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ド素人だから分かる! 誰も教えてくれない人生設計の描き方 ~Part-2 貯金の巻 [誰も教えてくれない人生設計の描き方]

ド素人だから分かる!


誰も教えてくれない人生設計の描き方


Part-2 貯金の巻


 


厚生労働省調べによれば、日本人の貯蓄の平均は以下であるという。


 


【年代別:平均貯蓄金額】


年代

平均貯蓄金額

29歳以下

1548千円

3039

4041千円

4049

6527千円

5059

1,0512千円

6069

1,3394千円

70歳以上

1,2635千円


 ※出典:国民生活基礎調査[各種世帯の所得等の状況](厚生労働省)



人によっては上記数値を見て、随分と他の人は貯めているなあ・・と思う人も多いだろう。


年齢が上になるほど貯蓄額が多くなるのは、経年による積み上げがあるからだが、平均的にみて60歳代が貯蓄のピークとなっている。


当然だが累積労働時間が長いからだ。
また70歳から下がっているのは貯蓄の一部を切崩している査証だろう。


当たり前の事なのだが、平均的もしくはそれ以上の貯蓄をするためには、そもそも生涯年収がある程度高くないと難しい。
若い時は貯蓄よりも可処分所得を使う事で人生に役立つ資産を得られることもあり、必ずしも積極的に貯蓄に励む事が良いとは思わないが、ある年齢以降では貯蓄もしくは運用を意識しないと今後の100年時代を乗り切る事は出来ない。


年齢以降の家計を考えると、貯蓄や積み立ては避けられない行為になる。


さて、一体何を目標にして貯蓄をすればいいのだろうか?


以下は日本の平均的な労働者の賃金風景だ。


 


日本の平均年収の男女内訳(国税庁調べ 平成30年度版)


平成30

平均給料

平均賞与

平均給与

455.1

89.9

545.0

251.9

41.1

293.1

371.0

69.7

440.7


 


男女平均額の年収440.7万円に38年を乗ずると約1.7億円だ。これが日本の労働者の平均的な生涯年収像と言っていい。


上記額から税金等が控除されるので、手元に残るのは75~78%程度となる。これに退職金が加わる事になるが、退職金はゼロから数千万近くまでの千差万別なのでこの段階では言及しない。


いずれにしても、殆どの人々は、この位の賃金で現役時代を生き、老後に備える事になる。


参照資料:厚生労働省 都道府県別平均賃金(平成30年度版)


https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2018/dl/13.pdf#search='%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81+%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%B9%B3%E5%9D%87%E8%B3%83%E9%87%91'


 


仮に60歳で定年退職し、男女の平均寿命の真ん中辺りとなる25年間を生きたと仮定しよう。


60歳からの毎月の生活費を25万円と仮定した場合、死ぬまでに生きるために合計額で7,500万円(25万円×12ヵ月×25年)必要となる。


凄い金額だと分かるだろう。


 この人の年金が65歳から出ると仮定し、毎月の受給額が15万円とすれば、年金だけで4,500万円を受給することになる。


しかしここから約20%程度の税金等を納めるため、可処分所得は3,600万円となり、7,500万円との差額は3,900万円となりこれが不足額と分かる。
さて、仮に退職金が1000万円あったとしよう。退職金は一定額まで無税なので、この場合、不足額から控除できる。


これで残不足額は2,900万円だ。
月額に直すと9.6万円相当だ。


 現役時代に総額2,900万円を目標として貯蓄を計画、実行することになるが、これを現役時代の労働期間38年で割ると平均で毎年76.3万円、毎月平均で約6万円余程度の貯蓄が必要だと分かる。


仮にマンションなどのローンがある中で、さらにこれだけの貯蓄を考えるとすれば、中々大変な額だと思わないだろうか?


そこで、これはとても無理だという事なら、以下の選択肢から実行しなければならない。


     60歳以降も働いて一定の現金を稼ぐ(人的資産の活用)。


     現役時代の大幅な支出見直しをして実行する。


     60歳以降の毎月の生活費を削減する。


     現役時代に給与の良い仕事をして貯蓄額を増やす(人的、人脈資産の活用)


     投資等の運用で増やす(もちろん減るリスクもあるが・・)(金融資産の活用)


 


例の年金2,000万円問題というのは別に特別な事ではなく、かなり当たり前の事を言っていると分かるだろう。貯蓄に関する人生設計は、たったこれだけの加減乗除で整理して整理出来るのだが、皆さんはどのような感想を持っただろうか?


現役時代に2,000万円を貯蓄出来たと仮定すると冒頭のケースでも、まだ約900万円近く不足する。


900万円の不足を補えなければ何等かの対処が必要だが、一番簡単なのは生活費を削減する事だろう。


月25万円を22万円に削減した場合、削減額は25年間で総額900万円となる。


計算上はこれで解決する。


しかしこれは計算上の話で、現役の生活には意図しない支出があったり、無駄使いをしたりと様々な事が起こる。


 


また60歳以降になると病気等の確率が高まり、大きな支出を余儀なくされるケースが多くなるし、自分の葬儀費用だって保留しておく必要がある。


従ってベースラインとしては上記の通りだが、実際はそれ以上にバッファーを持っている必要があり、最低でも500万円、できれば1000万円以上の余裕があれば安全圏内と考えてもいいだろう。


従って、還暦後の25年の間に更に不足する1000万円を何等かの方法で調達するという事になる。


例えば定年後も70歳まで10年間、何等かの形で働いたと仮定すれば、手取り年収平均100万円(額面では135万円程度)の収入を得れば対応可能と分かる。


橘玲氏の著作にもあるが、人間が持っている資産は、「人的資産」「金融資産」「人脈資産」の3つであり、これのどれかを使ってしか資産形成が出来ないと語っているが、全くその通りだと分かる。


メディアで報道される年金は、老後を担保するもののようにミスリードされているが、実際の年金は「保険」でしかない。


つまり年金は、現役時代の納付額で決まるというだけで、長生きすればそれだけもらえる訳だ。
支給額は現役時代の収入の50~60%で設計していると言われているが、実際の支給額は1人辺り年間70~180万円程度だ。
従って年金収入だけを当てにして生きるのは中々大変だと分かるだろう。


特に今の20代、30代の人たちは、今からそれなりに意識を持って60歳以降の生活設計を見据えないと時間が足りなくなってアウトになる。


時間があればあるほど優位性があるからだ。


現在は70歳定年などという言葉が出てくる時代であり、企業側からしたら人件費の負荷が重くなる時代が見えている。
当然近い将来、正社員の数を大幅に絞る時代が来るだろうし、労働者の多くは数社掛け持ちなどという働き方が当たり前の時代も来るかもしれない。
特に年齢が40歳以上になると極めて厳しい時代が来るのは目に見えている。


時間的余裕があればあるほど対処する選択肢が多いので、上記を良く考えて備えておいた方がいいだろう。


過去記事:


ド素人だから分かる!
誰も教えてくれない人生設計の描き方~Part-1 自宅購入の設計図の巻


https://skjmmsk.blog.ss-blog.jp/2019-10-31



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誰も教えてくれない人生設計の描き方 ~Part-1 自宅購入の設計図の巻 [誰も教えてくれない人生設計の描き方]

ド素人だから分かる!


誰も教えてくれない人生設計の描き方


Part-1 自宅購入の設計図の巻


 


私は20199月で還暦を迎え、それに伴い定年退職となった。


私の社会人人生のスタートは、いわゆる普通のサラリーマンとはちょっと違う。大学時代に就職活動をせず、そのまま社会に入っていったからだ。


就職活動をしなかったのは、当時ミュージシャン志望だったからだ。


 


当時の自分を今の自分の視点から見ると無謀でしかないが、当時の私には自分の力量と未来を見渡せるような能力が無かった。


それでも夢のために必死に生き、23歳から42歳まで憧れの音楽業界に席を置いた。当初描いていた夢の一部は叶ったが、多くの夢は破れた。
そして42歳から60歳の定年まで、衛星放送と映像事業の業界に席を置いて生きてきた。


自分の人生の総括はまだわからない。
スガシカオの曲、Progressの一節に「ずっと探していた本当の自分って もっとカッコ良かったけど」とあるが、あの心境は私にも重なる。


 


還暦になった私の実感は、若い時、ちょっとだけ人生を刹那的に行き過ぎたかもしれないという事だった。


そういう意味で、私は人生の設計図を描き切れないまま還暦になったと言っていい。


この企画はその反省から産み出てきたものだ。


 


実社会に入ると、人生設計に必要な情報や知識を誰も教えてくれない。
自分自身で気が付くか、他人の生き方をベンチマークするしかない。


先日、アレックス・バナヤン著の「サードドア」を読んだ。ビル・ゲイツを始めとする成功者への様々なインタビューを通じた彼の総括は、「自分が何者かは、自分の能力ではなく、自分の選択で決まる」とあった。


自分の人生を振り返っても選択の重要性は思い当たる事が多いし、より良き選択が人生を様々な方向に導く事も理解できる。


多くの人々は、他人がどのような人生設計を持ち、どのようにより良い老後を暮らそうとしているか詳しく知らないはずだ。


私自身を振り返れば、色々な情報や現実を理解していれば良き選択をした場面が多かったと思う。


若かった時代は未熟でそうした考えすら浮かばなかったことが悔やまれるが、色々な人たちと話しをしているとそれが自分だけではないことに気付く。


 


果たして人生は適切に見通して設計できるものなのか?


また人生をより良く送るために知っていた方が良い事は何なのだろうか?


ここでは様々な観点を整理して書いてみようと思う。


 


◎自宅を購入するという設計について


 


自宅購入の基本設計図:


    自宅購入総額=【手取り生涯収入(見込み)+相続遺産見込み】×25%(以下)


    自宅購入総額とは、自宅購入ローン額(税別)+利息+維持管理費の合算値である。


    収入のピークに合わせた価格決定をしてはいけない。


    老後の自分や家族の在り方を見通した家選びをすること。


    老後の体力に合わせた家選びをすること。


    本当は家を買わず、借り換えできる人の方が人生の柔軟性に対応できる。


 


誰にとっても自宅を持つ事は夢の1つだろう。殆どの人にとって自宅を買う事は人生最大の買い物と言って過言ではないし、事実そうだ。


マンションにしろ、一戸建てにしろ、数千万円の物件を長期ローンで買う判断はかなり困難を伴う。
その理由は、誰にとっても初めてなのに、ほぼ最後の経験になるからだ。従って自宅購入にまつわる失敗談は数多く、当然そうして失敗談を見聞きしても経験後に分かる様々なトラブルをその後に生かす方法もない。また多くの人は大抵の場合、失敗談を我が事だと思わない傾向がある。


 


さて、自宅を購入する際、最も困難なのは購入金額の決定だ。


以下、上記記載の自宅購入の基本設計図の①と②について書く。

大抵の場合、自宅を購入する年齢は20代後半から40代初頭が多いが、それ故に将来の給与の伸びや不測の事態を甘く見積り、自分の許容量を超えた金額の購入設定をしてしまう。


自宅の購入金額を決定する際のキーポイントは、「手取生涯年収(手取生涯世帯年収)」の見込み額だ。
20
代後半の人が60歳(現在の平均的定年)までの想定手取り収入を予測するのは非常に困難だが、会社員なら自分の会社の50代の人の平均的な年収を調査することである程度可能だし、上場企業なら四季報を読めば前者平均給与額の掲載があり、そこから予測可能だ。
一般的な意味では日本全体の男女の平均収入、もしくは世帯収入を参照することも可能だ。国税庁が発表している2019年の日本の平均所得は、432万円(男性平均:531万円、女性平均:287万円)だ。


 


https://www.nta.go.jp/information/release/kokuzeicho/2018/minkan/index.htm


 


仮に60歳までの38年間を働くと、平均で約1.6億円の額面所得となり、手取りだと約1.2億円と推定できる。


さてこの平均的なケース場合、自宅の適切な購入額は一体幾らなのか?


 


賃貸物件に住んでいる人たちは知っていると思うが、収入に対するアパートの家賃率は最大でも月額手取りの30%以下と聞いた事はないだろうか?


 


この数値は非常に実質的な数値で、これを上回ると生活費の他の部分を削る必要に迫られることが分かっている。


私の経験測で言えば、25%以下が適切で、出来れば2023%以内にしておかないと、将来の賃金変化や修繕費、貯蓄等への対応が出来ない。


さてこの数値に先の平均生涯年収を当てはめてみよう。


仮に30%とすれば、1.2億円×0.30.36億円(3,600万円)と算定される。


 


なお、この額は、不動産取得税や、ローン金利込みで、尚且つマンションの管理費、関連税を加えた額である事を理解して欲しい。


そうなると3,600万円の物件が購入できる訳ではなく、実際は2,000万円台中盤位が適切という事になる。


地方ならともかく、東京だと1DKレベルかもしれない。家族が住む家としては狭すぎる。
つまり大きな物件を買うなら23区外や隣接県に求めることになるし、場合によっては地方ということにもなる。


仮にあなたが生涯予想手取り年収2億円(生涯平均額面年収800万円程度)とすれば、理論的には3~5千万円の物件が可能だ。


またより細かく指摘しておけば、支払いの際、ボーナスを当てにした支払い方法は避けておいた方がいいだろう。本来家賃は月額の手取り収入に対して支払い可能な額にしておくべきで均等払いの方が設計が楽だ。また収入が下方になった際のボーナス払いは圧倒的に家計を圧迫する。


仮に購入時にそれなりの貯蓄があり、頭金を支払うことでローン額+管理費を家賃程度に圧縮出来るのであれば、その方法がベストだ。一時的にキャシュフローが減るため頭金の設定は慎重にして欲しいが、ローン額と時期を短くする方が結果的に良いからだ。


またローン完済年齢は60歳前までがいいが理由は後述する。


生涯年収が平均よりも遥かに高い人たちや親の資産提供で補填してもらえる階層は、それに比して条件の良い物件を手に出来るが、生涯年収の平均値だけから算定すると、この位が日本の平均だと判る事を理解する必要がある。


 


何を言いたいかと言うと、平均的な収入の階層は、自分の親からの資産配分か、結婚相手の資産配分無しで高額物件にアクセスすることは困難で、アクセスした場合、何かを犠牲にしなければ支払いが難しいということだ。


 


私のような独身の地方出身者が東京に住み続けるために東京圏に家を持とうとしたら、日本の平均生涯所得の2倍以上の所得がないとあるレベル以上の自宅を持つ事が叶わない。


もしくは、運よく結婚相手が自分よりも収入が上で世帯収入が平均の2倍以上を確保出来るか、もしくは結婚相手が資産家なら可能性が高くなるだろう。


東京に住んでいる人たちには理解し難いだろうが、地方出身者が都会で人並みの家を親の資産援助無しで持つのは結構ハードルが高いのだ。


つまり、自宅を購入しようと思ったら、自分もしくは世帯の生涯年収の予測と、付き合う女性(もしくは男性)に関する様々な面での検討が必要となる訳だ。


当然、若ければ若いほど、こんな世知辛い視点で人生を送ろうとは考えない人たちが殆どだろう。それは当然だ。
また、この考え方に眉をひそめる人がいることは十分に理解した上で書いているが、結婚は相手によって自分の人生が変わる可能性が一番大きなイベントだと知っておいた方がいい。
誤解なきように書いておくが、金銭的環境だけで結婚の幸不幸につながらない。実際、我が家は中流家庭で資産も殆どないが、母は父に感謝して生きていた。


それでも余りに金銭的余裕がないと、精神的余裕を失う事は自明の理で、やはり金銭は適度に必要なものである。

いずれにしても、自分の実家に配分されるほどの資産がない人は、自分自身で作り出すか、結婚相手の資産によって嵩上げする必要があることを覚えておいて欲しいだけだ。


「玉の輿」という言い方があるが、これは男女両方に当てはまる。


若い時の恋愛感情は、前述のような冷ややかな計算に基づいて起きるものない事は十分知っているし、そうした無垢な恋愛感情が結婚、出産へ導いてくれるのだが、数年もすると恋愛感情の魔法が解け、金銭が飛び交う現実に立ち向かう毎日となる訳で、いずれにしても金にまつわる人生設計をすることになる。
従って上記記載の考え方は好き嫌いは別にして理解していて損はない。


 


昨今、人生100年時代と言われる。


一戸建てにしてもマンションにしても耐用年数があり、特にマンションはかなり丁寧に住んでも50年程度が限界だ。
一戸建ても建築条件に依拠するが、余程木材を中心にして金をかけた建築以外は50年程度だろう。


そうなると20代で購入した場合、建物の耐久性によってはもう一度買わなければならないか大規模な修理を必要とする計算になる。
しかし高齢になって金をかけるのは不可能なので、買ったマンションをどこかの時点で売って新しい住居を買いなおす必要があるが、これもなかなか難しい。


実際買い替え行為が可能な人たちはかなり少数で、普通は最初に買った物件に住み続けることになる。


 


ここ数年、東洋経済のオンライン記事に、年収1000万円以上の人たちの生活破綻が幾つも出ていた。普通の感覚で年収1000万円以上が生活破綻するとは俄かに信じられないが、私の周囲にもこうした人は散見される。


理由は簡単で、年収1000万円以上の人は日本で収入のある人たちの中で約4%程度しか存在しないが、死ぬまで年収1000万円以上を維持できる元サラリーマン層はほぼ皆無だからだ。


年収1000万円以上の人たちは、30代後半から40代中盤にかけて年収が上がり始め、同時に生活支出を増やしてしまう。
収入が維持できれば支出も維持できるが、大抵のサラリーマンは還暦年齢まで年収をピーク同様に維持することが困難だし、還暦以後は殆どの人たちが例外なく現役時代の年収の3040%以下になる。
その後年金だけの収入になれば、更に収入は下がるが、それが高齢者の家計の現実だ。
従って年収増加に合わせて支出を比例させてピークを作る事が如何に非合理と分かるだろう。


自宅購入の基本設計図の③はこの事を示唆している。


 


また、先ほどローンの支払いは60歳までに完了した方が良いと書いた理由は、この点にある。


多くのサラリーマンは、自宅購入のローンの支払い終了時期を65歳以降にも設定している。(私の知り合いは80歳まで設定していて驚いたが・・)


これは、年収が減る中でローン返済額が減らないままとなり、収入に対する返済額が許容率の30%を超えてしまい生活を圧迫する設計をしていることになる。


また前述したが、昨今役職定年等で50歳以降に減収するケースも多くなり、こうした場合も上記と同様になる。年収1000万円の人が10%減収しただけでもローン負担は相当なものになる。


私がローン設定額を20%に近い程度にしておいた方がいいという理由は、こうした背景があるからだ。


 


基本設計図の④~⑤は、意外な落とし穴と言っていい。


大抵の場合、家を買うのは若い時で、健康で体力もある。


大抵の人は自分の現在の状態に合わせて家を買ったり建てたりしてしまうが、多くはこれで失敗する。
特に子供がいる人は、部屋の多い物件にしたり、土地が安いからと言って、かなりの道のりを登るような高台に家を持ったり、また人によっては3階建てにしたりする。


家を持つ際、その家に永遠に住むのは誰かを考えた方がいい。また自分たちが80歳に近くなった時にどのような状態になって家に住む事になるか想像を巡らせた方がいい。


 


昨今は歩き先々で高齢者に出会うが、彼らはあなたの未来の姿だと考えておくべきだろう。つまり大抵の人はある年齢でヨボヨボになって杖をつき、腰が曲がって容易に歩けなくなるのだ。認めたくなくても大抵の人はそうなる。


だからそういう状態でも住める家を求めておかないと、大変な苦労を背負う事になる。


実は、私のとある知り合いは3階建ての家を建てた。私がその家に行って思ったのは、最終的に夫婦2人だけで住む家をこんな大きなサイズで作ってしまった大丈夫だろうか?という事だった。日常的な掃除や維持管理だけでも大変だし、そもそも高齢になって3階への階段移動が可能だろうか?という疑問が浮かんだからだ。


他人の家なので、彼らに私の意見はコメントはしなかったが、こうした家は決して例外でなく、大抵の人たちは若い時代の体力や状態だけを念頭に置いて家選びをしてしまうという典型的な事例なのだ。


 


最後に自宅購入の基本設計図の⑥について書く。


この考え方はかなり逆説的だが、201910月の台風や豪雨被害がヒントになっている。


特に今年の豪雨被害は酷く被災者の方々の現実には本当に心が痛い。


その中の被害者の一人で、テレビの取材に応じた方が印象的だった。
定年退職を機に東京の自宅を売り、転居先に建てた家が洪水被害にあった方だった。
まだローンが残る中での破壊的被害は、他人の私が見ていても心痛する状況だった。


また、千葉のゴルフ場の施設の倒壊が自宅を破壊した例も同様に酷い状況だった。まだ30代と思われる男性が、家の修繕や今後のローン支払い、また事故補償の行方に心を痛めている姿は同様に心痛するものがあった。


仮に彼ら全員が賃貸だったらどうだったろうか?


家財道具は最低限度の保険に入っているため多少の保証が受けられ、また引っ越せば新居で新しい生活を再開できることになる。


今回の災害で家に関わる保険料は大幅に上がるだろう。


その金額を死ぬまで支払うとして、幾らになるか計算してみたことはあるだろうか?


様々なケースがあるので一概に言えないが、マンションの場合で、30年で120~200万円程度、一戸建てだと300~500万円近くなる。


果たしてどちらが良いのだろう? 


家を持たないことは悩ましいが、持つ事も結構悩ましいと分かる。


 


自宅を持つというメリットは絶対にあると思っている。
しかし自宅がある場所によってはデメリットにもなる可能性があるし、それが人生を揺るがす事もある。


賃貸の場合のリスクは、高齢になり、収入が少ないので入居審査に落ちやすいという点だ。


ただし、今後空き家が増え、利用者が減る時代に入る事を考えると、高齢者の住人を受け入れないと成立しないと推定される。


さて、後はあなたの選択である。


 



最終結論:


家を持つか持たないかという人生設計をするということは、現在だけで考えず、人生終盤までを俯瞰して設計しなければ「選択」を誤る。


仮に何らかの誤った選択をすると高齢時にツケを払う羽目になるため慎重にした方がいい。


また高齢時になって払うツケは、取り返すのが殆ど難しく、人生に重い最後を突き付ける可能性がある。



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重要な情報なので共有致します。豊増 洋右さんの大型台風の経験。 [独り言]

台風19号が迫っており、今迄にない緊張感を強いられております。
私が東京に来てからこんな大型台風は初めてで、想像を絶します。
台風15号の経験から学ぶ事は多くありますが、以下の豊増 洋右さんのコメントには切実な経験値があり、重要な情報が含まれておりますので、
皆さまや特に千葉県の方々にお読み頂きたくシェアをさせて頂きました。

 

【T9119 の経験から】

これは、あくまで九州で91年の台風19号の被災したときの経験の話です(正確には17号と19号の2連続の経験)。いたずらに不安を煽るようなことは書くべきではないとわかっていますが、最悪の事態を想定する必要はあると思うのであえて経験談として書きます。自治体のみなさんもすでに対策されていると思いますが、今回は本当に最悪の事態に備える必要があります。2連続直撃というのが、本当に恐ろしいです。

91年の台風19号のときは、その1週間前の台風17号で屋根瓦の一部が飛んでしまっており、そこに来た2度目の台風によって、風速42m程度で、母屋、牛舎の瓦のほとんどが飛び、倉庫の屋根はなくなりました。母屋は壁もなくなりました。一部の瓦がずれていたり、なくなってしまっていると、40mくらいの風で全部剥がれて飛んで行ってしまいます。ブルーシートはかなり入念に抑えていたつもりでしたが、一瞬でなくなってしまいました。

西日本の多くでそういう事態だったので、瓦の供給は順番待ちで、全部の屋根瓦をふき終わったのは年が改まってからでした。その間、ブルーシート生活は長く、風でだんだん痛んで破れるので、何度となく新しいものに貼り直しました。

風速40m程度の台風が2回続けて来た、ということの結果が上記です。

今回の台風19号が千葉県に上陸した場合、15号ですでに屋根の一部が被害を受けているような家屋は、最悪の場合すべての瓦や屋根材が飛ばされてしまう可能性があります。仮押さえしているブルーシートも、いままさに必死で対策してくださっていると思いますが、それでも多くが飛ばされて電線などにひっかかる可能性があります。夜があけたら大量のブルーシートが電線にかかっている、ということも想定する必要がああります。

台風通過後は、屋根全部を覆う大きさのブルーシートが大量に必要になることは間違いないと思います。そのつもりで、各自治体からの支援の準備が必要かと思われます。

災害対策本部をいつ設置したか、とか、知事がそのときどこにいたか、とかは正直、どうでもよく、最悪の事態を想定してどこまで手を打てていたか、だと思います。いまの段階で、一部被災した家屋の多い南房総各地に、大量のブルーシートを運び込んでおく、くらいしないと間に合わないと思います。そして、そのブルーシート生活はかなり長引くことも想定が必要。

それに加えて、停電、断水、通信遮断の対策。

県や国などの中央省庁は「情報が集まらない」などと言っている時点で、最悪の事態を想定する心構えになっていないと思います。災害時に情報なんていくら待っていても集まるわけがなく、人海戦術で確かな情報を取りに行くしかありません。その準備を。

とにかくあと2日間、ひとりひとり減災にむけてできる限りの対策、努力をするとして、そして、上記の準備が全て無駄になるくらい、被害が少ないことを祈るばかりです。

九州育ちなので、風速30m、40mくらいの台風には慣れていますが、今回の15号、19号は本当にそんな九州人からみても異次元の恐ろしさです。かなりビビってます。


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闇営業とタレントと事務所とメディアとあの方の死 [独り言]



吉本興業“闇営業”での損失は数億円規模「1000以上の仕事で調整が必要」



吉本興業のタレント直営業問題は、2019年7月22日の岡本社長の会見によって最初のピークを迎えた。
この間の流れで気になる事がある。
7月9日、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏が死去した。
7月17日夜、ジャニーズ事務所に対して公正取引委員会が「注意」をした報道がNHKの一方で流れる。

さて、フライデーに端を発した吉本芸人の闇営業問題は、19年6月初旬の宮迫氏への直撃に始まり、6月4日に入江氏の契約解消、その後、宮迫氏、田村氏が虚実証言をして二転三転し、6月24日に吉本興業が関係タレントが金銭授受をしたと発表し、処分している。

まず、ジャニーズ事務所の公正取引委員会が「注意」をしたNHK報道のタイミングや内容は、かなり違和感がある。そもそも注意位の内容でトップニュースにする点、またNHKも例外ではないが、紅白等、番組への所属鍛錬と出演を考えた場合のジャニーズ事務所への忖度を考えれば、NHKの報道は過去に例のないものだ。
それもジャニー氏の死去後というタイミングなのだ。


また、お笑い巨大企業の吉本興業のフライデーによる一連の騒動の事件化が、たまたまジャニー喜多川氏の入院~死去に近いタイミングで起きたのか、それとも何等かの意図が働いて起きた事象なのか? この辺りは気になる時系列なのだ。

いずれにしても、ジャニーズ事務所の所属タレントたちは、同じ業界内で常に狙われている才能である。またお笑い巨大企業の吉本興業のタレントも同様だ。
そういう感覚値を考えれば、これまでの地上波+大手芸能事務所の構図を更地にしようと考える人たちがいると仮定し、公正取引委員会が「注意」した件の報道や、吉本興業の一連の件には何等かの意図がある可能性を排除出来ないだろう。

この辺りは今後要注視案件だ。


さて、世間では闇営業と言われているが、業界では「直営業」と言われている。

所属タレントが事務所を通さずに、クライアントもしくは

それに近い立場から直接交渉され仕事をもらい履行することだ。

アルバイトとも言う人がいるが、この行為は本来的には契約違反だ。


タレントが事務所を通さないで仕事をしようとする最大の理由は、

事務所の手数料が高いもしくはギャラに満足していないからだろう。

もしくは事務所の手数料の料率がハッキリとしないからかもしれない。

または仮に料率を知っていても

元のギャラの本当の金額を教えてもらえないのかもしれない。

いずれにしても、タレント側に事務所への不信と不満があったのは明らかだ。


事務所側としては、タレントの仕事に関して日々仔細微細なケアを行っており、

その手数料に見合うサービスをタレントに提供していると思っているはずだ。
事務所の最大の功績はギャラの良い仕事を取ってくることだ。
本来タレントは、自分で営業するよりも事務所の営業の方がギャラが良いから

事務所と契約するインセンティブがある。
またそれに纏わる仔細微細な打ち合わせや対応を事務所が対応し、
タレントはスポットライトの中で活躍すれば双方ハッピーなはずだ。

しかし現実はちょっと異なる。
タレントは自分の手数料の料率や経費の明細が具体的に何だか理解しておらず、

様々な周辺情報を得てモヤモヤしている。
ギャラの額も不正確な情報が出回り、事務所への不信感の温床にもなっている。


いずれにしても、今回のようにクライアントの質に問題があれば、

事務所が中に入る事で適切な情報収集し、

依頼の時点で断わることも可能だったことは確かだろう。


そういう意味で世間知らずな芸人が

知りもしないクライアントの仕事をしょうとすると、

こういう恐ろしい地雷を踏むという良いサンプルになっただろう。


吉本興業の芸人は、吉本興行と契約関係がないと言う人が多いが、

契約書の交付がなくても

口約束レベルでも双方の合意があれば民法上の契約関係は成立する。

ただし、金銭を授受する関係上、双方が条件等を確認と承認をした

契約書はあって然るべきで、無い方がかなり不自然とだけは言っておく。
芸能事務所では、契約書を交わしているケースの方が小数だが、

交わしている場合でも、タレントに不利な部分が記載された契約が多い事は指摘しておく。


今回のいわゆる闇営業問題は、

報道ではタレントたちの暴走行為と捉えているが、

管理側の吉本興業にもかなりの問題があると見るのが公平だろう。

吉本興業からすればタレントにルール違反をされた上に損害まで出ていて

トンデモないと思っているだろうが、

そういう事を含めて管理をするから、高い手数料や信用に見合う訳で、

仮にタレントが水面下でやったルール違反であっても、

高い手数料を取る事で有名な吉本興業の管理責任を免れる事では全くない。


吉本興業の芸人さんたちは、自分たちへの支払い時に支払明細をもらっている事を

公言しているから、多分そうした支払い処理をしていると推定される。

但し、その明細にマネージメント手数料や

控除された経費が記載されているとは言っていない。

従って、番組名と各支払額もしくは

支払い総額及び源泉税だけが記載されているのかもしれない。


タレントのギャラは、「タレント派遣料+事務所手数料+経費」が包括されている。

大抵の場合、タレントは、自分の本当のギャラの総額を知らない。

芸能事務所にとって、タレントの総額ギャラは最高機密情報で、

役員と担当やその上司位の間でしか共有されない。

テレビの出演は契約書を交わさないし、CMの場合でも

出演契約書に捺印するのは事務所の代表者で、タレントは署名捺印しない。

従ってタレントは本当のギャラ額を知る術が殆どない。


タレントが知らない形態になっているのは、

知られると手数料や経費の控除がどのくらいかが分かってしまい、

それについて論理的な説明が出来ない部分が多く、事務所側が困るからだ。

不思議な話だが、これは現実にそういう事が横行している。


但し、事務所側の立場としては、タレントを売り出すために様々な人たちと会い、

飲食等で関係性を作り、仕事の情報を得て時間をかけてブッキングに結び付ける。

また売り込みの際に先行投資される金銭も、いずれ回収しなければならない。

マネージャーの給料も稼ぎが余りないタレントの場合は事務所の持ち出しになる。

また担当者が多数のタレントを抱えている場合、

誰にどの程度の経費をかけたのかを

完全に仕分け出来ない面があるのは事実だ。

加えて育成費、衣装代などは事務所が立替的に支出する事もある。

そうした先行的な支出をタレント側の経費とする事務所は多いが、

タレント側からすると、自分のギャラから控除されるのは、

結局自分が支払っているのと同じだろうという感覚にもなり違和感を持たれる。


しかし稼いだ以上に経費を使えば赤字になり、

ある時期の赤字を覚悟でタレントを売り出している事務書からすれば

回収期間が欲しいのは正当な理屈だ。

しかし、こうした金銭の動きを論理的に運用している事務所は皆無に近い。

これは管理部門と支出経費に個別の管理コードをつけて金銭管理をする必要があり、

手間がかかるからだ。

しかし、本来はすべきことで、やっていない事務所は管理体制が三流なだけだ。


いずれにせよ、タレント側は、振り込まれる金額が

彼らの認識できるギャラであり、

その前段階で幾らがどのような名目で控除されているかは全く分からない仕組みだ。

過去にこうしたケースで、鈴木あみ氏(当時)が所属事務所と係争になった事がある。

彼女は自分が控除されている経費等が不当だと争った訳だ。

判決は、「事務所代表が逮捕され、歌手と事務所の信頼関係は崩れていた」として、

鈴木氏側が勝訴。

しかし「出演料の明細を明らかにする」という要求は認められなかった。


現代においてもタレントたちは、良く言えば信頼関係、

悪く言えば前近代的システムの中で仕事をしていると言っていい。

芸能界に居ればそれは当たり前だが、

一般的な企業群のビジネス行為としてはかなり古色蒼然としている。


こうした不明瞭で不透明な商習慣が、

宮迫氏クラスのベテランでも闇営業に踏み出してしまう

遠因になっていると言っていいかもしれない。


誤解無きように言っておくが、そういう背景があった上でも、
今回の反社会勢力と思われる集団の宴会に

ノコノコ営業に行ったタレントを擁護するつもりは全くない。

仮に後輩のために心意気だけで出演をOKしたとしてもだ。


少なくとも宮迫氏は、会社員なら本部長級以上の立場のタレントだ。

冠番組を持ち、社会的影響も大きい。
後輩への背中を見せる立場でもある。

そういう立場の人間は、経験等で様々な判断ができると見なされている。

従ってこうした三流現場の三流営業に顔を出す事が

自分の価値としてどうなのか?、後輩に背中を見せている事になるのか?を
理解出来ていないとすれば、タレントとしては三流の烙印を押されても仕方なかろう。


また、彼らが貰ったギャラは、元は詐欺にあった被害者の金かもしれないのだ。

仲立ちをした入江とか言う主犯芸人は、

自分が紹介した相手の正体を知っていたようであるから、

罪の重さは格段に違う。



報道によれば、吉本興業は、1000件近い案件への対応と

多額の損金が出るだろうと言われている。

吉本興業からすれば自分たちも被害者と言いたいだろうが、

タレント管理者としては、「共犯」であると言った方が正確だろう。

また損害においても、歩合に応じた過失があると認められるため、

事務所とタレントの配分率に応じた損失額の負担を求められる事になる。

つまり理屈からしたら、手数料率の高い方の損害金銭の負担が重くなるのが自然だ。

自業自得である。


しかし報道には吉本興行の管理に言及した記事は殆ど見当たらない。

全てタレントだけが悪者だ。

しかしそれはオカシイ。

多数のタレントがこうした闇営業をしていて発覚しなかったのは、

単に吉本興業がタレントの動向を把握していなかったというだけにも見える。


担当マネージャーらは一体何をやっていたのだろう?

仮にオフの日でもタレントの担当マネージャーなら、

一定の情報を把握しているものである。


もちろんGPSをつけて把握している訳ではないので、

限界はあるが、日頃の人間関係があれば、ある程度は把握できる。


また、闇営業は、芸人仲間内では知っているケースが多く、

事務所の人間の中にも噂以上に知っている関係者がいると見るのが普通だ。

ただ、ベテランタレントらのアルバイト行為を

目下のスタッフが上司にチクったり、本人に警告したりするのは中々難しいだろうが、

そういう機能を事務所が持っていなかったとすれば、それはそれで問題だろう。
そういう意味で本件は吉本興行の管理や運営、タレント教育、経営体制に端緒があると考えるの常道で、
タレントの軽はずみな行為は、タレントの無知と事務所との連携の無さから生じていると見た方が自然だ。


いずれにせよ、これだけの数のタレントの闇営業の動きを

把握できなかったというのは、

芸能事務所の管理として余りにも杜撰と言われても仕方ない。

マネージャーらは、ただのお世話係しかできないのか?と言われるだろう。


本件の吉本興業側の情報開示も不透明さが増す中で、

番組からクライアントの撤退が見え隠れする中、

国民の財産である電波で事業をしている放送局の対応も興味を引くが、

いずれにせよ、改めてタレントと事務所の契約環境や管理体制を考えなおし、

芸能界といってももう少し近代的な運営をなさった方が良いのではと感じた次第だ。

特に年間300億円以上の被害をもたらす犯罪行為をする連中を利するようなタレントは、

そもそも業界から駆逐するくらいの厳しい対応をしないとメッセージにならない。


暫く謹慎して来年辺りから出て来る噂もあるが、

時間経過に伴う忘却を理由にテレビ局側がそれを許せば、

そういう連中の行為を暗黙に認めているという事になり同罪になる。


会社員ならもっと分かりやすいが、同じ事が起きたら懲戒解雇かそれに類する辞め方になるだろう。

こういう辞め方をした会社員の再就職は本当に厳しいのが現実だ。

芸能界だけ特別という感覚は、誤った特権意識の現れで、

そろそろ世間並にしておいた方がいいだろう。

吉本興業の社長会見を見ていて、この人物が世間的な経営者じゃない事は明らかに理解できた。
芸能界の社長としては優秀なのだろうが、一般的な経営者としては、落第の人物だ。
大崎会長も、契約書締結を認めないと発言している辺りからして、会社経営者としては全く埒外の人と言っていい。簡単に言えば吉本興業は、父ちゃん母ちゃん経営のレベルなのだ。


しかし、あれだけの影響力を持つということはそれだけ経営者の責任が重いという当たり前の事を

事務所のトップ、またタレント各位、加えて業務取引をしている放送局は自覚して欲しい。



こんな記事を書いていたら、似たような視点の記事を見つけました。
やはりそう思うよね・・という感じ。



吉本芸人の「闇営業」を生んだ構造的問題──果たして責任はタレントだけにあるのか?:




吉本興業芸人の「闇営業」 低いモラル、企業統治のあり方に疑問も:















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NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察 [独り言]

NGT48という「プロジェクト・マネージメント」の考察



NGT48暴行事件の温床、私的つながり求める「厄介」ファン 

危機管理失敗した運営の罪、今も続く臆測







NGT48暴行事件、まあ、面倒な事になっている。

ファン全体から見れば非常に少数の「厄介」ファンの存在が、

このAKB系のビジネスモデルを崩壊の危機に至らせようとしている。




悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通りだ。




今回の件はこの手のビジネスの想定したリスクの中でも最悪に近い事象が起きている。

またマスコミ等の周囲は、運営側の危機管理の失敗と断じている。




果たして本当にそうなのだろうか?




確かに運営側の対応について

様々な瑕疵が見つかり、反省点も多い。

それは事実だろう。




また、記者会見で、対象となっているメンバーから

反論がツイートされるなど、

一昔では絶対に考えられないような事態が起きている。

大変な時代になったものだと思う。




当事者は双方共に、大変な状況に置かれていることが想像される。




さて、今回の件、どうしたらこのリスクを避けられたのだろうか?

それともそもそも回避は無理だったのか?




まず、少数の「厄介」ファンの最悪なリスクへの対応ができるか考えてみよう。




少数が起こすだろう、付きまとい、個人的接触、過度な要求等などを想定すると、

一番のヘッジ方法は、メンバー全員をスタッフが完全隔離した生活環境と職場環境に置くしかない。


つまり、メンバーはNGT48に所属している間、プライベートを失う覚悟を持つ必要があり、

スタッフは24時間体制で彼らを管理下に置く覚悟をすることになる。

当然だが、関係各個人のメール、SNSなどの利用制限、または利用確認をされることが前提になる。


また、関係者やメンバーたちは、「厄介」ファンや「厄介」ファンに準じる連中から

リスクヘッジできるだけの物理的、空間的距離を取れるようにし、またそれらを常に確認し、

また想定外の事態への対処も出来ているかを常時確認をする必要を迫られる。


危機管理を本気でするなら当然この程度は止む得ない。


しかし、果たしてそこまで管理することは現実的に可能だろうか?

またそうした管理は、人権的な観点、労働基準法等で容認される範囲なのだろうか?
加えて長期に渡ってこうした事は可能なのだろうか?


そもそも、AKB系のビジネスモデルはファンと関係者間の距離の取り方に対するリスクを常時内包している。

従って上記のようなリスクに対して

完全無欠な危機管理を施そうとしたら、法律的、道義的な壁によって対応が不可能となり、

従ってAKB系のビジネスモデルは維持不能になるだろう。


ある元AKBメンバーが、本件について自身の出演しているテレビ番組内で

関係スタッフの対応について、

不満や苦言を呈していたが、私はかなり違和感を持った。



少なくとも、こうした多数が絡み長期に渡る仕事では、
様々な危機管理方法について、

関係スタッフ側とメンバー各位が同じレベルの認識を持つ必要があるが、

こうしたリスクへの認識と対応は、「スタッフ側だけの対応」では絶対に出来ない。


NGT48のメンバーには酷な言い方だが、本件は、一部メンバーの厄介ファンというリスクへの

意識と認識の低さにも問題があったと言っていい。

それを全く無視していては、本来的な意味でのこの問題解決は不可能だ。


もちろんキチンとリスクを理解していたメンバーもいたと推察され、
自立的に行動したいた人たちもいる訳なのだが、

悪貨は良貨を駆逐するの習わしの通り、

一部のメンバーの不用意な言動が

本事件の大きな一因であっただろうことは否定できない。

これは管理側の現実的な対応範囲からすり抜けてしまったからだろう。


こうした事を避けるためには、

メンバー、関係者がプロジェクトを進行させるために必要な
統一したルールと認識を共有している必要がある。

メンバーからすれば、タレント活動以外の負荷が生じ、違和感を持つだろうが、

AKB系のビジネスモデルを維持し、自分たちもその恩恵を得ようと思ったら、

メンバー側の高い意識と協力がなかったら実現できない。

スタッフ側におんぶの女王様待遇を期待していては無理なのだ。

理由は、厄介ファンへのリスク回避は非常に困難な事例であり、
チームが大所帯であり、チーム一丸で事に当たる必要があるからだ。


NGT48はビジネス的に言えば「プロジェクト」だ。

「プロジェクト」は有能なマネージメントがリーダーとなり、

参加している各メンバーの高い意識によってしか成功しない。

特に大型プロジェクトはそうだ。

「プロジェクト」の成功の最低要件は、関係者(メンバー、スタッフ等)が

キチンとした組織構造基づいて、一定のルールと時間軸と目標を共有することだ。

こんなのは、サラリーマンなら社会人数年以内に学ぶ「いろはのい」である。


今回はそれをすらやっていなかったのだろうと思う。
特にやっていなかったのは、メンバー内の組織構築だと思っている。

そういう意味で、スタッフ側のマネージメントトップには大きな非があるだろう。


これは想像だが、AKB48の場合は、現場レベルで彼女たちの全体を取り仕切る人物がおり、

尚且つメンバー内にメンバーを束ねる人材が内部にいたのかもしれない。

これは一定程度の人数範囲をカバー出来る人材がいないと組織の長期維持は困難だからだ。


スタッフ側が日常的なメンバーの活動のために

最良の周辺環境を整えるのは当然の仕事なのだが、

同時に個別のメンバー自身のコアな部分、つまり私的な環境の管理そのものは、

本来的にはメンバー個々人の範中だ。

こういうと驚く人が多いかもしれないが、当たり前の事だ。

自己管理も出来ない人間にプロの世界は務まらない。

それがプロの世界で働く者としての最低限度の矜持というものだ。

もしそれに違和感があれば、メンバーとして参加しなければいいだろう。


その上で、少数人数の集合隊のメンバーを束ねる人材が必要で、
出来ればメンバー内に適数居た方がいい。

会社で言えば「管理職」に当たる人材だ。

組織にはそういう筋交いがないと維持が難しい。

現場感覚を身近で理解出来る人間がいないと

不満やデタラメが横行し始めるからだ。


今回の一連の騒動を見ていると、

そもそもこのようなビジネス・プロジェクトを理解しておらず、

加えてプロっぽくない人たちの集合体が引き起こした問題のように見える。

もちろん関係者の多くはプロだろうし、中にはキチンとやっている人も多いのだろうが、

結果だけ見れば全くそのように見えない。

それはメンバーたちの振る舞いにも言える。


加えて「厄介」ファンの行動は明らかにルール逸脱だ。

まあ、そういうレベルの低い連中を呼び寄せてしまう当りも反省点だろう。



プロの中に低レベルのアマチュアが紛れ込んで結果的にぐちゃぐちゃになった、

外野の一般人の視点から見ていると、今回の騒動はそう見える。



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クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法 [独り言]

クライアントが番組視聴率を簡単に正確に知る方法
もしこのアイデアを既に実現している人か法人がいたら
このブログの記事は、全く無意味なので、そうであれば是非指摘してください。
(もしくはこのアイデアそのものが無理筋という可能性もあります・・)
地上波、BSにしろ、日本の放送視聴率はビデオリサーチ社が行っており、
主にこの数値が公表され、公式となる。
さて、公開情報だけで推定するとビデオリサーチ社はサンプリング調査をしており、
その数は、統計学上の要件を満たす世帯数(900世帯程度)で対応している。
なお。この場合の誤差は上下2%程度というので、
10%と言っても9%~11%程度までの間のどこかという事になる。
9%と11%ではテレビ業界にとって雲泥の差なのだが、
大抵の場合、上の数値が公表数値となる。
さて、現在、視聴者の視聴方法は電波経由とは限らない。
J:COMなどのケーブル局があるからだ。
J:COMの公表数値によれば視聴世帯数は、2018年末で1,381万世帯(全国)だそうだ。
実は、J:COMなどの大手ケーブル局は
契約者とセットトップボックス等を経由して繋がっているので、
視聴者の視聴動向を100%補足している。
もう理解出来ていると思うのだが、
J:COMなどの大手ケーブル局は、全視聴世帯の視聴率を集計出来、
また実際にしている。
おまけに地域分布や様態も判っているはずだ。
仮にJ:COMが1,381万世帯のこうした視聴率データを持っているとすれば、
ビデオリサーチ社よりは遥かに正確だろう。
またこれだけのサンプル数だと統計学上の誤差は殆ど無視できるほどない。
つまりこのデータは法的に問題がなければ売れるはずのデータなのだ。
大手広告代理店経由で地上波やBSの広告枠を買っているクライアントの多くは、
ビデオリサーチ社の視聴率に対して枠の金額を支払っているはずだが、
仮にJ:COMなどが持っているデータを入手し、それを比較したら、
確実な視聴の数値を把握でき、加えて広告料についても適切かどうかが判る。
そういう事をやっているというクライアントを聞いた事がないが、
不思議な話である。
但し、ビデオリサーチ社は1世帯を8台の機器で調査出来るため、
家族個別の視聴率やカウントはこちらの方に優位性がある。
さて。

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ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?  ヒットの設計図 [独り言]

ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで  

by デレク・トンプソン



ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

  • 作者: デレク トンプソン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


私は年に100~120冊程度本を読む。
(言っておくが日本の読書家の中には年3000冊読むツワモノがいるのでこの数は全く多くない)


ここ十数年、読書が趣味のようになってしまった。

だから私は、友達が少ない典型のような人間なのだが、

本への逃避は他人様に迷惑をかけないから良い趣味だと思っている。


読みたい本に辿り着く方法はいくつもあるが、

新聞書評、本の中で紹介されている本、書籍店での発見など、様々だ。

今回紹介する本書は、新聞書評で見つけた。


普段、ブログで本の紹介とかはしないが、

最近読んだ中で珍しく秀逸なものがあったので記事を書きたくなった。


ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで~という本だ。


出来れば皆さんに読んで欲しいので、基本的には中身を全て語らないようにする。

それでも本書の何が面白いのかは語らねばらない。


私はエンタメ業界で35年近く働いてきているので、

世間をザワザワさせること、自分をザワザワさせることに敏感だ。

そしてずっと考えて来たのは、ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?と、

何故、あるものはヒットし、ある似たようなものはヒットしないか?についてだ。


本書は、それに回答らしいものを与えてくれる。

回答らしいと言ったのは、この本に書かれている事を意識的にやれば

絶対ヒットするかは不明だからだ。また意識的に出来るかは相当ハードルが高い。


それでも、本書に書かれている分析は、非常に鮮烈だ。


何故人々は、何かに心を動かされ、時に購入し、時に体験しようとするのか?

そしてその何故を知る術はあるのか?

またそれは誰でもできるのか?だ。


その回答は本書を読んでもらうしかない。


ただ、少なくとも人間が音楽や映像、世情、スピーチ等に対して好意的な反応をする場合、

「なじみ感」が必要だと解説している。

つまり、人間は全く認知の無いものに直ぐ共感をしない特性があるからだ。

また人間は、「なじみ感」を持ちながら「驚き」を感じられると「新しい」と感じる。


本書には書いてないが、自分の体験で再現できるものがある。

SONYのWALKMANだ。

まだカセットとアナログレコードが主流の時代、

我々の普通の使い方は、アナログレコードを録音し、(アナログ盤は高価で聞くと減るからだ)

カセットデッキを部屋に置いて音楽を聞いていた。(友達と盤を交換し、カセットに録音していたからだ)

そしてWALKMANは、再生装置部分だけにして切り出して持ち出せるようにして大ヒットした。
斬新な製品だったが、既に作られていたカセットデッキの再生装置だけを切り離して持ち運び可能にしただけとも言える。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=既成のカセットデッキ」+「驚き=再生装置だけを持ち出し可能にした」=「新しい=音楽を自由な空間で持ち出して楽しめるようになった」と、いうことだろう。


音楽にも同じ事が言える。

殆どの人は、全く聞き覚えもない音楽フォームに共感しにくい。

昔から日本人は洋楽が苦手な人が多いが、

これは主要な洋楽がブルーズを基礎にして発展してきているからで、

日本人でブルーズに馴染みを持った人が少なかったからだ。

それでも海外でヒットしている楽曲の多くは、一般大衆に支持されているもので、

当然ながら日本人が聴いてもいい曲は多い。


筒美京平氏という天才作曲家がいるが、彼がヒット作を量産していた手法は、

当時、一般の日本人には殆ど馴染みのないが、

聞いたら良いなと思うような洋楽ヒット曲をベースに、

彼なりの手法で日本のポップスに変換して世に送り出していたというものだった。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=普遍的洋楽ヒット曲」+「驚き=洋楽的だが日本っぽいのメロディー」=「新しい=時代を先取りした音楽」のようになるのだろう。


実際、その後に日本で活躍するミュージシャンたちが生み出すヒット曲の多くは、

殆どがこの筒美京平方式によって作られている。

人によってはこの手法をパクリという人がいるが、それは正確な表現ではない。

あのビートルズもそれ以前のロックンロールやR&Bが音楽のベースになっており、

多数の過去のヒット曲が源泉となっている。

ビートルズが凄かったのは、オリジナリティーを進化させ、

コンセプトアルバムの発売をするなど、それまでにない音楽表現とスタイルを確立したためだ。


仮にだが、海外でヒットしていた曲を参考にして

ご自身で似ているようで似ていないような

ヒット曲のような質の音楽を生む出せるかを試してみたらいいだろう。

ほぼ無理だ。

実際、筒美氏の曲はオリジナルよりもメロディーが際立った曲が多い。


例えば、The Beatlesの大ヒット曲、Let it beは、コード進行フォームとしては、

Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)だ。

キーはともかく、このコード進行だけをヒントに曲を書いてみて欲しい。

殆どの人は、Let it beには遥かに及ばないメロディーしか作れないだろう。


このコード進行フォームでヒットした他の世界的ヒット作品を見てみると、

JOURNEYの「Don't Stop Believe In」やU2の「With or Without you」、Bob Marleyの「No Woman No Cry」など数多い。

日本では、綾香さんの「I Believe」がそれだが、Let it beとは全く違う曲なのは明らかだ。

従って共通するアイデアがあっても必ずしも同じ結果を生むわけじゃない。
ここがセンスと才能だ。


こうして見て分かる事は、Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)のような

黄金のコード進行という「なじみ感」がユーザーに聴くキッカケを与え、

個々のミュージシャンが作り出すメロディーやアレンジが「驚き」を加え、

新鮮味を醸成するという法則があるという事実だ。


サザンの桑田さんは、とあるインタビューで、

「音楽的デジャブ感(既視感)」と言い表していたが、

彼は20歳そこそこで「勝手にシンドバット」を作った頃から

この事に気が付いていたのだろうと思う。


例えば、JAZZというジャンルが一部を除いて日本の大衆に浸透しなかったのは「なじみ感」の欠如だろう。

JAZZに「なじみ感」を覚える大衆が少ないのは、JAZZそのものが斬新過ぎる点にあるが、元の音楽がブルーズだったことも理由だろう。

つまり馴染みがない上にアドバンス過ぎたのだ。

だから既成の曲をJAZZ風にアレンジした場合、大衆はやっと「なじみ感」を覚える事が出来るようになるが、

音楽を咀嚼出来る絶対数が少ないため多くは「驚き」へは移行しなかった。

そのため定着せず、マニアックな分野に落ち着いてしまったという訳だ。

本書では、そうした現象をMAYA(Most Advanced Yet Accetable)という単語で紹介している。

非常に先進的だが享受可能なもの、という意味だ。


ヒット曲を生む作り手は、その素質として常に斬新で先進的なものに興味を抱く。

そのため、大衆に重心を寄せ過ぎるとクリエイティビティの本質、

つまり個性や先進性を棄損する恐れがあると考えるクリエイターが多いのだが、

大衆を無視してはビジネスが成立しない。

クリエイティビティとビジネスは昔から二項対立する分野だが、

その差配のセンスこそがクリエイターの格の違いを生むと言っていい。

つまり「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の3つの項目を成立させるための

先鋭さと大衆向けの配分が重要であり、MAYAを包括するものがヒット作に恵まれる最低条件ということになる。


全く名も知られていないあらゆる分野の新人は、

世の中に知られるようになるまで、年単位を必要とするが、

それはすなわち市場に対して「なじみ感」を浸透させる時間と言える。
それでも売れる人と売れない人を分ける「決定的な条件」は、条件が複雑すぎて必ずしも特定出来ない。

またいい曲なのに売れない曲、知られないまま消えて行く曲があるが、
これもまた「なじみ感」が浸透する前段階で賞味期限を迎えてしまったか、曲そのものになじみ感がなかったための結末だろう。


従って、多くの人やモノ、曲は「なじみ感」が浸透する前に消え、世に出る事はない。
歌手として唄が上手いだけでは世に出れない。歌手を際立たせる楽曲が必要となるからだ。
またいい曲というだけでも世に出れず、曲を際立たせる歌手が必要となる。


ズーニーブーという2人組がオリジナル作品である「また逢う日まで」は、当時全く見向きもされなかったが、その後に尾崎紀世彦氏にカバーされて大ヒットした。
尾崎紀世彦氏は驚くほどの歌唱力と表現力で1971年の日本レコード大賞を受賞したが、その後の彼にはこれを超えるヒット作が出なかった。
これは、同じ曲なのに歌手やアレンジが違うだけで化学反応の仕方が全く違うという典型例なのだが、
「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式だけでは解明できない難しさの存在を示している。


さて、世の中には、口コミという現象があるが、これも同様で、自分が支持しているインフルエンサーが口コミするものは、インフルエンサーという「なじみ感」を通じているからこそ口コミされたものにアクセスしやすくなる。

これは、古くからある手法で言えばCMであり、昨今はユーチューバーになるだろう。


1980年代、「おいしい生活」というキャッチコピーがあった。

当時、本当の斬新に思えたが、

これも「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=おいしい、生活という普通に使う単語」+「驚き=「生活」に「おいしい」を組み合わせた事」=「新しい=80年代感覚」となる。

「おいしい食事」という表現はあるが、「生活」という単語には使わない。

生活には味がないからだ。

しかしそれを敢えて合体させた所にセンスの高さがある。これが「驚き」を生んだ。

つまり大衆がこのコピーを直ぐに受け入れて理解したのは、

そもそもこのコピーを構成する言葉になじみがあったからだろう。


話が長くなるのでこの辺りで終わりにするが、

本書は上記以外においても政治家の演説を例を挙げ、

その演説に大衆が熱狂する言葉の在り様について解説を加えてくれているが、非常に示唆に富んでいる。


最後に1つ、NHK大河ドラマ「いだてん」が視聴率不調だという。
私も途中で見るのを止めた。
この本を読んでガテンが行ったのだが、
「いだてん」は余りにも「もなじみ感」の無い素材を主人公にしてしまった事が主要原因だろう。
金栗四三や嘉納治五郎など、そもそも主人公になる人物像が余りにも馴染みが無さ過ぎた。
従って主人公への共感を抱くために手がかりがなく、なじむまでの時間が掛かり過ぎる。

加えてそこに宮藤官九郎氏が斬新な台本と時空を超えた編集を織りなしたために、
先鋭的過ぎて、一般大衆を置き去りにしてしまったと思う。
Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、
つまりMAYA理論に合わせてみれば、本作は先進的過ぎて受入れが困難な素材と内容だったという事だ。
クリエイターに寄り添い過ぎるとこういうリスクもあるという好例になるだろう。
(なお、同じ作家のあまちゃんがヒットしたのは、設定そのものが80年代を中心とし、画面に出てくるアイテムや現象に視聴者の多くがなじみ感があったからだろう。それにクドカンワールドの驚きが新鮮さを与えたという訳だ)


「なじみ感」という土俵なしでは、その次に仕掛ける「驚き」に到達出来ない。
大変残念だが、いだてんは素材選定の時点で既に誤りだったかもしれない。
「西郷どん」ほどの認知のある素材でも、一時期は視聴率に苦労していた位だ。

但し個人的には「西郷どん」は大変に楽しめた。


ヒット、つまり大衆の熱狂の根底には共通した人間心理がある。

そしてヒットするものは人間心理に根差した法則の中にあることを本書は教えてくれている。

ヒットって本当に不思議なものだ。


本書、お勧めする。


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望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化 [独り言]

望月衣塑子記者を放置するメディアの劣化



“痛い”謝罪・撤回の東京新聞、望月記者 自社の了承知らないまま発言…政治部記者「一緒にしないでくれ」:





菅官房長官「あなたに答える必要はありません」 東京新聞・望月記者は何を質問したのか?全文書き起こしでわかるマスコミの印象操作~ネットの反応:




日本には記者クラブという閉鎖的権力空間がある。
これ自体が権力的グループだ。
フリーのジャーナリストはここに入れない。
完全な村社会で、おまけに全く法的根拠もない存在だ。
 東京新聞・望月記者はその一員なのだ。
その連中が先日、官房長官の会見に対する異議として
200人程度のデモをしたらしい。
頭脳の構造が全く理解できないが、
そもそも自分たちを客観視出来ないのだろう。

彼らは権力を監視し、国民の知る権利のための最前線という自負があると言う。

しかし、昨今ネット経由で様々な立場から様々な情報が得られるようになり、

これまでテレビ、新聞等が我々国民に垂れ流してきた情報が、

相当に歪んだものだと判るようになり、信頼度が落ちてきている。


特に昨今、意識あると言われる庶民が見ているという

ネット番組の虎ノ門ニュースなどを視聴している人々は、

およそテレビや新聞の報道をまともに信じる事はないだろう。


実際私も、実はそういう理由から新聞を読まなくなったし

テレビニュースもチェックするだけになった一人だ。

それでも週1位で図書館でざっと新聞に目を通す事はある。

しかし、新聞を全く読まなくても

日本や世界の政治情勢を知り、理解する上で全く困らないと判り、

少なくとも新聞やテレビニュース等のメディアには情報依拠しなくなった。


そういえば、昨今通勤電車の車内で新聞を読んでいる人を殆ど見なくなった。

多くはスマホの画面を見ている。

ニュースを読む人、ゲームをする人様々だが、

新聞の需要が減っていることは確かだろう。


新聞社はその需要減の理由を理解していないようだが、非常にシンプルで、

記事の内容が読むに値しないからだし、

他の情報ソースの方が信頼できると考える人が増えたからだ。



さてそんな折、かねてから官邸ととある記者の間がゴタゴタしている。

東京新聞の望月衣塑子記者だ。

もう彼女についての問題は様々に語られているのでここでは書かない。


ただ、彼女の一連の言動を私なりに掻い摘んで言わせてもらえれば、

東京新聞はいつまでこのド素人を放置しておくのだろう?という事だ。


また後述するが、各社の記者は、彼女に関して何等かの意見表明をしないのか?

そもそもかなり長期間、を官房長官会見であのような低レベルの質問を投げかけていること自体が
国民に詳しく伝える事だろう。
しかし、朝日新聞のように切り貼りしてあたかも彼女が意味のある質問をしているように
見せかけるのはフェアじゃない。


彼女はいわゆる「困った人」に属する。

根拠も事実の確認もない、個人的な見解や意見を官房長官会見でぶつけて

東京新聞の代表として質問をするフリをして意見を表明し、

相手からその意見への回答を得ようとする行為を繰り返し行っているようだが、

言語同断である。


彼女が国民の知る権利を盾にこうした行為を止めないのは、

かなり公平に見ても異常と言うしかないだろう。

逆に言うと、彼女のくだらない意見表明のお陰で、他社の質問時間が無くなり、

我々が知るための機会を逸している事を理解しているのか?
つまり望月記者がやっていることは、仮に国民の知る権利のためなら、そもそも矛盾した行動なのだ。

また本来の質問力の無さを見ても、記者不適格者と言っていい。

(おまけに記者として全く成果を出せていないのも事実だし、彼女は政治記者でもない)


以前、彼女が出した本も読んだが、全く内容の無く時間の無駄だった。
噂では東京新聞上層部が官房長官会見に送り込んでいるようだが、
その怪しい人事差配に東京新聞社内でも異論が出ているとも聞く。


いずれにしても、東京新聞はこのような低レベルの人物を官房長官会見に出席させている。

普通に考えれば、この行為自体が東京新聞社の意思表明と言っていいだろう。

東京新聞社にとって、官房長官会見は、

望月氏程度の人材を置いておいて良いという意味だと解釈できる。


自民党の官房長官も舐められたものだ。
東京新聞の嫌がらせなのかと勘繰りたくもなるが、
官邸の様々な反応を見て、東京新聞上層部が笑っているとしたら、
東京新聞のレベルはその程度と言っていい。


しかし、こうした新聞者と記者たちの姿勢は、そのままユーザーに伝わる。

朝日と同じ左派系新聞と言われる東京新聞だが、

2019年に嘱託を経て東京新聞を退社した長谷川幸洋氏のような

出来るだけ多くの事実と視点に対して向き合っているようなまともな人材もいる。

そのため東京新聞ではかなりの異端者だったらしいが・・。


しかし望月氏のような超低レベルの人材を、

こともあろうに官房長官会見に出席させている事実はかなりいただけない。

企業ブランドを貶めていると言っていいだろう。
それでも東京新聞上層部のお達しらしいため、誰も何も言えないは、報道組織として情けない。


望月氏は、自民党は国民と記者の敵で、
国民の知る権利のために、安倍政権は厳しく監視すべき対象で、

加えて厳しく批判すべきというだけの立場のように見える。


国民の一人として言うが、望月氏だけでなく、国民は新聞記者にこのような事を頼んだ覚えは一度もない。

また特に新聞記者にそのような事も期待していない。


例えば朝日新聞の記者が書く政治経済関連の記事を読めば分かるが、殆ど左翼機関紙と同等だ。
おまけに朝日だけでなく大手新聞社の連中がいる本社は、国から払い下げの土地で連中はそうした会社に勤め、内部留保をため込み、発行している新聞は消費税の対象外であり、特権階層と言ってもいい連中だ。

加えて取材にはハイヤーを常駐させ、高額な年俸をもらい、自分たちの主義主張を記事と称して世間にバラまき、朝日に至っては、慰安婦問題を捏造して国益を損ねているような反国家的な連中なのだ。
日本の国民は一度も知る権利の使者を委託したことはない。


記者たちの全くの勘違いだ。
頼むから「国民の知る権利」を代理しているなんて言わないでください。
特に望月記者は。


もっと言えば、新聞記者たちよりも良質な情報を発信し、

批評、論評、批判する人たちやメディアや人は数多く存在する。

そういう中で現代の記者、新聞、テレビメディアがどうふるまうべきか、

一度謙虚に考えた方が良いだろう。


望月氏の大先輩である長谷川幸洋氏は、以下のように語っている。


政府を監視し批判するというメディアの姿勢は違う。

常時政府に反対する「私」ではメディアとして自立出来ない。

政府に対して自分たちはこう考えるというのが大事。

(メディアは)自信が無いのでしょう。

横文字を縦に直しているだけではダメ。

(横文字を縦に直しているというのは新聞が官僚発の情報を新聞に転載している事実を指す)


私は彼の見方に同調している。

ジャーナリスムを語るなら、まず是々非々だろう。

左系の人々には、権力はそもそも悪で、批判対象にしかならない・・と考える人が多い。

しかし、仮に再び野党が政権を取った時、それまで政権を批判してきたメディアは、

野党が成立させた政権に対して、どういった立ち位置を取るのだろうという疑問が起こる。

長谷川幸洋氏が「政府を監視し批判するというメディアの姿勢は違う」と語っているのは

そういう事なのだ。

また政権そのものは一定の民意の集大成だ。

政権と民意はある意味で一体で、あちら側とこちら側ではない。
また野党自身も民意の顕われだ。

そういう事を全く勘案せず、権力=悪=常時監視と批判という幼稚な理屈でメディアが時の政権に対峙しているようでは、メディアが自己都合や自己視点だけの報道と称する意見表明をしているだけでは、国民の心をとらえるメディアにはなれるはずもない。


解説、批評、論評は全く次元が違う。


本来、ジャーナリスムは出来るだけ多面的な角度から見た事実をテーブルにおき、

その事実に対して多くの視点に基づいた定量的で論拠のある解説を加えるのが筋だ。

また解説に私信は不要だ。


その上で、断りを付けた上で、個人もしくは組織の論評および批判を加えるのが本来の在り方だろう。


従って、記者やメディアは、権力側に対する知る権利を行使する国民の代理人なのだという考え方は全く否定しておく。

メディアが知る権利を行使する国民の代理人というのは余りにも傲慢な発想じゃないか。

少なくとも国民の総意として、知る権利の代理をメディアや記者に委託した事実はない。


そもそもメディアは権力の一部で、

記者はその一員として同じ権力側の政府と共生する宿命を背負っている。


情報を得るために、官僚からペーパーをもらい、

特落ちしないように他社とのロクな競争もしないで横並びの情報を自社メディア出し事に終始して、

解説、批評、論評を混同している。

また朝日新聞のように捏造紛いの情報を出してまで自説を世間にまき散らす連中や、

望月記者のように、近所のおばさんから聞いたような噂話を

官房長官にぶつけて回答を得ようとする低レベルの連中が

我々国民の知る権利のために働いているなんてどういう発想で言えるのか、全く理解に苦しむ。


多くのメディアが未だにやっているが、先に自分たちの主張に合わせた結論や記事の流れを決めておき、

それに合致するか補足する情報だけをかい摘まんで編集して、

公衆にタレ流すのだが、そういう事で世間を欺く時代は終わっている。


これはネットの影響力と言っていい。
これまで資本力で網羅的に情報を流してその情報を独占していたメディアは、ネットによる個々人の発信の影響力に脅かされる時代になった。本当に良かったと思うが、それによってメディアの嘘がバレ始めている。


大手メディアが森友、加計問題であれだけの時間とエネルギーを使った理由は、

そもそも憲法改正論者の安倍首相を首相の座から下ろしたかったからで、

国民の知る権利のためじゃない。


憲法改正はそれほど日本にとってタブーだが、

民主主義国家としての在りよう、また日本周辺の外交状況の変化、拉致問題などを鑑みれば、

憲法改正をタブー視しているようでは全く未来がないと言っていい。

しかし、朝日新聞を筆頭とした左派系メディアは、これに断固反対であり、

それは憲法改正が左派系メディアを支える反日集団にとってデメリットになるからだ。


しかしネット社会の現代では、そういう意図が全てバレている事を

主要メディア側の連中も理解すべきだろう。

こうしたメディア情報を鵜呑みにする人々を「情報弱者」と言うそうだが、

もうそういう人々が多数になる時代は時間を追って終焉に向かっている。



望月記者は、立憲民主党から立候補するという噂がある。

まあ、あの政党ならさもありなんという感じだ。

人選センスの悪さは天下一品だと思う。


話はちょっと変わるが、本来、野党第一党の立憲民主党が主導して

もっと建設的な形で自民党に向き合えば、

自民党に緊張感が生まれ、レベルの高い政治運営になるだろう。

しかし、少なくとも現在の立憲民主党を始めとする野党は、

全くポイントのズレたまた揚げ足取りのような政権批判や議論をぶつけているため、

完全に自民党に舐められている。

また、野党の各議員の経済オンチ度合いは、殆ど宗教に近いほど理解を超えた状態で、

安倍政権に舐められて当然なのだが、意識のある国民はこうしたバカバカしい対応を冷静に見ている。


こうした野党の体たらくのお陰で昨今の自民党にはかつてほどの緊張感がない。

安倍首相は、2019年11月で日本の歴史最長の首相経験者となるらしいが、

これを見ても、野党の体たらくを証明していると言っていいだろう。


しかし、これは国民として最大のリスクなのだ。


自民党に緊張感を与える政策提案や、時には自民党を上回る政策論議をしてこそ本来の野党だろうが、

ポイントがずれた政権批判、反対のための反対をしているだけの現在の野党には、
そうした可能性が全く見えないのが本当に残念だ。


よく、健全な野党という言い方があるが、維新を除く野党の人たちは、

どのようにしたら自民党に緊張感を与えられる存在になるかを、

もう少し謙虚に、また真剣に考えた方がいい。
厚労省の統計問題をアベノミクス偽装などと言っているようでは、永遠に政権交代など起こらないだろう。


立憲民主党も知名度だけは抜群の望月記者のようなレベルの低い人材を取り込もうとしていると、

党にとってもマイナスだと考えている。

(逆に言うと望月記者は最も立憲民主党にふさわしい人材とも言えるのだが・・)

失礼を承知で言うが、質の低い人材を取り込んだ集団は、低い方にレベルが合ってしまう。

立憲民主党や多くの野党がイマイチなのはそんな事も理由の一つだと言っていい。



2019年7月の参議院選挙は、本来ダブル選挙になる公算が強かったが、

野党の体たらくが凄すぎて、安倍首相は単独選挙でも勝てると見ているようだ。

10月からの消費税も、何故か安倍首相は実施に向けて心が傾いているという困った情報がある。

野党は消費税反対だろうから、もっと自民党とこの問題で対峙するば良かろう。


「民主党政権は悪夢だった」と言わしめたのは、安倍首相の余裕の現れだろう。

実際、民主党政権は本当に悪夢だったが、

あのような言われ方をするほど野党(特に元民主党議員)には、実力も資質の欠片もないのだ。

かつての民主党幹事長だった小沢一郎氏が、野党結集を呼び掛けているが、

どうでまた小沢氏を中心にした政党や環境を作り、自分で金や権力の差配をしたという下心を見透かされて求心力が全くない。私心があり過ぎると人は付いてこないが、小沢氏はその辺りの欠点が全く改善される気配がない。


安倍首相に「悪夢だった」と言わせてしまう現在の野党の酷さは、

そもそも野党自身が招いているのだから、責められるべきは野党自身だろう。


話を元に戻すが、記者としても三流以下の望月氏をいつまで官房長官会見に出しているようでは、

東京新聞の未来も明るくない。
東京新聞は、時折鋭い時期を書く新聞と評価している面もあるのだが、
先ほども言ったが、組織は低レベルの人材を入れているとそこに向かって引力が働く。

そろそろ記者クラブの連中も、「一緒にしないでくれ」と思っているのなら、
東京新聞に対して望月氏の暴走への対処を進言すべきだろう。


今の望月記者の在りようは、現代の新聞記者のレベルの低さの象徴であり、

また新聞のレベルの低さの象徴でもある。

加えて、彼女に野党が飛びつくとしたら、全く同様なのだ。



かつて、ビートたけし氏が書籍の中で言っていた。
「バカかどうかは質問で分かる」


情勢を俯瞰すれば、暫く自民党が下野することはなさそうだが、

前述したように、それは国民にとってある意味でリスクでもある。























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儒教思想の毒を知らずして韓国とは付き合えない [独り言]

儒教思想の毒を知らずして韓国とは付き合えない
意外に思う人も多いだろうが、これは事実だ。

日本人や国際社会にとって韓国人のキョトンとする発言、行動の根源は全て儒教思想が根底である。
2017年来、火器管制レーダーを照射で嘘を付き続けている件、
慰安婦財団の一方的解散、国家間で締結した約束の反故、
自衛隊艦隊の旭日旗掲揚へのイチャモン、韓国人労働者問題での韓国最高裁賠償判決。

挙句の果てに、自国の安全保障上の利益を度外視して、
文政権は、2019年8月22日、GSOMIAの破棄を日本に通告してきた。
この通告に際して、アメリカの理解を得ているという政府声明を出したが、
アメリカ側から事実ではないと指摘され取り下げている。
国家の声明を歪曲し捏造する国家は、なかなか見た事がない。
韓国の捻じ曲がった心理が垣間見れた瞬間だった。

政治、外交の素人の私にさえも、この判断や対応は信じられないものだ。
GSOMIAの実際の効力失効は、2019年11月22日だったが、
文政権はギリギリのタイミングで更新を保留にして時間稼ぎをした。

隣国に対してこうした表現をするのは気が引けるが、
現在の文政権の韓国は、前近代的国家だ。
正直言って、こんなに無能な人物がトップにいる政権を持つ韓国国民は悲劇である。
実際、文大統領とチョ・グク法務大臣は、超北朝鮮親派であり、チョ・グク氏はそれを公言している。
現政権は明らかに韓国を北朝鮮に売り渡すような思考と行動で動いている。
従って、近い将来、大韓民国は事実上消滅するかもしれないとさえ思っている。
またその過程では、韓国においてこの状況は内戦を引き起こすような事も想定される。

現在の韓国政権の中枢人材は、日本で言えば、60年代の左翼学生運動の幹部たちが、大人になってもその思想の虜になったままの状態だ。
簡単に言い切ってしまえば、妄想的理想主義者の集団が国のトップに君臨しているのが現在の韓国だ。
これは左翼思想家の特徴でもあるが、「ベき論」が先にあり、リアリズムが殆どない。
だから多くの主張は、聴きざわり耳ざわりは良いが、言っている事を現実に落とし込めないため、支持者の失望が大きくなり、信用はガタ落ちする。日本の左翼に良く見られる光景だ。
左系思想の当事者は大抵の場合、その失敗を外的要因に求めがちだ。(つまり人のせいにする)

そんな中、韓国の反日思想を批判した書籍「反日種族主義」の日本版が発売された。
2019年12月現在、アマゾンで1位、どうやら20万部程度にも及ぶベストセラーになっている。
本書を書いたのは元ソウル大学の教授だが、韓国が国家を上げて捏造した歴史について徹底的に批判し、真実の歴史を史料をあげて反論している。
本書の冒頭は衝撃的で、「韓国人はウソつきである」と断じている。
しかし、ご本人も語るように、彼は決して日本に友好的な人ではない。

それでも学者として捏造の歴史や情報の上に成り立っている韓国という国家の在り様に学者としてウンザリしており、本書は論文的な内容で綴られている。
本書を読むとよく分かるが、日本で保守と言われているような人たちがこれまで何度も指摘してきた内容と殆ど合致した内容が書かれていることが分かる。
しかし本書には何故韓国人が嘘つきになったかの分析は出てこない。

それは以下を読めば分かってもらえると思う。


さて、文政権は、過去二年に渡り最低賃金を30%程度上げたが、その結果起きた事は若年労働層の失業率の悪化だ。

こうした経済、外交オンチの人材を抱く韓国政権は、過激な左翼系支持層が政権を握るとリアリズムよりも妄想に近いビジョンをもった幹部が国家運営している訳であるため、壮大なる「社会実験」を見せてくれているに等しい。
当然だが、2019年以降、中国の経済減速や対日及び対米関係の実質的な悪化も相まって韓国経済は右肩下がりになるだろう。実際、8月の時点で、対米韓国ウォンレートは1200を超えて安値圏内に入った。
1997年の韓国の経済危機を彷彿とさせる状況ともいえる。

2019年8月2日に閣議決定し、8月28日に実施開始する「ホワイト国」からの韓国の除外は、日韓関係の緊張度を高くするだろう。
日本にその意図がなくても韓国側は勝手に緊張度を高めることになる。
GSOMIAの破棄にまつわる問題はその一端でしかない。
またこの破棄への動きは、前述したような北朝鮮との合体への一歩でしかないが、当面保留された。

日本の韓国に対するホワイト国除外の本質的影響を中長期の経緯で見ると、韓国の実害の度合いが思ったより軽微だと感じる可能性が高いだろう。しかし韓国人は、日本に格下げされた方の視点が重すぎて、冷静な影響を全く見ることが出来ない。


これまで日本人は、韓国に対して、日本式の対応をすれば、やがて先方の理解が得られ、一定の合意や共通認識を得られると考えてきた。日韓議員連盟や政治、経済関係者による個別の連携も一定の役割を果たしていただろうが、過去20年を振り返ると、成果はゼロだったと言わざるを得ない。
韓流ブームによる日本人の韓国への理解度は高まったが、韓国は未だに日本の文化を一般的レベルでは拒絶しており、日本のブームとは裏腹に韓国側は門戸を閉ざしたままなのだ。

こうした経緯を俯瞰し、また文政権の親北朝鮮寄りの危険な思考までを包括すれば、隣国だから仲良くしようというような甘い発想では日本の国益を損ねる危険が高い。
当然隣国であるが故の距離感は重要だが、同時に韓国が中国+北朝鮮に取り込まれ、赤化してゆくリスクまで視野に入れざるを得ない未来を見据えれば、当然のように日本の安全保障は現実に即した変化を求められるだろう。
何よりも現在の北朝鮮は「核保有国」なのだ。

究極の武器を保有している北朝鮮と北朝鮮親派の文政権が合体した時、また儒教国である両国が日本にどのようにに対峙するかを想定するには、韓国の人々がどのような考え方をする民族か学習し対応する必要がある。

以下に韓国の人々の基本的な思考や行動様式を列挙しておく。

◎韓国は小中華思想国であるため、日本は夷狄(いてき)であり、常に「下」だと思っている。
従って彼らが日本による統治を受けた時代が我々の想像以上に屈辱だったのは、そういう視点と感覚があるためで、この視点は日本人には理解出来難い。
◎韓国は歴史的に中国の属国的位置で生きながらえてきた経緯あるが、日清戦争によって日本が独立開放への道を開き、占領されてしまったことで、自立的独立や発展を果たせなかった事についての恨みが深い。
◎韓国人は上・下関係を明確にしたがる。彼らの上・下は、金銭的地位、社会的地位、先輩後輩、目上目下などに及ぶ。
なお、一旦自分が高い地位にいると思った瞬間に、態度が豹変することが多い。
従って彼らが下手に出てくる時は、金銭的地位、社会的地位など明らかな利を得ようとする場合が多く、それ以外の動機は殆ど持たない。
彼らは常に身内志向で実利的であると同時に、プライドが維持できるような考え方が行動動機の主体となる。
仮に北朝鮮との対話を進め、もしくは北朝鮮と韓国が事実上合体に近い状態になった場合、核保有国であることが彼らの切り札になり、対話においても核保有していない我が国は非常に不利な交渉を強いられるだろうと予測する。

◎頭脳労働者の地位が圧倒的に高い。我々が歴史で習った士農工商の士(官僚)が一番上なのはそういう意味だ。
従って肉体労働、手作業を伴うもの(製造、職人等)等の社会的地位低い。
後述するが、韓国に老舗が無い事実や製造業が弱い難い点、また基礎研究分野が全く育たないのはこうした理由だ。文政権は日本のホワイト国除外を受けて韓国の製造業を強化すると発したが、国内の社会的地位が低い製造業をそもそも国民の多くが職業選択するかはかなり微妙だと思っている。

◎一旦罪を認め、謝罪をした者は、永遠に謝罪相手に責め続けられ、許される事はない。
極端な言い方になるが、韓国人への謝罪は、罪人であることを自ら認めると同時に、
永遠に続く謝罪の始まりなのだ。
罪を犯した者は永遠にその罪を背負い、死んだ後もその罪が消える事もない。儒教の親玉である中国も同様。
これまで日本人は、韓国人の「謝罪」の意味を正確に理解しておらず、それはすなわち韓国人を理解出来ない根幹的なものだ。日本の謝罪は「過去を水に流す」と考える。これは神道的発想であり、我々日本人にはそれが定着している。しかし韓国は謝罪は罪人と認めた事であり、罪人は永遠に罪人として扱われ、水に流す事がない。
以前、恵泉女学園のイ・ヨンチェ氏は、BSフジのプライムニュースで、慰安婦問題をテーマにした議論の際、日本は永遠の謝罪をすべきであるという趣旨を語り、視聴者、出演者を驚かせたが、彼の考え方は韓国人にとって常識だと知っておくのは必要だろう。
(それにして恵泉女学園は、何故このような思考の人物を日本国の教育現場に登用しているのだろうか??)

◎一旦親しくなると、相手の所有物も自分の所有物のように考えたり、実際に利用する傾向が強い。こうした他人との距離感の無さは、日本人には殆ど理解出来ない面だが、韓国社内にとって「家族、一族」とそれ以外の思考は彼らにとって普通のものだ。
韓国相手の議論がミソクソ一緒になって見えるのは、そういった生活習慣が大きく影響していると言っていいだろう。
韓国では、本人、家族、一族、家族的仲間(友人)の順番に利害関係の範囲が拡がるため、自分の実利を棄損してまで「公に奉じる」という感覚は相当に薄い。公は最後になると言っても過言ではない。
韓国の大統領や側近らが毎度毎度身内のスキャンダルで逮捕、拘禁されるのは、身内優先の社会構造であるのが理由だが、この辺が日本人として一番理解に苦しむ所だろう。

◎中長期的な視点、視野で事やモノを考えたり、組み立てたりすることが非常に苦手。しかし、短期的な爆発力は凄い。韓国と仕事をすると一番戸惑うのは、半年、一年先の計画を立てて準備をするようなスキームが組めない事だ。彼らはいつも直近まで事を決めない。決めていてもかなり曖昧なアウトラインだけで、詳細は直前もしくは実行してから決めて行く傾向が強い。もちろん韓国社会ではこうした方法で廻っているのだが、海外との協業になるとこうしたやり方が毒を持つ事が多い。

◎遡及法なるものを作り、過去の犯罪を現在の視点や価値観で裁く事を全く厭わない。こうした法律を持つ国は、先進国にはない。韓国人は、過去を清算的に見る事が出来ない。また上か下、罪があるか無いかで見てしまう。清算的でないから、議論が積みあがらない。1965年に日韓国交についても、あれこれと不満があるため、締結交渉をやり直そうとか言い出すが、国際的な外交的非常識も韓国人にとっては全く常識的な行為なのだ。この分かり難さが彼らの立場を難しくしているが、当の本人たちは全く意に介していない。

◎理念的なため、事実の蓄積よりも、自分たちが希望、妄想する事に現実に当てはめようと四苦八苦してしまう。歴史の見方が日本と全く合わないのはこういう背景がある。ホワイト国除外とGSOMIAの破棄で反日がピークになり、日本製品不買運動が起きている。しかし例えば韓国語には日本から輸入してしまった言語が多数ある。そもそも韓国は日本が併合した1910年の段階で文盲率が90%に近かった。庶民は文字を持たず、エリート官僚だけがいわゆる中国語の漢字を使う社会だった。現在のハングル語を一般大衆に拡大したのは実は明治時代の日本人たちだった。その名残が日本語の輸入であり、現在の韓国人が使用しているハングル語に日本語が混じっている理由なのだ。
例えば共産、主義、資本、階級、思想、政治、経済、文明、文化、人民、無論などは韓国人が日常使っている日本語由来の言葉だ。
日本製品不買運動に賛成している国民は半分近くいるらしいから、この際、こうした言語を使わず、自分たちで新しい言葉を作って使用すればいいとも思う。
そうもいかないならば、日本との県警を冷静に考えるべきだが、そういうマクロ的な歴史観が全くないのが今回分かってしまった。
理念的過ぎるとリアリズムに対抗できない。韓国の弱さはここにあると思われる。

◎「恨」と言われる根深く陰湿な通底的な思考があるが、これは歴史的に韓半島の人間が、様々な国や文明から長年に渡って干渉や攻撃を受けたために宿ったものと思われ、被害妄想的であり、また理解不能なほどの鬱屈した劣等意識と、妄想的に高いプライドのギャップに産まれたものと思われる。「恨」は韓国国民にだけ共有されている概念であり、DNA的な連鎖で現代に至っている。強烈な劣等感と高邁なプライドという真逆のエネルギーを1つにしたようなものであり、宗教に近い。
恨のエネルギーは、民族的な高まりを1つにするには有効のようだが、生産的で長期的な関係を構築することにマイナスに見える。
少なくとも上記記載の行動様式を理解していれば、韓国人の考え方、発言を見聞きした際、日本人や西洋人が、「ああ、あの事か・・」と思うはずだ。

さて、本質的には韓国が周辺国にかなり配慮した外交をせざるを得ない理由は、GDPが相対的に低いからで、輸出依存国家である以上、対外に敵を作るのは戦略的に正しくない。
その韓国が日本に対して過剰な反日的外交姿勢を維持をするのは、本来の戦略から大きく外れる行為なのだ。

しかし注意が必要だ。
韓国人にも多くの優秀な人材がいる。また彼らは追い込まれた際の爆発力は相当なものなのだ。
日本政府、国民はそういう部分における韓国人の力を過小評価せず、1つ1つ冷静に対応すべきと思っている。
また引越せない隣国である以上、彼らの本質を理解しながら距離を考え付き合い続けるしかないもの事実だ。
従って韓国との外交は、あくまでも日本の国益に資するかどうかだけで判断するのが良いだろう。
「南北が一体化すれば強い韓国統一経済が生まれる」という「夢」を語るのは勝手だし、国民がそれに夢想を覚えるのも勝手だが、現在の北朝鮮の状況、核保有を鑑みて、こういう発言が適切かどうか、考えれば分かるはずだろう。


文政権は、前述したように、最低賃金を引き上げて雇用者の賃金上昇に寄与したが、そのお陰で中小企業は解雇に踏み切り失業率は高くなってしまった。これは日本のまともな経済学者が前から指摘していた事だが、その通りになった。
左派政党の経済オンチは世界共通だが、こういう政策を実行する当たりに彼らの無能さが垣間見える。日本にはれいわ新選組を筆頭に似たような主張をする人たちがいるが、韓国の失敗を全く研究していないようだ。

文大統領のように弁護士になれるほどの知能を以っていても、経済の基礎すら理解出来ないのは不可解だが、これは当然の帰結だ。
経済は理数系の世界で、文系はその点において不利な分野だ。
しかし、経済の基礎的な部分を理解するのはある程度の学力のある人間なら可能だ。従って、こうした人たちは、勉強不足と言うだけだろう。

経済が不安定になれば政権への支持は落ち、やがて民衆の不満は高まる。
特に輸出頼みの経済環境である韓国が中国に依存出来ない中で日本に喧嘩を売っている辺りを見ても、全く戦略性がない。
なお、韓国の方々の名誉のために言っておくと、
現在の状況を必ずしも良いと思っていない良識的で比較的公平なモノの考え方をしている人たちが一定程度存在している。彼らを保守派というが、こうした人々は現在の韓国国内では公に意思を表明しにくい状況がある。
それでも韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究委員)は、『反日種族主義』と題する本を発刊し、韓国で8万部を突破する勢いで売れているという。
彼は韓国人からも敵視されながら、研究した事実を表明した数少ない学者だ。こうした動きは韓国ではまだ少数派だが、今後の日韓関係を冷静に進める上で、希望の光かもしれない。

実は、1965年の日韓基本条約において、1910年から始まった日本の韓国併合が、法的整合性があるか、ないかについて、実は明確な記載はなく、双方の異なった立場があることを認めるだけなため、双方にとってそれぞれの理論武装が正当性を持つという穴がある。それでも当時はそれを棚上げにして条約締結をし、当時の韓国のGDPの三倍余りの金を、USドルで支払ったのだ。金で全てが解決する訳じゃないとは思うが、条約締結の上での行為であり重いはずだ。

また、慰安婦問題に関する日韓協定の事実上の破棄、レーダー照射の嘘、その他、韓国の現在の在り方に関して、
過去の政権で駐外大使経験者たち40名近くが、文政権に対して、国際社会の一員としてもっと近代的民主国家としての振る舞いをするようにと抗議声明を出している事実がある。

そういう意味で、我々日本人が知る以上に韓国国内にも冷静で良識的な人たちがいるのも事実だが、一般的な意味で言うと、韓国人にとって反日は、空気のように当たり前でありながら、それに反して、年間700万人余りが日本に観光に来ているという理解し難い事実もある。
しかしさすがにGSOMIAの解除で観光客が減った。それでも7.9%程度だという。
この先増えるか分からないが、90%近くの人たちは来日している事実はどう考えればいいのか?
韓国国内では親日は悪とされるのに、何故彼らは日本に来るのか?

この不思議な疑問に、端的な回答を寄せていた方の意見を見つけた。

女優の黒田福美氏「韓国には日本人の怒りが伝わっていない」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00023/030700004/?P=1

彼女は35年に渡る韓国との付き合いから、記事のような発言に至っている。
要約すると、韓国人にとって「損得」が重要であり、加えて発した言葉には責任を感じない民族である、という見解だ。これは私は上記で記載してきた主張に合致する部分が多い。「損得」が重要=損得勘定で考え行動するということだし、言葉には責任を感じないというのは場当たり的でも社会的制裁が少ないという事だ。
日本人には信じられないが、言葉には責任を感じないで何故社会生活が営めるかと言えば、そこには上下関係だったり、社会的地位が関係しているからだ。

黒田氏の見方は、18年近く韓国と仕事をしてきた私にも非常に理解できる見方だ。
だから現在の私はそのように彼らを見ているし、
実際、それによって彼らの行動を良くも悪くも「読める」ようになった。

我々日本人は「言霊」の民族だ。加えて「損得」は「善悪」の前に来ない考え方をする。
(実は韓国にも言霊に近い考え方はあるが、我々とはちょっと感覚が異なる)

この決定的なすれ違いが韓国の行動の理解を難しくしている。
従って日本政府は、韓国と対峙する際、彼らの損得と民族的思考の特徴を見極めて付き合わないと
日本側に有利な状況を作り出せないのだ。

2019年7月になって、日本は韓国をホワイト国から外すと通告した。
単純な安全保障上の措置だが、韓国国内は、この対応に右往左往している。
彼らにとって、経済成長し、先進国になったという自覚にある中で、
日本から「格下げ通告」をされた事は、我々の想像以上に彼らのプライドを棄損されたと感じているのだろう。

しかし、日本のこうした対応を予見していなかった韓国の方がお目出度いと思うのだが、
どうやら韓国政府にはリスク管理と言う発想がないと思われても仕方ないだろう。

冒頭に記したようなあり得ない事をやり続けて、特別待遇されない判断を知って国民は右往左往し、日本の製品を不買運動する辺りは韓国の痛々しい所だ。
不買運動、観光取りやめをしても、韓国経済に大きな打撃を作るし、
アメリカに泣きついても、日本はこの件を事前通告しており無意味だ。

また、韓国のシンクタンクの情報では、主要産業(繊維、ケミカル、車両船舶製造等)の日本への部品依存度は90%を超えると分析されている。
韓国は、日本なしで製造産業が成立しない弱点を知っていて当然であり、
大局的国益を考えれば、あれこれと日本にケンカを売るのは損であると分析できるはずだが、文政権にはそういう計算が出来る人間がいないようだ。

我々日本に跪けとは言わないが、日本と敵対的で、不利益にならない対応をすると自分たちのためにならないなら、当然の付き合い方がある。
ホワイト国を外されると宣言され、初めてこうした事実に直面して慌てふためく辺りが、中長期でモノを見れない韓国の特徴が出たケースだ。
文政権にはもう少しましなエリートは居ないのか? 笑。

さて、話を元に戻すが、韓国側が日本に対して使う常套句の中に、「歴史の正しい認識」がある。
しかし、残念ながら韓国及び中国ほど「歴史の正しい認識」を行った形跡のない国は国際的に見ても珍しいと言っていい。
なお、敢えて言っておくが、日本の歴史教科書も特に近代史において相当歪曲された部分がある。

韓国と中国は、それぞれ自分たちの理想の歴史があり、現実に起きた事象を都合よくはめ込み、それを正史としている。言わば、神話のような世界を現実の歴史と言い張るのが彼らの歴史感なのだ。
これこそが儒教の持つ毒の一つと言っていい。

従って日本人や国際的な視点や客観性を持つ歴史学者らと韓国や中国の歴史認識が合致するはずがない。
それは数学を理解出来ない人々にブラックホールの存在を教えるようなものに近い。

特に韓国の難しい所は、儒教の毒を背景に、世論や政権の在り方が、左派・右派の「覇権争い」になりがちで、国家国民が民主主義的手続きを尊重してまとまろうとしなかったり、何かあると市民パワーという力で解決しようとする点にある。
日本の左派系政党を見ていても全く同じだが、民進党も内部のまとまりが出来ず崩壊した。中国は歴史上、一度も民主的な国家として存在した事がない。
その中国の一番弟子である韓国の政権終了後の同じパターンの末路を見るにつけ、
中国の思想的影響を未だに強く受けている外的証拠だろう。それが儒教の毒なのだ。

従って現代においても、パク政権が大規模な民衆デモ(このデモは北朝鮮の国家的意図をもって協力もしくは仕掛けられたとも言われている)によって瓦解し、文政権が誕生する経験をしてしまったため、民主的で冷静な経緯、つまり法理と民主主義の総意という手続きを経るよりも、一気に市民パワーという力技で政権を打倒してしまう訳だ。
またこうした成功体験は、今後においても同じような事を繰り返す土壌を作ってしまったことになり、韓国の民主主義を前近代的な時代に戻す副作用となるだろう。つまり、韓国の民主主義は未だに成熟していないということだ。

どの国にも「それぞれの民主主義がある」という言い方はあるのだが、韓国の場合、今でも中世のような前近代的な制度で生きる国民性があり、例えばだが、韓国は自らを法治国家とは言っているが、実態は民治(情治)に近く、世論や世情に流されやすい。
韓国には過去の過ちを現在の法律で裁く遡及法があるが、これだけ見ても、韓国がOECD先進国とは視点が違う国家だと解る。(韓国が過去の犯罪行為にシツコク謝罪を求める理由は、こうした遡及法を生む土壌と一致している)
従って社会に客観的なグリッドが無く情痴が優先するため、複雑な問題解決を求められると感情が先に走り実力行動になりがちなのだ。
パク政権の瓦解はこういう背景で起きている。

日本を振り返っても、戦後の混乱期、左派系が強く、労働争議も頻発しており、また60年代から70年代の学生運動や内乱状態を見ても、民主主義の黎明期には共通する部分がある。
しかし、日本は連合赤軍の悲惨な事件を経て国民が冷静になり、辛うじて暴力的意思表示をする方法から脱した。

韓国は民主化されてまだ24年程度で、民主主義の使い方に慣れていないとも言えるが、政権が変わる度に社会構造までが変わり、法の解釈までが大きく変わってしまう現状は、行き過ぎ感が拭えない。
いずれにしても、儒教+民主主義は非常に食い合わせが悪いのと、親北朝鮮で極左と言っていい文政権の動向は、今後、特段の注視が必要になる。

韓国では当たり前の行事だが、政権が変わると前政権を担った大統領や幹部が逮捕、拘禁されることが多い。
これは、儒教思想にある毒の一つの現れだが、儒教が内包する、易姓革命的な思考によって、過去の過ちを糾弾し、また覇権争いに負けた側に対して極端な対応になるのは、中国の歴史と殆ど似た経緯であり、これは、中国発信の儒教が現在においても韓国を支配しているからに他ならない。
最近文大統領は、「親日の積弊」と言い始めているが、儒教の毒は、とにかくその時代の権力者が過去を書き換えようとすることにエネルギーを注ぐ点だ。

私はこれらを「チンピラの難癖」と呼んでいるが、歴史や価値観を自分の思うように書き換えようなんて成熟した社会の国家がやることとは思えないが、それが韓国の実態なのだ。

儒教思想は、元来中国が起源を持っている。
あの孔子だ。
儒教の解説については、私のような学者でも無い人間が解説するよりも、専門家の本を読むことをお勧めするが、
本質的には人間の生き方における意識について説いたものだが、結果的に権力者にとって国家を中央集権的に運営するために非常に都合の良い思想として使われたとだけ言っておこう。
もちろん孔子を起源とする時代から、思想そのものは時代と共に変化し、朱子学等に発展し、
その時代の権力者の使い勝手が良いように解釈されて運用されていた部分は多い。
本来は非常に奥ゆかしい思想なのだが、次第に摘まみ食いされて権力者に使われてしまった経緯がある。

日本人は、儒教と聞くと先祖、目上を敬うようなイメージを持っている人たちが多いだろう。
あの、「仁」「義」「礼」「知」「信」が持っているイメージだ。
それはそれで正しいのだが、表向きとは違い、儒教は、ちょっと変な解釈を加えながら発展してゆく。

有名な例だが、戦場で指揮を執っている司令官の母親が亡くなったという報が司令官本人に伝わった際、その司令官は持ち場を離れ部下に託し、母の葬式に駆け付けたと言う。
日本人は基本的に私(わたくし)が公に勝ることがないため、こうした行動が信じられないが、儒教思想の国では100%正しい行動となる。
これは「孝」に関する考え方から発展したのだが、儒教の孝の考え方は、公よりも個人(家族)を中心とした考え方が強いからだ。
従って、古代中国では、皇帝の身内や外戚に大きな権力を与える根拠ともなり国の運営を難しくした歴史がある。中国人、韓国人は家族や親戚、また仲間と称するサークルに対する接し方が日本人に比較して、湿度の高さを見せるが、それは彼らが儒教思想の国民だからなのだ。

韓国では大統領が任期を終えると、家族、親戚にまつわる様々なスキャンダルが発生し、大統領本人が投獄されるケースが多い。
実は、これは「孝」の毒なのだ。
先ほど、儒教の孝の考え方は、公よりも個人(家族)を中心とした考え方が強いと書いたが、韓国のスキャンダルの根源はここにある。
加えて儒教思想では、相互互助の感覚も強い。仮に貧困家庭だが頭が良い子供がいると、家族、親戚が資金的援助をして、その子供を高い学歴へ押し上げてくれる場合がある。普通に見れば、とても良い話だ。
さて、仮にその子供が出世して、大統領になったとしたらどうだろう?
資金的援助をした家族や親戚縁者は、「孝」の代償を得ようと群がる。
何故なら「孝」は”公”よりも”私”を優先するからだ。
理屈では権力者の身内への利益供与は良くないと理解していても、「孝」から離れて判断することはできない。
これが韓国の大統領スキャンダルが永遠に無くならない根本的な儒教思想の弊害なのだ。
パク元大統領には夫も子供もおらず、こうした親族への利益供与がないだろうと期待されていたが、それよりも悪い形で権力を悪用した連中に侵された。

文大統領の北朝鮮へのシンパシーは、単に同じ民族というだけでなく、この「孝」にまつわる部分が大きい。
特に北に出身を持ち韓国で生きている韓国人(文大統領の両親は北朝鮮出身者)にとって、北にいる自分の身内への「孝」を果たしていないことは非常に重いのだ。

話を元に戻すが、現行の韓国左翼政権下では、親日的な言論や保守層の意見は圧倒的に封殺され、
公務員であれば日本を利するような政策に携わった人たちが軒並み人事的に不遇な状態に置かれる。

従って韓国国内で親日寄りの発言を標榜するのはこれまで以上に困難だ。
元々韓国は、日韓併合の記憶によって、反日を共通の価値土壌としている社会であるために、
日韓併合のプラス面とマイナス面を正当な形で評価し、議論しにくいというジレンマに陥ってもいる。

韓国には独立記念門があり、ソウル駅にほど近い場所に、大きな門が立っている場所がありますが、多くの韓国人は、日本からの独立を記念したものと勘違いしておりますが、あれは中国(正確には清王朝)からの独立を記念して建てたものなのだ。

おまけにその独立は、日清戦争で日本が清に勝った事で成し得た訳ですが、韓国人は自主独立という妄想を歴史に書き込みたいため、普通の韓国人たちはそうした事実を習わない。
また1965年の日韓条約締結で得た当時の韓国GDPの2倍近い賠償金や日本の技術協力で行った経済発展事業も、全部韓国人の手柄として歴史に書き込まれている。
そういう基本的な所から間違って刷り込まれているのが韓国の歴史感の痛い部分だ。

従って100年経っても日本と韓国の歴史認識が一致することはなく、日本はそういう事にエネルギーを取られるべきではない。放置して無視しておけばいい。
それでも近年の韓国の若年層は、高齢者に比べて反日的な視点が若干薄いのも事実だ。
特に若年層には韓国の一般社会的にある反日感と日本への親近感が綯交ぜになっており、
我々から見ると、日本に対する感情が二層三層構造に見えている部分がある。

しかし、そうした若者たちでも親日を公言するのは社会的な死を意味し、韓国国内ではできない。
訪日外国人が増える昨今、2017年は700万人余りが韓国から日本に来ている。
反日の国民が何故日本に来るかと言えば、純粋に日本が良い場所だと考えているからだ。
あれだけ反日反日と言っている連中がヒョコヒョコ来日するのは、韓国人が実利的国民である査証だ。
言い方は悪いが、信念が全くないと言っていい。

強いものに巻かれ、弱いものを腐すのが韓国の特有な在り方と言っていい。
事大主義とも言われるが、これは韓国の歴史が、中国という大国や、モンゴル等から長年に渡って侵略や攻撃を受け、子孫生存のために身に着けた彼らなりの「サバイバル術」なのだ。
そういう背景を知っていないと韓国人とは付き合えない。
過去に、慰安婦問題において、韓国人の社会が信じているものとは違う真実や事実を取り上げて
著作にまとめた韓国人女性作家が名誉棄損に罰せられた上に、
裁判所の判決によって本の内容の書き換えを余儀なくされた事件があった。
「帝国の慰安婦」という書籍だが、本来の民主国家なら、こうした判決は言論の自由の封殺であり、民衆は戦うべきだが、慰安婦問題のタブーを扱ったものでもあり、誰も援護射撃をせず、司法までが言論封殺を支持するという異常さを見せたケースだった。
イ・ミョンバク、パク・クネと2代続けて大統領経験者が刑務所に入っている事実やパク政権下の最高裁判事が、慰安婦問題の判決を故意に遅延させた容疑で逮捕、拘留される事実を見ても、韓国の前近代性と異様さは、我々日本人は理解を超えた存在なのだ。
しかし当の韓国人は、何故自分たちがそういう思想を持っているか全く理解していない。

韓国人には空気のように当たり前であるため、普段は全く気が付いていないのですが、彼らは儒教思想国の国民だ。日本も江戸幕府があった時代、朱子学という似たような思想に染まった社会だった。
みなさんも「士農工商」は聴いた事があるでしょう。

「士」は、困難な試験を突破した国家官僚を指しますが、日本ではサムライがこの位置におりました。
日本に残っている最後の儒教思想の痕跡は、今でも霞が関に残っており、それは、国家公務員上級甲種試験、いわゆるキャリア組を選抜する公務員上級試験だ。
官僚は、資質や人間性や技術力に関係なく、試験で高得点を取る事だけでエリートコースに入る事が出来ます。中国では「科挙」と呼ばれたシステムですが、これが儒教思想下で、現代に残る前近代的エリート選抜システムです。
頭はいいかもしれないが、回答のあるものしか回答できないという特殊能力だけに秀出た人材が果たしてどこまで複雑怪奇な回答を必要とする社会で有用なのか? 
私には理解不能です。(それでも優秀な人材がいるのは事実ですが、頭が良いだけのバカもおります)

韓国は日本を超える学歴社会なのはご存知と思いますが、これは中央集権国家を維持するために好都合だった儒教思想に内在する副作用のためです。韓国にも官僚はおり、大きな力を持っておりますが、官僚以外では、サムスンなどの超一流企業へ入る事が社会的ステータスを上げるために必要で、それは全て学力と紐づいております。
高い学力こそが最も高い社会的ステータスへの近道なのです。故に学歴社会は過熱する訳です。

また「商」は一番下ですが、日本のサムライたちが商売を忌諱した江戸時代は、儒教思想の影響下でした。これは士は商に関与しないという点と、金を扱う商は、社会的地位が低いという意味でもあります。

幸運にも、明治維新の大改革によって儒教思想は根絶され、西洋社会の価値観を輸入し定着させたために、
消し去られました。
これは日本人にとってとても大きな利点となりました。
しかし、韓国は現在でも純然たる教思想国なのです。
儒教には親孝行などに代表される孝や義を重んじるという良い面もあるのです、それに伴う副作用も多くあります。その1つ目の副作用は、祖法を守る抜くという考え方です。
これは孝や忠の流れにある考え方なのですが、
祖先に背く事になる場合、過去の考え方や方法を変える事が合理的に出来ないのです。

例えば、歴史的に祖先を否定するような歴史観は、儒教思想の国では取りません。
実際韓国には、過去の歴史的人物を悪く批評すると、その遺族から訴訟を起こされます。
日本で言えば、徳川家の歴史に関して、仮に悪いと思われる事実を書いても歴史的事実であれば仕方ありませんが、韓国ではこうした事が訴訟対象になります。
従って韓国では正しい歴史を記録し伝えるのが殊更に難しいのです。
韓国人は気がついておりませんが、これこそは祖法を守ろうとする儒教の毒の一つであります。

従って、儒教思想国には客観的な歴史観は根付かず、こうあって欲しいという主観的な歴史しか残りません。
これは歴史でなく、ファンタジーです。
現在、文政権が韓国の最初の設立時期と場所を、自らが信じて止まない説に変更しようとしているらしいですが、そういう客観性のないことをやりがちなのは、儒教思想国の特徴と言っていいでしょう。

徳川家康が朱子学という儒教を日本的に改訂し、当時の政権維持に採用したのは、
「祖法を守る」+「忠義、孝」=「長期安定政権の樹立」+「政権の安定移行」という点にあったと言われております。
特に孝や忠の考え方は、武家社会における主人への恩に全てを捧げるという考え方にも通じる部分があり受け入れ易く、加えて、戦国時代のような、覇権社会の不安定さからの脱出をするために使い勝手が良かった訳です。
2つ目の副作用は、罪に対する考え方です。
罪を犯したもの、罪を謝罪した者は永遠に罪人であり
罪人は永遠に被害者や社会の下僕となるという考え方です。
儒教が持つ強烈なこの思想は、「恨」の根源ともなっているかもしれない。

韓国人にとって、日本の植民地支配や慰安婦問題等は大きな国家犯罪であり、
日本は大悪人であり、当然の事であるが、日本が謝罪をするという事は、
日本が大罪人であることを自ら認め、また永久に韓国の下僕になるという意味になります。

現代の日本人にとって謝罪とは、「罪の清算」のためで、終わりを意味しますが、
韓国に対する謝罪は、「罪の清算の開始」を意味します。

過去の日本の政権が慰安婦問題等に対して外交的に最大値で謝罪しても、
政権が変わる度に日本への謝罪を要求する韓国のシツコサは、
我々日本人には全く理解できない厚かましさなのですが、
これは、韓国と日本の謝罪に対する意味や考え方が全く違うためです。

韓国にしてみれば、謝罪=罪を認めた=罪人は永遠に罪人、という公式になりますから、
日本側は、韓国に対する謝罪の方法がとても難しい事ことを理解しておくべきでした。
従って日本的な感覚で彼らに謝罪すれば、受け入れ白紙にしてくれると誤解したのは、
特に河野談話などを含め、政治を司る人たちの対応としては痛恨でした。
謝罪=罪を認めた=罪人は永遠に罪人、と考える韓国が、「謝罪を受け入れる」という意味は、
韓国が必要な時に必要な謝罪を日本に要求すれば、日本はいつもでそれに応えるという意味で、
決して清算を意味していないのです。

特に外務省はこうした事を政権側にキチン助言すべきだったが、
どうやら日本の政権は、外務省のコリアンスクールの連中(韓寄りに思考する連中)に騙されたと言っていいかもしれません。
従って、残念なのですが、霞が関や政治関係者には、反日的で国益に反する事を厭わない反日的な日本人がいる現実と事実を知っておきましょう。特に日本の左派政党は要注意ですし、自民党内部にもそういう連中が潜んでおります。

韓国がレーダー照射においても謝罪もせず、日韓合意を事実上破棄する姿は、
明らかに現在の韓国にとって日本は下僕であり、取るに足らないと宣言しているに等しい訳ですし、
下僕相手に何かを斟酌するはずもない訳です。
彼らは自分たちを栄光ある王朝の末裔という自負がありますから、なおさらでしょう。
もっと簡単に言えば、儒教思想国は、中華思想なので、日本は彼らにとって夷狄(蛮族)なのです。

一連の違和感は、上記のような思考を背景としている点を理解していれば、成る程ね・・と分かる次第なのです。
しかし、実利的な韓国人は、自分たちが経済的に困った時には、これまでの経緯などそっちのけで腰を低くしてお願いに来ます。日本への通貨スワップの要望もそうでしたし、文政権が言う「ツートラック」も同じ意味です。
日本は嫌いだが、韓国のために役に立つのなら、その点については経済の門戸を開いて上げてもいいよ、という上から目線は、儒教思想国の常です。
小泉政権下で、拉致被害者が日本に帰還した背景も、米大統領のブッシュの強力な敵視政策と、経済的困窮が理由だった訳で、そういう事がないと連中は事を動かしてません。
極めて実利的なのです。
加えて儒教思想国は中華思想国なので、実力かそれに相当する事で理解させる以外なく、話し合いだけでは無意味です。

現在の北朝鮮も同様ですが、アメリカの軍事力にこそ恐れを抱いており、2018年初頭に本当に北への攻撃の兆候があったためにキム主席は方針転換した訳ですが、武力が有効でない日本に対しては斟酌する必要すらないので、拉致問題が進展しないのもこうした背景があります。

安倍政権が憲法9条を改正する動きへの動機の中には、中国の脅威への対処がありますが、同時に北朝鮮と朝鮮半島の予測不能の脅威に備えるという意味も含まれます。
現在、日本は、中国、北朝鮮とロシアに核で囲まれており、辛うじて米軍の核の傘で対抗しているにすぎません。我が国は、圧倒的に丸腰であり過ぎるため、憲法9条を改正しなければ、日本の安全保障に対応できないというは言い過ぎではないでしょう。

さて、韓国のこうした不可解な行動は、地政学的に、中国、ソ連、モンゴルなどの地域から、長い歴史を経て虐め抜かれたことによって、彼らのDNAに深く刻まれてしまった生き残り策なのでしょう。

2018年末に韓国の文という国会議長が来日し安倍首相と面談しましたが、
首相が謝罪すれば全て終わると言ったそうです。
また同じ人物は、ブルーンバーグの取材で、天皇が慰安婦の方々の手をとって謝罪すれば終わると言い、問題になりましたが、韓国の手法はいつも同じです。

繰り返しになりますが、彼らの「謝罪によって終わる」というのは、日本的に言う謝罪で清算されるという意味でなく、謝罪によって罪人が罪を認め、罪人を攻め続けることが「始まる」という意味です。

韓国の韓国労働者問題に関する最高裁の判決は、現代の国際社会では理解できませんが、
その原点的な考えは、「日韓併合は悪であり日本は永遠に悪の対象だ」=「悪を認めた相手に対しては、どのような合意も成立しない」=「従って悪を認めた相手との合意は大したものではなく、いつでも破棄出来る」という思考なのです。
恵泉女学園大学の李 泳采(イ・ヨンチェ)氏という准教授がBSフジのプライムニュースで、
慰安婦問題等に関し日本は、永久に韓国に対して謝罪をしなければならないという趣旨を
発言していた事がありますが、こうしたキョトンとする言い分を日本の准教授クラスで出来る不思議な思考回路は、韓国の人たちが上記のような考え方を根底とする儒教思想国の国民である事を証明していると言っていいでしょう。
東海大学教養学部の金慶珠(キム・キョンジュ)氏も全く同様のレベルなのだが、この手の輩を日本のメディアに登場させ、韓国の考え方を披露することは、日本の言論の自由からやぶさかではないが、ともすると日本のメディア群が、国益に反したような考え方や手法を、手助けし、拡散し、後押ししてと思わせるような場合も散見され、非常に憤りを隠せない訳です。

余談だが、韓国には日本で言うような「老舗」が全くありません。
また韓国では、「老舗」が全く社会的評価を受けません。
これは事実です。探してもありません。
理由は簡単で、儒教の特徴的な副作用の現れだからです。
しかし、韓国人は、これに全く気が付いておりません。

何故か?


儒教思想にとって、「商」は最下位に来る職業であるのと同時に、
職人技のような「手作業」からなる技術や素養は、
頭脳労働を最高位として尊ぶ儒教思想において
社会的な価値の高いものではありません。

社会的な価値の高くない職業は、韓国人にとって決して名誉な事ではないため、
そもそも次世代に技術を継ぐという発想がありません。
彼らにとって価値があるのは「士」の位置にいることなのです。

実際、私の会社にいた韓国人の実家は、マッコリの生産をしておりましたが、
その人物の兄弟の誰も、父の事業を継がないと言っておりました。
理由を尋ねると、それが韓国では常識という回答でした。
その方は理由を言えませんでしたが、考える事もないほど当たり前という事でした。

また韓国でノーベル賞が出ないのは、地道にコツコツと研究することが社会的に評価されないからです。
日本のノーベル賞受賞者たちは、長年に渡って自分たちで「手を汚して研究」してきた人たちばかりです。
韓国ではそういう事を評価しませんから、従ってこうした手法が必要な分野では、ノーベル賞は出にくい訳です。
但し、頭脳型の発想と証明だけでノーベル賞級の発明や発見をする可能性はありますが、果たしてどうでしょうか?

韓国人にとって、社会的地位を得るためには、頭脳労働者が得られる高い地位に行くか、
それと同等と思えるような地位を、別の形で得ようとします。
それが「金(money)」です。
韓国では、金持ちになることによる上層社会への参加は、判り易い社会的成功として認知されます。
これは日本以上でしょう。(日本にも結構そういう輩がいる事はクオートしておきますが・・)
年収が高い事=偉いという単純な思考回路を持った人間は、社内にかなり多いと感じます。
従って「金」を儲ける事が人生における最大の関心事になり、常に目先の利益を求めがちになります。

私も多くの韓国人と仕事をして参りましたが、
大抵の場合、自分が金持ちになれるかどうかが一番の関心事のようでした。
日本のように組織に対する忠誠はなく、自分ファーストが多かったです。
これは、韓国のサラリーマンの多くが40歳で事実上の定年を迎え、残りの人生を自営でやらなければならないという厳しい現実が背景にあるからとも言えます。
この点は、日本とは違う社内情勢が影響していると言っていいでしょう。

リタイアを余技なくされた人たちの多くは、自営業か、飲食業か、いずれにしても起業を意味します。
従って金の工面が人生の大半の関心事になってしまう訳です。
確かに大変です。気の毒だなとも思って見ておりました。

従って特に自分の周囲に成功して金持ちになると、直ぐにそれに追いつけ追い越せと必死になります。
成金という言葉がありますが、韓国で金持ちになった人たちの多くは、この言葉にピッタリだと言っていいでしょう。

もちろん、こういう範疇に入らない優秀でキチンとした方も存在して事実は書いておきますし、
一面的で単純な見方は危険だと思っており、私も注意をしながら書いているつもりです。

しかし、実施のビジネスの現場で、賄賂を要求してきたり、自分の口座に金を振り込ませようとしたり、
またプロジェクトをでっち上げて金だけ貰おうとしたり、日本の著名な会社との繋がりを吹聴して国内で金を集めて逃げたりと、今でも怪しい連中がいる事実はあります。まあ、日本にも昔、沢山居ました。

韓国人とビジネス経験のある日本人は、ウッスラ理解できると思いますが、
金に対する執着と金にまつわる態度が日本人のそれとは大きく違います。
ある意味で非常に実利的であり、また大法螺吹きが多い印象を持っていると思いますが、
それもこれも儒教の副作用と言っていいでしょう。
韓国に行って名刺交換をすると「理事」と書かれた肩書の連中の多さに驚きますが、
中身より表向きが大事な民族性の現れでしょう。
(理事という連中で仕事の出来る人間を見た事がないのも不思議な事実)
こうした流れを見れば判るように、
韓国が日本に対してしつこく謝罪をしろと言い続ける背景には、上記のような思想があるのです。
故に、レーダー照射問題で韓国が瑕疵を認めて謝罪することは絶対ないでしょう。
天皇陛下への暴言も謝罪するはずがありません。
また今後も我々に嘘を付き続け、困惑させるに違いありません。
そういう国家であることは理解しておくべきでしょう。

1965年に日韓の条約締結を反故にする韓国人労働者に対する判決と政府見解は、儒教思想の毒の現れです。
日本の植民地支配→罪人の悪行→日本は永遠の悪→罪人は韓国民にとって奴婢と同じである→だから永遠に謝罪して当然、という思考連鎖であるために、国際協定や条約を無視しても彼らは全く平気なのです。
日本が悪であり、それが全てだからです。
現在刑務所にいるパク・クネ元大統領が、西洋社会で日本の悪行を殊更のように喧伝していたのは、
こうした「日本絶対悪」という心理があるからです。

韓国の常套手段的発想は、韓国は常に完全被害者であり、日本は完全加害者だという発想です。
文韓国国会議長が、天皇は戦犯で、その息子は謝罪すべきという件で、
日本はこうした件で騒ぐべきでないというような非常識な発言をするのは、
あの立場にしては教育レベルの低さもあるだろうが、
自分たちが被害者であるため、何を言ってもしても関係ないという
幼児並みの思考と発言しかできないのだ。

余りにも前近代的で低レベルなのだが、外見上、民主主義資本国家に見える韓国は、
その思考回路自体は、何時の時代の人間かと思うような感じだと言って言い過ぎではないでしょう。
何度も同じような話をして恐縮だが、
日本人的に、お互いに人間だからキチンと誠意を見せれば相手は理解してくれるという発想は通用しません。
特に左傾に多い、能天気な性善説で韓国(や中国)との外交を考えていたら道を誤ります。
我々や他の民主国家とは全く違う、どちらかと言えば中国の思想に近い連中と対峙するためには、
実利と実力で対峙するしかなく、彼らの考え方、思想に合わせた外交的対応が必要になります。
昨今、外交筋では、韓国国内で文大統領が国益に反していると訴える国民が増え始めていると聞きます。
場合によっては軍による大統領暗殺まで視野に入れた未来をシミュレーションし始めているとも言われております。
また、韓国を追われそうになった文大統領が北朝鮮に亡命する可能性を排除出来ないという人もおります。
3年数か月以内に終了する文政権後は、保守側が政権を取り、文政権時代の閣僚を糾弾するというお決まりのパターンになると思います。こうした考え方はまだまだ頭の体操に近い発想が、

2018年秋以降の韓国の日本への非礼は、度を越している。
特に文国会議長の天皇陛下への暴言は、昭和初期なら戦争になっていてもオカシクないほどの事だ。

韓国への対応は、色々な意見があるが、実利的な韓国人に身の程を分かるようにするためには、経済制裁が一番だろう。
手っ取り早いのは「フッ化水素の輸出制限」だろう。また輸入関税の変更やK-POPタレントに対する労働ビザを厳しくし、時間をかけるという方法もある。
実際、K-POPタレントの入国審査は、日本国内の活動と申請に乖離がある部分があり、入管が仔細微細な部分までキチンと管理していたら申請を受理しないような実態が存在する。

実利的な民族なので、経済的不利益を被れば、当然政権に対する韓国民の見方は厳しくなる。
そういう事でもしないと自分たちの置かれた立場を理解しないだろう。

儒教思想は、上下を付けたがるため、自分たちが上だと思っていると急に下への配慮をしなくなります。
韓国には「穂が実るほど、頭を垂れる」という風習がないからです。
しかし、実利的に自分たちが下になることで上を確保できると見れば、
一旦は下手に出始めます。
韓国の外交やビジネスのやり方を見ていると、全てこのルールが当てはまります。

2019年2月終盤にあった米朝交渉協議が不調に終わり、文政権の計算は狂いました。
3月1日の独立記念日では本来日本に対して過激な言葉を投げかけようと思っていたのでしょうが、
米朝交渉協議が不調に終わり、北との経済連携も保留になり、それによって韓国経済を底上げする計画が全てオジャンになったために、日本との関係をこれ以上悪化させない方が自分たちに得策だと考えたのでしょう、
「未来志向で行こう」とか聴いた事もない言葉を言い始めました。

要注意です。

韓国には、日本と共に手を取り、歴史認識の差を乗り越えて仲良くしようなどという甘い考えはありません。
あるのは1つだけ。
日本を経済的にも政治的にも凌駕し、自分たちの下部に置くことだけです。
何故なら、韓国は小中華思想に支配されており、我々は「夷狄(いてき)」の国だからです。
彼らの発想は全てそこに始まり、そこに帰着します。
残念ですが、それが現実社会のリアリティーで真実なのです。

いずれにしても、文大統領は儒教思想の毒が蔓延した国家の代表者であり、極左思想の親玉であるという事実を受け入れ、今後の日韓関係の舵取りをする必要があるという点で、日本政府の対応を見守りたいです。

個人的には韓国の良さも理解している人間なのだが、同時に韓国に対する大きな疲れを感じてもおり、正直言って、国益にならない部分まで韓国にエネルギーを注ぐのはそろそろやめた方が良いと感じている。
日本はお人好しの部分があり、そこを突かれてしまう事が多いので、気を付けて外交して欲しい。
個人的な結論を言えば、韓国は隣国であり、完全な仲違いをする訳にはいかない。
しかし、同時に韓国におもねる必要もない。
韓国との外交は、日本の国益になる部分だけを維持する程度のエネルギーで十分だと思っている。
今回の件で、文政権だけでなく、韓国は日本の国益に資する部分が非常に僅かだという事が分かった。
従ってその現実を冷静に受け止めればいいだけだろう。
ところで、私と同じような考えをもっと正確な情報と解釈でまとめた本がありました。
韓国が儒教の毒に侵されている点については、以下の本に詳しいのでお勧めしておきます。
ケントさんの言い回しは、ちょっと過激な部分があるのだが、言っている内容は、過不足無く正しいからお勧めします。
また、百田さんの本は、更に過激なのですが、逆説的に日韓の状況を捉えており、しかも事実を書いてあるので、一読をお勧め致します。
儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 (講談社+α新書)

儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 (講談社+α新書)

  • 作者: ケント・ギルバート
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/02/21
  • メディア: 新書


今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~ 【文庫版】

今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~ 【文庫版】

  • 作者: 百田尚樹
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2019/03/01
  • メディア: 文庫


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演者とファンとの間にある「結界」について [独り言]



NGT支配人が異動で退任、山口真帆暴行事件で責任



NGTのメンバーの自宅に不逞の輩が押し入り怪我をさせるなどの問題が騒ぎになっている。このブログのタイトルにあるが、演者とファンとの間の結界を破った不届きな行為だ。この問題で、AKBメンバー指原さんが運営側に対する批判し、またメンバーケアーに関する意見をテレビでしているのを見た。彼女の言い分は正論だろう。しかし、例えば、マネージメント側が全メンバーの送迎と安全確保、また自宅のセキュリティー管理等まで「完全無欠」に出来るだろうか? 

この件、詰めて行けば行くほど、完全無欠の対応が無い事に突き当たる。仮に全メンバーの完全に近いにセキュリティーを完全に確保するなら、常時監視できる専門のセキュリティースタッフを雇い、メンバーを監視下に置き、加えて住居は一定区画に設置された建物に住まわせ、そこも24時間監視するような対応をしなければならない。
それ自体はやろうと思えば可能だが、要点はビジネス的に可能かどうかと本人たちの受け入れ方だろう。
つまり、ビジネス面で、売上に対して経費に見合う範囲を超えたら事実上はその対応が出来ないという事になる。それを無視すれば、そもそもこうしたプロジェクトを続ける事は不可能だ。またタイトな監視下で仕事をすることになるメンバーの精神衛生上の問題も出てくる。
指原さんは現状、タレントさんなので、そこまでの深い見解を述べる事まで求められていないかもしれないが、そこまでの事を想定した上でのコメントをする位の技量はあった方がいいだろう。
「ベキ論」は言うは易しで行うは難しなのだ。

多くのファンはある程度の規律の中で演者との距離感を保っている。しかし、ほんの僅かな愚連隊のような低レベルのファンが蟻の一穴になって事を面倒にしてしまう。こうした一穴を塞ぐためにあらゆる想定で対応しなければならなくなりと現実が回らなくなるという事は世の中に様々ある。特にメンバー数が多いプロジェクトにおいて、全員を完全な管理下におくのは現実的じゃない。その上で、出来る事、出来ない事を整理し、優先順位をつけて行うしかないだろう。超最悪の事例だけを取り出して対応を考えるべきなら、殆どの事は廻らない。本件を見ていてそういう感想を持った。
なお、ファンと演者の結界を超えて、メンバーの自宅のあるマンション内に部屋を確保していたという報道を聞き、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、HGTにしろAKBにしろ、人間的にも未熟な年齢のメンバーたち、また大人であるはずの関係者は、こういう生理的にも人間的にも圧倒的に不快で気持ち悪い連中を明るい光に集まる蛾のように呼び集めてしまうこうしたプロジェクトのリスクを意識しておくしかないだろう。
少なくともメンバーや関係者が外部に漏らしていけない情報が何であるか位は、改めて社会常識として教え、共有しておく必要はあろう。個人情報の漏洩がどういう結果をもたらすのか、今回で分かっただろう。



さて、関ジャニ∞の大倉忠義氏が自身のブログにおいて、

行き過ぎたファンへの“苦言”が話題になっている。


ジャニーズアイドル、“精神的苦痛”公表の裏に芸能事務所の変化も:




タレント(ミュージシャンや演者、以後演者とする)とファンとの関係性は、

お互いの立場から全く違って見えている。


ファンから見る演者は、ファンタジーと実像と妄想の対象であり、

永遠の存在にまで昇華しうる「究極的な存在」だ。


片や演者からすれば、ファンはとても有難い存在だが、

ファンとはあくまでも「記号的総体」であって

個々人ではないという点だ。


つまり、演者からは個々人を意識しないが、

ファンは演者を個々人として意識している点が決定的に違う。

この違いを理解していないと双方に不幸を招く遠因にもなりうる。


ファンがある程度大人の場合、

演者への距離感をわきまえている人が多く、トラブルは少ないが、

ティーン周辺の年齢の人たちや思い込みの激しい人の場合、

演者との距離感を取れずに自己中心的に暴走する事がある。


距離感のない暴走とは、すなわち演者とファンの間にある「結界」を破る行為だ。


関ジャニ∞の大倉忠義氏が訴えているのは、

「結界」を平気で超えて来るファンは、ファンには値しない、

つまり暴徒と同様であると言っているに相違ない。


エンタメビジネスは、ファン(客)に対してある種の共同共感と共同幻想を作り出す事を生業としている。

それは感動であり、共感であり、驚嘆に類するものだと言っていい。

カーペンターズの名曲の中に「Super Star」というレオン・ラッセルの書いたものがあるが、
歌詞を読むと分かるように、Super Starに憧れる少女の切ない想いが伝わる内容を唄っている。
今も昔もスターへの憧れと妄想は、この曲の歌詞の示すものと余り変わりないだろう。
「Don't you remenber you told me to love me baby(私に愛しているって言ったの覚えてないの?)」何て言う辺りはかなり切ない。

「Super Star」歌詞:
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E04449



演者側は、音源にしろ、ライブステージにしろ、

創造的なファンタジーや作品を媒介として市場に届け、

それを受け止める側であるファンが選択的に支援、応援をする構造になっているが、

支援方法にはルールがある。


それはファンと演者の間の「結界を破らない」という事だ。


例を挙げよう。


演者のプライベートに無暗に立ち入らない、ステージに無断で登らない、

個人的な対応を迫らない、まとわりつかない、

演者の発表する作品や活動には対価を持って支援するなどだ。


特に、演者が公式的に公開している部分以外の場所や時間に

ファンが立ち入るというのは、完全にルール違反だ。

演者はロボットでなく人間であり、プライベートもあれば、見せたくない事だってある。

それは我々と一緒なのだ。


もし、自分の私的空間に知らない他人が四六時中まとわりついていたら

耐えられなだろう。彼らだって同様だ。

よく、プライベートで出会ったスターに会った途端に「私、ファンです」などと言って、写真を撮ったり、握手を求めたり、サインをネダッタリする人がいるだろうが、先方は相手のファンと称するあなたを知らない訳で、常識的に考えれば非礼な行為だろう。有名税という見方もあるが、限度というものだってある。
また当然だが個々のプライベートを侵害するのはもっての外だ。


大倉忠義氏が訴えているのはそうした主張に過ぎない。

スターだろうが有名人であろうが彼らも人間であり、

私的空間は保護されるべきなのだ。


もちろん演者側にもルールがある。

ファンには個人的、組織的な欲を叶えるための道具にしないという事だ。


「結界」は双方に課されたルールの臨界地点と言っていいだろう。


以前、とある有名バンドにストーキングしている女性ファンの話を関係者から聞いた事があるが、

その行動の様子は殆ど病的と言っていい。


ライブ中の移動の新幹線やタクシー、宿泊先ホテル、打ち上げ会場の飲み屋に至るまで

調べ尽くして付いて来ると言っていた。関係者にとって、こうした人物は要注意対象となる。


70年代、海外のロックミュージシャンと肉体関係を持つために

ストーキング紛いの行動をしていた連中をグルーピーと言った時代があったが、

肉体関係を除けば殆ど同じ行動様式と言っていい。


関係者からすればこうした人物は要注意対象となる。


演者にとってファンとはあくまでも「記号的総体」と前述したが、

例外も存在する。しかしあくまでも「例外」だ。


演者とファンの間の「結界」は、共同幻想を共有するための絶対的ルールだ。


もちろん憧れの末に自身が演者になったりスタッフとして業界に入り、

演者と近い関係を構築できる場合がある。

しかしその場合、自分自身が結界の中にいるため、

その世界の常識的なルールによる行動を強いられるため問題ない。

仮にそれが個人的な関係に発展しても、プロどおしの問題となるからだ。


私はかつて結界の中で生活をしていた。

そして現在は結界の外で生きている。


現在の私は、結界の外で、いちファンとして演者に接しているのがとても心地いい。


だから結界の中に戻ろうとは思わない。


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