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ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?  ヒットの設計図 [独り言]

ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで  

by デレク・トンプソン



ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで

  • 作者: デレク トンプソン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


私は年に100~120冊程度本を読む。
(言っておくが日本の読書家の中には年3000冊読むツワモノがいるのでこの数は全く多くない)


ここ十数年、読書が趣味のようになってしまった。

だから私は、友達が少ない典型のような人間なのだが、

本への逃避は他人様に迷惑をかけないから良い趣味だと思っている。


読みたい本に辿り着く方法はいくつもあるが、

新聞書評、本の中で紹介されている本、書籍店での発見など、様々だ。

今回紹介する本書は、新聞書評で見つけた。


普段、ブログで本の紹介とかはしないが、

最近読んだ中で珍しく秀逸なものがあったので記事を書きたくなった。


ヒットの設計図~ポケモンGOからトランプ現象まで~という本だ。


出来れば皆さんに読んで欲しいので、基本的には中身を全て語らないようにする。

それでも本書の何が面白いのかは語らねばらない。


私はエンタメ業界で35年近く働いてきているので、

世間をザワザワさせること、自分をザワザワさせることに敏感だ。

そしてずっと考えて来たのは、ヒットを意図的に作れる方法はあるのか?と、

何故、あるものはヒットし、ある似たようなものはヒットしないか?についてだ。


本書は、それに回答らしいものを与えてくれる。

回答らしいと言ったのは、この本に書かれている事を意識的にやれば

絶対ヒットするかは不明だからだ。また意識的に出来るかは相当ハードルが高い。


それでも、本書に書かれている分析は、非常に鮮烈だ。


何故人々は、何かに心を動かされ、時に購入し、時に体験しようとするのか?

そしてその何故を知る術はあるのか?

またそれは誰でもできるのか?だ。


その回答は本書を読んでもらうしかない。


ただ、少なくとも人間が音楽や映像、世情、スピーチ等に対して好意的な反応をする場合、

「なじみ感」が必要だと解説している。

つまり、人間は全く認知の無いものに直ぐ共感をしない特性があるからだ。

また人間は、「なじみ感」を持ちながら「驚き」を感じられると「新しい」と感じる。


本書には書いてないが、自分の体験で再現できるものがある。

SONYのWALKMANだ。

まだカセットとアナログレコードが主流の時代、

我々の普通の使い方は、アナログレコードを録音し、(アナログ盤は高価で聞くと減るからだ)

カセットデッキを部屋に置いて音楽を聞いていた。(友達と盤を交換し、カセットに録音していたからだ)

そしてWALKMANは、再生装置部分だけにして切り出して持ち出せるようにして大ヒットした。
斬新な製品だったが、既に作られていたカセットデッキの再生装置だけを切り離して持ち運び可能にしただけとも言える。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=既成のカセットデッキ」+「驚き=再生装置だけを持ち出し可能にした」=「新しい=音楽を自由な空間で持ち出して楽しめるようになった」と、いうことだろう。


音楽にも同じ事が言える。

殆どの人は、全く聞き覚えもない音楽フォームに共感しにくい。

昔から日本人は洋楽が苦手な人が多いが、

これは主要な洋楽がブルーズを基礎にして発展してきているからで、

日本人でブルーズに馴染みを持った人が少なかったからだ。

それでも海外でヒットしている楽曲の多くは、一般大衆に支持されているもので、

当然ながら日本人が聴いてもいい曲は多い。


筒美京平氏という天才作曲家がいるが、彼がヒット作を量産していた手法は、

当時、一般の日本人には殆ど馴染みのないが、

聞いたら良いなと思うような洋楽ヒット曲をベースに、

彼なりの手法で日本のポップスに変換して世に送り出していたというものだった。


「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=普遍的洋楽ヒット曲」+「驚き=洋楽的だが日本っぽいのメロディー」=「新しい=時代を先取りした音楽」のようになるのだろう。


実際、その後に日本で活躍するミュージシャンたちが生み出すヒット曲の多くは、

殆どがこの筒美京平方式によって作られている。

人によってはこの手法をパクリという人がいるが、それは正確な表現ではない。

あのビートルズもそれ以前のロックンロールやR&Bが音楽のベースになっており、

多数の過去のヒット曲が源泉となっている。

ビートルズが凄かったのは、オリジナリティーを進化させ、

コンセプトアルバムの発売をするなど、それまでにない音楽表現とスタイルを確立したためだ。


仮にだが、海外でヒットしていた曲を参考にして

ご自身で似ているようで似ていないような

ヒット曲のような質の音楽を生む出せるかを試してみたらいいだろう。

ほぼ無理だ。

実際、筒美氏の曲はオリジナルよりもメロディーが際立った曲が多い。


例えば、The Beatlesの大ヒット曲、Let it beは、コード進行フォームとしては、

Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)だ。

キーはともかく、このコード進行だけをヒントに曲を書いてみて欲しい。

殆どの人は、Let it beには遥かに及ばないメロディーしか作れないだろう。


このコード進行フォームでヒットした他の世界的ヒット作品を見てみると、

JOURNEYの「Don't Stop Believe In」やU2の「With or Without you」、Bob Marleyの「No Woman No Cry」など数多い。

日本では、綾香さんの「I Believe」がそれだが、Let it beとは全く違う曲なのは明らかだ。

従って共通するアイデアがあっても必ずしも同じ結果を生むわけじゃない。
ここがセンスと才能だ。


こうして見て分かる事は、Ⅰ(C)→Ⅴ(G)→Ⅵ(Am)→Ⅳ(F)のような

黄金のコード進行という「なじみ感」がユーザーに聴くキッカケを与え、

個々のミュージシャンが作り出すメロディーやアレンジが「驚き」を加え、

新鮮味を醸成するという法則があるという事実だ。


サザンの桑田さんは、とあるインタビューで、

「音楽的デジャブ感(既視感)」と言い表していたが、

彼は20歳そこそこで「勝手にシンドバット」を作った頃から

この事に気が付いていたのだろうと思う。


例えば、JAZZというジャンルが一部を除いて日本の大衆に浸透しなかったのは「なじみ感」の欠如だろう。

JAZZに「なじみ感」を覚える大衆が少ないのは、JAZZそのものが斬新過ぎる点にあるが、元の音楽がブルーズだったことも理由だろう。

つまり馴染みがない上にアドバンス過ぎたのだ。

だから既成の曲をJAZZ風にアレンジした場合、大衆はやっと「なじみ感」を覚える事が出来るようになるが、

音楽を咀嚼出来る絶対数が少ないため多くは「驚き」へは移行しなかった。

そのため定着せず、マニアックな分野に落ち着いてしまったという訳だ。

本書では、そうした現象をMAYA(Most Advanced Yet Accetable)という単語で紹介している。

非常に先進的だが享受可能なもの、という意味だ。


ヒット曲を生む作り手は、その素質として常に斬新で先進的なものに興味を抱く。

そのため、大衆に重心を寄せ過ぎるとクリエイティビティの本質、

つまり個性や先進性を棄損する恐れがあると考えるクリエイターが多いのだが、

大衆を無視してはビジネスが成立しない。

クリエイティビティとビジネスは昔から二項対立する分野だが、

その差配のセンスこそがクリエイターの格の違いを生むと言っていい。

つまり「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の3つの項目を成立させるための

先鋭さと大衆向けの配分が重要であり、MAYAを包括するものがヒット作に恵まれる最低条件ということになる。


全く名も知られていないあらゆる分野の新人は、

世の中に知られるようになるまで、年単位を必要とするが、

それはすなわち市場に対して「なじみ感」を浸透させる時間と言える。
それでも売れる人と売れない人を分ける「決定的な条件」は、条件が複雑すぎて必ずしも特定出来ない。

またいい曲なのに売れない曲、知られないまま消えて行く曲があるが、
これもまた「なじみ感」が浸透する前段階で賞味期限を迎えてしまったか、曲そのものになじみ感がなかったための結末だろう。


従って、多くの人やモノ、曲は「なじみ感」が浸透する前に消え、世に出る事はない。
歌手として唄が上手いだけでは世に出れない。歌手を際立たせる楽曲が必要となるからだ。
またいい曲というだけでも世に出れず、曲を際立たせる歌手が必要となる。


ズーニーブーという2人組がオリジナル作品である「また逢う日まで」は、当時全く見向きもされなかったが、その後に尾崎紀世彦氏にカバーされて大ヒットした。
尾崎紀世彦氏は驚くほどの歌唱力と表現力で1971年の日本レコード大賞を受賞したが、その後の彼にはこれを超えるヒット作が出なかった。
これは、同じ曲なのに歌手やアレンジが違うだけで化学反応の仕方が全く違うという典型例なのだが、
「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式だけでは解明できない難しさの存在を示している。


さて、世の中には、口コミという現象があるが、これも同様で、自分が支持しているインフルエンサーが口コミするものは、インフルエンサーという「なじみ感」を通じているからこそ口コミされたものにアクセスしやすくなる。

これは、古くからある手法で言えばCMであり、昨今はユーチューバーになるだろう。


1980年代、「おいしい生活」というキャッチコピーがあった。

当時、本当の斬新に思えたが、

これも「なじみ感」+「驚き」=「新しい」の方程式に代入すると、

「なじみ感=おいしい、生活という普通に使う単語」+「驚き=「生活」に「おいしい」を組み合わせた事」=「新しい=80年代感覚」となる。

「おいしい食事」という表現はあるが、「生活」という単語には使わない。

生活には味がないからだ。

しかしそれを敢えて合体させた所にセンスの高さがある。これが「驚き」を生んだ。

つまり大衆がこのコピーを直ぐに受け入れて理解したのは、

そもそもこのコピーを構成する言葉になじみがあったからだろう。


話が長くなるのでこの辺りで終わりにするが、

本書は上記以外においても政治家の演説を例を挙げ、

その演説に大衆が熱狂する言葉の在り様について解説を加えてくれているが、非常に示唆に富んでいる。


最後に1つ、NHK大河ドラマ「いだてん」が視聴率不調だという。
私も途中で見るのを止めた。
この本を読んでガテンが行ったのだが、
「いだてん」は余りにも「もなじみ感」の無い素材を主人公にしてしまった事が主要原因だろう。
金栗四三や嘉納治五郎など、そもそも主人公になる人物像が余りにも馴染みが無さ過ぎた。
従って主人公への共感を抱くために手がかりがなく、なじむまでの時間が掛かり過ぎる。

加えてそこに宮藤官九郎氏が斬新な台本と時空を超えた編集を織りなしたために、
先鋭的過ぎて、一般大衆を置き去りにしてしまったと思う。
Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、
つまりMAYA理論に合わせてみれば、本作は先進的過ぎて受入れが困難な素材と内容だったという事だ。
クリエイターに寄り添い過ぎるとこういうリスクもあるという好例になるだろう。
(なお、同じ作家のあまちゃんがヒットしたのは、設定そのものが80年代を中心とし、画面に出てくるアイテムや現象に視聴者の多くがなじみ感があったからだろう。それにクドカンワールドの驚きが新鮮さを与えたという訳だ)


「なじみ感」という土俵なしでは、その次に仕掛ける「驚き」に到達出来ない。
大変残念だが、いだてんは素材選定の時点で既に誤りだったかもしれない。
「西郷どん」ほどの認知のある素材でも、一時期は視聴率に苦労していた位だ。

但し個人的には「西郷どん」は大変に楽しめた。


ヒット、つまり大衆の熱狂の根底には共通した人間心理がある。

そしてヒットするものは人間心理に根差した法則の中にあることを本書は教えてくれている。

ヒットって本当に不思議なものだ。


本書、お勧めする。


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