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音楽著作権侵害裁判で活躍する「音楽分析官」とは? [独り言]

 

以下は、ネット版ローリングストーンズ誌の記事の一部を翻訳したものだ。

 

本来は記事の翻訳行為は翻案権を必要とするが、一定範囲内の引用をした上で評論すれば著作権法上の問題ないのでその体裁で本記事を書く。

 

元の英語の記事:

https://www.rollingstone.com/music/features/music-copyright-after-blurred-lines-experts-speak-out-w518206



ここに記載されている内容の概要については、日本でも報道されているが、その詳細な中身までを解説した記事は見当たらない。なのでここで書いてみようと思った。

この裁判は今後の作曲家や作詞家に少なくないだろう影響を与えるだろうし、特に日本の作品がアメリカ側の視点で引っかかったら相当な損害になる事は火を見るよりも明らかだ。実際日本のヒット曲のネタ元はアメリカの作品が多いからだ。
そういう意味に日本の音楽業界人は注意すべき内容だと思う。

 

まず本記事の趣旨は、①"Blurred Lines"という楽曲に対してMarvin Gayeの遺族が著作権侵害で訴えた事、②音楽分析学という職種がクローズアップされたこと、③更に著作権侵害には「曲の雰囲気」や「イメージ」が含まれるという驚愕の判決が下った3点だ。



(記事引用)

2015年3月、陪審員らはRobin Thicke, Pharrell WilliamClifford "T.I." Harrisらに対して彼らが作曲したという"Blurred Lines"Marvin Gayeの古典的名曲"Got to Give It Up,"の著作権を侵害したと評決を出し、Marvin Gaye側は、数億円の富を得ることになった。しかし、音楽業界関係者によれば、"Blurred Lines"の3月の上訴審での判決は、音楽分析学(forensic musicology)という小さな分野で働いている人々のより大きな影響を与えるだろうと言っている。

この論争が始まって以来、人々はforensic musicologist(音楽分析官)という仕事が一体何であるのかを知りたがっていたと、20年に渡ってこの分野で働き"Blurred Lines" の事件でも専門家の一人として携わり、Sandy Wilburは語る。

「この2年間は私にとって一番忙しい時期だったよ」。

 

彼を忙しくしていたのは、"Blurred Lines"のように明確な著作権違反がメディアに煽られたことによるものであったことは疑いの余地がない。
イギリスのロックバンドであるLed Zeppelinの“天国への階段”のように音楽分析官の助けによって著作権裁判に勝って逃げ切ったようなケースもあった。

しかし、、"Blurred Lines"の評決は、音楽業界に対して創造と模倣の線引きがどこにあるのかについて非常に大きな不確実性をもたらしたといえる。

また法廷弁護士や音楽分析官もどきの連中たちは、こうした流れを新しいビジネスに変えようとしていた。

 

記事はMarvin Gayeの遺族がRobin Thicke, Pharrell WilliamClifford "T.I." Harrisらに対して彼らが作曲したという"Blurred Lines"Gayeの楽曲の著作権侵害をしていると訴え裁判に勝ったというものだ。

ここで現れたのが聴きなれない業務をしている人間だ。英語ではforensic musicologistと書いてある。Forensicとは鑑識を指し、musicologistとは音楽分析をしている人のことだ。そのため私は音楽分析官と訳しておいた。日本には公式には存在しない職業で、私もこの記事で初めて知った職業だ。

 

音楽分析官についての記事(英語):

https://www.theguardian.com/money/2015/jan/20/how-become-forensic-musicologist

 

上記の記事を要約引用すると、音楽分析官とは、作家や音楽出版社への楽曲に関するアドバイス、また著作権裁判になどにおいては対立する楽曲を分析し、類似や相違を科学的、音楽的に行いコンサルタントを行うのが仕事だ。過去から現代に至るまでの幅広い音楽知識や広範な教養を必要とするとのことだ。


さて本編の記事を読むと分るが、今回の分析には驚くべき内容があった。

 

(記事抜粋引用)

'Blurred Lines'の判決以降、弁護士のクライアント(ミュージシャンたち)から“(自分の)この曲はあの曲に似ていると思うがどうか?”という電話が増え始めたとL.Aでエンタテイメント専門の弁護士としてDanger Mouse Public EnemyChuck Dら の著作権関係のクライアントを務めているKenneth Freundlichは語っている。

この事件がキッカケで、音楽分析系の仕事が激増したよ。

 

イギリスにあるボストンバークレー音楽院のJoe Bennettの説明によれば、表面的に言えば音楽分析官の仕事は2つの曲を具体的に比較する事が仕事で、第一に、“客観的な類似性”、第二に著作が持つ“雰囲気の類推“を行うことだ。

音楽著作権に関する訴えがあった場合、原告被告の双方は普通音楽分析官に電話をし、問題の2作品を分析し、歌詞、メロディーやリズム、アレンジや演奏、コード進行やハーモニーに至るまでの詳細を調べる。もし不明瞭な疑義が生じれば、スペクトラム分析を実施してデジタルの指紋ともいうべき2曲の波形を見て解明を試みる。

 

音楽分析官の仕事とは、原曲と新しい曲をあらゆる部分(メロディー、歌詞、リズム、コード進行、雰囲気)で比較して類似性を探し出すことだという。また不明瞭な部分は波形を使った比較を行うという。こうした仕事には専門的な音楽素養が必要であるという。

さて、実際に裁判ではどのような分析になったかが興味深い。

 

(記事抜粋引用)

実際"Blurred Lines"のケースでは予想外の展開があった。
音楽業界の専門家によれば、陪審員は、2曲の間の二次的な類似性を根拠に、通常の法律上保護されている歌詞やメロディーやその他の要素ではなく「ノリ」と「感じ方」を法律的に認めたかのように(判決を)行ったと語る。

 

"Blurred Lines"の被告側の証言をしたWilburは、'Got to Give It Up'のどのパートと比較しても2音連続で同じ音符は無かったと語った。

上訴審においては2対1で、3人の裁判官のうち1人は我々の主張に完全に同意してくれた。彼女は私と同じように、この判決によって「ノリ」と「感じ方」が著作権侵害の要素になってしまうことに恐れを抱いていた。

 

ここで問題になっているのが、科学的に定量的に推し量れる証拠ではなく、定性的で感覚的な部分が証拠に採用され判決が下された点だ。これは日本の著作権訴訟における判決とは異なる部分だ。

日本において有名な裁判は「記念樹裁判」だ。

「どこまでも行こう」という楽曲の後発となった「記念樹」という楽曲がどこまでオリジナルでどこまでが著作権侵害なのかを争ったものだ。この裁判の記録を読むとかなり科学的に煮詰めた領域に限って検討されており、両曲の音符の類似性を数値化して判断している。
従ってアメリカのように「ノリ」と「感じ方」は証拠として一切採用していない。
日本での裁判は「記念樹」に剽窃を認め、原告の「どこまでも行こう」が勝っている。

アメリカの判決のように「ノリ」と「感じ方」が著作権侵害の要素とするならば、リズム構成、テンポ、楽器の使い方などを分析すれば説明できる。何となく似ているではなく、ここは似ている、ここは似ていないを裁くのが裁判ではないのだろうか?と思うが、アメリカは陪審員が評決を出すのでどうしてもそうなるのだろう。

さてアメリカの裁判に関わった関係者の一人はこう語っている。

「私はアーティストは賞賛に値すると思っています。ですから彼らと同じような感覚やスタイルを踏襲したいと思うでしょう」

しかし彼はこのように付け加えた。

「そのことで私は訴えられるのでしょうかね?」

 

この人物の言いたい事は誰の影響も受けずノリや雰囲気も全くオリジナルの音楽以外は存在できないという意味なのか?という事だ。


 

(引用記事)

不確実性のためにアーティストたちやレコードレーベルは作品をリリースする前に著作権侵害のリスクの可能性について、これまでになく作品の鑑定を強化する必要性に迫られている。

'Blurred Lines,のケース以降、やり方が全く変わってしまった。レーベルの側が自分たちで楽曲の鑑定が出来ないようば場合、私に依頼するケースが増加している」とWilburはいう。

「楽曲が発売される前の段階で、その楽曲が他の曲と似ていないと証明することを求められるのさ。レーベルの連中は相当慎重になっているよ」と付け加えた。

"Blurred Lines,"以前は、発売前の楽曲のリスク評価などという事は聞いたこともなかった。だが、レーベルや映画スタジオで働く音楽分析官たちにしてみれば、以前に比べて格段に神経質になっており注意を払っているという。

「音楽分析官が分析に関わる前に、法的な問題がありそうな楽曲は、実際に対応可能な反論や問題があるかどうかが分かります。 今のところ非常に曖昧さが多いのです。コード進行に似た点はないが、他の曲と雰囲気が似ているような場合、(曲の雰囲気を)変える選択をした方が無難ということになるのです。」

 

判決が混乱を与えているのは明らかに定量的ではない部分が違反だと言われているからだ。ノリや雰囲気が著作権侵害であると言われれば、ロックンロールやブルース、ジャズなどの定型化されたジャンル音楽は全て著作権違反という事になりかねない。そういう意味でこの判決が今後著作権侵害のスタンダードになるのかは微妙だ。

Gayeの裁判では遺族側が勝訴をしたが、だからと言ってGayeの音楽が全く過去の作品やアーティストから何の影響も受けずに全てがオリジナルだった訳ではない。極論すればJAZZやリズムアンドブルース以降の音楽の全ては何等かの意味で過去の作品やミュージシャンの影響の上に成り立っている。
実際完全なオリジナル作品の方が皆無と言っていいだろう。それでも影響下の中に個々人のオリジナリティーを発揮し、ポピュラーミュージックは成立しているし、適度な影響であれば問題ないとしてきている。

そういう意味で記事の最後の言葉が一番腑に落ちるという感じがした。

 

もし'Blurred Lines'の裁判が正当化されたとすれば、ほとんど全ての楽曲に対して訴訟が起こるだろう。つまり全ての楽曲は他の楽曲と繋がりがあるからだ。だって我々は皆、過去の音楽に影響を受けているからね。

 

この文章の言う通りだと思う。

人間が通常で歌える音域は2オクターブもない。つまり鍵盤24個分にも満たない中での順列組み合わせがメロディーの持つ数的な限界だ。その中で人間が良いメロディーと感じる音符の組み合わせ数は更に限られてくる。
全世界に数十億人がおり1950年代以降のポップミュージックの隆盛から約60年を経て似たようなメロディーに全く出会わない確率の方が数学的にあり得ないだろう。その限られたパターンの中で人間的なオリジナリティーがせめぎ合う。ミュージシャンは音楽の可能性は無限というが、表現的な可能性はともかく、音符の順列組み合わせには自ずと数学的限界があるのは自明の理だ。

楽曲の著作権侵害は剽窃の度合いの認定が難しい分野だが、結局は定量的な見地で判断するしかないだろう。
前述したように定性的(ノリや雰囲気)を主眼にすれば、JAZZやリズムアンドブルース、ロックンロールなんて全て著作権侵害になってしまう。Chuck Berryの"Roll Over Beethoven"とThe Beatlesの”I'll saw her standing there”を比較してThe Beatlesが著作権侵害をしているかを考えてみればそのおかしさが分かるだろう。

"Blurred Lines
“を聴いてみたが"Got to Give It Up,"を下敷きにしたのは確かだろう。あれを完全な新作でオリジナルだというのは確かに言い過ぎだと思う。

しかし何をもってオリジナルと言えばいいのか難しい。先のChuck BerryとThe Beatleだけを見ても楽曲だけにフォーカスを与えれば、この世のほとんどの楽曲が孫、ひ孫のようなものだからだ。Marvin Gayeにしても過去の作品や音楽の歴史に支えられて上で音楽を構築していた部分があるだろう。Marvin Gayeの全ての作品が全く過去の下敷き無しで作られたはずもなく、Marvin Gayeだってそういう仲間の一人なのだ。そうなると"Blurred Lines“が"Got to Give It Up,"に似ているのは著作権侵害と言えるほどの罪なのか?という話にもなる。

Chuck BerryとThe Beatles、また他のロックンロールやブルーズなどを含め、俯瞰的な議論が必要だろうと思うが皆さんはどう思いますか?


そういう意味で、影響を受けた作品と影響を与えた作品の線引きは難しく、お互い様と割り切った方が建設的なのか?それとも、曖昧な線引きを見える化するために裁判で決着をつけるのが良いのか? 

これからますますオリジナルを名乗るのが難しい時代に何らかのルール化が求められる時期なのだろうと思う次第だ。


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