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10cc  I’m not in loveのサウンドの秘密 [音楽に関わるブログ]

I’m not in loveのサウンドの秘密

 Producers: 10cc; Engineeer: Eric Stewart:

10cc - The Original Soundtrack[1].jpg

I'm not in liveが収録されたアルバム”The Original Soundtrack”

この記事にアクセス頂き感謝致します。
私が書いた記事の中では断トツのアクセス数(と言っても大したことはないのですが・・)で、I’m not in loveで検索すると上位ページに入っているのでちょっと驚いております。
昨今は、ロックはマイノリティー音楽になりつつあります。2010年代の若者にとってメジャーなのはダンスミュージックですから仕方ありません。まあ、当時の若者たちのロックは、今の若者たちにとってのダンスミュージックのようなものだったのでしょう。
それでも個人的には録音技術が究極的に発達した現代で、様々な事がパソコン技術で容易に解決できる時代の音楽よりも、手垢に塗れて創意工夫していた時代の音楽が好きです。

そういう意味で、I’m not in loveの録音・制作方法は、過去に例を見ませんし、Pro Toolsのような機器で同じ試みをやってもあのサウンドにはなりません。

私は1980年中期から1990年代中期の約10年間、シンセのプログラマーを生業としていた時期がありました。2000年代以降、この仕事で生きている人は数えるほどになりましたが、私の過去の経歴は諸先輩方が編み出した様々なレコーディング手法に興味を持たせてくれました。その中でも「I’m not in love」は特筆すべきレコーディング手段で完成された曲の1つと言って過言ではないでしょう。

さて、以下記載の記事は、海外の音楽専門誌に掲載されていた記事を元に、10ccというイギリスのバンドの不朽の名曲”I’m not in love”の制作過程の謎を解き明かすためにまとめたものです。
それまで誰も試みた事のない方法で作られた”あのコーラス音像”は如何にして制作されたのか? 
少し長いですが、ご興味のある方はお読みください。

当時の限られた技術の中で、これだけのアイデアを実現したイギリスのミュージシャンたちに敬意を表するためにも・・・。


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1975年に制作された10ccの“I’m not in love”は、ロック史に残る名バラードである。ポール・マッカトニーの“YESTERDAY”、ジョン・レノンの“Imagine”に匹敵する影響力を持つとも言える。
残念ながらこの記事をアップしている時点(2017年)において、年齢が40歳以下の人間には、本楽曲は既にあまり馴染みがないようです。
名曲を次世代に繋いで行くのはかように困難な時代とも言えます。

実は1980年代になった時点で、この楽曲のサウンド制作過程は、日本の音楽業界でも様々な噂と推測に満ちていたました。
特にあの分厚いコースは、一体どのように作られたサウンドなのか?、です。
最も有力だったのはメロトロン(以下写真参照)というテープ式のサンプラーを使用したというものでした。
だが情報の少ない当時でさえも、この説が必ずしも正しくないとされ、結局私はその後真実を知っている者に一度も出会った事がありませんでした。


mellotron_20131008[1].jpg

メロトロン(参考)

2010年代になってからBS-TBSで放送された「SONG TO SOUL」の「I’m not in love」の制作過程を解明した放送回で、この曲を作曲をしたEric StewartとエンジニアのDick Swettenhamの言葉によってその秘密が詳しく語られました。
もちろん海外で発行されていた音楽記事には既にその秘密に迫る内容が出ていたようですが、日本語で語られた資料は全くありませんでした。

残念ながらこの番組においてさえも、曲の背後に延々と流れるあの異様に厚い謎のコーラスサウンドが、具体的にどのような作業過程によって生み出されたかについては、部分的解説に留まり、中途半端な形に終わっておりモヤモヤ感が残りました。

それ故にどうしても具体的なレコーディング方法が知りたくなってネットを探しまくって様々に調べた結果、ある記事を見つけ出し、以下のような事実が分かったのでエリック・スチワートへのインタビューを中心にしたもの核にして、私の拙い英語力を駆使し記事を翻訳してまとめることにチャレンジしてみました。

ちょっと長い内容ですが、あの曲のサウンドの秘密を知りたい方は少々の忍耐力を以てお付き合いください。
記事の最後には、曲の後半に登場する、あの”女性のWisper声”の秘密も登場します。

なお、本来であれば、記事の翻訳とネットへのアップにはライターの許諾を必要と致しますが、本掲載においてそれらの手続きを経ていない事を予めお断りさせて頂きます。
当然だが、著作者から問題の提起があれば対応等をさせて頂きます。
また、昨今では、
元の記事があるWEBサイトへのアクセスが困難になる事態があり、特にこのような古い情報だが非常に有用な記事へのアクセス不能の事態が多数は知の引き継ぎの課題だと思っております。

ロックを聞いて育った団塊世代周辺と一世代下の私のような世代が次第に現役を引退する時代を迎え、ロックの情景が風化しつつある今、次の世代にこれらの情報を引き継ぎたいという身勝手な使命感と社会貢献を盾に、本掲載へのご理解を頂ければ幸いです。

いずれにしてもあと20~30年後(2017年時点から見てですが・・・)には、ロックに直接的な影響を受けた世代はこの世から殆ど消滅致します。寂しい限りですが流行り廃りには勝てません
・・。

また以下の記事には記事翻訳の他で私が知り得た情報や経験則を加味してございますのであらかじめご了承ください。



10cc I’m not in loveのサウンドの秘密(記事翻訳をベースとした文章):

見解の相違は破壊的だが、バンドを新しい高見に誘ってもくれる。
それは、エリック・スチュワートとグレアム・グールドマンの筆によるラブソングに10ccのケヴィン・ゴドレーが鼻であしらうように接し、スタジオで全く違うものに作り替えるよう主張した時だ。


1975年のサードアルバム「オリジナルサウンドトラック」のレコーディングにより、10CCはキャリアを一変させた。ザ・マンチェスターカルテットは、歌手とギター担当でマインドベンダーの元メンバーであるエリック・スチュワート、モッキンバードの元メンバーで、歌手でギターのウエイン・フォンタナ、歌手でギター、ベース担当のグレアム・グールドマン、元モッキンバードのメンバーでヤードバーズ、ホリーズ、ジェフベックやハーマンズ・ハーミッツの作品の作曲者であり、加えて芸術学校の元生徒であり多数の楽器の演奏家で歌手であるケヴィン・ゴドレーとロル・クレームらが「ホットレッグス」という名前の4人組のセッション集団として活動してする5年前に組んでいた。

エリック・スチュワートがストックポートの下町にある小さなデモ用スタジオを
購入した1968年、マインドベンダースは解散した。
グループの一員としてレコーディングする際、いつもコントロールルームに魅了されていたこともあり、彼のこの気前の良い施設購入の条件には、ノイマン社のU67真空管マイクも含まれていた。スチュワートは、ティアック社のステレオ装置を使ったデモ作りによってエンジニアの仕事を学ぶ事になった。


エリックは語る。

「サンレコードから発売されていた初期の(エルビス)プレスリーの作品が好きだったんだ。人間っぽい感じのディストーションサウンドや真空管マイクで録音されたヴォーカルがとても心地良かった。これら音をオシロスコープに突っ込んで見ると、波形に鋭いエッジ出て普通はダメだということになるんだが、その音が心地良かったし、自分のものにしたかったんだ」


60年代の初期~中期にかけて、ミュージシャンがたむろするレコーディング・スタジオやコントロール・ルームは神聖な場所だったんだ。簡単に入れる場所ではなかったね。部外者はミックスの完成までは絶対に入れてもらえなかった。私はそこに入りたかったしスリルを得たかったんだ。そこで私はあの場所になんとか近づかなくちゃと考えていた。それは夢だったが、いつの日か、自分のものにすると分かっていたんだ」


Neanderthal Man

ステレオショップの2階にあった新しいスタジオのオーナーは、スタジオ内にビルの食堂へ通じる通路をつくる必要に迫られたために、新しい物件を探さなくてはならなくなった。そこでストックポートにあった元兵器工場(の空家)を(見つけ出し)そのまま利用してカスタムのコントロール卓と新しいアンペックスの4チャンネルのレコーダーを設置してスタジオにしたんだ。

我々は、地元の銀行に行き、機材の購入と建物を賃貸するための金を借りる必要があったとエリックは回想する。アンペックのレコーダーはスタジオに設置され、最初に我々が録音することにしたのは、自分の墓標に刻まるだろうインスト曲の「Neanderthal Manネアンデルタール・マン)」だった。
この曲は
4チャンネルのアンペックスのマルチトラックレコーダー内にどの位のドラムサウンドを詰め込めるかという実験的な曲で、私はケヴィン・ゴドレイとロル・クレームの2人と録音に没頭していたんだ。当時はまだバンドとかではなく、特に意図を持ってやっていた訳ではなかった。ただミュージシャンたちが集まってグダグダと遊びながらの実験をしていただけだった。ゴドレイはドラムで正確なリズムを刻み、クレームがゴドレイの側で腰掛けに座って、オフ気味にセットしたマイクに向って“I'm a Neanderthalman, you're a Neanderthal girl, let's make Neanderthal love in this Neanderthalworld”って唄ったんだ」

(Neanderthal Man/as 10cc)
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=Neanderthal+man
 


「我々が録音を終えてミックスをし終えると、クレームが各トラック内のドラムの後ろで小さく聞こえる唄が、まるで遠くから聞こえる聖歌のように聞こえ、催眠的な効果を生み出したんだ。
すると、
Dick LeahyMary Hopkinとやっていたこの実験録音のデモが出来上がった直後にスタジオにやって来たんだ。
私がザ・マインドベンダースに在籍していた頃、彼はフォノグラムの元
A&Rマンの一人で、彼らの事は良く知っていたんだ。

Dickは我々に「最近何をやっているんだ?」と聞くので、私は、「まともな曲はやってないがこんなのならあるよと」作ったばかりのNeanderthal manを聞かせたんだ。
そしたら彼は椅子から転げ落ちんばかりに驚いて、「こいつは凄い、この曲を直ぐに買うよ」と言って、その場でディールを結んだんだ。彼は我々に対してかなり良い条件を提示してくれた。
(註釈:どうやら前金で
500ポンドの支払いを受けたようだ)。

その後、ムーグ・シンセのソロやパーカッションなどをダビングした。いずれにしてもこの作品はスタジオでの実験音楽だったけど、結果的にこの音楽が生み出した金によって当時の我々が欲しかった、Dick Swettenhamデザインのプロ用のコントロール卓「ヘリオス・デスク」と1インチテープ(3cm幅)を使った8チャンネル仕様のスカリーテープ機を買うことが出来たんだ。
Neanderthal manの)レコードは
1970815日にイギリスでリリースされ、チャート2位に輝いた」


→補足:ここでちょっとだけ「ヘリオス・デスク」について補足させて頂きます。2015年に発売された書籍「スタジオの音が聴こえる ~名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア 著者:高橋健太郎」には、この「ヘリオス・デスク」についての詳しい記載があります。
本著は非常にマニアックな本ですが取材を含めて素晴らしい内容で、心を躍らせながら読む事ができました。これの日本レコーディングスタジオ版を出して欲しいな・・と思ったほどです。(本当は自分でやりたい位・・・)

本著から少しだけ「ヘリオス・デスク」についての記載を引用させて頂きますと、この機器を作ったのはディック・スウェットナムというイギリス人でアビーロードスタジオの技術者たっだようです。その後オリンピックスタジオに移籍しオリジナルのコンソールを作り始めたとのことです。
70年代に入り外部資金を得てヘリオス社を立ち上げ開発を始め、第一号機はエリック・クラプトンに納品されたそうです。その後アップルミュージックやストロベリースタジオなどの納入され、ロック界を支えたコンソールの地位を得たようです。コンソールの色は全て異なっていたようで、クラプトン用はブラック、ストリベリースタジオのものは赤と同じものが無かったようです。詳しくは本書をお読みください。

スタジオの音が聴こえる 名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア

スタジオの音が聴こえる 名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア

  • 作者: 高橋健太郎
  • 出版社/メーカー: DU BOOKS
  • 発売日: 2015/06/05
  • メディア: 単行本

 

(記事に戻る)

レコード会社の経営者であるジョナサン・キングが、商業的価値を見出すのはそれほど時間がかからなかった。グラハム 'GiGi' ゴールドマンがベースとして加わった後、キングは自身が経営するレーベルで彼らと契約し、バンド名を10ccと名付けた(成人男性が一回に射精する際に出す量が元だと言われている)。

1972年に発売されヒットした「Dona」は、ロル・クレームのファルセットヴォーカルをフィーチャーした50年代のドゥーワップ曲のカバー曲だった。その後リリースされた「Rubber Bullets」「Street Shuffle」「Silly Love」と「Life Is AMinestrone」は、1973年のアルバム「10cc」や74年の「Sheet Music」同様に成功を収めた。

しかしながら、バンドが文字通りにアメリカ国内のマーケットで揺るぎないヒットを放つのは、後述する
3枚目のアルバムと「I'm not in love」まで待たなければならなかった。面白いのは、懲りに凝った音楽制作をし、多重録音のヴォーカルを有し、皮肉めいた歌詞を持つ画期的な楽曲の誕生当初は、66年スタイルのボサノバ・アレンジの曲だったということだ。

エリック・スチュワートは語る。

「当時妻と結婚して8年程経っていたんだ。そして妻が私に、何故もっと“愛してる” って言ってくれないの?と言い始めたんだ。I’m not in loveの突拍子もない歌詞のアイデアは、この時の会話がヒントになっているだが、いずれにしても彼女との会話がずっと頭から離れなかったんだよ。
そして妻に、いつも“愛してる”って言い続けて、日常の挨拶のようになってしまったら、無意味なものになってしまうだろうって答えたんだ。そこで自分としては他の言い回しでこの問題への回答をしようと思い、それに一番近い感じの言葉が「
I'm not in love」だったんだ。曲中に巧妙に逆説的な意味を織りまぜて、何故私が妻と長い間、夫婦関係であり続けているのかを言いたかったんだ。

この逆説的な発想は非常に功を奏し、エリックと彼女は40年以上もの夫婦関係を続ける事になる。

エリックは追想する。

「最初に、ギターの出だしで、コードAのオープンのアルペジオのアイデアが浮かんできたんだ。それと同時にメロディーも頭の中で湧いて来た。そして「I’m not in love」という歌詞と結びついたんだよ。エリックは続けた。「アイデアが具体的になると、残りを書くのは容易だった。Stan GetzAstrud Gilbertoなんかのボサノバのシャッフルに乗せて、曲は浮かんでくる歌詞に合わせてスムーズに書くことが出来たよ」

そうなのだ。最初のI'm not in loveはかなりテンポの早いボサノバ調の楽曲だったのだ。この時のデモテープは残っていないようだが、BS TBSの番組では当時の演奏を再現した演奏シーンが登場して当時のオリジナルのアレンジを見せてくれる。しかしそれは現在我々が知る様なイメージの楽曲とは違う。

「曲の冒頭のI'm not in love, so don't forget it, it's just a silly phase I'm going through...に対応したコード進行とサビの感じがほとんど同時進行で決まってきて、メロディーも頭の中ではほぼ出来ていた」

そしてスタジオに持って行って他のメンバーに聞かせると、ベーシストでギターも弾くGiGiゴールドマンが一緒にやりたいと言ってくれたんだ。僕らはいつもペアで作曲をしていて、その頃のヒット作品は、ゴドレイとクレーム、そして私とゴールドマンというコンビで作られていた。また頻繁に双方のパートナーを交換し、曲を作ってもいた。私は“Life Is AMinestrone”や“Silly Love”をクレームと書いたんだが、パートナーを流動させることで、作品の新鮮さを保つことが出来た。

この方法は我々には効果的だった。当時ゴドレイとクレームはミニ・ミュージカル“Une Nuit à Paris”に取り掛かっており、スタジオを跳び回っていた。そこで私とGiGiI'm not in loveを完成させるために二本のギターで作業に入った。曲はかなり速いペースで仕上がったな」

記事補足:私の知り合いでロックミュージック系の通訳をしている女性が本作の日本盤を買った際、翻訳家が歌詞の文字お起しと日本語訳でit's just a silly phase I'm going through..」のphase」を「 face」と間違えていたと証言している。
これには理由があったようで、70年代において海外のレーベルから来る資料には歌詞テキスト情報が含まれていなかったため、翻訳をする人間は歌詞を耳で聞き取って英語歌詞を文字起ししてから翻訳作業をしていたからだという。
歌詞は時によって発音が曖昧な場合があり聞き取りが困難なのだが、彼女は、意味から推測すれば違う事くらい、分かりそうだけどねえ・・と語っていた。当時のアナログ振りはそれはそれでキュンとする。


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10cc in Strawberry Studios, 1975. From left: Lol Creme, Kevin Godley (at rear), Eric Stewart, Graham Gouldman

(記事翻訳)

「我々はまず既についているコード進行を決めるために意見交換を始めた。我々は普通というのが好きじゃなかったから、普通のポップソングやボサノバにありがちなコード進行とは一線を画すコードにしようとしていた。そしてお互いにこれはどうだ? あれはどうだ?と取り留めもなく意見をやり取りして、何とか出口を見つけたんだ。
2人のミュージシャンがこうした方法で作曲するのは非常に生産的だった。普段私は鍵盤を使って作曲するのだが、I’m not in loveは二本のギターで作った。そして皮肉な話だが、最終的なバージョンではギターがメインの楽器として使われず、コンソールにDIボックス(コンソールと楽器を電気的・音響的に最善の方法で接続するための機器)で直接繋いだギブソン335でリズムパターンを演奏するだけになったんだ。我々は、2~3日でこの作業を終了したな」

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ロル・クレーム(Lol Creme/1975)
2012年8月 The Producersの一員として初来日し
ビルボード東京でトレヴァー・ホーンらと演奏をする。


I'm not in love」は曲中に大サビを持っていない。GiGiは、1番と2番の間に、開放のEコードを使って、AGと移動しながらEが鳴り続けるオシャレなフィルを考え付いたんだ。とてもいい感じだったよ。私は結果的にこのフレーズはレコーディングの時にローズピアノで弾くことにした。美しいコード進行とサウンドだった。彼はまた次への予感を膨らませるために、Bを分母にしたAコードから通常のBコードに移行するコード進行を考えた。それで二番を書き始めたんだが、二人とも何か違う物になる感じがあった。

また、曲の最初の方にミドルエイトとなる部分も書いた。メロディーはかなり速く書けた。ただ、歌詞は“
Don't feel letdown, don't get hung up, we do what we can, we do what we must.”みたいなどうしようも無いものばかりで、二人で顔を見合わせて“それにしてもひどいなこりゃ”と言ったもんだ。

出来不出来とは無関係に、これらの言葉のいくつかは曲に残っている。元々エリックが彼の妻に言いたい事がたくさんあったという事から始まった話だから、歌詞の90%は彼に責任があったし、この中には、彼とゴールドマンが作曲したブリッジに繋がる3番への旋律である「Ooh, you'll wait a long time for me」という部分も含まれる。このリフレインは、一番最後のヴァースへと続くまでに4回繰り返されることになった」

GiGiは、私が書いた当初に考え出ていたコード概念から抜け出すような様々なアイデアを出して多大な貢献をしてくれた」とエリックは念を押すように語った。

GiGiは、(曲を)違う方向に誘ってくれたんだよ。さっき言ったと思うが、1番と2番の間のフィルにおけるアイデアや、“Ooh, you'll wait a long time”のブリッジを抜ける部分のコード進行、素晴らしいアルペジオの奏法のなど数えたらキリが無いほどだ。
誰かと長時間、曲を書いていると、こうしたような事が自然に起こるんだ。それで直感的に(こうしたアイデアが)イケルかどうかも分かるようになる。特に真新しいアイデアを考え出す必要はないんだ。
二人で唸ってアイデアをぶつけている間に、同じような衝動が湧き上がって来ているんだよ。

化学反応とも言えるね。ゴドレイとクレームは全く違う方法で書いていたようだし、違うアプローチで考えてもいた。エリックとゴールドマンが曲を完成させ、最初にケイ(スタジオの秘書)とクレームに
4分程度のボサノバ・アレンジのバージョンを演奏して聞かせ、2人はちょっと恥ずかしそうな感じで“なかなかいいね。キュートな曲だ”と言ってくれ、じゃあ、やってみようかということになった」

10ccのセカンドアルバム「Sheet Music」は、Neanderthal man の成功によって得ることが出来たスカリーの8トラックのマルチテープレコーダーとDick Swettenhamがデザインしたヘリオスのコンソール卓で録音された。次のアルバムとなる「Original Soundtrack」は、スカリーのマシーンを3M16トラックのマルチテープレコーダーに入れ替え、エリックはDick Swettenhamと共に、宇宙船のように囲まれたデスクの前に座れば、全ての操作が出来るようにした。
このデスクは、
16チャンネルの操作部分をセンターに置き、追加の8チャンネル分を右側に、そしてアウトボード類(レコーディングに必要な付属機器を収めたラック)を左側に配置した。
「アウトボード類は全てが
19インチラックに収まるようなものではなかったんだ」とエリックは説明する。

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ストロベリースタジオに設置されたヘリオス社のコンソール。24chの
インプットが装備された1975年当時の最新モデル。
しかしマルチトラックレコーダーのトラック数は16chの時代だ。
 

「小型のコンプレッサーやオーディオ&デザインとAPI製のEQユニット、またグラフィック・イコライザーなど役立ちそうな機材はなんでも周辺のあちこちに配置したな。何台かあったニーヴのコンプレッサー・モジュールはもちろんあったし、私が好きなDick Swettenhamの機材類もあったな。

思い出してみると、マイクなどはその辺りに放置状態だったし、かなり際どい状態だったかもしれない。でも色々と機材をイジッているとナカナカ味のあるサウンドになったんだ。私はよくギターソロを録音する際、これらの
アウトボード類にラインアンプをつないだりした。つないで音を出すと、マーシャルのオーバードライブやファズボックスを使ったようなものとは全然違う素晴らしいディストーションサウンドが生まれるんだよ。ゴージャスでうっとりするほどだったし、他にはない音だった

「私が宇宙船のように囲まれたデスクを注文した際、Dick Swettenhamが私に、マイク・アンプを調整しておいたぞと言うんだ。そしてきっと気に入るだろうと付け加えたんだ。私はフェーダー下げ、自分のギターを繋いでラインアンプの入力を上げてみた。しかし音が出てみるとヒドイものだった。割れていてボロボロの音で使いようがなかった。我々はオリジナルの黒色のデスクを地元の誰かに売ってしまったので、少なくとも1つか2つのマイク/ラインのモジュールを買い戻さなくてはならなかったが、買った連中は我々に売り戻そうとしなかったんだ。そうなると我々は自分たちで違う方法で10ccのスムーズでサステインのかかったギターサウンドを構築しなければならなくなったんだ」

ストロベリー・スタジオの18×18フィートの広さのコントロール・ルームには、JBLのモニターが置かれ、一番奥にはソファーが配置され、スチューダーのステレオ用のテープレコーダーは、60×30フィートの広さで、部屋を見下ろす事が出来るライブな環境になっている窓に下のデスクの前部にあった。
軍事関連の施設を改造したスタジオだったので、鉄製の柱だらけだった。エリックの表現を借りるならば巨大なメッカを模した映画のセットのような感じだそうだ。「私たちは全ての柱をカーペットで覆うハメになった。部屋そのものは元々音の反響を考えてデザインされた場所じゃなかったからね。たから自分たちが正しいだろうと思う方法で部屋のリフォームを行ったんだ。結果的には悪くなかったと思う」

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Graham Gouldman and Lol Creme, Strawberry Studios, 1975.
 

「ドラムのブースは、自分たちで作ったパーテーションで部屋を区切る時に使うような可動式のスクリーンを使用した。当時の私はスティーリー・ダンのスタジオサウンドにひどく傾倒していたからね。だからドラムを録音する際にはマイクを非常に接近させて、物凄くタイトな反響の少ないドライな感じのドラムサウンドを狙ったんだ。
実際、物凄く小さな部屋で録音した音もあった。グリン・ジョーンズというエンジニアがその部屋に入ると、“なんだこりゃ、反響が全くないじゃないか。俺はオフマイクのサウンドが欲しいんだ。ここはデッド過ぎる”」と言っていたのを思い出すよ。

classic6godleydrums.l[1].jpg

Kevin Godley at the drums.
マイクのセッティングは楽器に近く設置されている
 

「バンドは全く逆の方向の音を求めていたんだ。それに我々は、ドルビーではなくて、Dbxのノイズリダクションを使っていたんだが、これもスティーリー・ダンのサウンドチームが使っていたからなんだ。とてもいい機材だった。コンプをかけた時に出る、独特の感じがサウンド全体に良い影響を醸しだすんだ」

(参考)
スティーリー・ダンのレコーディングセッションについて書かれた著書である「スティーリー・ダン リーリング・イン・ジ・イヤーズ (著者:ブライアン・スィート)」によると、スティーリー・ダンは"Keity Lied"のレコーディングにおいてエンジニアの勧めもあって新しいDbxのノイズリダクションシステム使用したが、殆どレコーディングを終えた段階でDbxが機能しなくなり、マスターテープを再現出来なくなったらしい。メンバー、レコーディングエンジニア、メーカーによって機器の調整を行いあらゆる方法を試したが上手く行かず、結局メンバーはDbxの使用を諦めてしまったと言う。従ってドナルド・フェイゲンは、"Keity Lied"の音は、元々彼らが目指していた音とは全く違うと発言している。スティーリー・ダンのDbx使用によるサウンドクリエションは、日本の音楽業界でも有名な逸話だったが、裏にこんな悲惨な話があったとは当時知らなかった訳です。
ご興味のある方は本書をお読みください。特にスティーリー・ダンが生ドラムを正確にするために行った信じられない方法などが明かされており、相当面白い本です。

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「ゴドレイが持っていたオイスターシェルのラディング社製のドラムセットにノイマン社のU87をオーバーヘッドマイクを使い、D12をバスドラに、シュアー社のSM57をスネアの下側に、ノイマンのKM84をハイハットに配置してスネアの明るい音の部分を拾うようにしてコンプ(タイプ57)に送り、5つのタム全ては、ベイヤーのM88を物凄く近くに配置して他の楽器とは隔絶させ、ドライなサウンドを作った」

エリックは、「以前私は、5つのマイクをドラムの上にセットしたが、タムに設置したように近く(設置)した事はなかった」と続けた。

「全てスティーリー・ダンの影響さ。私自身が彼らに物凄くハマってたし、あのマイキングにもハマってた。音の全てが自分の直ぐ側で鳴っているような感じだった。ルームの音は全くなかったから、ドラムセットの直ぐ隣に座っている感じだね。ヴォーカルの音も驚くべきものだった。当時の彼らは、オシロスコープや様々な機材を経由した信号のタイミングに異常なほど神経質だったので、研究所的な感じになっていたけどね。しかしいずれにしても初期のドライなサウンドには傾倒してたなぁ」と回想している。

4人のメンバーはこの曲を早速録音し始めた。エリック・スチワートはコンソール卓の後ろに陣取りエンジニアを行い、他の3名のメンバーは、バンドとして演奏をした。グールドマンはリッケンバッカーのベースを直接卓に接続し、クレームは自分のレスポールをマーシャルの50に繋ぎ、ボリュームを下げ目にして、U67真空管マイクを立てて録音した。

「当時は皆、お互いに無遠慮な感じだった」とエリックは語る。

「考えられる事は全て録音した。しかし作業の終わり頃になるとちょっと残酷な面が出始めた。例えば“これって本当にイケテルのかな?”とか“こんなんでいいのかよ?”“これでハマってるのかな?”“どうなんだよ?”なんて言っていた。4人のメンバーがいたから多数決には3人の支持が必要だった。“このままやってみようぜ”“アルバム曲としてならいいんじゃないか”“これじゃだめだな”なんていう感じだったな。
いずれにしても
'I'm Not In Love'はボサノバ・バージョンで録音した。

しかしゴドレイとクレームは余り気に入っていなかったんだ。ケヴィン・ゴドレイは特に辛辣だった。
“クズみたいな曲だ”とか言うんだよ。私は“分かったよ。でも何か生産的な意見をもらえると助かるがねぇ、何かあるんだろう?”と言い返したんだ。そしたら“こんな曲、全く見込みがない。分からないのかい?、ただのゴミなんだよ”って言われてしまった。結局その通りゴミになっただけでなく、ボサノバ版は録音したテープまでも消去したんだ。当時はもの凄く腹が立ったんだよ。しかしバンド内の民主主義には勝てなかった。そこで我々は気持ちを切り替えて
'One Night InParis'の作業に入ったんだ」

「当時のスタジオには秘書のキャシー・レッドファーンとかエンジニアのピート・タテルサルなど様々なスタッフが働いていて、私がボツになった例の曲をスタジオのブース内で、一人で演奏していた事がキッカケで思ってもみない方向に話が進んだんだ。
ピートは我々が4チャンネルのスタジオを造った時のパートナーだったが、当時の連中はCoronation Streetやマリエル・ヤングのFive O'clock Clubなどの
テレビ番組のオカシなセッションをやっていて、地元のオーケストラのミュージシャンを使っていたんだよ。私には全く理解を超えていたが、ピーターがバタバタやっている間にいつの間にか私に仕事が押し付けられた感じになった。

ともかくストロベリー・スタジオを毎日歩き廻っていると、スタジオにいるスタッフらが
'I'm not inlove...'を唄っているのを聞くようになったんだ。
それでバンドのメンバーに、この曲には何かあるはずだ、でもまだ誰もそこまで詰め切ってない、この曲を失うのは嫌だ、だってスタジオの皆が気に入っているじゃないかって言ったんだ。
そしたら秘書のケイトが、“どうして皆、あの曲を終わりまで作らないの? 私はあの曲大好きよ。今までの中で一番イイわ!”って言ったんだ。これを聞いてもゴドレイは表情を変えなかった。もちろんその後再びメンバーで話し合ったさ。

そしたら信じられないことに、突然ゴドレイが霊感でも受けたような発言をしたんだ。彼は、“じゃあこうしよう、この曲をやるんなら、前のバージョンは完全にゴミ箱に捨てて、誰も今までやったことのないレコーディング方法でやろう。
楽器はなしだ。全部人間の声でやろうぜ”と言い、そして私は、“いいねぇ、それなら違いが出そうだ”と相槌を打った。ゴドレイは、全部アカペラでやろうとしたんだ」

私は「じゃあ、全部のバックを歌うとなると、何かガイドになる楽器がいるよね」と言ったんだ。
するとゴドレイは、「ああ、何かガイドになるシンプルなリズムを入れよう、バスドラみたいなものでもなんでもいいや。それにギターのコードを入れれば和声は分かるだろう。だがそれ以外は全部声でやろう」と言った。

私は「なるほど。4人全員で全ての声を担当するって事だね。でもどうやってやろうか?」

そう言うと、クレームが、「テープループを使うって方法は?半音階を全部網羅したエンドレスの声のテープループを作るんだよ」と言うんだ。
私は「なるほど、いいかもしれないな。しかしこりゃ大変な作業になるぞ」って思ったんだ。

classic4tapeloops.l[1].jpg

12音階を1音ずつ多重録音したものを
各音階毎にまとめたLoop用の素材テープ

~そして伝説的なコーラスが創造された~

「当時メンバー連中は、イカれたことばかりやっていたからね。このアイデアを聞いて、数時間自分の頭の中で反芻してみたんだ。それでなんとか物理的にテープループを作ってスタジオで作業できる方法を思いついたんだ。私はテープデッキの回転ローラーをマイクスタンドに設置したんだ。テープループは、声のループポイントが編集で繋がるポイント上で編集による小さなノイズを出すために、非常に長くする必要があったんだ。私はループの長さを極限まで長くし、編集ノイズの出るタイミングを減らすようにした。

私の言っているのは、12フィート(約3.6m)のテープが再生ヘッドを周回していたという事なんだ。スチューダーのテープマシーンのヘッドから出たテープは、テープマシーンの再生ヘッドの位置と水平の場所に設置されたマイクスタンド上の回転ローラーを経て再びテープマシーンの再生ヘッドへ戻って行くという具合だ。まるでベルトが延々と設置されたような工場みたいな感じだった。とにかく我々はマイクスタンドの下部にブロックを置いて、安定を確保しなければならなかったんだが、この方法はなんとか上手くのが分かった。

面白いのはここからで、16チャンネルのマルチレコーダーを使って作った多重ボーカルの素材録音作業なんだ。実際、各音階はそれぞれ16回づつ唄っている。従って1音階について3人の人間が16トラック分唄っていることになる。3人とはゴドレイとクレーム、そしてGiGiだ。ノイマンのU67真空管マイクの廻りに3人が陣取って“Aahhh”ばかりを3週間スタジオの中ずっと唄っていたんだ。3週間だぜ。我々は1音について48声をダビングして、13音階のスケールを半音階づつで作ったんだ。全部で624声という訳だ。さて次の問題は、この声の素材をどうやってマルチテープレコーダー上に録音するかということだった」

「私はまず、16チャンネルのマルチテープに録音された、1音階48声で構成されたものを1音階ずつの別々のループテープを作るために、ステューダーの2チェンネルのステレオテープレコーダーにミックスダウンしたんだ。
そしてテープのループを作り、
16チャンネルのマルチテープの別々のトラックに、1音階ずつ、約7分間に渡って録音して戻したんだ。素材の中にはちょっと音が外れていたり、タイミングがずれているものをあったが、こうしたことがまるでストリングスのセクションのようになり、音楽的には非常に素晴らしい効果を生んだんだ。素晴らしくゴージャスだった。ともかく13音階を13チャンネルに渡ってマルチテープに録音し、残ったのはたった3チャンネルだった。

3チャンネルの残存トラックの内、1つのトラックにバスドラと私の演奏していたフェンダーローズピアノとつぶやくように唄った大雑把なガイドボーカルを入れ、(曲の)タイミングを作った。ゴドレイは、ムーグシンセサイザーを使ってクリックのようなエッジの効いたバスドラの音を作った。この曲のマルチトラック上にはテンポのガイドになるためのメトロノームも何も入っていなかったために、ゴドレイが演奏するバスドラのタイミングは完璧でなくてはならなかった。そしてそれらの録音が終わると4人がかりでコントロール卓の前に陣取り、1人当たり34つのフェーダーを担当し、既に録音済みの13音階の声素材を曲のコード進行に合わせて全員でフェーダーを上げ下げすることで、キーボードのようにコードを演奏させ、残った2チャンネルの空きトラックにピンポンして2チャンネルの声だけのバックトラックを完成させたんだ。自分たちがやっていることがとんでもないことだって気がつくまでには相当な時間がかかったよ。もしこの声だけのコーラスミックスの作業が思うように上手く行かなかったら、全員完全に気力を失って何もやる気になれなくなっていたと思う。でも出来上がりは自分たちでもぶっ飛ぶものだったよ。その後、演奏用のトラックを明けるために、13チャンネルに録音された声の素材は全て消さなければならなかった。ダビングする予定だったのは、リードボーカル、実際の唄によるバッキングボーカル、ベースソロ、グランドピアノのソロ、卓に直接繋いだギブソン335によるリズムギターだった。

classic5mastertape.l[1].jpg

The original master tape of 'I'm Not In Love'.

'I'm not in love'の最終的なトラックシート)

1-2ch:エレピ

3ch:ムーグベース

4ch:ギターリズム 

5ch:リード・ヴォーカル

6ch:ヴォーカルのエコー

7ch:なし

8ch:ミュージックボックス

9ch:ベースソロ

10ch:ミュージックボックス

11-12ch:バッキング・ボーカル

13-14ch:バッキング・ボーカル LOW

15-16ch:バッキング・ボーカル HI

「幸運にも我々は録音を上手く終える事ができた。ヴォーカルもかなり早く録り終えた。そして全員コントロール・ルームの一番後ろのソファーに座り、これは本当の話なのだが、3日間に渡ってこの曲をずっと聞いていた。私はゴドレイや他のメンバーの顔を見て、“俺たちは一体何を創りだしてしまったんだろう? 凄過ぎるよな”とつぶやいた。自分たちが創りだしたものが、正に一線を画していて、人生で一度も聞いたことのないシロモノだっていうことは自覚していたよ。ビーチボーイズは素晴らしいハーモニーが売りだが、私の知る限り、我々のような方法ではやったことはなかったはずだ。我々の創りだしたサウンドは非常に傑出したものだったんだよ。何度か行ったピンポン(録音したある複数の音を別のテープにミックスしてコピーする作業)ですら、サウンドを特徴付けることに貢献し、毀損をしなかった。我々がコントロール卓の前で四苦八苦しながら声のミックスを2チャンネルに戻した際、各フェーダーの下部にガムテープを貼りつけてフェーダーを下げる操作をしても、最下部までには行かないように固定したんだ。つまり、コーラス素材の各トラックには、例えばサッカーの試合でシュートシーンがなかなかなくて、選手がボール廻しをしているような時の観客がシーンとしているよな時に出ているような無音ノイズ(ヒスノイズ)がずっと入っているんだが、各フェーダーのボリュームが一定量で音が出ている状態になっていたため、入っていた無音ノイズがそれぞれのトラックから薄くなのだが、出ている状態になっていたんだ。曲の冒頭を聞いてもらうと分かるが、バスドラが入ってくる辺りから無音ノイズが聞こえ始める。そしてこのノイズは曲の全編に渡って入っていることになる。我々は意図せず普通なら排除すべきヒスノイズを創りだしていたことになるんだ」

「低音部の声の音は、チェロのような響きを持っていた。テープループの再生速度を通常の半分程度にしてみると、人間の声は本当にチェロのような音と同じになるんだ。喉から出るゴリゴリしたような音が、弓に松脂をつけて弦に叩きつけで弾いた時のような音なんだ。信じられなかったよ。我々はこの音をアルバムの中で頻繁に使用したんだ。「Blackmail」って曲では、チェロサウンドがゴッゴッという感じの速いリズムで全編に渡って聞こえるはずだ。このチェロこそは、例の声を再生速度を落として使ったもので、2つのフェーダーを使って出し入れしてリズミカルにしたんだ。本当にいいアイデアだったし、上手く行った。

1977年にゴドレイとクレームがバンドを去るまでの10ccの契約は、興味深いものだった。というのは、誰が曲を書いたにしても楽曲の印税を4等分と決めたんだ」とエリック・スチワートは語る。

「この契約の利点は、ベスト盤を出すような時にだけ発揮された。バンド全員が利に預かれるからね。今までthe drummerbless himなどの色々なアルバムを聞いてきたが、それら全部が作家先生たちによる曲でギッシリだったんだ。でもこういったアルバムは大抵酷いもので、ゴミ箱行きだったな」


驚くに当たらないが、曲のミックスは1日半程度が掛かる予定だった。しかしながらその間にもエリックは、自分のヴォーカルを真空管マイクのU67で録音しなければならなかった。リヴァーブやEQはなしで、もちろんだがコンプレッサーもかかってない。

「この曲は、冒頭から最後まで誰かが後ろで唄っていたために、いつもとは全然違う感覚だった。また自分の声と背景の声の感じを1つにしなければならなかったんだ。そのため、ヴォーカルマイクにはコンプレッサーをかけなかった。それでも特に唄うことに障害はなかったよ。1度唄った後、何箇所かをパンチインで修正しただけさ。'It's because...'というバックコーラス部分はゴドレイとクレームで可能だった。彼らの高音は素晴らしいからね。それでここの旋律は4回ダビングしたんだ。この段階で、曲にはベースやそれに類するものが存在していなかった」

「私の左手がフェンダーローズでベースラインを奏でていたんだ。左手はオクターブで演奏していたし、それは私の通常の奏法だった。それで十分だった。ベースギターを入れる余地はなかったな。でもそんな時、ワイルドなアイデアが頭に浮かんだんだ。ベースのソロを入れるのはどうだろう?って。バラードの曲にあうかぁ?とか。マニアック過ぎないかな?なんて考えていた。でも結果的に曲を引き立てるのに最高のアイデアだった。これは、ずっと誰もやっていないことを探し続けていたことによる結果だった。

嘘じゃないが、我々はこうしたアイデアを出すためだけに数日もしくは数週間を費やすことだってあるんだよ。ゴドレイとクレームの
2人は事あるごとに“他人と同じ事はやりたくない”と言い続けていたからね。例えば、バスドラを録音するためにスタジオを駆け巡って床から壁にあるもの全てを叩き続けたりするんだ。結果的にバスドラを通常の楽器にする場合でも、少なくともこうした取り組みは必ずしていた。こうした過程によってユニークなサウンドが出来上がったんだ。他に無いサウンドで、幸運にも大衆を納得できるとしたら、これ程の喜びはないだろう。'I'm not in love'はまさにこれを実現したんだ」

「ベースのソロを録音するため、GiGiはコントロール・ルームに入ってきた。私は彼のリッケンバッカーを直接DI経由で卓に繋いでDbx-160を使ってコンプをかけて質感を落とさないようにした。タイトで張りのある強いサウンドだ。GiGiはソロの演奏を始めた。我々は卓の側に座った状態であれこれと試しながら骨格を固めて行った。試行錯誤の末、ある程度まで全体の感じが掴めるところまで出来た。しかし何度も聞き直していると、何となく私の頭の中で本当にこれで大丈夫か? まさか曲を台なしにしたんじゃなかろうかという疑念が拭い去れなかったんだ」

「実はずっと読んでいた“反論に対する対処法”っていう本があったんだ。それでスタジオの中にダンボールにクレヨンを置いて、各メンバーが個々に自分の意思や意図に合わない状況が起こったら、そのダンボールに'Stop' 'Next'を書いてスタジオの窓越しに掲げるって言うルールを作ったんだ。そしたら例のベースダビングの時、誰かが入ってきてそのルールに従ったんだが、そこに書かれていたのは“なんて事しやがったんだ!(How dare you)”って書いてあった。この言葉はその後バンドの曲のタイトルになったものだが、その理屈はこうなんだ。

何故私がこのような行為をするのかという事について、事前に私との間でコミュニケーションをとっていなければ、なんて事しやがったんだ!”って言われた私は、かなり傷つく訳だ。アイデアを却下する前に、まずトライを優先させるべきだのだよ。我々はダンボールのアイデアを葬ることにしたんだ。ゴドレイはずっと止めなかったが。彼は本筋とは違う所にいて、このお陰でいつも凄いアイデアを持っていた。だから彼を止めることが出来なかった。彼はアイデアが必要な時に行き詰っていると、いつの間にか小さな黄金の砂粒を出してくれるんだ。

それで
'I'm Not In Love'をプレイバックしている時、ゴドレイは、まだ完成してないぞ、まだまだだって言っていたんだ。私が彼の言葉で覚えているのは、“この次にトライするアイデアは? ベースソロをこのままにするのか? 一体どうしたいんだ?”ということだった。我々はずっと考え続けていて、クレームが覚えていた事なんだが、彼が床に寝そべってスタジオのグランドピアノのマイクに向って、'Be quiet, bigboys don't cry'言ったことなんだ。

どんな理由だったかは全く分からないがね。それで全員がこのアイデアは面白そうだと感じたんだ。但しふさわしい声と話し方を誰にするかという問題は残ったが。丁度その時、秘書のキャシーがスタジオに入ってきて、顔をのぞかせると、“エリック、邪魔してごめんなさい、貴方宛の電話よ(訳者註:多分英語では”Eric,Sorry to disturb you but you got a phone.”だろうか)”って言ったんだ。クレームは飛び上がらんばかりに“この声だ!求めていたのは彼女の声だ”って言ったんだよ」

classic7kathyredfern.l[1].jpg

ストロベリースタジオの秘書だったKathy Redfern。
サンバ・ヴァージョンのI'm not in loveに対する
メンバーへの彼女の情熱的な助言がなければ
I'm not in loveは
この世に生れていなかったかもしれない。
また彼女は、メンバーの要請でベースソロの個所で
ウイスパーなセクシー声・・・
”Be Quiet. Big boys don't cry”を囁いて名曲に華を添えた。
声の印象通り、美しい女性でしたね。


「我々はキャシーをスタジオに入れて例の言葉をささやいてもらった。例のベースソロの直前に入れたんだ。彼女の声は素晴らしくフィットした。曲が天の啓二を受けたような気分だったな。こんな感じは今までに聞いた事がなかったし、曲のオリジナリティーを高めてくれた。キャシーは当惑していたけど。スタジオに入りたがらなかったしね。なんとか彼女を引き込んで、口八丁手八丁で説得した。ささやくだけでいいんだ、心配ないって。唄う訳じゃないし、ただ話すだけさとね。いつも電話口で話しているような感じでいいんだってみたいに。曲の中で聞こえるように、彼女の声は本当に素晴らしかった。加えて彼女もゴールドレコードを獲得したんだ!」

「最後に付け加わえる話があるんだが、'I'm Not In Love'で最後にダビングした音は、曲の終わりでフェードアウトして行く時に聞こえる子供用のオルゴールの音だった。キャシーに頼んでプラスチック製の簡素なものを買ってもらい、クレームはドラムセットに座って、私がドラムのオーバーヘッドマイクを使って録音している間、頭の上でそいつのネジをゆっくりと巻いて鳴らしていたんだよ」

「ゴドレイの'I'm Not In Love'への当初の反応にはちょっと驚かされた部分があったが、曲に新たなチャンスを積極的にもたらしただけでなく、効果的な思考によって革新的なアイデアを生み出した。しかしながら、ゴドレイがスタジオのスタッフの意見によって図らずしも意思を変え、あれ程嫌っていて却下までした当初の甘ったるいサンバ調のアレンジだったものが、出来上がりは全く違う曲になったんだ」

スチワートは推測する。

「ゴドレイはただ座って“どうやって人とは違うものを作り出せるのか? どうやって自分はこの曲を感傷的にならないように出来るんだ?と考え続けていたに違いない。それで彼は、アカペラのアイデアを思いついた。素晴らしいアイデアだった。全く彼の頭の中で、素晴らしい化学反応が起こったんだよ。レコード会社の幹部が最初に曲を聞いた時は、かなり喜んで色々と感想を言っていたが、シングル曲にすることについては躊躇があったようだった。彼らレコードメーカー的な思考では、バラードで6分を超える曲だったことがネックだったようだ。ラジオでかけてもらうのに都合が惡かったからね。だったら'Life Is AMinestrone'にするか!って感じで、実際にそうしたんだが、イギリス国内では本当にヒットしたよ」

しかしながらエリックはその後、ミュージシャンのロイ・ウッドを含む多方面からのテレグラムを受け取ったのだが、その内容には、'I'm Not In Love'の歌唱を褒め称え、シングルとして出すべきだとの進言があった。周囲はこうした意見に賛同しており、他のレコード会社からの発売という動きもあったが、マーキュリーは依然リリースについて堅くなであった。

BBCは私に編集したらどうか?と問い合わせてきた」とスチワートは回想する。「私は拒否したんだ。そんな形で出せる訳はない。私の考えでは、傑作の肖像画の半分を塗りつぶすようなものだった。どこをカットするんだね? 頭かい? そうであるにも関わらず、残念なことだったが、彼らは我々にピアノとベースのソロがある中間部をカットして66秒を410秒にするように私は説得させられたんだ。ソロ部分だけで、1分半、またエンディングのフェードアウト部分で30秒かそれ以上をカットした。結局レコードのヒットチャートの結果は28位だった。その後、BBCは大衆やメディア連中のプレッシャーの高まりに応じてノーカットでオンエアーを開始したんだ。そしたらチャート1位になったんだ。最後に正義は勝つってことさ。それに相応しい曲だったし、自分も含め、メンバー、一丸だったことを誇りに感じているよ」

「要するに、この曲は、ゴドレイの却下から蘇り、レコード会社やラジオ局の干渉にもめげなかった訳だ。アルバム「オリジナル・サウンドトラック」が1975年の春に発売されてから、25週間に渡ってビルボードチャートに入り、'I'm Not In Love'がイギリスで1位になっただけでなく、アメリカでも2位となるこで世界的なヒットを実現した」

それにも関わらず76年発売の”How Dare YOU!”は、ゴドレイとクレームが自分たちが開発していたギターディストーション・アタッチメントの一種、“ギズモ”ビデオ制作にフォーカスし始めたためバンドから脱退した。スチワートとゴールドマンは、1983年までバンドを存続させた。90年代中期までに発売された2枚の10ccのアルバム“Meanwhileや“Mirror Mirrorの舵取りをし、自身も参加する以前のスチワートは、“Sad Café”やアバの“Agnetha”のプロデュース、数年間に渡るポール・マッカトニーとのコラボレーションなどを行った。この時の再結成は4人のオリジナルメンバーが集結した。

「再結成はスフレを温め直すのようなものだった」とフランス、ドルドーニュ地方でスペイン生まれのベルギー人アーティスト“Pascal Escoyez”のプロデュースを半地下構造の素晴らしいスタジオで行っていたエリックは語った。

実を言えばアルバム”Meanwhile”は、
契約書に開いた穴が原因で出来たようなもんなんだ。ゴドレイとクレームが、ポリグラムの契約から開放される条項があったのからだ。それは彼らが私とグラハムと一緒に再び仕事をする場合、ポリグラムは2人との契約を解除する内容のようだった。そのお陰で再結成が可能になった。残念ながらジェフ・ポーカロをドラムにし、ドクタージョンをピアノとヴォーカルにするというアイデアを妥協しなければならないという面があったが」

「何年か後、私はゴドレイに“何故10ccを辞めたんだい?”と訪ねていると、彼は、“"I'm not In Love" "Blow me down"のようなクズみたいな曲をやりたくなかったんだよ”って言うんだよ。でも最近聞いた所では、70年代に活躍し成功したアーティストを讃えるために贈られた“Ivor Novello”という賞をもらったんだが、誰かがゴドレイに同じ質問をしたらしいんだ。そしたら“ああ、あの曲は当時嫌いだったよ。でも、あの曲を自分が書いていたとしたらと思う。だって10ccの作品の中で、最もヒットし成功した曲だからな”と言っていたそうだ」

確かにゴドレイはこの曲を書いていないが、アカペラを主体としたサウンドを構築して他の楽曲とは異なるサウンドを作り出そうとする彼のアイデアがなければ、この曲は全く違ったものになっただろう。彼のアイデアは楽曲を生みだした事に匹敵するほどの貢献があると言っても過言でない。

'I'm not In Love'は、ストロベリー・スタジオの当時の秘書だったキャシー・レッドファーンらの無垢な情熱によってこの世に蘇ったと言える。
こうして考えると曲の命運とは分からないものである。そして偶然にも曲中に使用されている、ささやくような声は彼女の声であり、女神の声は今でも私たちを楽しませてくれるのである。

名曲はかのように生まれ、この世に残って行くのだろう。

そう言えば、これは漠然とした私の記憶によるエピソードだが、発売当時、日本のレコード会社にはオリジナルの歌詞が送られていなかったという。当時はそんな資料が海外から来なかった時代だったからだ。
従って初版のレコードの歌詞カードは通訳者や外国人などによって行われた耳による聞き取りだったため、本楽曲の冒頭の「I'm not in love, so don't forget it, it's just a silly phase I'm going through」の「phase」は「face」として掲載されいたと聞いた事がある。
日本語訳すると意味が繋がらないが、当時の人にとって「silly phase」を聞き取るのは容易でなかったことは非難出来ない。昔はそういう時代だったのだ。

I'm not in liveの大ヒットから約2年後、まだメジャーなヒット作品を世に出しきれていなかった一人のNY生まれミュージシャンが”Just the way you are”という曲を作る。当時の妻の誕生日パーティーへの出席を忘れ、遅れて来場した彼が妻への罪滅ぼしのためにパーティー会場で即興で作ったと言われている曲だ。
その中で彼は、I'm not in liveと全く同じ手法を使ってバッキングコーラストラックを作っている。彼の名前はビリー・ジョエル(Billy Joel)。
本作のレコーディングは、彼の周辺のミュージシャンからかなり反対意見があったようだ。それは曲がメロー過ぎるという理由だった。
それはさて置き、このトラックの制作方法は、当時のプロデューサーだったフィル・ラモーンのインタビューでコーラスの録音方法にI'm not in liveと全く同じ手法を使った事が明らかになっている。

「Just the way you are(邦題:素顔のままで)」にはI'm not in liveへの尊敬と愛情の念が満ち溢れている。
また当時の彼らは、この楽曲のコーラスがどのように作られていたかを100%知っていたことになる。
そして、10ccの記憶を紡いだビリー・ジョエルは、この楽曲が入ったアルバム”Stranger”でメガヒットを飛ばし時代に寄り添うアーティストとなる。

残念だが1980年代以降に生まれた世代では、上記の2曲を知らない人々が意外に多い。当然と言えば当然かもしれないが、時代を紡いだ名曲の断裂は残念でもある。
特に10ccについては殆ど知らないという若者が多い。
確かに10ccはポピュラーなバンドじゃないかもしれない。しかし70年代~80年代にかけて彼らが残した功績は大きく、実際、名曲も多い。
音楽は時代に寄り添っている部分も多く10ccのようなバンドが進む独自路線と相いれない部分があるのは致し方ないとも言えるが、こうした名曲の存在を次世代に引き継げぬままに新しい世代が時代がテイクオーバーしてゆくのは何とも寂しい限りだ。


尚、上記と殆ど同様の内容は以下のサイトで英語で読むことが可能なはずだ。但し場合によってはアクセス不能になるかもしれない・・・:

CLASSIC TRACKS: 10cc 'I'm Not In Love'

http://www.soundonsound.com/sos/jun05/articles/classictracks.htm 


I'm not In Loveというそれまで誰もなしえない方法によるコーラスアレンジとレコーディングによって構築された楽曲が生まれた1975年、同じイギリスではもう一つのロックグループ「QUEEN」が、やはりそれまで誰も成しえなかったアレンジとレコーディングによって名曲Bohemian Rhapsodyを世に送り出した。
全く同時期にコーラスを多様した全く違うアプローチの名曲がイギリスから生まれたという偶然に驚かせながら、そのレコーディングについても以下のように調べてみたのでご参考に読んで頂きたいと思っております。

(関連:QUEENのボヘミアンラプソディーのレコーディングに関してまとめたブロク記事)

http://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2012-10-02


さて、誠にウレシイ話なんだが、このブログの記事を読んで、実際にI'm not in loveを再現レコーディングした「ササニシカ」という日本人ミュージシャンたちがおります。以下がその映像です。凄い気合い入っていて結果も凄いです。

https://www.youtube.com/watch?v=Q7H_-x_jiDI

ササニシカ公式WEB:

http://sasanishika.web.fc2.com/sasanishika/top.html 


長い記事を最後までお付き合い頂き恐縮です。
I'm Not In Loveは、ある意味でアナログ時代の録音方法でしか作れないものだと思う。
現代では定番の録音機、Pro Toolsで同様の試みをしても、あの独特なアナログコンプレッションや混沌とした風味を生む事は不可能だろう。
そういう意味で、彼らの試みは究極的で極めて独創的だったし、おまけに大ヒットしたことで世に広まった。

記事はこれで終了ですが、リンクをご希望の方はご自由に。感想等を頂ければ励みになります。
そして10CCや当時の素晴らしい音楽群が世代を越えて引き継がれる事を節に望む次第です。

ではでは。


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株の初心者

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
by 株の初心者 (2012-11-01 02:26) 

富田民人


コロン様

貴殿の記事を読み、たいへん勉強になりました。ありがとうございます。
さて、歌詞について質問があります。この曲の和訳をネットで調べると、主人公がフラれる、または、主人公が相手を振る、という解釈になっていて、いずれにしても、恋の終わりについての内容になっています。しかし、この記事では
「曲中に巧妙に逆説的な意味を織りまぜて、何故私が妻と長い間、夫婦関係であり続けているのかを言いたかった」と書かれています。
私はとても驚きました。改めて、歌詞を見直しはじめているところです。
「I'm not in love.」という歌詞は「僕らの関係は恋とかそんな軽いものじゃない」という意味なのでしょうか。まだ良く理解できていません。
しかし、それで思い起こしたのは、The Beach Boys の「God Only Knows」という曲です。歌詞は「I may not always love you.(君をいつでも愛しているわけじゃないかもしれない)」から始まり、逆説的に深い愛情を語ります。「I'm Not In Love」は「God Only Knows」に影響を受けているのではないでしょうか。不安定なコードに乗せられた美しいメロディ、やるせないサウンド、ベースソロ、、、共通点が見られると私は思うのですが、いかがでしょう。
--
富田民人
by 富田民人 (2013-05-16 02:05) 

コロン

コメントを頂き恐縮です。この記事を書いているのにこんな返答で大変に申し訳ないが、「I'm not in love.」の歌詞の本当の意味での真相は私にも分からない部分が沢山あります。作家のインタビューに乗っ取ればその通りなのでしょうねえ。逆説的なアプローチは作家のアイデアなのでしょう。文字通りじゃないところにヒネリがあって面白いと言えます。

「God Only Knows」との関連性は面白い見方だなあと感じます。あの世代の人間は『ペット・サウンズ』を聞きこんでいるでしょうからねえ。脳のどっかに刷り込まれていたのかもしれませんねえ。

「I'm not in love.」は音楽的にも楽曲的にも偉業と言える作品です。昔からこの曲が好きでどうやって作ったのか興味があり色々な情報を調べてやっとまとめることが可能になったのはネットのお陰でした。名曲には素晴らしい背景がありますねえ。今後共よろしくお願い致します。
by コロン (2013-05-17 09:04) 

elf51

こんにちは。
これはとても大作,良い記事をありがとうございました。
ぼんやり聞いていたI'm not in loveですが,
いろいろと謎が解けてよかったです。
あの音はずっとメロトロンの音だと思っていました。
この記事にリンクさせていただいてもよろしいですか
by elf51 (2013-09-21 16:48) 

コロン

コメントありがとうございました。どんどんリンクしてください。よろしくお願い致します。
by コロン (2013-09-24 16:18) 

maggie

とても納得しました。ありがとうございます。Alan Parsons Projectとの関連もレクしていただければありがたいです。
by maggie (2014-12-21 07:15) 

コロン

>Alan Parsons Projectとの関連もレク
何処かで探してみますね。私も興味あります。
by コロン (2015-01-13 13:02) 

naka

とても興味深く読まさせていただきました。
私が洋楽を聴き始めたのは80年代初頭なのでこの曲をリアルタイムでは経験していませんが、高校生のときにラジオで耳にして気に入り、後日中古レコード店でLPを購入しました。
ラジオで聞いた時はシンプルで美しいメロディーの曲という印象でしたが、レコードを聴いてその複雑な音作りに驚愕し、以後10ccはお気に入りのバンドとなり、再結成後の来日公演も観に行きました。

さて、この曲の幻想的なコーラスがどのように作られたのか?私も大分前にネット検索したことがあるのですが、英語の記事までチェックする気力までは無く良く分からないままだったので、本記事はとても参考になりました。

あとケビン・ゴドレイがこの曲を異様に嫌ってたこと、本曲がボツになる可能性があったということは始めて知りました。

数年前に出た10ccのボックスセット「TENOLOGY」のライナーノーツでケビンはこの曲に対してかなり肯定的な発言をしていたので、ここで彼が示した過剰な嫌悪感にちょっと驚きました。うーん、何故でしょうね。もしかすると彼にはこの曲が大ヒットすることがわかっていて、曲自体よりも、その結果がバンドにもたらすであろう影響、帰結を嫌ってたのかもしれませんね。

また記事の中でビリー・ジョエルの「素顔のままで」に言及されてますが、この曲はビリー自身があまり気に入っておらずボツになりかけたところを、フィービー・スノウの助言で収録されたという経緯があります。音楽史に残るこの2曲がもしかすると日の目をみない可能性があったというのは興味深いエピソードですね。

そうそう、秘書のキャシー嬢のエピソードは知っていたのですが、写真は初めてみました。声から想像していた通りチャーミングな方だったので安心しました(笑)

by naka (2015-01-15 16:31) 

コロン

naka様。コメントありがとうございました。私とは世代がちょっと違いますが、同じ曲に触発されている共通点が感じられました。「TENOLOGY」のライナーノーツでケビン氏のコメントの件は初めて知りました。興味深いです。本作も「素顔のままで」も、作った本人の感覚でボツに成りそうだったが、結果的に周囲にサルベージされた訳で、そういう意味で名作の出現って奇跡的でもありますね。改めてコメントありがとうございました。
by コロン (2015-01-22 11:11) 

来年七十歳

検索すると上位ページに・・・・と、言うことで私もこちらのページにたどり着きました。
テープコーラス?(造語、コーラステープは商品があるみたいなので)I'm not in loveのコーラス手法に関し面白く読まさせていただきました。
私も「Song To Soul」を見ましたが、番組最後のほうで日本のミュージシャンがインタビューに答えて「当時このコーラスに挑戦したけれども分からなかった」と言っていたのが印象的でした。
と言うのは、昔オーディオ雑誌で「なぜ録音技師は電気関係の知識を持った人が多いのか」と言う質問の答えに「録音する上では音楽屋に電気を教えるよりも電気屋に音楽を教えるほうが理解するのが早いから」というのを思い出し、逆に納得していました。
考えようによっては、電気製品であるメロトロンの発音原理が、一般のテープレコーダーの再生と同じなので、理解するのはさほど難しいことではないと思いますが、問題はその音源となるテープをどのように作るかは録音技師(当時の技師さんは切った貼ったの世界はお得意、コピペでは有りません専用のはさみと接着テープで本当にマスターテープを切ったり貼ったりします)の範疇になるのかなとおもいます。
このミュージシャンも、それさえ分かっていれば日本人初のテープコーラス作品を作っていたかもしれません。
by 来年七十歳 (2018-11-23 02:33) 

温故知新

70年代後半 1枚のアルバムを出したブルーベリー・ジャムの「風の彼方へ」を聴いてみたら、コーラスの技法が「I'm not・・・」を意識しているような
彼らは、どのような意図でこのようなサウンドを考えたか興味のあるところだ。
by 温故知新 (2019-11-23 04:06) 

コロン

温故知新様、コメントありがとうございました。
当時のミュージシャンたちの新しいサウンドを作るためのエネルギーは物凄いものがありますが、この曲は正にそれだと思います。
by コロン (2019-11-25 17:29) 

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