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仕事の出来ない定型例 田中真紀子文部科学相に見る治らない欠点 [独り言]

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 大抵、社会で仕事の出来ないと言われる人の典型的パターンは田中真紀子文部科学相の大学設置問題に関する言動に象徴される。
この問題には2つの側面がある。1つは、現行の大学設置過程問題の是非、2つめは問題点を見据えた現行の設置認可作業の是非だ。
田中真紀子文部科学相の問題提起は理解できる。その点は異論ない。改善の余地がありそうだ。今回の騒動のプラス面は、大学設置過程の問題点が一般に知れた事だろう。

しかし仕事の出来る人間であれば、この課題を克服するために、どのような要件や条件があり、それらをどのような流れで克服すれば課題を解決出来るかと“先”に考えるだろう。

今回の彼女の行動にはそうした深淵さは皆無だ。ひょっとしたら田中大臣を嫌う文部官僚の巧妙な罠に引っかかったという見方もあるが、そうであっても元文部官僚で自分に近い人脈にそれとなく確認すれば罠にかかることもないだろう。
官僚と渡り合うなら相当な頭脳と慎重さで対応するしかない。


田中真紀子文部科学相の思考回路を推察するなら、以前から大学設置過程に問題を感じていた→文部科学相になったから早い内にこの問題を自分の手で仕上げようと思っていた→政権がいつまで持つは分からないから早く対応したい→丁度事務方から開設認可に対応する案件の提示を受けた→現状の案件を否認することで課題を克服できると思った→これによって問題を解決し一定の功績を上げられるだろう・・・という凄く単純な思考回路だったろう。
複次方程式もロクに解けない政治家が、独りよがりで問題解決を試みると喜劇的な悲劇が生まれるのだ。

田中真紀子氏が田中角栄氏の元でお嬢ちゃん育ちをして来たのは傍からみても分かる。子供の頃から相当な地位の大人たちが頭を下げてくれていたのだろう。勘違いするなというのも難しいかもしれない。田中角栄氏の政治行動の是非は様々あるが、真紀子氏が角栄氏の影響を排除して何かをなし得たかと言えば疑問符が付くだろう。

彼女の言動には、どちらかと言えば進捗中の仕事を邪魔するような行動が目立つ。会社にも自分が関知していないとプライドが傷ついたようにちゃぶ台返しをする上司がいるが、これはそれに近い可能性がある。
一時は次期首相候補とまで言われたが、そういう愚民的発想が成就しなくて本当に良かった。

仮に彼女が首相なんぞになったら日本は本当に滅んでいただろう。候補に考える連中の目利きの悪さも程がある。
あの変人の小泉元首相ですらも、途中から関係性に距離を持った事を見ても、世間で見られているよりも全然仕事の出来ない人間なのでしょうし、今回の一件で十分理解できた。

今回の彼女の問題点は明らかだ。必要な情報を綿密に収集せず、要件を見極めず、誰にも自分のやり方や考え方を担保させずに独断専行で発言し実行しようとしたからだ。根回しが全てじゃないが、自分のやろうとすることが正当で事故にならないか位は、社会人の仕事のいろはのいである。

こういう人間を社会では仕事の出来ないヤツと言っている。会社にもこういう傾向の人間が居る訳だが、大抵は外されて行く。

仕事の出来無さ加減では社会党の福島瑞穂氏も同じだが、党は違うが純粋ぶりを発揮して猪突猛進する様はそっくりだ。
理念と現実が混在しているのがこの両氏に共通する。女性は左脳と右脳を結ぶ
脳梁が男性より太く、両脳の情報の行来きが激しいことが知られているが、どうやらこの二人は激しすぎて混線しているようだ。

田中真紀子氏は自分では非常に良くやっていると思っているに違いない。しかし何時も論点が矮小しており、大きな目線から自分の論点を見ているようには全く見えないのが特徴的だ。
自分目線と感覚だけでしか判断できないところが彼女の特徴的欠点と言える。

今回の件だって、以前から大学の設置過程には問題を感じており、少子化時代での大学設置や運営について、改めて調査をし、現行までの募集案件については容認するが、次回以降の設置募集からは規準を早急に見直し、認可過程を大幅に変えて透明性を高めるつもりだ・・とか何とか言えば済むことだ。
次回までの認可体制構築までの時間も稼げるだろう。ただ、彼女の中に解散日程への不安があり、自分がこの問題を解決できるまで大臣で居られるかどうかが不安だったと考えていたかもしれない。それが功の焦りを生み、失言になったとも考えられる。ただい、いずれにしても大臣だ。会社の役員がこの程度だったら会社が倒産するか、役員を解任されるだろう。

また、こういう人材を大臣に配属させた野田総理の人を見る目の無さも問題だし、民主党の人材の無さも悲しいほどの現実だ。
劣化する人材は政治の劣化と直結している。
今後、経済成長の停滞や、格差の更なる広がりが金銭を仲介とした資本主義の自明の理として避けられない現実になる中、政治に関わる人間の能力は最後の砦だと考えて欲しい。

またマスコミも、大学設置関係者の感情的な部分だけを報道するのではなく、大学設置認可の問題点や田中大臣が今回どのような心理で不認可発言をしたのか、文科省は経緯の前後、どのように対応しているのか多角的に検証して報道して欲しいものだ。
マスコミは直ぐに「受験者が可哀そう」みたいなお涙頂戴的な部分だけを強調するが、そうした面あるにせよ、もっと俯瞰した総合的な情報として見せてもらいたい。
それが取材であり、報道ってもんでしょう。記者クラブで得られる官庁情報だけでニュースを組み立てているだけじゃ、ジャーナリズムとは言えません。

まあ、政権もそんなに長くないのだろうが、法務大臣の次に文科大臣の更迭じゃあ仕事にならんだろう。それともそんなに簡単に大臣が代わっても変わらないのなら、大臣なんていらないじゃないの?




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