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ポスト資本主義を考える時代へ [独り言]

 桑田佳祐氏のソロアルバム「ROCK AND ROLL HERO」の中の同名楽曲の歌詞に以下のようなフレーズがある。著作権処理規定の問題があるので掲載は避けるが、要するにアメリカは自分にとってもはやHeroでなくなったが、日本国民は未だに彼等に従順である・・といった内容だ。


この曲が書かれたのは
2001年で世に出たのは2002年だ。桑田氏の感性は時代を超えて常に素晴らしいが、私自身が歌詞に書かれたような感覚を肌で感じたのは2008年9月のリーマン・ショック以降だった。この歌詞が金融危機を予感して書いたということはないだろうが、私のアメリカに対する見方はこの日以来180度転換した。


金融危機 (1)_S.JPG

六本木ヒルズにあった

リーマンブラザースの社看
倒産と共に無くなった。
(2008年9月20日撮影)



 

音楽業界に居た人間の殆どは西洋大衆音楽、つまりロック、ポップスなどを通じて西洋文化に感化された人間が多い。私もその一人だ。そのため若い時代は比較的無批判に西洋文化に馴染み、また迎合する傾向が強いとも言える。
さらに言えば合理的な西洋諸国の考え方、個人主義主観、利己的な欲求を満たすための合理主義は一時的に私を感化し、日本的村社会の考え方や行動様式に違和感を覚えていた時期があった。特にロックの分野は西洋の方が圧倒的に進んでいたため、どうしても従属的な感覚になりがちだった。

開国以来の西洋文化の流入と明治政府の樹立、そして第2次世界大戦での敗北は、日本の西洋志向を決定的とも言える形にした。それによる恩恵をカリソメの満喫をしていたのが1970年~1980年代だったと言えるかもしれない。高度経済成長とバブルの崩壊へと向かう一連の時代は、その後の日本経済に影を落とし始めた。


金融危機 (3)_S.JPG 失われた
10年と言われた1990年代を経て、2000年代に入ると小泉・竹中による構造改革という名のアメリカ追従型政治が、違和感を持ちながらも日本国内に明確に浸透した。インチキな根拠で始めたイラン・イラク戦争に自衛隊員を送り込んだ政治判断は犯罪と言える行為だ。

しかし
2008年のリーマン・ショック後、アメリカが標榜してきた自由資本主義経済には根本的な欠陥が有ることがリアリティーに世界中で認知できるようになった。もし自由資本主義経済が多くの信奉者の言う通りならアメリカは今のような不幸な国になっているはずもないだろう金融で立国を果たそうと考えたアメリカの戦略は世界に毒をまき散らしたとも言える。


WE ARE 99%」なんて言い出すアメリカ人を見ていると、弱肉強食や利己主義の集積こそが国家の力の根源と信じて来た連中の末路として、今の現実を彼等はどう見ているのだろうか? 負け組に入ったのでちょっとルールを変えませんか?というだけなら彼等は永遠に回答には近づく事はないだろう。

ソ連崩壊と共に共産主義は崩壊したが、資本主義も明らかな崩壊を見せ始めている。誰かが意図的に自由を暴走させ、一部の人間にのみ利益供与をする社会構造を生む事が目的だとすれば、これを推し進めた人々にとって大成功と言えるだろう。ただ巷で言われる資本エリートによる世界支配というような陰謀めいた話は確認がしようもない。いずれにしてもポスト資本主義を考える時代だと言える。


金融危機 (2)_S.JPG世界人口が50年後に100億人に迫る中、自由資本主義経済の基本理念が極端な人口増加時代に機能するのかは本気で考えなおした方がいいだろう。
椅子の取り合いは周り回れば誰かに椅子を取られる運命にある。

アメリカ型のマネージメントの象徴である成果主義、コンプライアンスなどが国内の様々な会社内で実子されている。管理サイドとしてある意味で都合が良いこうしたルールは、結局の所アメリカにとって一番都合から推進されているだけなのだ。
四半期決算なども、短期的業績評価によってマネージメント力を評価しする訳で、本来は会社の健全性を見る家計簿的な扱いなのにも関わらず、短期成果で経営者の能力を判断する通知簿となっているアメリカのやり方は、経営者に長期展望を許さず、結果的に社会を疲弊させている。こうしたやり方は時間をかけて日本の方式に転嫁して行く日本社会が歴史的に持つ環境とは相容れない。

以前会社は株主のモノと言った輩が居たが、会社は一端作ったら社会への帰属を免れないのだ。

 

金融危機 (4)_S.JPG グローバル化に立ち向かうために日本の国際標準で戦わなくてはならないという理屈を言う人がいる。一体グローバル化とはなんだろう? 
私には単に欧米の都合にしか見えない。日本は歴史的に見ても、非常にユニークな文化や社会を時間をかけて営々と築いて来ている。昨今日本が弱くなった理由は、過去の歴史に学ばず自分達の祖先の営みを否定し、立ち位置を見失い欧米のやり方を咀嚼せずに受け入れ過ぎたのではないだろうか?

ここ10年、韓国との仕事を通じて驚かされるのは、彼等はとてもアメリカ人に近い人種だということだ。キリスト教の広がりの大きさも似ているし、家族に対する愛情が深い点も同様だ。ただ個人主義的な面が強い国民との印象があり、加えてソウルなどの車社会はLA並だ。

歴史的に中国の支配下が長く、地続きのために侵略を受けた歴史が長く、儒教思想という封建主義を長く続けたお陰で、国内に産業らしい産業が発達しないまま97年に破錠した彼等が、その後国力を上げるために邁進した結果、サムソン、ヒュンダイなどの成功例を出し始めながらも、エリート階層と一般民衆の間に決定的な格差を生じさせてしまった。
そのため、日本的に視点ではかなり優秀な人材も社会から脱落するような構造になったため、国全体で俯瞰してみると、言い知れぬ閉塞感がある。日本で言うと会社員として働き、40歳位になって部長クラスの壁を超えられないと、会社から出て自立しなければならないという雇用実態は、韓国社会と日本社会の大きな違いである。日本人から見ると、韓国社会はかなり厳しい人生を生きているように見えることすらある。これでは個人主義になるもの仕方ないかもしれない。

 韓国のエンタメ業界の人間は、色々な人材の宝庫だが、そのためか金だけが全てのような連中が数多く、平気で会社の金でマンションや車を買ったり、持ち逃げして消えるような連中も多く、実に信用するのが難しい。


またタレント招聘に伴う法外な報酬と待遇の要求は日常茶飯事である。日本側は市場的な期待からこうした連中の要求を容認しているが、そろそろこの手合いとの付き合い方は考え直した方がいいだろう。社会環境が厳しいため、個々に余裕がないのは理解できるが、余りにも酷い例が多い。
ただし誤解の無きように言うが、韓国のエンタメ業界の中にも本当の稀だがキチンとした考え方や仕事をする人間も存在する。ただ本当に極稀である。 

 ところで私は国粋主義者ではない。そんな私ですら日本国の歴史が気になり始め、数年前から日本の歴史を自分で紐解くようになった。当初はこの衝動が何故だか全く分からなかったが、最近その根本原因に日本国民のアイデンティティーに私自身が非常に飢えている事がハッキリしたのだ。私はどんな歴史集積の末に自分が生きているのか本気で知りたくなったのだ。

日本の歴史に学び、我々自身がどのような過去を蓄積して現在に至るかを再認識する事こそが、今後の日本再生への鍵だと思い始めたのだ。しかし現在の日本の教育現場はこれを大きく阻んでいる。
中谷巌氏の著書を読むと私の想いが代弁されているようだったが、こうした考えを持っている人は国内に多数いると感じている。

グローバル化の中で日本人の立ち位置を明確にしながら世界とつながる部分と切る部分をクリアーにした方が良いと思う。戦後の焼け野原からたった数十年で復興し世界の先進国となれるほどの力を我々は持っているのだ。今後日本の人口が減少を止められないとすれば、歴史的継続が崩壊する恐れさえある。本当にそれで良いのか我々は問い続け、必要なら大きく行動に出るべきだろう。ただ残念ながらポスト資本主義に変わるシステムは発明されていない。


BUT IT’S ALL UP TO YOU. 


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コメント 4

ペンネーム

FOXニュース
by ペンネーム (2012-08-19 23:29) 

内山 隆司

ただ残念ながらポスト資本主義に変わるシステムは発明されていない。
E-mail eals12waa11@hotmail.co.jp
生産の共有化主義を見てください。コメントをください。
今後 ポスト金融資本主義について話相手になってください。
http://www.waa-skype.com の3項目にあります。
by 内山 隆司 (2013-03-22 08:11) 

コロン

>ただ残念ながらポスト資本主義に変わるシステムは発明されていない。

それはその通りですね。貨幣という価値の流通システムの発明は画期的過ぎて代替方法がないのがポスト資本主義が見つけられない根本なのだと思ってます。特に地球全体での価値の流通が増加傾向の今日は、一層貨幣資本主義が進むでしょう。こうした場合、環境差、地域差が出てきて不利な場所や民族が必ず存在してしまいます。
また、人間の「欲」への抑制が一定範囲内に管理出来ないというのもポスト資本主義を阻んでいると思います。アメリカのように超富裕層が金に糸目をつけないで政治に介入して法律を自分たちに有利な方向にネジ曲げるという現象は、不正常に資本主義歪める大きな原因だと思います。今のアメリカはこれによってSFのように富による支配者と被支配者に分断され始めておりますから。

こうした問題を突き詰めて行くと哲学的な世界も登場してしまうのですが、まず何らかの方法で富の偏在を現在よりも低下させ、一定の富の再分配を機能させるのが最初の一歩だと思います。ただ共産主義や社会主義のような極端な富の分配と同等化は既に失敗してますし、極端な資本主義的なアプローチも社会が不安定になるのが分かってますから、いずれにしても資本主義的手法でも、この中間の方法論になるのだと思ってます。でもマクロ視点とミクロ視点のズレもあるのでなかなか難しい問題だと理解してますし、どの程度の再分配(つまり富裕層への増税とインセンティブのバランスを取るのか?という点)が適切かは時代を経て検証しなければ分からないでしょう。貴重なコメントありがとうございした。
by コロン (2013-03-28 10:53) 

内山隆司

0297-45-3332,3330
電話してください
私のホームベージに載せてください
alsmoriy@trust.ocn.ne.jp
by 内山隆司 (2013-12-17 02:02) 

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