に入れたと言っても過言じゃない。
その後、世界的に見れば、You TubeやSpotifyなどの登場で音楽の消費は定額制ストリーミングサービスや無料利用が主流となった。
これにより、個別アーティストや音源そのものへの執着が無くなり、個別の音源消費はユーザーにとって空気のような存在になってしまったと言っていい。
その代わりに登場したのがライブエンタテインメントへの市場移行だ。
モノからコトへの市場移行は、音楽コンテンツのデジタル化によって引き起こされた。
ある識者のコメントを紹介する。
コンテンツのデジタル化は、コンテンツの無料化を意味する。またコンテンツホルダーは、個人コンテンツホルダーに勝てない時代になる。
この識者が言うまでもなく、コンテンツ産業は、デジタル化によって識者のいう方向性に進んでいる。
加えてYou Tubeは既存の映像市場に断層的な役割を果たし、特にテレビやDVD業界に極めて大きな影響を与えている。
特にニュース報道において、これまではプロの記者が取材した映像が主体だったが、現在では現場にいたスマホユーザーの映像が使用されるケースが多々ある。コンテンツホルダーは、個人コンテンツホルダーに勝てない時代になるという点の一面であろう。
音楽産業で起きた、コンテンツからライブエンタへの市場移行は、モノからコトへと価値の変化が起きたからだ。
体験型のライブエンタは、音源で得られるものとは全く違う次元の快感を与えてくれる。特に音源がデータになり、ユーザーがジャケット写真や付属情報に依存しない環境に慣れてしまった現代において、代替できないものがアーティスト自身であることを考えれば当然の帰結と言える。
そのライブエンタ産業にも死角がある。
会場数と収容数以上には産業の伸びる余地がないという現実だ。
2019年末から2020年に入り、ぴあが建設した1万人規模の会場やZEPPの新設などがあったが、いずれも全体数から見れば微増に貢献する程度だ。
実は日本の全会場(数百人~アリーナクラス)の稼働平均率は約75%程度なのだ。
残り25%は未稼働なのだが、この未稼働分をゼロに近づけるのは中々困難だ。
主要な理由は、会場を持っている各イベンターの情報が共有されない点にあり、競合する他のイベンターが利用したくても利用できない現実がある。
仮にこの垣根を取っ払えば、現在の市場は10%以上アップする可能性がある。
それでも会場数と集客数以上のマーケット形成は不可能だ。
そこで将来的に有望なのが、疑似体験市場だ。
既に知られているのはライブビューイングだ。映画の劇場は市場が低下する中、この部分に注目をしており、「嵐」なのでは数十万人規模の動員がある。
しかし、近未来を考えれば、現在のような二次元ライブビューイングは時代遅れになるだろう。
それを大きく飛躍されるのはVRと5G(もしくは6G)の存在だと思う。
先ほど疑似体験市場と云ったが、VRによるコンサートへの参加が、現場と同じ体感と遜色ないほどの体験が出来るVRライブビューイングの時代になれば、ライブエンタテインメント産業は、現在の数倍もしくは数十倍に拡大することが可能だ。
実際に、こうしたリアルな体験が出来る技術は日進月歩だ。
私は、10年以内に、実体感レベルの高い、360度シームレス映像のVRライブビューイングサービスが立ち上がると予測している。
またこのサービスの利点は、「地域差がなく」また「国境がない」ので全国均一なワールドワイド市場に対応可能だ。
日本国内であろうが、海外のライブであろうが、場合によっては時間や場所の制約なしで楽しむ事が出来る。
当然You TubeなのもVRサービスをする時代になるだろうが、特別な体験は、質に伴う部分が多く、また最も重要なのは「共感性」の創造だ。
またこのサービスは、年齢に関係なく利用可能であり、当然高齢者も対象となる。
海外でしか行われないコンサートでも日本で楽しむ事が可能だし、逆も同じだ。
VRライブビューイングの時代は、音楽産業が次のブレークスルーをする上で欠かせない事業になると信じている。
最大の課題は、VR機器の個人への普及だが、価格面、インフラ面が初期ユーザーの増加によって一定レベルまで下がってくれば周辺ユーザー数は自然に増加するのが一般的な市場動向だ。
私も高齢になってこういうサービスがあったら、自宅から出ずに疑似体験出来るだろうから、利用すると思う。
重要な情報なので共有致します。豊増 洋右さんの大型台風の経験。 [独り言]
台風19号が迫っており、今迄にない緊張感を強いられております。
私が東京に来てからこんな大型台風は初めてで、想像を絶します。
台風15号の経験から学ぶ事は多くありますが、以下の豊増 洋右さんのコメントには切実な経験値があり、重要な情報が含まれておりますので、
皆さまや特に千葉県の方々にお読み頂きたくシェアをさせて頂きました。
【T9119 の経験から】
これは、あくまで九州で91年の台風19号の被災したときの経験の話です(正確には17号と19号の2連続の経験)。いたずらに不安を煽るようなことは書くべきではないとわかっていますが、最悪の事態を想定する必要はあると思うのであえて経験談として書きます。自治体のみなさんもすでに対策されていると思いますが、今回は本当に最悪の事態に備える必要があります。2連続直撃というのが、本当に恐ろしいです。
91年の台風19号のときは、その1週間前の台風17号で屋根瓦の一部が飛んでしまっており、そこに来た2度目の台風によって、風速42m程度で、母屋、牛舎の瓦のほとんどが飛び、倉庫の屋根はなくなりました。母屋は壁もなくなりました。一部の瓦がずれていたり、なくなってしまっていると、40mくらいの風で全部剥がれて飛んで行ってしまいます。ブルーシートはかなり入念に抑えていたつもりでしたが、一瞬でなくなってしまいました。
西日本の多くでそういう事態だったので、瓦の供給は順番待ちで、全部の屋根瓦をふき終わったのは年が改まってからでした。その間、ブルーシート生活は長く、風でだんだん痛んで破れるので、何度となく新しいものに貼り直しました。
風速40m程度の台風が2回続けて来た、ということの結果が上記です。
今回の台風19号が千葉県に上陸した場合、15号ですでに屋根の一部が被害を受けているような家屋は、最悪の場合すべての瓦や屋根材が飛ばされてしまう可能性があります。仮押さえしているブルーシートも、いままさに必死で対策してくださっていると思いますが、それでも多くが飛ばされて電線などにひっかかる可能性があります。夜があけたら大量のブルーシートが電線にかかっている、ということも想定する必要がああります。
台風通過後は、屋根全部を覆う大きさのブルーシートが大量に必要になることは間違いないと思います。そのつもりで、各自治体からの支援の準備が必要かと思われます。
災害対策本部をいつ設置したか、とか、知事がそのときどこにいたか、とかは正直、どうでもよく、最悪の事態を想定してどこまで手を打てていたか、だと思います。いまの段階で、一部被災した家屋の多い南房総各地に、大量のブルーシートを運び込んでおく、くらいしないと間に合わないと思います。そして、そのブルーシート生活はかなり長引くことも想定が必要。
それに加えて、停電、断水、通信遮断の対策。
県や国などの中央省庁は「情報が集まらない」などと言っている時点で、最悪の事態を想定する心構えになっていないと思います。災害時に情報なんていくら待っていても集まるわけがなく、人海戦術で確かな情報を取りに行くしかありません。その準備を。
とにかくあと2日間、ひとりひとり減災にむけてできる限りの対策、努力をするとして、そして、上記の準備が全て無駄になるくらい、被害が少ないことを祈るばかりです。
九州育ちなので、風速30m、40mくらいの台風には慣れていますが、今回の15号、19号は本当にそんな九州人からみても異次元の恐ろしさです。かなりビビってます。
闇営業とタレントと事務所とメディアとあの方の死 [独り言]
この間の流れで気になる事がある。
7月9日、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏が死去した。
7月17日夜、ジャニーズ事務所に対して公正取引委員会が「注意」をした報道がNHKの一方で流れる。
さて、フライデーに端を発した吉本芸人の闇営業問題は、19年6月初旬の宮迫氏への直撃に始まり、6月4日に入江氏の契約解消、その後、宮迫氏、田村氏が虚実証言をして二転三転し、6月24日に吉本興業が関係タレントが金銭授受をしたと発表し、処分している。
まず、ジャニーズ事務所の公正取引委員会が「注意」をしたNHK報道のタイミングや内容は、かなり違和感がある。そもそも注意位の内容でトップニュースにする点、またNHKも例外ではないが、紅白等、番組への所属鍛錬と出演を考えた場合のジャニーズ事務所への忖度を考えれば、NHKの報道は過去に例のないものだ。
それもジャニー氏の死去後というタイミングなのだ。
また、お笑い巨大企業の吉本興業のフライデーによる一連の騒動の事件化が、たまたまジャニー喜多川氏の入院~死去に近いタイミングで起きたのか、それとも何等かの意図が働いて起きた事象なのか? この辺りは気になる時系列なのだ。
いずれにしても、ジャニーズ事務所の所属タレントたちは、同じ業界内で常に狙われている才能である。またお笑い巨大企業の吉本興業のタレントも同様だ。
そういう感覚値を考えれば、これまでの地上波+大手芸能事務所の構図を更地にしようと考える人たちがいると仮定し、公正取引委員会が「注意」した件の報道や、吉本興業の一連の件には何等かの意図がある可能性を排除出来ないだろう。
この辺りは今後要注視案件だ。
さて、世間では闇営業と言われているが、業界では「直営業」と言われている。
事務所の最大の功績はギャラの良い仕事を取ってくることだ。
本来タレントは、自分で営業するよりも事務所の営業の方がギャラが良いから
またそれに纏わる仔細微細な打ち合わせや対応を事務所が対応し、
タレントはスポットライトの中で活躍すれば双方ハッピーなはずだ。
しかし現実はちょっと異なる。
タレントは自分の手数料の料率や経費の明細が具体的に何だか理解しておらず、
ギャラの額も不正確な情報が出回り、事務所への不信感の温床にもなっている。
芸能事務所では、契約書を交わしているケースの方が小数だが、
今回の反社会勢力と思われる集団の宴会に
後輩への背中を見せる立場でもある。
理解出来ていないとすれば、タレントとしては三流の烙印を押されても仕方なかろう。
そういう意味で本件は吉本興行の管理や運営、タレント教育、経営体制に端緒があると考えるの常道で、
タレントの軽はずみな行為は、タレントの無知と事務所との連携の無さから生じていると見た方が自然だ。
吉本興業の社長会見を見ていて、この人物が世間的な経営者じゃない事は明らかに理解できた。
芸能界の社長としては優秀なのだろうが、一般的な経営者としては、落第の人物だ。
大崎会長も、契約書締結を認めないと発言している辺りからして、会社経営者としては全く埒外の人と言っていい。簡単に言えば吉本興業は、父ちゃん母ちゃん経営のレベルなのだ。
やはりそう思うよね・・という感じ。
NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察 [独り言]
NGT48暴行事件、まあ、面倒な事になっている。
つまり、メンバーはNGT48に所属している間、プライベートを失う覚悟を持つ必要があり、
また、関係者やメンバーたちは、「厄介」ファンや「厄介」ファンに準じる連中から
危機管理を本気でするなら当然この程度は止む得ない。
しかし、果たしてそこまで管理することは現実的に可能だろうか?
加えて長期に渡ってこうした事は可能なのだろうか?
そもそも、AKB系のビジネスモデルはファンと関係者間の距離の取り方に対するリスクを常時内包している。
ある元AKBメンバーが、本件について自身の出演しているテレビ番組内で
少なくとも、こうした多数が絡み長期に渡る仕事では、
様々な危機管理方法について、
NGT48のメンバーには酷な言い方だが、本件は、一部メンバーの厄介ファンというリスクへの
もちろんキチンとリスクを理解していたメンバーもいたと推察され、
自立的に行動したいた人たちもいる訳なのだが、
こうした事を避けるためには、
統一したルールと認識を共有している必要がある。
チームが大所帯であり、チーム一丸で事に当たる必要があるからだ。
NGT48はビジネス的に言えば「プロジェクト」だ。
今回はそれをすらやっていなかったのだろうと思う。
特にやっていなかったのは、メンバー内の組織構築だと思っている。
これは想像だが、AKB48の場合は、現場レベルで彼女たちの全体を取り仕切る人物がおり、
スタッフ側が日常的なメンバーの活動のために
その上で、少数人数の集合隊のメンバーを束ねる人材が必要で、
出来ればメンバー内に適数居た方がいい。
今回の一連の騒動を見ていると、
加えて「厄介」ファンの行動は明らかにルール逸脱だ。
プロの中に低レベルのアマチュアが紛れ込んで結果的にぐちゃぐちゃになった、
クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法 [独り言]
ヒットを意図的に作れる方法はあるのか? ヒットの設計図 [独り言]
(言っておくが日本の読書家の中には年3000冊読むツワモノがいるのでこの数は全く多くない)
斬新な製品だったが、既に作られていたカセットデッキの再生装置だけを切り離して持ち運び可能にしただけとも言える。
仮にだが、海外でヒットしていた曲を参考にして
ここがセンスと才能だ。
それでも売れる人と売れない人を分ける「決定的な条件」は、条件が複雑すぎて必ずしも特定出来ない。
またいい曲なのに売れない曲、知られないまま消えて行く曲があるが、
これもまた「なじみ感」が浸透する前段階で賞味期限を迎えてしまったか、曲そのものになじみ感がなかったための結末だろう。
歌手として唄が上手いだけでは世に出れない。歌手を際立たせる楽曲が必要となるからだ。
またいい曲というだけでも世に出れず、曲を際立たせる歌手が必要となる。
ズーニーブーという2人組がオリジナル作品である「また逢う日まで」は、当時全く見向きもされなかったが、その後に尾崎紀世彦氏にカバーされて大ヒットした。
尾崎紀世彦氏は驚くほどの歌唱力と表現力で1971年の日本レコード大賞を受賞したが、その後の彼にはこれを超えるヒット作が出なかった。
これは、同じ曲なのに歌手やアレンジが違うだけで化学反応の仕方が全く違うという典型例なのだが、「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式だけでは解明できない難しさの存在を示している。
私も途中で見るのを止めた。
この本を読んでガテンが行ったのだが、
「いだてん」は余りにも「もなじみ感」の無い素材を主人公にしてしまった事が主要原因だろう。
金栗四三や嘉納治五郎など、そもそも主人公になる人物像が余りにも馴染みが無さ過ぎた。
従って主人公への共感を抱くために手がかりがなく、なじむまでの時間が掛かり過ぎる。
先鋭的過ぎて、一般大衆を置き去りにしてしまったと思う。
Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、
つまりMAYA理論に合わせてみれば、本作は先進的過ぎて受入れが困難な素材と内容だったという事だ。
クリエイターに寄り添い過ぎるとこういうリスクもあるという好例になるだろう。
(なお、同じ作家のあまちゃんがヒットしたのは、設定そのものが80年代を中心とし、画面に出てくるアイテムや現象に視聴者の多くがなじみ感があったからだろう。それにクドカンワールドの驚きが新鮮さを与えたという訳だ)
「なじみ感」という土俵なしでは、その次に仕掛ける「驚き」に到達出来ない。
大変残念だが、いだてんは素材選定の時点で既に誤りだったかもしれない。
「西郷どん」ほどの認知のある素材でも、一時期は視聴率に苦労していた位だ。
望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化 [独り言]
一般的に言うと思考力高い人は、質問力が高い。
質問をする力は、質問する相手や内容を理解している必要がある。
残念ながら望月氏の質問を聴く限り、これに該当しない。
これ自体が権力的グループだ。
フリーのジャーナリストはここに入れない。
完全な村社会で、おまけに全く法的根拠もない存在だ。
東京新聞・望月記者はその一員なのだ。
その連中が先日、官房長官の会見に対する異議として
200人程度のデモをしたらしい。
頭脳の構造が全く理解できないが、
そもそも自分たちを客観視出来ないのだろう。
彼らは権力を監視し、国民の知る権利のための最前線という自負があると言う。
また後述するが、各社の記者は、彼女に関して何等かの意見表明をしないのか?
国民に詳しく伝える事だろう。
しかし、朝日新聞のように切り貼りしてあたかも彼女が意味のある質問をしているように
見せかけるのはフェアじゃない。
逆に言うと、彼女のくだらない意見表明のお陰で、他社の質問時間が無くなり、
つまり望月記者がやっていることは、仮に国民の知る権利のためなら、そもそも矛盾した行動なのだ。
以前、彼女が出した本も読んだが、全く内容の無く時間の無駄だった。
噂では東京新聞上層部が官房長官会見に送り込んでいるようだが、
その怪しい人事差配に東京新聞社内でも異論が出ているとも聞く。
いずれにしても、東京新聞はこのような低レベルの人物を官房長官会見に出席させている。
東京新聞の嫌がらせなのかと勘繰りたくもなるが、
官邸の様々な反応を見て、東京新聞上層部が笑っているとしたら、
東京新聞のレベルはその程度と言っていい。
それでも東京新聞上層部のお達しらしいため、誰も何も言えないは、報道組織として情けない。
国民の知る権利のために、安倍政権は厳しく監視すべき対象で、
おまけに朝日だけでなく大手新聞社の連中がいる本社は、国から払い下げの土地で連中はそうした会社に勤め、内部留保をため込み、発行している新聞は消費税の対象外であり、特権階層と言ってもいい連中だ。
加えて取材にはハイヤーを常駐させ、高額な年俸をもらい、自分たちの主義主張を記事と称して世間にバラまき、朝日に至っては、慰安婦問題を捏造して国益を損ねているような反国家的な連中なのだ。
日本の国民は一度も知る権利の使者を委託したことはない。
頼むから「国民の知る権利」を代理しているなんて言わないでください。
特に望月記者は。
また野党自身も民意の顕われだ。
これまで資本力で網羅的に情報を流してその情報を独占していたメディアは、ネットによる個々人の発信の影響力に脅かされる時代になった。本当に良かったと思うが、それによってメディアの嘘がバレ始めている。
そうした可能性が全く見えないのが本当に残念だ。
厚労省の統計問題をアベノミクス偽装などと言っているようでは、永遠に政権交代など起こらないだろう。
東京新聞は、時折鋭い時期を書く新聞と評価している面もあるのだが、
先ほども言ったが、組織は低レベルの人材を入れているとそこに向かって引力が働く。
東京新聞に対して望月氏の暴走への対処を進言すべきだろう。
演者とファンとの間にある「結界」について [独り言]
この件、詰めて行けば行くほど、完全無欠の対応が無い事に突き当たる。仮に全メンバーの完全に近いにセキュリティーを完全に確保するなら、常時監視できる専門のセキュリティースタッフを雇い、メンバーを監視下に置き、加えて住居は一定区画に設置された建物に住まわせ、そこも24時間監視するような対応をしなければならない。
それ自体はやろうと思えば可能だが、要点はビジネス的に可能かどうかと本人たちの受け入れ方だろう。
つまり、ビジネス面で、売上に対して経費に見合う範囲を超えたら事実上はその対応が出来ないという事になる。それを無視すれば、そもそもこうしたプロジェクトを続ける事は不可能だ。またタイトな監視下で仕事をすることになるメンバーの精神衛生上の問題も出てくる。
指原さんは現状、タレントさんなので、そこまでの深い見解を述べる事まで求められていないかもしれないが、そこまでの事を想定した上でのコメントをする位の技量はあった方がいいだろう。
「ベキ論」は言うは易しで行うは難しなのだ。
多くのファンはある程度の規律の中で演者との距離感を保っている。しかし、ほんの僅かな愚連隊のような低レベルのファンが蟻の一穴になって事を面倒にしてしまう。こうした一穴を塞ぐためにあらゆる想定で対応しなければならなくなりと現実が回らなくなるという事は世の中に様々ある。特にメンバー数が多いプロジェクトにおいて、全員を完全な管理下におくのは現実的じゃない。その上で、出来る事、出来ない事を整理し、優先順位をつけて行うしかないだろう。超最悪の事例だけを取り出して対応を考えるべきなら、殆どの事は廻らない。本件を見ていてそういう感想を持った。
なお、ファンと演者の結界を超えて、メンバーの自宅のあるマンション内に部屋を確保していたという報道を聞き、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、HGTにしろAKBにしろ、人間的にも未熟な年齢のメンバーたち、また大人であるはずの関係者は、こういう生理的にも人間的にも圧倒的に不快で気持ち悪い連中を明るい光に集まる蛾のように呼び集めてしまうこうしたプロジェクトのリスクを意識しておくしかないだろう。
少なくともメンバーや関係者が外部に漏らしていけない情報が何であるか位は、改めて社会常識として教え、共有しておく必要はあろう。個人情報の漏洩がどういう結果をもたらすのか、今回で分かっただろう。
歌詞を読むと分かるように、Super Starに憧れる少女の切ない想いが伝わる内容を唄っている。
今も昔もスターへの憧れと妄想は、この曲の歌詞の示すものと余り変わりないだろう。
「Don't you remenber you told me to love me baby(私に愛しているって言ったの覚えてないの?)」何て言う辺りはかなり切ない。
「Super Star」歌詞:
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E04449
演者側は、音源にしろ、ライブステージにしろ、
よく、プライベートで出会ったスターに会った途端に「私、ファンです」などと言って、写真を撮ったり、握手を求めたり、サインをネダッタリする人がいるだろうが、先方は相手のファンと称するあなたを知らない訳で、常識的に考えれば非礼な行為だろう。有名税という見方もあるが、限度というものだってある。
また当然だが個々のプライベートを侵害するのはもっての外だ。