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井上陽水 Good Luckツアー 昭和女子大学 人見記念講堂(2017年5月11日) [ライブ・コンサート]

井上陽水 Good Luckツアー 昭和女子大学 人見記念講堂(2017年5月11日)



開場が10分遅れたが、開演は10分遅れた程度だった。
見事に満席。
人見記念講堂で陽水さんを観るのは(確か)2回目だ。
客層は男女半々、主は50代以上。
流石に若い人はいなかったな・・。若くても40代程度だろうか。
2016年はオーチャードホールだったが、陽水さんクラスでも、会場確保に苦労してここしか取れなかったのだろう。


そう、昨今、都内の2000名キャパの会場がなかなか取れないため、人見記念講堂でも大物系がライブをするようになったが、ここは彼らにはちょっと気の毒な場所だとは思う。ひと昔前だったらここは選ばれ難い場所だった。
まず、ステージの奥行がないのと、会場内の壁がタイルなので残響が多く、音の締りが作りにくいからだ。
ステージの奥行がない事で、ドラムスとボーカル(観客)の距離が近くなるため、
客席に漏れる生音の量が普通に増して多く、バンド全体の音のバランスが取りにくい。
そのため、最近の陽水さんのようなウイスパーを多用し、囁くような歌い方をするような曲だと
残響やリズム隊の音で歌詞や声のニュアンスがバンドの音に埋もれる傾向があり、
ちょっとボーカルが聴きにくいという難点があるのだ。
やはり彼の深みのある声を中心に聴きたい私としては、残念な部分だった。
また陽水さんが歌唱中にボーカルマイクに対して流動的な距離を取って歌うために、
バンド内での歌唱時は、音の強弱が大きくなるように聞こえるという点もあった。
実際、アコースティックセクションでは非常にボーカルが明瞭だったが、バンドになると
多くの場合、どうしても陽水さんの声を「探しに行く」感じになってしまう部分があった。
そういう意味で、残念ながら人見記念講堂は余り好きな会場ではない。
どうもPAの腕の問題だけで解決しないのかもしれない・・・。


この日は映像収録が入っていたので、(多分12日も入っているのだろう)、17年秋のツアー頃には
DVD化されるのだろうと思う。
会場の音響はともかく、演奏は素晴らしく、ご本人は当然なのだが、特にベースの美久月千晴氏のパンクな演奏は、双眼鏡越しで見ていてもちょっと感動する位だった。

他の人は余り注目しない分野かもしれないが、ちょっと普通のアプローチではないがさりげなくて素敵で相当パンクなフレーズを連発しており、聴きモノだった。今後も彼の演奏には目を離せない。

また、キーボードの小島良喜(この方は元KUWATA BANDのメンバー)も気の利いたアドリブをチョイチョイ聞かせてくれていた。
もちろんドラムスの山木氏やギターの長田氏、今堀氏、コーラスのKynnさんたちもいつもと変わらずの高度に安定した演奏を聴かせてくれていたのは、最後のメンバーへの拍手の大きさを聴いても分かるものだった。



メンバー:
長田進/G
今堀恒雄/G
美久月千晴/Ba
山木秀夫/Dr
小島良喜/KEY
Kynn/Cho
****/Cho(名前知りたい)



2019年にはアンドレカンドレでのデビューから数えて50周年になる陽水さん。
考えてみれば凄いキャリアだ。68歳でまだツアーしてホールを満員にしているんだから・・。
双眼鏡越しに彼の姿を見ながら、自分が中学高校生時代、彼にどれほど憧れていたかを
改めて思い起こしながら演奏を堪能した。あれから長い時間が経過したが、その彼はまだ現役のステージにいた。
彼に憧れに色々な夢を見ていた中高生時代、毎日勉強部屋でフォークギターを抱えて演奏していた数々の曲をこの夜演奏してくれたのだが、私には涙ものの選曲の数々の感想は、ツアーも終了したので以下に追記致します。

ここ数年、陽水さんのライブに来るようになり、昔と違う点はMCの多さだろう。少なくとも昔の陽水さんは殆どMCをしなかった。だからここ数年気の利いたMCを聞いていると、陽水さんってこんなに話の面白い人だったんだ!?という感動がある。 前回のツアーでイタリア系の高い洋服店でシャツを買った際、ジャケットを勧められた時のエピソードはDVD化されたライブ映像の特典にもなっているくらい面白い話なのだが、ここ数年の陽水さんのMCは本当に奇妙に面白い。

さてライブの方だが、ここ数年前半部の曲は80年代からのナンバーが多い。その後70年代なんかを取り交ぜてくるのだが、今回は「ゼンマイじかけのカブト虫」を演奏してくれたのが私にとってはとても心に沁みた時間だった。この曲が好きだった当時は高校生くらいだったが、そこはかとなく切ないメロディーと歌詞にいたく魅かれて毎日家で演奏していたものだ。かなり後年になってからこの曲がビートルズの解散をモチーフにしたことを知り、歌詞の中身を理解するに至ったのだが、ライブで聴いたのはこれが初めてだったので、曲を聴きながら実家の自室の当時の光景が脳裏に浮かんでは消えた。また「限りない欲望」も同様に好きな曲で、こうした古い曲群は、本当に私の青春のページを紐解いてくれた。

さて、実は、「Good Luckツアー」ってタイトルにひっかかっております。
おいおい、まさか・・・、Good Luckなツアーじゃないよね・・って。
陽水さんのことだから「Good Luckツアー」はシャレだと思うのだが、陽水さん、シャレでお願い致しますね。


5月11日のセットリスト:
1 この頃、妙だ
2 Pi Po Pa
3 フィクション
4 青空、ひとりきり
5 Tokyo
6 移動電話
7 5月の別れ
8 自然に飾られて
9 ワインレッドの心
10 女神
11 瞬き
12 ゼンマイじかけのカブト虫
13 心もよう
14 Just Fit
15 リバーサイド ホテル
16 つめたい部屋の世界地図
17 限りない欲望
18 氷の世界
19 勝者としてのペガサス


アンコール
20 アジアの純真
21 夢の中へ
22 夏の終りのハーモニー





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K-POPのライブ動員とSNSとギャラの関係について [ライブ・コンサート]

ライブ動員とSNSとの関係について


ネット時代になって色々と面白い事が判ってきた。
読んだ後、そんな事当たり前じゃんって言われそうなので、
予め新発見ではないことを断っておく。

ちなみに既に気が付いている人もいると思う。
でもこれをちゃんとまとめた人は初めてかも・・・と思っている。
でも、母数が少ないので、本当は大学サークル辺りでキチンと
定量的な検証があれば、もっと確実な事が分かると思う。


昨今、音楽業界はCDメディアのビジネスが崩壊している。
1997年をピークに右肩下がりなので、今更なのだが、
いよいよ本当に終わると思う。
多分我々のようなレコード世代が殆ど金銭的にも寿命的にも
買えなくなる10年以内がレコード会社の寿命だろう。
ゼロにはならないだろうが、会社として維持できるほどの
マーケットサイズは無くなる。

さてその代替ビジネスがライブ産業だ。
もはやミュージシャンはライブが出来ない人以外はほぼ食えない。
また集客の出来ないミュージシャンも食えない。
ミュージシャンの収入は、過去にヒット作を大量に持っていて
その累積による印税で収入をカバー出来る人たちを除いて
ほぼ動員数に依存している。

さて、本論だ。
ネット時代になり、SNSメディアを利用し、特に本人発信が可能な媒体には
多くのファンもしくは興味をもった人たちが集う。
私はミュージシャンにしろ、タレントにしろ、そういう発信メディアに集う
無数の人たちと、リアルビジネス(ライブや講演会等)に何らかの関連性が
あるのでは?と思っていた。
私は現在K-POPと2.5次元関係の仕事をしている。
K-POPと2.5次元はネット住人と親和性が高い。
しかし実際にライブを開催するとなると、動員数の読みがいつも課題となる。

そこでネット住人の動向と動員数に関連性がないかを考えてみた。
その中で一番使いやすく調べ安かったのはツイッターやインスタグラムだ。
特にツイッターはフォロアー数も分かり、また分析ツールもあるので分かりやすい。

そこで、K-POPと2.5次元関連を調べある関連性を記しておこうと思う。

(方程式#01)

K-POPにおいて、「メンバーが書き込む」公式日本サイトのフォローア数の
10%が日本国内における下限動員可能数(1ツアーの総動員数)だ。
なお、この確率は約85%で、例外は15%程度存在する。
下限動員可能数とは、少なくともその数は動員できる。
U-KISSは日本フォロアー数約13万件に対して、日本での動員数は約1.3万人だ。
ちなみにSEVENTEENは、日本フォロアー数約19万件に対して2月のツアー動員が5万人だったので、
フォロアー数以上と言えるが、下限動員可能数の1.9万は遥かに超えている。
但し、理論値を大きく超えているアーティストは、超えた分が「バブルな人気」の恐れがあるため要注意だ。つまり実力値を超えているとも言えるのだ。この辺りは研究が必要だろう。
なお、VIXXは、フォロアー数11万件で動員数は約1.1万人だ。
例外は、超新星でフォロアー数4.3万件で、日本の動員数が2.0万人あり、
こういうケースも存在する。

(方程式#02)

K-POPにおいて、メンバーが書き込む公式韓国サイトのフォローア数の
1%が日本国内における下限動員可能数(1ツアーの総動員数)だ。
なお、この確率は約70%で、例外は30%程度存在する。
韓国で売れないと日本でも売れないと業界で言われているが、
この感覚はこの点において証明されていると言える。
U-KISSは韓国フォロアー数約48万件に対して、日本での動員数は約1.3万人だが、
0.48万を超えている。SEVENTEENは、韓国フォロアー数約112万件に対して、日本での動員数は
5万人だったのでこれも理論値の1.12万人を超えている。


(方程式#03)
K-POPにおいて、メンバーが書き込む公式韓国サイトのフォローア数が
100万件を超えると、動員数とは連動しなくなる。
100万件のにおける下限動員可能数(1ツアーの総動員数)は10万人だが、
100万以上になると、過去に累積内から離脱者が出ている可能性が高く、
また新規が積み重なるため入れ替えがあり、実動員への影響が少なくなるとみられる。
韓国で100万件を超えるとドームやスタジアムツアー公演の可能性が見えると言ってよい。
ちなみに、防弾少年団は、韓国のフォロー数が422万件だが、日本は96万件で、動員数は約7万人だ。
422万件あっても、動員数が比例する訳ではないいい例だと言ってよい。


(方程式#04)

韓国のツイッターフォロアー数が41万を超えると韓国国内での人気が目に見えて明らかになり、
日本での人気の可能性が俄然と高くなる。
何故41万が有効なのかについては不明。
但し、超新星はこの例に全くはまらない。


(方程式#05)

2.5次元系(ツイキャス等で活躍している人たち)は、フォロアー数の1%が日本国内における下限動員可能数(1公演当り)だ。10万フォロアーがある人は1000名までの会場ならライブ開催の可能性があると考えられる。
なお、2.5次元に親和性のある人たちは、ネット上での興味を持つが、リアルへの
参加比率が極端に少ないと分かる。
但し、数名で行うライブ開催においては、出演者全員のフォロー数を足した数の1%には必ずしもならない。場合によっては興味のないアーティストの出演に対して拒否反応が出るので、要注意だ。これはK-POPでも同様。


上記方程式で大きな欠点があるとすれば、1人のファンが何度も会場に足を運ぶ比率については補足出来ないという点だ。フォロー数から導きだされる理論下限動員可能数を大きく超える動員があるグループの場合、動員数の中に1人のファンが何度も会場に足を運ぶ比率について分からないと真水のファン数が読み取れない。
またツイッターの場合、1人が複数アカウントを持っていてそれらを全て使った場合を想定すると、
フォロー数と人間の頭数は必ずしも一致せずとなる。
ただし、ツイッターのフォロー数を利用することで、全く的外れなマーケティングにならない確率は上がるのは確かなようだ。

上記を違う言い方にすると、K-POPは動員数の10倍余りのポテンシャルユーザーが存在し、
2.5次元系は100倍存在すると言ってよい。
ただ、実際にビジネス対象となる真水の範囲がどの程度なのかはまだまだ議論の余地がある。
また日本のアーティストの場合、SNSに親和性のあるファンが多い人たちであれば、
本方程式を上手く使う事で人気の尺度を見る事が可能だろう。
但し、山下達郎さんのような人たちにはこうした尺度は当てはまらない。彼の1度のツアー動員数は約10万人だが、ツイッターをやっていたら70万から100万程度のフォロアーがいる可能性がある。
そういう意味で、上記方程式が通用するアーティストは、2008年頃以降を境に出てきた
アーティストが中心となるだろうと思う。
 
最後にライブのメイン出演者のギャラについてちょっとだけ法則性を語ろう。
ライブを開催する際、 ライブのメイン出演者のギャラの設定に悩んでいる人は多いだろう。
実は目安がある。
総売り上げに対する メイン出演者のギャラが20%以下とすることだ。
出来れば10%から15%の間で折り合えるのが適切だ。
20%を超えてしまうと、演出面や制作費関連を削らざるを得なくなる。20%は、ステージ上の全出演者を入れた位の設定となる。
また当然だが、主催の総売り上げは「(チケット代-チケット手数料)×販売数」になる。
チケット手数料は、大抵3~8%程度であり、決して軽くない。
1つの目安としてだが、チケット代が8,000円を超えるようなアーティストの場合、
動員1000名に対して払える上限ギャラは100万円程度が妥当と言える。
国際フォーラムA(4500名)だとすれば、売上は約3,300円程度(手数料控除後)だ。
動員1000名=100万円の法則で言えば、450万円でギャラ率は13.6%。500万円としても15%程度となる。
武道館辺りでかなり満員にしても9,000名程度だ。チケット代10,000円でも売上は、8,200万円程度だ。 
動員1000名=100万円の法則で言えば900万円程度が妥当となるが、これで10%程度。15%程度まで考えれば1,200万円程度までが許容範囲だろう。つまり、900~1,200万円の中で金額が折り合えばビジネス出来るというものだ。
とある売れ筋のK-POPタレントの横浜アリーナのライブは、満員だったが、出演者のギャラは、1ステージで1,600万円だった。これはチケット収入の13%程度だったと思う。この設定はかなり妥当性が高い。但し、日本以外のアジア圏では、2000万円以上を支払う国があるのは事実だ。この辺は研究したい部分だ。

ある韓国の俳優のファンミでは、総売り上げの35%を支払っていたが、こうなると主催者は殆ど利益を出せなくなってしまう。 そういう設定を飲まないと開催出来ないという不利を承知でも、ビジネスとしてはやらない方が良くなってしまう。
また、韓国のK-POPの事務所は、日本のライブにおいて、結構驚くようなギャラ提示をしてくるが、だいたいは、上記の法則の倍以上の要求をしてくるため、まともな感覚で言えば日本側がリスクを負っての開催は殆ど不能だ。
 
さて、2017年5月、こんなニュースがネットに出ていた。

★翌週に控えた「SHINHWA」の日本公演、突然の中止発表… 「SHINHWA」側は法的対応も辞さない構え  
 
ツアー関連のサイト:
 
幕張メッセ(動員0.9万人) で2日間(1.8万人)の開催を計画していたようだ。招聘は日本法人だが、社長は韓国人だ。
 
KARMS: 
 
資本金500万円の会社が、メッセでライブイベントやろうと言うのだから尋常ではない。少なくとも億単位の制作費がかかるが、外部からの調達資金で賄っているのだろう。共同主催のThe Booming Companyは何の会社か全く不明。 
 
さて、SHINHWAの韓国のツイッターのフォロアー数は、14万だ。 
https://twitter.com/shinhwacompany 

もうかなりのベテランなので、今の日本の若い層には忘れられたグループかもしれないが、本国ではそれなりに固定ファンがいる。
私の方程式に照らしてみれば、 可能動員数=14万×1%であり、1,400名程度だ。かなり上振れても2,000~3,000名が限界だ。今の神話の動員数限界は中野サンプラザ級だろう。払えるギャラも200万~300万円だ。
今回の設定キャパである1.8万はその12倍の設定ということだ。私の想像だが、チケット発売をしたが、想定を超えて売れなかったのだろう。しかしメッセは押さえてしまっており、チケットは発売され、主催はニッチもサッチも行かなくなったに違いない。予定していたギャラも払える状態でなかっただろうし、経費だって同様だ。
報道情報だけでも両者間に相当な揉め事が起きた事が伺われる。神話の事務所は被害者だが、日本で1.8万も動員できると考えるのは、マネージメント会社としても現実を把握していなさすぎだ。
これも想像だが、このキャパ設定をしたのは、事務所の提示したギャラが2000万円程度だった可能性が考えられる。主催からすると、このギャラを回収して利益を出そうとすれば、動員数が約2万と設定したいからだ。 おまけに彼らのライブは演出が派手だから舞台制作費も相当かかるだろう。

もはやK-POPバブルの様相だが、この規模のライブで躓くと、会社が飛ぶ可能性だってある。
マーケットのリアリティーを無視すると、興業は恐ろしい結果を生む典型例になるかもしれない。

私の方程式を知っていれば、こんな初歩的な事で躓かなくて済んだのにと思う。
お気の毒様。 

私も気をつけよう。







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ちょっと残念だったエリック・クラプトン / プレーンズ、トレインズ&エリック ~ ジャパン・ツアー 2014のDVD) [ライブ・コンサート]

エリック・クラプトン / プレーンズ、トレインズ&エリック ~ ジャパン・ツアー 2014(Blu-ray)

エリック・クラプトン / プレーンズ、トレインズ&エリック ~ ジャパン・ツアー 2014(Blu-ray)

  • 出版社/メーカー: ヤマハミュージックアンドビジュアルズ
  • メディア: Blu-ray

エリック・クラプトン / プレーンズ、トレインズ&エリック ~ ジャパン・ツアー 2014のDVDを買って見た。実際に現場で見たのは2014年2月28日(金) 日本武道館 19:00開演というものだった。現場に行って驚いたが、最前列のど真ん中・・・。クラプトンが数メートル先に鎮座していらっしゃった・・という席。
DVDを見ていたらほんの一瞬、私の姿も垣間見れた。ちょっとうれしかった。

本DVDは、本人、メンバー、UDO関係者などのインタビューにライブ映像を挟んだ音楽ドキュメンタリー映画の形式だ。インタビューを含め、なかなか興味深い内容だったが、非常に残念な点がある。

それは、武道館のライブ映像だ。正直言ってヒドイ代物だ。あれは誰が指揮して撮影したのだろうか??というほど私にはヒドイ代物と感じた。カメラマンの腕もヒドすぎるし、スイッチングもヒドイしディレクションもヒドイ。
具体的に言えば以下である。

(1)センターのクラプトンのアップは、何故か本人が下手に寄った位置にある。普通本人をセンターに置くだろう。多分ギターのヘッドが右寄りに映るのをカメラマンが嫌ったんだと思うが、見ていて気持ちの悪いが画面構成だった。ギターのヘッドが右寄りになっても切れない範囲でセンターに置くのが定石。

(2)下手の客席後ろから移動して撮影しているカメラマン。このカメラマンが一番ヒドイ。薬でもやっていたのか??
まともに撮影されている映像が皆無なのに、多数のカットが編集で挿入されている。運動会を撮影しているお父さんよりヒドイ。ステディーな映像は皆無だし、1秒として安定していない。ズームもへたくそ。ヒドイ時はクラプトンが画面センターを大きく外している上に、画面が揺れて見難い。
このカメラマン、何を主題に画面構成しているのか全く理解し難い映像のオンパレードだった。センスの欠片のないカメラマンだし、これを挿入しているディレクターのセンスも理解できなかった。
 
(3)下手からクラプトンを中心に撮影しているカメラマン。ズームを多用するのだが、全く音楽のタイミングと会わず、また出たとこ勝負ようなズームのため、主題を撮り切れていないため、いつも映像が中途半端。下手なのでクラプトンファンの見たい演奏部分があるのだが、このカメラマンにはそのセンスが感じられない。
 
(4)正直言って、武道館を撮影し、編集したチームは相当に反省して頂きたい。クラプトンに全く興味がないか、もしくは興味もないし、音楽的なセンスも全くない人が映像ディレクションしたんだろうな・・と感じる映像だった。撮影費が幾らだったのかはわからないが、クラプトン様の最後のツアーを残すための撮影チームとしては、あまりにも腕とセンスが悪くないかね。だからこのDVD、武道館だけが見難いため、全体に集中できなかった。
あれはまさか日本人の撮影隊なのか? そうでないことを祈るが、DVDに撮影チームのクレジットがなくて分からなかった。 

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2015年1月から12月の間に見たライブと公演関係のメモと老後の楽しみ。 [ライブ・コンサート]

2015年1月から12月の間に見たライブと公演関係のメモ。
(一部仕事絡みもあるが・・・)

音楽業界で仕事をしていた20代~40代前半(実は今でも関わっているが・・)は
アーティストのスケジュールに縛られたり、意外と金銭的に余裕が無くて
自分の見たかったライブに行けない時代が長く、仕事で見るライブ、または
関わりのあるライブ、運よく誘われたライブ以外には行けなかった。音楽業界にいて不思議な状態だったのだ。
だからこの年齢(50代)になって随分と自分の見たいライブが見ることが出来るようになったのは私の人生の中で叶えたかった事の1つであった。
それでも金銭的制約や時間的制約(加えて体力的制約)などもあり全てを網羅する訳にも行かない。2015年は私の通常からするとかなり見た部類に入り、来年以降はアーティストにもよるが少しづつ抑制的になると思う。
私の世代を彩った1世代上近いアーティストは、特に海外の場合、なかなか日本に来ることもままならない。あと5年もしたら彼らの来日数は激減し当然年齢的にクオリティーも落ちるだろう。
(それでも亡くなる2年前に武道館で見たジェームズ・ブラウン/当時70歳/のライブパフォーマンスの素晴らしさには度肝を抜かれたが・・・)
10年後は皆無になる。また日本のアーティストも見るべき程のパフォーマンスを維持している人は限られるため、自ずと行く人も限定的にならざるを得ない。
そういう意味で、自分の人生を彩ったミュージシャンの輝く姿を見る事が出来るのも、相当余裕を見てもあと10年は無さそうだ。また若いミュージシャンで見るに値する人は大変に残念ながら多くはない。その中でも黒木渚さんはちょっと注目しているが・・・。

2015年はポール・マッカートニーの再来日と武道館公演があり、これはこの年の1つの象徴的な公演だった。72歳のポール、時代とのシンクロもあるが、こういうスーパーミュージシャンはもう出てこないだろう。
武道館公演のチケット代は流石に高かったので4万円の席で良かったが、8万円の第三希望が当たってしまった・・・。まあ人生の記念ってことで行きました。でもライブ自体は前日の東京ドームで見た方が座席的にも視覚的にも落ち着いて見れたせいか、良い印象があった。
武道館の方は余りに客が盛り上がっていて一緒に歌うヤツ、関係なく叫んでいるヤツなどが多く、従ってポールの歌が聴きづらく、またロックコンサートに不慣れな客も多く、そういう意味ではポールに武道館は小さすぎたし思ったよりも楽しめなかった。

美輪明宏さんのロマンティック音楽会と黒蜥蜴(演劇)は以前から見たかった演目であったため実現して良かった。美輪さんの持つ独特のオーラや表現力に触れた事は私の人生にとって大きかった。

サザンオールスターズは変わらずパワーがあり、演奏、演出は円熟味を増し、他の追随を許さない凄さを感じた。デビュー直後の1978年を振り返るとここまで息の長いアーティストになることは想像出来なかった。

IDINA MENZELは例の「Let it go」で一世風靡した歌手だが、私は例の映画をまだ見ていないが彼女の歌は本当に素晴らしかった。日本のミュージカルファンは彼女を「RENT」のキャストで認識していたようだが、多くの客がRENTを歌えていたのは驚いた。

BOZ SCAGGSは実は初めて行った。70歳を超えた彼は流石に枯れていたが、それでもとても素敵だった。

Charさんも遂に還暦。カッコイイ還暦ロッカーだ。そのお祝いの武道館ライブは数々のゲストが来たが、やはり彼の演奏がダントツに素晴らしく永遠のギターキッズを絵に書いたような感じだった。本当に素敵なロックギターリストだ。

ALFA MUSIC LIVEは、ある意味私が一時期関わった時代と場所であり、ALFA MUSICのあった田町の5階のビルから見えたボーリング場と数々の名作を生んだスタジオの映像が蘇る時間だった。アルファのAスタジオの空気が懐かしい。
(ついでにある時、昼飯に頼んで届いた餃子と中華丼が仕事の進行の理由で食えないまま帰らざるを得なかった事も思い出した)

ホール&オーツ、4年振りだっけ? 難点だったのは座席がアリーナだったため、1曲目から客が立ち上がった事で立って見るはめになったこと。また私の前にいた男2名が比較的背が高かった事。私も背が高い方だが結構邪魔になった。
おまけにこの2名は2人して自分たちの世界に入り込んでいて、演奏中なのに大声で話をしたり、不規則に動いたり叫んだりで落ち着かないため視覚的にも邪魔だった。
最近ロックコンサートに変なヤツが沢山来るよな・・と思う時間だった。
何故か演奏中にずっと喋っているヤツとか、無関係に奇声を上げるヤツとか突然スマホのメールチェックするヤツとか。そういう客が周囲に居ると残念ながら演奏に集中出来ないので行っても結構哀しい結果となる。
武道館は1か2階南の1列目から5列目辺りで見るのが最高だな。アリーナならBブロックの1列目だな。それでも武道館で見るならもはやアリーナ席は嫌いだなと思っている。1F南が最高だろう。

桂歌丸師匠は、ご病気回復後の公演だった。会場には結構若いお客さんも多く、落語の幅広い人気を感じた。
80歳を超えて現役の師匠の落語は円熟味があり楽しい時間を過ごせた。

6年ぶりの横浜アリーナでのエルトン・ジョンのライブは時代を生き抜いたロックレジェンドの凄みを感じた時間だった。単独公演は初めてみたが、多分見納めになるんだろうと思って見ていた。

井上陽水さんは中学時代からの私の憧れだ。「傘がない」がキッカケだった。
2014年には「氷の世界ツアー」を行い、今年は「UNITED COVER-2」でのライブだ。
ここ最近は歌唱方法が円やかになり更に素敵な魅力を発している。
それにしても素晴らしい声と歌、そして曲を持った人だ。喋る声も素敵過ぎる。男の私が言うのも変だがウットリする。

山下達郎さんのライブは1980年12月のRIDE ON TIMEツアーからなので早35年の付き合いだ。
彼のライブだけは1980年以降、毎ツアー最低1公演は見てきた。しかし私はタツローマニアの中でもうるさ型じゃない。年齢を経るごとに、余り理屈をこねることに生きがいを感じないからだ。そういう意味で人の価値観に余り興味はなく、共有する場合でもかなり慎重だ。
山下達郎さんの音楽に始めて触れたのは「DOWN TOWN」だがコンスタントに聞くようになったのは1978年の「Go Ahead」というアルバムからだ。当時私の周囲で山下達郎さんを知っていたのは4人だけだった。
仲間内では、こんな最高の音楽が一般に浸透しないのが全く理解出来ない!!と息巻いていたが、それでも彼の音楽は素晴らし過ぎて世間的には売れないだろうな・・という感覚もあった。従って1980年にRIDE ON TIMEが売れた時は複雑な気持ちになったもんだ。
ここ数年は私と同世代の親の影響なのか若いお客さんも増えてきて公演のチケットが取りにくくなってしまったが、達郎さんも芸歴40年。

2015年のツアーからそれまで数十年に渡ってコーラスを担当していた女性2人の交代があった。
ファン連中の間ではちょっと話題だった。
交代の真相は我々には分からないが、明らかだったのはコーラスの音像が明らかに80年代に近くなったということだ。声は年齢の影響を受けやすいため、若い年齢のコーラスにした気持ちはわかる。
しかし長年維持していたポジションの交代を告げられたお2人の心の内は想像に域を出ないが、プロの世界とはこういう厳しさが厳然とあるし、達郎さんも音楽の質を維持し生き残りのために必要な措置を講じるという厳しい姿勢は、ともすれば長年の付き合いで馴れ合いになりがちな仕事仲間に対しても、決断せねばならない時があるという事を見せつけられた思いがある。

いずれにしても達郎さんが、私にとって相変わらず素晴らしく、私の永遠のアイドルである。

あと、2015年のライブ鑑賞の最後となる12月22日の中野サンプラザは見る側の私としてはちょっとコワゴワという感じだった。達郎さんにとってサンプラザは業界関係者や昔からの煩いファンが多く集まり余りやりやすい場所じゃないと公言しているからだ。
実際数年前に同じ場所で見たツアー最終日(5月だったっけな?)では前半部冒頭のMCで前方の客が何か言ったらしく、「そういう事言うなら あんた、帰りなさい!」と一喝。
客席内が氷ついてしまったが、長年見ている私は「あ~あっ・・」って感じだった。ああいう客がいるだけでライブを台無しにしてしまうのだ。
しかし今回会場内は、今までには見た事がないほどの女性のお客さんが居て、達郎さんにこんなに女性客っていたっけ??という程だった。演奏冒頭はいつものようにちょっと険しい表情で客層を見ながらの演奏で、双眼鏡越しに表情硬いなあ・・って思いながら見ていた。おまけに座席が1階のPA席の7列程度後ろだったため、2階の天井がかぶっていたせいか、音がデッドで、サンプラザってこんなに音が地味だっけ?という感じだった。達郎さんもMCの中でサンプラザの音がデッドだと言っていたが、私の座席の音はそれ以上にデッドな感じだった。(前の月にみた神奈川県民が2階席で音的にも会場鳴りも凄く良い印象があったかもしれないが・・・)。
逆に演奏パーツが物凄く良く聴こえたが・・。
何度もサンプラザに行っていたが、ホールの鳴り方っていうのは座る場所によってこんなにも違う事が分かり、難しいもんんだな・・と体感した日だった。
それでも演奏は続き、8曲程終わった時のMCで「今日のお客さん・・・、イイワ・・」とボソっとおっしゃった。
その後何度も何度も「いやあ、今日のお客さん、本当にいいわ・・。」と繰り返し、私の達郎さんライブ参加史上、最もお客さんを褒めたライブとなった。
やはり女性客の存在が大きかったのかな? あんなにライブの雰囲気が良くならこれからも女性に沢山来て欲しいな・・・。
当然演奏も興が乗り終盤に向かって円熟味を増し、私も演奏に没入していった。
私の前の座席に人の頭が大きくて視界が遮られて演奏に集中出来ない不幸はあったが、結果的に素晴らしいライブだった。終演22時。いつも通りタップリの演奏。(まだ聴きたいが・・)
中野の商店街で夕食を取り帰宅。ずっとホンワカした夜だった。

達郎さんも言っていたが私(たち)は音楽の良い時代に恵まれたと言って良いだろう。ミュージシャンの質も音楽の質も高く、音楽と人生が良い具合にシンクロしてくれた。
ホントに良かった。

東京に住んで37年。
高校生まで田舎暮らしの私にとって東京で起こるイベントは遠い存在だった。
東京の大学に行こうと思った理由は、東京で起こるイベントを身近にしたかったからだし、音楽業界は東京にしかなかったからだ。
お陰さまでその恩恵には随分と恵まれた。
東京に住んでいなかったら体験出来なかった事は多い。そういう意味で東京の文化集中度は驚くべき量と質だ。
いつか田舎に戻り地味な老後を迎える日まで、心おきなく東京で起こるイベントを楽しむつもりだ。
ライブで楽しめる質を持ったミュージシャンたちもやがて高齢化し消えて行くだろう。
美術絵画もある程度まで見る事が出来れば十分だろう。それでも興味は尽きないだろうが・・・。

(観に行ったリスト)

01月24日(土) ハ・ジュウォン ファンミーティング(中野サンプラザ)
01月30日(金) 美輪明宏 ロマンティック音楽会(五反田ゆうぽーと)
04月27日(月) ポール・マッカートニー (東京ドーム/OUT THERE2015)
04月28日(月) ポール・マッカートニー (武道館/OUT THERE2015)
05月26日(火) サザンオールスターズ (東京ドーム/葡萄ツアー)
06月04日(木) IDINA MENZEL (武道館)
06月11日(木) BOZ SCAGGS (渋谷オーチャードホール)
06月15日(月) Char 60歳 Rock+(武道館)
07月20日(月) キム・ジェウク ファンミ(舞浜アンフィシアター)
08月30日(日) ソ・ジソブ ファンミ(中野サンプラザ)
09月12日(土) 黒蜥蜴(演劇/池袋芸術劇場)
09月23日(水) NU'EST BRIDGE TO THEW WORLD(舞浜アンフィシアター)
09月27日(日) ALFA MUSIC LIVE(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)
10月07日(水) BORO in パラダイスカフェ(馬車道)
10月19日(月) ホール&オーツ(武道館)
11月14日(土) 桂歌丸(横浜関内ホール)
11月16日(月) 山下達郎(横浜県民ホール)
11月18日(水) エルトンジョン(横浜アリーナ)
12月05日(土) 井上陽水 UNITED COVERE-2(国際フォーラムA)
12月08日(火) 防弾少年団(横浜アリーナ)
12月22日(火) 山下達郎(中野サンプラザ)


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井上陽水さん UNITED COVER-2 LIVE at 国際フォーラムA 2015年12月5日 [ライブ・コンサート]



井上陽水さん UNITED
COVER-2 LIVE at
国際フォーラムA



2015年12月5日(土曜日)17時10分開演。 


 

セットリストは写真の通りだ。ちなみに全公演のセットリストが出ているWEBがあった。便利な時代ですな。闇夜の国から、聴きたかったね・・。

http://www.livefans.jp/groups/66429



DSC_1297.JPG



2時間20分のライブはアッと言う間だった。



国際フォーラムAの長蛇の入場状況を見て、今日は本当の意味で満員だろうなと感じた。

満員御礼という会場入り口の表示は、多少情報を盛りがちにする芸能分野と言えども

今回の満員御礼は嘘ではないだろう。

DSC_1280.JPG





陽水さんは、1969年にアンドレ・カンドレという芸名でデビューしてから46年の芸歴となるが、未だに国際フォーラムA(キャパ5000人)が満員に出来るパワーがある。

今年67歳。凄いことだ。


長い年月を振り返っても井上陽水さんのような声の持ち主には出会っていない。

そういう意味で強力なオリジナリティーを持ち、風雪に耐え、現在があるのだろう。

年齢と共に歌唱方法を変えてきているが、

昨今の歌唱方法はシャンソンを感じさせる柔らかく包容力に満ちたものだ。

さすがに若い頃のような歌い方は難しいだろうが、風雪に耐えた現在の声と歌唱も

他の追随を許さない。


当方の年齢を重ね、若い頃とは趣味もテイストも変化しているのだが、

そういう意味でも陽水さんの音楽と声は心地よい。

今回はUNITED COVER-2というアルバムの発売に合わせた形のツアーだったが、

あの声で歌ってくれるなら、ある意味何を歌ってくれても素晴らしい。

それでも彼のオリジナル曲に人生を投影する多くのファンにとって

彼の作品はかけがいのない記憶を呼び起こしてくれる。
「傘がない」は私が陽水さんを最初に好きになるキッカケを作った印象的な名曲だ。ライブで聞いたのは久しぶりだったが、何度聴いても素晴らしい。

今回、最後の曲として歌った「結詞」は、アルバム「招待状のないショー」の中の1曲だが、自分の中学時代にあのアルバムを聞いていた光景が怒涛のように眼前に拡がり不覚にも思わず涙してしまった。俺も泪脆くなったもんだ。


2014年の「氷の世界ツアー」の最後の曲は、アルバム「二色の独楽」に入っている「眠りにさそわれ」という曲だったが、この曲も同様に心を揺さぶられたものだった。

MCで語っていたイタリアの洋品店で求めた高価なシャツの話は本当に面白かった。

陽水さんがお金を支払う際に”クラクラとした”というあのシャツ、一体値段は幾らだったのか?
それを言わず想像させるところがニクいな・・。


陽水さんにしろ、山下達郎さん、桑田佳祐さん、小田和正さん、中島みゆきさんなど素晴らしい日本のミュージシャンが輩出された同時代に生まれ、生きる事が出来たのは、ある意味幸運だった。


そしてさらに幸運だったのは、彼らがまだ現役で我々の前で素晴らしいパフォーマンスを展開しているという事実だ。

加えて今回陽水さんのバックで演奏していたミュージシャンたちの質の高さも素晴らしいかった要因の1つである。


ドラムの山木秀夫氏、ベースの美久月千晴氏、ギターに長田進氏と今堀恒雄氏、キーボード(シンセ)小島良喜氏、コーラス澤田かおり氏とfasun氏とレベルの高い布陣だ。

小島氏は80年代桑田バンドでも活躍していた方だが、年齢を重ねるに従い演奏が素晴らしくなる一方だ。山木氏は亡くなった青山純氏や現在でも活躍中の村上”ポンタ”秀一氏と並ぶ日本のドラマー界のベテランだ。

時折ふと、今の10代、20代を彩っているはずのミュージシャンたちは、30年後も一線で同時代を生きた人々たちの前で同じようなレベルでやっているのだろうか?と思ったりする。もちろんそういうミュージシャンも沢山いるだろう。

現代では音楽が時代を切り開く力を失っていると言われ、それは確かに事実だが、

それでも手前味噌な言い方をすれば、我々の時代の音楽は計り知れないほど人生を豊かにしてくれた。

今回会場内で「クラムチャウダー」のCDを買い求めた。1984年のライブだが、油の乗った時代の彼の声、そして大村憲司氏のアレンジとギターは今聴いても凄いの一言だ。大村氏は1998年11月に他界したが、惜しいことだった。
このレコーディングのエンジニアが知り合いの大川正義氏だったのは今回初めて気がついた。あのオジサン、意外に良い仕事するな。

クラムチャウダー

クラムチャウダー

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC(BMG)(M)
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: CD

 

さて、今回の井上陽水さんのライブに行き、改めて私の人生を彩ってくれた音楽の素晴らしさを実感した。

出来れば若い人たちにも体験しておいて欲しい。圧倒的なプロとはこういう人たちだ・・ということを知って欲しいからだ。

もうこんなヴォーカリストに会うことはないだろうから。

12月はもう一人の私が尊敬して止まないミュージシャン、山下達郎氏のライブが控えている。陽水さんと達郎さんには共通点がなさそうだが、私にとってはある。それは「声」だ。私はずっと高い声を持ち唄が上手く素晴らしい曲が書けるミュージシャンが好きだった。特に「声」の占める割合は大きい。
陽水さん67歳、達郎さん62歳。どちらも還暦を過ぎ、しかし現役感を失わずに活躍している。そう考えると私の好みって意外と良いセンスをしていると言えるかもしれない。

UNITED COVER 2

UNITED COVER 2

  • アーティスト: 井上陽水,ジョン・レノン,永六輔,宇多田ヒカル,来生えつこ,岡本おさみ,松任谷由実,佐伯孝夫,浜口庫之助,北山修,ポール・マッカートニー
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/07/29
  • メディア: CD



 




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山下達郎様 Perfomance2015-2016 神奈川県民ホール(2015年11月16日) [ライブ・コンサート]

山下達郎様 Perfomance2015-2016 
神奈川県民ホール(2015年11月16日)について。

グダグダした個人的感想のみです。

本ツアースケジュールは以下から見れます。

http://www.livefans.jp/groups/67711?

今回、2F上手寄り方向から見ました。9列目だったので、最前列であったのは幸運。

本当に素晴らしかったです。
私は、1980年12月以来、毎ツアーを見ている、ある種「古い客」ですが
今回のライブは選曲も含めひときわ良かったです。
私は達郎さんがライブでおっしゃるような湿度の高い古株じゃないので、
いつも何を演奏しても楽しんでおりますが、
今回は色々な意味で楽しかったです。

まず、歌が素晴らしかった。
もちろんいつも素晴らしいのだが、
何かちょっと憑依的に凄かった。何と言えば良いのか・・。
元々凄いんだが、その上の凄さだった。
どうしたんだろう???・・・って位でした。
(これは他の多数の人が指摘していましたな・・)

最初の曲から良かったが、最後までずっと良かった。
2日連続の公演の2日目だったので、ちょっと心配もしてたのだが、
関係ありませんでした。
とても62歳とは思えない発声であり、歌でした。
声は年齢と共に衰える訳で、30代と同じ訳はないんだし、内心ご本人には色々な部分があるんだと察する部分はありますし、もちろん達郎さんの30代と比較すれば、違う評価もあるのだが、声艶は、ここ最近では一番良い感じに思えましたな。

演奏はいつもに増してもちろんいいのだが、今回新しいメンバーとして参加したコーラスの女性2名、素晴らしかった。あの音像、音色は新鮮だった。
(佐々木さんたちが悪かったという意味じゃないです・・。ここらは表現が難しい・・・)
80年代の音像に戻ったと言ったらいいのだろうか?
そういう感じでした。長年ツアーを共にしたコーラスの佐々木さんらをリストラするという事は、多分簡単な決断ではなかったと思います。される方だって辛いのも想像がつくしね。
それでもコーラスの音像が新鮮だった点は客として聴いていても分かる位だったので、そういう事か・・と感じた次第です。

PAも良かった。余りに音の分離が良いので、誰か間違えたら全部分かりそうなほどだった。
ベースがハッキリと聞こえていたのはグっときたし、ヴォーカルが物凄く明瞭だったのも素敵だった。
デジタルコンソールのせいかな? 最近音の直進度が上がったせいか、アナログ時代のモワっとした音像ではないよね。個人的にはもうちょっとドラムのスネアのピッチが低めにチューンされているか、低域がもう少しあると嬉しいが、私が判断することじゃないしね。この辺は小さい話です。

あと、お客さんが良かった。
達郎さんはお客さんの空気が結構演奏等に影響する部分がある方のようですが、
幸い県民ホールのお客さんはとても良い反応をしてくれ、楽しんでいたようなので、
演奏にも良い反応があったようでした。
達郎さんのパンフのコメントにもそういう趣旨が書かれていたが、
その見本みたいなライブだったかも。

誰かがTwitterに「若い人でミュージシャンを目指す人がこのライブを見たら、
とてもこのレベルに太刀打ち出来ないと夢を諦めるかも・・」と書いていたが、
まあ、本当にそうだな・・と思った。プロってすごいよね。
こんな人たち、他に居ないよな・・・。同じ時代に生きていてくれて感謝。

食わず嫌いの人には山下達郎さんの音楽はちょっと縁遠いかもしれないが、一度ご覧下さい。
こんなミュージシャン、他になかなか居ないですよ。

昔の人気の無い時代を知っている身としては、最近なかなかチケットが取れなくて困りものですが・・・。
できれば1970年代の売れてない達郎さんの時代に戻って欲しいが・・。
もう無理だね。

デビュー40年かあ・・。凄すぎるな・・。

ちなみに本ツアーにおいては、2015年の東京最終公演となった中野サンプラザ、そして2016年の東京最終公演となった3月24日のNHKホールにも行ってしまった私・・・。NHKホールは2日目だったが、中盤過ぎたところで「エヘン虫」が出てきて、珍しく唄にいがらっぽさが出る場面がほんの少しだがあった。冬の乾燥か・・・?
ご本人も気にしていたようで、この日はセットリストにないと思われる曲が追加演奏された。また2月に亡くなった村田和人氏を悼む演出もあった。
実際年齢的にも、あの高音を維持しながらの3時間半のライブは、なかなか負荷が大きいだろうな・・と思いつつ、今後も変わらずに頑張って欲しいと願った次第。2017年のツアーは春以降と言っておりましたが、その時は64歳。私も達郎さんもなかなかの年齢になってゆきますな・・。

ツアーも終了したので、セットリスト掲載しておきます。
多分合っていると思う・・・。

セットリスト

1.SPARKLE(いつもありがたいスタート)
2.DAYDREAM
?(ツアー序盤ではここで「Morning Glory」も演奏)
3.WINDY LADY
4.DOWN TOWN

?MC?

5.土曜日の恋人
6.Endless Game
7.風の回廊

?MC?

8.すてきなメロディー(ハルナさんとデュエット)
9.過ぎ去りし日々 “60's Dream”

?MC?

10.CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU(Frankie Valli)

?MC?

11.DANCER (久々に聞いた!)

?MC?

?ア・カペラ コーナー?
?12.CLOSE YOUR EYES(ツアー後半「CHAPEL OF DREAMS」)
?13.おやすみロージー-Angel Babyへのオマージュ-
?14.I ONLY HAVE EYES FOR YOU(ツアー後半「ANGEL」)

?(SE)WHITE CHRISTMAS?

15.クリスマス・イブ
16.希望という名の光
17.さよなら夏の日

?MC?

18.SUGAR
19.BOMBER
20.LET'S DANCE BABY(大滝さんメドレー)
21.アトムの子

?アンコール?

22.HAPPY HAPPY GREETING(さわりだけ)
23.いつか (SOMEDAY)
24.RIDE ON TIME (東京最終公演ではまりあさんも登場)
25.恋のブギ・ウギ・トレイン (東京最終公演ではまりあさんも登場)

26.一本の音楽[→]グッときました。
(会場によっては「LAST STEP」」
27.YOUR EYES

 

 

 

 

 

 


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吉田拓郎様 2014年6月30日 東京国際フォーラムA ライブ&全MCレポート [ライブ・コンサート]

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2019年春から初夏にかけて拓郎さんのツアーが始まる。
LFの「ラジオでナイト」を聴いていた人たちには、
ツアーまでの意気込みは理解出来ていると思うし、
このラジオで随分と拓郎さんの本音を知る機会もあった。
あそこまで正直なラジオは経験がない。

先日、彼のガンの再発の告白がありメディアでも取り上げられていたが、
この件は以前から業界内では知られていた事だった。
しかし当時の再発はご本人にはさぞかし重い事実だったと感じる。

それでも立ち直って2019年ツアーまで漕ぎつけてくれたのは、ファンの一人として本当に嬉しい。
でも同時に、これまでの私の人生を生きる中で、
ずっと同じ時代を生きてくれていた拓郎さんが、
いつかはお別れをしなければならない人でもある事を痛感もしている。
彼の人間なのだ。
そういう意味でも今回のツアーは、心構えが必要かもしれない。


以下は、2014年6月30日 東京国際フォーラムAのライブのテキスト再現だ。
ご興味があればお読みください。


吉田拓郎様のツアーに出向く。2012年以来2年ぶりだ。
幸いな事に東京国際フォーラムAで開催された2回分の公演を見る事が出来た。
初日は会場内に「谷村新司氏」を見かけ、最終日は奥様の「森下愛子氏」も会場内にいらっしゃった。
帰り際に森下氏がお知り合いに話しかけていた声が漏れ聞こえたのだが、
どうやら拓郎さんが参加する打ち上げ会場の食事が、(好き嫌いのある旦那にとって)大丈夫なモノか?を
心配しているような感じだった。

2012年以降のツアーは全てが関東近郊で、地方のファンが参加するにはちょっと大変な場所割りなのだ。
ご本人の弁では、今回のツアーくらいが丁度良いということなので、そういう事なのだろう。

さて拓郎さんも現在68歳。肺がんを患った時期があったが、ステージを見る限りもはや元気そのものだ。
それにまだまだカッコいい。あと何年やってくれるか分からないが、走りきって欲しい。
Don't Trust over30と言われた時代からローリング30を経て、まもなく彼も古希に突入だ。
団塊の世代のエネルギーには畏れいる部分が多いが、ずっと憧れの存在である彼らが
時を経てもまだ憧れの存在でいてくれる凄さに敬意を表しつつも、50代の我々も負けないように
生きて行きたいと思いつつ、このライブをテキストで振り返る。

スケジュール(首都圏のみ5公演)

6月30日(月)東京国際フォーラム・ホールA初日
7月4日(金)千葉県文化会館
7月7日(月)川口総合文化センター・リリアホール
7月14日(月)パシフィコ横浜 国立大ホール
7月22日(火)東京国際フォーラム・ホールAWOWOW収録(9/21放送)


会場は拓郎コールで熱気を帯びる。
とにかく会場は熱い感じだ。

1、今はまだ人生を語らず
2、今日までそして明日から
3、落陽
(以上3曲は総立ちになってしまった)


MC(初日)

もうコンサートのアンコールのような感じですね。
生も魂も使い果たしたような感じで。
それでは皆さんサヨウナラ。(客・笑)
もう十分でしょ。
え~、これから1時間、2時間ちょっとぐらい
あの~やるのですが・・・、
このコンサートの趣旨、趣旨があるんですよ。
このコンサートの趣旨は、北は埼玉川口から
南は神奈川横浜まで、広範囲に渡って廻ると・・
そういうコンサートです。(客・拍手)
こんなことやっているヤツいないんです。
みんな全国に行ってしまうんですよ。
全国なんで・・・。
もう流行ってないんですよ。
次回やるときは東京単になってますから。
もうこのバンドも、ツアーリハーサルやってて、
生も魂も尽き果てるように疲れ果てて
あ~、やっぱオレもアンマ若くないなあ・・と。
疲れが残る。
昔よくねぇ、死んだ父親と・・、
いきなり死んだ父親の話で申し訳ないが、
よく仕事から帰ってくると疲れが残るなあ・・って話で、
疲れが残るんですよ。
疲れが残るとどうなるか知ってる?
朝、起き難い。
そういう感じがあって・・・。
こういうことをずっとやっていると死ぬな・・と。

頭の3曲、これやるのに何日かかったことか。
これじゃないんじゃないかなァ・・とか思ったり・・。(客・大拍手)
こうやった方が、このバカ達が喜ぶだろうな・・とか。(客・さらに大拍手)
色々考えた結果、バカ達に意見を聞いて
こうやってみたんですけど。
実際はこうじゃない並びもあったんですけども、
色々バンドと喧々諤々やって、
多分これが良いって(皆な)思っているんだろう?(客・大拍手)
そういうことはどういうことかというと
これからは後は、相当良くなくなる訳です。


MC(最終日):

ここまでお送りしましたから、これでコンサートはほぼ終了したという感じで・・・。(会場笑)
これから後は、ゆったりとした気持ちで・・・。
お先にお座りになった方がいいかと思います。
別に立っていても何もあげられませんし・・・。

北は埼玉川口から南は神奈川横浜まで、広範囲に渡って
コンサートツアーをして参りました。
本日無事、千秋楽を迎えてということでありがとうございます。
振り返ってみると、長い年月でした。
たった5本とかですが、僕には良いとこだったんじゃないかと思います。
沢山コンサートをやる方もいらっしゃいますし、
それはそれで遠くから見ていると羨ましいな・・と。
そんな風に出来る人はいいな・・とおもいながら、
陰の方では”そんなにやることないんじゃないの?”って思ってたりしますが、(会場笑)
僕なりにこういうペースで・・・。
まあ、うまく行けは、来年もう1本位増やそうかな?(会場大歓声)
このペースで行きますと100歳位でやっと全国を廻れるということで、
廻っているだけで倒れてしまいますよね。
え~最後まで色々な曲を唄いますが、いちいち不満などを述べないように。
この曲を聴きたくないとか、そういう勝手な事をホザカなように。
どの曲も一生懸命聞いて、最後に隣の人と必ず良かったねと言いながら
帰るように。


4、爪(AGAINより)
5、たえなる時に


MC(初日)

去年のね、暮れだったと思うんですけどね
某、友人から、誘われて・・、一緒にテレビ出やんないかって
で、その人のまあ、割と我侭な人ですから、ですから、
なかなか言う事を利かない おかしなヤツなんですよ。
唄っている内容とはかなり違う・・・
で、そいつに、オレの意見も少しは聞けと、
そいで、そっちの唄って欲しいリクエストは分かったから、
オレの方からもリクエストをして、
お前ちょっと襟裳岬を一緒に歌おうと
彼がなんと言ったかと言いますと、
今回は止めておこうと・・・。
この今回は止めておこうっていうのはどういう意味なんだ?
次回があるのか?
次回なんかある訳ないだろう。
今回は止めておこうって軽く言われて、
あっ、そうってことで終わってしまって・・。
それから月日が流れて
今年の、つい最近でしたけど、また某人から電話がかかってきて、
この人は、どちらかと言うと、先ほどの人よりは、
融通が利くというか、融通が利く言うよりは主義がない。
それでまあ、お会いして、それで、
色々、こういう曲をやってもらいたいというリクエストがあった。
まあ、良いですよと。
それでもう一度ボクも、襟裳岬を一緒に歌いませんか?と言っだんです。
そしたらこの方は、良いですね、歌いましょうよと。
これを皆はどう考える?
この断った人と素直に引き受けた人と、どっちがどうなんだ?
これをよーく家帰って考えてみてね。
これ今日の宿題にしとくから。
素直に受けた人もいい人、断った人もいい人なんだけど、
そこでボクはどっちが悪人だって言う気はないんだけど、
ただ単なる違いになったよね。
今度はやめとこうという人と良いです唄いましょうという人と。
どう考えるかは皆さんの胸の中で考えてみて。
帰り道で、アンタどっちが好きとか・・。
それでは、襟裳岬。


MC(最終日)
1970年位にね、広島って所から東京に出てきたんですけどね、
そん時からずっと(カッコ)良いんですよ僕は。(会場笑と拍手)
(今日の僕を見て)カッコ良いなと思っていらっしゃる人がいたら
大きな間違いで、1970年ちょっと過ぎた頃に広島から出てきた時”から”カッコ良いのです。(会場歓声)
去年の暮れの事でしたけども、ある人物からお誘いが受けまして、
え~と、一緒にやらないか?っていうお誘いを受けて、
身に余る光栄だと思いながらも、1つ歳下なのに随分態度の大きい人だな・・と思いながら、
どうすりゃあいいんだ・・、彼の事務所で話を聞きました。
あれとこれとこれをこれを唄って欲しいという一方的なリクエストで、
ああ、あれとこれとあれとこれね・・。
で、オレとしてはこれを一緒に唄いたいなと思っているんだけれど、どうなの?という風に、
ある日リクエストしたんです。
で、彼が言っていた4曲っていうのは、まあ、彼がどうしてもやりたいって思った曲なんですが、
僕としてはもう1曲僕のやりたい曲があった。
で、僕は、え、「襟裳岬」っていう曲を・・彼に・・・提示したんです。
「どうだろう? 小田君」(本人・会場笑)
「どうだろう? 襟裳岬一緒にやらないか?」って聞きましたら
本当に予想道りと言うか、剣もホロロに、
「今回は止めておこう」とすげなく言われてしまいました。
まあ、いいや。そういうなら無理にやってもショウガナイや、
仲良くすることが一番だ。
そのコンサートを無事終了し、大変な好評を頂いて、
僕の事務所にも沢山若い女性からも、素敵でしたという葉書が来ていて、
中の1通だけ、”吉幾三さんと違うことがハッキリ判りました”っていうのがあって、
倒れそうになりましたが、今までオレの事を吉幾三だと考えていたとしたら
どう考えればいいんだ・・。
そうこうして時間が経つ時に、もう一人の人から誘いがありまして、
一緒にやりませんか?って。
え~、僕はこの人を遠くから見ていたことはありましたが、
余り近寄った事がない人物でしたので、
ン~、どうなんだろうな・・、内容的にはどうなの?って聞いたら、
6曲歌って頂けますか?っておしゃったんです。
ははあ。
さっきの方は4曲で、こっちは6曲かと・・。
6曲ってのは惹かれるなあ・・て思って。
丁度このコンサートが始まる前だったので、良い練習にもなるなあと・・。
それで余り得意な方じゃけど引き受けてみようと思ってその彼と話して、
何と何を唄えばいいの?ってまた同じように聞いたら、
あれとこれとあれとこれの6曲ですと・・。
ああ、6曲ね。
あの・・・、襟裳岬はどうかな? 一緒にやりたいんだけど?って言ったら彼は、
「いいですね!やりましょう!」と言いました。
今日会場にいらっしゃった皆さんの判断にお任せ致しますが、
前者と後者、どちらが良いヤツなんでしょう?(会場笑)

6、襟裳岬
7、僕の道
8、慕情

MC:(初日/声援飛び交う)

子供の頃にね・・・、子供の頃には体が弱くて
学校も半分位しか行かない、学校に行っても皆から
冷たくされるような感じの子供だったんですけど、
それが・・
(ここで拓郎さんに当たっていた頭上のピン照明が一瞬落ちて暗くなってしまった)

真っ暗になってしまいました・・・。

お化けが・・出た。(客笑)

今話していて、真っ暗ん中でやっていると
ボク、馬鹿みたいでしょ。まあ、バカなんですけど。

まあ、その頃、そんな弱かったヤツがですね、
嬬恋って所で朝まで唄ったことがあるんですよね。(客拍手)
それで、当時の同級生の人たちからすると、
やっぱり信用できない・・。
まさかあの弱虫だった吉田拓郎が、
朝までやるぞ、朝まで唄いますってバカじゃないかって位だったんです。
それでまたボクが篠島っていうところでまた、
朝までやってしまうんですね。(客拍手)

それで何となくクセになったんですね、朝までやるのが・・。
その後また、朝までやるぞっていうのが、85年かなんかの・・。
これまたこの間朝までやろうと思ったら、流石に朝まで出来なくて、
夕方終わってしまったんです。
この辺りから自分の体力の限界っていうものを感じるようになったんですが、
やっぱり人生って言うのは面白いもんで、
凄い病弱で、貧弱な体で、みんなから爪弾きにされていたようなボクが、
人前で、ここ東京国際フォーラムで、ここ凄い会場ですが、沢山(客が)入ってくれて、
これを何っていうんですか?
超満員っていうんですか?(客拍手)
こういう所で堂々と歌う、ボクの素晴らしさね。(客拍手)
もう、なんかね、自分で唄いながら酔いますね自分に。
なんて素敵なんだろう・・・。
♪貴方がいた・・・(客大拍手)
こういうなんか、やっぱり人生っていうのはやってみなきゃ分かんないので、
人生は大事です。
多少、最近客席が乾いてきましたけど、
昔のね、20代、10代のウエットな拍手っていうのが昨今聞かれなくなりましたが、
カサカサな音ですね。
これから何かやれることがある・・・、やってみないと分からないですからね。
そろそろ引退とか思っている人がいましたらね、
(そういう考え方は)止めて、直ぐに歌手になるとかね・・
ハハハ!!(大笑い)
嬬恋で朝までヤルゾ!ってね、そういう気持ちだけは・・・。 


MC:(最終日/声援飛び交う)

ここはどこなんだ・・。(客笑)
子供の頃の吉田拓郎は病弱な子供だったんです。
小学校とか、まあ、中学校もそうでしたが、
学校はほとんど半分位しか行かない・・。
ほとんど家で寝ている病気がちな子供で、
非常にクラスの子たちから冷たくされ、
学校の先生から鞭で叩かれ(客クスクス笑)
あの、鞭でピシッ・・、痛い・・。
(ちょっと甘ったれた声で)やだァ・・痛いィ・・。(客怪しい笑い)
違う世界ですけどね、今の・・。
(更に甘ったれた声で)ピシッ・・、やだぁ・・。痛いィィ・・。
(バンドのメンバー爆笑中)
はは、全然違う世界ですけどね。まあ、そういう感じで、
学校では余り優しく歓迎されていない子供だったんです。
それがね、東京へ出てきて70年ごろですけど、見る見る元気になってゆく、
これは不思議なもんなんですけどね、
東京なんかでこうやって歌を唄ったりすることが、あろうはずがないと、
自分に出来るはずがない、最初はそういう弱気な気分でいたんですが、
体がだんだん元気になってきて、
やれるかもしれないと思い始めるんですよね。
そうすると何となく世の中が開けてくる。
で朝までコンサートをやったりすることが
1度、2度、3度と行われてですね、(客拍手)
そして、4回目位になると夕方で終わってしまったんですけどね。(客笑)
そういうコンサートが出来るような体力が身に付くんですよね。
こりゃ不思議な事だと思います。
だから僕が今、年齢的に言うともうハッキリ言って70が目の前に見えてきているんですけど、
まあ、本当の事は言わないんですけど、70が見えて来ているという事からすると、
元気・・ですよね。
だからこれはねえ、ワカラン。
何が起こるか判らない。
今客席にいらっしゃる皆さんも、概ね、そんな・・、若い人もいるかもしれませんが、
それは数少なく、概ね・・イッちゃっている。(客笑)
そういう人たちの、よく、あの明日目が覚めた時に、
あの、僕はサプリメントの宣伝をしているんじゃないんですよ。
明日目が覚めた時にオルニチンが良いとかそういう事を言ってるんじゃないです。
シジミが良いとかですね、あんなにシジミが食えるかって思うんですが、
それでそういう物に頼らなくても、何か目が覚めた時に、
いい事がありそうな気がする・・。
若い時はあったでしょ。
目が覚めてね、アパートに住んでいてね、20代の頃、
自分の住んでいたアパートのドアをパっと開けて、
表に出た瞬間に、今日は何が起こるんだろう?
何か良い事が起こりそうだ!
今日は何があるんだろう・・っていう好奇心みたいなものがパッとあったんです。
最近なかなか無くなったでしょう。
今日も何も無いな・・と。(客笑)
そういう感じがあると思いますが、これはね、ある日、
何か起こる可能性があるんですよ。
みたいな話をしていると、非常に説教臭いでしょ。
こういう話をするのは好きじゃないんですから、
とにかく僕も、若い頃、ちっちゃい頃、ダメだったヤツが、
こうなって、今やこのフォーラムで歌が唄えるっていう位までに
なってしまったんですから。(客拍手)
人生は判んないです。
喋りながら何となくこんなヤツいるよねえ・・、あの、フォークとかいうヤツに。(客笑)
なんか、嫌いだよね、ああいうの、嫌い、嫌いだ!
(MC突然終わる・・)


9、夏休み
10、シンシア
11、裏街のマリア(AGAIN)

MC(初日)

ボクは、もう何十年も唄ってますけど、
考えてみれば20幾つの時から
まだ何も知らなかった時代、
エレックレコードというトンでもないレコード会社に居た時ですが、
その頃からカッコ良かったです。(客拍手)
こんな事は自分で言うしかないんですよ。
え~、1年半前、コンサートにいらっしゃった方は、
いらっしゃったんでしょうけども・・・(客拍手)
そん時にチケットにあぶれたと・・・
色んな、ヤフオクとかで悪さしているヤツがいるねえ・・・。
ああいうのは良くないっすね。
来れなくて、今日初めて見るって言う人は、
前回の、ボクがお話したお話を
興味ないと思います。
またするのかと思う方もいらっしゃるかと思いますが、
しない事には、先に進みたくないんです。
で、何の話かと言うと、
とある、ひなびたバーがあります。(客拍手)
ボクが一人旅をしているわけです。
コートの襟を立ててです。
そのバーにボクがコンバンワ
って入ってゆきます。
カウンターがあって、そこにお客さんが
2人座ってらしたんです。
で、まあ、何となく飲んでたんです。
モヒート。ヘミングウェーが愛したという
モヒートというカクテルを飲んでたんです。
ラム酒で美味しいですよ。それをボクが飲んでいて・・。
こっちの2人は多分、サラリーマンで
年の頃は、40代から50代位なんです。ええ。
で、向こうの1人が、”アレ? 吉田拓郎さんじゃない?”
”エ? 分かります?”なんてね、和気藹々となっていってね、
一緒に飲みましょうか?ってんで、3人で飲みながら、
ボクが2人の人たちに質問するんですよ。
”若い頃、20代の頃ってどんな感じの若者だったんですか?”って。

そしたら1人の方が、
”いやあ・・、悪いヤツで暴れん坊で言ってみればアンタみたいなもんだよ”って言うんで、
”とにかく悪い事ばっかりしてました”って感じだった。

で、もう1人は、”今は茶髪なんですが、20代の頃は静かな学生生活を送っているような、
実に真面目な生活をしてました”とかなんか、
話をしてたんです。
そこでボクとその2人が話をしているっていうところまで1年半前に話したんです。(客笑)
この続きは次・・・。


MC(最終日)

だから、1970年に東京に出てきた時からカッコ良いんだって。(客大歓声)
丁度1年半前に、コンサートを、北は埼玉から南は横浜までのヤツを4箇所でやっだんですけれども、
そん時に、あの~、フォーラムの初日があったんですね。
僕、まあ、話は全然関係ないけど、この会場は好きだな・・。(客大歓声)
僕は、ここ好き。(客拍手)
なんか、やりやすいんだよ。
なんか、気持ちがいい・・、ここ。
いるだけで。
凄い幸せを感じる。

それでねえ、その時に、話たんですけども、
その時いらっしゃった方は、うる覚えになっているか、
もしくはDVDとかにちょっと入っているんですけども、
それがその後、どうなったかという話を、
誰も知らないんです。
それで、どういう話だったかというのをまずちょっと掻い摘んで。
あのね、一度聞いた人は、また言ってんのかと思うでしょうが、
どういうことかというと、とあるバーがあるんです。
とあるバーが・・・。
それは割とひなびた感じのバーが良いと思います。
それで、この近所だったら、余りひなびてないので、
少しどっか港の方に行って、
え~、江東区・・・。

何にも東京の地図の事知らないで言ってますので、
とにかく、港があるとこ、ベイサイドバー。
そういう感じの所に僕が旅の途中で立ち寄るんです。
カッコ良いでしょ。旅をしている吉田拓郎。
こんなに絵になる男はいないですねえ。
それで、え~、ちょっと季節的には、秋深まりつつある。
秋深し隣は何をする人ぞ・・。
関係の無いことを言っているんですけど(笑)
それで、あの~、バーに入って行くんですね。旅の途中で。
コートの襟を立てて。
コートの襟を立ててご覧よ。男は様になるよ。
襟を立てただけで全く様になる。
襟を立てただけで何か考え事をしているように見えるっていうのがあるね。
で、バーに行って、カウンターがあるんですが、
カウンターに川崎君と横山君と座っているんですね。
それ僕が名前を知っているんじゃありませんよ、後から知るんですが、
入って行って
”こんばんわ、通りすがりなんですけど、1杯頂いて行ってよろしいでしょうか?”
”あっ、どうぞ、お客さんどうぞ。カウンターに座ってください。何なさいますか?”
”そうねえ・・僕、最近好きなモヒート、頂けますか?”
モヒート、ご存知の方もいるでしょうが、ヘミングウェイで有名なカクテルです。
ヘミングウェイに肖っているんです。
ヘミングウェイ位は知っているよね(会場笑)
それ知らないと辛いよ。
それでモヒート頂いて飲んでいる内に、
こちらの山田君と大川君が・・・フフフ
そんなこと一々気にしないでいいだよ。(笑)
歳の頃なら50過ぎ位、丁度客席っぽのかな?
それで、え~何か話してた。
聞いていると、2人共、何か最近面白くねェなあ・・とか、
そういう話をしてる。
ああ、大体同じようなもんなんだなあ・・と。
それで一人の、こっちのね、梅田君がね、”あっ貴方吉田拓郎さんじゃないですか?”と言うんです。
そりゃあんたね、違いますっていうのも変ですからねェ。
”えっ、僕吉田拓郎です。通りすがったもんですから、ちょっと頂いてます”
”あっ吉田拓郎さん、貴方も随分長くやっているけど、もう85位ですか?”(会場笑)
何言ってんだこの梅田・・。
その、2人話しているので、僕もちょっとそちらに入っていいですか?
仲間に入れてくださいよ、折角だから。
良いですよ、3人で飲んで。
で、僕が、2人に質問したんです。
あの、若い時、お2人はどんな若者だったんですかね?って言ったら、
1人の人は、凄く暴れん坊で、ヤンチャで、学生の頃から
女の人の尻をおっかけ廻すようなね、お酒飲んだら直ぐ喧嘩する、
誰かに似ているっちゃあ似ている(会場笑)
そういう感じの若者だったと・・。
もう一人の人は、正反対に実に実直で真面目に会社に通い、
どこにも寄り道せずに家に真っ直ぐ帰る。
それをひたすらやって行くっていうサラリーマン生活を送っている。
片っ方は暴れん坊だった。
そんな話を聞いていて、ナルホドナア・・色々な人生があるんだなあ・・って思い、
今、皆さん50歳位で、どんな感じなんですか?・・
若い頃に願っていた事とか叶ったりしたんですか?と聞いたら、
”どうなんだろうね・・色々あったからねえ・・色々ありますからね生きていると・・”って言いながら、
吉田拓郎はそこで、”スイマセン、お勘定して下さい”言って、バーテンさんに2895円払った。(会場笑)
そこまでが前回までの話なんだよ。


12、気持ちだよ(AGAIN)
13、サマータイムブルースが聴こえる

MC:(初日)

それでね、そのバーで
皆、お互いの健闘を祝して
これからも頑張ろうぜと・・別れて・・外へ出る。
すると、まだ季節の事を言ってなかったな。
その頃季節は秋・・・だったんです。
少し、こう、肌寒い風も吹いてくる。
またコートの襟を立て・・。

絵浮かべてくれているかな?
コートの襟を立てた吉田拓郎が・・・(女性客:カッコイイ!)
おお(と重めの返事)

小林旭か石原裕次郎かって・・古いなしかし。
少し上を見上げるんだな・・。ボクがね。
イイネェもう!
見上げると、ビルの谷間っていう言葉分かる?
ビルの谷間。胸の谷間じゃないよ。
むちゃくちゃだな・・。(笑)
ビルの谷間に月が見える。
どう?
月が見える。まん丸。 まん丸でいい?
その月を見ながら、ああ、オレも今年で幾つなったんだろうな?
64かあ・・。来ちゃったなあ・・。
と空を見上げながら道路の石ころを蹴るんだよ。
絵浮かべてる?
蹴った時に、ちゃんと真っ直ぐ歩いてきたかなオレは?
良いセリフだなァ。
もう、吉田拓郎って、何でこんな良いセリフが出てくるんだろう。
真っ直ぐ歩いてきたかな?
ずっとオレが若い時から追いかけていた自由っていうのはあったんだろうかな?
良い詩だねェ・・・。


MC:(最終日)

そのバーを出て、その2人の、え~木下君らに別れを告げ、
いつまでも元気で・・と別れまして、
バーの外へ出て、
夜もだいぶ更けて来て、こう、ビルの谷間があって、
また少し寒くなって来て、
”おう、寒いなあ・・”・・・演技ずいて、
”(演技調の言い方に変えて)オウ、寒いなあ・・”
”オウ、「オウ」がいけないな・・”
”オウ・・・、OHWOO・・”
”OHWOO寒いな・・・”
何人だか判らなくなったよ。
”OHWOO、寒いなぁぁ・・・”

で、空を吉田拓郎が見上げる。
(しみじみと)良い絵だねえ・・
もう自分で陶酔し切っているからね。
空を見上げるとビルの谷間に月が出ている。
月ですよ。
これがまた何とも言えないもの。
月なんだな・・。
ん、まん丸じゃなくてちょっと欠けている感じ。
上弦の月で・・。(観客拍手)

(ギターを弾き始め唄い出す)「浴衣の・・・、(キーが)高いなこれ・・」(観客拍手)
ビックリしたわ。
こんな高い曲唄ったの、初めてだわ。

そして「旅の宿」を1コーラス唄った。(観客大拍手と大歓声)1:32:40

今日は気分が良いからやってあげたんだよ。

月なんだよ、月を見て、ああ、この月も若い頃見た月も同じ月なのかな?
お月さん、お月さんってのもね、ちょっと時代がかっているけどね・・(笑)
長い間ボクを見てくれていてありがとう。
月に礼を言う吉田拓郎なんだよ。
素敵だろう?
礼を言いながら視線を下に落としたね。
路上に、道路にちょっと・・、石ころみたいなものが落ちてる。
石ころを蹴るんだな・・ボクが。(蹴るマネをする)
(会場内女性:カッコいい~/カワイイ)
今、思ったよりも足が上がってない事が判った・・。(観客拍手)
蹴るわけよ。
と石がコロコロって。
その転がって行く石を見つめながら、ン~俺もこういう歳になって来たなあ・・。
若い頃、石蹴っり、月見たりしたっけな?
やあ、俺が若い頃、さっきの人たちじゃないけど、
どんなヤツだったかっていうのを良く考えてみると、
大したヤツじゃねえなあ・・・。
こんなんなちゃって、どういう人生だったんだろうなあ・・何て事を考えてしまったんだ。
(暫く無言の間があり観客がザワツイタ笑いをする・・)

ん?聞いていてくれた?(観客拍手)


14、全部抱きしめて
→途中でメンバー紹介。LIVE2012と同じ形式。2回に分ける
Drums:河村"カースケ"智康
Percussion:玉木正昭
Bass:松原秀樹
Guitar:渡辺格
Chorus:大嶋吾郎、今井マサキ、宮下文一
Guitar:鳥山雄司
Keyboard:武部聡志
 
15、わしらのフォーク村
16、淋しき街


MC(初日):(声援飛び交う)

最近のねえ傾向っていうか、
みなさんの、まあ、若い人はないんですが、
ボクなんか、メガネが必要となってきたんですよ。
なってきたんでというか、まあ、随分前から必要だったんですが・・。
ピンポ~ンって宅急便かなんか来たら
あわててメガネをおでこかなんかにポっと乗せるでしょ。
それで宅急便のおじさんに出て行って、お幾らですか?
2872円です。
72円・・、72円だとすると、2875円ならあるんですよ・・。
あっ、それで結構です。助かります。
皆さん、宅急便屋さんにはお釣を少なくした方が喜んでもらえますね。
何の話をしてるんだ・・。
喜んでもらえるんですよ・・お釣を少なくすると。
助かりますって、嬉しいでしょう。
あっ、この人は助かったんだな・・って。
それでメガネを忘れて、メガネ、何処行ったっけ?っていう事件が
よくあるんですよ。
そういう時はメガネを探すのなんのってね。
いつもあっちこっち探して、メガネが無い。
ずっと、何処行っちゃったんだって思って、
鏡を見ると、おでこに掛かっているってあるでしょ。
そういうなんかね・・・、あの、
あってはならない悲しい出来事とか、あるんですよ。

それから話がコロっと入れ替わりますけど、
先ほどメンバー紹介しましたが、
今日ここに集まって来てくれているミュージシャンは、
本当に優秀なミュージシャンを集められたなって思ってます。
日本屈指の人たちで・・。屈指っていう字、判るね。(客笑い)
もう、ベストのミュージシャン。
ベストの人たちを集めてベストを尽くそう。
それで皆がベスト(チョッキ)を着ているです。(客笑い+拍手)


MC(最終日):(声援飛び交う)

音楽をやっていると、とても素敵な時間が持てるんですよね。
だから、僕も音楽をやっている時が大好きですけど、
運良くスタジオに入ってレコーディングをする時とか、
こういうライブをやるときに、
あの、ミュージシャンたちが協力してくれて、
そして彼らが凄く、やっぱりこう、暖かい気持ちと熱い気持ちと優しい気持ちと
色々な気持ちを僕に送ってくれるので、唄も一生懸命唄えるし、(観客拍手)
それから、やっぱり音楽も頑張って行けるので、
とても一人でやって行けることでは有り得ないのですけれども、
もう、こうやって唄いながら、
ああ、暫く彼らと会えないなあと思うと悲しいよねえ・・やっぱりなんか。(観客拍手)
そういうなんか、何となく皆に支えられているっていうのが、
昔はこんな事言わなかったのになあ・・。
オレが一人でやっているんだ、バカ野郎聞け!って感じだったのに、
今はありがとう皆さんっていう感じなんですけれども、
あの、後ろに今、居てくれる、ミュージシャンたちは、
本当に僕、ベストなミュージシャンだと思っています。(観客大拍手)
それはもう皆さんお判りのように視覚的にも「ベスト」なミュージシャンなんです。
(ミュージシャンたちが全員ベストを着用しているのを見せる)(観客大拍手)
ベストですから!
ベストね。
判る?
判ったね。”ベスト”なミュージシャン。


17、アキラ(AGAIN)
18、僕達はそうやって生きてきた

----アンコール

19、こうき心(弾き語り)
20、アゲイン(未完)(AGAIN)
21、春だったんだね
22、純情(AGAIN)


最後の曲の終盤は、拓郎さんが長い長いお辞儀をして去って行く姿が印象的だった。
時代を作ってきた彼の長い音楽活動の終盤とも言えるキャリアにおいて、
彼はどんな気持ちでいるのだろうか?
そしてその彼に多くの人が自分たちの気持ちを重ね合わせて見ていることだろう。
次回のライブを楽しみにしております。


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井上陽水 氷の世界ツアー NHKホール 2014年5月23日 [ライブ・コンサート]

井上陽水 氷の世界ツアー NHKホール 2014523

MC記録


陽水.jpg

 

1974年発売から40年、氷の世界ツアー。初日に続いての2回目の参加。

6月末にスカパーで「井上陽水 氷の世界ツアー」の放送があったが、この放送版は522日収録分だ。


ところで、初日に行った私は最初は気付かなかったが、この日はギター陣の入れ替えがあった。

正確に言えば今堀恒雄氏が安田裕美氏に代わっていた。今堀恒雄氏は陽水さんのツアーのレギュラーギター陣なので体調不良だったのか?

また今堀恒雄氏はエレキも演奏する人なので、ギター陣のアレンジが変更になったはずだ。ただ、「氷の世界」のオリジナルアコースティックギターは、安田裕美氏なので、彼の演奏のステージで聴けるのは、非常に貴重であり、有難い部分ではあった。

さて、このブログを公開するという前提が、氷の世界ツアーが終了しているという事だったのだが、6月下旬になって、秋から本ツアーを再開する旨が発表された。

多分「氷の世界」以外の部分に大きく変えて再登場するだろうから楽しみだが、本ブログ2014年上期の本ツアーの内、523NHKホールで開催されライブに関して記録を留め、特にMCについての記録を主としたい。口語体を再現しているので、読み難い部分があるがご了承を。

「氷の世界」には、様々な記憶や思い出をお持ちの方々が多いだろう。私もその一人だ。客席で全曲を聞きながら、思わずギターの握りを確かめていた自分がいた。

星勝氏監修のギター本も会場で買って久しぶりにギターを手にしてしまった。

1:五月の別れ

2:感謝知らずの女

3:水瓶座の夜

 

MC

えっと皆さん今晩わ、井上陽水です。

えっと、なんか、新緑の5月も余すところ1週間ぐらいになってきましたけど・・

そんな感じで皆さん、如何お過ごしなんでしょうか・・・? 
ご機嫌は如何なんでしょうか・・・?

えっとまあ、5月と云えば、やっぱり頭の方のゴールデンウイーク、非常に爽やかで、休みも沢山あって素晴らしい、5月の頭にありますし、6月になれば、梅雨なんか始まって、それなりの、まあ、外国なんかによってはジューンブライドとか言ってまあ、それなりのイメージもあるんですけども。今は、丁度中途半端な(笑)、どうなんだい?っていう季節なんだけど、ご機嫌は如何なんでしょうか?(笑)


まあ、その訳の分からない話で、御挨拶に変えようとしてますけど、えーと、今日はお集まり頂いたのは、他でもございませんが、あの~、私事になりますけども、あの~40年ぐらい前に、「氷の世界」なんていうアルバムを出しまして、皆さんのご支援に感謝しながら、話を続けてますけど、えっと、まあ、そういうのが40年程前にありまして、それなりになんかこう、話題になったっていうか、まあ、謙虚に言うんですけど、それなりに一部で、超話題になったっていう、謙虚が一番ですから・・。まあ、それで、あの~、あれなんですよ、アルバム「氷の世界」を全部聞いて頂こうっていう事で、今日お集まり願った訳なんです。


えっと、(会場より井上!の掛け声)まあ、やや被ってしまうんですが、(笑)えっと、まあ、40年も前の事なので、もう、なんかお若い方は何の事かお分かりにならない事があるかもしれないんですが、まあ、年配の方って言うか、高齢者は、(笑)あれがね、俺の私の青春だった・・まあ、そういう事などを思い出して頂きながら、楽しんで行って頂きたい訳なんですが・・。まあ、おいおい、行きますとして、あの、最後まで、御支援とご声援をよろしくお願いしたいと思います。



氷の世界全曲演奏スタート:

4:あかずの踏切り

5:はじまり

6:帰れない二人

7:チエちゃん

8:氷の世界

MC

えっと、40年ぐらい前って言うのは、なんで・・40年前の話をしているかっていうと、氷の世界なんです。40年ぐらい前に発売されて、それで、まあ、その頃は、なんか、日本中旅して、ちっちゃな会場とかお店なんかで、こう、本当に旅してましたね。丁度その頃は、唄を聞いて欲しいとか、覚えて欲しいとかいう、あの、スタッフのフォローだったんですかね。でまあ、後ろに控えている安田裕美(アコギ)と一緒に日本中旅して、東京に帰る事も余りないみたいな生活をしていまして、それなりに苦労しているんです。(笑)

全然苦労だなんて思ってはいなかったんですけど、ただ、余りに駅弁を食べたので、気持ち悪くなってりしましたが・・。本当によく駅弁食べましたが・・。

その頃作ったと思われる曲を、思われるっていうのは、良く覚えてないんですよね。何処で作ったとか・・。えーと、次の曲は、あの、多分産まれて始めて人の詞に曲を付けて、作られた曲なんですけど、えーと、僕も知らない人ですけど、当時、小椋佳という人が詞を書いて、僕が曲を作ったみたいな感じなんですけど、まあ、アッと云う間に出来たような、そうしたボンヤリとした記憶はあるんですが・・・。そんななんか、構想20年みたいじゃなくて、30分位で出来たような感じで。だから悪いかっていうとそうでも無い・・。


9:白い一日

10:自己嫌悪


MC

え~、それでもあれですけど、あの~、当然私も20代前半の頃ですから、基本的にやっぱりあの~、なんか女性が気になるっていうか、何て言えばいいのか、なんか、恋をしているっていうか、遠くて思っているとか、そういうこう、恋愛感情みたいなものはありましたけど、え~とねえ、こういう世界に入ってきて、つまり音楽の世界に入ってきて、それはそれなりにダイナミックで、毎日がエキサイティングで楽しかったんですね。それまで2年半浪人してましたから~、

あの、まあ、それは可哀そうにって思もいになるかもしれませんが、今考えると、その2年半、大学受験の浪人をしていた頃は、ある意味一晩を楽しかったというか、生き生きしていたというか、親元を離れて、しかも学生では無かったですから、まあ、こう、何て言うんですかね・・、それなりの責任とかが、なんかような無い感じで、(薄笑)、今笑っているのは、全然予備校に行かなかったんで・・・(笑)。


まあ、そんなこんななんで2年半あったんですけど、それがまあ、2年後に、もうちょっと大学は無理かなと思って・・、あのベビーブームで凄く人が多かったんですよ。でなんか、倍率が38倍とかで、受かる訳ないじゃん・・・(笑) それで、まあ、曲を作って、地方局のラジオ局に持っていったら深夜放送で流してくれて、それがどういう訳か、レコーディングしようと・・。今じゃ考えられない位ラッキーな事があって。まあ、そんな事があった背景が、・・・なんか長いねえ話が・・。(笑)


何を言いたかったかというと、20代の真ん中辺りだったかもしれませんけど、それなりに女性に対しての色々な恋愛感情なんかを持ち合わせておりましたんだけど、と同時に、その、この業界で以ての、毎日がエキサイティングだったということなんですよ。(笑)

だからどうなんだ・・。(笑)


11:心もようへ

12:待ちぼうけ


MC


(水を飲みながら・・)

まあ、こうやって、皆さんの前で、皆さま、考えてみたらお客さんで、(笑)私がここに、高い所ですけど、ここに座って皆様に、なんでしょうか、エンターテインメントを提供しなければいけない立場の者が、何を水なんか飲んでいるんだ・・(笑)

この間、ウチの妻がね、ジュリエット・グレコっていう、もう、80歳の方のシャンソンの方なんですかね、僕、詳しくないんですけど、来日ステージに行って、その、妻が見に行ったらしいんですけど、帰って来て、“まあ、あなた凄いわよ、80歳で2時間シャンと立ってピアノとギターかなんかで、ずっともうやって・・・・、水なんか全然飲まないのよ”(笑)


えっと、次の曲はですね、なんですかね、えっと、レコーディングをやって、唄っていたし、途中で、なんかこう、あの、ナレーションっていうかな、セリフでもないだけど、ちょっとメロディーのない部分があるようなところで、それでレコーディングしていて凄く嫌だったんですけど、当時僕は若くてペイペイでしたから、あの年長のディレクターの方(多賀さん)なんかも凄くお節介で、もう、やるんだ!みたいな、え~マジですか? 当時マジって言葉は無かったんですが、(笑)

ホントですか?みたいな、まあ、それで、冷や汗ダラダラで、油汗なんかもかいてやったんですが、全然、何て言うですかその、役者では無いわけですから、ああいうこう、メロディーのない言葉っていうのが本当にこう、なんかもうダメでして、役者は逆らしいんですが・・。まあ、それでレコーディングが終わったんですが、それ以降っていうのは、人前で唄った記憶がないと思うんですよね。今回こう、全部やっるっていう氷の世界、それでまあ、今から皆さんに聞いて頂く訳なんですけど、まあ、っていうことを話しているっていうのは、その、またまたまた、非常に、この、貴重な物を今から聞かせるみたいな・・・。(笑)(この後不明)

本当にもう・・なんですけど、え~まあ、そんな訳で、唄った事が無いと思うですが、今は本当に色々な方がいて、“いやいや、そんな事はない”と“僕は聞いた事があるよ”、2~3そういう方も出て来るんですよね。まあ、これは真実は、何かっていう事がテーマになっているんですけど、僕の基本的な考え方は、「真実なんてどうでもいいんだ」って・・。(笑) 大事な事は目の前の事と、ドラマが盛り上がるかっていうことでして・・。


こんなに笑って唄なんて唄えるのかしら?・・・・。


13:桜三月散歩道

14:FUN

15:小春おばさん
16:おやすみ

MC

ありがとうございます。まあ、これで、あの~、氷の世界のアルバム、全13曲が演奏し終わりまして、皆さまいかがでしたでしょう? 

これで(舞台から)消え去るとねえ、なかなかなあ・・っていうライブだなあ・・、

悪くなかったよねえ~、と言いながら・・・、意外とあっさり終わったよね、(笑)


それでなんかこうね、特別な感じがこう、一生人の記憶に残り、思い出として残って、あのライブなかなかだったよあ・・、ホント早かったよね終わるの、折角皆さんのこの、宝に、思い出の記憶に残る所だったんですけど、私の器がチッチャイもんですから、もうちょっとお付き合い願いたいと思います。

もう少し、聞いて行って頂きたいと思います。次の曲は、なんでしょうかね・・。まあ、日本中あの、色々な所に、こう、時々見かけるような看板があって、それが川沿いの辺りにあるんですけれど、まあ、バレるんですが、また、多分皆さんご存じだと思うんですが、唄の唄い出しは“誰も知らない”。

17:リバーサイドホテル

18:ジェニーMy Love

 

MC

もう、天井落ちるかと思いました。沢山の拍手ありがとうございました。

楽しい時間も・・・、まあ、楽しい時間かどうかは、様々な時間が過ぎ去って、こう、流れて行くわけですけど、もうそろそろ、終わりっていうのを予感しなければいけない頃になったなあ・・ていう事をご報告するこの辛さ。まあ、そんな感じで、あとなんか、このお喋りで終わるっていうそういう事じゃないんですが・・。えっと、次の曲の説明するほどナンセンスな事はないんですが、散々してきましたから、もう、あと1個位やろうっていう感じことで、次の曲は、バブル期になんか、作ったような気がするんですけど、日本中が浮かれてて、その中で台頭する女性たちみたいな、そんな感じで、どうなの?なんて・・批判的な面もありましたけど、そんな気持ちで、え~、ちょっとそんなところで、多少、こう、突っつくって言うんですか、何て言うんですか・・・、ん~、突っ込むって言うか、なんか、私こうみえても少しSなところがありまして、ちょっとそういう気分で作った曲です。聞いて頂きます。

 


19:愛されてばかりいると

MC

え~と、私こうみえても、中高生の頃ビートルズが好きでして、随分なんか、ビートルズがいなければこんな仕事していないような気がしまして、なんか本当に夢中になったのが、あの~・・・、高校時代だったんですかね・・。そんでまあ、そうやってまあ、こう色々、聴いていたんですけど・・・。まあ、最近、ポール・マッカートニーが日本でライブやるはずだったんですけど、病気で、昨日の段階だと入院したとかで、え~!?とか言って、今日(の情報)だと、いや入院はしてない・・と、いろんな情報が錯綜している訳ですけども・・。まあ、身体が元気な訳ではないんだという気もしまして、え~、何て言うんですかね・・。回復を祈ってソング・・・とでも言いましょうか・・。ちょっと聴いて頂きます。


20:The Long And Winding Road

21:最後のニュース

22:いっそセレナーデ

アンコール:

23:Happy Birthday To You


イエ~イ!(星勝氏登場)

星勝氏:今日は良い日ですね。

陽水氏:ホント、皆さんのお陰で。その気持ちを唄に乗せて・・。

星勝氏:はい、やりましょうか。当時、大変だったですけどね。楽しかったけどね。ロンドンまで行って。

陽水氏:え~と、一緒になんか、曲を作ったり、アレンジをしたりした、その~ヒット曲。

星勝氏:あれ、よくね、曲聞かせてもらっている時に、コタツが・・。

陽水氏:コタツありましたね。はいはい。

星勝氏:みかんもね。

陽水氏:じゃあ、「夢の中へ」をやります。

24:夢の中へ

陽水:星 勝 イエ~イ! その後メンバー紹介

25:少年時代

大拍手


陽水:どうもありがとうございました。

26:眠りに誘われ


陽水:どうもありがとうございましたホントに。

終演。




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井上陽水 氷の世界ツアー2014 松戸森のホール21 大ホール(2014年4月6日) [ライブ・コンサート]

 

井上陽水 氷の世界ツアー2014
松戸森のホール21 大ホール(201446日)


 

140406陽水.jpg 

私は1959年生まれなので現在54歳だ。「氷の世界」の発売は1973921日。丁度私が14歳(中学2年生)の時だった。まだ連合赤軍という存在によって学生運動が終わりへと向かう時代だった記憶がある。
当時はアナログLP盤。レコード会社はポリドールで、値段は2300円だったと思う。毎月のこずかいが500円とかの時代だったろうか? 
だから2300円のLPはなかなか買える代物じゃなかった。多分だが、1974年の正月のお年玉を原資にして買ったんだと思う。

あのアルバムの写真やスタッフクレジット、歌詞カードは隅から隅まで舐めるように見て読んだ。今と違って当時は陽水さんはテレビに全く出ないので、動く姿を見る事が出来なかったからだ。長野県の田舎者の私には、レコードジャケットや雑誌のインタビューに掲載されている写真だけが彼の表情を知る唯一の方法だった。だから妄想に次ぐ妄想を可能とする時代だったと言える。


そしてとにかく聴きまくって唯一持っていた9000円で買ったアコギでコピーしまくったアルバムだった。コピーのための参考に楽譜も買った。
表紙が
LPの裏ジャケットを使ったものだった。譜面にない部分は耳でコピーした。
シンセサイザーという言葉も知らなかった。中学
23年は勉強もしないでこのアルバムと毎日暮らしていたと言って良い位傾聴していた。
最初に買った
LPは、聴き過ぎて音が悪くなったので、2枚目を買って聴いていたくらいだ。

最初にCD化された時、確か「自己嫌悪」が入っていなかった。「めくら」という歌詞が差別用語とされたためだ。
だから私はその後に「自己嫌悪」が改めて入った紙ジャケの
CD化の際に買った。なお、現在において、陽水さんは、この曲を唄い際に、「めくら」→「見えない」と歌詞を変えて歌っている。
当時、忌野清志郎の「忌野」ってどんな風に読むんだろうと思いつつ、大学生になってから、この方がRCサクセションのヴォーカルだと知った。
そして忌野清志郎さんという存在を知るにつれ、RCのメロディーや歌詞と「帰れない二人」のメロディーや歌詞のギャップに驚き彼の音楽に興味を抱いた。ちなみに清志郎さんは、本作のヒットで、当時500万円の大金を手にし、ほとんど全てを楽器に変えたと取材で答えていた。

今回のツアーは、5月の東京公演を見る予定だったが、我慢できずに千葉の松戸の初日に出向いた。東京近郊でチケットに余裕があったのがここだけだったからだ。松戸の会場は、写真を撮りに来た経験があり、地の利はあった。
3
階席の真ん中付近だったが、ユッタリ見る事が出来る会場で、ステージまでの距離感はそれほど感じなかった。実は開演前にスマホを落とし、行方が分からないまま開演したので、それが気になったためにちょっとライブに集中出来ない事情があったが、それでも本コンサートは初日とは思えない質の高さだった。初日でなおかつ松戸だったりするとゲネプロの延長線になったりする事も多く、パフォーマンスや照明、PAもジタバタしたりするものだ。客席からは余り気がつかない部分でそういう事があったにせよ、特に目立って気になる感じはなかった。ただ、欲を言えば、陽水氏のボーカル音量はもうちょっと欲しい気がしたが・・・。
開演し、ガラシャツを着た陽水氏が下手から登場すると会場が湧く。飄々とした彼の歌声は、本当に心に染み入る。
「氷の世界」のセクションに入ると、当時のレコード通りの曲順で演奏が開始した。特に「あかずの踏切」は変拍子の嵐なので、どうなるやらと思ってみていたが、さすがの演奏だった。ちなみにアレンジャーの星勝氏の監修で再発された本作のスコアーを見ると、「あかずの踏切」は変拍子ではなく、全編4分の4拍子だった。つまり変拍子を装った曲だったのだ。知らなかった・・・・。
「氷の世界」のどの曲が好きかというのは答えるのが非常に難しい問題だが、私が特に思い入れがあるのは「桜三月散歩道」だ。ギターで演奏する時は、
3カポのAmだったと思ったが、ちょっと切ない曲調や、ブルージーなサイドギターに魅せられた。学園祭でこの曲を演奏する時、セリフを語る部分は演奏上ちょっと間抜けな感じなった。ご本人の弁では、これまで演奏した事がないと云う事だったので、これが最初で最後かな・・という想いで聴いていた。
FUN」はギター1本で演奏して聴かせるのが難しい曲だった。帰れない二人は、当時の私の演奏技量をちょっと超えていた曲だったが、大好きな1曲だった。ステージを見聞きしながら、当時の勉強部屋で延々とコピーしていた自分を思い出しながら聴いていた。


今回のバックバンドは、ドラムの山木秀夫氏やギターの今剛氏の布陣ではなかった。多分福山雅治氏のツアーに取られたのだろう。ただコーラスの2人の女性、澤田かおりさんとLynさんのパフォーマンスは、素晴らしかった。彼女たちはそれぞれソロでも活躍しているということだが、かなり目を引いた存在だった。

陽水氏のボーカルは、50代後半から唄い方を変えてきているが、若い時とは違う洗練した声になり、違った魅力を帯びるようになった。ライブの1曲目は、彼らしいというのか、「えっ?」という感じがお楽しみだ。浜松の公演では、アンコールの最後の曲が、松戸のセットリストとは異なっていたようだ。聴きたい曲は沢山あるが、「氷の世界」ツアーではこれまで全く演奏されてきた履歴のない曲が多いため、一期一会という意味でもファンにはたまらない企画になった。

まだまだコンサートをこれから見る方も居らっしゃるので、セットリストはずっと下の方に置いておきます。伝説のアルバムの全曲ライブは、必ず記憶に残るものになるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

01.LOVE (John Lennon)  1970
02.感謝知らずの女             「断絶」1972 
03.水瓶座の夜         「UNDER THE SUN1993
04.あかずの踏切り       「氷の世界」1973
05.はじまり              
06.帰れない二人
07.チエちゃん
08.氷の世界
09.白い一日
10.自己嫌悪
11.心もよう             同 B
12.待ちぼうけ             
13.桜三月散歩道
14.Fun
15.小春おばさん
16.おやすみ
17.リバーサイドホテル      「LION PELICAN1982
18.ジェニー My love        「スニーカー ダンサー」1979
19.愛されてばかりいると     「LION PELICAN1982  
20.
嘘つきダイヤモンド       「嘘つきダイヤモンド」1995single)  
21.
長い坂の絵のフレーム     「九段」1998



アンコール
22.Happy Birthday        「二色の独楽」1974
23.夢の中へ            「夢の中へ」1973single
24.少年時代            「ハンサムボーイ」1990
25.いっそセレナーデ        9.5カラット」1984

ライブサポート:
Piano
keyboards:小島良喜 Chorus Synthsizer:澤田かおり Chorus PercussionLyn
Bass
:美久月千春 Drums:野崎真助 Guitar:今堀恒雄 Guitar:長田進 

 


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山下達郎様 Performance 2013ライブ記  [ライブ・コンサート]

山下達郎様 Performance 2013ライブ記       

         20131024日中野サンプラザにて


 

 

131026達郎ライブ (2-2).jpg
 

 

 

達郎さんのライブを初めて見たのは1980年5月3日に開催された中野サンプラザでのライドオンタイムツアーの時だ。あれから33年。私はまだ達郎さんのツアーを見ていた。ご本人も仰るように、齢60歳で現役ミュージシャンとしてサンプラザのステージで演奏していることになっていようとは当時では想像出来ないことだったでしょう。


54
歳になった私も、こんなに長く一人のミュージシャンの音楽に没頭することになろうとは思っておりませんでした。

会場は満員でした。一般発売の相変わらずチケットが取り難く、ファンクラブの私は何とか潜り込めたという感じでした。座席は305番という後列下手寄り。
今回のツアーからPA卓をデジタル機器に統一したようでした。
2012
年ツアーは冒頭こそデジタル卓だったが、演奏中の音の反響が気になり、パフォーマンスに悪影響があったということで、途中から旧来のアナログ卓に入れ替えたというのだが、今回は遂にデジタル卓で全ツアーを行うことになったらしい。達郎さんの事だから、随分と思考錯誤した結果なのだろう。
私に座っている位置だと左スピーカーの方の音圧が高目になるのだが、それでも耳が慣れてきて右の音も適度なバランスで認識出来るようになった。
デジタルPA卓だからという訳ではないだろうが、音は若干すっきりした感じの印象だった。昨年にも増して、各プレイヤーの音がキチンと聞こえたという言い方が適切だろうか?
特にドラムは生々しい感じでしたね。
音量も音圧も以前と比べて特に問題を感じなかった。

実は、個人的には、サンプラザでの演奏を聞く方が私の耳に合っている。NHKホールは決して嫌いなホールではないのだが、あのホールはクラシック寄りの設計をしているためか、ロック系の音楽を観客席の2階より上の両サイドのウイングで聞くと、大幅に音圧を失う傾向があるのです。
その昔アラニス・モリセットを聞いた時も、その場所での音圧がパワー不足で飽き足らないまま終わったという経験がありました。
達郎さんの場合も同様で、正面席では結構音圧を感じられるのだがウイング席に行くとそれを失ってしまうのです。これはPAの問題というより、NHKホールの設計による特性だと思われます。扇型に客席を設計しているためことで音圧が散逸し易いのかもしれません。
そのため達郎さんのライブの時は、出来るだけ
NHKでなくサンプラザを選択しております。サンプラザはステージ幅とほぼ同じままでの長方形型の客席なので、だいたいどこの席にいても、PA音がパワー感を失う事がないからです。達郎さんもNHKホールが3700席ある点にちょっと難点を感じておられましたが、そういう感覚があるのかもしれません。

 

現時点で達郎さんはまだツアー中なので、このブログには何を演奏したのかについて仔細に言及することは避けます。少なくとも、過去の全ツアーで皆勤賞演奏の、レッツダンスベイビーだけは今回も演奏をやって下さっております。

今回サンプラザを見るに当たり、一切の事前情報を遮断して見に行った事は、私にとって非常に良かったのです。情報過多の時代、情報の取り過ぎは感動を無くす原因になりかねません。
ライブ会場で、演奏される度に出てくる曲目1つ1つに、ドキドキワクワクするというのは、33年も通っているようなファンに限らず些細な喜びかもしれません。かなりの年月を経て演奏された曲も多く、楽曲との一期一会は、ライブ会場での得難い喜びの瞬間でもありました。
達郎さんは、10月前半に行った大宮でのライブ内容を、仔細微細に記載した若者のブログについて憤りを隠さずにコメントしていらっしゃいましたが、彼の立場からすればその通りでしょう。ライブ会場でスマホに曲目を記録している人を見かける事がありますが、周囲からすると非常に邪魔な行為です。紙にメモでも取っているならいざ知らずですが、ブログに情報をアップして読まれることで自尊心を満たしたいのなら、他に幾らでも方法がありそうな気が致します。

今回特筆すべき事があるとすれば、これまでになく達郎さんがお客さんを賛辞した事でしょうか? 特に中野サンプラザでの達郎さんのライブは、いつもお客さんの反応で様々な事が変化する傾向が強いライブ会場であるため、実際、内心ドキドキしていたのです。
2010
年ツアー(だったか?)の5月に行われた千秋楽のライブは、前方上手にいた一人の客の心無いヤジに対し、達郎さんが怒りを表してしまったこともあり会場内に不穏な空気が醸し出された事がございました。
長年達郎さんのライブを見ていて、彼の口からお客さんに対して“今日のお客さんは温かくてやり易いです”というコメントがある時は、例外なく演奏も良いと感じる事が多く、特に達郎さんのライブは、観客と演者のコミュニケーションが強いと感じておりました。

今回のライブはそういう意味で“当たり”でした。
私も過去に何度もライブを見ておりますが、あれ程お客さんを賛辞した事は今までなかった様に思います。
私の周辺にも数多くのダイハードなファンが沢山座っておりました。ダイハードなファンの中には辛辣な人がいる事が多々あるのですが、今回は、曲のイントロが出るたびに、“おっ!”とか“いいねえ”とか小声でつぶやく事が聞こえ、ライブを楽しんでいる様子が分かりました。
また、達郎さんにとってサンプラザでのライブは、音楽業界関係者や評論家諸氏が詰めかけ、切った貼ったの丁々発止をさせられているような緊張感の中で演奏している感じがあるようで、中々その緊張感が取れない時が多いのですが、今回は途中からそういう事もなく、リラックスした感じで演奏してくれたためか、とてもライブ会場の雰囲気が良かったのです。でも実は、音楽業界内には達郎さんの信奉者が非常に多いというのも事実なのです。

達郎さんも遂に還暦です。
60
歳の達郎さんが、さすがに30代や40代と全く同じ声のパフォーマンスとはいかない部分が若干残る事は否定できないのですが、演奏力とパッションには全く変化がなく、驚異の3時間30分という長丁場をこなす姿勢には驚くほかございませんでした。

ご本人もMCの中で、そういう声の変化や彼周辺のミュージシャンたちのキー替えの事情などについて言及しておりましたが、達郎さんは何とかパフォーマンスを維持して頂けるようでした。達郎さんの曲はキーが高いものが殆どなので、これから年齢と戦うのはなかなか大変だと思うのですが、是非ガンバッテ欲しいと思います。

昨今の大規模セットのスタジアムツアーに慣れている若い人々には、達郎さんのようなホールツアーライブが地味に見えるかもしれません。それでもあれだけの演奏に特化したステージを3時間に渡って出来るミュージシャンを私は他に知りません。
達郎さんも仰っておりましたが、私たちは音楽の良い時代に巡り合ったと言えます。青春時代に彩りを放ってくれたミュージシャンが30数年もの間ずっと現役でいてくれ、未だに質の高いパフォーマンスをしてくれるなんて、なんて我々は幸せな音楽の時間を過ごす事が出来たのだろうと思います。
現在人気のあるミュージシャンの何人が30年後も同じ規模のツアーが出来るかを想像してみれば、達郎さんの仕事振りが偉業に近いと分かるでしょう。
そういう偉業に近いミュージシャンを、売れていない時代から目をつけて応援してきた多くの達郎ファンの方々も、自分たちに時代を超える目利き力があるんだなとほくそ笑んでいるかもしれません。

帰宅した私はまだ興奮冷めやらぬという感じでした。買ってきたパンフの4万字に及ぶインタビューを読みながらメロディーズなどをipodで聞きながら深夜3時まで達郎さんの余韻に浸っておりました。その位、ジーンと来るライブでしたし、54歳になってもまだこんな感情が自分の中にあるんだな・・と思った次第です。(そういえば今回、会場内のグッズ売り場は物物凄い人で、今まで見た中で一番凄かった。開演前に買えなかったので、終演直後にロビーに出て買ったが、それでもアッと言う間に人だかりになった。CDも買ってサインをもらえたのは凄く嬉しかった。自宅に戻り額に入れて飾りました。苦節35年・・・。笑。)

そして、早くも2014年のツアーが何時から開始するのかが気になる私でございました。70年代のような演奏ラインナップで行うライブハウスツアーなんていうアイデアの噂もありますが、楽しみです。そうなると問題はチケット取得なんですよねえ・・・。


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