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悩ましいエンタメ業界の未来 ~ストックビジネスとフロービジネス~ [独り言]

悩ましいエンタメ業界の未来

~ストックビジネスとフロービジネス~


本文は2020年8月25日に記載している。

コロナ禍で世界中、未来が不透明だが、それでも我々は先を見据えて準備をしなくてはならない。

ワクチンの開発は急ピッチで進行中だが、早期開発後のリスクがどの程度なのかは誰にも分からない。


どの産業も例外なくコロナの影響を受けている。

殆どは負の影響ばかりだが、正の影響を受けた産業も若干ある。

ゲーム産業だ。

任天堂の売上と利益は過去最高だし、

ソニーの決算においてもプレステ4関連は別格の売上と利益を出した。


しかし、エンタメ産業、観光関連、サービス産業(飲食)等は、負の影響をまともに受けてしまった。


ここでは主としてエンタメ産業の未来に行く末とビジネスモデルの転換の勧めについて書こうと思う。


まず、特に音楽産業において、ライブビジネスが壊滅的打撃を被っている。

2019年度の段階で約3660億円(コンサートプロモーターズ協会調べ)の産業だったが、

2020年度に入ってからはコロナの惨禍で売上は限りなくゼロに近い。


ライブビジネスは、アーティストを頂点として、事務所、イベンター、バックミュージシャン、

音響、照明、楽器、美術、グッズ、リハスタ、チケット代理業、映像制作、トランポ、会場、仕出しなどと産業の裾野が広い。

当然だが、ヒエラルキーの頂点にいるミュージシャンが主催するライブに集客出来ない環境のため、トリクルダウンが成立しなくなってしまった。


現在は苦肉の策でライブ配信を実施しているが、特にアリーナ級のツアーが出来るアーティストにとっては、十分とは言えないビジネス規模だ。

サザンは6月下旬に横浜アリーナを使って15万人有料視聴の配信ライブを実施した。

1視聴辺り3600円だから、5.4億円の売上と推定出来る。

サザンクラスでこの視聴動員数と売上と分かった事は興味深い。


サザンの直近のツアー動員数は、55万人と言われているが、チケット代を乗じると売上規模は30億円台だ。

これにグッズの売り上げが別途加わるが、多分5~10億円前後辺りだろうと推定する。

配信ビジネスの規模がリアルライブと比して大幅に下がるのは宿命ともいえる。


さて、2019年に全米で最も稼いだアーティストは? 

米ビルボード“Money Makers”ランキング発表(Billboard JAPAN)によれば以下のようになっている。





興味深いのは、トップ海外アーティストの大半が、ツアー収入がビジネスの柱だという点だ。

これは世界的傾向で日本も例外ではない。

なお、クイーンは、トップ10の中で例外的には各項目の売上比率のバランス良い。

特にセールスとストリーミングの売上が他のアーティストと比較して、

圧倒的に高いのだが、これは映画「ボヘミアンラプソディ」の影響が強いからだろう。

クイーンのストリーミング収入を超えているのは、ジャスティン・ティンバーレイクとアリアナ・グランデだけだが、クイーンの長いキャリアを考えれば、驚異的と言っていいだろう。


(参考)

クイーン / $35.2M(37億1,600万円)

 セールス $9.6M(10億円)/ ストリーミング $8.1M(8億5,500万円)/ 

出版 $3.1M(3億2,700万円)/ ツアー $14.4M(15億円)



配信ライブビジネスの場合、同じセットメニューや演出を何回も配信すると新鮮さを失うので、

ビジネスチャンスがワンチャンス+αになってしまうというデメリットがある。

また技術的なバラつきがあるため、安普請の配信システムで行うと、

音質、映像に不具合も出易い。

つまり質の担保が困難なのだ。


配信の売上だけでは足りない場合、

売上を確保するために、チケットとグッズを抱き合わせる販売方法も考えられるが、

実際のライブ会場で売るよりも買う側の観客の興奮度が下がるため、

グッズによる補填部分は読みにくい。


ホールツアーの場合、一会場で75%以上の集客がないと利益ベースに乗らない。

現在のように政府から入場数の制限が出ている段階では、

ホールツアーを行う事は、そのままビジネス的な自殺行為になってしまう。

当然だが、もともと集客キャパ数の少ないライブハウスは、

さらにビジネスを成立させるのが更に困難だ。

またアリーナツアーの場合でも、連続した3公演の内、1.5公演分は赤字で、

1.5公演分がトントンか黒字になる程度だ。

実際の利益を出してくれるのは観客が買ってくれるグッズ収入なのだが、

現在はリアルの集客出来ないため、グッズをライブと同様規模で売る事も不可能だ。


音楽産業の場合、最悪だったのは、

多くのミュージシャンのビジネスモデルで、

フロービジネス(流動ビジネス)と

ストックビジネス(累積ビジネス)のバランスが余りにも悪かったという事だ。

フロービジネスというは、ライブのような実際の事業を実施し、

都度都度集消費者に消費させるモデルだ。CD販売やグッズ販売もこれに当てはまる。

反対にストックビジネスとは、例えばファンクラブのように年会費を集め、会員数に

大きな変動がなければ毎年度の売上と利益がある程度計算できるモデルだ。

先ほど書いたクイーン等ののビジネスは多くはフロービジネスだ。


昨今定額制ビジネスが発展しており、NETFLIXやSPOTIFYなどが人気だが、

ストックビジネスの強みを生かしている代表格だろう。


ミュージシャンのビジネスの場合、例えば数十万人のファンクラブ会員がいる場合であれば、

コロナ禍の中でも最低限度のビジネス維持が可能だ。

例えば年会費5000円で10万人の会員がいれば5億円の売り上げになり、

また会員全員に追加の売上(グッズ販売等)が出来れば、プラスを見込める。

仮に半分の会員が一人年間で5000円を追加支出してくれれば、

売上は7.5億円となり、

ミュージシャンや事務所関係者もそれなりの規模を維持できるだろう。

ストックビジネスの利点は、安定した収入と利益が確保できるだけでなく、

キャッシュフローの維持が楽な点にある。

毎年の退会者数は、過去の履歴からある程度読め、

先々の残存者数も一定の範囲内で読めるため、

毎月のキャッシュの動きが把握し易い利点がある。


日本で最大のファンクラブ会員数を保有しているのは、

おそらくジャニーズ事務所だろう。

彼らでさえもコロナ禍の影響によるライブ活動の中止で、

大きな損害を受けているだろうが、

日本有数の会員を誇るファンクラブ事業があるため、

当面のキャッシュに困る事はなく、

先々の事業維持が見通せるという訳だ。


もちろん例えばファンクラブの場合、その存在価値が、

アーティストやタレントのコンサートチケットが優先的に取れるという部分に

大きく依存しているため、

コロナ禍で、ライブ開催が長期に渡って出来なくなると、

会員になっているメリットを感じられなくなり退会者が続出することは避けられない。

それでも知恵を働かせてアーティストやタレントのファンクラブ向けだけの発信等で

付加価値を付ける事が出来れば、退会抑止を一定範囲に抑えられるだろう。


いずれにしても、こうしたストックビジネスの基礎を持ったミュージシャンやタレントであれば、

当面の支出を管理することでこのコロナ禍の苦境を乗り切れるだろう。

しかしフロービジネス、つまり、ライブ収入等への過度の依存がある場合、

今回のようなコロナ禍の直撃を受けてしまう。


ライブ関係で言えば、前述したようなイベンター、バックミュージシャン、

音響、照明、楽器、美術、グッズ、リハスタ、映像、トランポ、会場、仕出しに

従事する人たちはフロービジネスだけで営んでいるため、

危機を回避するための道が殆どない。

またミュージシャンの事務所でも、ファンクラブの会員数がそれほど多くなく、

全体の売上に占める割合が少ない場合、こうした危機が直撃するケースとなる。


それでもキャリアが長くヒット作品の多いミュージシャンの場合、

過去の作品の印税収入である程度を乗り切れる場合もあるだろうが、

やはりライブ収入の激減は、ファンクラブのようなストックビジネスを抱えていない限り、

厳しいと推察できる。


この先のエンタメビジネスの未来を見据えた場合、

フロービジネスとストックビジネスの両方に天秤を掛け、

どちらかに依存し過ぎないビジネスモデルの中で活動を考える必要があるだろう。

勿論、そうしたビジネスモデルの維持を考える事は、事務所の社長や役員たちが主体だが、

特にエンタメビジネスについては、ミュージシャンやタレントたちの

ビジネスへの理解が無いと成立しにくい。

これはビジネスに直結したエンジンが彼らだからだ。

ミュージシャンやタレントの中には、

ビジネスは自分たちの仕事の範疇ではないと考えている人たちも多いだろうが、

今後の時代において、そのような人たちは自然に淘汰されると予言しておく。

特にミュージシャンは、音楽を生み出す行為と金になる事が直結するように見えることを嫌う傾向がある。

金の事を語るのは穢れているという感じだ。

ミュージシャンにとって理想的なのは、自分が自然に生み出した音楽が、自然に世の中に伝わり、

結果的に金銭として帰ってくるような形が理想的で、ビジネス目的で音楽を作っているんじゃない、

という意識がどこかにあるだろうと思う。

それはそれで素晴らしい理想論なのだが、結局ミュージシャンは、

自分の生み出す音楽を金銭に変えられなければ、活動の資金を失い活動そのものが継続出来ない。

ミュージシャンのクリエイティブとビジネスとの距離感は大変に難しい課題だが、

綺麗ごと言っていても未来はない。

実際、今回のコロナ禍で一番の困難は、キャッシュを産まなくなってしまったことだろう。


売れているもしくはキャリアが長く成功しているミュージシャンは決定権者であり発言力が強い。

彼らの意向は、必ずビジネスに直結するし、それは自分たちに跳ね返ってくる。


だからプロでやっているミュージシャンは、絶対にビジネスを無視しては活動を維持出来ない。

従ってミュージシャンがビジネスに関する理解をする事は、

自分の音楽制作活動を後押しすることになり、必要な素養と言っていい。


だからこそ、コロナ禍で事業や収入に大きな影響を受け、存亡の危機に立っている今、

今後のビジネスの在り様を考え実行する絶好のチャンスなのだ。


映像や音楽の世界でNETFLIXやSPOTIFYのようなストックビジネスが幅を利かせている現実を、

同業者はもっとシリアスに捉えるべきだと思う。


いずれにしても、コロナの影響は、今後約2年程度をかけて断続的に続くと見るのが自然だ。

従ってライブエンタが且つてのようにな環境になるためには、

ワクチン接種が国民の大多数に実施され、尚且つ効力があると信じられ、

副作用が問題にならないほどしか発生しないと多くの人々が信じた先にある。


つまり、飛沫感染を全く不安に思えなくなるような環境が日本中、世界中に

定着しない限り、ライブエンタが前の姿に戻る事は絶対にない。

感染リスクへの恐怖は、理屈ではなく生理的な部分が大きい。

恐怖が存在する間は、観客数の制限、観客も声を出しての応援や座席を立ったりする行為等への

制限が残るだろう。

また特定の年齢や性別にファンが集中しているライブの場合、

大人しく座って一言も声を発しないでライブを観てください、と言っても管理出来ないだろう。

大変残念な言い方だが、この点において、ミュージシャンやタレント、また、

エンタメ関係者が積極的に出来る事はなく、周辺環境が整うのを待つしかない。


2020年5月の段階で12月のドーム、アリーナクラスでライブを開催予定し、

チケットを発売しているアーティストもいるが、明らかに判断を誤っだと思う。

何故このような決断をしたのか不思議でならないが、この辺りを深く考えないと

将来的な活動に大きな影響が出るだろう。

アーティストの立場からすれば、未来に向けた期待を込めて、

何でもいいから客との接点を持とうとするだろうが、

ビジネスを無視した活動を優先すれば、ミュージシャンやタレントとスタッフが共倒れになる。

こういう時代だからこそ、冷静に先を見据え、焦って無駄な動きをしないのも、

知恵のある者のやることだ。

もし事務所のキャッシュフローが事業継続に耐えられない場合は、

大手事務所やレコード会社への吸収を容認してでも先に繋げられる事を考えるべきだと思う。


従って今後、資金力のない音楽事務所、イベンターや関係法人は、業界内の資金力のある組織にM&Aされ、

統合されて行くだろう。

これは致し方のない現実であり、それによって生き残る事が出来れば、まだ良いだろう。


かなり楽観的に見ても通常のホールツアーの開始可能時期は、
2021年10月以降と見るのが自然で、もう少しリスクを減らそうと考えれば2022年4月以降になるだろう。アリーナクラスはずっとその先になる。
当然だが、ワールドワイドクラスのツアーをしているアーティストの、本格的ツアー再開は、2022年4月以降のどこかになり、日本にアリーナクラスのアーティストが来日出来る環境は、2022年10月以降だろう。
海外アーティストは、本人だけでなくバックミュージック、関連スタッフなど帯同する人数や機材も多く、感染管理は膨大な手間を金がかかる。
従って海外アーティスト公演の売上がメインのイベンターは、今後経営が厳しくなるだろう。
国内アーティストのイベンターは既に飽和状態で、入り込む余地が殆どないのも逆風になるだろう。
現在の情報から推定すれば何らかのワクチンが出てくるのは2021年前半以降と見ている。
仮にこの推定が有効だと仮定して、日本国民の半分以上が接種出来るまでにはそれから1年程度は見ておいた方が自然だ。つまり2022年秋頃だ。
また接種は高齢者、医療関係者、政府関係者、消防、警察等から始まり、若年層が最後になるはずだ。
ライブ動員の主要な顧客層が最後のワクチン接種者になるという事は、それまでの間、ソーシャルディスタンス等の措置が必要となる。
感染が落ち着いて来ても、再度感染者数が増加する傾向は各国で見られてもいる。
今後出てくるかもしれないワクチンが有効なのか、副作用はないのか、など課題は山積だ。
抗体医薬にも期待が寄せられるが、まだ臨床試験が開始したばかりだ。
いずれにしても医療へのアプローチは散発的に発生し、安定した医療手法になるには年単位で見る必要がある。
この話は日本国内だけの話だが、世界とリンクした話になれば、もっと時間がかかると見るのが自然だ。
現時点から見ても通常のオリンピック開催は、現実的にみて不可能かもしれない。
大会の開催方法を大幅に見直し、受け入れ選手団の管理を徹底出来るかどうかだろう。
海外からの観客を無作為に受け入れるやり方は、日本国内に相当なリスクを背負うため困難だろう。
選手には大変に気の毒だが、開催はかなり限定的な方法を探るか、他の競技会等で代替するしかないだろう。
当面ライブエンタに出来る事は、少人数の観客を入れたライブと配信を組み合わせた形か、配信前提のコンテンツ作りをするしかない。
また配信環境や配信演出をライブでは味わえない付加価値を付けた商品開発として配信するしかないだろう。
ただ、残念だが配信ビジネスはライブのように同じ内容を別の場所で見せて売上げを上げることが出来ない。
これは今後の課題だろう。
また何度も書いたが、今後のエンタメ業界は、フローとストックビジネスの両輪をバランス良く考えないと今後の事業リスクの管理が出来ない。
コロナ禍は、それを教えてくれたと言っていい。
ある意味チャンスだとも言える。
事業ポートフォリオを見直し、今後も続くだろう感染時代を乗り切る施策をしなければ、
エンタメ事業の未来は不透明のままになるだろう。




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2020年以降のコンテンツ産業の未来  [独り言]

2020年以降のコンテンツ産業の未来 

 

音楽産業がビジネスモデルの転換を余儀なくされたのはituneの登場だった。

ジョブスはパッケージ・ビジネスモデルを棺桶に入れたと言っても過言じゃない。

その後、世界的に見れば、You TubeSpotifyなどの登場で音楽の消費は定額制ストリーミングサービスや無料利用が主流となった。

これにより、個別アーティストや音源そのものへの執着が無くなり、個別の音源消費はユーザーにとって空気のような存在になってしまったと言っていい。

その代わりに登場したのがライブエンタテインメントへの市場移行だ。

モノからコトへの市場移行は、音楽コンテンツのデジタル化によって引き起こされた。

 

ある識者のコメントを紹介する。

コンテンツのデジタル化は、コンテンツの無料化を意味する。またコンテンツホルダーは、個人コンテンツホルダーに勝てない時代になる。

 

この識者が言うまでもなく、コンテンツ産業は、デジタル化によって識者のいう方向性に進んでいる。

加えてYou Tubeは既存の映像市場に断層的な役割を果たし、特にテレビやDVD業界に極めて大きな影響を与えている。

特にニュース報道において、これまではプロの記者が取材した映像が主体だったが、現在では現場にいたスマホユーザーの映像が使用されるケースが多々ある。コンテンツホルダーは、個人コンテンツホルダーに勝てない時代になるという点の一面であろう。

 

音楽産業で起きた、コンテンツからライブエンタへの市場移行は、モノからコトへと価値の変化が起きたからだ。

体験型のライブエンタは、音源で得られるものとは全く違う次元の快感を与えてくれる。特に音源がデータになり、ユーザーがジャケット写真や付属情報に依存しない環境に慣れてしまった現代において、代替できないものがアーティスト自身であることを考えれば当然の帰結と言える。

そのライブエンタ産業にも死角がある。

会場数と収容数以上には産業の伸びる余地がないという現実だ。

2019年末から2020年に入り、ぴあが建設した1万人規模の会場やZEPPの新設などがあったが、いずれも全体数から見れば微増に貢献する程度だ。

実は日本の全会場(数百人~アリーナクラス)の稼働平均率は約75%程度なのだ。

残り25%は未稼働なのだが、この未稼働分をゼロに近づけるのは中々困難だ。

主要な理由は、会場を持っている各イベンターの情報が共有されない点にあり、競合する他のイベンターが利用したくても利用できない現実がある。

仮にこの垣根を取っ払えば、現在の市場は10%以上アップする可能性がある。

それでも会場数と集客数以上のマーケット形成は不可能だ。

 

そこで将来的に有望なのが、疑似体験市場だ。

既に知られているのはライブビューイングだ。映画の劇場は市場が低下する中、この部分に注目をしており、「嵐」なのでは数十万人規模の動員がある。

しかし、近未来を考えれば、現在のような二次元ライブビューイングは時代遅れになるだろう。

それを大きく飛躍されるのはVR5G(もしくは6G)の存在だと思う。

先ほど疑似体験市場と云ったが、VRによるコンサートへの参加が、現場と同じ体感と遜色ないほどの体験が出来るVRライブビューイングの時代になれば、ライブエンタテインメント産業は、現在の数倍もしくは数十倍に拡大することが可能だ。

実際に、こうしたリアルな体験が出来る技術は日進月歩だ。

私は、10年以内に、実体感レベルの高い、360度シームレス映像のVRライブビューイングサービスが立ち上がると予測している。

 

またこのサービスの利点は、「地域差がなく」また「国境がない」ので全国均一なワールドワイド市場に対応可能だ。

日本国内であろうが、海外のライブであろうが、場合によっては時間や場所の制約なしで楽しむ事が出来る。

当然You TubeなのもVRサービスをする時代になるだろうが、特別な体験は、質に伴う部分が多く、また最も重要なのは「共感性」の創造だ。

またこのサービスは、年齢に関係なく利用可能であり、当然高齢者も対象となる。

海外でしか行われないコンサートでも日本で楽しむ事が可能だし、逆も同じだ。

VRライブビューイングの時代は、音楽産業が次のブレークスルーをする上で欠かせない事業になると信じている。

最大の課題は、VR機器の個人への普及だが、価格面、インフラ面が初期ユーザーの増加によって一定レベルまで下がってくれば周辺ユーザー数は自然に増加するのが一般的な市場動向だ。

私も高齢になってこういうサービスがあったら、自宅から出ずに疑似体験出来るだろうから、利用すると思う。

 


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重要な情報なので共有致します。豊増 洋右さんの大型台風の経験。 [独り言]

台風19号が迫っており、今迄にない緊張感を強いられております。
私が東京に来てからこんな大型台風は初めてで、想像を絶します。
台風15号の経験から学ぶ事は多くありますが、以下の豊増 洋右さんのコメントには切実な経験値があり、重要な情報が含まれておりますので、
皆さまや特に千葉県の方々にお読み頂きたくシェアをさせて頂きました。

 

【T9119 の経験から】

これは、あくまで九州で91年の台風19号の被災したときの経験の話です(正確には17号と19号の2連続の経験)。いたずらに不安を煽るようなことは書くべきではないとわかっていますが、最悪の事態を想定する必要はあると思うのであえて経験談として書きます。自治体のみなさんもすでに対策されていると思いますが、今回は本当に最悪の事態に備える必要があります。2連続直撃というのが、本当に恐ろしいです。

91年の台風19号のときは、その1週間前の台風17号で屋根瓦の一部が飛んでしまっており、そこに来た2度目の台風によって、風速42m程度で、母屋、牛舎の瓦のほとんどが飛び、倉庫の屋根はなくなりました。母屋は壁もなくなりました。一部の瓦がずれていたり、なくなってしまっていると、40mくらいの風で全部剥がれて飛んで行ってしまいます。ブルーシートはかなり入念に抑えていたつもりでしたが、一瞬でなくなってしまいました。

西日本の多くでそういう事態だったので、瓦の供給は順番待ちで、全部の屋根瓦をふき終わったのは年が改まってからでした。その間、ブルーシート生活は長く、風でだんだん痛んで破れるので、何度となく新しいものに貼り直しました。

風速40m程度の台風が2回続けて来た、ということの結果が上記です。

今回の台風19号が千葉県に上陸した場合、15号ですでに屋根の一部が被害を受けているような家屋は、最悪の場合すべての瓦や屋根材が飛ばされてしまう可能性があります。仮押さえしているブルーシートも、いままさに必死で対策してくださっていると思いますが、それでも多くが飛ばされて電線などにひっかかる可能性があります。夜があけたら大量のブルーシートが電線にかかっている、ということも想定する必要がああります。

台風通過後は、屋根全部を覆う大きさのブルーシートが大量に必要になることは間違いないと思います。そのつもりで、各自治体からの支援の準備が必要かと思われます。

災害対策本部をいつ設置したか、とか、知事がそのときどこにいたか、とかは正直、どうでもよく、最悪の事態を想定してどこまで手を打てていたか、だと思います。いまの段階で、一部被災した家屋の多い南房総各地に、大量のブルーシートを運び込んでおく、くらいしないと間に合わないと思います。そして、そのブルーシート生活はかなり長引くことも想定が必要。

それに加えて、停電、断水、通信遮断の対策。

県や国などの中央省庁は「情報が集まらない」などと言っている時点で、最悪の事態を想定する心構えになっていないと思います。災害時に情報なんていくら待っていても集まるわけがなく、人海戦術で確かな情報を取りに行くしかありません。その準備を。

とにかくあと2日間、ひとりひとり減災にむけてできる限りの対策、努力をするとして、そして、上記の準備が全て無駄になるくらい、被害が少ないことを祈るばかりです。

九州育ちなので、風速30m、40mくらいの台風には慣れていますが、今回の15号、19号は本当にそんな九州人からみても異次元の恐ろしさです。かなりビビってます。


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闇営業とタレントと事務所とメディアとあの方の死 [独り言]



吉本興業“闇営業”での損失は数億円規模「1000以上の仕事で調整が必要」



吉本興業のタレント直営業問題は、2019年7月22日の岡本社長の会見によって最初のピークを迎えた。
この間の流れで気になる事がある。
7月9日、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏が死去した。
7月17日夜、ジャニーズ事務所に対して公正取引委員会が「注意」をした報道がNHKの一方で流れる。

さて、フライデーに端を発した吉本芸人の闇営業問題は、19年6月初旬の宮迫氏への直撃に始まり、6月4日に入江氏の契約解消、その後、宮迫氏、田村氏が虚実証言をして二転三転し、6月24日に吉本興業が関係タレントが金銭授受をしたと発表し、処分している。

まず、ジャニーズ事務所の公正取引委員会が「注意」をしたNHK報道のタイミングや内容は、かなり違和感がある。そもそも注意位の内容でトップニュースにする点、またNHKも例外ではないが、紅白等、番組への所属鍛錬と出演を考えた場合のジャニーズ事務所への忖度を考えれば、NHKの報道は過去に例のないものだ。
それもジャニー氏の死去後というタイミングなのだ。


また、お笑い巨大企業の吉本興業のフライデーによる一連の騒動の事件化が、たまたまジャニー喜多川氏の入院~死去に近いタイミングで起きたのか、それとも何等かの意図が働いて起きた事象なのか? この辺りは気になる時系列なのだ。

いずれにしても、ジャニーズ事務所の所属タレントたちは、同じ業界内で常に狙われている才能である。またお笑い巨大企業の吉本興業のタレントも同様だ。
そういう感覚値を考えれば、これまでの地上波+大手芸能事務所の構図を更地にしようと考える人たちがいると仮定し、公正取引委員会が「注意」した件の報道や、吉本興業の一連の件には何等かの意図がある可能性を排除出来ないだろう。

この辺りは今後要注視案件だ。


さて、世間では闇営業と言われているが、業界では「直営業」と言われている。

所属タレントが事務所を通さずに、クライアントもしくは

それに近い立場から直接交渉され仕事をもらい履行することだ。

アルバイトとも言う人がいるが、この行為は本来的には契約違反だ。


タレントが事務所を通さないで仕事をしようとする最大の理由は、

事務所の手数料が高いもしくはギャラに満足していないからだろう。

もしくは事務所の手数料の料率がハッキリとしないからかもしれない。

または仮に料率を知っていても

元のギャラの本当の金額を教えてもらえないのかもしれない。

いずれにしても、タレント側に事務所への不信と不満があったのは明らかだ。


事務所側としては、タレントの仕事に関して日々仔細微細なケアを行っており、

その手数料に見合うサービスをタレントに提供していると思っているはずだ。
事務所の最大の功績はギャラの良い仕事を取ってくることだ。
本来タレントは、自分で営業するよりも事務所の営業の方がギャラが良いから

事務所と契約するインセンティブがある。
またそれに纏わる仔細微細な打ち合わせや対応を事務所が対応し、
タレントはスポットライトの中で活躍すれば双方ハッピーなはずだ。

しかし現実はちょっと異なる。
タレントは自分の手数料の料率や経費の明細が具体的に何だか理解しておらず、

様々な周辺情報を得てモヤモヤしている。
ギャラの額も不正確な情報が出回り、事務所への不信感の温床にもなっている。


いずれにしても、今回のようにクライアントの質に問題があれば、

事務所が中に入る事で適切な情報収集し、

依頼の時点で断わることも可能だったことは確かだろう。


そういう意味で世間知らずな芸人が

知りもしないクライアントの仕事をしょうとすると、

こういう恐ろしい地雷を踏むという良いサンプルになっただろう。


吉本興業の芸人は、吉本興行と契約関係がないと言う人が多いが、

契約書の交付がなくても

口約束レベルでも双方の合意があれば民法上の契約関係は成立する。

ただし、金銭を授受する関係上、双方が条件等を確認と承認をした

契約書はあって然るべきで、無い方がかなり不自然とだけは言っておく。
芸能事務所では、契約書を交わしているケースの方が小数だが、

交わしている場合でも、タレントに不利な部分が記載された契約が多い事は指摘しておく。


今回のいわゆる闇営業問題は、

報道ではタレントたちの暴走行為と捉えているが、

管理側の吉本興業にもかなりの問題があると見るのが公平だろう。

吉本興業からすればタレントにルール違反をされた上に損害まで出ていて

トンデモないと思っているだろうが、

そういう事を含めて管理をするから、高い手数料や信用に見合う訳で、

仮にタレントが水面下でやったルール違反であっても、

高い手数料を取る事で有名な吉本興業の管理責任を免れる事では全くない。


吉本興業の芸人さんたちは、自分たちへの支払い時に支払明細をもらっている事を

公言しているから、多分そうした支払い処理をしていると推定される。

但し、その明細にマネージメント手数料や

控除された経費が記載されているとは言っていない。

従って、番組名と各支払額もしくは

支払い総額及び源泉税だけが記載されているのかもしれない。


タレントのギャラは、「タレント派遣料+事務所手数料+経費」が包括されている。

大抵の場合、タレントは、自分の本当のギャラの総額を知らない。

芸能事務所にとって、タレントの総額ギャラは最高機密情報で、

役員と担当やその上司位の間でしか共有されない。

テレビの出演は契約書を交わさないし、CMの場合でも

出演契約書に捺印するのは事務所の代表者で、タレントは署名捺印しない。

従ってタレントは本当のギャラ額を知る術が殆どない。


タレントが知らない形態になっているのは、

知られると手数料や経費の控除がどのくらいかが分かってしまい、

それについて論理的な説明が出来ない部分が多く、事務所側が困るからだ。

不思議な話だが、これは現実にそういう事が横行している。


但し、事務所側の立場としては、タレントを売り出すために様々な人たちと会い、

飲食等で関係性を作り、仕事の情報を得て時間をかけてブッキングに結び付ける。

また売り込みの際に先行投資される金銭も、いずれ回収しなければならない。

マネージャーの給料も稼ぎが余りないタレントの場合は事務所の持ち出しになる。

また担当者が多数のタレントを抱えている場合、

誰にどの程度の経費をかけたのかを

完全に仕分け出来ない面があるのは事実だ。

加えて育成費、衣装代などは事務所が立替的に支出する事もある。

そうした先行的な支出をタレント側の経費とする事務所は多いが、

タレント側からすると、自分のギャラから控除されるのは、

結局自分が支払っているのと同じだろうという感覚にもなり違和感を持たれる。


しかし稼いだ以上に経費を使えば赤字になり、

ある時期の赤字を覚悟でタレントを売り出している事務書からすれば

回収期間が欲しいのは正当な理屈だ。

しかし、こうした金銭の動きを論理的に運用している事務所は皆無に近い。

これは管理部門と支出経費に個別の管理コードをつけて金銭管理をする必要があり、

手間がかかるからだ。

しかし、本来はすべきことで、やっていない事務所は管理体制が三流なだけだ。


いずれにせよ、タレント側は、振り込まれる金額が

彼らの認識できるギャラであり、

その前段階で幾らがどのような名目で控除されているかは全く分からない仕組みだ。

過去にこうしたケースで、鈴木あみ氏(当時)が所属事務所と係争になった事がある。

彼女は自分が控除されている経費等が不当だと争った訳だ。

判決は、「事務所代表が逮捕され、歌手と事務所の信頼関係は崩れていた」として、

鈴木氏側が勝訴。

しかし「出演料の明細を明らかにする」という要求は認められなかった。


現代においてもタレントたちは、良く言えば信頼関係、

悪く言えば前近代的システムの中で仕事をしていると言っていい。

芸能界に居ればそれは当たり前だが、

一般的な企業群のビジネス行為としてはかなり古色蒼然としている。


こうした不明瞭で不透明な商習慣が、

宮迫氏クラスのベテランでも闇営業に踏み出してしまう

遠因になっていると言っていいかもしれない。


誤解無きように言っておくが、そういう背景があった上でも、
今回の反社会勢力と思われる集団の宴会に

ノコノコ営業に行ったタレントを擁護するつもりは全くない。

仮に後輩のために心意気だけで出演をOKしたとしてもだ。


少なくとも宮迫氏は、会社員なら本部長級以上の立場のタレントだ。

冠番組を持ち、社会的影響も大きい。
後輩への背中を見せる立場でもある。

そういう立場の人間は、経験等で様々な判断ができると見なされている。

従ってこうした三流現場の三流営業に顔を出す事が

自分の価値としてどうなのか?、後輩に背中を見せている事になるのか?を
理解出来ていないとすれば、タレントとしては三流の烙印を押されても仕方なかろう。


また、彼らが貰ったギャラは、元は詐欺にあった被害者の金かもしれないのだ。

仲立ちをした入江とか言う主犯芸人は、

自分が紹介した相手の正体を知っていたようであるから、

罪の重さは格段に違う。



報道によれば、吉本興業は、1000件近い案件への対応と

多額の損金が出るだろうと言われている。

吉本興業からすれば自分たちも被害者と言いたいだろうが、

タレント管理者としては、「共犯」であると言った方が正確だろう。

また損害においても、歩合に応じた過失があると認められるため、

事務所とタレントの配分率に応じた損失額の負担を求められる事になる。

つまり理屈からしたら、手数料率の高い方の損害金銭の負担が重くなるのが自然だ。

自業自得である。


しかし報道には吉本興行の管理に言及した記事は殆ど見当たらない。

全てタレントだけが悪者だ。

しかしそれはオカシイ。

多数のタレントがこうした闇営業をしていて発覚しなかったのは、

単に吉本興業がタレントの動向を把握していなかったというだけにも見える。


担当マネージャーらは一体何をやっていたのだろう?

仮にオフの日でもタレントの担当マネージャーなら、

一定の情報を把握しているものである。


もちろんGPSをつけて把握している訳ではないので、

限界はあるが、日頃の人間関係があれば、ある程度は把握できる。


また、闇営業は、芸人仲間内では知っているケースが多く、

事務所の人間の中にも噂以上に知っている関係者がいると見るのが普通だ。

ただ、ベテランタレントらのアルバイト行為を

目下のスタッフが上司にチクったり、本人に警告したりするのは中々難しいだろうが、

そういう機能を事務所が持っていなかったとすれば、それはそれで問題だろう。
そういう意味で本件は吉本興行の管理や運営、タレント教育、経営体制に端緒があると考えるの常道で、
タレントの軽はずみな行為は、タレントの無知と事務所との連携の無さから生じていると見た方が自然だ。


いずれにせよ、これだけの数のタレントの闇営業の動きを

把握できなかったというのは、

芸能事務所の管理として余りにも杜撰と言われても仕方ない。

マネージャーらは、ただのお世話係しかできないのか?と言われるだろう。


本件の吉本興業側の情報開示も不透明さが増す中で、

番組からクライアントの撤退が見え隠れする中、

国民の財産である電波で事業をしている放送局の対応も興味を引くが、

いずれにせよ、改めてタレントと事務所の契約環境や管理体制を考えなおし、

芸能界といってももう少し近代的な運営をなさった方が良いのではと感じた次第だ。

特に年間300億円以上の被害をもたらす犯罪行為をする連中を利するようなタレントは、

そもそも業界から駆逐するくらいの厳しい対応をしないとメッセージにならない。


暫く謹慎して来年辺りから出て来る噂もあるが、

時間経過に伴う忘却を理由にテレビ局側がそれを許せば、

そういう連中の行為を暗黙に認めているという事になり同罪になる。


会社員ならもっと分かりやすいが、同じ事が起きたら懲戒解雇かそれに類する辞め方になるだろう。

こういう辞め方をした会社員の再就職は本当に厳しいのが現実だ。

芸能界だけ特別という感覚は、誤った特権意識の現れで、

そろそろ世間並にしておいた方がいいだろう。

吉本興業の社長会見を見ていて、この人物が世間的な経営者じゃない事は明らかに理解できた。
芸能界の社長としては優秀なのだろうが、一般的な経営者としては、落第の人物だ。
大崎会長も、契約書締結を認めないと発言している辺りからして、会社経営者としては全く埒外の人と言っていい。簡単に言えば吉本興業は、父ちゃん母ちゃん経営のレベルなのだ。


しかし、あれだけの影響力を持つということはそれだけ経営者の責任が重いという当たり前の事を

事務所のトップ、またタレント各位、加えて業務取引をしている放送局は自覚して欲しい。



こんな記事を書いていたら、似たような視点の記事を見つけました。
やはりそう思うよね・・という感じ。



吉本芸人の「闇営業」を生んだ構造的問題──果たして責任はタレントだけにあるのか?:




吉本興業芸人の「闇営業」 低いモラル、企業統治のあり方に疑問も:















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NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察 [独り言]

NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察



NGT48暴行事件の温床、私的つながり求める「厄介」ファン 

危機管理失敗した運営の罪、今も続く臆測







NGT48暴行事件、まあ、面倒な事になっている。

ファン全体から見れば非常に少数の「厄介」ファンの存在が、

このAKB系のビジネスモデルを崩壊の危機に至らせようとしている。




悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通りだ。




今回の件はこの手のビジネスの想定したリスクの中でも最悪に近い事象が起きている。

またマスコミ等の周囲は、運営側の危機管理の失敗と断じている。




果たして本当にそうなのだろうか?




確かに運営側の対応について

様々な瑕疵が見つかり、反省点も多い。

それは事実だろう。




また、記者会見で、対象となっているメンバーから

反論がツイートされるなど、

一昔では絶対に考えられないような事態が起きている。

大変な時代になったものだと思う。




当事者は双方共に、大変な状況に置かれていることが想像される。




さて、今回の件、どうしたらこのリスクを避けられたのだろうか?

それともそもそも回避は無理だったのか?




まず、少数の「厄介」ファンの最悪なリスクへの対応ができるか考えてみよう。




少数が起こすだろう、付きまとい、個人的接触、過度な要求等などを想定すると、

一番のヘッジ方法は、メンバー全員をスタッフが完全隔離した生活環境と職場環境に置くしかない。


つまり、メンバーはNGT48に所属している間、プライベートを失う覚悟を持つ必要があり、

スタッフは24時間体制で彼らを管理下に置く覚悟をすることになる。

当然だが、関係各個人のメール、SNSなどの利用制限、または利用確認をされることが前提になる。


また、関係者やメンバーたちは、「厄介」ファンや「厄介」ファンに準じる連中から

リスクヘッジできるだけの物理的、空間的距離を取れるようにし、またそれらを常に確認し、

また想定外の事態への対処も出来ているかを常時確認をする必要を迫られる。


危機管理を本気でするなら当然この程度は止む得ない。


しかし、果たしてそこまで管理することは現実的に可能だろうか?

またそうした管理は、人権的な観点、労働基準法等で容認される範囲なのだろうか?
加えて長期に渡ってこうした事は可能なのだろうか?


そもそも、AKB系のビジネスモデルはファンと関係者間の距離の取り方に対するリスクを常時内包している。

従って上記のようなリスクに対して

完全無欠な危機管理を施そうとしたら、法律的、道義的な壁によって対応が不可能となり、

従ってAKB系のビジネスモデルは維持不能になるだろう。


ある元AKBメンバーが、本件について自身の出演しているテレビ番組内で

関係スタッフの対応について、

不満や苦言を呈していたが、私はかなり違和感を持った。



少なくとも、こうした多数が絡み長期に渡る仕事では、
様々な危機管理方法について、

関係スタッフ側とメンバー各位が同じレベルの認識を持つ必要があるが、

こうしたリスクへの認識と対応は、「スタッフ側だけの対応」では絶対に出来ない。


NGT48のメンバーには酷な言い方だが、本件は、一部メンバーの厄介ファンというリスクへの

意識と認識の低さにも問題があったと言っていい。

それを全く無視していては、本来的な意味でのこの問題解決は不可能だ。


もちろんキチンとリスクを理解していたメンバーもいたと推察され、
自立的に行動したいた人たちもいる訳なのだが、

悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通り、

一部のメンバーの不用意な言動が

本事件の大きな一因であっただろうことは否定できない。

これは管理側の現実的な対応範囲からすり抜けてしまったからだろう。


こうした事を避けるためには、

メンバー、関係者がプロジェクトを進行させるために必要な
統一したルールと認識を共有している必要がある。

メンバーからすれば、タレント活動以外の負荷が生じ、違和感を持つだろうが、

AKB系のビジネスモデルを維持し、自分たちもその恩恵を得ようと思ったら、

メンバー側の高い意識と協力がなかったら実現できない。

スタッフ側におんぶの女王様待遇を期待していては無理なのだ。

理由は、厄介ファンへのリスク回避は非常に困難な事例であり、
チームが大所帯であり、チーム一丸で事に当たる必要があるからだ。


NGT48はビジネス的に言えば「プロジェクト」だ。

「プロジェクト」は有能なマネージメントがリーダーとなり、

参加している各メンバーの高い意識によってしか成功しない。

特に大型プロジェクトはそうだ。

「プロジェクト」の成功の最低要件は、関係者(メンバー、スタッフ等)が

キチンとした組織構造基づいて、一定のルールと時間軸と目標を共有することだ。

こんなのは、サラリーマンなら社会人数年以内に学ぶ「いろはのい」である。


今回はそれをすらやっていなかったのだろうと思う。
特にやっていなかったのは、メンバー内の組織構築だと思っている。

そういう意味で、スタッフ側のマネージメントトップには大きな非があるだろう。


これは想像だが、AKB48の場合は、現場レベルで彼女たちの全体を取り仕切る人物がおり、

尚且つメンバー内にメンバーを束ねる人材が内部にいたのかもしれない。

これは一定程度の人数範囲をカバー出来る人材がいないと組織の長期維持は困難だからだ。


スタッフ側が日常的なメンバーの活動のために

最良の周辺環境を整えるのは当然の仕事なのだが、

同時に個別のメンバー自身のコアな部分、つまり私的な環境の管理そのものは、

本来的にはメンバー個々人の範中だ。

こういうと驚く人が多いかもしれないが、当たり前の事だ。

自己管理も出来ない人間にプロの世界は務まらない。

それがプロの世界で働く者としての最低限度の矜持というものだ。

もしそれに違和感があれば、メンバーとして参加しなければいいだろう。


その上で、少数人数の集合隊のメンバーを束ねる人材が必要で、
出来ればメンバー内に適数居た方がいい。

会社で言えば「管理職」に当たる人材だ。

組織にはそういう筋交いがないと維持が難しい。

現場感覚を身近で理解出来る人間がいないと

不満やデタラメが横行し始めるからだ。


今回の一連の騒動を見ていると、

そもそもこのようなビジネス・プロジェクトを理解しておらず、

加えてプロっぽくない人たちの集合体が引き起こした問題のように見える。

もちろん関係者の多くはプロだろうし、中にはキチンとやっている人も多いのだろうが、

結果だけ見れば全くそのように見えない。

それはメンバーたちの振る舞いにも言える。


加えて「厄介」ファンの行動は明らかにルール逸脱だ。

まあ、そういうレベルの低い連中を呼び寄せてしまう当りも反省点だろう。



プロの中に低レベルのアマチュアが紛れ込んで結果的にぐちゃぐちゃになった、

外野の一般人の視点から見ていると、今回の騒動はそう見える。



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クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法 [独り言]

クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法
もしこのアイデアを既に実現している人か法人がいたら
このブログの記事は、全く無意味なので、そうであれば是非指摘してください。
(もしくはこのアイデアそのものが無理筋という可能性もあります・・)
地上波、BSにしろ、日本の放送視聴率はビデオリサーチ社が行っており、
主にこの数値が公表され、公式となる。
さて、公開情報だけで推定するとビデオリサーチ社はサンプリング調査をしており、
その数は、統計学上の要件を満たす世帯数(900世帯程度)で対応している。
なお。この場合の誤差は上下2%程度というので、
10%と言っても9%~11%程度までの間のどこかという事になる。
9%と11%ではテレビ業界にとって雲泥の差なのだが、
大抵の場合、上の数値が公表数値となる。
さて、現在、視聴者の視聴方法は電波経由とは限らない。
J:COMなどのケーブル局があるからだ。
J:COMの公表数値によれば視聴世帯数は、2018年末で1,381万世帯(全国)だそうだ。
実は、J:COMなどの大手ケーブル局は
契約者とセットトップボックス等を経由して繋がっているので、
視聴者の視聴動向を100%補足している。
もう理解出来ていると思うのだが、
J:COMなどの大手ケーブル局は、全視聴世帯の視聴率を集計出来、
また実際にしている。
おまけに地域分布や様態も判っているはずだ。
仮にJ:COMが1,381万世帯のこうした視聴率データを持っているとすれば、
ビデオリサーチ社よりは遥かに正確だろう。
またこれだけのサンプル数だと統計学上の誤差は殆ど無視できるほどない。
つまりこのデータは法的に問題がなければ売れるはずのデータなのだ。
大手広告代理店経由で地上波やBSの広告枠を買っているクライアントの多くは、
ビデオリサーチ社の視聴率に対して枠の金額を支払っているはずだが、
仮にJ:COMなどが持っているデータを入手し、それを比較したら、
確実な視聴の数値を把握でき、加えて広告料についても適切かどうかが判る。
そういう事をやっているというクライアントを聞いた事がないが、
不思議な話である。
但し、ビデオリサーチ社は1世帯を8台の機器で調査出来るため、
家族個別の視聴率やカウントはこちらの方に優位性がある。
さて。

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ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?  ヒットの設計図 [独り言]

ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで  

by デレク・トンプソン



ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

  • 作者: デレク トンプソン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


私は年に100~120冊程度本を読む。
(言っておくが日本の読書家の中には年3000冊読むツワモノがいるのでこの数は全く多くない)


ここ十数年、読書が趣味のようになってしまった。

だから私は、友達が少ない典型のような人間なのだが、

本への逃避は他人様に迷惑をかけないから良い趣味だと思っている。


読みたい本に辿り着く方法はいくつもあるが、

新聞書評、本の中で紹介されている本、書籍店での発見など、様々だ。

今回紹介する本書は、新聞書評で見つけた。


普段、ブログで本の紹介とかはしないが、

最近読んだ中で珍しく秀逸なものがあったので記事を書きたくなった。


ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで~という本だ。


出来れば皆さんに読んで欲しいので、基本的には中身を全て語らないようにする。

それでも本書の何が面白いのかは語らねばらない。


私はエンタメ業界で35年近く働いてきているので、

世間をザワザワさせること、自分をザワザワさせることに敏感だ。

そしてずっと考えて来たのは、ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?と、

何故、あるものはヒットし、ある似たようなものはヒットしないか?についてだ。


本書は、それに回答らしいものを与えてくれる。

回答らしいと言ったのは、この本に書かれている事を意識的にやれば

絶対ヒットするかは不明だからだ。また意識的に出来るかは相当ハードルが高い。


それでも、本書に書かれている分析は、非常に鮮烈だ。


何故人々は、何かに心を動かされ、時に購入し、時に体験しようとするのか?

そしてその何故を知る術はあるのか?

またそれは誰でもできるのか?だ。


その回答は本書を読んでもらうしかない。


ただ、少なくとも人間が音楽や映像、世情、スピーチ等に対して好意的な反応をする場合、

「なじみ感」が必要だと解説している。

つまり、人間は全く認知の無いものに直ぐ共感をしない特性があるからだ。

また人間は、「なじみ感」を持ちながら「驚き」を感じられると「新しい」と感じる。


本書には書いてないが、自分の体験で再現できるものがある。

SONYのWALKMANだ。

まだカセットとアナログレコードが主流の時代、

我々の普通の使い方は、アナログレコードを録音し、(アナログ盤は高価で聞くと減るからだ)

カセットデッキを部屋に置いて音楽を聞いていた。(友達と盤を交換し、カセットに録音していたからだ)

そしてWALKMANは、再生装置部分だけにして切り出して持ち出せるようにして大ヒットした。
斬新な製品だったが、既に作られていたカセットデッキの再生装置だけを切り離して持ち運び可能にしただけとも言える。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=既成のカセットデッキ」+「驚き=再生装置だけを持ち出し可能にした」=「新しい=音楽を自由な空間で持ち出して楽しめるようになった」と、いうことだろう。


音楽にも同じ事が言える。

殆どの人は、全く聞き覚えもない音楽フォームに共感しにくい。

昔から日本人は洋楽が苦手な人が多いが、

これは主要な洋楽がブルーズを基礎にして発展してきているからで、

日本人でブルーズに馴染みを持った人が少なかったからだ。

それでも海外でヒットしている楽曲の多くは、一般大衆に支持されているもので、

当然ながら日本人が聴いてもいい曲は多い。


筒美京平氏という天才作曲家がいるが、彼がヒット作を量産していた手法は、

当時、一般の日本人には殆ど馴染みのないが、

聞いたら良いなと思うような洋楽ヒット曲をベースに、

彼なりの手法で日本のポップスに変換して世に送り出していたというものだった。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=普遍的洋楽ヒット曲」+「驚き=洋楽的だが日本っぽいのメロディー」=「新しい=時代を先取りした音楽」のようになるのだろう。


実際、その後に日本で活躍するミュージシャンたちが生み出すヒット曲の多くは、

殆どがこの筒美京平方式によって作られている。

人によってはこの手法をパクリという人がいるが、それは正確な表現ではない。

あのビートルズもそれ以前のロックンロールやR&Bが音楽のベースになっており、

多数の過去のヒット曲が源泉となっている。

ビートルズが凄かったのは、オリジナリティーを進化させ、

コンセプトアルバムの発売をするなど、それまでにない音楽表現とスタイルを確立したためだ。


仮にだが、海外でヒットしていた曲を参考にして

ご自身で似ているようで似ていないような

ヒット曲のような質の音楽を生む出せるかを試してみたらいいだろう。

ほぼ無理だ。

実際、筒美氏の曲はオリジナルよりもメロディーが際立った曲が多い。


例えば、The Beatlesの大ヒット曲、Let it beは、コード進行フォームとしては、

Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)だ。

キーはともかく、このコード進行だけをヒントに曲を書いてみて欲しい。

殆どの人は、Let it beには遥かに及ばないメロディーしか作れないだろう。


このコード進行フォームでヒットした他の世界的ヒット作品を見てみると、

JOURNEYの「Don't Stop Believe In」やU2の「With or Without you」、Bob Marleyの「No Woman No Cry」など数多い。

日本では、綾香さんの「I Believe」がそれだが、Let it beとは全く違う曲なのは明らかだ。

従って共通するアイデアがあっても必ずしも同じ結果を生むわけじゃない。
ここがセンスと才能だ。


こうして見て分かる事は、Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)のような

黄金のコード進行という「なじみ感」がユーザーに聴くキッカケを与え、

個々のミュージシャンが作り出すメロディーやアレンジが「驚き」を加え、

新鮮味を醸成するという法則があるという事実だ。


サザンの桑田さんは、とあるインタビューで、

「音楽的デジャブ感(既視感)」と言い表していたが、

彼は20歳そこそこで「勝手にシンドバット」を作った頃から

この事に気が付いていたのだろうと思う。


例えば、JAZZというジャンルが一部を除いて日本の大衆に浸透しなかったのは「なじみ感」の欠如だろう。

JAZZに「なじみ感」を覚える大衆が少ないのは、JAZZそのものが斬新過ぎる点にあるが、元の音楽がブルーズだったことも理由だろう。

つまり馴染みがない上にアドバンス過ぎたのだ。

だから既成の曲をJAZZ風にアレンジした場合、大衆はやっと「なじみ感」を覚える事が出来るようになるが、

音楽を咀嚼出来る絶対数が少ないため多くは「驚き」へは移行しなかった。

そのため定着せず、マニアックな分野に落ち着いてしまったという訳だ。

本書では、そうした現象をMAYA(Most Advanced Yet Accetable)という単語で紹介している。

非常に先進的だが享受可能なもの、という意味だ。


ヒット曲を生む作り手は、その素質として常に斬新で先進的なものに興味を抱く。

そのため、大衆に重心を寄せ過ぎるとクリエイティビティの本質、

つまり個性や先進性を棄損する恐れがあると考えるクリエイターが多いのだが、

大衆を無視してはビジネスが成立しない。

クリエイティビティとビジネスは昔から二項対立する分野だが、

その差配のセンスこそがクリエイターの格の違いを生むと言っていい。

つまり「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の3つの項目を成立させるための

先鋭さと大衆向けの配分が重要であり、MAYAを包括するものがヒット作に恵まれる最低条件ということになる。


全く名も知られていないあらゆる分野の新人は、

世の中に知られるようになるまで、年単位を必要とするが、

それはすなわち市場に対して「なじみ感」を浸透させる時間と言える。
それでも売れる人と売れない人を分ける「決定的な条件」は、条件が複雑すぎて必ずしも特定出来ない。

またいい曲なのに売れない曲、知られないまま消えて行く曲があるが、
これもまた「なじみ感」が浸透する前段階で賞味期限を迎えてしまったか、曲そのものになじみ感がなかったための結末だろう。


従って、多くの人やモノ、曲は「なじみ感」が浸透する前に消え、世に出る事はない。
歌手として唄が上手いだけでは世に出れない。歌手を際立たせる楽曲が必要となるからだ。
またいい曲というだけでも世に出れず、曲を際立たせる歌手が必要となる。


ズーニーブーという2人組がオリジナル作品である「また逢う日まで」は、当時全く見向きもされなかったが、その後に尾崎紀世彦氏にカバーされて大ヒットした。
尾崎紀世彦氏は驚くほどの歌唱力と表現力で1971年の日本レコード大賞を受賞したが、その後の彼にはこれを超えるヒット作が出なかった。
これは、同じ曲なのに歌手やアレンジが違うだけで化学反応の仕方が全く違うという典型例なのだが、
「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式だけでは解明できない難しさの存在を示している。


さて、世の中には、口コミという現象があるが、これも同様で、自分が支持しているインフルエンサーが口コミするものは、インフルエンサーという「なじみ感」を通じているからこそ口コミされたものにアクセスしやすくなる。

これは、古くからある手法で言えばCMであり、昨今はユーチューバーになるだろう。


1980年代、「おいしい生活」というキャッチコピーがあった。

当時、本当の斬新に思えたが、

これも「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=おいしい、生活という普通に使う単語」+「驚き=「生活」に「おいしい」を組み合わせた事」=「新しい=80年代感覚」となる。

「おいしい食事」という表現はあるが、「生活」という単語には使わない。

生活には味がないからだ。

しかしそれを敢えて合体させた所にセンスの高さがある。これが「驚き」を生んだ。

つまり大衆がこのコピーを直ぐに受け入れて理解したのは、

そもそもこのコピーを構成する言葉になじみがあったからだろう。


話が長くなるのでこの辺りで終わりにするが、

本書は上記以外においても政治家の演説を例を挙げ、

その演説に大衆が熱狂する言葉の在り様について解説を加えてくれているが、非常に示唆に富んでいる。


最後に1つ、NHK大河ドラマ「いだてん」が視聴率不調だという。
私も途中で見るのを止めた。
この本を読んでガテンが行ったのだが、
「いだてん」は余りにも「もなじみ感」の無い素材を主人公にしてしまった事が主要原因だろう。
金栗四三や嘉納治五郎など、そもそも主人公になる人物像が余りにも馴染みが無さ過ぎた。
従って主人公への共感を抱くために手がかりがなく、なじむまでの時間が掛かり過ぎる。

加えてそこに宮藤官九郎氏が斬新な台本と時空を超えた編集を織りなしたために、
先鋭的過ぎて、一般大衆を置き去りにしてしまったと思う。
Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、
つまりMAYA理論に合わせてみれば、本作は先進的過ぎて受入れが困難な素材と内容だったという事だ。
クリエイターに寄り添い過ぎるとこういうリスクもあるという好例になるだろう。
(なお、同じ作家のあまちゃんがヒットしたのは、設定そのものが80年代を中心とし、画面に出てくるアイテムや現象に視聴者の多くがなじみ感があったからだろう。それにクドカンワールドの驚きが新鮮さを与えたという訳だ)


「なじみ感」という土俵なしでは、その次に仕掛ける「驚き」に到達出来ない。
大変残念だが、いだてんは素材選定の時点で既に誤りだったかもしれない。
「西郷どん」ほどの認知のある素材でも、一時期は視聴率に苦労していた位だ。

但し個人的には「西郷どん」は大変に楽しめた。


ヒット、つまり大衆の熱狂の根底には共通した人間心理がある。

そしてヒットするものは人間心理に根差した法則の中にあることを本書は教えてくれている。

ヒットって本当に不思議なものだ。


本書、お勧めする。


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望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化 [独り言]

望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化


2020年9月2日17時、菅官房長官が自民党総裁選挙に立候補した。
記者会見は生中継されたが、記者からの質問は途中で中継が中断された。
その後ネットに東京新聞・望月衣塑子の質問の模様と菅官房長官の回答の様子が上がっていた。
やり取りは以下のような感じだ。
東京新聞・望月衣塑子は「色んな記者をさされてるなと感じた。心残りは都合の悪い記者に質問妨害が続いた。
番記者の厳しい追及に応じるのか…」
自民党・菅義偉「限られた時間の中でルールに基づいて行っている。
ですから早く結論を質問すればそれだけ時間が浮く訳であります」
東京新聞記者「しっかり会見時間とるか」 菅氏「早く結論を質問すれば時間浮く」
予てから望月衣塑子の質問は、記者会見場で特異なスタイルとして衆目を集めている。
彼女は記者として質問しているというよりも活動家が自己主張をしているようでもあり、
また他の媒体の情報に基づいて質問をするなど、およそ新聞記者としては頂けない人だ。
望月衣塑子の質問の特徴は、その内容の長さと内容の無さだろう。
とにかく前置きと自己主張が強く、何がポイントなのか全く分からない。
私が上場企業に転職した時、一番印象的だったのは、
仕事の出来る人間は、総じてメールの返信内容が短く的確で、
また指示や命令内容に修飾が殆どない事だった。
その反対に仕事の出来ない人間は、説明の際の前置きが異常に長く、
結論を最後に言う傾向が強かった。(結論の無い人もいた)
要するに仕事の出来るタイプは、自分の中で状況や仕事を整理し、ポイントを掴み、
設定されているポイントをクリアーするために効率的な方法や思考は何かを理解している人間だと言っていい。

一般的に言うと思考力高い人は、質問力が高い。
質問をする力は、質問する相手や内容を理解している必要がある。
残念ながら望月氏の質問を聴く限り、これに該当しない。


以下は過去の彼女の取材姿勢に関する世評だ。


“痛い”謝罪・撤回の東京新聞、望月記者 自社の了承知らないまま発言…政治部記者「一緒にしないでくれ」:





菅官房長官「あなたに答える必要はありません」 東京新聞・望月記者は何を質問したのか?全文書き起こしでわかるマスコミの印象操作~ネットの反応:




日本には記者クラブという閉鎖的権力空間がある。
これ自体が権力的グループだ。
フリーのジャーナリストはここに入れない。
完全な村社会で、おまけに全く法的根拠もない存在だ。
 東京新聞・望月記者はその一員なのだ。
その連中が先日、官房長官の会見に対する異議として
200人程度のデモをしたらしい。
頭脳の構造が全く理解できないが、
そもそも自分たちを客観視出来ないのだろう。

彼らは権力を監視し、国民の知る権利のための最前線という自負があると言う。

しかし、昨今ネット経由で様々な立場から様々な情報が得られるようになり、

これまでテレビ、新聞等が我々国民に垂れ流してきた情報が、

相当に歪んだものだと判るようになり、信頼度が落ちてきている。


特に昨今、意識あると言われる庶民が見ているという

ネット番組の虎ノ門ニュースなどを視聴している人々は、

およそテレビや新聞の報道をまともに信じる事はないだろう。


実際私も、実はそういう理由から新聞を読まなくなったし

テレビニュースもチェックするだけになった一人だ。

それでも週1位で図書館でざっと新聞に目を通す事はある。

しかし、新聞を全く読まなくても

日本や世界の政治情勢を知り、理解する上で全く困らないと判り、

少なくとも新聞やテレビニュース等のメディアには情報依拠しなくなった。


そういえば、昨今通勤電車の車内で新聞を読んでいる人を殆ど見なくなった。

多くはスマホの画面を見ている。

ニュースを読む人、ゲームをする人様々だが、

新聞の需要が減っていることは確かだろう。


新聞社はその需要減の理由を理解していないようだが、非常にシンプルで、

記事の内容が読むに値しないからだし、

他の情報ソースの方が信頼できると考える人が増えたからだ。



さてそんな折、かねてから官邸ととある記者の間がゴタゴタしている。

東京新聞の望月衣塑子記者だ。

もう彼女についての問題は様々に語られているのでここでは書かない。


ただ、彼女の一連の言動を私なりに掻い摘んで言わせてもらえれば、

東京新聞はいつまでこのド素人を放置しておくのだろう?という事だ。


また後述するが、各社の記者は、彼女に関して何等かの意見表明をしないのか?

そもそもかなり長期間、を官房長官会見であのような低レベルの質問を投げかけていること自体が
国民に詳しく伝える事だろう。
しかし、朝日新聞のように切り貼りしてあたかも彼女が意味のある質問をしているように
見せかけるのはフェアじゃない。


彼女はいわゆる「困った人」に属する。

根拠も事実の確認もない、個人的な見解や意見を官房長官会見でぶつけて

東京新聞の代表として質問をするフリをして意見を表明し、

相手からその意見への回答を得ようとする行為を繰り返し行っているようだが、

言語同断である。


彼女が国民の知る権利を盾にこうした行為を止めないのは、

かなり公平に見ても異常と言うしかないだろう。

逆に言うと、彼女のくだらない意見表明のお陰で、他社の質問時間が無くなり、

我々が知るための機会を逸している事を理解しているのか?
つまり望月記者がやっていることは、仮に国民の知る権利のためなら、そもそも矛盾した行動なのだ。

また本来の質問力の無さを見ても、記者不適格者と言っていい。

(おまけに記者として全く成果を出せていないのも事実だし、彼女は政治記者でもない)


以前、彼女が出した本も読んだが、全く内容の無く時間の無駄だった。
噂では東京新聞上層部が官房長官会見に送り込んでいるようだが、
その怪しい人事差配に東京新聞社内でも異論が出ているとも聞く。


いずれにしても、東京新聞はこのような低レベルの人物を官房長官会見に出席させている。

普通に考えれば、この行為自体が東京新聞社の意思表明と言っていいだろう。

東京新聞社にとって、官房長官会見は、

望月氏程度の人材を置いておいて良いという意味だと解釈できる。


自民党の官房長官も舐められたものだ。
東京新聞の嫌がらせなのかと勘繰りたくもなるが、
官邸の様々な反応を見て、東京新聞上層部が笑っているとしたら、
東京新聞のレベルはその程度と言っていい。


しかし、こうした新聞者と記者たちの姿勢は、そのままユーザーに伝わる。

朝日と同じ左派系新聞と言われる東京新聞だが、

2019年に嘱託を経て東京新聞を退社した長谷川幸洋氏のような

出来るだけ多くの事実と視点に対して向き合っているようなまともな人材もいる。

そのため東京新聞ではかなりの異端者だったらしいが・・。


しかし望月氏のような超低レベルの人材を、

こともあろうに官房長官会見に出席させている事実はかなりいただけない。

企業ブランドを貶めていると言っていいだろう。
それでも東京新聞上層部のお達しらしいため、誰も何も言えないは、報道組織として情けない。


望月氏は、自民党は国民と記者の敵で、
国民の知る権利のために、安倍政権は厳しく監視すべき対象で、

加えて厳しく批判すべきというだけの立場のように見える。


国民の一人として言うが、望月氏だけでなく、国民は新聞記者にこのような事を頼んだ覚えは一度もない。

また特に新聞記者にそのような事も期待していない。


例えば朝日新聞の記者が書く政治経済関連の記事を読めば分かるが、殆ど左翼機関紙と同等だ。
おまけに朝日だけでなく大手新聞社の連中がいる本社は、国から払い下げの土地で連中はそうした会社に勤め、内部留保をため込み、発行している新聞は消費税の対象外であり、特権階層と言ってもいい連中だ。

加えて取材にはハイヤーを常駐させ、高額な年俸をもらい、自分たちの主義主張を記事と称して世間にバラまき、朝日に至っては、慰安婦問題を捏造して国益を損ねているような反国家的な連中なのだ。
日本の国民は一度も知る権利の使者を委託したことはない。


記者たちの全くの勘違いだ。
頼むから「国民の知る権利」を代理しているなんて言わないでください。
特に望月記者は。


もっと言えば、新聞記者たちよりも良質な情報を発信し、

批評、論評、批判する人たちやメディアや人は数多く存在する。

そういう中で現代の記者、新聞、テレビメディアがどうふるまうべきか、

一度謙虚に考えた方が良いだろう。


望月氏の大先輩である長谷川幸洋氏は、以下のように語っている。


政府を監視し批判するというメディアの姿勢は違う。

常時政府に反対する「私」ではメディアとして自立出来ない。

政府に対して自分たちはこう考えるというのが大事。

(メディアは)自信が無いのでしょう。

横文字を縦に直しているだけではダメ。

(横文字を縦に直しているというのは新聞が官僚発の情報を新聞に転載している事実を指す)


私は彼の見方に同調している。

ジャーナリスムを語るなら、まず是々非々だろう。

左系の人々には、権力はそもそも悪で、批判対象にしかならない・・と考える人が多い。

しかし、仮に再び野党が政権を取った時、それまで政権を批判してきたメディアは、

野党が成立させた政権に対して、どういった立ち位置を取るのだろうという疑問が起こる。

長谷川幸洋氏が「政府を監視し批判するというメディアの姿勢は違う」と語っているのは

そういう事なのだ。

また政権そのものは一定の民意の集大成だ。

政権と民意はある意味で一体で、あちら側とこちら側ではない。
また野党自身も民意の顕われだ。

そういう事を全く勘案せず、権力=悪=常時監視と批判という幼稚な理屈でメディアが時の政権に対峙しているようでは、メディアが自己都合や自己視点だけの報道と称する意見表明をしているだけでは、国民の心をとらえるメディアにはなれるはずもない。


解説、批評、論評は全く次元が違う。


本来、ジャーナリスムは出来るだけ多面的な角度から見た事実をテーブルにおき、

その事実に対して多くの視点に基づいた定量的で論拠のある解説を加えるのが筋だ。

また解説に私信は不要だ。


その上で、断りを付けた上で、個人もしくは組織の論評および批判を加えるのが本来の在り方だろう。


従って、記者やメディアは、権力側に対する知る権利を行使する国民の代理人なのだという考え方は全く否定しておく。

メディアが知る権利を行使する国民の代理人というのは余りにも傲慢な発想じゃないか。

少なくとも国民の総意として、知る権利の代理をメディアや記者に委託した事実はない。


そもそもメディアは権力の一部で、

記者はその一員として同じ権力側の政府と共生する宿命を背負っている。


情報を得るために、官僚からペーパーをもらい、

特落ちしないように他社とのロクな競争もしないで横並びの情報を自社メディア出し事に終始して、

解説、批評、論評を混同している。

また朝日新聞のように捏造紛いの情報を出してまで自説を世間にまき散らす連中や、

望月記者のように、近所のおばさんから聞いたような噂話を

官房長官にぶつけて回答を得ようとする低レベルの連中が

我々国民の知る権利のために働いているなんてどういう発想で言えるのか、全く理解に苦しむ。


多くのメディアが未だにやっているが、先に自分たちの主張に合わせた結論や記事の流れを決めておき、

それに合致するか補足する情報だけをかい摘まんで編集して、

公衆にタレ流すのだが、そういう事で世間を欺く時代は終わっている。


これはネットの影響力と言っていい。
これまで資本力で網羅的に情報を流してその情報を独占していたメディアは、ネットによる個々人の発信の影響力に脅かされる時代になった。本当に良かったと思うが、それによってメディアの嘘がバレ始めている。


大手メディアが森友、加計問題であれだけの時間とエネルギーを使った理由は、

そもそも憲法改正論者の安倍首相を首相の座から下ろしたかったからで、

国民の知る権利のためじゃない。


憲法改正はそれほど日本にとってタブーだが、

民主主義国家としての在りよう、また日本周辺の外交状況の変化、拉致問題などを鑑みれば、

憲法改正をタブー視しているようでは全く未来がないと言っていい。

しかし、朝日新聞を筆頭とした左派系メディアは、これに断固反対であり、

それは憲法改正が左派系メディアを支える反日集団にとってデメリットになるからだ。


しかしネット社会の現代では、そういう意図が全てバレている事を

主要メディア側の連中も理解すべきだろう。

こうしたメディア情報を鵜呑みにする人々を「情報弱者」と言うそうだが、

もうそういう人々が多数になる時代は時間を追って終焉に向かっている。



望月記者は、立憲民主党から立候補するという噂がある。

まあ、あの政党ならさもありなんという感じだ。

人選センスの悪さは天下一品だと思う。


話はちょっと変わるが、本来、野党第一党の立憲民主党が主導して

もっと建設的な形で自民党に向き合えば、

自民党に緊張感が生まれ、レベルの高い政治運営になるだろう。

しかし、少なくとも現在の立憲民主党を始めとする野党は、

全くポイントのズレたまた揚げ足取りのような政権批判や議論をぶつけているため、

完全に自民党に舐められている。

また、野党の各議員の経済オンチ度合いは、殆ど宗教に近いほど理解を超えた状態で、

安倍政権に舐められて当然なのだが、意識のある国民はこうしたバカバカしい対応を冷静に見ている。


こうした野党の体たらくのお陰で昨今の自民党にはかつてほどの緊張感がない。

安倍首相は、2019年11月で日本の歴史最長の首相経験者となるらしいが、

これを見ても、野党の体たらくを証明していると言っていいだろう。


しかし、これは国民として最大のリスクなのだ。


自民党に緊張感を与える政策提案や、時には自民党を上回る政策論議をしてこそ本来の野党だろうが、

ポイントがずれた政権批判、反対のための反対をしているだけの現在の野党には、
そうした可能性が全く見えないのが本当に残念だ。


よく、健全な野党という言い方があるが、維新を除く野党の人たちは、

どのようにしたら自民党に緊張感を与えられる存在になるかを、

もう少し謙虚に、また真剣に考えた方がいい。
厚労省の統計問題をアベノミクス偽装などと言っているようでは、永遠に政権交代など起こらないだろう。


立憲民主党も知名度だけは抜群の望月記者のようなレベルの低い人材を取り込もうとしていると、

党にとってもマイナスだと考えている。

(逆に言うと望月記者は最も立憲民主党にふさわしい人材とも言えるのだが・・)

失礼を承知で言うが、質の低い人材を取り込んだ集団は、低い方にレベルが合ってしまう。

立憲民主党や多くの野党がイマイチなのはそんな事も理由の一つだと言っていい。



2019年7月の参議院選挙は、本来ダブル選挙になる公算が強かったが、

野党の体たらくが凄すぎて、安倍首相は単独選挙でも勝てると見ているようだ。

10月からの消費税も、何故か安倍首相は実施に向けて心が傾いているという困った情報がある。

野党は消費税反対だろうから、もっと自民党とこの問題で対峙するば良かろう。


「民主党政権は悪夢だった」と言わしめたのは、安倍首相の余裕の現れだろう。

実際、民主党政権は本当に悪夢だったが、

あのような言われ方をするほど野党(特に元民主党議員)には、実力も資質の欠片もないのだ。

かつての民主党幹事長だった小沢一郎氏が、野党結集を呼び掛けているが、

どうでまた小沢氏を中心にした政党や環境を作り、自分で金や権力の差配をしたという下心を見透かされて求心力が全くない。私心があり過ぎると人は付いてこないが、小沢氏はその辺りの欠点が全く改善される気配がない。


安倍首相に「悪夢だった」と言わせてしまう現在の野党の酷さは、

そもそも野党自身が招いているのだから、責められるべきは野党自身だろう。


話を元に戻すが、記者としても三流以下の望月氏をいつまで官房長官会見に出しているようでは、

東京新聞の未来も明るくない。
東京新聞は、時折鋭い時期を書く新聞と評価している面もあるのだが、
先ほども言ったが、組織は低レベルの人材を入れているとそこに向かって引力が働く。

そろそろ記者クラブの連中も、「一緒にしないでくれ」と思っているのなら、
東京新聞に対して望月氏の暴走への対処を進言すべきだろう。


今の望月記者の在りようは、現代の新聞記者のレベルの低さの象徴であり、

また新聞のレベルの低さの象徴でもある。

加えて、彼女に野党が飛びつくとしたら、全く同様なのだ。



かつて、ビートたけし氏が書籍の中で言っていた。
「バカかどうかは質問で分かる」


情勢を俯瞰すれば、暫く自民党が下野することはなさそうだが、

前述したように、それは国民にとってある意味でリスクでもある。























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演者とファンとの間にある「結界」について [独り言]



NGT支配人が異動で退任、山口真帆暴行事件で責任



NGTのメンバーの自宅に不逞の輩が押し入り怪我をさせるなどの問題が騒ぎになっている。このブログのタイトルにあるが、演者とファンとの間の結界を破った不届きな行為だ。この問題で、AKBメンバー指原さんが運営側に対する批判し、またメンバーケアーに関する意見をテレビでしているのを見た。彼女の言い分は正論だろう。しかし、例えば、マネージメント側が全メンバーの送迎と安全確保、また自宅のセキュリティー管理等まで「完全無欠」に出来るだろうか? 

この件、詰めて行けば行くほど、完全無欠の対応が無い事に突き当たる。仮に全メンバーの完全に近いにセキュリティーを完全に確保するなら、常時監視できる専門のセキュリティースタッフを雇い、メンバーを監視下に置き、加えて住居は一定区画に設置された建物に住まわせ、そこも24時間監視するような対応をしなければならない。
それ自体はやろうと思えば可能だが、要点はビジネス的に可能かどうかと本人たちの受け入れ方だろう。
つまり、ビジネス面で、売上に対して経費に見合う範囲を超えたら事実上はその対応が出来ないという事になる。それを無視すれば、そもそもこうしたプロジェクトを続ける事は不可能だ。またタイトな監視下で仕事をすることになるメンバーの精神衛生上の問題も出てくる。
指原さんは現状、タレントさんなので、そこまでの深い見解を述べる事まで求められていないかもしれないが、そこまでの事を想定した上でのコメントをする位の技量はあった方がいいだろう。
「ベキ論」は言うは易しで行うは難しなのだ。

多くのファンはある程度の規律の中で演者との距離感を保っている。しかし、ほんの僅かな愚連隊のような低レベルのファンが蟻の一穴になって事を面倒にしてしまう。こうした一穴を塞ぐためにあらゆる想定で対応しなければならなくなりと現実が回らなくなるという事は世の中に様々ある。特にメンバー数が多いプロジェクトにおいて、全員を完全な管理下におくのは現実的じゃない。その上で、出来る事、出来ない事を整理し、優先順位をつけて行うしかないだろう。超最悪の事例だけを取り出して対応を考えるべきなら、殆どの事は廻らない。本件を見ていてそういう感想を持った。
なお、ファンと演者の結界を超えて、メンバーの自宅のあるマンション内に部屋を確保していたという報道を聞き、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、HGTにしろAKBにしろ、人間的にも未熟な年齢のメンバーたち、また大人であるはずの関係者は、こういう生理的にも人間的にも圧倒的に不快で気持ち悪い連中を明るい光に集まる蛾のように呼び集めてしまうこうしたプロジェクトのリスクを意識しておくしかないだろう。
少なくともメンバーや関係者が外部に漏らしていけない情報が何であるか位は、改めて社会常識として教え、共有しておく必要はあろう。個人情報の漏洩がどういう結果をもたらすのか、今回で分かっただろう。



さて、関ジャニ∞の大倉忠義氏が自身のブログにおいて、

行き過ぎたファンへの“苦言”が話題になっている。


ジャニーズアイドル、“精神的苦痛”公表の裏に芸能事務所の変化も:




タレント(ミュージシャンや演者、以後演者とする)とファンとの関係性は、

お互いの立場から全く違って見えている。


ファンから見る演者は、ファンタジーと実像と妄想の対象であり、

永遠の存在にまで昇華しうる「究極的な存在」だ。


片や演者からすれば、ファンはとても有難い存在だが、

ファンとはあくまでも「記号的総体」であって

個々人ではないという点だ。


つまり、演者からは個々人を意識しないが、

ファンは演者を個々人として意識している点が決定的に違う。

この違いを理解していないと双方に不幸を招く遠因にもなりうる。


ファンがある程度大人の場合、

演者への距離感をわきまえている人が多く、トラブルは少ないが、

ティーン周辺の年齢の人たちや思い込みの激しい人の場合、

演者との距離感を取れずに自己中心的に暴走する事がある。


距離感のない暴走とは、すなわち演者とファンの間にある「結界」を破る行為だ。


関ジャニ∞の大倉忠義氏が訴えているのは、

「結界」を平気で超えて来るファンは、ファンには値しない、

つまり暴徒と同様であると言っているに相違ない。


エンタメビジネスは、ファン(客)に対してある種の共同共感と共同幻想を作り出す事を生業としている。

それは感動であり、共感であり、驚嘆に類するものだと言っていい。

カーペンターズの名曲の中に「Super Star」というレオン・ラッセルの書いたものがあるが、
歌詞を読むと分かるように、Super Starに憧れる少女の切ない想いが伝わる内容を唄っている。
今も昔もスターへの憧れと妄想は、この曲の歌詞の示すものと余り変わりないだろう。
「Don't you remenber you told me to love me baby(私に愛しているって言ったの覚えてないの?)」何て言う辺りはかなり切ない。

「Super Star」歌詞:
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E04449



演者側は、音源にしろ、ライブステージにしろ、

創造的なファンタジーや作品を媒介として市場に届け、

それを受け止める側であるファンが選択的に支援、応援をする構造になっているが、

支援方法にはルールがある。


それはファンと演者の間の「結界を破らない」という事だ。


例を挙げよう。


演者のプライベートに無暗に立ち入らない、ステージに無断で登らない、

個人的な対応を迫らない、まとわりつかない、

演者の発表する作品や活動には対価を持って支援するなどだ。


特に、演者が公式的に公開している部分以外の場所や時間に

ファンが立ち入るというのは、完全にルール違反だ。

演者はロボットでなく人間であり、プライベートもあれば、見せたくない事だってある。

それは我々と一緒なのだ。


もし、自分の私的空間に知らない他人が四六時中まとわりついていたら

耐えられなだろう。彼らだって同様だ。

よく、プライベートで出会ったスターに会った途端に「私、ファンです」などと言って、写真を撮ったり、握手を求めたり、サインをネダッタリする人がいるだろうが、先方は相手のファンと称するあなたを知らない訳で、常識的に考えれば非礼な行為だろう。有名税という見方もあるが、限度というものだってある。
また当然だが個々のプライベートを侵害するのはもっての外だ。


大倉忠義氏が訴えているのはそうした主張に過ぎない。

スターだろうが有名人であろうが彼らも人間であり、

私的空間は保護されるべきなのだ。


もちろん演者側にもルールがある。

ファンには個人的、組織的な欲を叶えるための道具にしないという事だ。


「結界」は双方に課されたルールの臨界地点と言っていいだろう。


以前、とある有名バンドにストーキングしている女性ファンの話を関係者から聞いた事があるが、

その行動の様子は殆ど病的と言っていい。


ライブ中の移動の新幹線やタクシー、宿泊先ホテル、打ち上げ会場の飲み屋に至るまで

調べ尽くして付いて来ると言っていた。関係者にとって、こうした人物は要注意対象となる。


70年代、海外のロックミュージシャンと肉体関係を持つために

ストーキング紛いの行動をしていた連中をグルーピーと言った時代があったが、

肉体関係を除けば殆ど同じ行動様式と言っていい。


関係者からすればこうした人物は要注意対象となる。


演者にとってファンとはあくまでも「記号的総体」と前述したが、

例外も存在する。しかしあくまでも「例外」だ。


演者とファンの間の「結界」は、共同幻想を共有するための絶対的ルールだ。


もちろん憧れの末に自身が演者になったりスタッフとして業界に入り、

演者と近い関係を構築できる場合がある。

しかしその場合、自分自身が結界の中にいるため、

その世界の常識的なルールによる行動を強いられるため問題ない。

仮にそれが個人的な関係に発展しても、プロどおしの問題となるからだ。


私はかつて結界の中で生活をしていた。

そして現在は結界の外で生きている。


現在の私は、結界の外で、いちファンとして演者に接しているのがとても心地いい。


だから結界の中に戻ろうとは思わない。


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鳥の唐揚げ [独り言]

鳥の唐揚げが好きだ。
でも、中々自分の好みにあった鳥の唐揚げに出会わない。
勝手ながら私の好みは以下だ。
もし、この好みに合う鳥の唐揚げの情報をお持ちなら、お知らせください。
出来れば東京都内なら助かります。
(1)1個のサイズが余り大きくない方がいい。1口サイズか1口半サイズ。
(2)ソースがかかっていないのがいい。醤油で食べたいから。
(3)出来れば中まで火が通っているのが好き。時折中心部が赤いのがあるから。
(4)タツタ揚げよりは唐揚げが好き。
(5)ジトっとした仕上がりより、カラっとした仕上がり感が欲しい。
(6)最後に言わせて頂ければ肉の美味しいのがいいですね。
ワガママでスイマセン。
次回は「とんかつ」でお願いする予定です。


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