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現代の日本の音楽業界に何が起こっているのか?を知るためのまとめ。 [音楽に関わるブログ]

現代の日本の音楽業界に何が起こっているのか?を知るためのまとめ。

 

現代の日本の音楽産業は、簡単に言えば斜陽産業だ。それ故に、勝ち負けが明確になりつつあり、ビジネスを次につなげるような中間レベル層が消滅しつつある。
今後、近い内にアメリカではCDの製造工場が無くなると報道されており、生産数が減少すれば日本も同様だろう。
1960
年代から1997年まで右肩上がりの成長をしてきたレコードビジネスは、目を覆うような左肩下がりを見せている。変わって登場したライブビジネスは右肩上がりだが、かつてのレコード(CD)産業のピーク時を凌駕するにはまだほど遠い。それでも2017年には3000億円を超える市場となる。
しかし配信ビジネスは頭打ち状態だ。以下にまとめたサイトがあったので参考にしてほしい。

レコード業界の行方2013

http://magamo.opal.ne.jp/blog/?p=844


実際に現代の音楽産業は、マーケット規模の割にプレイヤーが多すぎる。またサザンやB’ZEXILEなどのメガアーティストに目を奪われがちだが、彼らは極一部の成功例で、全体を俯瞰してみると、音楽産業の従事者の所得レベルは著しく高いとは言えない面がある。
数多くのレコードメーカー、マネージメント会社など存在数は、マーケットが吸収できる規模を超えているというのが冷静なビジネス視点からの景色だ。
つまり、音楽産業は再編を必要としているのだ。

音楽産業には様々な従事者がいる。レコードメーカー、マネージメント会社、レコーディングスタジオ、ミュージシャン、アレンジャー、プロデューサー、レコーディングエンジニア、レコーディング機器メーカー、楽器メーカー、イベンター、ライブ制作者、著作権管理団体、流通関係(店舗等)、コンサートグッズ関連などだ。
マーケットでビジネスのポジションを確保するためには、大雑把にいえば、川上(供給元)に近いか川下(消費者)に近いかのどちらかでなければならない。しかしこの理論も必ずしも有効でない場合がある。レコード・メーカーは川上と川下をそれぞれに持っているが、ビジネス規模の縮小によって投資にビジネス実態が合わなくなり始めている。
またライブが有効かと言えば必ずしもそうではなく、ライブでの収益実態は僅かで、結局グッズの売り上げがライブの主要な利益を支えているという面もある。
そもそも音楽産業は、成功率15%程度のヒット率を紡ぎながら成り立たせなければならないという体質がある。ヒットから生み出した利益を再投資出来ない限り、いずれ才能の発掘には限界が出てくる。
1980
年代なら1000万円から3000万円強程度を投資できた音源原版制作も、現代では800万円以下がザラで、数百万というのが相場だったりする。予算の低下は録音作業にしわ寄せが来るため質にも影響が出る。昔のような予算で音楽を作れるアーティストは、回収見込みがハッキリしている人々のみで、それ以外は惨憺たる予算と制作環境だ。
最近はレコードメーカーと契約している新人が、路上ライブや対バンのライブなどでCDを手売りしていたりする。しかしCDipodなどの機器への音源伝達媒体にしかならなくなった時代、現物を買う人間は本当に僅かになってしまった。
固定媒体の売上に依存してきたビジネスモデルを簡単に捨て去る事は難しいが、いずれにしても命脈は尽き始めている。
今後、音楽を目指す若者が昔のように夢を持って参入してくれるかどうかは分からない。しかし、かつてのような中間層を消失してしまった業界での生き残りは、かつてない程厳しいのが現状だ。相当なキャリアを形成してきても、音楽事業継続が困難な時代になっているため、中途半端な才能では絶対に生き残れない。音楽産業が無くなる事はないが、かつてのビジネスモデルは崩壊し、新しい形に変化するだろう。近い将来メジャーデビューという概念も無くなるかもしれない。全員が個人のインディーズレーベルを持ち、その中から支持を集めたミュージシャンだけが職業音楽家として成立出来る時代になるだろう。既にあの矢沢永吉氏ですら、自身のインディーズレーベル(GARUR RECORDS)で活動している。彼はいつも時代を先取りしているが、彼のやり方が今後のメジャーアーティストの主流になる時代は近いと思う。それでもCDという商品をモデルにしたビジネスは、2025年までに殆ど成立しなくなるだろう。

私の親戚筋にもミュージシャンを目指す若者がいる。彼の能力の有無は私の判断外だ。しかし実家に住み、衣食住を親から賄われて夢を目指していると嘯く彼の姿を見て、こんな環境で成功出来るほど音楽業界が甘いなら、命を削ってやっている連中に申し訳ない感じだ。
そういう中、以下にまとめた音楽業界人の声を聞いて、古き良き時代と懐かしむのか、全く新しい時代を切り開く事が出来るのかを考えてみたい。いずれにしても、ミュージシャンを一生の職業として生きて行くのは相当な才能と能力とスタッフィングがないと続けられない時代になった。ミュージシャンが消える事はないだろうが、我々の時代のような多様性は無くなるだろう。そういう意味で近未来の音楽産業は画一的でアイドル的にならざるを得ず、硬派な音楽を好む層にとっては、もはや時代の終焉と考えておいた方がいいだろう。つまり過去の音楽に嗜好を求めるしかないという事なのだ。



佐久間正英氏 音楽家が音楽を諦める時

http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html

 

音楽プロデューサー佐久間正英が語る「未来の音楽のために」(前編)

http://realsound.jp/2013/08/post-38.html

 

 

音楽プロデューサー佐久間正英が語る「未来の音楽のために」(中編)

http://realsound.jp/2013/08/20-1.html

 

音楽プロデューサー佐久間正英が語る「未来の音楽のために」(後編)

http://realsound.jp/2013/08/post-39.html

 

音楽プロデューサー・佐久間正英氏が語る「音楽業界の危機的状況」

http://blogos.com/article/42056/

 

山下達郎:職人でいる覚悟と関連記事

http://www.asakyu.com/column/?id=1028

http://www.asakyu.com/column/?id=1031

http://www.asakyu.com/column/?id=1034

http://www.asakyu.com/column/?id=1037

http://doraku.asahi.com/hito/runner2/121016_02.html

http://doraku.asahi.com/hito/runner2/121016.html

http://wmg.jp/tatsuro/official_interview01.html

http://wmg.jp/tatsuro/official_interview02.html

http://wmg.jp/tatsuro/official_interview03.html

http://wmg.jp/tatsuro/official_interview04.html

http://wmg.jp/tatsuro/official_interview05.html

http://adv.asahi.com/modules/feature/index.php/content0576.html

 

 

デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る

http://realsound.jp/2013/09/spiral-life20.html

 

「20代のバンドはどう食べていくか?」石田ショーキチが示す、これからの音楽家サバイバル術

http://realsound.jp/2013/09/post-97_2.html

 

石田ショーキチが語る「激動のシーン20年」(第1回)

http://realsound.jp/2013/09/spiral-life20.html

 

 

石田ショーキチが語る「激動のシーン20年」(第2回)

http://realsound.jp/2013/09/post-95.html

 

 

横山健(ハイスタ)が今の音楽業界とインディーズ・レーベルのあり方に切り込む (前編)

http://realsound.jp/2013/10/cd-1.html

 

 

横山健(ハイスタ)が今の音楽業界とインディーズ・レーベルのあり方に切り込む (後編)

http://realsound.jp/2013/10/post-132.html

 

音楽業界でまさかの「逆転現象」発生中

http://president.jp/articles/-/8497

 

バンドは今やインディーズが主流 メジャーデビューでも食えない

http://www.j-cast.com/2011/01/23085796.html

 

NEVER  音楽業界の動向についてまとめ

http://matome.naver.jp/odai/2131521377900746401

 

 

 


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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-14 (最終回) [音楽に関わるブログ]


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1975
年、ヒアフォードシェアーでの3週間に及ぶBohemian Rhapsody”のレコーディング用のリハーサル、1975年4月25日にモンモウス近くのロックフィールドスタジオ1で始まった“Bohemian Rhapsody”のレコーディング、またその他4つのスタジオ、ラウンドハウス、SARM(East)やサセックスなどを曲の完成のために利用した。
フレディーは、レコーディング中、この曲に対して非常に明確なヴィジョンを持っていて、セッションを通じてメンバーにキチンとした指示をすることが出来ていた。おびただしい数の曲の各パーツは、ガイドクリックだけを頼りとして別々に録音され、後に1つに集約された。

フレディー、ブライアンとドラマーのロジャー・テイラーは、彼らのコーラストラックを1日12時間余りもかけて重ね続けた。ある個所だけに限れば、180を超えるオーバーダビングがほどこされている。当時、24チャンネルのアナログレコーダーを使用していたために、おびただしい回数の多重録音を行うためには1回当たり3人編成で歌う必要があった。そうして出来上がった音源をミックスして別のトラックにコピーしてサブミックスとした。この反復により最終的な音源は(最初の世代から数えて)8世代を経る事になった。最後のバージョンを作り出すために数えきれない程のテープの切り貼りが行われた。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の本作の録音シーンで、メンバーがマスターテープの再生回数に不安を募らせるシーンがあったのを記憶しておられるだろうか?
私はあれを見ていて、随分マニアックで細かい演出するな・・・と思っていたが、あれは何を意味しているかと言えば、当時のアナログテープは、録音・再生をする毎に蒸着している磁気成分が剥がれ落ち、耐久性と録音再生が落ちるという欠点があった。だからメンバーは度重なるダビングに耐えられるかを心配していたシーンなのだ。

1975
1010日、シングルがリリースされ、“Bohemian Rhapsody”はアッと云う間に国際的な成功を収めた。イギリスでは驚異とも言える9週連続というナンバー1に輝き、ロック史上3番目に位置するセールスを記録したのだ。当時、本作はかつてない程、最も制作費をかけ、綿密な作業によって生み出されたポップ・ロック曲だった。
また、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエルそしてオランダなどでも1位に輝き、アメリカでも最高9位ながらも非常に好評だった。

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フレディーは本作についてこんな風に語っている。
「この曲は幻想的な感じに満ち溢れているんだ。多くの人々にはただ耳を澄まして聞いて欲しいと願っている。そして曲について考えてもらい、曲が何を言わんとしているのかを酌み取って欲しいんだ。“Bohemian Rhapsody”はどこからともなくアイデアが浮かんできた訳じゃないんだ。ほんの少しだが曲のためのリサーチだってやったんだ。でも結果的には皮肉めいた擬似的オペラになったけどね。でもそれで良かったんだよ。」


あとがき:

改めて“Bohemian Rhapsody”に触れると、この曲の偉大さを痛感する。本作のアナログ24チャンネルのマスターテープとして現存している物は私の知るところ1本分しか存在しないようだ。各パーツで録音されたものはどこを調べても出てこず、パーツを集約した1本のマスターのみが存在しているようだ。
このマスターは既にデジタルコピーされている。
マスターのアナログテープはそもそも耐久性に限界があり、何度も再生すると磁気部分が摩耗して音質が著しく劣化するからだ。

それにしても“Bohemian Rhapsody”の発想力とそれを現実に作り出した力には未だに驚嘆されられる部分が多い。
またこの楽曲の独創性は、他のミュージシャンによるカバーを容易に許さない点でも明らかだ。どんなヴァージョンを聞いてもQueenの演奏とフレディーの声の影がチラつく。当時のレコーディング技術を文字通り駆使して作り上げたこの作品への情熱は、時代を経ても色褪せることがない。
過去の音楽から影響を受けているにしても、それをオリジナルに昇華したという事はこういう事なのだろう。

当時の手法を苦も無くこなせる現代では、あの質感を作り出す事は不可能だろう。アナログレコーディングと24チャンネルという技術的制約が副次的にあの質感を生んだ部分もあるからだ。また制約の中を潜り抜けたからこそ時代を超えるものになったとも言える。
クリエイティブのエネルギーの集約とは時代を貫く力がある。
しかしその根源はフレディー・マーキュリーという才人の発想力から生まれたことだと言ってよい。
そして彼のリーダーシップとベイカーという理解者が核となってメンバーたちの能力と技能の集約が作り上げたとも云える交響楽的な発想のロックオペラをチームで仔細微細に構築し、我々の耳に届く形に昇華させたことは時代の変遷を考慮に入れても驚くべきことだ。
2018年秋にはこの名曲の名を冠したQUEENの映画が公開される。楽しみだ。

私が16
歳だった当時、この曲を聞いた自分の意識の中には、こんな事を可能にする人類が地球のどこかに現存していることに驚いたというのが実感だった。日本人の我々には到底発想しえないものだったからだ。

洋楽ファンは様々な観点で洋楽の“圧倒性”にノックアウトされるものだが、この楽曲もそうした例に漏れない。そしてリアルタイムの時代の流れの中でこうした驚愕する洋楽に出合えていたのは、未成熟なティーン時代の脳に大きな刺激として刻みつけられたのだ。あれから38年が経過し、多くの同時代を生きていた人々が改めてこの曲に触れる時、また新しい発見をすると考えている。

以上。


2013年5月5日 初稿


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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-13 [音楽に関わるブログ]

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 北ロンドン、1972年。ベイカーはウェンブリにあるDe Lane Lea studioの視察をしている時に当時はまだSmileと名乗っていたQueenと会った。
ベイカーは回想する。
Queenの連中はスタジオのテストに乗じて無料でレコーディングをしていたんだ。バンドについては全く知らなかったね。それよりもこの新しくて巨大なスタジオがどんなものなのかって事の方が私には重大関心事だったんだ。そんな時に彼らのデモを聞くことになったんだ。デモを聞いただけの段階で既に彼らの音楽は素晴しさは理解出来たよ。そしてフレディーをその辺りに腰かけて話を始めたんだ。」

Queenがトライデントオーディオプロダクションとの契約を済ませると、デビューアルバムとなる“Queen”の制作をベイカーとエンジニアのジョン・アンソニーと共にトライデントの空き時間、つまり朝2時に開始して昼飯前までの時間を利用して開始した。

「ブライアン・メイの豪勢で何度もダビングされたギターパートはベイカーがスタジオに来るまでに作業を終えていた。ブライアンは他のギターリストが通常とる方法とは違い交響楽的観点でギターを使っていた。私(ジョン・アンソニー)はデッカに居た時に学んだクラシック音楽の知識がほんの少しあったので、ギターのフレーズを重ねる際の音の構築に際して助言することが出来たんだ。
我々はブライアンのギターが他のギターリストのような野暮なものでなく、オーケストラの楽器の1つだと考えていたんだ。ブライアンの長所としては、ユニゾンで演奏するにしても、ハーモニーを創り出すにしても非常に正確に演奏し、尚且つ作業を早く済ませられる点だった。」

'Bohemian Rhapsody'
の栄光の瞬間を彩るゴングは、1974年“Queen II”の発売に辿る事が出来るだろう。
「このアルバムが発売されている間、我々は随分と顰蹙を買っていたんだ。我々はこのアルバムで音楽的にはメンバーが、技術的には私が実験的なアイデアを実行したんだよ。フレディーからは、退屈な生演奏をするバンドには使えないようなアイデアがあれば我々に試してくれと言われていた。逆回転で再生するシンバル音、ゴング音、タムのフィルなどQueenが嘗て試した事のない音がこのアルバムには含まれているんだ。Queen IIはこれより後にQueenの特徴的な音として認知される音源群で溢れた台所のキッチンシンクみたいなアルバムだったのさ。音楽的にはバラード、ヘビーロック、それに複雑を極めたアレンジなど、全てこのアルバムが根源なんだ。フェーズ効果もそうだった。おまけに全て手作業でやったんだよ。だってそんな効果を自動的に作り出すイフェクターなんて当時存在しなかったからね。フェーズ効果を得るためにスタジオの部屋中に手動でテープを走らせて効果を得ていたんだよ。」

フレディーは、西ロンドンのケンジントンにあるホランド通りの自宅でBohemian Rhapsodyというロックオペラの傑作を生み出した。約6分間に及ぶ楽曲は、アルバム“A Night at the Opera,”に含まれ、バンドがブレークし、100万枚を優に超えるセールスを記録したことでQueenの代表的な楽曲となった。ベイカーは、フレディーがどんな風に曲の冒頭のバラードをピアノで演奏してくれたのかは既に述べたとおりだ。Queenは楽曲の殆どをスタジオで書くという歴史があった。しかしブライアン・メイによればBohemian Rhapsody”はスタジオで演奏する前からフレディーの頭の中にあったと語っている。ブライアンはこの曲が叙事詩的で
知的好奇心を刺激し、極めてオリジナルで、なおかつやるべき価値のある楽曲だったと述べている。

Bohemian Rhapsodyがオペラの真似ごとのような捉えられ方をされながらも、フレディーは、ありきたりのロックミュージックの有り様とはかけ離れたものを求めており、彼はそれを実現した。


つづく

いよいよPart-14(最終回)につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02-2
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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-12 [音楽に関わるブログ]

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Queen
の初期のアルバムのジャケット内に封入されている歌詞カードのクレジット面には“誰一人としてシンセを演奏していない”というユニークな一節が記載されている。
多くの人々は、ロックやポップミュージックの世界でシンセの使用が台頭してきたことへのモラル的な反発なんだろうと想像していたが、プロデューサーのレイ・トーマス・ベイカーはそれを否定している。

「我々はシンセを使用するしないについて特にこだわっていた事はないんだ。ただレコードのアルバム内の歌詞カードのクレジットにあった“No synths”という表記は、聞く人によって誤解を与えないようにするための措置だったんだ。多くの人は多重録音によるギターとシンセサイザーの音の区別をつけるのは困難だからね。我々が4日に渡って複数のチャンネルを使用して録音したギターソロを、無知蒙昧なレコード会社の誰かがスタジオに来た上にこのシンセ良いねなんて言わせないようにするための伏線だったんだよ。」


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SARM
スタジオは、1970年代前半に、ホワイトチャペルのオズボーン通りに面し'Sound And Recording Mobiles'を標榜していたレヴォックス社の2台の機器を使ったテープコピーを生業とすることからスタートした。

セッションミュージシャンでもあった父に背中を押され、グレイ・ランドンは学校を卒業すると直ぐにSARMスタジオに入った。

「エンジニアとしての知識の全てはゲイリー・リヨンとマイク・ストーンが教えてくれたんだ。」とグレイ・ランドンは振り返る。

「当時、ああした知識を持った人間はあの2人以外には居なかったんだ。現在と比較しても、彼らの技術的水準は高く、全くの別物だったよ。」
ランドンがQueenと関わりを持つようになったのは、レイ・トーマス・ベイカーが持ち込んだ“the Sheer Heart Attack”というアルバムの中に収録されている2曲をSARMでリミックスすることになった時からだった。
SARMでいくつかのプロジェクトに関わった後、いつの間にかQueenSARM以外でミックス作業をしようとしなくなったんだ。そういう流れの中で'Marx Brothers' 'A Night At The Opera, A Day At The Races, and News Of The Worldなんかを全て手掛けるようになったんだ。私のキャリアでバンドとして一緒に仕事をしたのはQueenだけだった。だから他のバンドがどんなレコーディングをするのか知らなかったんだ。何週間もブライアン・メイのギターソロの録音をし、それ以上の期間をかけてフレディーのヴォーカルを録音するというのは私にとって通常の行為だったんだよ。私の仕事は本気で学ぶ事とバンドの面倒を見る事だったのさ。連中とは良い友人関係を築ずけたよ。」とランドンは締めくくった。


つづく

Part-13につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02-1


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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-11 [音楽に関わるブログ]


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ベイカーとQueen'Bohemian Rhapsody'がシングル曲になるべきだという点で結束していた。ただ、EMIレコードで事実上の決定権者は6分にも及ぶこの曲に懸念を示していた。
「結局のところ、'Bohemian Rhapsody'は規格外だったんだよ。」とベイカー。
EMIに電話をして我々の考えるシングル候補が出来たと伝えスタジオに来て聞いてもらったんだ。それで聞いてもらう前に曲が長尺だと伝えたんだ。そうすると連中は、そんな長い曲をラジオでオンエアーさせるのは難しいかもしれないと云うんだ。だから我々はまだ聞いてもいないのに決めつけないでくれと言ったんだ。すると連中は、とりあえず今の形を聞いてみるが、330秒以上の曲だったとしたらラジオ局では扱ってもらえないよ・・と言ったんだ。」

「私は自分たち以前にもリチャード・ハリスの'MacArthur Park'やバリー・ライアンの'Eloise' (1968) 'の例があったから、慣習を破るためにも我々の楽曲を出すタイミングとしては良い時期だと考えていたんだ。外部の意見も取り入れてみようと考え、近所のスコーピオンスタジオの側にあったキャピタル・ラジオのケニーエヴァレットに来てもらったんだ。彼の反応は非常にポジティブだったよ。彼は曲を凄く気に入ってくれたんだ。曲が全く新しいチャートポジションを獲得すると言い出し、ナンバーワンになるんじゃなくてそれより上のナンバー・ハーフになるねえ、なんて冗談を言っていたよ。その時は何の事かはさっぱり分からなかったがね。(笑)

エヴァレットがコピーを要求してきたのでマスターリールからコピーを取って渡したんだが、彼には絶対にオンエアーしないと約束してもらった。彼はウインクして放送しないと言ってくれたよ。
で、翌日の朝、彼は番組で曲の冒頭を放送してしまったんだ。それでも本人は、約束しちまっているからこれ以上は放送できないんだ、なんて言ってたんだよ。その後、週末にかけて14回以上も放送してしまったのだがね。
月曜になって、ファンが群衆となってレコードショップに押し寄せ、'Bohemian Rhapsody'を買い漁ろうとしたんだが、レコードショップにはまだ商品が置かれていなかったんだよ。そうこうしている間にEMIの宣伝部からキャピラル・ラジオに曲のコピーを置いて来た事によって面倒な事を引き起こしていると言う猛烈な抗議が来たんだ。ただ彼らも自分たちが(こんな長い曲なんか)誰も放送したらがらないと言った張本人だったため、我々に他の手段が無かったことは認めたよ。

その間Queenの新しいマネージャーのジョン・リードEMIの連中と協力してシングル盤のプレス作業予定を早めて行う事にしたんだよ。エヴァレットがラジオで曲をかけていた時、アメリカでRKOというラジオ局を経営していたポール・ドゥリューという人物がたまたまロンドンに来ていてその放送を聞いていたんだ。彼はなんとかして曲のコピーを手に入れるとアメリカに戻ってQueenのアメリカでのレーベルであるElektraに無断で曲を放送し始めたんだ。大西洋を挟んだ2つの国のラジオ局がレコード会社の意向を無視して'Bohemian Rhapsody'放送をしたというのは極めて奇妙な状況だった。


まだもうちょっとつづく

Part-12につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02
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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Pat-10 [音楽に関わるブログ]



Dictaphone.jpg

ディクタフォーン。
制作中の音源が外部に漏れることに慎重だったメンバー個々は
この機器を使って仮音源を試聴していたらしい。
カセットテープもあった時代だが
何故かこれを利用していたというのは興味深い。
尚、録音は写真右の拡がった口の部分を
スピーカーに向けたりすることで行ったらしい。

Queen IIや他のQueenのヒット曲、特に'Bohemian Rhapsody'は、トラックの世代間コピーを行った事でロジャーのドラムに発生した多くの歪は、曲のサウンドそのものの特徴にさえなり、その後多くの人たちがアウトボードを使って同じようなサウンドを作ろうとしました。
今日に至っても機械的にあの押しの強い歪んだサウンドを再現しようとする人々が大勢いるがねえ。
自分たちが意図せずに作り上げたあのサウンドは、ギターアンプのヴォリュームをフルに上げた時に得られる同じ方法で聞くことが出来る歪とも言えるだろう。だが全てバンドのサウンドとして昇華しましたがね。

 

4人のバンドメンバーは、楽曲の制作作業に入るとそれぞれが積極的に関わり、クリエイティブをリードしていった。ロイ・トーマスの主要な役割は、Queenとして特徴的なサウンドを保持しながら作品に仕上げためにバンドを鼓舞することだった。

「たった一人の作家しかいないバンドと作業するよりは難しかったね。
何故なら彼らは全員が優秀だったからだ。誰が作品を書いてきたかは問題じゃなかったね。いずれにしてもQueenの音だったからね。
他のバンドがメンバー間で対立する事例が多いのに比べるとQueenとの仕事は素晴らしい体験だった。(私が)彼らに言い続けていたのは、他の人間がいるスタジオ内で(メンバー同士が)口論するのは恥ずかしいことだということだった。

だから私はいつも彼らに議論の余地を与えながら、もめ事は個別に対処したんだ。もめ事の殆どは誰の曲をB面に入れるかとか印税に関してだった。記憶にある出来事と言えば、ロジャーが書いた'I'm In Love With My Car''Bohemian Rhapsody'B面に入れるかどうかで陰鬱になってしまったことかな。終いにはSARMスタジオのテープ倉庫に入ったまま出てこなくなり、自分曲を入れるまで出ないと立て篭もってしまったんだよ。結果的にメンバーは曲を入れたがね。」

'Bohemian Rhapsody'のプロモーションビデオはブルース・ギャワーズが監督し、製作費は4000ポンドだった。但し、レコーディングに関する制作費用に関する情報は不明だった。


「相当な経費がかかっていたはずだ。」とベイカーは語る。

「しかし私には余り関係のないことだったよ。そもそも私の管轄じゃなかったしね。私の管轄は出来る限り売れるレコードを創り出すことなんだ。そしてアルバム制作作業の開始日と納品日が与えられているだけなんだよ。ラウンドハウススタジオで報道向けの試聴会をやっている最中でもアルバムに収録する曲のミックス作業をやっていた位だったんだ。だから当時の報道陣が聞けたのは仮ミックスの段階のものだったんだ。そういうこともあって制作費に頭を悩ました事はなかった。結果的には安く上がったとも言えるレコードになったしね。」

残念ながら'Bohemian Rhapsody'の制作段階を音によって確認できるような音源は存在していない。

これは、スタジオに多数の未完成のレコーディング音源が散乱していたのはQueenの病的な程の用心深さのためだった。

ベイカーはその論理的根拠を述べてくれた。

「(外部の人間が聞く事が可能で尚且つ後々に残るような形での)ラフミックスは一度もやらなかったんだ。というのも我々にはフィリップス社製のディクタフォーン(注:口述を録音し、後に録音を聞きながら口述内容を書き起こすために使う機械で、吸入器のような部分で音を拾い機器の内部に録音し再生できる機械の事:冒頭の写真を参照)という機械があったからなんだ。

(メンバーが)個別にミックスを聞く事を実現するためにスタジオのモニターにディクタフォーンの音を拾う部分を密着させてミックス中の音を機械に録音できるようにしたのさ。また編集が本当に上手く行くかを見るために我々は自分たちのためのラフミックスを数曲行ったんだ。
ただ、ラフミックスの作業を行うと未完成の状態の音源がレコード会社の手に渡ってしまうリスクがあったんだ。それを避けるためには作業中の音源を隠すか偽装するかという手段をとる必要があった。
ある時、トライデントスタジオで、仕事中のビリー・コブハムは隣のスタジオのコントロール・ルームの中にテープを持って行くラベルに“シリー・コブハム”と書いて隠したんだ。ラベルにQueenなんて書いたものならEMIの連中が(勝手に持ち出して)翌日コピーを取ってしまうのは確実だったからねえ。」


つづく

Part-11につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-25-3


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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-9 [音楽に関わるブログ]




テレフンケン.png

グレイ・ランガンはSARM スタジオでベイカーにくっついて関わっていた18歳の新人アシスタント時代を経て、キャリアを飾ることになったアートオブノイズやトレヴァー・ホーンとの仕事、スパンダーバレーやミック・ジャガーの制作に関わった人物だ。
'Bohemian Rhapsody'におけるストーンとリオンズのミックス作業後、ランガンの最初の仕事は、3つの全く異なったセッションとして納められてマルチマスターのテープの音を1つにまとめることだった。
彼は言う。

「パーツ化したテープを全て繋がない限り、誰もにも6分間に渡る全編がどんなものなのか分かりようもなかったんだ。そして私はコントロール・ルームの後ろに立っていて、ロック史の1ページに残るだろうこの曲が登場するのに耳を傾けていたんだ。そして実際に音を聞きながら私の心の奥底では、これは国民の祝日を設定するに値するなと感じていたし、実際そう思っているよ。」
SARM
スタジオに'Bohemian Rhapsody'のミックスが開始される前日に設置された新しい機材は、アリソン社製のコンピューターミックスシステムだった。ランガンは笑いながら語ってくれた。

「とにかく世界初のオートメーション式のミックス機器だった。しかしとにかく酷い代物でまともに動作したことが一度も無かった。おまけにマルチテープの2チャンネル分にこの機材用のデータを記録しなくてはならなかったんだが、そうなると録音できるトラックが22チャンネルに減ってしまうんだよ。フレディーが新しい“ガリレオ”パートを録音しようとするものなら、私はいつも新しいテープリールをマルチにかけなければならなかったんだ。実はこのパートだけで3週間もかかったんだが、1975年当時の標準ならアルバム1枚がレコーディング出来る時間を費やしたんだよ。」

 

ベイカーは続ける。

「(音の歪の原因は)曲の後半のオペラ部分の音の歪を監視するための古いVCAシステムのだったんだ。レコードの音を良く聞いてもらうと分かると思うよ。でも我々が取り組むべき歪の原因は1つだった訳じゃないんだ。トラック間のコピーを頻繁に行った事やコンピュータ化のために使用された古いVCA技術を使った事が、結果的に音の歪に繋がったんだよ。
その段階にまで来ると、ボード内のVCAにはこれ以上音量を入れられないというレベルにまで音量メーターが張り付いてしまったんだ。そのためロックセクションの部分で我々は仕方なくコンピューターの電源を落とし、昔ながらの方法でコンソール前に何人もの人間を配置して手動でフェーダーをコントロールすることにしたんだ。

ロックセクションの導入部をスネアをキッカケにした編集ポイントとして別途に扱う事は予め計画されていたものなのだが、あの強烈な感じは手動操作をやったことの副産物と言ってもいいね。」

「実はあのポイントでVCAが限界点に来てしまったんだ。」とベイカーは説明する。

「だが私は意図的にさらにそれを進めようとしたんだよ。ロックセクションのあのポイントを境に、それ以前と比べて音がクリーンになり、明瞭になり音圧が上がり、著しい差異があることが聞いていて分かるはずだ。実際この結果は初めから見越していた訳じゃないんだがね。瓢箪から駒みたいなもので、音の歪を取り除けなかった結果だとも云える。しかし当時この点は余り心配してなかった。元々Queenってバンドは過激なまでに飽和したサウンドを売りにしているところがあったからね。」


つづく

Part-10につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-25-1


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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-11 [音楽に関わるブログ]

Rockfield (2).jpg

現在も運営をしている
ロックフィールドスタジオの内部の様子

発売日から30年以上が経過した'Bohemian Rhapsody'、ベイカーはこの曲が現在でもクリエイティブの頂点に位置したものだと確信している。

「今でも(曲を)聞く事があるよ。まさに芸術作品だね。当時はロックの古典になるなんて想像もしていなかったがね。ロックのオペラを融合した最初の例になった曲だしね。レコーディングシステムがオートメーション化される前の時代においては頂点を極めた作品だろうね。

もし我々が手動作業であの効果の数々を生みだしていなかったとしたら、その後に自動的に同じ効果を創り出すイフェクトボックスを開発しようと誰も考えなかっただろうね。70年代に我々が行った様々な事はその後に続く流れを生み出し、やがて機械的にコピーされるようになったんだと考えたいね。」

A Night At The Operaに関わった後、ベイカーはQueenから距離を置き、アメリカのバンドとの活動にシフトしたが、ロジャー・テイラーになだめすかされて1978年にQueenが出したアルバムJAZZで再び関わっている。果たして'Bohemian Rhapsody'はベイカーのキャリアの頂点だったのだろうか?

「間違いなくキャリアの中の1つのものだよ。ただオーバープロダクションに対する反発にもあってやり方を変えることにしたんだ。その象徴的な出来事がカーズと関わることだった。何故って、自分の制作技術の全てを水面下で使う事が出来たからさ。パンクが下火になり、バンドは原点回帰を始めた時代だった。カーズやアリス・クーパーでは音数の少ないレコードを作ることに喜びがあった。ただ80年代の色々な出来事やパールジャム、ニルヴァーナなどを見ていてまた批判に晒されるかもしれないという感じがあったけどね。自分が音楽の方針転換を意図的に図った時期については明確に覚えている。'Bohemian Rhapsody'は私の自由奔放さの頂点だったと云えるだろうね。」

ロイ・トーマス・ベイカーは、1960年代中盤のデッカレコードで奉公人の時代を過ごした。ティーボーイ(注:イギリスでは一般的にはスタジオのアシスタントエンジニアもしくはセカンドエンジニアをこういう言い方をする。彼らの仕事の殆どがティータイムにお茶を出す事から始まるため)としてキャリアを始め、直ぐにエンジニアとしての地位を獲得した。1969年初頭、ベイカーは新しくオープンしたトライデント・スタジオのハウスエンジニアとして働くようになり、キャリアを構築することになった。

「凄くキャリアにプラスになった時代だった。何しろ国際的なアーティストと仕事をする機会に恵まれたからね。」とベイカーは語る。
「ある日はフランク・ザッパと仕事をし、そして次はサンタナ、またアメリカ的な音楽指向を持つT-REXFREEなど、どんどん自分の好きなアメリカの音楽と関わるようになった。キャリアを磨くにはこれ以上の時期はなかったね。」

トライデント・スタジオはイギリスで8チャンネルによるレコーディングシステムを導入した最初のスタジオだった。これは当時のビートルズがホームスタジオにしていたAbbey Roadを離れて'Hey Jude'のレコーディングセッションをトライデントで行うという事が主要な理由だった。ジョージ・マーティンが設立したAIRプロダクションとの提携関係の中で、トライデントはトライデント・オーディオ・プロダクションを立ち上げ独立経営を始め、後々イギリスでも名うてのエンジニアを排出し、その中にはEMIのケン・スコットやサガのロビン・ケーブルらが含まれていた。

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Trident Studio

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スタジオの入り口には過去のレコーディング履歴の表示があるようだ。



ケンはデビッド・ボウイと仕事をし、ロビンはエルトン・ジョンのエンジニアをしたり、ガス・ダッジョンと共に他の主流のアーティストを手掛けていた。トライデントは制作会社としてのスタートをそんなに喜んでいた訳ではなかったのは、自分たちのスタジオを使うクライアントと仕事が競合していたからだったんだ。しかしトライデントの連中は有能なタレントが数多くおり、彼らが制作に適切な環境を欲していることに気が付き始めたんだ。そんな時期なんだよ、Queenに出合ったのは。」



つづく


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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-8 [音楽に関わるブログ]




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SARM Studio



Queenが最初の三枚のアルバムを16チャンネルのレコーダーで録音していたが、Bohemian Rhapsodyは、24チャンネルのレコーダーの恩恵を受けることになる。
それでも問題を完全に解決出来た訳ではなかった。ベイカーはその辺りを解説してくれている。


「当時の24チャンネルのレコーダーは、機器ごとに違うフォーマットがあったんだ。しかし我々はそうした問題をなんとか乗り切っていた。つまり、録音に際しては1つの機器のみを使用したんだ。何故ならば、そうしないと複数機器間の同期をとった操作が不可能だったからだ。

まずロックフィールドスタジオで魚のフライを揚げる機械なみにデカい、ステューダー社の24チャンネルレコーダーで作業を開始した。
ヴァーカルのダビングは、スコーピオンスタジオで行ったが、そこにはテレフンケン社のレコーダーしかなかった。テレフンケン社のレコーダーには、他の機器にない特徴があって、それはテープの両端に対応するトラック1とトラック24の記録幅面をトラック223よりも広く設計していたんだ。

理由は両端に記録された音は、かなり高い確率でキチンと記録されない可能性を考えていたからなんだが、このことによってテレフンケン社のレコーダーは他のレコーダーとの互換性を失ってしまったんだ。(注:つまりテレフンケン社で録音した音は他のメーカーの録音機器では再生録音が出来ないという意味)

テレフンケン.png

テレフンケン社製の24チャンネルマルチテープレコーダー


「また残念なことにテレフンケン社の態度は、我々が我々の考える最良のテープマシーンを発明しただけだ!という感じだった。そこで我々はテレフンケン者のレコーダーの仕様は考えず、他の様々な機器から選択することを決めたんだ。
アンペックス社のものは驚くほど優秀だったが、テープ走行に問題があった。つまり、テープの最後の部分に至る過程で(註:テープの残量の影響でテープのテンション率が変化することで)テープスピードが変わってしまうんだよ。また唯一使える事を念頭に入れなかったのはステッペンズ社の機器だけだった。」

 

ベイカーは、エンジニアのマイク・ストーンとギャリー・リオンズそしてジェフ・ワークマンと共に、ロックフィールドの特別仕様の卓や、ラウンドハウスのCadac、ウェセックスにあった全体がの青さが印象的な古いニーヴ社製のコンソールなど実に様々なコンソール卓を試した。

結局ベイカーとバンドのメンバーらはSARM (East) スタジオでのミキシング作業から撤退し、Trident(トライデント) スタジオにあったTrident Bという名のコンソール卓で作業をすることにした。

Trident スタジオにはハウスエンジニアのマルコム・トフトが導入したsecond Bシリーズというコンソール卓があった。

この卓には理由は分からないのだが、とにかく素晴らしい音のするサウンドボードが組み込まれていたんだ。この卓のサウンドボードが売られた時、あのBohemian Rhapsodyのミックスに使用したものだというのが付け加えられていたのを知っていたよ。多分これによってトライデントは買った時よりも高く売ったはすだね。

我々はSARM スタジオにあったMCI 社の機材で我々が冗談でMunchy, Crunchy and Intermittent', と呼んでいるものを利用した。実はこの機材は当時いつも調子が悪かったからそんな言い方をしていたんだがね。


つづく

Part-9につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-25
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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-7 [音楽に関わるブログ]


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ブライアンは自身のギターサウンドについて語っている。

「リズムセクションが終わるとギターのダビングが待っている。レコーディングの手順は通常そんな流れになる。何本ものギターを使ってオーバーダビングをすることで多彩な音色を作る事が可能になる。私の場合は、オーケストラが違う楽器で演奏しているような効果を生むために意図的にギターのピックアップを様々に変えたり、アンプを変えたりして音を作るんだ。例えば“Mama, just kill a man”の部分ギターの高音域のアルペジオは、ワザとギターのブリッジ近くを弾いたり、弦を引掻いたりしたことであのサウンドを作ることが出来たんだ。オペラセクション前のギターソロのフレーズはどこから湧いてきたのは細かい記憶はないんだが、私の頭の中で鳴っていたんだろうね。とにかくこのソロのフレーズは曲のメロディーに反応した流れで演奏しているんだよ。そもそも私の演奏スタイルはまず頭の中でイメージして鳴らしてみるんだよ。それで座ってギターを構えて指に演奏させるのさ。指の動きは極めて予測可能なものなんだ。ただし頭の中のイメージが指の動きを先導して演奏をする場合は除くがね。」

 

ブライアンのギターが完全に録音される前は、多くの実験的録音が行われていたとベイカーは語る。

「我々は違うタイプのマイクをギターアンプにセットしたんだ。これは現在でもやっている方法なんだが、マイクの音をいくつか違うパターンで組み合わせて1つのサウンドを作ってみたりしたんだ。ブライアンのVOX AC30というギターアンプは背面に遮蔽が無いオープンタイプだった。だから我々は、ギターアンプ背面の壁の方向にアンプを立てて、スタジオの壁の跳ね返りの音(アンビエント)を録音できるようにし、ギターの全周波数をカバーできるようにしたんだよ。録音セッションの際には常に実験的な方法を試していたよ。またオペラセクション直前のソロギターは複数トラックを使用しないで単チャンネルの演奏として録音されている。」

セッション中の実験は常時行われていた。通常ブライアンはAC30を使用していたが、ブライアンのインタビューにも出てくるジョン・ディーコン作製の、3ワットほどの出力しかないタンディー・ラジオシャックのスピーカーを合わせて使っていた。

「我々は同時にトレブルブースターも併用した。それにより変わった音色を求めて、金属とコンクリート製のチューブ状の中にマイクを突っ込んで録音したりもしたね。その試みの全てが上手くいったよ。現在に至るまでその気持が変わらないね。」

 

ブライアンはロジャーの演奏の様子についても語っている。

Bismillah辺りにはロジャーがティンパンーをダビングしている。チューニングがいいんだよね。曲の初期のロジャーのドラムサウンドはタイトだが、ロックセクションからは別録音しているルームサウンド(ドラムの本体から距離を離して立てられたマイクで部屋鳴りを収録したもの)を使って拡がりを持った感じになっている。ここではルームサウンドが重要で、これがないとあの部分のドラマっチックな雰囲気を作る事はできなかったんだよ。

トライデントスタジオのドラムサウンドは伝説的なものだったよ。カーリー・サイモンなんかでも聞くことが出来るが、非常にタイトでクリアーなサウンドが録れる場所だった。ドラムを録音する日にロジャーと口論になったんだが、私は拡がりのある音が欲しかったのだがまだ若くてどうやってその音を得たらいいのか分からなかったんだ。そこでロイがエコーで対応できると言ってくれたんだが、そういうイメージの音を求めているんじゃないんだと伝えたよ。
それで部屋中にドラムから離れた場所にマイクを立てたんだ。そして最終的に我々が作ったドラムの音の主要なものは全て離れたマイクを基本にして、ドラムセットに近くに立てたマイクは、スネア以外にはほとんど使っていないんだ。いわゆるアンビエントドラムサウンドだね。」

つづく

Part-8につづく:
https://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-24


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