『カメラを止めるな!』パクリ騒動の解決方法を勝手に伝授。 [独り言]
『カメラを止めるな!』パクリ騒動の解決方法を勝手に伝授。
私も『カメラを止めるな!』を見て感動した人間だ。
パンフも買った。今年度最高傑作だと思う。
そのパンフの中の文言にちょっと気になっていた部分あった。
上田慎一郎監督が、映画の題材としてある舞台から着想を得てオリジナルの舞台関係者である脚本家と企画開発をしていたと書いてあった事だ。
そして以下のニュースが出た。
『カメラを止めるな!』はパクリだ!原作者が怒りの告発
ああ、やはりな・・と感じた。
その後、以下の記事が出る。
その後、以下の記事が出る。
『カメラを止めるな!』原作者が語る「僕がどうしても許せないこと」
記事を読む限りだが、『カメラを止めるな!』は、
元劇団主宰者で演出家の和田亮一氏(32)が主催した舞台『GHOST IN THE BOX!』に基づいて製作されていると主張する。
上田慎一郎監督が着想を得たものは、この舞台と一致しているようだ。
また和田氏の主張によれば、映画製作側のプロデューサーから、原案利用契約書(権利買取)が提案されたとある。
さて映画のオフィシャルサイトには以下の反論が掲載されていた。
ネット記事(元は雑誌のFLASHらしい)を要約すると上田監督は、『GHOST IN THE BOX!』の演出家である和田氏と脚本家のA氏(パンフにも出てくる荒木駿氏だろう)の2名に許諾を取ったのではなく、B氏という許諾権限のない人物に映画化の趣旨を伝えただけだという。ネット情報によれば、荒木駿氏には許諾を取ったが和田氏には取ってなかったという記述もあるが、当事者間でどのように伝えられたのかについての詳しい記述はない。
また公開当初の映画のクレジットにはA氏とB氏の名があったが和田氏のクレジットはなかったようだ。
和田氏の主張では、7月18日(つまり公開後)に原作のクレジット要求。翌日、上田監督からは「『企画開発協力 劇団PEACE 和田亮一』でいかがでしょうか」と返事が来たものの、製作にいっさい協力していなかった和田氏はあくまで「原作」の形を主張した。後日、映画製作側からは再編集するのは困難でクレジットを断られたという。その後弁護士に相談し、再度『原作』のクレジットを要求。その後、市橋プロデューサーから原案利用契約が提案されましたが、権利を買い取る内容だったという。
和田氏の主張では、7月18日(つまり公開後)に原作のクレジット要求。翌日、上田監督からは「『企画開発協力 劇団PEACE 和田亮一』でいかがでしょうか」と返事が来たものの、製作にいっさい協力していなかった和田氏はあくまで「原作」の形を主張した。後日、映画製作側からは再編集するのは困難でクレジットを断られたという。その後弁護士に相談し、再度『原作』のクレジットを要求。その後、市橋プロデューサーから原案利用契約が提案されましたが、権利を買い取る内容だったという。
なるほど、これはモメる案件だなと思いました。グレーゾーンの多い分野だからだ。
映画の公式サイトの声明を読んで1つの違和感を持った。
声明では、舞台著作を侵害した事実はないと言っているのにも関わらず、クレジットを含めた条件や対応を協議中という点だ。舞台劇に着想を得た点は公式サイトが認めており、これはその通りなのだろう。
普通に考えられるのは、映画製作側も100%相手を突き放すほどの論拠を持っていないのだろう。
つまり、心当たりがあるという訳だ。
つまり、心当たりがあるという訳だ。
それも和田氏の説明を見れば、なるほど、双方、主張が全く違うんだな・・ということが分かる。
今回の問題の根底は、「舞台劇から着想を得て映画化したのにも関わらず、舞台劇の著作者に対する許諾処理を適切にしていなかった」点だ。この責任は市橋氏という映画プロデューサーと上田監督にある。
和田氏の取材発言が正しいと仮定すれば、市橋プロデューサーが原案利用契約を送付した時点で、本映画には「原作もしくは原案があると認識していた蓋然性」を持つ事になる。
原作か、原案かでもめている部分はあるが、いずれにしても100%オリジナルという映画側の主張根拠の大きな部分は崩れてしまっている。
今回の問題の根底は、「舞台劇から着想を得て映画化したのにも関わらず、舞台劇の著作者に対する許諾処理を適切にしていなかった」点だ。この責任は市橋氏という映画プロデューサーと上田監督にある。
和田氏の取材発言が正しいと仮定すれば、市橋プロデューサーが原案利用契約を送付した時点で、本映画には「原作もしくは原案があると認識していた蓋然性」を持つ事になる。
原作か、原案かでもめている部分はあるが、いずれにしても100%オリジナルという映画側の主張根拠の大きな部分は崩れてしまっている。
私のように映像の輸入と制作、運用、著作権の仕事を長くやっている人間からすると、本件は興味深い点が多い。
今も昔も同じだが、クリエイターほど著作権について無知、無関心な人たちはいない。
知っているように振る舞うクリエイターも多いが、実務的な部分について殆ど無知だ。
だから権利処理は、実務経験者に相談したり、対応してもらう必要がある。
今回市橋プロデューサーがその役割を担っていたはずだが、どうやら仕事に漏れがあったと言っていいだろう。
今回のトラブルの遠因にはそういう背景が見え隠れする。
つまり「権利処理をキチンと詰め切っていない」ということだ。
元々アイデアという著作権で保護されない部分を参考にして作るという行為と、翻案(原作に依拠して作る)とは雲泥の差がある。
ネットの記事そのものがどの程度正確なのか不明だし、大抵の場合、週刊誌の記事は事実を膨らませてショッキングな見え方で書くので情報確度が不明だ。
弁護士の方が分析した記事は参考になるので読んで欲しい。
今回市橋プロデューサーがその役割を担っていたはずだが、どうやら仕事に漏れがあったと言っていいだろう。
今回のトラブルの遠因にはそういう背景が見え隠れする。
つまり「権利処理をキチンと詰め切っていない」ということだ。
元々アイデアという著作権で保護されない部分を参考にして作るという行為と、翻案(原作に依拠して作る)とは雲泥の差がある。
ネットの記事そのものがどの程度正確なのか不明だし、大抵の場合、週刊誌の記事は事実を膨らませてショッキングな見え方で書くので情報確度が不明だ。
弁護士の方が分析した記事は参考になるので読んで欲しい。
「カメラを止めるな!」は著作権侵害か?
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20180823-00094178/
簡単に言えば、アイデア部分だけで表現上の本質的特徴が似ているとは言えない可能性を指摘しています。
つまり突き詰めると、裁判しないと分からないかもしれない・・という事です。
なので、私が以下に書く記事は、あくまでも最悪の場合、つまり原作・原案と言われる舞台著作を侵害した形で映画が製作されていたと仮定した想定への対応として書くことにする。
また現在分かっている事実は、公式サイトの声明だけなので、そこの記述の意図も参考にする。
1つだけ先に行っておくと、裁判すると双方疲弊し、費用もかかり、時間もかかり嫌な思いをします。それでも戦うならやればいいが、個人的には裁判を避ける方向性で落とした方が良いと思っている。
さて、舞台劇に着想を得て映画の台本を作り映画化すると著作権侵害になるのだろうか?
実はなかなか難しいテーマだ。着想を得たという言い方と原作を元に映画を作るという行為は別だからだ。
従って双方が著作権侵害の証明するとなれば、話し合いを経て、埒が明かなければ裁判をするとことになる。
この手の裁判は長期化するので最悪だが、最悪の場合はそうなる。
裁判となれば『GHOST IN THE BOX!』と『カメラを止めるな!』の脚本や舞台の内容、その他の資料を綿密に精査し、双方のストーリーや設定等が何%一致・類似し、何%が違うのか?という計量的な方法で突きつめて行くことになる。これは音楽著作権侵害でやる方法だが、音楽の場合だと音符の類似率をはじき出して判決する。
実はなかなか難しいテーマだ。着想を得たという言い方と原作を元に映画を作るという行為は別だからだ。
従って双方が著作権侵害の証明するとなれば、話し合いを経て、埒が明かなければ裁判をするとことになる。
この手の裁判は長期化するので最悪だが、最悪の場合はそうなる。
裁判となれば『GHOST IN THE BOX!』と『カメラを止めるな!』の脚本や舞台の内容、その他の資料を綿密に精査し、双方のストーリーや設定等が何%一致・類似し、何%が違うのか?という計量的な方法で突きつめて行くことになる。これは音楽著作権侵害でやる方法だが、音楽の場合だと音符の類似率をはじき出して判決する。
つまり映画製作側の主張する「オリジナルと言える部分」が映画の中でどの程度の比率を占めているのかを数値化して判断するのだ。また原作としての根拠が認められれば、許諾の過程も重要で、結局それらは証拠によってのみ立証される。「原作」なのか「原案」なのか、第三者による判定は上記のような過程を経ることとなるだろう。
仮に全体のストラクチャーや設定、セリフなどの大半が似ていると判断された場合、原作者は荒木氏&和田氏、上田監督は脚色者と判断されるだろう。従って著作権法において脚色された二次著作物は原作家も権利保有することになり、二次利用の許諾や氏名公表権についても問われる。
しかしこうした革新的なポイントについては、当事者で埒が明かない場合がこれは裁判等をしないと確定的な判断がされないケースが多い。
裁判は長期化し、双方疲弊し、いずれ裁判所から和解勧告が出るかもしれないだろう。
本来、原作から着想を得て別のストーリーを作る場合、原作権もしくは原案権という形でそれ相当の許諾を得る必要がある。
裁判は長期化し、双方疲弊し、いずれ裁判所から和解勧告が出るかもしれないだろう。
本来、原作から着想を得て別のストーリーを作る場合、原作権もしくは原案権という形でそれ相当の許諾を得る必要がある。
何故得るかと言えば、今回のようにトラブルになるからだ。
ちなみに後ほど語るが「アイデア」そのものは著作物ではない。
今回の言い方では、アイデアは「原案」に近い。
著作権には定義があって、著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう、と書かれており、当然舞台芸術や映画も著作権の保護対象だが、アイデアそのものは著作権の保護対象外だ。
今回の言い方では、アイデアは「原案」に近い。
著作権には定義があって、著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう、と書かれており、当然舞台芸術や映画も著作権の保護対象だが、アイデアそのものは著作権の保護対象外だ。
映画製作側にとって若干不利だなと感じるのは、本映画が舞台を見てから着想を得ていることを認めている点だ。また和田氏の主張のように映画製作側が「原案利用許諾契約書」を提出している。このことから映画製作者側は、原案としての利用は認めるが、原作としては利用していないという意味だろう。
舞台関係者の誰かと映画製作者とが酒でも飲んでいる時の口上から出てきたアイデアを元にしているのなら著作権的には問題にならないのだが(アイデアを剽窃して点では非難されるだろうが)、映画製作者は既存の舞台から着想を得ていると公表しているし、途中段階まで舞台脚本家とも台本を作った記述がパンフに記載されている。
舞台関係者の誰かと映画製作者とが酒でも飲んでいる時の口上から出てきたアイデアを元にしているのなら著作権的には問題にならないのだが(アイデアを剽窃して点では非難されるだろうが)、映画製作者は既存の舞台から着想を得ていると公表しているし、途中段階まで舞台脚本家とも台本を作った記述がパンフに記載されている。
つまり映画側は、本映画作品が舞台著作の一部を原作として利用し、翻案して映画を作ったと認識していたと認定される可能性が極めて高いと言っていい。
逆説的に言えば、映画製作側が原案のみであとはオリジナルだと主張するのであれば、舞台著作の持つ情報や着想、プロットなしで全く同じような映画が作れたか?という事を証明しなければならなくなるだろう。
果たしてそれが可能なのかは考えてみる価値があるだろう。
さて、本来はどうしたら良かったのか?
何より大事だったのは、映画製作陣側が映画制作前に舞台の原作もしくは原案許諾を契約書までに落とし込む事だった。
それに尽きる。
理由は簡単で、今回のような事が起きるリスクがあり、実際にその想定とうりに起きたからだ。
インディーズ映画でそこまでするか?という人もいるが、結果的にはそこまでしておいた方が良かった訳だ。
逆説的に言えば、映画製作側が原案のみであとはオリジナルだと主張するのであれば、舞台著作の持つ情報や着想、プロットなしで全く同じような映画が作れたか?という事を証明しなければならなくなるだろう。
果たしてそれが可能なのかは考えてみる価値があるだろう。
さて、本来はどうしたら良かったのか?
何より大事だったのは、映画製作陣側が映画制作前に舞台の原作もしくは原案許諾を契約書までに落とし込む事だった。
それに尽きる。
理由は簡単で、今回のような事が起きるリスクがあり、実際にその想定とうりに起きたからだ。
インディーズ映画でそこまでするか?という人もいるが、結果的にはそこまでしておいた方が良かった訳だ。
万に一つのリスクだが、やっておけば今回のトラブルは回避できた。
特に今回のように想定外の大ヒットをしてしまうと、事後交渉になり条件を落とすのは簡単でない。
これは製作側の市橋プロデューサーと脚本家で監督の上田氏双方の課題だったし、それをやらなかったからこうした面倒な事になる。
つまりこの点で仕事をすべき人間が仕事をしていなかったということだ。
特に今回のように想定外の大ヒットをしてしまうと、事後交渉になり条件を落とすのは簡単でない。
これは製作側の市橋プロデューサーと脚本家で監督の上田氏双方の課題だったし、それをやらなかったからこうした面倒な事になる。
つまりこの点で仕事をすべき人間が仕事をしていなかったということだ。
今回の問題、記事等から読み解ける和田氏の主張を参照しつつ、何が問題で、どうすればいいのかを説いてみよう。その上で、私が考えるまず穏便な解決方法を提案しよう。
記事情報だけで私がこうした発言をするのは何だが、『カメラを止めるな!』は、舞台『GHOST IN THE BOX!』を「原作」にして製作したと「一定程度」映画製作側が認めた方が自然だと考える。
原作か原案では、著作権に関わる問題が大きくなり、双方の争点になるだろうが、後々のビジネスを考えて妥協ポイントとした方がいいだろう。
これは市橋プロデューサーが和田氏に原案契約書を提出した事からでも、舞台が全くクリエイティブ上の埒外ではないことを認めているわけで、原作、原案は大きな選択だが、おそらく和田氏側は原案にしたら間違いなく裁判に持ち込むだろうから、原作を認め、利益シェアをした方が双方にメリットがあるという考え方だ。
さて、本件、どのような解決策があるのか列挙しよう。
①映画製作側が原作側の主張をある範囲で認め、改めて許諾条件を話合い、金銭的な条件を決める。
②映画製作側が原作側の主張を一切認めず、裁判で戦う。
原作か原案では、著作権に関わる問題が大きくなり、双方の争点になるだろうが、後々のビジネスを考えて妥協ポイントとした方がいいだろう。
これは市橋プロデューサーが和田氏に原案契約書を提出した事からでも、舞台が全くクリエイティブ上の埒外ではないことを認めているわけで、原作、原案は大きな選択だが、おそらく和田氏側は原案にしたら間違いなく裁判に持ち込むだろうから、原作を認め、利益シェアをした方が双方にメリットがあるという考え方だ。
さて、本件、どのような解決策があるのか列挙しよう。
①映画製作側が原作側の主張をある範囲で認め、改めて許諾条件を話合い、金銭的な条件を決める。
②映画製作側が原作側の主張を一切認めず、裁判で戦う。
③上記②の裁判を経て、双方の主張を戦わせたう上で示談をする。
④映画製作側が、原作側がグウの音も出ない程に自分たちのオリジナリティーを証明して納得させる。
いずれにしても、両者の話し合いと合意でしか解決しない。現状、これだけは避けられない。
加えて、現在の情報を総合すると、上田監督側が本映画を完全なオリジナルだと証明するのは相当困難だと推定される。つまり以下の方程式の証明を映画製作側が立証しなければならない。
『カメラを止めるな!』-『GHOST IN THE BOX!』=我々の見た『カメラを止めるな!』になるのか?
『GHOST IN THE BOX!』から着想を得て作り上げた台本は、『GHOST IN THE BOX!』が無かったとしても同じようなインパクトを持った映画として成立出来たのか?という点だ。
例えば、アメリカドラマの名作「刑事コロンボ」の構成骨格は、ストーリー冒頭に殺人があり、視聴者側には既に犯人が分かっている。コロンボは犯人が気が付かないほころびを探し出して犯罪立証を成立するというものだ。
さて、このストーリー冒頭に殺人があり、視聴者側に犯人が分かっている部分は「単なるアイデア」なので著作権で保護されない。実際、コロンボ以前のミステリーでも冒頭に犯人が分かっていて、探偵が犯人を追い詰めるという形式の小説がある。
従ってコロンボのこの構成方法は、全く著作権違反ではない。
そうなるといずれにしても金銭条件の話になる。
どうしたらいいのか?
『カメラを止めるな!』-『GHOST IN THE BOX!』=我々の見た『カメラを止めるな!』になるのか?
『GHOST IN THE BOX!』から着想を得て作り上げた台本は、『GHOST IN THE BOX!』が無かったとしても同じようなインパクトを持った映画として成立出来たのか?という点だ。
例えば、アメリカドラマの名作「刑事コロンボ」の構成骨格は、ストーリー冒頭に殺人があり、視聴者側には既に犯人が分かっている。コロンボは犯人が気が付かないほころびを探し出して犯罪立証を成立するというものだ。
さて、このストーリー冒頭に殺人があり、視聴者側に犯人が分かっている部分は「単なるアイデア」なので著作権で保護されない。実際、コロンボ以前のミステリーでも冒頭に犯人が分かっていて、探偵が犯人を追い詰めるという形式の小説がある。
従ってコロンボのこの構成方法は、全く著作権違反ではない。
しかしどうやら映画は舞台の構成骨格だけで成立しているわけではないようだ。従って著作権の侵害を感じているからこそ、市橋プロデューサーは後出しの買取契約書を出したのだろう。
従って映画製作側として全面敗北のような形は簡単に受け入れられないと思うが、
本件は、映画製作者側にかなり歩が悪いと感じている。
だから、①で進めるのが良かろうと思う。そうなるといずれにしても金銭条件の話になる。
どうしたらいいのか?
市橋プロデューサーは買取契約を提示しているらしい。でもそれは現状で無理というものだ。映画は大成功してしまったのに、許諾が後になるのは、映画製作者側のチョンボだからだ。不本意でも自分たちのチョンボを相手側に押し付けない方がいいだろう。
許諾額と印税料率は話合いになるが、製作前ならいざ知らず、
既に大ヒット作品になってしまった関係上、当初よりも金額が高くなる、
もしくは異なる通常の原作権許諾契約よりも別の条件を入れた契約形態になるのは仕方ないだろう。
原作権の相場は交渉で決めるしかない。それでも業界相場はあるからそれらが話し合いの基準にはなるだろう。
加えて意図せずとも無断と思われるような形で製作・配給した点についての賠償的な意味での金銭保証も支払う必要が出てくると思う。
仮にストーリーの基本設計が原作・原案通りで、脚色(翻案)によって映画のように手を加えられたとすれば、
本来的な意味で、舞台『GHOST IN THE BOX!』が原作もしくは原案であり、上田監督は、脚色者(シナリオライター兼監督)という立場になる。
さて、『海猿』等で知られる佐藤秀峰氏は、ヒット映画の『LIMIT OF LOVE 海猿』
(『海猿』シリーズ2作目。興行収入71億円)の原作使用料は、250万円であったと明かしている。
ただ、現在に関しては、原作使用料+成功報酬という契約にしており、
「ヤマザキさんの60~70倍貰ってる」とのことである(氏のツイッターより)。
つまり数千万円~1億円近いということだろう。
また、テルマエ・ロマエは、興行収入が60億円にのぼる大ヒットとなったが許諾料は100万円だったと知られている。
これがインディーズ映画だと10万円前後程度の世界になると言われてもいる。
参考記事:200万~400万円は妥当か、映画原作料のお値段
さて、今回の件で私が間に立っていたらどう考えるか?
映画製作者側が、①で示したような示談交渉に応じるという前提だが、まず、金銭的な条件を幾つかのパーツに分ける。
原作(原案)許諾料、二次利用料、慰謝料もしくは買取りの4つだ。
但し、現状環境で買取契約は交渉対象にならないので排除する。(相当な金額を積んで買い取るなら別だが)
上記参考記事の200万~400万円は妥当か?、にある映画原作料のお値段を見ても分かるように、
日本映画化の原作権料は意外と高くない。(中国だと最低1,000万円からスタートすることが多い)
また、日本文藝家協会の規約第25条の「映画制作及び上映等における著作物の使用料は、
番組制作費や提供価格等を斟酌(しんしゃく)し、1000万円を上限として利用者と本協会が協議して定める」
という取り決めが、目安となっている。
当然和田氏は日本文藝家協会の登録メンバーでもないだろうし、言い値設定できるのだが、
今回は、原作許諾料を日本文藝家協会の規約第25条最低ラインの上限である100万円と置く。
なお、金額はエージェント費用を含んだものとして記載するので、作家の取り分は60~70%程度となる。
二次利用料、つまりDVD化、VOD化、番組販売等の利用における原作家への配分は、日本文藝家協会に参考となる規約がある。
例えばDVDであれば定価×出荷数×1.75%(もしくは卸売価格×出荷数×3.35%)で、
これは業界標準なのでこれを参考に出来る。1万円のDVD(セル)なら、175円前後が印税となる。
但し、1.75%は監督、シナリオ作家への分配原資になるため、全部が原作家に入る訳ではない。
本映画の作家関係者は日本文藝家協会会員じゃないだろうから、この規定に準じる必要はないが、目安になる。
本作の問題は、原作権の許諾を曖昧な状態で製作し、おまけに想定外に大成功してしまったことだ。
だが、映画の成功は結果論だ。だから大失敗という可能性だってあった点は忘れてはならない。
だが、映画の成功は結果論だ。だから大失敗という可能性だってあった点は忘れてはならない。
従ってこの点については成功という結果を知った上での話として押さえておかねばならないだろう。
ここが今回の問題を複雑にしてしまっている。
何が言いたいかと言えば、原作家は権利を販売する時点で自身の利益確定できるが、
何が言いたいかと言えば、原作家は権利を販売する時点で自身の利益確定できるが、
映像化の関係者はそうでないが、既に成功という結果が出ていて利益確定者がいるため、作家としてはそういう立場を取れないという事だ。
そうは言っても既に大成功していて利益確定を享受するのは、上田監督、製作会社、配給会社、DVDメーカー、配信先、番組販売先だ。だから原作者にもその利益享受を得たいという動機が出るのは仕方ないし、それを取り込めないと交渉にならない。
ここからが交渉の腕の見せ所になる。
今回のように原作権許諾という映画製作の根幹に瑕疵がある可能性出ていて、おまけに大成功してしまった場合、
製作者と原作者の現実的な落としどころを探るしかない。
要するに「金で解決」するしかないということだ。
要するに「金で解決」するしかないということだ。
その上で以下を提案しておきたい。
実は原作許諾は通常、映画上映という一次使用、つまり映画興行に対しての印税設定をしない。
今回、これを、特別に設定してもらおうという事だ。
理由は簡単で、原作もしくは原案の事後許諾をしたからだ。
理由は簡単で、原作もしくは原案の事後許諾をしたからだ。
以下が私が勝手に提案する計算式だ。
まず原作権使用料:100万円。
劇場興行に関する条件:
原作権利用料=【配給収入-(配給収入×0.2(配給手数料))】×7.7%
(配給収入=劇場興行総収入×0.5もしくは配給会社への総収入、総収入というのは鑑賞チケットとパンフ等の総収益のこと。)
なお、本来は配給収入の計算分母は、P&A費用(上映に関わるコストと宣伝費)を除くが、今回はそれをしない。
理由は今回の事情を踏まえ、P&Aは製作と配給が持ち、作家分配に不利にならないように配慮するためだ。またP&A費用を把握しようとすると、費用の改ざんの可能性が拭えず管理が大変なので除外させる方がいい。
理由は今回の事情を踏まえ、P&Aは製作と配給が持ち、作家分配に不利にならないように配慮するためだ。またP&A費用を把握しようとすると、費用の改ざんの可能性が拭えず管理が大変なので除外させる方がいい。
また7.7%の設定は、二次利用権の通常設定(卸値への掛け率)に加え、
賠償的(慰謝料)な意味での3.35%を加味した。
書き直すと以下の通りだ。
かなり大雑把な数値だが、イメージ的には当たらずしも遠からずと思う。
劇場興行総収入:10億円(推定)
劇場収入:5億円(劇場取り分は興行収入の約50%と計算している)
配給収入:5億円(配給会社の売上)
配給手数料(20%):1億円
------------------------
小計:4億円。
原作権者取分:3,080万円(4億円×7.7%)
なお、配給と上田監督を含む映画製作側の取り分は、原作権者取分とP&Aの経費後となり、
経費比率は、双方の取り分比率で按分されると過程。
(配給側が全負担している場合もあるが、今回は按分とする)
これでどういう絵になるかと言えば以下だ。
なおP&A費用は150館公開から推定して6,000万円と仮定する。(もうちょっと多いかもしれないが・・)
◎製作側(上田監督含む)+配給取分=5億円。(監督への配分契約が不明なので両者を一体として考えておく)
◎P&A費用+原作権者取分=9,080万円
---------------------------------
小計:4.092億円。(製作側+配給の実取分)
映画興行終了時点での各位配分:
◎製作側取分:3.273億円(製作費300万円を回収後)
◎配給取分:8,184万円
◎原作権者取分(原作権販売分100万円を含む):3,180万円
もちろん、料率についての交渉があるだろうし、他の諸条件についても同じだ。
また上記は映画興行までの話で、二次利用料は別途入ってくる。
いずれにしてに、製作側が億単位の収入を得ることは疑いないし、原作側にもかなりの金が入る。
それ故に、製作側取分の10%程度の原作権比率は、十分に妥当性があると見ていいだろう。
インディーズ映画としては過去に例がない大成功を収めた原作家の方々には納得しずらい面もあるだろうが、
少なくとも上田監督が脚色して映画化しなかったら、
原作家の方々にこのような富が生まれるチャンスがなかったとも言える。
その点については、心情面で色々とあるだろうが、原作家側は配慮を見せた方がいいだろう。
その点については、心情面で色々とあるだろうが、原作家側は配慮を見せた方がいいだろう。
加えて仮に映画製作前に許諾していたら10万円+α程度だった訳で、
このαも微々たるものだったかもしれないのだ。
先にも書いたが、興行の結果が見えてしまっているため話がややこしいが、キチンと話合えば双方にメリットが出ている話だと分かるだろう。
残念な経緯があってシコリが残るかもしれないが、結果的には全員WINWINになれるのだ。
だから金持ち喧嘩せずじゃないが、紳士的にやった方がいいと思っている。
先にも書いたが、興行の結果が見えてしまっているため話がややこしいが、キチンと話合えば双方にメリットが出ている話だと分かるだろう。
残念な経緯があってシコリが残るかもしれないが、結果的には全員WINWINになれるのだ。
だから金持ち喧嘩せずじゃないが、紳士的にやった方がいいと思っている。
双方が欲張りになればなるほど落としどころが見えなくなる。
何度も言うが、製作の根幹である原作家の許諾で躓いたのは、監督を含む製作側の大きな瑕疵だ。この点は映画製作側の反省点だろう。
何度も言うが、製作の根幹である原作家の許諾で躓いたのは、監督を含む製作側の大きな瑕疵だ。この点は映画製作側の反省点だろう。
そういう意味を込めて助言をしておくが、この件を深堀して裁判にはしない方がいいと思う。
裁判になれば長期化し、手間がかかり双方に裁判費用の出費が嵩み、面倒で嫌な時間が経過し、
原作家の取り分も相当に減ってしまうだろうし、製作側も同様だ。
わざわざ弁護士を儲けさせるような行為に及ばない方がいいと思っている。
また原作家からすれば、色々な経緯があって許せない部分もあるのは理解を超えることじゃないが、
原作家の方たちも余り欲張らない方が良いだろうと思っている。
狭い業界で生きて行くにはそれなりの落としどころがあり、
冷静に現実的で未来志向の対応をすべきと思う。
これをチャンスに将来を切り開く機会とすべきで、適度な所で合意を見た方が得策でしょう。
加えて助言をしておくが、制作会社(上田監督含む?)は、出演者や関係スタッフに対して
自分たちへの収入からそれなりの額を彼らに分配をしておいた方がいいだろうと思う。
3億円を超える収入を個人で受けたら55%は税金で消える。
また法人で受けたとしても利益の20%以上(多分数千万円程度)は税金で消滅する。
それ位なら関係者に成功報酬的な支払いをして経費として控除し、
肝の太い所を見せておいた方が制作会社及び上田監督の今後の人生のためにプラスになるだろう。
ヘタをするとこれが最初で最後の大成功だってことにもなりかねないのだから。
まだ事実関係が不明な時点で勝手なブログを書いて大変に恐縮だが、
老婆心と思って許して欲しい。
今後の情報で誤りを訂正する予定だが、現状の情報から考えられるのはこんな感じだ。
今後の情報で誤りを訂正する予定だが、現状の情報から考えられるのはこんな感じだ。
あともう1点追加しておくと、今回のヒットの雫を個人収入でもらっている関係者各位は、国税から100%狙われているので、2019年、2020年2月の確定申告はキチンとなさった方がいいだろう。申告漏れを指摘されたりすると、名声に傷が付きかねない。
せっかくアットホームで素晴らしい映画を作ったのだから、皆さん、映画のイメージを壊さないように仲良くやってねと祈るばかりだ。
せっかくアットホームで素晴らしい映画を作ったのだから、皆さん、映画のイメージを壊さないように仲良くやってねと祈るばかりだ。
参考記事:騒動の『カメラを止めるな!』“原作”・“原案”どう違う? 専門家に聞く
『カメラを止めるな!』.....2018年12月15日にサンフランシスコの日本町の映画館で上映...
by サンフランシスコ人 (2018-10-20 01:53)
良い提案をありがとうございました。
by 矢玉四郎 (2019-01-22 22:41)
恐縮です。
by コロン (2019-01-23 10:27)