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演者とファンとの間にある「結界」について [独り言]



NGT支配人が異動で退任、山口真帆暴行事件で責任



NGTのメンバーの自宅に不逞の輩が押し入り怪我をさせるなどの問題が騒ぎになっている。このブログのタイトルにあるが、演者とファンとの間の結界を破った不届きな行為だ。この問題で、AKBメンバー指原さんが運営側に対する批判し、またメンバーケアーに関する意見をテレビでしているのを見た。彼女の言い分は正論だろう。しかし、例えば、マネージメント側が全メンバーの送迎と安全確保、また自宅のセキュリティー管理等まで「完全無欠」に出来るだろうか? 

この件、詰めて行けば行くほど、完全無欠の対応が無い事に突き当たる。仮に全メンバーの完全に近いにセキュリティーを完全に確保するなら、常時監視できる専門のセキュリティースタッフを雇い、メンバーを監視下に置き、加えて住居は一定区画に設置された建物に住まわせ、そこも24時間監視するような対応をしなければならない。
それ自体はやろうと思えば可能だが、要点はビジネス的に可能かどうかと本人たちの受け入れ方だろう。
つまり、ビジネス面で、売上に対して経費に見合う範囲を超えたら事実上はその対応が出来ないという事になる。それを無視すれば、そもそもこうしたプロジェクトを続ける事は不可能だ。またタイトな監視下で仕事をすることになるメンバーの精神衛生上の問題も出てくる。
指原さんは現状、タレントさんなので、そこまでの深い見解を述べる事まで求められていないかもしれないが、そこまでの事を想定した上でのコメントをする位の技量はあった方がいいだろう。
「ベキ論」は言うは易しで行うは難しなのだ。

多くのファンはある程度の規律の中で演者との距離感を保っている。しかし、ほんの僅かな愚連隊のような低レベルのファンが蟻の一穴になって事を面倒にしてしまう。こうした一穴を塞ぐためにあらゆる想定で対応しなければならなくなりと現実が回らなくなるという事は世の中に様々ある。特にメンバー数が多いプロジェクトにおいて、全員を完全な管理下におくのは現実的じゃない。その上で、出来る事、出来ない事を整理し、優先順位をつけて行うしかないだろう。超最悪の事例だけを取り出して対応を考えるべきなら、殆どの事は廻らない。本件を見ていてそういう感想を持った。
なお、ファンと演者の結界を超えて、メンバーの自宅のあるマンション内に部屋を確保していたという報道を聞き、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、HGTにしろAKBにしろ、人間的にも未熟な年齢のメンバーたち、また大人であるはずの関係者は、こういう生理的にも人間的にも圧倒的に不快で気持ち悪い連中を明るい光に集まる蛾のように呼び集めてしまうこうしたプロジェクトのリスクを意識しておくしかないだろう。
少なくともメンバーや関係者が外部に漏らしていけない情報が何であるか位は、改めて社会常識として教え、共有しておく必要はあろう。個人情報の漏洩がどういう結果をもたらすのか、今回で分かっただろう。



さて、関ジャニ∞の大倉忠義氏が自身のブログにおいて、

行き過ぎたファンへの“苦言”が話題になっている。


ジャニーズアイドル、“精神的苦痛”公表の裏に芸能事務所の変化も:




タレント(ミュージシャンや演者、以後演者とする)とファンとの関係性は、

お互いの立場から全く違って見えている。


ファンから見る演者は、ファンタジーと実像と妄想の対象であり、

永遠の存在にまで昇華しうる「究極的な存在」だ。


片や演者からすれば、ファンはとても有難い存在だが、

ファンとはあくまでも「記号的総体」であって

個々人ではないという点だ。


つまり、演者からは個々人を意識しないが、

ファンは演者を個々人として意識している点が決定的に違う。

この違いを理解していないと双方に不幸を招く遠因にもなりうる。


ファンがある程度大人の場合、

演者への距離感をわきまえている人が多く、トラブルは少ないが、

ティーン周辺の年齢の人たちや思い込みの激しい人の場合、

演者との距離感を取れずに自己中心的に暴走する事がある。


距離感のない暴走とは、すなわち演者とファンの間にある「結界」を破る行為だ。


関ジャニ∞の大倉忠義氏が訴えているのは、

「結界」を平気で超えて来るファンは、ファンには値しない、

つまり暴徒と同様であると言っているに相違ない。


エンタメビジネスは、ファン(客)に対してある種の共同共感と共同幻想を作り出す事を生業としている。

それは感動であり、共感であり、驚嘆に類するものだと言っていい。

カーペンターズの名曲の中に「Super Star」というレオン・ラッセルの書いたものがあるが、
歌詞を読むと分かるように、Super Starに憧れる少女の切ない想いが伝わる内容を唄っている。
今も昔もスターへの憧れと妄想は、この曲の歌詞の示すものと余り変わりないだろう。
「Don't you remenber you told me to love me baby(私に愛しているって言ったの覚えてないの?)」何て言う辺りはかなり切ない。

「Super Star」歌詞:
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E04449



演者側は、音源にしろ、ライブステージにしろ、

創造的なファンタジーや作品を媒介として市場に届け、

それを受け止める側であるファンが選択的に支援、応援をする構造になっているが、

支援方法にはルールがある。


それはファンと演者の間の「結界を破らない」という事だ。


例を挙げよう。


演者のプライベートに無暗に立ち入らない、ステージに無断で登らない、

個人的な対応を迫らない、まとわりつかない、

演者の発表する作品や活動には対価を持って支援するなどだ。


特に、演者が公式的に公開している部分以外の場所や時間に

ファンが立ち入るというのは、完全にルール違反だ。

演者はロボットでなく人間であり、プライベートもあれば、見せたくない事だってある。

それは我々と一緒なのだ。


もし、自分の私的空間に知らない他人が四六時中まとわりついていたら

耐えられなだろう。彼らだって同様だ。

よく、プライベートで出会ったスターに会った途端に「私、ファンです」などと言って、写真を撮ったり、握手を求めたり、サインをネダッタリする人がいるだろうが、先方は相手のファンと称するあなたを知らない訳で、常識的に考えれば非礼な行為だろう。有名税という見方もあるが、限度というものだってある。
また当然だが個々のプライベートを侵害するのはもっての外だ。


大倉忠義氏が訴えているのはそうした主張に過ぎない。

スターだろうが有名人であろうが彼らも人間であり、

私的空間は保護されるべきなのだ。


もちろん演者側にもルールがある。

ファンには個人的、組織的な欲を叶えるための道具にしないという事だ。


「結界」は双方に課されたルールの臨界地点と言っていいだろう。


以前、とある有名バンドにストーキングしている女性ファンの話を関係者から聞いた事があるが、

その行動の様子は殆ど病的と言っていい。


ライブ中の移動の新幹線やタクシー、宿泊先ホテル、打ち上げ会場の飲み屋に至るまで

調べ尽くして付いて来ると言っていた。関係者にとって、こうした人物は要注意対象となる。


70年代、海外のロックミュージシャンと肉体関係を持つために

ストーキング紛いの行動をしていた連中をグルーピーと言った時代があったが、

肉体関係を除けば殆ど同じ行動様式と言っていい。


関係者からすればこうした人物は要注意対象となる。


演者にとってファンとはあくまでも「記号的総体」と前述したが、

例外も存在する。しかしあくまでも「例外」だ。


演者とファンの間の「結界」は、共同幻想を共有するための絶対的ルールだ。


もちろん憧れの末に自身が演者になったりスタッフとして業界に入り、

演者と近い関係を構築できる場合がある。

しかしその場合、自分自身が結界の中にいるため、

その世界の常識的なルールによる行動を強いられるため問題ない。

仮にそれが個人的な関係に発展しても、プロどおしの問題となるからだ。


私はかつて結界の中で生活をしていた。

そして現在は結界の外で生きている。


現在の私は、結界の外で、いちファンとして演者に接しているのがとても心地いい。


だから結界の中に戻ろうとは思わない。


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鳥の唐揚げ [独り言]

鳥の唐揚げが好きだ。
でも、中々自分の好みにあった鳥の唐揚げに出会わない。
勝手ながら私の好みは以下だ。
もし、この好みに合う鳥の唐揚げの情報をお持ちなら、お知らせください。
出来れば東京都内なら助かります。
(1)1個のサイズが余り大きくない方がいい。1口サイズか1口半サイズ。
(2)ソースがかかっていないのがいい。醤油で食べたいから。
(3)出来れば中まで火が通っているのが好き。時折中心部が赤いのがあるから。
(4)タツタ揚げよりは唐揚げが好き。
(5)ジトっとした仕上がりより、カラっとした仕上がり感が欲しい。
(6)最後に言わせて頂ければ肉の美味しいのがいいですね。
ワガママでスイマセン。
次回は「とんかつ」でお願いする予定です。


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