SSブログ

沢田研二氏 さいたまスーパーアリーナのドタキャンの舞台裏を妄想する [独り言]

沢田研二氏 さいたまスーパーアリーナのドタキャンの舞台裏を妄想する



2018年10月17日、沢田研二氏がさいたまスーパーアリーナでのライブを

ドタキャンするという報道があった。


さいたまスーパーアリーナを当日キャンセル!?

それも公式声明は「契約上の問題」とあったとしている。
ええ?! 何それ?


ライブ当日に「契約上の問題」でコンサートがキャンセルされたケースは稀だろう。

会場も半端なくデカい。

一体何があったのか?

そもそも「誰とどのような契約上の問題」があったというのか?


そのため、舞台裏への妄想が膨らんだ・・・。



沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』ツアー予定は以下だ。



沢田氏の所属事務所は「詳しく分かる者がおらず、申し訳ありません」と話しているというが、

そうだとしたら、随分と他人事だな・・と思った。
そんなハズがある訳ないからだ。
所属事務所が詳しく知らなくて誰が知るというのだろう?
まあ、混乱の中での時間稼ぎだと思った。



2018年10月18日夕刻、ご本人が今回の件を説明したという報道がアップされていた。


沢田研二が自ら中止の理由を説明「客席が埋まらなかったから」「ファンに申し訳ない」と謝罪:



ポイントは、集客が意図と違ったので沢田氏の決断で中止と説明されている。


記事では、以下のように述べたとされている。

イベンター会社から集客状況について「9000人と聞いていたが、実際は7000人だった」と知らされた。

本番前のリハーサル時、観客が座れないように客席がつぶされているブロックが目立ったことに腹を立てた。

イベンター会社から予定通り開催するように土下座で懇願され、押し問答となったが、

最後まで首をたてに振らなかった。「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。

僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明した。



これを読んでファンはどう思うだろうか?


主役である沢田氏が集客数に不満を持ち、中止を自ら決定し、中止の事実化するために帰ったというのだ。

しかし中止情報を解禁する前の段階である”3時45分くらいに帰った”というのは、幾らなんでもひどくないかね? 


スーパーアリーナの総キャパを考えれば、9,000人も7,000人も大した問題とも思えない。

どちらもガラガラに見えるからだ。


記事では、「沢田は「客席がスカスカの状態でやるのは酷なこと。

『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも言ってる。

僕にも意地がある」と自身が中止を決断したことを明かした。」


確かにガラガラの会場でやるのは辛いだろう。ショックは理解できる。
しかしその主体者はご本人であると理解しておられるのだろうか?

つまりご本人のコメントにもあるが、これが彼の実力という事だ。


それでも会場は3万7千人収容の場所だが、7,000人もが来場したのだ。
武道館の70%が埋まる数が実際に目の前まで来ていた。
俯瞰して見れば、相当な動員数と言っても差し支えない。

凄い実力だ。

今回のツアーも66か所に及び、多くはソールドアウトしているという(報道によっては無料チケット配布もあるというが確認出来ないので分からない)。
古希である彼の動員力は、彼の長いキャリアを見て相当なものだと言っていいだろう。
そういう意味で名実ともにスーパースターの一員なのだ。
芸能界のエリート層と言って構わないだろう。

しかし同時に客への責任も大きくなるという事だ。
スターだから、大金を作り出せる主体者だから、

自分の感覚値だけで、何をやっても許される訳ではない。

沢田氏はこの事実をどう考えたのだろうか?


まず、沢田研二氏の所属事務所は、ココロ・コーポレーションは、コンサートの主体者である沢田研二氏の個人事務所だ。

コンサートはココロ公演事業部という部署が担っているようだ。

だから普通、ココロ公演事業部の人間が一番事情を理解していなければならない。

しかし個人事務所であるようなので、規模もそこそこだろうから、
本人を含めて今回の経緯を全員が理解していると考えて差し支えない。


事情を察するにココロは沢田氏の個人事務所で、社長も彼のようであり、

事務所のスタッフ関係者は、彼に対して客観的な事やネガティブな情報を言えない立場だろう。
中小企業的な個人事務所にありがちな構図だ。
こういう事務所のリスクは、事業上の客観性が担保されない事だ。


公演契約の詳細が分からないので明言は避けるが、

少なくとも、コンサート会場や日程について、

ココロ・コーポレーションやご本人が無関係であるなんてことは絶対にない。

実際、沢田氏は、「自らの判断で中止を決定」と発言したと報道されている。
つまり、本公演の決裁者と決定者、および責任の所在は全て沢田氏=ココロ・コーポレーションにあると

言っている事になる。
だから張本人だ。


沢田氏は、「ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも言ってる。」といっていた。

彼の元には、外部からの企画や日程等の提案は数多くあるだろうが、

その提案への決裁は、本来ココロ・コーポレーションが主体的にしている事項なので、

当然のさいたまスーパーアリーナのキャパや日程については、ご本人も理解し了解した上の事だろう。
何故なら所属タレントは彼だけだからだし、社長が彼だからだ。
従ってこの他人事の発言は違和感を覚える。

ひょっとしたら大型のイベントについては、ココロ以外の大手事務所に業務委託をしているのかもしれないが、開催の可否は本人も了承の上だろう。


さて、本公演のイベンターを調べると「チケットポート」名前になっている。

チケットポートはサービス名で、株式会社エニーが運営社だ。

エニーはJ:COMのグループ会社だと書かれている。

業務は、ライブ制作、アーティストマネージメント、チケットの受託販売等だ。


チケットポート(J:COMの関連会社)


事業:コンサートの制作、運営、プレイガイド業務、出版事業等。


つまり本公演の制作とチケット販売は、株式会社エニーが主体と分かる。

ネット情報では確認できなかったが、推察するに本公演の主催者は

企画をしたココロ・コーポレーション単独か、エニーと共同か、エニー単独だろう。


コンサート開催において主催者責任というものがある。

つまり、主催者は一般に公表した通りの時間と場所で開催する義務があるという事だ。

地方の開催の場合、地方のイベンターが事務所から興行権を取得し、一定のギャラ等のリスクを取って開催する。

但し、天変地異的な事象や天候不良による主催者の責任外の事情での開催不能の場合は義務免除としている。


さて、契約上の問題とは何だったのか?


実は、沢田氏は2004年に茨城・水戸市の県民文化センターで開催予定だった

「2004 沢田研二コンサートツアー」でドタキャンの前歴がある。


当時のサンケイスポーツの取材記事(と思われる情報)の抜粋だ。


沢田の公演を初めて手がけた企画制作会社「ハニープロダクション」の町五男社長はサンケイスポーツの取材に対し

「“ドタキャン”の理由は観客が少なかったためで、1764人のキャパシティーに対して約700人と半分に満たない状況だった。

沢田さんの事務所とは、『お客さんをいっぱい入れる』という条件でコンサートを企画していたが、

事務所側が直前になって『話が違う』と開演を見送った。

客席をいっぱいにできなかったのは、

私の力不足で非難されても仕方がないが、

ステージはやってもらいたかった」と肩を落とした。

一方、沢田の所属事務所は「主催者側が事前の取り決め通りにやって頂けなかったから仕方がなかった。

沢田が中止するのは初めてのことで悩んだ結果です」と怒りをあらわにしながら、

むしろ被害者であることを強調。会場の県民文化センターでは、

通常の会場使用料40万円のうち半額の20万円を、主催した「ハニープロダクション」に請求する予定という。



今回のキャンセルもこの件と同じ軸にあるようだ。
二度ある事は何とやらだ。


今から14年前の時点で水戸市の1764人のキャパに対して売券率が40%程度という事だ。

当時の彼の実力で、水戸辺りだとこの位だという事が分かる。

半分も埋まっていないことで、沢田氏が約束と違うから出演しないと言った可能性が考えられる。


さて、さいたまスーパーアリーナのキャパは「37,000名」だ。

(その次は2019年1月開催の大阪城ホールの16,000名)

ステージ設置等で座席をつぶしても3万人程度以上は確保できる。


今回の沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』ツアーの中で、

本会場は1会場としては最大の集客場所だ。

武道館4日間、横浜アリーナ2日間に匹敵する集客を1日で行うという事だ。


さいたまスーパーアリーナを満席に出来る日本のアーティストはそこそこ多い。

ミスチル、ワンオク、セカオワ、ドリカム、サザン等だ。
かなりの面子だ。


契約書を見た訳じゃないので正確には分からないが、

どうやらココロ側がライブ制作側に「満席にする義務」を課していたらしい。
動員は出演者の人気や企画次第なので、余りこの手の約束は聞いた事がないが、そう発言しているのでそういう事としよう。

従ってココロ側は、契約条件的には、満席にしなかったことを契約違反と主張できるが、

その場合、どの程度まで埋まっていないと公演をキャンセルできる条件になっていたかは不明だ。


だから集客数を理由にした公演中止の正当性は相当に気になる。


契約を普通考えれば、ココロ側は、イベンターに沢田研二氏のライブの興行権を渡す代わりに、

30,000席の販売とそれに伴う出演料等を保証してもらい、出演を承認したという意味だろう。

沢田氏側は、30,000席分のギャランティ(出演料)と満席が保証されることでOKしたのかもしれない。


しかし、そうだとしてら、その出演判断は事務所として正しかったのか?


イベンター側は、30,000席の販売のリスクを取って興行権を取得したと仮定しよう。

しかし実際には発売後の売券状況が芳しくないことが分かり、かなり慌てたはずだ。

沢田氏のコメントにあるように「7000人/30000人」だった訳だ。

約束が違うと言ったかもしれない。


また。ひょとしたらイベンターは、この悪い販売状況を、ココロ側には直前まで言えなかったのかもしれない。

チケットが売れなかったんで、公演をキャンセルさせてくださいというのは、

確かにココロ側や沢田氏には言い出し難い事だ。


沢田氏は、来場客への対応が辛辣な面を見せることで有名な人だが、当日の客入りの悪さを理由に中止を言い出して帰ってしまうような決定をする人物であることは想像に難くない。

従って周囲には”かなり怖い人”という感じなのだろう。
実際、ライブのMCの様子を聴いても推察できる。


そうした中で、イベンター側が契約通りに満席にしようと思って大量の無料チケットをバラまけば、

当然のようにその情報がネット上に拡散し、やがてチケットを買った客が知る所になり、

有料、無料の客が対立し、ライブを成立させることが難しくなるだろうし、

当然沢田氏の名声を傷をつける事になる。
ココロ側のスタッフも、イベンター側の担当者は頭を抱えていただろう。


実際の売券状況は、1/4程度以下だったのだから、本当にガラガラだと言っていい。


契約書には満席の定義とチケットの売り方、また公演をキャンセルする条件がどのように記載されていたか興味あるが、日本の契約書だから、数値で示すような細かい規定をしていない可能性も高い。
特に芸能界では契約書を細かく規定しない、前近代的業務方法が多いのは今も変わらない。


日本のライブでは、売券状況が芳しくない中で無料チケットをばら撒く事は頻繁にあるが、

かなりの規模で行っても数百枚~千枚以下程度が限界だ。

万単位でバラまけば、必ずその行為は漏れてしまう。


さてこうした想像を逞しくした中で、今回のドタキャンは正しい行為と言えるのだろうか??


今回の売券数は7,000枚というから、

ココロ・コーポレーションからすれば「契約違反」と主張できるとも言える。


しかし、それを当日、それも開演時間直前に決定するというのは正しい行為なのか???

ココロ側が契約の話を持ち出すなら、「チケットを買って来場する客との契約」はどう考えるのか?
チケット購入者は、チケット代を払い、交通費を支払い、場合によっては宿泊までしてくる。
それは来場すれば、沢田氏のライブを見る権利が保証されているからワザワザ来る訳だ。
常識的にはこれはココロ+イベンター側と来場者の契約行為と言っていい。
発券チケットは契約書と言って過言でないだろう。


ちょっと厳しい事を言わせてもらえれば、

そもそも結果的にとは言え、キャパ設定が完全に間違っていた点において、

ココロ側とイベンター側は同罪と言える。
つまり、これは本人を含めた開催側のチョンボなのだ。
それなのに、当日のドタキャンだ。


明らかにそれ以前に中止をすることも可能であり、
誰かが相当な判断ミスしているとしか思えない。
開催側のチョンボを全て、来場客におっ被せたと言われても仕方ないほど酷い決定だったと言っていい。

また、ココロ側がイベンターにこの案件を持ち掛け、イベンター側がいっぱいにするように頑張りますという形でココロ側が受けたかもしれないが、当事者でないとこの辺りの本当の事情は分からない。


いずれにして、そもそもさいたまスーパーアリーナでコンサートをする事への集客見積もりを大幅に誤った点については、事務所側にも相当な判断のミスがあったと言われても仕方ないだろうと思う。

これは沢田氏のコメントの中で「さいたまスーパーアリーナでやる実力がなかった。ファンに申し訳なく思ってます。責任は僕にあります」に尽きるだろう。

最終的に当日の中止決定を「ご本人自ら行っていた」という発言から考えても、本件の主体的な責任が沢田氏を含むココロ側にあるのは明らかで、集客数の不足を契約違反として持ち出すのは言い訳としてに余りにも極端な決定だった思う。
スーパーアリーナクラスの会場を、当日、それも集客を理由に中止する決定をするのはそれほど異常な事だ。


過去の集客数を知る事務所側として、本当に1会場の公演で3万人も集客できると読めるような過去のトラックデータを持っていたのだろうか?


10年前の2008年11月29日、「人間60年・ジュリー祭り」はに京セラドーム大阪、12月3日(水)に東京ドーム Big=Eggで沢田研二の還暦記念二大ドームコンサートが開催されている。

両日ともそれぞれ全80曲を歌いあげ、途中休憩約20分を挟んだ約6時間半のライブを敢行したという。

京セラドーム大阪におよそ2万2千人、東京ドームに3万2千人が足を運んだとい記録がある。

ちなみに東京ドームに3万2千人は満員ではない。ドームは4万8千人入るからだ。

つまり当時のこの企画でドームで66%程度だったということだ。

それでも還暦を考えれば、もの凄い動員力だと言っていい。

あれから10年が経過した。


古希ツアーは66公演だが、その中には、武道館4日、大阪城ホール2日、横浜アリーナ1日、さいたまスーパーアリーナ1日の日程が組んである。

現行のツアーの各地のセットリストを見たが、全18曲程度の普通のライブセットだった。

なお、このセトリは、武道館でもホールでも共有の内容のようだった。
また、ライブは、本人とギター2名だけの計3名だけの出演だ。
つまりアコースティックセッションなのだ。


ちなみに横浜アリーナに行った女性が書いたブログには、会場が満席だったとの書き込みがあったので、この企画で2万弱のキャパはクリアーしているようだが、ライブ会場にはビジョン用のスクリーンすらなく、遠くの客にはジュリーの表情が全く分からない設定になっていたようだ。


俯瞰して考えると70歳で横浜アリーナを満員に出来るなんて、相当凄い人気だと言っていいが、

何故横浜は埋まったのに「さいたまは埋まらなかった」のか??


これはかなり不思議で不可解だ。
でも分かる気がする。


さいたまスーパーアリーナクラスになると、1年前くらいから会場を確保しないと適切な日程を押さえられない。

横浜アリーナが満杯になるくらいだから、さいたまも行けると思うのは無理もないかもしれない。
たださいたまの方は横浜×2ぐらいの集客数だ。


ちょっとネガティブな状況があったのは、横浜と埼玉が日程的に2週間程度しか空いてないという事実だ。

10年前のデータ等で横浜とさいたまの両方共行けると思った可能性はあるだろう。
東京ドームでは3.2万人を動員したからだ。


しかし今回のライブは、「全80曲を歌いあげ」のような大きな企画性はない。

セットリストの内容が他のホール級の会場と同じなのであることは、
濃いファンならライブ内容について情報が拡散して周知だろうから、会場とチケット代を「値踏み」をするに違いない。


同じようなチケット代とセットリスなら、小さい会場で近く距離で見る事が出来る方に行くのが人情というものだ。
多少ホールでの演出がショボくても、ジュリーの熱唱を近くで見れるならそっちを選択する。
実際私だってそういう買い方をする。


大型の会場なら演出面、セットリスト面等で全くと言っていいような違う内容を見たいと思うのが人情だろうが、どうもそこまでの違いがあった様子はない。
おまけにギター2人を従えたアコースティックセッションなのだ。

それならワザワザ大きな会場を選ばないだろう。特にさいたまスーパーアリーナは周辺座席からステージまでの距離が遠く感じる場所だからだ。
いずれにして、横浜アリーナに行ったお客で、同じ演出をさいたまスーパーアリーナでも見たいと思って行った客の重複率は想定以上に低かったと見た方がいいだろう。
超コアファンの存在は、大抵総動員数の10%程度以下と相場が決まっている。
言い方を変えると、アコースティックセッション企画で、たった二週間前の横浜アリーナの1/3近い動員をしているだけで奇跡的と言っていい。
但し、キャパ設定を誤ったという事だ。


10年前のドームは、テレビ局の煽りもあって、私でも開催を知っていたし、多くの人に知られていただろうが、

今回のツアーは私もドタキャン報道で初めて知った程で、認知度的にはファン以外には興味のないものなのだ。

だから慎重にツアー日程と会場を見積もる必要があったと思う。


スーパーアリーナが埋まらなかったのは、この辺りに原因があったと感じる。


つまりライブの企画や内容に対して大規模会場の日程の組み方が近すぎたのと、内容が大型会場として特筆すべき点が無かったのにも関わらず欲張った日程を組んだという事だ。
それだけだ。


こうして考えてみれば、本会場の公演への出演を承認しただろうココロ・コーポレーションに「非」と「責任」があると言っていいだろう。

これについては、ご本人も自身に責任があると触れているから、まさにその通りだろう。

責任とは何かと言えば、今回のキャンセルで生じた損金は全てココロ側が持つという事に尽きる。
(しかし芸能界の大物タレントにこれを交渉し、実行させるのは並大抵じゃないが・・。)

特に病気等でもなく、ライブ開催を行うことが出来る状態であるにも関わらず、イベンターが土下座をしてまで止めたのに、自らの勝手な判断でキャンセルしたからだ。
主役なので、彼が出ないと言い出せば周囲は説得するしかない。
おまけにキャンセルの原因の一因にはご本人も絡んでいる。
それを袖にして振り切って帰宅したわけだ。
凄いな・・と思う。
こういうのを本物の「パワハラ」という。
沢田氏にも色々言いたい事はあるだろうが、
当日の出演を人質にするこの態度は、社会的な許容範囲を遥かに超えていると言っていい。

会場の裏舞台は正に修羅場だったということだ。


仮にだが、集客数が設定以下であることを中止条件として公演をOKとしているのであれば、

本来はチケット販売時に客に通達すべき「重要な情報」であったあろう。
それが通達されないままで発売されているなら、来場者が何人であっても公演を実施しなければならない。


また、チケット販売数は、デイリーで把握できる情報であるため、

事務所として制作者側との間でチケットの販売数を把握する責任はある。

ひょっとしたら現場は全員知っていたが、沢田氏本人には伝えなかったか、話を作っていた可能性はある。


チケットの売れ行き情報を見れば、かなり前の段階で中止決定をすることだって可能だったはずなのだ。


結果だけでいうと、事前に中止すべきだった。それだけだ。


しかし、イベンターや事務所の側近らが、沢田氏へ忖度して言えないままズルズルと本番日になり、

さいたまの現場で動員数を伝えられた沢田氏が、現場で聞いて約束と違うからやらないと言い放った可能性はありそうだと思っていたが、会見でその通りの事を言っていたので、やはりなあ・・と思った。


まあ、関係者の心中はお察しをする。


仮にガラガラの会場でやったら、ネットに映像がアップされて拡散する可能性もあり、

沢田氏の人気がない印象が拡がる事態を事務所や本人が恐れたかもしれない。


いずれにしても、そもそもさいたまスーパーアリーナでコンサートを承認した事は誤りだし、

中止の決定についても、集客数を把握している段階で涙を呑んで決定出来た訳であり、

当日になって満席でない事を振りかざして「契約違反」と主張して中止するのは

かなり乱暴な行為だ。おまけにそれを事実化するためにご本人が会場を去ってしまったのは、
無責任過ぎるだろう。
現場の殺伐とした状況が見えるようで怖い位だ。


いずれにしても、公演関係者側には色々な事情があるのだろうが、

最も迷惑を被ったのは来場客の人たちだろう。

人によっては地方から移動費や宿泊費をかけて来ている人も多い。

チケット代だけでなく、こうした経費や時間をかけて、さいたまの現場まで来ている。

そして大した説明もなく、契約上の問題で中止というのは、余りにもバカにしているし、

行為としても杜撰の誹りを免れない。
もっというと「契約上の問題」というのは都合の良いデッチ上げと言ってもいいだろう。
しかし客や世間にはそのように公表しているから、その説明をする義務がある。


そういう意味でココロ側=沢田氏の判断と行動には重大な責任の所在がある。



前述したが、客の視点からしたら、2週間前に横浜アリーナ(18,000人)をやっており、

わざわざ改めてさいたまスーパーアリーナのような大きな会場にまで出向いて見るような動機がなく、

セットリストも演出も同じような感じだから、ツアー終盤の武道館か大阪城ホールまで待つか、地元のホールで十分だ・・という事だったのだろう。


その辺りの客の心理を読んでツアー日程を決定するのがプロというものだ。
(それでも外れる事があるが、外れてもやるのがプロだ。)

沢田氏は、7,000人も来てくれてありがたいと思わなかったのだろうか?
実際、歌手で1公演で7,000人も集客できる人はそう多くないのだ。


本来は、客が10人だろうと、満席だろうと、企画し、出演に合意し、主催制作し、

集客をかけている以上、不慮の事態を除いて、責任を持って公演を

実施するのが公演企画者と主催者、及び出演者の義務だ。

従って集客設定を誤って企画し、開催決定をした側は、

明らかに病気や声の不具合、また天変地異や台風のような災害で客が守れない場合を除いて

何があっても「実施する義務」がある。



それがプロの「プライド」というものだ。


主催側の事情で開催中止をした場合は、振替公演をすべきだが、本公演については後日検討中という情報も出ている。当然事務所が全ての経費を負担し、補填するべき案件だ。


だから辛いのは理解できるが、ガラガラであっても腹を据えてライブをやるのが沢田氏のやるべき仕事だったと思う。

確かに辛いと思う。
でもそれをやりきれば、違う価値も出たんじゃなかろうか?


もちろん過去に集客が悪くてライブを中止した例は数多い。

大抵の場合、病気等を理由にして中止するが、それらは殆どは都合の良いウソで、

客が集まらなかったからという理由が圧倒的に多い。

それでも会場に来てから中止されるよりはチケットを買った人達には遥かにストレスがない。


1980年代前半、UDOが洋楽系のスターミュージシャンを集めて代々木第一体育館と大阪球場で

ライブを企画したが、チケットが驚くほど売れなかった事例があった。

代々木第一体育館は15000人キャパだが、売れたのは300枚程度だったという。

私の知り合いはこのライブの通訳で入っていて、会場を見た人間なので確かだろう。

その人物は、背筋が寒くなるほど客が居なかったと言っていた。

しかしメンバーは、契約で演奏することになっていると集客を気にする振りも見せず舞台に行き、

アリーナ内に疎らにいた客に声をかけてステージ前に寄せて、フルセット演奏したという。


プロというのはこういう人たちだと思う。


その後の大阪球場は、台風の影響で中止となったが、チケットは全く売れてなかったという。

台風のお陰で中止となり保険が下りたため、UDOの被害は最小限だったようだし、

メンバーはフルギャラを貰ってアメリカに帰っていったという。


またUDOは2006年7月に富士スピードウェイでKISSとSANTANAを出演させた

ウドー・ミュージック・フェスティバルを開催したが、

これも150名程度しか客がいなかったが、メンバーはフルセットやった。

KISSのメンバーは客のいない状態でも普通に演奏し帰っていったという。


プロというのはこういう人たちを言う。


この時の様子はネットに画像として上がっている。



私も1990年代に故デビッド・ボウイ氏の東京ドームのライブに行った事がある。
2F席はには全く人が居なくて残念だったが、それでも2万人程度は集まっていた。
でもガラガラに見えた。

故プリンスの最後の東京ドームも、2F席がガラガラだった。
彼らのライブは今でも記憶に残るほど素晴らしいものだったが、デビッド・ボウイ氏やプリンスクラスにしてもこういう事もあるのだ。


また、近年では、東京の国際フォーラムA(キャパ:5,000)でThe Whoのロジャー・ダルトリーが行った「TOMMY」の全曲再現ライブに行ったが、これも2F席には全く人がいなかった。ということは、半分程度の2,500名程度の入りだったということだ。
それでも彼らはキチンと演奏して楽しませんてくれた。

見ているこっち側は、こんな環境下で演奏をやってくれることに対して、内心気の毒に思いつつも、素晴らしい演奏やパフォーマンスは伝わるものであり、これがプロのミュージシャン、芸事をやる人たちの在り方だろうと思う。


沢田研二氏は、昭和を代表するスーパースターだ。
でも今回の件ではミソを付けた。


2019年1月にはツアー最後を飾る武道館スリーデイズを行う。
今回の件が逆宣伝になって、多分満員になるだろう。


古希になって益々元気で、実は私も一度は見に行きたいな・・と思っていた、

しかし、今は全く興味を失った。

今回の彼の行動と判断力は、結局、沢田研二という人物がこの程度かと思わせるに十分だった。

正直、ファンタジーが失せる程カッコワルイと思った。


スーパースターに対して、人間的な完全性や素晴らしい人格なんぞを求めないが、
少なくとも彼らが社会と繋がって居られるのは、支持をしてくれるお客さんのお陰であり、周囲のスタッフの支えのお陰なのだ。もちろんご本人の素晴しい才能がステージに乗る事で、言い得ないファンタジーという化学反応が起こる。

従って大スターとはいえ、ご自身の仕事に関しては、謙虚であるべきだろうし、超ベテランスターであるが故にそうあって欲しかった。
スーパースターは常人を超える部分があるのでスーパースターであるというのは確かな事実ではあるが、
少なくとも自分の才能の発露の方法や仕事の哲学が「出鱈目」ではただの狂人と化してしまう。


いずれにしても、わざわざさいたまスーパーアリーナに来た7,000名には大変気の毒な事をした訳であり、

彼の人気と生活と活動を地道に支えてくれている大切なファンである彼らにキチンと謝罪し、
今回の不始末を補填するのが今の彼がやるべき仕事だろう。
また、関係スタッフにもキチンとした対応をしておくべきと思う。

それが大人のプロの仕事ってものでしょう。

そうでなければ残念だ。


仮にの話だが、ステージ裏では集客に不満であったりして、スタッフに対して馬事雑言があったとしても、
開演の定刻になったらプロらしく颯爽とステージに上がり、
当日、ワザワザ来た7,000名全員をステージ前に集めて、

見た目はガラガラの中でも必死に彼らのためにステージをやり切って、

ガラガラな会場を逆手にとって、その日の来場者に最高の感動をさせたら、

何万倍も沢田研二氏の価値が上がったと思う。
集客出来ない理由は様々あるが、その結果を一手に引き受ける度量が彼をスーパースターにしているのだ。

また彼をさらし者のようにしたスタッフたちも、彼の悲壮な姿を見れば、
当然だが彼に対して申し訳ないと思い、今後の結束が更に増しただろうと思う。

今回、ひょっとしたら伝説のステージを作れたかもしれないのだ。

テレビの芸能記者たちを前にした会見が、

これまでにない異例の対応と長さだったことを取り上げて、

沢田氏を擁護する発言があったようだが、

それは芸能界の内輪の論理で本質じゃない。
あの業界で沢田氏に異論をはさむ事は、沢田氏を庇護する大手事務所に牙を剥く事にもなるから

コメントには刈らなず忖度が介入するからだ。

芸能界は狭い業界であるため、仕事の関係性を維持するために、

双方批判的になりにくい面があり、従って彼らのコメントは全くコップの中の世界の戯言なのだ。

一般のファンの中には、彼のプライドの高さを理解した上でずっと応援しているファンもいるだろうから、

今回の件への受け止め方には様々なものがあるだろうと推察している。
「らしい」と受け流せる人もいれば、「ガッカリ」と肩を落とす人もいるだろう。
ひょっとしたら、私が応援しないとダメと強く誓う人もいるかもしれない。
また違う意味でツアーの宣伝になってしまったかもなったかもしれないとも思うし、

これを機会に見ようと思う人もいるだろう。
まあ、価値観なので様々で全く良いと思う。


沢田研二というアーティストは、今後もスーパースターであることは変わらないだろうと思うし、

今後もスーパースターであって欲しい。


でも望む事が出来るのであれば、「プロとして背中を見せる」スーパースターであって欲しい。

今回の件を「ジュリーらしい」と思うファンも多くいると思う。
それはそれで結構だ。


それでも私の視点としては、
今回は、プロらしくなく、短絡的過ぎて、実に男を下げたと思っている。
スターの背中が全く見えなくなった。

本当に残念だ。


それに尽きる。

厳しいコメントだと分かっているが、ご容赦願いたい。








nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

座席のある会場のコンサートでワザワザ立って見る人・見ない人に贈る [独り言]

座席のある会場のコンサートでワザワザ立って見る人・見ない人に贈る


最近、結構年齢層が広めのコンサートに行った。
1つはチープトリックで、もう1つは奥田民生さんだ。
チープトリックはZEPP TOKYOでフロアーが立ち見で
私が買った2階席はいずれも着席用だ。
また奥田民生さんは武道館の2階席だった。
さて、チープトリック。
私は2階席の3列目の下手寄りだった。
開演直後、目の前にいた30代と思しき女性がいきなり立ち上がった。
(チープトリックの客にしては随分と若いが・・・)
私の目の前は、彼女の背中によって突然のように視界を遮られる状態になってしまい、
彼女の背中の横からステージを見るような状態になった。
周囲を見渡すと、何名かが立っていたが、大多数は座って見ていた。

2曲ほどそのままで見たが、余りにステージが見えないのでストレスフルになり、
立っている女性に声をかけ、出来るだけ丁寧に座るように促した。
当然だが彼女の視界の先には誰も立っておらず、
彼女は座っても十分鑑賞できる位置にいたからだ。
やがて彼女は不満そうな空気を漂わせて自分の座席を立って、2階席の一番後ろの立見席に移動した。
彼女は隣の友人らしい女性には「だってつまんないモン」と言い残していたのが聞こえた。
一緒に居た女性は最後まで座って見ていたが、お陰で私は視界を確保でき、ライブに集中出来た。
さて、奥田民生さんの武道館。
この日は15年ぶりの武道館ということで満席だった。
私は久しぶりに武道館の2階席に座ったが、
かなりの急傾斜席だと気が付いた。
開演するとアリーナは一斉に立ち上がり、
私のいる2階席にも立ち上がる人たちがまばらにはいた。

その中にポツンと立っている人もそこここに居た。
幸いにして私の視線の先には立ってみる人が居らず、
視界を遮られずに済んだが、立っている真後ろの人たちは
明らかに見にくそうにしていた。

私なら絶対に前の立っている人に座れという意思表示をするだろうが、
多くの日本人は奥ゆかしいのでそんな事をしない。
でも彼らは視界を遮られて不満が鬱積しているのは間違いない。
ライブにおいて鑑賞方法はそれぞれのやり方があると思っている。
チープトリックの時の女性のように立ってみて自分のエキサイティングを高めたい方もいるだろう。
個々の楽しみ方に自由度があるとは言え、自分が立ったら後ろの視界を遮るという点において、
立つ人はかなり謙虚であるべきだろうと思う。
特に周囲に数名しか立って見ていないような場合、
立っている人は、明らかに少数派であろ、
おまけに後ろの人たちの視界を身勝手に奪うことになる。
少なくともこの点において、立っている人は「自分勝手な人」だと言っていい。
多くの観客が立って見るような状態であれば、理解の余地もあるが、
多数が座って見ている中で1人・2人立っている人は、明らかに身勝手な人だろう。
これ、映画館だったら明らかにアウトでしょう。
だからコンサートだから周囲を無視して立って見て良いだろうというのは本来の理屈と趣旨にないのだ。
実は私は間もなく還暦になる。
従ってコンサートを最初から最後まで立ってみようと思っていない。
若い人たちは立ってみたいという立場とは真反対だが、
双方にそれぞれの思惑があって良いとは思っている。
それでも立って見たい人間は周囲に相当な配慮をすべきという点で揺るがない。
チープトリックでワザワザ2階席を買ったのは立ってみなくても良い選択枝のためだ。
立ってみたければフロアー席を買えばいいし2階の後ろには立ち見席もあるから、
そこに行けばいい。
座席は「座る席」と書いてあり、座ってみるのが前提になっている。
従って立ってみる場合、普通の感覚で言えば後ろの座席の人に対して
「立ってみていいですか?」という断りがあってしかるべきだろうし、
そうでなければライブ中に大多数が立つような場面で、
初めて断り不要で立って見ることが許容されるという事だ。
もちろん1曲目から全員総立ちになってしまう場合は、
それに従うかどうかそれぞれが判断すればいい訳だ。
ポイントをまとめれば、座席があるライブでは、座りが優先で、
その場所で立って見たい人はオプション扱いになるということだ。
まずそれが前提となる。
座席のある会場で自分だけ立って良い感じになっている人は、
後ろの怒りや不満を感じないのだろうか?
もし感じないのだとすれば相当にKYかバケツに穴が開いたような脳みその人間だと言っていいだろう。
この程度の配慮も出来ない人間は、その程度だと認識しておくべきだろう。
自分の前の座席に座った人の頭が大きくて見えにくいのは事故だと思って諦めるしかないが、
目の前に座っている人が不必要に立って、
自分の視界を遮ってライブを見る行為は明らかに「敵対行為」に近い。
特に15,000円も払って見ているライブで視界と音場を遮られたら
前のヤツに金返せとでも言いたくなるのが人情だろう。

以前別の記事として、ライブで永遠と大声で歌って自己陶酔しているハシタナイ連中について書いたことがあるが、周囲に無配慮で立つ連中も、自己陶酔バカの括りに入るだろう。
ライブには様々な人たちが集うため、何をルールとするかは主催者が決めるしかないが、
周囲に様々な価値観の観客がいる前提で成立している環境では、
自分も含めて、また特に他の観客と明らかに違う行動をする人たちは、共有環境の身の施し位を考える必要があると思う。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

テレビ・メディア業界の浮世離れ [独り言]

テレビ・メディア業界の浮世離れ
池上彰氏の番組や彼自身、また彼の番組関係者が炎上している。
もうかなりネット上で拡散された話なのでここでは重ねて語らない。
少なくとも池上彰氏の名前が冠になっている番組に関して、
複数の同業者から同質の不義理とも言える体験が発信されているため、
普段から政権批判や評論をしている池上彰氏には
一定の説明責任があるだろうと思う。
冠番組を持っているということはそういう事でもある。
参考:池上彰「パクリ疑惑」へ「Me Too」騒動(八幡 和郎氏)
仮に池上彰氏がそうした経緯を知らず、全て自分の知識だけであのような番組の内容を語っており、
それが納得できる話であればそれはそれで良いだろう。
当然だが、彼の知識は誰かから教わり、また本や体験などの総合的な能力だ。
それは誰でも同じだ。
しかし、番組を構成する上で、池上彰氏の能力を上回る情報を詰め込み、
過剰な演出で博識に仕立て上げ、
池上氏も番組スタッフが集めた情報に基づいて台本を語っているのだとしたら、
俳優業としては認められるだろうが、
ジャーナリストを標榜する彼としては、その情報の出どころや引用先について
注意を払うべきだろうし、当然明らかにすべきだろう。
さて昨今、テレビメディア(報道)や番組制作について一般人らも裏側を知り理解できる時代になった。
これはネットを通じた情報によって、玉石混交ながらも
玉に近い精度情報を発信する人たちに一般人がアクセスできるようになったからだ。
そういう意味で、これまでのように大手メディア側が、視聴者をシロウト扱いして、
自分たちの思い通りに作った番組を垂れ流して済むような時代ではない事を理解すべきだろう。
私も過去にテレビ局やラジオ局の人たちと仕事をする機会があったが、
非常に魅力的な人材の宝庫であり、また優秀な人間も多い反面、
視聴率至上主義に毒された人たちも多かったのは事実だ。
彼らの多くにとって視聴率を取ることが課題なのだが、
そのインセンティブによって様々な歪みが生じているもの課題なのだ。
どうしても視聴率を取る事と番組の質を維持することの2つの課題に対して、
視聴率を取れる番組は質が良いという見方になってしまう危険性があるからだ。
実際、番組制作者は、1分単位の視聴率に対応して生きている。
そのため、相当なプレッシャーを抱え、制作過程で無理をし始める。
数字が出なければ数字の出る端的な方法へ向かいがちになるからだ。
つまり方法や演出が過激になり易いという事だ。
彼らにとっては、コンプライアンスなんて眠たい事を言っていたら視聴率が取れないという思いがある。
また大抵の場合、一般的な視聴者を引きつけるには、普通の事をやっていたら高い視聴率を取れないと思っている。
そのためどうしても過激な方向に事を進めたり、本来はあり得ないような自己ルールを外部に適用し始める。
特にテレビメディアは視聴率によってでしか価値を図れないため、
視聴率を稼ぐ事が出来る企画、キャスティング、演出、編集等をすることになる。
また一旦視聴率を稼げる企画、キャスティング、演出を見つければ、
さらにそれらを強化し始めるという事だ。
テレビ番組は作りものだ。デフォルメも多く、事実誤認や情報誘導も多い。
視聴者側は、演出の過程も分からず、素材の出どころや編集過程も知りようがない。
従って一般的な視聴者が制作背景を見抜きながらテレビ番組の接するのはなかなか困難だ。
嘗てはこうした流れの中でテレビ業界の人たちは番組を作ってきた。
しかし現代のようにネット情報発信が力をつけ、テレビに依存しない識者たちが出現する時代になり、
昔ながらのテレビ制作マンのような意識では番組の質を維持できないのは明らかだ。
あの世界だけに住んでいれば、私の書いていることなど吹けば飛ぶような話なのだが、
世間は確実にテレビ業界やメディア業界がガラパゴス化しているとみている。
私は最近殆どテレビ番組を見なくなった。新聞、雑誌も殆ど読まない。
それ以外、本は相当読む。
日々の情報源はネット(ネットニュース、YOU TUBE等)かラジオだ。
これで全く困らない。
何故かと言えば、ネットで得るようなニュースの背景や解説は、
YOU TUBEやラジオ、書籍で得られる。
また複数の見方(保守から革新)を見聞きしていれば、
自分の視点の検証も可能で、それで十分だ。
つまり一定の情報を得たら、ブロックチェーン的に情報の精査をし、あとは自分の頭で考えるということで成立するという訳だ。
これによって今までよりもオールドメディアがどれだけフィルターをかけて
情報発信し、自分がそれを鵜呑みにしてきたかが分かるようになった。
こういう人間は少数かもしれないが、確実に増えている点は強調しておく。
テレビ番組で見ているものと言えば、タモリさんの関係している一部のものか、
出川哲郎さんの「充電」、BSフジのプライムニュースくらいだ。
この2人の番組に共通しているものは、明らかに演出過多でなく、
素材映像を頑張って編集して番組にまとめている点だ。
もちろんこれらの番組にはディレクターがおり、撮影前には相当な準備をしているのは明らかだが、
受け手に悪影響があるほどではない。
BSフジのプライムニュースは、反町さんが居なくなって質問力が落ちたのだが、
ゲストの面々の質は高く、他の報道番組とは一線を画している。
なお、田原総一朗氏の番組は一切見なくなった。
彼は古い時代のドキュメンタリー作家の悪い癖が抜けず、
出演者の意見を聞くのではなく、自分のストーリーにあった発言を強要する癖があるからだ。
田原総一朗氏は政治ジャーナリストとして功績も多い人物で、大変に評価もしているが、
極めてテレビ的な彼の悪い部分が顕著でもあり、
現代においては絶滅前の恐竜になってしまったと言っていい。
テレビがエンタテインメントである以上、やらせとは言わないまでも適度な演出は必要だ。
但し、もう明らかでバカバカしいやらせが通用する時代ではない。
池上さんの番組で問題になった小学生が劇団所属の子供を使ったのは、
「演出側の理由」で、「視聴者側の理由」ではない点が痛かった。
(もちろん視聴者側が無言の内に、こうした演出を求めているという面もある共犯関係でもある)
そもそも世の中に気の利いた視点を持った小学生を探すのは容易でなく、
従って番組作家が書いた台本をそれらしく読んで番組進行にリスクが無いように考えたのは、
番組制作者としては普通の事なのだが、プロデューサーも含めて、
時代の趨勢を見誤っていると言っていいだろう。
池上氏も小学生たちが仕込みと知っていたかまでは分からないが、
知っていたとしたら共犯関係にあるだろうし、彼も時代を読めていないことになる。
昔は通用したが、今ではダメということはどの業界、業態にもある。
今にしてもテレビやメディアだから自分たちは「特別だ」と
考えている痛々しいバカはまだ多いだろうが、
もう現代は、テレビ業界もメディア業界が最先端じゃない事くらいは理解しておいた方がいいだろう。
そうは言ってもテレビや大手メディアは、現在でも影響力の多い分野だが、
その影響力に比する内容でない事も、段々明らかになっている時代でもある。
そういう時流に謙虚に向き合ってコンテンツを作って欲しいと思う。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

石破茂氏が掲げる石破ビジョンは、トップを狙う人がやってはいけない書き方。 [独り言]


2018年9月20日、自民党総裁選挙がある。

私は党員でないため特に選挙に参加できる立場にないが、

日本の行く末を考える観点から興味を持って見ている。


さて、今回石破茂氏が立候補した。


私は自分の人生経験から、トップに立つ人間の発言、ビジョン、言動に注目している。

つまり、どういう発言やビジョンを語る人間がトップとしてふさわしいかは、

こうしたアウトプットからある程度判断可能だからだ。


さて、上場企業で働いている管理職レベルなら当然のように要求されることがある。

事業計画を作る事だ。

そしてその計画は具体的であることを求められる。

またトップに近くなればなるほど高度でポイントを絞った計画を要求される。


さて、石破さんの総裁選に対するビジョンは以下から見る事が可能だ。




ポストアベノミクスとしては、以下が掲げられている。


◎デフレに後戻りしないマクロ経済政策の継続

◎格差是正、真の地方創生、技術革新、新しい時代の要請に応じた人材強化に重点を置き、財政規律にも配慮した経済財政運営

◎検証なき膨張を続ける現行の成長戦略を見直し、成長力の底上げに資する戦略に再編

◎経済政策の一貫性とリスク対応の機動性確保のため経済金融総合対応会議(日本版NEC)を創設


その他、地方創生、社会福祉、人生100年時代、国の構築という全5分野44項目に渡って

ツラツラと書いてあった。

そして最後に信頼回復100日プランがあった。


石破ビジョンには特徴が1つある。


主要5項目の中に数字が一切ない。


「ポストアベノミクス」を見ても分かるが、数値目標が書いてないのだ。

あれをする、これをすると言葉が綺麗に並んでいるように書いてはあるが、

具体的に何を目標にするか記載がない。


どこかでこんな感じのものを見た記憶があるが、

小池百合子東京都知事も似たような感じだった。

小池知事の手腕を見て分かるように、殆ど成果がないどころか、

都政を後退させている元凶にもなっている。


加えて、石破氏の各分野は非常に項目数が多い。


上場企業で働いている管理職が事業計画を作る際、

ポイントを絞らず総花的で数値目標がなかったらどうだろうか?

絶対に役員決裁を通らない。


国家ビジョンも同様だ。

いくら国家が様々な事を行っているとはいえ、全部を同じレベルに進める事は出来ない。

予算配分が違うからだ。


従って石破ビジョンの44項目は余りに多すぎる。

つまりこれはポイントを絞り切れてないという事だ。

(政策利害関係者から刺されないようにアリバイ的に入れているかもしれないが・・)


トップリーダに必要な素養として、ビジョンを掲げる事、優先順位をつける事、

そして具体的目標を設定することがある。

企業なら優先する事業を絞り、売上と利益の目標設定をすることだ。


国家も同様だ。

政治の主要ポイントは経済と安全保障だ。

その土台なしに他の事など成立しない。


石破氏がポストアベノミクスをビジョンの冒頭に持ってきているということは、

アベノミクスの課題があると考えている訳で、

それらを石破ビジョンならどうするか?と書かなければならないはずだ。

GDPは? 失業率は? インフレ率は? 国債発行額は? 税収は? 等々だ。
もちろん消費税後の景気対策もあるだろう。


デフレに後戻りしないとあるのだから、当然そのために設定すべき数値目標があるだろうが、書いてない。


言い方を変えれば、全く設定目標がないということになる。

企業の事業計画なら突き返されるレベルで、初歩過ぎて痛々しい。


おまけに石破ビジョンには外交政策、安全保障に関しては1文字も見えない。

防衛大臣をやった人物とは思えない。何故なのだろうか?


数値が見える部分をあえて言えば、「100日プラン」だけだ。

100日で信頼回復させますという点のみ数値目標が見える。

従って石破氏に見えているのはこの点だけなのだろう。


ちょっとキツイ言い方になるが、

石破ビジョンは、具体的には何も考えていないと言って良いに等しいものだと判定できる。


石破氏は、政策通と知られた人物と聞いているが、

このように中身のないものをよくも公表したなあ・・と驚く。

これでは政策通という看板は下ろさなくてはならないだろう。


少なくともこれが日本のトップを選ぶ選挙というなら、
自民党も大した人材が居ないと思われても仕方ない。


特に安倍首相は、過去5年半の総理在籍中に経済、外交で一定の成果を出してしまっている。

もちろん課題はあるのだが、経済と安全保障については過去の政権にない安定感で運営されている。

その人物と戦う気概があるのなら、何故もっとレベルの高いビジョンと目標が出せなかったのか?

これが石破氏の限界なのだろうか?


憲法改正について、石破氏は長い時間かけて党内議論に参加をしてきている。

しかし議論の先に具体的にいつ改正を、どのようにやるのかを打ち出した事が一度もない。

彼のセリフは大抵決まっていて、「党内議論が尽くされていない」だ。

彼は自分の方針や考え方に合うまで議論から根拠を探しているようにさえ見える。


進次郎氏の支持動向が話題になっているが、

仮に彼が現段階の石破氏支持を表明したら、進次郎氏の将来に暗い陰を落とすだろう。
進次郎氏はこの程度のビジョンで良いというのか?という事だ。

進次郎氏はマスコミから石破支持について言及を避けるようになっているが、

将来を考えるならしばらく大人の対応をしていた方がいいだろう。


現時点で総裁選は勝負あったと言っていいだろう。


我々が憂うのは、3年後のポスト安倍時代に自民党トップに相応しい人材がいるかどうかだ。

現在の野党の体たらくでは、二大政党制になる気配すらない。

石破氏は今回で終わりだろうし、進次郎氏ではまだ不安があり、野田聖子氏に関しては論外だ。


さて日本の未来は一体どうなるやら。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

『カメラを止めるな!』パクリ騒動の解決方法を勝手に伝授。 [独り言]

『カメラを止めるな!』パクリ騒動の解決方法を勝手に伝授。



私も『カメラを止めるな!』を見て感動した人間だ。

パンフも買った。今年度最高傑作だと思う。


そのパンフの中の文言にちょっと気になっていた部分あった。

上田慎一郎監督が、映画の題材としてある舞台から着想を得てオリジナルの舞台関係者である脚本家と企画開発をしていたと書いてあった事だ。


そして以下のニュースが出た。


『カメラを止めるな!』はパクリだ!原作者が怒りの告発



ああ、やはりな・・と感じた。

その後、以下の記事が出る。


『カメラを止めるな!』原作者が語る「僕がどうしても許せないこと」



記事を読む限りだが、『カメラを止めるな!』は、

元劇団主宰者で演出家の和田亮一氏(32)が主催した舞台『GHOST IN THE BOX!』に基づいて製作されていると主張する。

上田慎一郎監督が着想を得たものは、この舞台と一致しているようだ。


また和田氏の主張によれば、映画製作側のプロデューサーから、原案利用契約書(権利買取)が提案されたとある。


さて映画のオフィシャルサイトには以下の反論が掲載されていた。



ネット記事(元は雑誌のFLASHらしい)を要約すると上田監督は、『GHOST IN THE BOX!』の演出家である和田氏と脚本家のA氏(パンフにも出てくる荒木駿氏だろう)の2名に許諾を取ったのではなく、B氏という許諾権限のない人物に映画化の趣旨を伝えただけだという。ネット情報によれば、荒木駿氏には許諾を取ったが和田氏には取ってなかったという記述もあるが、当事者間でどのように伝えられたのかについての詳しい記述はない。

また公開当初の映画のクレジットにはA氏とB氏の名があったが和田氏のクレジットはなかったようだ。

和田氏の主張では、7月18日(つまり公開後)に原作のクレジット要求。翌日、上田監督からは「『企画開発協力 劇団PEACE 和田亮一』でいかがでしょうか」と返事が来たものの、製作にいっさい協力していなかった和田氏はあくまで「原作」の形を主張した。後日、映画製作側からは再編集するのは困難でクレジットを断られたという。その後弁護士に相談し、再度『原作』のクレジットを要求。その後、市橋プロデューサーから原案利用契約が提案されましたが、権利を買い取る内容だったという。


なるほど、これはモメる案件だなと思いました。グレーゾーンの多い分野だからだ。


映画の公式サイトの声明を読んで1つの違和感を持った。
声明では、舞台著作を侵害した事実はないと言っているのにも関わらず、クレジットを含めた条件や対応を協議中という点だ。舞台劇に着想を得た点は公式サイトが認めており、これはその通りなのだろう。


普通に考えられるのは、映画製作側も100%相手を突き放すほどの論拠を持っていないのだろう。

つまり、心当たりがあるという訳だ。


それも和田氏の説明を見れば、なるほど、双方、主張が全く違うんだな・・ということが分かる。

今回の問題の根底は、「舞台劇から着想を得て映画化したのにも関わらず、舞台劇の著作者に対する許諾処理を適切にしていなかった」点だ。この責任は市橋氏という映画プロデューサーと上田監督にある。

和田氏の取材発言が正しいと仮定すれば、市橋プロデューサーが原案利用契約を送付した時点で、本映画には「原作もしくは原案があると認識していた蓋然性」を持つ事になる。
原作か、原案かでもめている部分はあるが、いずれにしても100%オリジナルという映画側の主張根拠の大きな部分は崩れてしまっている。


私のように映像の輸入と制作、運用、著作権の仕事を長くやっている人間からすると、本件は興味深い点が多い。

今も昔も同じだが、クリエイターほど著作権について無知、無関心な人たちはいない。

知っているように振る舞うクリエイターも多いが、実務的な部分について殆ど無知だ。

だから権利処理は、実務経験者に相談したり、対応してもらう必要がある。
今回市橋プロデューサーがその役割を担っていたはずだが、どうやら仕事に漏れがあったと言っていいだろう。

今回のトラブルの遠因にはそういう背景が見え隠れする。
つまり「権利処理をキチンと詰め切っていない」ということだ。
元々アイデアという著作権で保護されない部分を参考にして作るという行為と、翻案(原作に依拠して作る)とは雲泥の差がある。

ネットの記事そのものがどの程度正確なのか不明だし、大抵の場合、週刊誌の記事は事実を膨らませてショッキングな見え方で書くので情報確度が不明だ。

弁護士の方が分析した記事は参考になるので読んで欲しい。


「カメラを止めるな!」は著作権侵害か?
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20180823-00094178/

簡単に言えば、アイデア部分だけで表現上の本質的特徴が似ているとは言えない可能性を指摘しています。
つまり突き詰めると、裁判しないと分からないかもしれない・・という事です。

なので、私が以下に書く記事は、あくまでも最悪の場合、つまり原作・原案と言われる舞台著作を侵害した形で映画が製作されていたと仮定した想定への対応として書くことにする。
また現在分かっている事実は、公式サイトの声明だけなので、そこの記述の意図も参考にする。

1つだけ先に行っておくと、裁判すると双方疲弊し、費用もかかり、時間もかかり嫌な思いをします。それでも戦うならやればいいが、個人的には裁判を避ける方向性で落とした方が良いと思っている。


さて、舞台劇に着想を得て映画の台本を作り映画化すると著作権侵害になるのだろうか?
実はなかなか難しいテーマだ。着想を得たという言い方と原作を元に映画を作るという行為は別だからだ。
従って双方が著作権侵害の証明するとなれば、話し合いを経て、埒が明かなければ裁判をするとことになる。
この手の裁判は長期化するので最悪だが、最悪の場合はそうなる。

裁判となれば『GHOST IN THE BOX!』と『カメラを止めるな!』の脚本や舞台の内容、その他の資料を綿密に精査し、双方のストーリーや設定等が何%一致・類似し、何%が違うのか?という計量的な方法で突きつめて行くことになる。これは音楽著作権侵害でやる方法だが、音楽の場合だと音符の類似率をはじき出して判決する。

つまり映画製作側の主張する「オリジナルと言える部分」が映画の中でどの程度の比率を占めているのかを数値化して判断するのだ。また原作としての根拠が認められれば、許諾の過程も重要で、結局それらは証拠によってのみ立証される。「原作」なのか「原案」なのか、第三者による判定は上記のような過程を経ることとなるだろう。


仮に全体のストラクチャーや設定、セリフなどの大半が似ていると判断された場合、原作者は荒木氏&和田氏、上田監督は脚色者と判断されるだろう。従って著作権法において脚色された二次著作物は原作家も権利保有することになり、二次利用の許諾や氏名公表権についても問われる。


しかしこうした革新的なポイントについては、当事者で埒が明かない場合がこれは裁判等をしないと確定的な判断がされないケースが多い。
裁判は長期化し、双方疲弊し、いずれ裁判所から和解勧告が出るかもしれないだろう。

本来、原作から着想を得て別のストーリーを作る場合、原作権もしくは原案権という形でそれ相当の許諾を得る必要がある。
何故得るかと言えば、今回のようにトラブルになるからだ。

ちなみに後ほど語るが「アイデア」そのものは著作物ではない。
今回の言い方では、アイデアは「原案」に近い。
著作権には定義があって、著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう、と書かれており、当然舞台芸術や映画も著作権の保護対象だが、アイデアそのものは著作権の保護対象外だ。

映画製作側にとって若干不利だなと感じるのは、本映画が舞台を見てから着想を得ていることを認めている点だ。また和田氏の主張のように映画製作側が「原案利用許諾契約書」を提出している。このことから映画製作者側は、原案としての利用は認めるが、原作としては利用していないという意味だろう。

舞台関係者の誰かと映画製作者とが酒でも飲んでいる時の口上から出てきたアイデアを元にしているのなら著作権的には問題にならないのだが(アイデアを剽窃して点では非難されるだろうが)、映画製作者は既存の舞台から着想を得ていると公表しているし、途中段階まで舞台脚本家とも台本を作った記述がパンフに記載されている。
つまり映画側は、本映画作品が舞台著作の一部を原作として利用し、翻案して映画を作ったと認識していたと認定される可能性が極めて高いと言っていい。

逆説的に言えば、映画製作側が原案のみであとはオリジナルだと主張するのであれば、舞台著作の持つ情報や着想、プロットなしで全く同じような映画が作れたか?という事を証明しなければならなくなるだろう。
果たしてそれが可能なのかは考えてみる価値があるだろう。

さて、本来はどうしたら良かったのか?

何より大事だったのは、映画製作陣側が映画制作前に舞台の原作もしくは原案許諾を契約書までに落とし込む事だった。
それに尽きる。

理由は簡単で、今回のような事が起きるリスクがあり、実際にその想定とうりに起きたからだ。
インディーズ映画でそこまでするか?という人もいるが、結果的にはそこまでしておいた方が良かった訳だ。
万に一つのリスクだが、やっておけば今回のトラブルは回避できた。
特に今回のように想定外の大ヒットをしてしまうと、事後交渉になり条件を落とすのは簡単でない。
これは製作側の市橋プロデューサーと脚本家で監督の上田氏双方の課題だったし、それをやらなかったからこうした面倒な事になる。
つまりこの点で仕事をすべき人間が仕事をしていなかったということだ。
今回の問題、記事等から読み解ける和田氏の主張を参照しつつ、何が問題で、どうすればいいのかを説いてみよう。その上で、私が考えるまず穏便な解決方法を提案しよう。


記事情報だけで私がこうした発言をするのは何だが、『カメラを止めるな!』は、舞台『GHOST IN THE BOX!』を「原作」にして製作したと「一定程度」映画製作側が認めた方が自然だと考える。
原作か原案では、著作権に関わる問題が大きくなり、双方の争点になるだろうが、後々のビジネスを考えて妥協ポイントとした方がいいだろう。
これは市橋プロデューサーが和田氏に原案契約書を提出した事からでも、舞台が全くクリエイティブ上の埒外ではないことを認めているわけで、原作、原案は大きな選択だが、おそらく和田氏側は原案にしたら間違いなく裁判に持ち込むだろうから、原作を認め、利益シェアをした方が双方にメリットがあるという考え方だ。

さて、本件、どのような解決策があるのか列挙しよう。

①映画製作側が原作側の主張をある範囲で認め、改めて許諾条件を話合い、金銭的な条件を決める。
②映画製作側が原作側の主張を一切認めず、裁判で戦う。

③上記②の裁判を経て、双方の主張を戦わせたう上で示談をする。

④映画製作側が、原作側がグウの音も出ない程に自分たちのオリジナリティーを証明して納得させる。


いずれにしても、両者の話し合いと合意でしか解決しない。現状、これだけは避けられない。

加えて、現在の情報を総合すると、上田監督側が本映画を完全なオリジナルだと証明するのは相当困難だと推定される。つまり以下の方程式の証明を映画製作側が立証しなければならない。

『カメラを止めるな!』-『GHOST IN THE BOX!』=我々の見た『カメラを止めるな!』になるのか?

『GHOST IN THE BOX!』から着想を得て作り上げた台本は、『GHOST IN THE BOX!』が無かったとしても同じようなインパクトを持った映画として成立出来たのか?という点だ。

例えば、アメリカドラマの名作「刑事コロンボ」の構成骨格は、ストーリー冒頭に殺人があり、視聴者側には既に犯人が分かっている。コロンボは犯人が気が付かないほころびを探し出して犯罪立証を成立するというものだ。
さて、このストーリー冒頭に殺人があり、視聴者側に犯人が分かっている部分は「単なるアイデア」なので著作権で保護されない。実際、コロンボ以前のミステリーでも冒頭に犯人が分かっていて、探偵が犯人を追い詰めるという形式の小説がある。
従ってコロンボのこの構成方法は、全く著作権違反ではない。

しかしどうやら映画は舞台の構成骨格だけで成立しているわけではないようだ。従って著作権の侵害を感じているからこそ、市橋プロデューサーは後出しの買取契約書を出したのだろう。
従って映画製作側として全面敗北のような形は簡単に受け入れられないと思うが、
本件は、映画製作者側にかなり歩が悪いと感じている。
だから、①で進めるのが良かろうと思う。
そうなるといずれにしても金銭条件の話になる。
どうしたらいいのか?


市橋プロデューサーは買取契約を提示しているらしい。でもそれは現状で無理というものだ。映画は大成功してしまったのに、許諾が後になるのは、映画製作者側のチョンボだからだ。不本意でも自分たちのチョンボを相手側に押し付けない方がいいだろう。


許諾額と印税料率は話合いになるが、製作前ならいざ知らず、

既に大ヒット作品になってしまった関係上、当初よりも金額が高くなる、

もしくは異なる通常の原作権許諾契約よりも別の条件を入れた契約形態になるのは仕方ないだろう。

原作権の相場は交渉で決めるしかない。それでも業界相場はあるからそれらが話し合いの基準にはなるだろう。


加えて意図せずとも無断と思われるような形で製作・配給した点についての賠償的な意味での金銭保証も支払う必要が出てくると思う。



仮にストーリーの基本設計が原作・原案通りで、脚色(翻案)によって映画のように手を加えられたとすれば、

本来的な意味で、舞台『GHOST IN THE BOX!』が原作もしくは原案であり、上田監督は、脚色者(シナリオライター兼監督)という立場になる。


さて、『海猿』等で知られる佐藤秀峰氏は、ヒット映画の『LIMIT OF LOVE 海猿』

(『海猿』シリーズ2作目。興行収入71億円)の原作使用料は、250万円であったと明かしている。

ただ、現在に関しては、原作使用料+成功報酬という契約にしており、

「ヤマザキさんの60~70倍貰ってる」とのことである(氏のツイッターより)。

つまり数千万円~1億円近いということだろう。

また、テルマエ・ロマエは、興行収入が60億円にのぼる大ヒットとなったが許諾料は100万円だったと知られている。

これがインディーズ映画だと10万円前後程度の世界になると言われてもいる。


参考記事:200万~400万円は妥当か、映画原作料のお値段 








さて、今回の件で私が間に立っていたらどう考えるか?

映画製作者側が、①で示したような示談交渉に応じるという前提だが、まず、金銭的な条件を幾つかのパーツに分ける。


原作(原案)許諾料、二次利用料、慰謝料もしくは買取りの4つだ。

但し、現状環境で買取契約は交渉対象にならないので排除する。(相当な金額を積んで買い取るなら別だが)


上記参考記事の200万~400万円は妥当か?、にある映画原作料のお値段を見ても分かるように、

日本映画化の原作権料は意外と高くない。(中国だと最低1,000万円からスタートすることが多い)

また、日本文藝家協会の規約第25条の「映画制作及び上映等における著作物の使用料は、

番組制作費や提供価格等を斟酌(しんしゃく)し、1000万円を上限として利用者と本協会が協議して定める」

という取り決めが、目安となっている。


当然和田氏は日本文藝家協会の登録メンバーでもないだろうし、言い値設定できるのだが、

今回は、原作許諾料を日本文藝家協会の規約第25条最低ラインの上限である100万円と置く。

なお、金額はエージェント費用を含んだものとして記載するので、作家の取り分は60~70%程度となる。


二次利用料、つまりDVD化、VOD化、番組販売等の利用における原作家への配分は、日本文藝家協会に参考となる規約がある。

例えばDVDであれば定価×出荷数×1.75%(もしくは卸売価格×出荷数×3.35%)で、

これは業界標準なのでこれを参考に出来る。1万円のDVD(セル)なら、175円前後が印税となる。

但し、1.75%は監督、シナリオ作家への分配原資になるため、全部が原作家に入る訳ではない。

本映画の作家関係者は日本文藝家協会会員じゃないだろうから、この規定に準じる必要はないが、目安になる。


本作の問題は、原作権の許諾を曖昧な状態で製作し、おまけに想定外に大成功してしまったことだ。
だが、映画の成功は結果論だ。だから大失敗という可能性だってあった点は忘れてはならない。

従ってこの点については成功という結果を知った上での話として押さえておかねばならないだろう。

ここが今回の問題を複雑にしてしまっている。
何が言いたいかと言えば、原作家は権利を販売する時点で自身の利益確定できるが、

映像化の関係者はそうでないが、既に成功という結果が出ていて利益確定者がいるため、作家としてはそういう立場を取れないという事だ。


そうは言っても既に大成功していて利益確定を享受するのは、上田監督、製作会社、配給会社、DVDメーカー、配信先、番組販売先だ。だから原作者にもその利益享受を得たいという動機が出るのは仕方ないし、それを取り込めないと交渉にならない。


ここからが交渉の腕の見せ所になる。


今回のように原作権許諾という映画製作の根幹に瑕疵がある可能性出ていて、おまけに大成功してしまった場合、

製作者と原作者の現実的な落としどころを探るしかない。
要するに「金で解決」するしかないということだ。


その上で以下を提案しておきたい。


実は原作許諾は通常、映画上映という一次使用、つまり映画興行に対しての印税設定をしない。

今回、これを、特別に設定してもらおうという事だ。

理由は簡単で、原作もしくは原案の事後許諾をしたからだ。


以下が私が勝手に提案する計算式だ。


まず原作権使用料:100万円。


劇場興行に関する条件:

原作権利用料=【配給収入-(配給収入×0.2(配給手数料))】×7.7%

(配給収入=劇場興行総収入×0.5もしくは配給会社への総収入、総収入というのは鑑賞チケットとパンフ等の総収益のこと。)

なお、本来は配給収入の計算分母は、P&A費用(上映に関わるコストと宣伝費)を除くが、今回はそれをしない。
理由は今回の事情を踏まえ、P&Aは製作と配給が持ち、作家分配に不利にならないように配慮するためだ。またP&A費用を把握しようとすると、費用の改ざんの可能性が拭えず管理が大変なので除外させる方がいい。

また7.7%の設定は、二次利用権の通常設定(卸値への掛け率)に加え、

賠償的(慰謝料)な意味での3.35%を加味した。


書き直すと以下の通りだ。

かなり大雑把な数値だが、イメージ的には当たらずしも遠からずと思う。


劇場興行総収入:10億円(推定)

劇場収入:5億円(劇場取り分は興行収入の約50%と計算している)

配給収入:5億円(配給会社の売上)

配給手数料(20%):1億円

------------------------

小計:4億円。


原作権者取分:3,080万円(4億円×7.7%)


なお、配給と上田監督を含む映画製作側の取り分は、原作権者取分とP&Aの経費後となり、

経費比率は、双方の取り分比率で按分されると過程。

(配給側が全負担している場合もあるが、今回は按分とする)


これでどういう絵になるかと言えば以下だ。

なおP&A費用は150館公開から推定して6,000万円と仮定する。(もうちょっと多いかもしれないが・・)



◎製作側(上田監督含む)+配給取分=5億円。(監督への配分契約が不明なので両者を一体として考えておく)

◎P&A費用+原作権者取分=9,080万円


---------------------------------

小計:4.092億円。(製作側+配給の実取分)


映画興行終了時点での各位配分:


◎製作側取分:3.273億円(製作費300万円を回収後)

◎配給取分:8,184万円

◎原作権者取分(原作権販売分100万円を含む):3,180万円


もちろん、料率についての交渉があるだろうし、他の諸条件についても同じだ。

また上記は映画興行までの話で、二次利用料は別途入ってくる。


いずれにしてに、製作側が億単位の収入を得ることは疑いないし、原作側にもかなりの金が入る。

それ故に、製作側取分の10%程度の原作権比率は、十分に妥当性があると見ていいだろう。


インディーズ映画としては過去に例がない大成功を収めた原作家の方々には納得しずらい面もあるだろうが、

少なくとも上田監督が脚色して映画化しなかったら、

原作家の方々にこのような富が生まれるチャンスがなかったとも言える。
その点については、心情面で色々とあるだろうが、原作家側は配慮を見せた方がいいだろう。


加えて仮に映画製作前に許諾していたら10万円+α程度だった訳で、

このαも微々たるものだったかもしれないのだ。

先にも書いたが、興行の結果が見えてしまっているため話がややこしいが、キチンと話合えば双方にメリットが出ている話だと分かるだろう。
残念な経緯があってシコリが残るかもしれないが、結果的には全員WINWINになれるのだ。
だから金持ち喧嘩せずじゃないが、紳士的にやった方がいいと思っている。


双方が欲張りになればなるほど落としどころが見えなくなる。

何度も言うが、製作の根幹である原作家の許諾で躓いたのは、監督を含む製作側の大きな瑕疵だ。この点は映画製作側の反省点だろう。


そういう意味を込めて助言をしておくが、この件を深堀して裁判にはしない方がいいと思う。

裁判になれば長期化し、手間がかかり双方に裁判費用の出費が嵩み、面倒で嫌な時間が経過し、

原作家の取り分も相当に減ってしまうだろうし、製作側も同様だ。

わざわざ弁護士を儲けさせるような行為に及ばない方がいいと思っている。


また原作家からすれば、色々な経緯があって許せない部分もあるのは理解を超えることじゃないが、

原作家の方たちも余り欲張らない方が良いだろうと思っている。

狭い業界で生きて行くにはそれなりの落としどころがあり、

冷静に現実的で未来志向の対応をすべきと思う。

これをチャンスに将来を切り開く機会とすべきで、適度な所で合意を見た方が得策でしょう。


加えて助言をしておくが、制作会社(上田監督含む?)は、出演者や関係スタッフに対して

自分たちへの収入からそれなりの額を彼らに分配をしておいた方がいいだろうと思う。

3億円を超える収入を個人で受けたら55%は税金で消える。

また法人で受けたとしても利益の20%以上(多分数千万円程度)は税金で消滅する。

それ位なら関係者に成功報酬的な支払いをして経費として控除し、

肝の太い所を見せておいた方が制作会社及び上田監督の今後の人生のためにプラスになるだろう。


ヘタをするとこれが最初で最後の大成功だってことにもなりかねないのだから。


まだ事実関係が不明な時点で勝手なブログを書いて大変に恐縮だが、

老婆心と思って許して欲しい。
今後の情報で誤りを訂正する予定だが、現状の情報から考えられるのはこんな感じだ。


あともう1点追加しておくと、今回のヒットの雫を個人収入でもらっている関係者各位は、国税から100%狙われているので、2019年、2020年2月の確定申告はキチンとなさった方がいいだろう。申告漏れを指摘されたりすると、名声に傷が付きかねない。

せっかくアットホームで素晴らしい映画を作ったのだから、皆さん、映画のイメージを壊さないように仲良くやってねと祈るばかりだ。


参考記事:騒動の『カメラを止めるな!』“原作”・“原案”どう違う? 専門家に聞く










nice!(0)  コメント(3) 
共通テーマ:映画

「募金」の手数料や使い道にまつわるモヤモヤ [独り言]

平成30年7月豪雨、熊本の地震、ちょっと前の東日本大震災など、ここ最近日本は大きな災害に見舞われている。

被災者以外の地域で暮らす人間として、こうした被災者に対して直接、間接的な援助を考える人が多いだろう。

ボランティアで現地に行かれ直接支援をなさっている方を見ていて、いつも頭が下がる想いだ。


さて直接支援出来ない人にとって、最も有効そうなのは「募金」だ。

額に関わらず募金した人たちは、自分の出したお金が被災者の助けになることを願っているだろう。


しかし募金した金がどのように使われ、本当に被災者を助けになっているのかを

募金した人間が知るすべが殆どない。


実際調べてみると募金という行為は、法的根拠や拘束力が殆どないと分かる。

そう、募金自体を法律的に拘束する文言は日本には存在しないようなのだ。

ホントなのか??


寄付した募金が遊興費に!? ・・・募金の使い道「寄付先の自由」って本当?



上記の弁護士さんの解説が正しいという前提でお話するが、

『募金というのは法律上「贈与」にあたります。簡単に言うと「お金をあげる」行為です。

お金をあげたのであれば、もらった人は自由に使っていいことになります。

ですので、原則論としては、募金によって集められた金銭は

もらった人が自由に使ってよいことになります。』という概念は

結構一般的に知られていない事だろうと思う。



また街頭で募金行為をする際は、本来は道路使用許可が必要だったりとか

目的外使用で募金すると詐欺行為となる可能性があるなど、

募金にまつわることで知らない事が結構多い。


使用用途も被災者支援と言っても、それに関わる活動に使う事も想定されるため、

どこまでが目的外かを定義するのが結構難しい部分もある。

加えて法人から法人が募金をうけ取った場合には、

その受贈益に対して法人税、住民税および事業税が課税され、

個人が受領すれば原則的には一時所得として所得税、住民税の課税されるらしい。



なるほど募金の正体は知らない事ばかりだ。


ところで日本赤十字社は義援金からは手数料などは一切取らずに全額を被災地へ届けていると宣言している。


日本赤十字社は義援金からは手数料などは一切いただかず100%全額を被災地へお届けしています




さて募金の手数料について、ホリエモン氏が以下のように吠えている。


ホリエモンが寄付金の手数料にうるさい人たちに苦言「どうしようもない奴ら」




個人的にはホリエモン氏の言う、募金を被災地に届けるために手数料がかかるのは当たり前、は、

全くその通りだ。手数なしで募金活動を円滑に進める事は出来ない。


私は手数料率が募金額の20%が適切なのか25%が適切なのかはどうでも良いと思っているが、

募金側がこうした手数料等についてモヤモヤする点において、一般的な意見に同調する。

ホリエモン氏から言わせればそんな奴らは募金するな!の一刀両断だろうが、

正直言えば、モヤモヤしないのは相当な少数派だと思う。

だからこの感覚は個々の違いでしかない。(つまり議論には馴染まない)


ホリエモン氏のように全くそういう事が気にならないのなら、

懐具合と趣旨賛同の範囲でドンドン募金すればいいだろう。

ただ、ホリエモン氏が手数料を気にする人たちを「どうしようもない奴ら」と一刀両断する辺りは、

彼の人間的限界だな…と思う。


ちょっと話は逸れるのだが、彼はどちらかと言えば、

天才アーティストに近い思考感覚の方だと思っているが、

それ故に人を動かして事を成すのが苦手なタイプなのかもしれない。


この辺りは同じ天才型の孫正義氏とは正反対だと思うが、

ホリエモン氏は余り実務型ではないのかもしれない。

実際、ホリエモン氏の業績?で思い浮かぶのは、

フジテレビ買収の失敗、ライブドアの粉飾決算による収監(正直これは特捜の横暴だと思っている)などで、

孫正義氏のソフトバンクや三木谷氏の楽天などと比較し、

実体のある業績面において目立った成果が殆ど思い浮かばないのは不思議な気がする。

(著作が多いのは認識している)
あれほどの能力と才能が何かを結実させているように見えないのは、

きっと私が凡人以下だからかもしれない。


現在ロケット事業に参入しているが、発射すらままならない失敗続きだ。

小型ロケットビジネスの世界レベルはもっと先を行っているが、発射レベルで躓いているのは痛い。

こうした失敗も彼にとっては想定内だろう。個人的には商業化の成功に向かって欲しいと思う。

いずれにしてもこの事業の可否が、経営マネージメントとしてのホリエモン氏の手腕の見せ所だろう。


さて、話が逸れたので元に戻そう。

前述したが私は手数料率が20%が適切なのか25%が適切なのかはどうでも良いと思っている。

だが被災地への送付への原価がいくらかかり、間接費をどの程度賄うべきかについては

透明性を担保すべきと思う。透明性があれば手数料の設定は自ずから出て来る。


今でもたまに見かけるが、東京の主要駅前で何か災害があるたびに汚い募金箱を持って近づいてくる

顔色の悪くて服装もイケてない連中が有象無象にいる。

以前TBSが彼らを取材したが、この連中は全員ある組織からやとわれてアルバイトで募金をしている奴らだった。

中には外国人もいる。

おまけにこの募金が何に使われているかは全く不透明だ。

高齢者で社会免疫性の無い人たちは、彼らの口車に乗って結構なお金を募金している光景を見るが、

正直この連中は詐欺的募金集めをしていると言ってもいいだろう。


また、平成30年7月豪雨の共産党の寄付に対して松井大阪府知事が不透明だと噛みついていたが、

共産党の寄付箱には小さく「党の活動資金としても利用させてもらいます」とあり、

一般的な意味では、災害寄付に乗っかって活動資金調達をしていると感じられ違和感を拭えない。

松井大阪府知事がツイッターで噛みついたのもこの辺りで、募金の事後精算を公表するように促している。

当然だろう。


こうしてみていると、募金行為側として募金行為にモヤモヤするのは

使用用途のルールや会計の公開が全く法的担保されていないからだろう。

少なくとも他人から大義や目的のある行為で金を集める場合は、

集めた個人もしくは団体への会計の公開を担保させるべきだろうがそれすら法整備が無いのが現実だ。


そういう意味で、私は、街角や聞いた事もない個人・団体の募金活動には一切加担しないことにしている。

当然共産党の募金箱なんかには1円も入れない。

渋谷の駅前交差点辺りで災害直後になると有志の学生さんたちや知らない人たちが募金をしている姿を見て、

偉いなぁ・・と思う反面、募金の行方にモヤモヤするのは私の人間性の至らなさかもしれない。

企業が代理的に集める募金にしても、集めた金額が税制優遇の対象になるメリットを知れば、

どこまで趣旨に沿っているのかね??と疑問にも思ってしまう。


結局色々と調べてみると募金先として有力なのは日本赤十字社くらいしかなさそうだ。

もちろん日本赤十字社には色々な見方がある。

基本的には官僚組織なので、趣旨からは想像できないような高給取りもいれば

自治体との募金連携に対する軋轢も多々噂される。

それでもこういう所でも頼らないと最低限度の担保がある状態での寄付行為は難しそうだ。

少なくとも日本赤十字社には決算報告があり、概要はつかめる。

ただこれでも十分とは言えないだろう。(無いよりは遥かにマシだが)


日本赤十字社の歳入歳出の決算:




日本赤十字社の評判や口コミは?寄付先として、信頼できるかをチェック




結論:

寄付したの金の行く末にモヤモヤしないようにするなら日本赤十字社に直接預けた方がいいようだ。

もしくは自分を離れて行った金に頓着しないなら、ドンドン寄付しましょう。











nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「自省録 / 中曽根康弘著」を読み始めて [独り言]

ちょっと硬い話をさせて頂く。


中曽根康弘氏は昭和を代表する政治家だ。

100歳を超えまだご健在でその影響力は多方面に渡っている。

田中、竹下政権下での金権政治の狭間で活躍した首相であり、

時代の生き証人として昭和政治の裏表を体感した数少ない人物だ。


その中曽根氏が著した「自省録」を読み始めた。

だいたい本というもは最初の10ページ位でその本の価値の有無を感じさせてくれる。


読み始めて数ページ、私は本を置いてしまった。


冒頭の書き出しは、小泉純一郎元首相が中曽根康弘氏を選挙の比例名簿から

事前の告知もなく外し、それを問い質すために小泉氏に説明を求めると、

「(あなたは)他に仕事もあるのだから・・・」の一点張りで、

ろくな説明もせず黙ったままだったという恨みつらみから始まる。

中曽根氏は、自民党の長老であり貢献者である大先輩の自分に非礼だと断じる。


当時の中曽根康弘氏はその功績から永久比例名簿1位を自民党から与えられていた。

同時に党の規則には70歳定年も謳っていたという捻じれたルールがあったようだ。

つまりダブルスタンダードだったのだ。

いずれにして中曽根氏は、永久比例名簿1位を得てほぼ永遠に議員となれる資格を手にしていた事になる。


私はこの記載を読み非常に違和感を持った。

まず、中曽根康弘氏の政治家としての功績は事実として認められるものだと言っていい。

また永久比例名簿1位を自民党から与えられていた経緯やそういう対応がどうかはともかくとして、

小泉純一郎元首相が事前に何の断りもなく名簿から外してしまったというのが本当なら、

自民党総裁としての手続きにちょっと瑕疵があるとも思った。

悪法も法であり、一定の民主的方法で決めたルールはルールだからだ。


しかし、それよりも私の違和感は中曽根康弘氏の考え方だった。

中曽根氏の主張は一貫して自分のような功績がありしかも小泉氏よりも年長である自分に対して、

このような扱いは非礼だといい、永久比例名簿1位は当然だといわんばかりだった。


確かに小泉氏は非礼だったかもしれない思う。

また悪法も法とは言えルールを変更する方法もスマートではない。

しかし中曽根氏があれだけの功績と人格を持っていながら自民党の永久比例名簿1位を当然のように受け、

そのポジション居座ってしまった点については彼の人間的資質の限界を見る思いがしたのだ。

そもそも選挙によって国民から選ばれる政治家が、自民党のルール変更とは言え、1議席を特別に与えるような形に当然のように乗っかってしまった中曽根氏の政治家哲学とはどのようなものなのだろうか??


私は正直ガッカリした。


何故中曽根氏は、永久比例名簿1位を提示された段階で、

自分やこれまで日本国の政治家としてやれることはやった、

これからは若い政治家諸君を大所高所から育て、

必要があれば相談に乗る、議席は国民のものであり、党や個人が支配すべきものではない、だから辞退する・・位のことが言えなかったのか?だ。


ひょっとしたら最初は辞退したのかもしれないが、

結果的にはその場所にいるからそれが事実として残るだろう。
つまり中曽根氏はそれで良いと思った訳だ。


中曽根氏は自分の才能や実績に相当な自信があったのだろうし、

永久に「現役政治家」としてやれると考えていたのだろうやりたかったのだろう。

しかしそれは群馬の選挙区から若い政治家が出現するポジションを奪う事になる点について中曽根氏は一切考えているように見えないし、言及もしていない。

中曽根氏は自分が居座る弊害については全く考慮していないように見えた。


私は本を置いてしまったのはそこだった。


会社でもそうだが、50歳を過ぎて定年までの間で、管理職以外の人間の身の処し方は難しい。

現場仕事は少なくなり以前よりも手持無沙汰になり、自分の役割が狭まった感じがするからだ。
正直辛い時期だ。

中には我慢できず若手の現場に不要に分け入って混乱を起こす連中も多い。

従ってそういう立場になれば、グッとこらえて若手のサポート役に廻れたり育成役が出来るかどうかが重要でもある。

これは人生哲学かもしれない。


中曽根氏にとって小泉氏は若手議員だ。

しかし当時の小泉氏はかつての中曽根氏と同じ「自民党総裁であり日本国首相」なのだ。

中曽根氏は本書の中で随分と小泉氏の自分に対する非礼を書き連ねていたが、

当時は一議員である中曽根氏の立場から日本国首相の小泉氏の立場への配慮は全く見られない。

書きっぷりだけで見ると完全に体育会系で、

目下で後輩なんだから先輩の自分に対して敬意を払えという感じだ。
つまり上から目線なのだ。

中曽根氏は、相手が総理大臣ではなく、ただの後輩議員だと思って接しているようだったと思う。

それは筋が違うだろう・・というのが読んでいた私の感覚だ。


中曽根氏は本書の中で、小泉氏は言葉足らずで「他に仕事もあるのだから・・・」とつぶやくだけで

説明らしい説明もせずにその言葉だけを言い残して事務所を出て行ったとあった。

官僚上がりで頭も良いはずの中曽根氏ならその時点で、

「ああ、自分で潔く身を引けと言っているんだな」と気が付くべきだったろう。
もしくはエリート官僚で総理大臣経験者である彼だからそういう事が思い浮かばなかったのかもしれない。

小泉氏のやり方は確かにスマートではなかったし、

氏が怒りをぶつけているのも多くは「情に欠けた行為」その部分だが、

前述したように、日本国首相に対しているという敬意が全く感じられない文面だった。
中曽根氏はだからこそ、わざわざ総理であり、総裁である小泉氏が来た訳だ。
しかし氏は体育会系単純思考で当時の小泉首相と対峙していただけなのだ。


もちろん小泉氏が事前の通達もなく中曽根氏をリストから外してしまったのは怒りを招く行為だと思うが、

100歩譲って中曽根氏の気持ちは理解できるとしても、自分の立場、相手の立場を踏まえて考え、

行動できるからこそ中曽根氏のような修羅場を踏んできた政治家に価値があると思わなかったのだろうか??


こうなると小泉氏は、あのような方法でも取らないと頑固な中曽根氏は

悪法を盾に永遠に居座り続けただろうという危機感からの行動とも考えられる。

つまり小泉氏は70歳定年の例外である中曽根氏を理屈では説得出来ないと考えたのだろう。

そもそも例外規定だし、特別扱いだからだ。
そもそもルール違反のルールならば、小泉氏がルール違反を承知で強制的な方法を取ったとも言える。


またこうしたやり方をマスコミに晒すことで中曽根氏が身を引かざるを得ない状況に追い込んだともいえ、

確かに中曽根氏からしたら非礼で腹立たしい事だったかもしれないが、

そもそも永久政治家という民主主義の本質では本来あり得ない状況に安住し、

その地位に恋々としようとした中曽根氏が「自ら招いた事態」とも言えるのだ。


そういう視点については中曽根氏からは全く言及がない。

多分本人には全く自覚がないのだろう。


本書の冒頭に書いてあるという事は、この件が氏にとって非常に重要な記憶であり伝えたい事だったと解釈できる。

しかし逆に言うと、氏はこの辺りに限界があった政治家とも受け取れなくもない。

少なくとも私にはそう取れたし、本書を読み進める上で逆効果だった。


結局私は「自省録」という本を冒頭数ページで読むのを止めた。

それより先に何が書いてあってもこの本から得られるものは無さそうだと思ったからだ。


本書にはかなり期待をしていたが、冒頭でつまずき、とても残念な気持ちだった。
最後に書いてあったら全部読んでから時間を無駄にしたと思ったかもしれないから

冒頭で良かったのかもしれない。


タイトルに「自省録(中曽根康弘氏)を読み始めて」と書いたのはそういう理由でした。










nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

Radio Days [独り言]

Radio Days



まもなく還暦近い私はここ数年、中高生以来のラジオっ子、っていうかradikoっ子になった

特にスマホとradikoの登場以来、ラジオを聴く時間が増えた。



お気に入りの番組を列挙させて頂く。



■TOKYO FM

山下達郎のサンデーソングブック

The Life style Museum(ピーターバラカン)


■InterFM

Barakan Beat(ピーターバラカン)


■NACK5

K's Transmmision(坂崎幸之助)


■ニッポン放送:

吉田拓郎のラジオでナイト

飯田浩司のOK! Cozy up !(ゲストでチェック)

須田慎一郎のニュースアウトサイダー

笑福亭鶴瓶の日曜日のそれ


■ラジオ日本

宮治淳一のラジオ名盤アワー

クリス松村の「いい音楽あります」

全米トップ40 デラックスエディション


■ラジオNIKKEI

伊藤洋一のRound Up World Now

週刊日経トレンディー

よみラジ

テイスト・オブ・ジャズ


■文化放送:

おはよう寺ちゃん活動中(ゲストでチェック)

ラジオのあさこ

須田慎一郎のこんなことだった 誰にもわかる経済学


■TBSラジオ:

森本毅郎のスタンバイ(7:00以降)

伊集院光とラジオと(8:30~9:00頃まで)

荻上チキsession-22(最近は内容によって選別)


■NHKラジオ

語学講座(英語、中国語、韓国語)

カルチャーラジオ 歴史発見

カルチャーラジオ 科学と人間

著者からの手紙



お陰様と言うと変だが、テレビへのアクセス時間の絶対数が減った。
多分私みたいな人はマイナー人種だろう。

でも確実に存在する人種でもある。


中高生時代、ラジオはながら勉強をしていた時代に本当に良く聞いていた。

私は長野県の山深い場所で育った人間なので、

当時、ラジオの民放AMは直接的には信越放送しか聞けない。

というか、現代でも長野県の民放AMは信越放送しかないが・・。

(まだ長野エフエム放送は開局していなかった)


従って東京の放送局は基本的に信越放送がネットするものしか聞けなかった。

信越放送のネットの中心はニッポン放送だった。

従って当時のニッポン放送の番組は私にとっての大切な情報ソースだった。


オールナイトニッポン、コッキーポップ、たむたむたいむ、などだ。

コッキーポップはポプコンというYAMAHA主催の全国オーディションの模様を

地方選考などの様子を織り込みながら全国大会までを網羅する番組で、

大石吾朗さんがMCだった。

この番組からは数多くのアーティストが輩出され、中島みゆきさんや八神純子さんなどが

現在でも活躍している。


深夜11時にジェットストリームをやっていたのを記憶しているが、

これはTOKYO FM(当時はFM TOKYOだったかな?)をAM局がネットしていたのだろうか?

城達也さんの低音の響きは美しく、流れる音楽は私の洋楽の基礎になった。

サイモンとガーファンクル、ザ・カーペンターズ、S・ワンダーなど、

1970年代の主要でメジャー洋楽アーティストを知る機会はこの番組にあった。
今でも当時のカセットでサイモンとガーファンクル特集があるのだが、

40年ぶりに聞くと、当時の音で再現された。


私のような田舎者の中高生だと、

ヘビーな洋楽ファンやレコードコレクターに出会う事はほぼない。

従ってどうしてもメジャー級アーティストしか聞くチャンスがないのと、
ジェットストリームではハードロック系は一切放送されなかったので、そっち方面には極めて疎かった。

(ロック系はオールナイトニッポンで放送される曲か兄が聞いている曲しか知らなかった)


信越放送は、オリジナル番組も放送していたが、一番記憶のあるのは、

故・はしだのりひこさんの番組で、長野県全域に出向き、地域地域から

アマチュアの演奏家を出演させ放送していたものだった。

はしださんの番組で良く記憶しているのはイーグルスの「ホテルカルフォルニア」の特集だ。


当時の私にはちょっと大人な音楽でイーグルス自体に馴染みがなかったが、

はしださんの丁寧な解説によって本作に注目をするようになった。

また中学生時代、ゲストDJとしてこの番組に出演した記憶は私にとって宝だ。


18歳で東京に来てからラジオのお世話になる機会は減った。

1つには東京のテレビ放送局へのアクセス数の多さだ。

田舎の時代のテレビチャンネルは、民放1局、UHF1局、NHK2局だけだった。

東京に来た時はテレビ番組が選び放題になり感動した記憶がある。


加えてそれまでラジオが紡いでいたサブカル文化の中心が

テレビの深夜放送に移行しつつあったことも理由にあった。

それでもラジオメディアはまだ強いリーダーシップを持っていた。


1990年代中盤以降、私はひょんな事からラジオ番組の仕事をするようになるが、

2000年代に入ると再びラジオからは遠ざかってしまった。


それから10数年が経過し、私は前述のようにラジオに大きな親和性を抱いている。

その理由は、新聞、テレビがラジオに比べて私の期待に沿ってくれなくなったからだ。

特に2つのジャンルだ。

1つは音楽、1つは政治経済と報道の分野だ。


音楽に関して言えば、私のような1959年生まれの世代に刺さる音楽番組を放送しているテレビ局はない。

例外は一部のBS放送局だけだが、少数派だ。

テレビメディアは現代を切り取るため、過去には目を向けにくい。

従って自然とラジオに耳が向く。


山下達郎氏のサンデーソングブック、宮地淳一氏のラジオ名盤アワー、

坂崎幸之助氏のK's Transission、全米トップ40 The 80's、ピーターバラカン氏の一連の番組など、

所謂フォーク・ロック世代の私にとってこれらの番組は、内容の質、解説のレベルの高さで外せない。

1週間、これらの番組を聞いているだけで50~60曲程度のGood Musicに出会える。


YOU TUBEもあるだろうという人もいるだろうが、YOU TUBEだと自分の好みの範囲を脱するのが難しい。

自分がアクセスしそうもない音楽に出会うためには

高度な音楽情報を持った優秀なDJの選曲によるラジオの音楽番組ほど最適なものはないと思っている。

だから必然的に現代のヒット曲には全く疎い。仕事柄だがK-POPの方が良く知っているくらいだ。


さて、政治経済と報道の分野をラジオに頼るようになった事についてはキッカケがある。

ニッポン放送で2017年3月末まで約6年間放送していた「ザ・ボイス そこまで言うか!」だ。

特に印象的だったのは、有本香氏という人物だった。

彼女は小池百合子氏が東京都知事に立候補し、大旋風を巻き起こし、主要メディアが持ち上げている中で、

ただ一人と言って良いほど小池氏に批判的な人物だった。

当時の私でさえ、有本氏の小池批判については、ちょっと度が過ぎると感じていたのだが、

その後小池氏が知事に当選すると、豊洲移転、オリンピック関連等の差配において、

有本氏が指摘していた通りの問題が勃発し、結局彼女が予言していた通りの事が殆どそのまま起きた。

その過程を経験し、彼女の卓説した視点と分析に開眼した訳だ。


彼女はテレビメディアにも時折登場するが印象的な扱われ方をされてこなかった。

それに比してラジオメディアは、彼女の主張と根拠やその後の事象をある程度の時間をかけて

解説、分析してくれるので、リスナーには刺さり易かった。

また有本氏周辺に集う経済学者、政治評論家たちが指摘している様々な視点は、

テレビ新聞メディアでは殆ど報じない内容で、

ラジオコメンテーターのほとんどはメジャーならテレビ番組では見かけない。

こうした点は私の興味を引いた。


当然彼らと反対の立場を貫く様々な同業者がいるのだが、自分自身で様々に勉強し、検証をしてみると、

「ザ・ボイス そこまで言うか!」に登場していた青山繁晴氏、上念司氏、高橋洋一氏、宮崎哲哉氏、長谷川幸弘氏らの主張や解説は、十分に聞くに値するものだと分かるようになってきたのだ。

彼らに共通しているのは「観念的でない」点だ。

出来る限りファクトと数値と一次情報に基づいた情報に基づいて発言をしようとしている。


左派系からは政権寄りと言われているが、彼らは決して政権の全てを是としていない。

特に青山繁晴氏、高橋洋一氏、有本香氏の発言には注目している。


ラジオ以外で唯一と言っていい素晴らしい政治経済番組があった。

BSフジの「プライムニュース」だ。

当然この番組には「ザ・ボイス そこまで言うか!」のレギュラー陣の一部も出演している。

「プライムニュース」の素晴らしい点は、賛成反対の両方を取り上げている点、

また当時の司会の反町理氏の質問力にあったろう。

残念ながら2018年4月から司会が交代したため、番組の質問力はゼロになってしまったが、

それでもゲストには目を見張るべき人物が出るので、チェックはしている。


その上で信頼に足る知識人がネットで展開している情報ソースへのアクセスにもつながった。


こうした視点(ラジオとネット等)を加味してテレビのニュース番組や

報道コメンテーターやジャーナリストと称する人たちを起用している番組の

情報を見ていると、確度が怪しいと感じ始めた。


特に第2次安倍政権初期に日銀の金融緩和を完全否定していたような経済学者が言っていた、日本の財政への懸念やハイパーインフレ論、国債の引き受け手がなくなるなどの主張は全て誤りだったと分かり、

これらについて一番正確な主張をしていたのは高橋洋一氏だということも分かった。

高橋洋一氏はとても変わったオジサンなのだが、数理で導く主張には他の追随を許さない視点があり、

常々私の関心の的になっている。

もちろん彼の主張は元の職場である財務省から忌み嫌われており、マジョリティーにはなってないが、

少なくとも財務省の紐付き経済学者より遥かに精度の高いロジックと情報を出している。


また国会議員の青山繁晴氏は、非常に広範な情報網からメディアでは絶対に出ないような解説をしてくれる。

ラジオ番組にも放送の時間制限があるが、テレビに比べれば主義主張を語る時間は長いため、じっくり話が聞ける。

もちろん上記と全く反対の意見を持つ人たちもおり、彼らの話も聞くことが可能だ。
彼の話をまとめて聞く場合は、YOU TUBEの「虎ノ門ニュース」が最適だろう。


宮崎哲哉氏の解説で最も印象的だったのは、日本経済新聞が買収したフィナンシャルタイムスが、

アベノミクスを分析し、高く評価した連載をしていたのにも関わらず、

日経新聞ではそれについて一切取り上げなかったというものだ。

こうした情報の選別は新聞側の編集権なのかもしれないが、

同族会社の情報を意図して無視するような日経新聞には余り信用度が置けなくなった。


こうした情報もラジオのようなメディアでないと聞けないかもしれないものだともいえる。


こうした点においてラジオメディアは非常に面白いのだ。

TBSはテレビもラジオも含めて政権に批判的だから批判的な視点を知る事が可能だし、

ニッポン放送と文化放送は政権に対して是々非々的なポジションで面白い。

ラジオ日本はその中間と言ったところだろうか?


政権に批判的な視点の先頭にいるメディアは新聞なら朝日、毎日新聞、テレビならTBSとテレビ朝日だろう。

朝日新聞は、もはやクオリティペーパーとは言えない報道が目立ち、

左派機関紙と言っていいような内容ばかりになってしまっており、

巨大で歪んだプリズムで世の中を見ている感じなので私は全く読まない。

毎日新聞は昔から読んだ事がない。

昨今の40代以下で新聞を読んでいる人はほとんどいないらしいからいずれ新聞は消滅すると思うが、

そろそろ本気でクオリティペーパーを目指す良い時期だろう。

そもそも日本は何紙の新聞社があるんだろう?

あんなに要らないだろう。

ちなみに高橋洋一氏は新聞を一切読まないそうだが、全く困った事がないと言っている。

逆に池上彰さんや佐藤優さんは全紙チェックしているという。
この辺りの人たちは頭脳的にもトップの人たちなので、私と同等には扱えないが、興味深い。


TBSとテレビ朝日の報道関係の視点は、左派色が強過ぎてバランスを欠いているように思う。

事実と評論の区別がなく、また情報編集の度合いが強すぎて印象操作が激しすぎる。

この2局に限らないのだが、ニュースの司会者が情報に対して意見評論をするが邪魔だ。

以前の私はこの2つの放送局をとても支持していたのだが、

ここ数年、テレビ報道を俯瞰するると、とても見るべき報道の質になっていないと思う。


現代でもテレビでは言えないが、ラジオならOKという文化があるのが日本の変なところだが、

そういう点でラジオは特異なポジションにあると思う。

しかしラジオメディアは衰退メディアである。これは事実だ。

ネットがメディア化する現代において競争は厳しい。

それでもラジオが持つ独特の文化や発信力には期待をしている。


こうしたお陰で私はテレビの報道番組を殆ど見なくなった。

チェック程度に見るのはNHKのニュースと、民放の定時ニュース程度で、

報道ステーションは後藤キャスターの能力に見切りをつけたので視聴を止めた。

またNHKのニュースでさえもかなりのバイアスがかかっていることも良く分かるようになった。


現在私は、情報ソースとして、ラジオ(+radiko)、ネットニュース、YOU TUBE、書籍(雑誌含む)が中心だ。

新聞は週に1度日経の書評と書籍の広告を読むためだけに買う。

テレビのニュースは、どんな情報出しをしているかの確認をしているだけになった。


また、テレビ局や時事通信が出す世論調査は全く信用しなくなった。

理由は単純で、彼らの調査は総務省の年齢別人口分布に全く一致していないことが分かったからだ。

アンケートは電話での対応が多く、回答するのは必然的に高齢者が多くなる。

しかし世論調査を公表する際、テレビの連中はそういうバイアスがかかっているとは言わない。

10年ほど前までは、一部の人たちがテレビや新聞報道が歪曲されていると叫んでいても、変わった人たちなんだろうという程度でしか見ていなかったが、Twitter、YOU TUBE等で知る彼らの主張を現実と比すると、テレビや新聞報道のフィルター度合いがハッキリ分かり始めてきたのだ。


若い連中の母数が少ない世論調査は、調査として正確でないのだが、

それでもテレビ、新聞は平気でそれを出す。

しかしラジオになれば、その情報に関するキチンとした解説と背景を言う人たちがいて良く理解できる。
これはテレビには出ない、もしくは出れない連中がキチンとそういう話をしてくれるからだ。
また大抵の場合、解説にはそれなりの時間があり、説明の時間も長い。

こうした人たちの解説を信じられそうだと思った根拠は、世論調査の実態を調べるために、テレビ局と同じ法市区を実際に金をかけて同じような調査をやってみた人がいたからだ。


テレビ報道では絶対にそういう形式の情報は出ない。

またネットで同じような調査をやるとテレビ局や時事通信が出す世論調査とは全く一致しない。

ネットの調査をどの程度信頼できるかは難しい面もあるが、

テレビ局や時事通信が出す世論調査が余り当てにならないことだけは確かなようだ。


「ラジオ」止まらぬ高齢化、若者呼び戻せるか
スマホ・AIスピーカーで変わる音声メディア




ラジオメディアに親和性が出たのは年齢的なこともある。

ずっとテレビを見て集中するのが辛いってことだ。

またテレビを消す癖がつくと、無くても寂しくない事に気が付く。

私は今でもテレビっ子な部分があるが、

年齢と共にテレビへの依存は減るだろうと思い始めている。


若い人を音声メディアに誘導するのはなかなか楽ではない。

だが、若い人たちが支持する人気者の中から、ラジオの方がテレビよりも面白い人が多数生まれてくれば、必然的にラジオメディアには人が集まるだろう。
また若いリスナーには若い人気ものを、私のようなオッサンには、政治、経済、歴史などを深堀してくれる番組がいい。またその両方を包括してくれるのも助かる。

いずれにしても私はラジオ【radiko】派になりつつある。





nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

大瀧詠一さんと仕事をした ある日の出来事(3) [独り言]

大瀧さんの自宅スタジオのコントロール・ルームは、コンソール、アナログの録音機(確かTASCAMの16chだったかな・・)、モニタースピーカーなどの機材関係と大瀧さんが入るだけのスペースしかなかったので、アレンジャーのTさんと私は部屋前の廊下に機材を置いて作業を補助させてもらった。

アナログのテレコにローランドのSBX-80から出力したSMPET信号を録音し、その信号をSBX-80に戻し、MIDI経由でNECのパソコンで動作していたカモンミュージックのシークエンサーを同期させて動かした。

PCの打ち込みは大瀧さんから譜面を渡されたアレンジャーのTさんが行い、音源出しは私がやったように思う。サンプラーはAKAIのS900だったろう。他に使った機材はYAMAHAのDX-7ⅡやRoland D-50辺りを使用してたと思われる。
作業をしながら大瀧さんが今回の音楽制作を頼まれた経緯を聞かせてくれたが、細かい話は記憶の彼方だ。


ランチの時間は、大滝さんが常連にしているというステーキハウスに連れて行ってくださった(と記憶している)。
このステーキハウスは水道橋博士の書籍の記載にも登場するが、大瀧さんが常連だったのは本で初めて知った。
結構なボリュームのステーキだったし、当時の私には物凄いごちそうだった。
食べながら何の話を聴いたかは殆ど記憶がないのだが、アレンジャーのTさんが「こいつ、大瀧さんの大ファンなのですけど、達郎さんも好きなんですよ。なっ!」と話を振ると、大瀧さんが「達郎ねえ・・、そうかあ・・、達郎はねえ・・」と達郎さんについて何かをお応えになった事はうっすら記憶しているが、達郎さんへのコメントの中身は忘れてしまった。
覚えているのは大瀧さんは達郎さんを「達郎」と呼んでいた事だ。私は心の中で、”そうかあ、大瀧さんにとって達郎さんは「達郎」なんだ・・、凄いなあ・・”と思っていた事と、大瀧さんの喋り方が達郎さんとそっくりなトーンなので、ひょっとしたら達郎さんの声やしゃべりって大瀧さんの影響があったのかな???何て考えながら聞いていた。

今考えると、大瀧さんの名盤、名曲の数々について根掘り葉掘り聞きたい事は山のようにあったはずなのだが、目の前のご本人にそんな事を聴いて良いのかどうかに迷っていたため、全く聞けなかった。
私のこの躊躇の理由は、それ以前に読んだことがある竹内まりやさんのインタビューに由来する。
その昔、達郎さんが初めて竹内まりやさんと仕事をした時、竹内まりやさんはSUGAR BABEのライブに出かける位、ミュージシャンとしての達郎さんが好きだったので、スタジオで出会った達郎さんにサインをお願いしたらしい。
すると達郎さんは彼女に対して、”プロの仕事の現場でミーハーな事は止めなさい”と窘めたというのだ。
私はそれを読んで、そうだよなあ・・と思ったのだ。

それでもあの時、大瀧さんが提唱していた分母分子論や作品の作られる過程なんかをご本人からお聞き出来ていればと思うと残念だ。
実際、私はご本人を目の前にして結構緊張していたんだと思う。


レストランの支払いは大瀧さんがなさった。


午後は引き続き作業を続行。何曲の作業をやったのかまでの細かい記憶はないが、
作業途中のお茶の時間に、コロンビア時代に出した作品のレコーディングのお話しをしてくださった記憶はある。
「あの、えっほえっほっていうヤツは、ここの廊下にマイクを2本立てて向こうの方から移動しながらやってもらったんだよ」とか、
「ここでねえ、デビュー前の鈴木君(ラッツ&スター)に歌ってもらったんだよ・・、達郎にもここでコーラスやってもらったしねえ・・」など、
多くのファンが聞いたら倒れそうなエピソードを現場で聞く事が出来た私はどれだけ幸せだったか・・。

録音作業で覚えているのは、AKAIのサンプラーで私が持っていたウッドベースの音を出した際に大瀧さんが、
「このウッドベース、結構ピッチいいねえ、本物だとこういうピッチにならないんだよねえ・・。これはいいねえ」と話されていたことは記憶している。


さて、変な話だが、この日の写真は一枚もない。
今考えると惜しい気もするのだが、仕事場にカメラを持って行って記念写真を撮らさせて下さいというような行為をするのは仕事の環境下では自分として良しとしなかったからだろう。
これは前述の件に由来することだ。
それはそれで正しい行動だったのだが、今となっては、自分が日本のロック史の現場の目撃者の1人となっていた事を考えると記録として写真を残しておけばよかったとは思う。


時間は夕刻近く、16時位だったと思う。
最初に入った時に見えた広い居間で音源のチェックを兼ねてプレイバックしながら休憩して時、当時中学生だった娘さんが帰宅してきた。

大瀧さんは娘さんにパパと呼ばれていた。どうやら翌日から修学旅行に行くらしくそんなお話しをなさっていた。
さて会話の途中で先ほどまで録音していた音源をプレイバックしている時、「君は天然色」で日本中に有名になったあの名物フレーズ「ジャンジャン、ンジャジャンジャン、ンジャジャンジャン」が奏でられた。

それを聞いた娘さんは間髪入れず、「パパぁ~ またこれなの??」と言うではないか!

私とT氏はそれを聞いて、心の中で「オイオイ、大瀧さんにそれを言うかぁ~」と思いながら苦笑しながら見守っていたが、大瀧さんは「いいの、パパはこれで!」と応え、娘さんにしか言えないその鋭い評論に一同は笑いに包まれたのだった。
この時の光景は鮮明に脳裏にある。
その娘さんが最近ご結婚なさったという報を聞き、私も歳を取る訳だ・・と思った次第だ。


今回のレコーディングで作った名物フレーズである「ジャンジャン、ンジャジャンジャン、ンジャジャンジャン」のサウンドは、サンプラーのオーケストラヒットや他の楽器群などのシンセサウンドを中心にして作ったのだが、大瀧さんの背中を見ながらスピーカーから音が流れて来た時は、本当に幸せで嬉しかった。

あれは言葉で言い表せないような幸福な時間だったと言っていい。

あの時の譜面の「絵ずら」は何となく記憶に残っている。結構オープンコードなんだなあ・・って思ってみていた。
作業は夜にまで及んだが、ちょっと遅めの夕食を取る頃には終了。

この日にファイナルミックスまでやったかは定かではないが、多分音素材の録音のみでミックスは後日大瀧さんがお独りでやられたのだと思う。

夕食は大瀧さんが大好きな野球でも見ながら店屋物ということで、確か、トンカツかカツドンか何かを注文して頂き、昼間に見せてくれたプロジェクターのある部屋で広島、巨人戦を見ながら皆で身ながら夕食した記憶がある。
確かこの部屋はサラウンド仕様になっていたはずだ。また部屋にはレーザーディスク類とVHS類が棚にビッシリと保管されていたと記憶している。

そう言えば大瀧さんって無類の野球も好きだったっけなんて思いながら一緒に野球を観戦していた。
当時、50inch以上のスクリーンで見ることが可能なプロジェクターの存在は非常に珍しく、私は初めて大瀧さんの部屋で体験したが、投手の投げる変化球の軌跡が物凄くハッキリと見えたのには驚いた。

とにかく大瀧さんは新しいテクノロジーを自分で手に入れて使う事が大好きだったようだ。

そうこうし、夕食も終わり、機材を撤収し、帰宅の途へ着いた。
楽器車のヘッドライトに映った大瀧さんの見送っていた姿がまだボンヤリ脳裏にある。


私の大瀧さんとの体験はここまでだ。
この時の音源が何処にあるのか? 
大瀧さんの死後、誰かに発見されて管理されているのかは私には分からない。
大瀧さんのことだからキチンと保管していただろうと思う。


大瀧さんは、お話をする時のテンポや仕事をする時のテンポは私が会った他のミュージシャンの誰とも違っていた。本当に不思議なオーラを持った方だったし、とても魅力的な方だった。
会話の端々に触れていると、音楽とそれを取り巻く環境との化学反応や現象に興味を持たれていた方だったように思う。
また本当に色々な音楽や映画に万遍なく触れているのが会話をしているだけで良く理解できた。

今にして思うと、たった1日だけだったがなんとも贅沢な体験が自分の人生にあったことかと思う。


私は宝くじやチケットの抽選には全く当たらないが、こういう運は多少あるみたいだ。


大瀧さんという偉大なミュージシャンが生きている時代に生まれた自分の幸運も含めて。




nice!(4)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

大瀧詠一さんと仕事をした ある日の出来事(2) [独り言]


私は、自分で大瀧さんのファンだとか言いながら、当時の私は大瀧さんのミュージシャンとしての来歴や全ての活動を完全に知り抜いていた訳ではなかった。
既に聴いていた音源は「はっぴえんど」関係、コロンビアから出ていた作品数枚、
そして「A LONG VACATION」と「EACH TIME」というところだ。
80年代に入って、来場者全員にFM電波で飛ぶイヤフォンモニターを装着させた画期的なライブをやっていたが、応募の抽選に漏れて入場出来なかった。確か中野サンプラザホールで開催されたと記憶している。

私が初めて「A LONG VACATION」を聞いたのは22歳の時だったが、
アルバム全体の出来の凄さに呆然とし、腰を抜かした記憶がある。
大瀧さんも達郎さんもアメリカンロックを共通にしているのだが、達郎さんとも全く違う独特なメロディーと世界観に圧倒され、本当に何度も聞いたアルバムだった。
後年坂崎幸之助氏が「君は天然色」のサウンドを解説した音声がYOU TUBEに上がっていて初めて知った事実に驚いたが、大瀧さんのサウンド構築のアプローチは本当に凄いなあ・・と思っていた。
当時にしても今にしても大瀧さんの音楽とはそういうものだったのだ。


「A LONG VACATION」が制作される過程は、発売30年後の記念イベントで自ら作ったラジオ番組風の音源で語っていたが、これについてはいずれ文字お越しをしようと思っている。
(この時の音声は「Road To A Long Vacation」というタイトルで、30周年記念時のイベントのために制作されたラジオ番組風の音声で、一時期YOU TUBEで聴けたが現在は見当たらない。素晴らし番組だったので残念だ。)


大瀧さんがコロンビア時代に発売したアルバム群はご本人が認めているように実験的な要素も多く、
一般的に訴求しにくい内容であったため、結果的に余り売れなかった。
そのため1970年代後期の時点で大瀧さんが経済的に困窮していた事実は、後のインタビューで知った。

コロンビアとの契約を満了する最後のアルバム「LET'S ONDO AGAIN」がリリースされると時を同じくして、ON・アソシエイツ音楽出版のプロデューサー、故・大森昭男氏が大瀧さんに依頼し続けたCM音楽は、大瀧さんが考える次の時代の自分の音楽を発見する機会となり、これによって作品を貯める事が出来、やがてこの時期に作った音楽群が「A LONG VACATION」となって花開く過程は、後年、「A LONG VACATION」の30周年記念のイベント用の番組でご本人が語っていた通りだ。(掻い摘んで言えば、3年近くの間に依頼されたCM音楽の制作過程でアルバムの作品の骨子や方向性をつかみ、それをまとめたのがA LONG VACATIONだったということだ)


実は当時の私は、大滝さんとは初対面ではなかった。
ボーヤ家業を始めた1984年春、今は無き六本木ソニースタジオのロビーでで何度かお見掛けしていたからだ。
しかし面と向かってお話しする機会は今回が初めてだった。

大瀧さんは非常に包容力のある感じで出迎えて下さった。

一般的な意味でいうプロのミュージシャンにありがちな、相手を値踏みするような、ちょっと神経質そうな空気を細胞から発するような感じはなく、ごく自然で普通の感じを持った人と会う雰囲気だった。
確か、「遠い所をわざわざすまないねえ・・」みたいな事を仰っていたかもしれない。

ハウスの奥側にあった部屋には、あの有名な16チャンネルのアナログレコーディング出来るスタジオがあった。
これが噂の大瀧さんの自宅スタジオ「福生45」かあ・・と思いながら、持ってきた機材を搬入してセッティングした。

セッティング後、大滝さんはご自身の仕事場を一通り見せてくれたような気がする。

レコードコレクターとして名に恥じないコレクションが陳列していたレコード部屋、
録画された大量のVHSテープとレーザーディスク(まだDVDは無い時代だった)で占められた部屋、
当時はまだ珍しいかった50インチプロジェクターでテレビを見る事が出来る部屋など、
大瀧さんに関する噂の出どころとも言える伝説的な部屋の数々を目撃することになった。
確かテレビ室は当時では珍しい衛星放送も見る事が出来るようになっていたはずだ。


大瀧さんは自宅のスタジオでシンセやパソコンを同期させた形でのレコーディングした事がなかったので、
この日に進めたい作業の中身の概要を大瀧さんから聴き取り、
我々からこういう方法なら進めらそうですと伝えながら進行していったと思う。
と言っても、元々機材オタクの大瀧さんなので持ち込んだ機材に対する飲み込みは速かったと思う。

大瀧さんの自宅スタジオは小ぶりのコントロール・ルームとボーカルが録れるブースがあった。
コントロール・ルームはコンソールと16チャンネルのテープレコーダーがあり、
プロのスタジオにもあるようなコンプレッサー機器などもあったと思う。

このコントロール・ルームにあった主要機材は、コロンビアとの12枚の契約時の契約金を原資にして
手にいれたものだったようが、当時はそこまで知りえなかった。
印象的だったのは、丁度デジタル録音機器が出始めた時代だったので、SONYから発売されていた持ち運び可能な業務用のデジタルレコーダー(シルバーで1辺20cmもないくらいの四角い機器だったような・・)と出始めたばかりの民生用のDATデッキがあったのを記憶している。当時はプロのスタジオにもまだ民生用のDATデッキが常設される前だったので、大瀧さんの機器へのアクセスはかなり早かったように思う。


つづく。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。