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NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察 [独り言]

NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察



NGT48暴行事件の温床、私的つながり求める「厄介」ファン 

危機管理失敗した運営の罪、今も続く臆測







NGT48暴行事件、まあ、面倒な事になっている。

ファン全体から見れば非常に少数の「厄介」ファンの存在が、

このAKB系のビジネスモデルを崩壊の危機に至らせようとしている。




悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通りだ。




今回の件はこの手のビジネスの想定したリスクの中でも最悪に近い事象が起きている。

またマスコミ等の周囲は、運営側の危機管理の失敗と断じている。




果たして本当にそうなのだろうか?




確かに運営側の対応について

様々な瑕疵が見つかり、反省点も多い。

それは事実だろう。




また、記者会見で、対象となっているメンバーから

反論がツイートされるなど、

一昔では絶対に考えられないような事態が起きている。

大変な時代になったものだと思う。




当事者は双方共に、大変な状況に置かれていることが想像される。




さて、今回の件、どうしたらこのリスクを避けられたのだろうか?

それともそもそも回避は無理だったのか?




まず、少数の「厄介」ファンの最悪なリスクへの対応ができるか考えてみよう。




少数が起こすだろう、付きまとい、個人的接触、過度な要求等などを想定すると、

一番のヘッジ方法は、メンバー全員をスタッフが完全隔離した生活環境と職場環境に置くしかない。


つまり、メンバーはNGT48に所属している間、プライベートを失う覚悟を持つ必要があり、

スタッフは24時間体制で彼らを管理下に置く覚悟をすることになる。

当然だが、関係各個人のメール、SNSなどの利用制限、または利用確認をされることが前提になる。


また、関係者やメンバーたちは、「厄介」ファンや「厄介」ファンに準じる連中から

リスクヘッジできるだけの物理的、空間的距離を取れるようにし、またそれらを常に確認し、

また想定外の事態への対処も出来ているかを常時確認をする必要を迫られる。


危機管理を本気でするなら当然この程度は止む得ない。


しかし、果たしてそこまで管理することは現実的に可能だろうか?

またそうした管理は、人権的な観点、労働基準法等で容認される範囲なのだろうか?
加えて長期に渡ってこうした事は可能なのだろうか?


そもそも、AKB系のビジネスモデルはファンと関係者間の距離の取り方に対するリスクを常時内包している。

従って上記のようなリスクに対して

完全無欠な危機管理を施そうとしたら、法律的、道義的な壁によって対応が不可能となり、

従ってAKB系のビジネスモデルは維持不能になるだろう。


ある元AKBメンバーが、本件について自身の出演しているテレビ番組内で

関係スタッフの対応について、

不満や苦言を呈していたが、私はかなり違和感を持った。



少なくとも、こうした多数が絡み長期に渡る仕事では、
様々な危機管理方法について、

関係スタッフ側とメンバー各位が同じレベルの認識を持つ必要があるが、

こうしたリスクへの認識と対応は、「スタッフ側だけの対応」では絶対に出来ない。


NGT48のメンバーには酷な言い方だが、本件は、一部メンバーの厄介ファンというリスクへの

意識と認識の低さにも問題があったと言っていい。

それを全く無視していては、本来的な意味でのこの問題解決は不可能だ。


もちろんキチンとリスクを理解していたメンバーもいたと推察され、
自立的に行動したいた人たちもいる訳なのだが、

悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通り、

一部のメンバーの不用意な言動が

本事件の大きな一因であっただろうことは否定できない。

これは管理側の現実的な対応範囲からすり抜けてしまったからだろう。


こうした事を避けるためには、

メンバー、関係者がプロジェクトを進行させるために必要な
統一したルールと認識を共有している必要がある。

メンバーからすれば、タレント活動以外の負荷が生じ、違和感を持つだろうが、

AKB系のビジネスモデルを維持し、自分たちもその恩恵を得ようと思ったら、

メンバー側の高い意識と協力がなかったら実現できない。

スタッフ側におんぶの女王様待遇を期待していては無理なのだ。

理由は、厄介ファンへのリスク回避は非常に困難な事例であり、
チームが大所帯であり、チーム一丸で事に当たる必要があるからだ。


NGT48はビジネス的に言えば「プロジェクト」だ。

「プロジェクト」は有能なマネージメントがリーダーとなり、

参加している各メンバーの高い意識によってしか成功しない。

特に大型プロジェクトはそうだ。

「プロジェクト」の成功の最低要件は、関係者(メンバー、スタッフ等)が

キチンとした組織構造基づいて、一定のルールと時間軸と目標を共有することだ。

こんなのは、サラリーマンなら社会人数年以内に学ぶ「いろはのい」である。


今回はそれをすらやっていなかったのだろうと思う。
特にやっていなかったのは、メンバー内の組織構築だと思っている。

そういう意味で、スタッフ側のマネージメントトップには大きな非があるだろう。


これは想像だが、AKB48の場合は、現場レベルで彼女たちの全体を取り仕切る人物がおり、

尚且つメンバー内にメンバーを束ねる人材が内部にいたのかもしれない。

これは一定程度の人数範囲をカバー出来る人材がいないと組織の長期維持は困難だからだ。


スタッフ側が日常的なメンバーの活動のために

最良の周辺環境を整えるのは当然の仕事なのだが、

同時に個別のメンバー自身のコアな部分、つまり私的な環境の管理そのものは、

本来的にはメンバー個々人の範中だ。

こういうと驚く人が多いかもしれないが、当たり前の事だ。

自己管理も出来ない人間にプロの世界は務まらない。

それがプロの世界で働く者としての最低限度の矜持というものだ。

もしそれに違和感があれば、メンバーとして参加しなければいいだろう。


その上で、少数人数の集合隊のメンバーを束ねる人材が必要で、
出来ればメンバー内に適数居た方がいい。

会社で言えば「管理職」に当たる人材だ。

組織にはそういう筋交いがないと維持が難しい。

現場感覚を身近で理解出来る人間がいないと

不満やデタラメが横行し始めるからだ。


今回の一連の騒動を見ていると、

そもそもこのようなビジネス・プロジェクトを理解しておらず、

加えてプロっぽくない人たちの集合体が引き起こした問題のように見える。

もちろん関係者の多くはプロだろうし、中にはキチンとやっている人も多いのだろうが、

結果だけ見れば全くそのように見えない。

それはメンバーたちの振る舞いにも言える。


加えて「厄介」ファンの行動は明らかにルール逸脱だ。

まあ、そういうレベルの低い連中を呼び寄せてしまう当りも反省点だろう。



プロの中に低レベルのアマチュアが紛れ込んで結果的にぐちゃぐちゃになった、

外野の一般人の視点から見ていると、今回の騒動はそう見える。



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クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法 [独り言]

クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法
もしこのアイデアを既に実現している人か法人がいたら
このブログの記事は、全く無意味なので、そうであれば是非指摘してください。
(もしくはこのアイデアそのものが無理筋という可能性もあります・・)
地上波、BSにしろ、日本の放送視聴率はビデオリサーチ社が行っており、
主にこの数値が公表され、公式となる。
さて、公開情報だけで推定するとビデオリサーチ社はサンプリング調査をしており、
その数は、統計学上の要件を満たす世帯数(900世帯程度)で対応している。
なお。この場合の誤差は上下2%程度というので、
10%と言っても9%~11%程度までの間のどこかという事になる。
9%と11%ではテレビ業界にとって雲泥の差なのだが、
大抵の場合、上の数値が公表数値となる。
さて、現在、視聴者の視聴方法は電波経由とは限らない。
J:COMなどのケーブル局があるからだ。
J:COMの公表数値によれば視聴世帯数は、2018年末で1,381万世帯(全国)だそうだ。
実は、J:COMなどの大手ケーブル局は
契約者とセットトップボックス等を経由して繋がっているので、
視聴者の視聴動向を100%補足している。
もう理解出来ていると思うのだが、
J:COMなどの大手ケーブル局は、全視聴世帯の視聴率を集計出来、
また実際にしている。
おまけに地域分布や様態も判っているはずだ。
仮にJ:COMが1,381万世帯のこうした視聴率データを持っているとすれば、
ビデオリサーチ社よりは遥かに正確だろう。
またこれだけのサンプル数だと統計学上の誤差は殆ど無視できるほどない。
つまりこのデータは法的に問題がなければ売れるはずのデータなのだ。
大手広告代理店経由で地上波やBSの広告枠を買っているクライアントの多くは、
ビデオリサーチ社の視聴率に対して枠の金額を支払っているはずだが、
仮にJ:COMなどが持っているデータを入手し、それを比較したら、
確実な視聴の数値を把握でき、加えて広告料についても適切かどうかが判る。
そういう事をやっているというクライアントを聞いた事がないが、
不思議な話である。
但し、ビデオリサーチ社は1世帯を8台の機器で調査出来るため、
家族個別の視聴率やカウントはこちらの方に優位性がある。
さて。

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ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?  ヒットの設計図 [独り言]

ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで  

by デレク・トンプソン



ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

  • 作者: デレク トンプソン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


私は年に100~120冊程度本を読む。
(言っておくが日本の読書家の中には年3000冊読むツワモノがいるのでこの数は全く多くない)


ここ十数年、読書が趣味のようになってしまった。

だから私は、友達が少ない典型のような人間なのだが、

本への逃避は他人様に迷惑をかけないから良い趣味だと思っている。


読みたい本に辿り着く方法はいくつもあるが、

新聞書評、本の中で紹介されている本、書籍店での発見など、様々だ。

今回紹介する本書は、新聞書評で見つけた。


普段、ブログで本の紹介とかはしないが、

最近読んだ中で珍しく秀逸なものがあったので記事を書きたくなった。


ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで~という本だ。


出来れば皆さんに読んで欲しいので、基本的には中身を全て語らないようにする。

それでも本書の何が面白いのかは語らねばらない。


私はエンタメ業界で35年近く働いてきているので、

世間をザワザワさせること、自分をザワザワさせることに敏感だ。

そしてずっと考えて来たのは、ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?と、

何故、あるものはヒットし、ある似たようなものはヒットしないか?についてだ。


本書は、それに回答らしいものを与えてくれる。

回答らしいと言ったのは、この本に書かれている事を意識的にやれば

絶対ヒットするかは不明だからだ。また意識的に出来るかは相当ハードルが高い。


それでも、本書に書かれている分析は、非常に鮮烈だ。


何故人々は、何かに心を動かされ、時に購入し、時に体験しようとするのか?

そしてその何故を知る術はあるのか?

またそれは誰でもできるのか?だ。


その回答は本書を読んでもらうしかない。


ただ、少なくとも人間が音楽や映像、世情、スピーチ等に対して好意的な反応をする場合、

「なじみ感」が必要だと解説している。

つまり、人間は全く認知の無いものに直ぐ共感をしない特性があるからだ。

また人間は、「なじみ感」を持ちながら「驚き」を感じられると「新しい」と感じる。


本書には書いてないが、自分の体験で再現できるものがある。

SONYのWALKMANだ。

まだカセットとアナログレコードが主流の時代、

我々の普通の使い方は、アナログレコードを録音し、(アナログ盤は高価で聞くと減るからだ)

カセットデッキを部屋に置いて音楽を聞いていた。(友達と盤を交換し、カセットに録音していたからだ)

そしてWALKMANは、再生装置部分だけにして切り出して持ち出せるようにして大ヒットした。
斬新な製品だったが、既に作られていたカセットデッキの再生装置だけを切り離して持ち運び可能にしただけとも言える。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=既成のカセットデッキ」+「驚き=再生装置だけを持ち出し可能にした」=「新しい=音楽を自由な空間で持ち出して楽しめるようになった」と、いうことだろう。


音楽にも同じ事が言える。

殆どの人は、全く聞き覚えもない音楽フォームに共感しにくい。

昔から日本人は洋楽が苦手な人が多いが、

これは主要な洋楽がブルーズを基礎にして発展してきているからで、

日本人でブルーズに馴染みを持った人が少なかったからだ。

それでも海外でヒットしている楽曲の多くは、一般大衆に支持されているもので、

当然ながら日本人が聴いてもいい曲は多い。


筒美京平氏という天才作曲家がいるが、彼がヒット作を量産していた手法は、

当時、一般の日本人には殆ど馴染みのないが、

聞いたら良いなと思うような洋楽ヒット曲をベースに、

彼なりの手法で日本のポップスに変換して世に送り出していたというものだった。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=普遍的洋楽ヒット曲」+「驚き=洋楽的だが日本っぽいのメロディー」=「新しい=時代を先取りした音楽」のようになるのだろう。


実際、その後に日本で活躍するミュージシャンたちが生み出すヒット曲の多くは、

殆どがこの筒美京平方式によって作られている。

人によってはこの手法をパクリという人がいるが、それは正確な表現ではない。

あのビートルズもそれ以前のロックンロールやR&Bが音楽のベースになっており、

多数の過去のヒット曲が源泉となっている。

ビートルズが凄かったのは、オリジナリティーを進化させ、

コンセプトアルバムの発売をするなど、それまでにない音楽表現とスタイルを確立したためだ。


仮にだが、海外でヒットしていた曲を参考にして

ご自身で似ているようで似ていないような

ヒット曲のような質の音楽を生む出せるかを試してみたらいいだろう。

ほぼ無理だ。

実際、筒美氏の曲はオリジナルよりもメロディーが際立った曲が多い。


例えば、The Beatlesの大ヒット曲、Let it beは、コード進行フォームとしては、

Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)だ。

キーはともかく、このコード進行だけをヒントに曲を書いてみて欲しい。

殆どの人は、Let it beには遥かに及ばないメロディーしか作れないだろう。


このコード進行フォームでヒットした他の世界的ヒット作品を見てみると、

JOURNEYの「Don't Stop Believe In」やU2の「With or Without you」、Bob Marleyの「No Woman No Cry」など数多い。

日本では、綾香さんの「I Believe」がそれだが、Let it beとは全く違う曲なのは明らかだ。

従って共通するアイデアがあっても必ずしも同じ結果を生むわけじゃない。
ここがセンスと才能だ。


こうして見て分かる事は、Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)のような

黄金のコード進行という「なじみ感」がユーザーに聴くキッカケを与え、

個々のミュージシャンが作り出すメロディーやアレンジが「驚き」を加え、

新鮮味を醸成するという法則があるという事実だ。


サザンの桑田さんは、とあるインタビューで、

「音楽的デジャブ感(既視感)」と言い表していたが、

彼は20歳そこそこで「勝手にシンドバット」を作った頃から

この事に気が付いていたのだろうと思う。


例えば、JAZZというジャンルが一部を除いて日本の大衆に浸透しなかったのは「なじみ感」の欠如だろう。

JAZZに「なじみ感」を覚える大衆が少ないのは、JAZZそのものが斬新過ぎる点にあるが、元の音楽がブルーズだったことも理由だろう。

つまり馴染みがない上にアドバンス過ぎたのだ。

だから既成の曲をJAZZ風にアレンジした場合、大衆はやっと「なじみ感」を覚える事が出来るようになるが、

音楽を咀嚼出来る絶対数が少ないため多くは「驚き」へは移行しなかった。

そのため定着せず、マニアックな分野に落ち着いてしまったという訳だ。

本書では、そうした現象をMAYA(Most Advanced Yet Accetable)という単語で紹介している。

非常に先進的だが享受可能なもの、という意味だ。


ヒット曲を生む作り手は、その素質として常に斬新で先進的なものに興味を抱く。

そのため、大衆に重心を寄せ過ぎるとクリエイティビティの本質、

つまり個性や先進性を棄損する恐れがあると考えるクリエイターが多いのだが、

大衆を無視してはビジネスが成立しない。

クリエイティビティとビジネスは昔から二項対立する分野だが、

その差配のセンスこそがクリエイターの格の違いを生むと言っていい。

つまり「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の3つの項目を成立させるための

先鋭さと大衆向けの配分が重要であり、MAYAを包括するものがヒット作に恵まれる最低条件ということになる。


全く名も知られていないあらゆる分野の新人は、

世の中に知られるようになるまで、年単位を必要とするが、

それはすなわち市場に対して「なじみ感」を浸透させる時間と言える。
それでも売れる人と売れない人を分ける「決定的な条件」は、条件が複雑すぎて必ずしも特定出来ない。

またいい曲なのに売れない曲、知られないまま消えて行く曲があるが、
これもまた「なじみ感」が浸透する前段階で賞味期限を迎えてしまったか、曲そのものになじみ感がなかったための結末だろう。


従って、多くの人やモノ、曲は「なじみ感」が浸透する前に消え、世に出る事はない。
歌手として唄が上手いだけでは世に出れない。歌手を際立たせる楽曲が必要となるからだ。
またいい曲というだけでも世に出れず、曲を際立たせる歌手が必要となる。


ズーニーブーという2人組がオリジナル作品である「また逢う日まで」は、当時全く見向きもされなかったが、その後に尾崎紀世彦氏にカバーされて大ヒットした。
尾崎紀世彦氏は驚くほどの歌唱力と表現力で1971年の日本レコード大賞を受賞したが、その後の彼にはこれを超えるヒット作が出なかった。
これは、同じ曲なのに歌手やアレンジが違うだけで化学反応の仕方が全く違うという典型例なのだが、
「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式だけでは解明できない難しさの存在を示している。


さて、世の中には、口コミという現象があるが、これも同様で、自分が支持しているインフルエンサーが口コミするものは、インフルエンサーという「なじみ感」を通じているからこそ口コミされたものにアクセスしやすくなる。

これは、古くからある手法で言えばCMであり、昨今はユーチューバーになるだろう。


1980年代、「おいしい生活」というキャッチコピーがあった。

当時、本当の斬新に思えたが、

これも「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=おいしい、生活という普通に使う単語」+「驚き=「生活」に「おいしい」を組み合わせた事」=「新しい=80年代感覚」となる。

「おいしい食事」という表現はあるが、「生活」という単語には使わない。

生活には味がないからだ。

しかしそれを敢えて合体させた所にセンスの高さがある。これが「驚き」を生んだ。

つまり大衆がこのコピーを直ぐに受け入れて理解したのは、

そもそもこのコピーを構成する言葉になじみがあったからだろう。


話が長くなるのでこの辺りで終わりにするが、

本書は上記以外においても政治家の演説を例を挙げ、

その演説に大衆が熱狂する言葉の在り様について解説を加えてくれているが、非常に示唆に富んでいる。


最後に1つ、NHK大河ドラマ「いだてん」が視聴率不調だという。
私も途中で見るのを止めた。
この本を読んでガテンが行ったのだが、
「いだてん」は余りにも「もなじみ感」の無い素材を主人公にしてしまった事が主要原因だろう。
金栗四三や嘉納治五郎など、そもそも主人公になる人物像が余りにも馴染みが無さ過ぎた。
従って主人公への共感を抱くために手がかりがなく、なじむまでの時間が掛かり過ぎる。

加えてそこに宮藤官九郎氏が斬新な台本と時空を超えた編集を織りなしたために、
先鋭的過ぎて、一般大衆を置き去りにしてしまったと思う。
Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、
つまりMAYA理論に合わせてみれば、本作は先進的過ぎて受入れが困難な素材と内容だったという事だ。
クリエイターに寄り添い過ぎるとこういうリスクもあるという好例になるだろう。
(なお、同じ作家のあまちゃんがヒットしたのは、設定そのものが80年代を中心とし、画面に出てくるアイテムや現象に視聴者の多くがなじみ感があったからだろう。それにクドカンワールドの驚きが新鮮さを与えたという訳だ)


「なじみ感」という土俵なしでは、その次に仕掛ける「驚き」に到達出来ない。
大変残念だが、いだてんは素材選定の時点で既に誤りだったかもしれない。
「西郷どん」ほどの認知のある素材でも、一時期は視聴率に苦労していた位だ。

但し個人的には「西郷どん」は大変に楽しめた。


ヒット、つまり大衆の熱狂の根底には共通した人間心理がある。

そしてヒットするものは人間心理に根差した法則の中にあることを本書は教えてくれている。

ヒットって本当に不思議なものだ。


本書、お勧めする。


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