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ミュージシャンの経済学 番外編 ~ミュージシャンのキャリア設計を考える~(2) [音楽に関わるブログ]

ミュージシャンの中でソロ名義以外の活動以外の場所は、セッションミュージシャンかプロデューサー、アレンジャーだが、もう一つ別の道がある。

それはゲーム音楽作家だ。

過日逝去されたドラクエの音楽で有名な、すぎやまこういち氏が代表的だが、元々学生街の喫茶店などの作曲家としてヒット作品を持つ作家だったのだが、ドラクエというゲーム音楽分野に進出したことで、すぎやま氏のキャリアは別の高い次元に飛行して行った。

ゲーム音楽の優れた部分は、ゲームでの利用拡大によって一次、二次ビジネスが拡大する点だ。

契約条件にもよるが、一次利用であるゲームソフトの販売量に印税が累進する支払い契約であれば、単価の高い印税を獲得出来る上、その後の音源利用、アニメ化、コンサート企画等で二次印税等を獲得出来る機会が拡がる。

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総じて整理すれば、ミュージシャンや音楽作家のキャリア形成とは、その活動ポジションが何処に在れ、ヒット作品や代表作品を生み出し、自身の音楽的能力のマネタイズを効率的に図るためのものだと判る。

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ミュージシャン、作家としてキャリアのトップに立つためにはヒット作品を産み続けているか、過去のヒット作品を現代においても継続的にマネタイズすることを可能にした人たちなのだと定義出来るだろう。

ミュージシャンのキャリア設計で最も重要なのは経済用語で言う「不完全代替財」だ。

簡単に言えば取り換えが利かない存在である、という事だ。

前述のように、ミュージシャンはその能力と存在を最大限に生かして、効率的にマネタイズ出来るかがポイントとなる。

こういう書き方をすると多くの人は違和感を抱くと思うが、クリエイティブではない部分を支える経済的基盤を確立することを正味で言えばここに書いているような事になる。

音楽が純粋に好きで愚直に自分のやり方で突き詰めていたらいつの間にかキャリアの上に居たという人も少数居るだろうが、冷静に見ればこういう事なのだ。

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従ってトップを取る事が叶わなかったミュージシャンたちは、違う場所で活躍して自身の音楽をマネタイズするポジションを取らなければならないという事になる。

そのポジション取り戦略で有利な方法は、前記述のリストで成功したミュージシャンや音楽作家のエコ領域で主体的な仕事を得るか、他の分野とのコラボによって己の才能を生かすに尽きる。

成功しているミュージシャンたちの行うプロジェクトは例外なくバジェットが大きい。従ってギャラも高く実入りも良くなるし、仕事現場での扱いも段違いに良い。

成功しているミュージシャンと継続的に仕事をするために必要な要素として、音楽、演奏のスキルは当然なのだが、多くは人間的な相性に支配される傾向がある。

人事権を持っている、つまり自分と音楽的に組む人間を選べる側の売れている側のミュージシャンからすれば、音楽や仕事に使うエネルギーよりも自分の選んだメンバーに対して必要以上に気を使うのはバカらしい事だ。

若い頃なら揉めながらもやれるかもしれないが、ある程度の年齢になれば合理的に考える賢さも現れるだろうから、メンバーとのケミカルは大事な要素だと判る。

音楽的にこうして欲しいという要求を一々文句を言われたり、気持ちよく言う事を聴いてもらえないのは雇う側として楽しい経験ではない。

もともとミュージシャンという人種は、お山の大将的な人が多い。

かなりのベテランでも、本来は雇われている身なのに自分は自分の音楽を貫くんだ・・みたいなちょっと幼稚な事を考えている公言している人だっている。(これは実際に聴いた本音だ)

ミュージシャンでそれなりに成功している人は、成功体験が強い分自分のやり方が何処でも通用すると誤解し、世間ズレしていることがある。

そうした人を抱擁出来る人ならそれはそれで良いのだが、多くはそうではない。

音楽的な相性も重要なのだが、人間的なケミカルの合う、合わないは、音楽を通じた関係を長く維持するためにかなり重要な要素なのだ。

つまり演奏は上手いが性格に難があると、それだけで仕事の幅を狭めてしまうという事だ。

長期間のツアーで過ごす相手として、腕前は良いが、面倒な事ばかり言ってくる人や指示に従わない人より、ちょっとだけ演奏面に難点はあるのだが、ケミカルが合い、雇い主の音楽が容認できる範囲であるなら、迷わず後者を選ぶのが人情というものだろう。

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昔とあるミュージシャンから、腕さえよければ仕事は勝手についてくると言われた事があるが、長期間の現実を見るとそれは本質的には事実でないと判る。

実際の場面では、人間的な魅力が必要で、それに伴って運も必要となるのだから。

これはその方がまだ30代だったから分からない事だったと思う。

こうして考えれば、ミュージシャンにとってソロ名義の作品が売れない事は、すなわちその座を追われる事になり、同時に別の所に生き残る場所を探す必要を迫られる。

これがミュージシャンのキャリア設計において必須の現実なのだ。

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他の分野とのコラボとは、ゲーム、映像関係等の分野で音楽的能力を使う事になるだろう。

ただこの分野でもお山の大将という訳にはいかず、ゲームプロデューサーや映像監督からのオーダーに応える必要に迫られる。

特に映画の場合、監督が全権者であるため、音楽に理解の薄い監督が相手だと苦労することもある。

それでもそうした人間たちと関係性を持った上で音楽をマネタイズ出来なければ他の職業を探す必要に迫られる。

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前述したようにミュージシャンは自分の音楽や演奏に自信を持っている。もちろんそうした要素は大切で、それがなければミュージシャンとしては不向きだ。

しかし同時にミュージシャンを職業として考えた場合、どうしたら自分のポジションを優位に出来るかという観点で、自分の音楽性の中で何が一番市場価値を持つかについて冷静でなければならないと思う。

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今でもある事を思い出す。

当時30代前半だったあるミュージシャンが渾身の思いでソロアルバムを出した時の事だ。

当時の彼がそれを理解していたかどうかは分からないが、彼が考え、感じる音楽として最高傑作だと思って音楽制作をしていた事は疑いない。

実際、彼の演奏は個性的で他の追随を許さず、音楽センスも抜群だった。

出来上がったアルバムは、素晴らしい出来だったが、欲を言えばもう少しコマーシャルな感じがしていれば良いなあというものだった。

当時の制作費として3,000万円ほどかけて作られたこのアルバムは、あるメジャーレコード会社から発売されることが決まった。

当時の彼が、これだけの投資案件がキチンと回収出来なければ、自分の音楽キャリアに傷が付くという現実を理解していたかどうかは分からない。

キャリアに傷が付くというのは、二度と自分名義のソロアルバムを作る事が出来ない、という事だ。この世界では失敗作を出す事はその座につけない事を意味している。

当時も今も、ミュージシャンでそれを理解している人は数少なく、ミュージシャンの仕事は納得出来る作品を作る事で、売るのはレコード会社の仕事だと考えている。

しかしそうだろうとしても決して責められないが、そうでは無い事を理解していないと自分を見失う事となる。

件のアルバムの発売時のイニシャル(初回プレス数/事前予約数)はたったの数千枚程度で、そのため宣伝費の割り当ても十分取れず、発売後のオリコンチャートの100位以内に一度も入らなかった。

彼の前作のアルバムは数万枚のセールスがあったため、この結果は予想外だったろう。前作との売上の差は様々な要因で起きたのだろうが、いずれにしてもビジネス的には失敗作となった。

相当ショックだったと思う。

また本人的には自分の素晴らしい音楽を理解出来ない一般大衆の理解不足をある意味で恨んだに違いないし、レコード会社が思ったほど宣伝してくれなかったことも心に引っ掛かっていただろう。
宣伝らしい宣伝活動は、ラジオ出演と数件程の音楽雑誌のインタビュー、そしてライブハウスでのレコ発ライブ程度だったからだ。

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理由は様々あるのだが、マーケットは彼の作品を支持しなかった。

ミュージシャンの性(さが)のようなものだが、音楽性の高いミュージシャンは、高度な音楽性を咀嚼しないで市場に突き付ける時がある。

優秀なミュージシャンほど時代の先を行っており、時折先を行きすぎてしまうことがあるのだ。だから発売される時代やタイミングによって成功する事もあれば失敗することもある。

1978年にデビューしたYMOもある意味で同じようなタイプだった。当初は全く売れる気配を見せなかったが、レコード会社側が彼らの音楽が海外で火がついているように演出し、逆輸入方式で日本に市場を席捲することで成功を収めた。

仕掛けだけが成功の要因ではなく、時代に生きるユーザーが彼らの音楽を受け止める土台を持つようになったからだろう。

冷酷だがプロは結果でしか評価されない。

売れない作品を出す事はミュージシャンのキャリアの重しだ。

サラリーマンも同様で、仕事の結果が出なければ出世しない事と同じなのだが、ミュージシャンの方が結果責任の取り方がキツクなる。

これによって彼のキャリアは先に進む事が出来ず、その後の活動体制の軌道修正を余儀なくされてしまった。

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私は過去にヒット作を出して売れたミュージシャンにどのような傾向があるのかを分析をした事がある。

そこから分かった事は、ミュージシャンがブレークする年齢は平均的には26歳前後だという事、また30歳を超えてブレークする人は著しく少ない事が判った。

つまり例外を除いてミュージシャンは26歳を超えるまでにヒット作を出さないと次のキャリアステップに行きづらくなるという事なのだ。

また同じ分析で分かったのは、20年、30年の長期に渡って一線で活躍出来るミュージシャン(主に2000人以上の会場を常に満員に出来る全国ツアーが出来るレベルと定義)は、数十万人から100万人に1人位の割合でしか生れないということだった。

要するに一摘まみの稀な存在なのだ。

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ソロ名義での活動以外のミュージシャンの在り方は、プロデューサー、アレンジャー、作家、スタジオミュージシャンと色々ある。またその分野で大きな成功を収めているミュージシャンも少なくない。

ユーミンや吉田拓郎氏のツアーで長年バンマスを務めている武部聡志氏、ミスチルを現在の地位に引き上げた小林武氏、R&B系ではトッププロデューサーである松尾潔氏らは独自の地位を固めで現在でも活躍している。

あのポジションを維持するのも相当な運と能力が必要だ。

またプレイヤーとしては、山下達郎氏のライブサポートを始め、数々のレコーディングに参加しているギターリストの佐橋佳幸氏などを代表に、ソロミュージシャンではない立ち位置でご自身の立ち位置を確立している人たちは多い。

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従ってミュージシャンにマネタイズの効率的格付けがあるとすれば、ソロ(バンド)名義での活動をしての成功[→]作家、プロデューサー、演奏家、ゲーム&映画音楽作家としての成功[→]アレンジャー・演奏家としての成功[→]演奏家としての成功、という感じになるだろう。

(もちろんトップで居続ける事は必ずしも効率的とは言えない面があるが、自分で先の道を決定できるという大きなメリットはある)

上記の何処かのカテゴリーで上位置に居なければ、一目置かれる立場を維持するのは困難だ。

これに平行してミュージックスクール関係や音楽関係の周辺ビジネスに関わるという方法もあるが、やはり上記に比べてマネタイズの効率は格段に落ちる。

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金銭の事ばかり語って嫌悪感を抱く人もいるかもしれないが、先立つものが無ければ活動を停止するか、他の分野で生きる選択になる。

クリエイティブに携わるミュージシャンやクリエイターはとかく金銭の話を避ける傾向にある。これは金が穢れたもので、クリエイティブは神聖なものだという思い込みがあるからだろう。

もちろん金銭の話は節度を以てしないと嫌らしい。

それでも冷静に考えれば資本主義社会で生きる我々が金銭の存在を無視出来る訳はなく、実際コロナ禍でエンタメ業界は存亡を脅かすほどのダメージを追ったではないか。

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それを踏まえれば、ビジネスとクリエイティブの両方に意識を持つようにするのが、今後のミュージシャンの在り様のデフォルトになるだろうと思う。

現在、世界で配信されている曲数は3500万曲を超えるという。

どんな人間も、この量を全て消費出来ない。

つまり楽曲供給の視点から見れば、超供給過剰なのだ。

経済条件は、需要と供給の関係のみで決定する。

供給過剰なものは価格が低い。もしくは薄利多売を強いられる。

従ってミュージシャンの売上の中でライブエンタ部門が最も稼いでくれるというのは、「不完全代替財」の視点から見れば、当然の帰結となる。

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今後のミュージシャンのキャリアは、「不完全代替財」との闘いになるだろうし、またメジャーレーベル以外から出てくる、これまでは埋もれていたミュージシャンとの闘いも強いられる。

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引用資料:

経済はロックに学べ!/アラン・B・クルーガー

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ミュージシャンの経済学 番外編 ~ミュージシャンのキャリア設計を考える~(1) [音楽に関わるブログ]

ミュージシャンの経済学 番外編 ~ミュージシャンのキャリア設計を考える~



2019年から始まったコロナ禍。



当初の予測を覆し、2021年秋になってもコロナの影響から逃れられないままだ。



私はコロナ発生当初、2021年秋頃にはワクチン接種が一巡し元の生活に戻れるだろうと推定していたがその予想は外れた。



デルタ株の蔓延とコロナウイルスの本質的な性質の分析が不十分であることで評価を確定出来ないままだからだ。



さてコロナによって経済的ダメージを受けた業界の1つにエンタメ業界がある。



ミュージシャン、イベンター、演者、舞台製作関係者等々、売上げの90%以上を失い、政府からの補助金等を活用して命脈を維持している。段階的な緩和解除によって多少の光は見えつつあるが、まだアメリカのような本格的活動解除は先である。



 



現代のミュージシャンにとってこのコロナ禍は、ウイルス感染による生命の危機に瀕したと同時に、事実上の活動停止による生活維持への困難が覆いかぶさった。



日本とアメリカでは多少事情が違うのだが、アメリカのトップミュージシャンの全収入に対するライブ活動が占める割合は約80%だ。多い人だと90%を超える。



ポールマッカートニーが、何故あれ程のキャリアを以てして毎年参鳥ワールドツアーをやり続けているのか疑問だったのだが、彼の収入の80%以上がライブからもたらされると判れば納得行く。



アメリカの2017年のデータだが、アメリカ人の音楽への個人支出額は185億ドル(約2兆円)だそうだ。でもこれはアメリカのGDPの1%未満、1000ドルの支出に換算すると1ドルに満たない。ちなみに音楽産業従事者は全人口の0.2%未満だという。



そう音楽業界は、影響力や印象に比べて産業としては驚くほど小さいのだ。 



そうしたデータに触れると、日本においてユーミンが1年半にも及ぶツアーを組む理由も見えてくる。彼らにしてもライブを止めれば大減収を受け入れなくてはならないのだ。



日本でも世界と同様で、大半のミュージシャンの収入源はライブ活動からもたらされる。



それがこの2年近く、ほぼゼロか大幅減収となってしまった。



当然、バックミュージシャン、イベンター、音響、照明関係、舞台関係者等にも影響が及んでいる。そろそろ限界に近いと言わざるを得ない状況だ。



実は、世界的にミュージシャンの経済格差は一般的な差を超える度合いで広がっている。



世界のトップミュージシャンとなれば二十億円程度の収入があるが、アメリカのミュージシャンの収入の中央値は約2万ドル程度だ。約10万倍の格差だ。



日本のGDPや市場環境からの推計をすれば、日本のトップミュージシャンで1億円以上をコンスタントに稼いでいる人たちはホンの一つまみだろうし、多くのミュージシャンの中央値の収入は数百万円程度だろう。



ちなみにサラリーマンと経営者の格差は広がっているが100倍程度だ。



(日本人経営者で最も高給取りなのは、ソニーグループの吉田謙一郎社長)



1980年~90年代後半にかけて、レコード、CDが売れた時代はスタジオ作業でのミュージシャン需要が多く、一流のスタジオミュージシャンであれば年収数千万円程度を手に出来たはずだが、現在のレコーディング予算は当時とは比べんものにならない位まで下がり、加えて制作数も激減しているため、スタジオセッションだけでそれだけを稼ぐのは不可能で、誰かのライブで演奏出来なければそれなりの収入を確保出来ない。



 



世界的見てもミュージシャンは稼ぎづらい職業になったと言える。成功と言える所に到達できる人は一つまみしかおらず、大半は不安定な収入に苦しむし、人によっては普通のサラリーマン以下だからだ。



世界のトップアーティストでも金融関係やGAFAなどの企業の経営者、スポーツ選手の半分程度しか稼げない。



それでも音楽が好きで、ミュージシャンを選択する人は絶えないし、昨今ではネットの技術を使い、これまでとは違う方法で音楽活動をしているミュージシャンも出現し ている。



ペイトリオン.comを使ったB to Cビジネスモデルは、ミュージシャンに売上げの90%を分配するシステムを採用しているが、アマンダ・パーマーのケースでは2年で約1億円近くが分配されたという。



勿論、彼女は一般的なケースではないかもしれないが、事務所やレコード会社などの中抜きをしたB to Cビジネスモデルはこれからミュージシャンを目指す人たちが考えておくべきビジネスモデルだと思う。


デジタルの強いはこれまでの関所を破壊することにあるのだから。


 



余り語られないがキャリア形成という視点で、ミュージシャンの在り様はどうなのだろうか?と考えてみた。



1959年生まれの私にとって音楽業界は眩しく輝いている産業だった。



それから60年以上が過ぎて音楽業界を俯瞰すると、当時のような輝きはなく、そのために色々と見える事が多い。



日本の音楽業界のピークは1997年だった。CDの売上は8,000億円を超えまもなく1兆円が見えていたからだ。印税で1億円以上を稼ぎ出すミュージシャンも多かった。



当時のトップミュージシャンは、ヒット作品を出していれば不労所得を得て、次の作品を作るまでのモラトリアムの時間を得る事が出来た。



儲かっている産業には若い優秀な人たちが沢山入ってくる。



それによってミュージシャンもスタッフも様々な才能が集い、産業を大きくした。



 



それを根底から覆した人物がいる。



 



スティーブ・ジョブス氏だ。



ituneのサービス開始によりCDのビジネスモデルは壊滅的打撃を受けた。



但し、ジョブス氏が手を下さなくても遅かれ早かれ誰かが同じようなモデルを打ち出しただろうことは分かっている。



音楽業界は技術発展に沿うようにして大きくなって行った産業だが、インターネットの発展によって産業構造を破壊された稀有な例となった。



2000年冒頭にエイベックスの松浦氏がある雑誌インタビューで語っていたあることを記憶している。
“もうすぐ音楽CDは広告付きで売られるようになり音楽は無料になってしまうだろう”。



現在のSpotifyYou Tubeを考えれば氏の予言は全く当たっている発言だ。



当時はそんなバカな・・と考えていた人が大半だったが、見えている人には見えていたのだ。しかし未来が見えていたはずの松浦氏が役員を務める肝心のエイベックスは、現在は業績構築に苦戦苦闘しており、株価を下げ、自社ビルまで売るほどになっている。



音楽ビジネスの舵取りの難しさを象徴していると言っていいだろう。その間、ソニーミュージックは、実態としてはアニメ会社に変身してしまった。



 1960年代から70年代に出現したミュージシャンで、今日の音楽を成立させた重要なポジションを占めた人たちの中で裏方から表側に異動した人たちは数多い。



はっぴえんどというバンドでデビューしたものの、当初は殆ど売れず、その後メンバーはプロデューサー、作家、スタジオミュージシャンなどを経て、それぞれがソロミュージシャンや大物作家としてのキャリアを成功させた。



細野晴臣氏、大滝詠一氏はソロミュージシャン、松本隆氏は作詞家、鈴木茂氏はギターリスト兼プロデューサーとして生き残った。



同時代のキャラメルママのメンバーだった松任谷正隆氏はユーミンを得て、彼女のプロデューサーとして君臨した。



同時代に出現した山下達郎氏は、シュガーベイブという売れないバンドを経てCM作家で食いつなぎながら売れないソロアルバムを出していたが、1980年、ライドオンタイムでブレークし、その後はご存知の通りだ。



坂本龍一氏は、大学生時代からスタジオミュージシャンをやっており、その後アレンジャーにもなったが、細野氏にYMOへ誘われて加入した事でキャリアが二段階特進し、その後ソロミュージシャンとしてや映画音楽作家として大成功を収め現在に至っている。



もし坂本氏がYMOに誘われず加入しなかったら彼のキャリアはどうなっていただろう?



YMOは坂本氏なしでも成功しただろうか?



戦場のメリークリスマスの仕事は坂本氏の手に来ただろうか?



そしてラストエンペラーの仕事は?



こうして見れば運という部分も相当重要な要素と分かる。



レコード会社等のオーディションで発見されデビューシングルから檜舞台から落ちず、約40年以上を売れたまま飛行しているのがサザンオールスターズだが、こうしたケースは例外中の例外だと判るだろう。



(つづく)

 

引用資料:

経済はロックに学べ!/アラン・B・クルーガー

 


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