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CDが売れない時代にCDを売る方法はあるのか? [独り言]

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元音楽業界人のただの独り言である。

正直言えば、タイトルの答えは、「ない」。正確に言うと、1997年のピーク時のように売る事はできない。

厳しい言い方をすれば、2000年代に入ってから、レコードメーカーは、CD以外に売るものを考えて来なかったのか?という疑問にぶち当たるのだ。
2018年3月にアメリカのベストバイがCDを扱わないという報道が出た。



また、ドリカムの中村さんのCDの売れない事がいかにミュージシャンに打撃を与えているかについては読むと衝撃的である。



それでもこのテーマで書くのは、やり方によっては可能性があると思うからなのだが、これまでとCDに対する考え方変えないと難しいだろう。

その答えを先に言うと、今後CDはマーチャンダイズ、つまりアーティストグッズの1つとしての生き残りしかなく、「作品」という純粋な形では生き残れないだろうという事だ。
レコード時代からやってきたミュージシャンたちには大変に辛い話だが、今後彼らの作品は配信を中心とする時代にならざるを得ない。某レコード会社のあるレーベルの人間は、年間80億円の売り上げのうち、50億円は握手会の売上だと言っていたから、もはや音源の価値が分かるだろう。
アップルミュージックやスポティファイでは、日本のメジャーアーティストの音源を探すのにまだ一苦労する時代だ。2018年秋になってユーミンがスポティファイでサービス開始をし始めたが、旧作が中心であり、そういう意味で日本のミュージックビジネスシーンは周回遅れと言っていい。


ミュージシャンや関係者には大変な変革期だが、もう時代とユーザーはCDを欲していないのが現実なのだ。
(私は今後もCDを買うと思うが・・・)

そもそも簡単にコピーされる商材には価値がないし、音源そのものにも価値を見出してもらえなくなってしまったている。
mp3の出現と、ituneとYou Tubeの出現はレコードメーカーの息の根を止めてしまったと言って良い。
特に音楽を薄利多にしたのは明らかにituneだ。
ジョブスは音楽業界を破壊したと言っていい。でも音楽ビジネスは明らかに変貌を余儀なくされている。
それでも音楽出版権にはまだチャンスがある。今後音楽ビジネスに光があるとすればパブリッシャービジネスだろうと感じている。

振り返れば、2000年代初頭、故プリンスが、自分の新作CDを新聞か何かの付録として頒布し話題になった。
また2017年7月、『「CD売るの、辞めました」 アイドルグループ「notall」がCDを無料配布する狙い』という記事がヤフーニュースに上がっていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170725-00000092-zdn_n-sci

また、先頃こんな記事もあった。
 ジャニー喜多川社長の“CDデビュー打ち止め”発言にJr.らが将来を不安視https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170522-00009690-jprime-ent

遂にといった感じだ。誰がどう考えても1997年をピークとしたCD市場が戻る事は絶対にない。ここ数年アナログブームというが、まだ年間200万枚にも言ってない。市場規模として80億にもとどかないのだ。

実は私は天邪鬼なので、最近よくCDを買う。ipodも故障し携帯ツールで音楽を楽しむ事が困難になったからだ。
家でもipodなんかで聴かなかった。従って私にはCDラジカセが一番だという結論になり、今後は聴きたいアーティストのCDだけ買う事にした。なお、私のような人間は稀だ。明らかに時代に逆行している。

私のような年齢になると時代の最新ツールも必ずしも便利ではない。
昨今アナログ盤が普及していると聞くが、昨今のアナログ盤の普及は、正当なステレオ機器の普及にまでは到達していない。現代の若者が使っているレコードプレーヤーは機器にスピーカーが付属していたりして、アナログプーレヤーとしては全く機能的なメリットがゼロなのだ。レコードプレーヤーでキチンと音を拾おうと思ったら、レコードがカートリッジの針に与える振動以外の振動をプレーヤーに与えてはならない。だからプレーヤーにスピーカーが付属しているなんて音質的にはあり得ないのだ。昨今の若者でレコードプレーヤーを使っている人たちはそういう基礎ロジックを余り知らないのだろう。
まあ、「アナログ風」な音を楽しむ程度ならいいかもしれない。

それでも多少の先祖返りが起こったのは、配信で音楽を楽しむという部分に物足りなさを感じたのか、アナログ盤を単に今の世代が新しいと感じただけなのだろう。多少の復活を見せるアナログ盤だが、往時の勢いを取り戻す事はあるまい。

さて、80年代のMTVという動画の出現は、当初広告効果があったが、You Tubeに時代が変わり音楽への想像力を奪い、安価なものにしてしまった。

ついでに言えば、日本のレコード業界はCDのビジネスモデルからの脱却に殆どのメーカーが何ら対策を打たず、(対策していたいのはエイベックスとソニーミュージックの一部の方々)、漫然とこれまでのビジネスの延長線上に居座り、挙句の果てにAKB商法を蔓延らせて音源そのものの価値までも下げてしまった。レコードメーカーは、対策を取る時間が十分あったのに、目の前のビジネスに必死過ぎて未来への備えを怠ったと言える。

2017年代に入っても、レコード会社の社員評価の指標は、担当のCDを何枚売ったのか?、オリコン何位だったのか?ということらしい。この時代にまだそんな感じなのが信じられない。
レコードメーカーの連中には未来が見えていなのか?

残念ながらCDを買う層は、50代以上が中心で、私を含めたこの世代が死んだらほぼ完全に絶滅する。
それ故、現在においてもCD音源を作り、売る価値のあるアーティストは、そういう世代に訴求する人たちに限られるだろう。しかしそういうアーティストは決して多くない。

実際、比較的CDの売れるアーティストでも、オリジナルアルバムの売れ行き数よりも圧倒的にライブ動員が多い時代なのだ。 アルバムが5万枚しか売れなくても動員20万人なんていうのが当たり前の時代だ。
仮にミュージシャンが100万円を稼ごうと思ったら、CDアルバムだと13,000枚程度売れないければならないが、ライブなら600-1000人の動員でその額を稼ぐ事が出来る。
余り音楽ビジネスに効率的を考えたくないが、音源ビジネスは以前に比べて費用対効果が悪すぎる。
だから旧態依然としたレコード産業には全く未来はないと言い切っていいだろう。

私のようなレコード時代を愛する人間にはとても残念な現実だが、それが厳然たる現実だ。
当然若い連中はこの業界を目指さず、悲しいかなロートルの巣のような職場になっている。
そのため、年寄が自分たちの若い時代からの知見に優位性を誇って若い連中を虐げるような労働環境にならざるを得ず、結果的にそんな業界に未来があろうはずもない。

今の若い連中が、特別なオタクを除いて我々以上の世代のようにロックに精通しているはずはがない。若い連中にとっては、ヒップホップやダンスミュージックが主流であり、ロックは既にかなりマイナーな音楽なのだ。
それ故に、ロックの洗礼を受けた世代が主流の現在のレコード業界に若い連中の居場所なんてあろうはずもない。
とあるレコード会社のK社長の元に社員がロックアーティストの企画を持ち込んだら、”今時ロックが売れると思っているのか?アイドルだろう、アイドル持ってこい!”と言ったそうだ。

オリコン見ればアイドルだらけの時代だが、レコード会社はトレンドを作る側からトレンドを追う側になった象徴的な話だと思って聞いた。ネットビジネスで隆盛を極めるウーム(HIKAKINがいる会社)、ZOZO TOWNを見てわかるだろうが、50歳以上のおじさんの発想では実現できないものばかりだ。
実際、ロックが隆盛を極めた時代のレコード会社の主流は20~30代のスタッフだった。

故・石坂敬一氏という人物がいる。2012年2月現在、ワーナーミュージック・ジャパン 代表取締役会長 兼 CEOだった人物だ。前社長の吉田氏の自殺から暫くポストが空いていたが、氏が収まった。社長が自殺するという会社とはどんな環境なのか想像もつかないが、氏の前職はユニバーサルミュージックの会長で、元々は東芝EMIの洋楽担当者だった人物だ。ビートルズ、ピンクフロイドなどの全盛期に立ち会ってた、まさに音楽史がそのまま人生にシンクロする生き方をしている伝説的な人物だ。日本のレコード業界のエリートと言ってよい。

その端整な顔立ちとインテリジェンスな氏には業界内でも尊敬の眼差しで見ている人が多い。私も一度お会いした事があるが、本当に上品で知的な人物だった。当時66歳だった氏の代表への復帰は、私世代(1955年~1965年生まれ)の中に、現在のような危機的な音楽ビジネスを担う人材が育たなかったという見方も出来る。キャノンの御手洗氏と同様なのだろう。残念ながら、2016年12月31日に、石坂氏は突然逝去してしまった。ポップミュージックの一番いい時代を体現したような人物だったが、71歳というちょっと早い年齢で亡くなってしまった。ご冥福をお祈りする。

当時、氏がワーナーのトップ・マネージメントとして現役復帰し、あるインタビューの中で語っていた「ヒット志向。マネーメイキング志向に徹します。」 という彼の事業目標設定は極めて明快だ。しかしそれが非常に難しい時代になったとも言える。
音楽ビジネスを理念、理想だけで追わず、キチンとマネーを稼ぐ志向(ビジネスオリエンデッド)で音楽作りをするということだ。しかし現実には高い壁がある。クリエイターであるミュージシャンは、ビジネス寄りな考え方よりも質にこだわって動くからだ。
音楽業界は、ミュージシャンというクリエイターに依存して生業をしている。作り手が居なければ全く成り立たない。従ってミュージシャンが一時的に実績を上げ待遇を上げてしまうと、その後において様々な面で彼等のケアーに工数や費用が発生する現実がある。A社の歌姫を見れば分かるだろう。
一度待遇を上げるとなかなか落とせなくなるからだ。才能の活性化は時に振幅が大きい。
そのため音楽業界では、過去実績に引きずられたまま、現状実績をに全く伴わない待遇で処すことさえある。
こうした経費は莫大で、レコードメーカーの売上原価に大きな影を落とし、ビジネスへの影響も大きい。
レコード会社のビジネスモデルの最大の欠点は、売れたアーティストの利益を新人開発費に再投資し、実は、売れたアーティストが本来得られるべき利益を収奪しているという点だ。これはビジネスの本質を考えると悩ましい問題だが、才能のあるアーティストから見ると由々しき問題である。

どういう意味か?

レコード会社のビジネスモデルは、売れたアーティストからの利益を、新人育成に再分配するという事で成立している。売れたアーティストも売れない時代には、その恩恵を受けているのだ。
しかし売れてしまったアーティストにとって、この問題は悩ましい。本来自分のところに残るべき金銭が他に回さるからだ。もちろんその人もそういうお金で育てられているのだが、人間、なかなかそう考えない。売れてくれば搾取と思うだろう。それが人間の性だ。こうなるとややこしい。
パイの大きい時代ではこうしたやり方は認められて来た。しかし時代は変わってしまった。「ヒット志向。マネーメイキング志向に徹します」という氏の方針は、いわゆるアーティスト系の生活間とは相反する部分がある。アーティストはこだわるが、アイドルは管理して作れるという事だ。
そのため氏の発言は、アイドル的な路線への強化を考えているのかもしれないとも思う。

氏の発言を聞いていると「音楽制作者に関わる者たちは、聞こえの良い志の高い事を色々言う人種は多々いるが、結局マネーメイキングが出来無れば継続して音楽活動を続けられんだろう」というマネージメント側の本音が聞こえそうである。
”ワーナーの制作会議で音楽の話しが出ない”という率直な発言は、氏の経験則から全く考えられない現象だろうが、かつて音楽業界を経験した者としては随分と寂しい状況だ。この話を現在のワーナーの社長はどのように感じるのか、興味深い。

石坂氏の経歴から見て「売れる音楽=良い音楽」ではないだろう。しかし今の日本のレコード業界が、CDの売上落ち込みに引きずられ、次の一手がなく、光明が見えない中では、理念、観念的で理想的なことばかりは言ってられないという危機感を感じる。ミュージシャンもメーカーの社員も「霞」を食って生きられないからだ。
私も売れる音楽だけが良いとは思わないが、売れない事には続けられないというのが現実だ。

氏に言わせればそれでも売れている作品は現実に存在し、ワーナーはそれを目指すべきという。例えばそれは「AKB48」であり「嵐」である。ワーナーの制作陣のヒット志向のなさに苦言を呈していたが、従来のようにアーティスト発信だけの制作ではなく、プロのプロデューサーや作家らによる「昭和時代のアイドル製造」を目指すのだと受け取れる。それは秋元康氏のような手法を、メーカーが主導して行うという発想が必要な時代だという指摘なのだろう。
ただこうした手法は副作用もあり、いわゆるメジャー的でないが一定のファンが存在する音楽の淘汰を意図せず促す可能性を否定出来ない。

 2012年度の電機各社の中でパナソニックやソニーなどの決算が軒並みマイナスになった。各社経営陣はこれらを「商品がコモディティー化した」と総括した。コモディティー化とはデジタル化によって商品に優劣がつかず、商品の差別化出来難い事を言うが、実は音楽にも似たようなコモディティー化が起きているように思う。

アナログ時代のビニール盤レコードからCDに至るメディア変移の過程において、ミュージシャン発信の音楽パッケージはすなわち「作品」である。画家で言えば絵画そのものであり、陶芸家で言えば壺や茶碗という「後世に営々と残る自分の分身」なのだ。
ミュージシャンや周辺の制作者たちは、音源パッケージ1枚を生み出すために多大な労力を使う。音源はもとより、CDジャケットに至るまで仔細微細に命を吹き込む。
しかし1997年をピークに年々売上を落としているCDは、発信側の意図とユーザーの意識に乖離を生じさせてしまった。ミュージシャンにとって「作品」であるCDは、ipod出現以降のユーザーにとっては”作品”ではなく”消費財”になってしまったからだ。また制作側が意図した音質はユーザー側では殆ど担保されない状態で利用されており、制作者側がこうした現実をどのように考えるかを本気で問う時代になっている。

こうした変化は、作り手側の発信方法が意図せずに多岐に渡り始めた事にも理由の一端がある。ituneなどに代表される音楽配信やYOU TUBEの出現である。よく言われるようにアップルのジョブスはCDマーケットを破壊してしまったし、YOU TUBEの出現はMTVを無意味化した。CD時代の作り手は、消費者に届くパッケージの品質について完全保障出来た。しかしデジタル配信化によって音楽とジャケットカバー類は1つのパッケージとはならなくなり、それによって作り手の意図が届きにくい状況が生まれたと言える。

 ミュージシャンやレコードメーカーは、CDパッケージという”単一の作品発信手段”から音楽配信やYOU TUBEなどのへの配信を組み合せた事で、ユーザー側が利用に関して多くの選択肢を得るようになった。
そのため本来は作品であるはずのCDが、作品形態として単一・唯一でなくなり、結果的に作品の価値感を分散させてしまう悲劇的な結果が発生した。

音楽配信などでは、微細仔細に意図を込めたCDジャケットなどの利用価値はなく、ミュージシャンの総合的な作品の意図はユーザーに伝わり難くなった。また昨今のユーザーが、アルバムの中で聴きたい曲だけを選択できるようになった事もCD全体を作品として捉えられない構造にしてしまった。

こうした作品の価値感の分散は、ユーザーのミュージシャンや作品への親和性にボディーブローのような鈍い打撃を与えてしまう結果をもたらした。端的に言えば、音楽という芸術が、アーティストの魅力を語る上で主軸から転落したということだ。
ミュージシャン達には、CDという形あるパッケージによる作品性を失う時代が到来しており、今後デジタルファイル化された音楽作品とライブ演奏という消費者が実際に手に取りにくい形態での作品輩出と活動を余儀なくされるだろう。

AKB48の出現と成功は、時代を映し出す鏡であると同時に、CDという商品に対するユーザーの価値基準を大幅に下げてしまった劇薬的現象だったとも言える。CDに付加的な価値をつけて売る手法は、90年代中期にエイベックスが行なっていたヴェルファーレの入場券付きCDというのが先駆けだろう。(ポスター特典等の手法は以前からあるが、これらはCDに内包されていない)
2011年のCD売上ランキングのベスト5をAKB48が独占したことはレコード史に残る偉業だ。しかしCDの売上は、握手券や人気投票権をCD音源のパッケージと組み合わせた販売方法による成果と言えるもので、ユーザーを音楽作品から遠い場所に置き去りにし、事実上「音楽を付録」にしてしまった意味での功罪は大きい。アイドル系の音楽はタレントに付帯した一つのパーツであることは特に珍しい現象ではないが、AKBはこのパーツ化を徹底的にやったと言えるが、やり過ぎたとも言えなくない。しかしビジネス的には圧倒的成功を納めている。
100万枚を売っても世間的にはその曲を誰も歌えないというような珍現象が起きたのは、毎週販売主義に陥ったレコード業界の作った毒だったと思う。
これらによってポップミュージックの一部に、CD=作品という概念を無くしたユーザーを多数組成し、結果的に音楽だけでは商品としての差別化が出来ないという既成事実を明確にしてしまった。
メーカーや制作者側が自発的に音楽CDの商品価値に位相転換をもたらしたのだ。

商品そのものに価値を重く置かず、付録に価値を付けて売るという手法はAKBだけではない。この手法は、昨今の女性雑誌、CD、DVD商品等に顕著に見られる手法である。
これは時代の変化というような簡単な表現では片付けられない問題だ。音楽というメディアがもはや時代や文化のリーダーではなくなったという厳然たる事実は変えようがない。またメーカー・制作側がそうした事実を認める形で価値の主軸を音楽から付録に切り替えた事が、結果的に音楽をコモディティー化してしまったのは皮肉とも言える。

石坂氏の言うように、こうした複合要因を超えてでも売れるCDは今後も出てくるだろう。氏が指摘するAKBや嵐の販売枚数は同業者にとって脅威的な成功事例と言える。
しかし全般的な統計値は、CDにマーケット性がないと示唆している。
現在世界中で一番CDのマーケットが大きいのは日本である。氏が言うように世界に目を向けた音楽ビジネス戦略を目指すのであれば、CDによるヒットにこだわるビジネスモデルは国内と国外の事情を鑑みても矛盾を孕んでいると言える。
残念ながら氏はその問題の解決については言及していない。
しかし解決の糸口はある。K-POPの存在だ。
韓国は日本の65%程度の人口の国で、そもそも国内需要で産業を組み立てられないことから常時海外への志向が強い。
アジア地域でのK-POPの訴求は国策を絡めて発展して来たが、日本人のアーティストも音楽制作者もそろそろ日本から外を中心にみながら音楽ビジネスの展開を考える必要があるのは言うまでもないだろう。
しかしそう言われてかなり久しい。数十年も前からこの話題は業界内で冷凍保存されている。日本人の資質の問題なのか、国内マーケット規模の十分さが外への道を必要とさせてないのかはともかく、日本の音楽業界はなかなか外に踏み出せない。
もしくは踏み出しても結果を出せていない。アジアへの展開は「普遍性」を必要とする。K-POPの何がアジアにマーケットを生んだのかについては必ず研究の余地があるだろう。しかし2012年はK-POPブームの3年目にあたり、この年が今後のK-POPの実力値を見定める上で重要な年になるだろう。

 こうした状況下で音楽業界内でもCDや権利依存のビジネスモデルへの限界が見えていると主張する人は多い。2011年度からミュージシャンのライブ活動が激増した事はCD不況と連動した行動であるのは言うまでもないが、長年音楽業界は権利ビジネスを主とした知財集約型だった。それが労働集約型に変化しなければ食えない時代になったということだ。ミュージシャンもサラリーマンのように稼動と収入が比例する時代へと変化したのだ。
今後の音楽ビジネスが効率的知的集約を得ようとするならば、映像とのシンクロが一番であろう。特にCMを含むテレビ放送等での使用を推進する意味は現代でもビジネス規模の大きい分野だ。

かつて100万枚、200万枚という時代を謳歌したミュージシャンやメーカーにとって、現代の1万枚、5万枚、かなりよくても数十万枚という時代は想像を絶するものだろう。メーカーがパッケージ依存からなかなか脱却できないのは、パッケージというビジネスが損益分岐点を超えてから非常に旨みが多いからに他ならない。
パッケージビジネスは様々な付加価値を付ける意味で非常によく出来た仕組みなのだ。しかし現代ではその付加価値の中心が音楽そのものではなくなってしまっている。そのためAKBのような付録型商材にならざるを得なくなっているのだろう。いずれにしてもCDを売るというビジネスモデルは、現代の世界標準で見ればガラパゴスなのである。
日本のレコード会社は、こうした変化に対応する事を怠ってきた。これは事実だ。近年になってやっと360度ビジネスなんて言い始めて、ライブやマーチャンダイスなど、マネージメント側のビジネスに侵食し始めようと躍起だが、過去数十年に渡って多くのレコードメーカーはそういうビジネスへの研究、人材開発を全くと言っていいほどしてこなかった。未だにオリコンチャートを聖書のようにして生きている連中が、今更何を始めたいのか?という感じだ。つまり金になるなら何でもやります的にしか見えないし、何も出来ないくせに自分たち幅を利かせようとする繊細さの無さだ。現在においてレコードメーカーが音楽業界、特にマネージメント会社やライブ業界から蛇蝎のごとく忌み嫌われているのは、そういう背景があるからだ。メーカーの連中、特に40代後半以降の人間は、この辺りの業界の空気や自分たちの立ち位置にもっと謙虚になった方が良いだろう。

音楽産業が無くなることはないだろうし、音楽も無くならないだろう。私自身も死ぬまで音楽と共存して生きて行くだろう。
ただ残念ではあるが、音楽産業が現在の規模を維持することはないだろう。CDマーケットは統計の通り下がり続けることは避けられない。かなり良くても横ばい的下降だろう。またパッケージという切り札を失なったメーカーに代替ビジネスの余地は多くない。
既にレコードメーカーがライブビジネスやマネージメントなどの広範囲を補足し始めているが、エンターテインメントビジネスは総合的に囲い込むモデルに変化し始めている。
但し、こうしたビジネスモデルは音楽の多様化を失う副作用が避けられず、若年層の音楽嗜好に多大な影響を残すだろう。すなわちそれは彼等が中年期を過ぎて、マーケットの主体になる時期にも影響があるという事になる。

考えてみれば、50年代にロックンロールが席巻し始めてから半世紀に生み出された音楽だけでも人類が全てを聞き切れない程の量が生まれている事実を鑑みた人は居るだろうか?
こうした若年層がリアルタイムでアクセスしていない作品群を世に送り出し直すというのも音楽業界の勤めだとも思える。地道な作業になるが埋もれている名曲は多いはずだ。

ビジネスは縮小均衡になると、資本の強いメーカーが圧倒的に優位だ。そうなると今後10年で残るのは大手3~5社だろう。また今後20-30年のスパンで見ればパッケージを標準的に買っていた層が徐々に死んで行く時代に突入し、CDを買わないのが普通の若年層世代が時代の中核になることを鑑みれば、その時代まで残っている主要メーカーは殆ど無くなり、レコード会社そのものは、総合エンターテインメント会社の1部門レベルになっているだろう。その時代にはCDというフォーマットすらほぼ完全に無くなっていると推察される。但しCDが完全に無くなることはないかもしれない。しかし現代のアナログレコードのような骨董品になる時代は明らかにそう遠くない。

タイトルに記した”CDが売れない時代にCDを売る方法はあるのか?”への回答は、短期的には”限定的にある”だ。これは嘗てのような音楽とミュージシャンの個性によってCDが売れる時代から付録のような音楽として売れる時代が短期的に続くという意味だ。もはやこの潮流を変える事はないだろう。
中・長期的には”CDの形態は無くなり、売る事が出来なくなる”が正しいだろう。デジタル時代によるスマホなどに代表される「オールインワン」時代のビジネスモデルに、CDパッケージという手法は残念ながら立ち向かえない。これはゲーム業界がゲーム機器とゲームソフトを1つのパッケージにしていた時代から、DeNAやGREEに代表されるスマホベースのゲームに移行している点を共通する。
プラットフォームの転移はソフトの在り方を変えてしまうのだ。
昨今の若者がラジカセを持っていないのは明らかだ。音楽を聞く若年層は、当然の帰結としてCDにアクセスする動機はipodなどの視聴機器へ移植するためでしかない。プラットフォームの転移を変えられない以上、ソフトを供給する側はそれに対応せざるを得まい。
付録型手法で対応するCD販売の向上方法は副作用が大きく、中・長期的ビジネスを大きく毀損する可能性を秘めている。しかし今の音楽業界に中・長期を目指す余裕そのものがないかもしれない。

いずれにしてもYOU TUBEや配信(違法も含む)などの活用で音楽作品そのもの中核としたビジネスが大きな金を生む時代は終わりへと向かうことは事実だ。
グレイトフルデッドのビジネスモデルじゃないが、”ユーザーに何かを与えなければ得られない”というのは、次世代の音楽ビジネスのモデルのヒントなのかもしれない。ただしまだ音楽業界に汎用的な解決方法は誰も見い出せないでいる。それは私も同様だ。唯一考えられのは、デジタルコピーされない商材だけが生き残るということだろう。となるとそれは人間そのものかその人間の芸そのものでしかないだろう。それ故にレコード業界の黎明期から現在までを知り尽くしている石坂氏の動向には注目である。


補足:最近アナログ盤が流行の兆しを見せていると伝えられている。しかし現在、日本のアナログ盤の生産は、東洋化成という法人一社が唯一生産できる機器を持っており、その生産量はだいたい年間100万枚が限界だ。
アナログ盤1枚3000円で100万枚売れても、実は30億円程度しかない市場なのだ。
他の産業と比較しても、このマーケットは非常に小さい部類と言える。中古市場を入れても50億円とか行かないだろう。実は相対的にみて、中古のレコード屋さんが廃業しているものそういう背景がある。
従って現在の音楽盤マーケットとは、かように小規模であり、マニアックな購入者はともかく一般購入者を引き付けているとはとても言えない。CDの年間売上もおいおい1000億円を切始めるだろう。
1000億円だと一部上場企業1社が売り上げられるレベルだ。音楽業界の深刻さは、市場規模に合わない市場参加者の多さと、そのビジネスモデル変革を業界が主体的にしたのではなく、外部から変えられた受け身の姿勢にこそ問題の真相があるのだ。

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音楽ビジネスは何処へ向かうのか?
(2012年3月13日改訂)

(参照:石坂敬一氏インタビュー)
http://www.musicman-net.com/report/66.html


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