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2013年3月11日 JOURNEY 日本公演 at 日本武道館 [ライブ・コンサート]

Don't Stop Believe in.jpg

一般的なロックファンのJOURNEYの記憶と云えば1980年代のスティーブ・ペリーがヴォーカリストとして在籍していた時代だろう。彼らの名曲の数々もこの時代にものが多い。このバンドに首尾一貫して在籍していたのはギターのニール・ショーンとベースのロス・ヴァロリーだけで他のパートは全員入れ替わり立ち替わりだ。

JOURNEYというと80年代に登場した西海岸のアメリカン・ロックバンドのイメージが強いが、当初はあのようなポップなメロディーを繰り出すバンドじゃなかった。70年代の彼らはどちらかといえばプログレにカテゴリーされた場所で活動していた。しかし商業的には成功を納めされなかった。

バンドのマネージャーのハービー・ハーバートはバンドの戦略を転換するために自身のバンドのエイリアン・プロジェクトがとん挫していたスティーブ・ペリーを加入させた。その後、1981年にキーボーディストがジョナサン・ケインになってからバンドの風向きがフォローに転ずる。

1981
年から一旦バンドの活動を停止する1986年までがJOURNEYの最初の黄金期だ。その後10年の長きに渡って活動停止していたバンドはスティーブ・ペリーの復帰で再活動を始めようとしたらしいが、体調に不安のあったペリーとメンバーの間でビジネス的な折り合いがつかず、約2年間をもってペリー在籍の時代を終える。

さて、今回来日しているバンドのヴォーカリスト、フィリピン人のアーネル・ピネダが登場するのは2007年だ。

実際、この時代のJOURNEYと言われてもピンとくるものはなかった。実は今回のライブも友人から誘われてニール・ショーンは一度は見ておくか・・という程度の動機だった。
おまけにヴォーカリストがフィリピン人??という感じでもあった。しかし折角行くのならばと、色々と調べてみると、興味深い点も多々出てきた。
特にフィリピン人のアーネル・ピネダの発掘過程は時代というのかYOU TUBE経由だった点や、アーネル・ピネダの歌唱力にも驚かされた。そういえばミス・サイゴンの主役もフィリピン人女優だったからフィリピン人はかなり歌唱力のある人種かもしれない。
いずれにしてアメリカン・ロックバンドのフロント・ヴォーカリストがアジア人だった例をロックヒルトリー的に私は知らない。おまけに歌唱力も抜群となると見たことがない。これはアジア人の一員である我々としては応援に値する稀有な現象だろう。そんな興味も手伝って武道館に足を運ぶ。
今のJOURENYの立ち位置で武道館が埋まるのかどうかを当時担当のディレクターでさえも訝しがったらしいが、実際は予想を超える客入りだった。


それにしても滅多に見ないほどの満席だった。通常よりも席数を増やしていたので1万人以上程度は入っていたかもしれない。最寄りの九段駅にもチケット求むという手書きの看板を掲げた人を数多く見かけたので、東京1回だけの公演はひょっとしたらもう1回は出来たかもしれない。

130312JOURNEY武道館 (1-2).jpg


1848からジョナサン・ケイン(キーボード)の娘であるMadison Cainと、ニール・ショーンの息子であるMiles Schon2人(+サポートギター)による『Madison Cain & Miles Schon』がサポート・アクトとして出演する。カントリー調+ロックという感じの音楽でMadisonは相当な歌唱力の持ち主だ。

最後に演奏された曲は、ひょっとしたら一番最初に演奏した曲を違うアレンジでやっていたような気もしたのだが、個人的にはこの曲が一番印象に残った。

Miles Schonはオヤジさんと似た演奏をする息子でさすがにDNAだな・・と思った。

1925 会場で息子も見守る中、JOURNEYが登場。1曲目はSEPARATE WAYS。メンバーの中で最後に登場したピネダは本当に小柄な人物だった。髪も短くしているので46歳とはとても思えないほどかなり若い。(実際私の友人は20代後半か30代前半だと勘違いしていた)

アジア人としては異例のハイトーンで強いヴォーカルを展開する彼の姿はちょっと見ものだった。

ピネダの加入はファンの間でも賛否両論だったようだ。余りにもスティーブ・ペリーとそっくりな声で音域も声量も殆ど同じなので素晴らしいと評価する人たちと、悪い状態のような物まねバンドだと拒絶する考え方の人たちだ。

今回見ていて私はこの両方の考え方が混在した。バンドにとってヴォーカリストのカラーは大きい。
日本のバンドに置き換えれば、仮にサザンの桑田さんがバンドを辞めて、代わりに桑田さんそっくりの声の別の人物が加入してライブをやったらそれをサザンと云えるのか?というような問題だ。

個人的には、今回のJOURNEYの場合、ピネダの加入は正しい判断だったと思う。ペリーの声が創り出したバンドカラーを、オリジナルのメンバーがモノマネと言われかねないような声質のヴォーカリストを加入さえるというリスクを冒してでも継続・維持することで、機会を経てから別の次元に持って行こうという戦略は大きな危うさもあっただろうが残された中の方法論としては正しい選択だったと思う。

確かにピネダは背も低く、ペリーのようなイケ面じゃないし、まだカリスマ性もない。おまけにアメリカ国内ではアジア人というハンデもあり、これは本人もバンドも自覚している問題だ。しかしそれでもピネダの声はそれを打ち消すほど魅力的だ。世界中捜して結局ピネダだけが1番ペリーに近いヴォーカリストだったわけだから、その希少性は相当なものだと言ってよい。
特にバンドが今後アジア市場を求めて行く場合、ビネダの加入は決してマイナスにならないだろう。

今回会場には比較的若い層のファンが見かけられたが、アメリカGleeというドラマの中で「Dont Stop Believe in」が使われていた事が影響していたようだ。WBCワークドベースボールクラシックでも同じ曲が使用されているが、新しい世代に名曲が受け継がれて行くのは悪い話じゃない。

57
歳になったニール・ショーンのギターは往時を上回る演奏だった。彼はモニターをする際、最近流行りのイヤモニを使用しないのだが、昔からのやり方であるコロガシモニターで演奏する姿は私には良い感じに見えた。
また各曲の演奏冒頭には必ずドラマーの近くに行き、体でリズムを見せながらテンポの調整を行っていたので、ニールが演奏全体をコントロールしていたようだ。ニールがライブ中に使用した楽器は、エレキで3台、その他はアコギ1台と比較的シンプルな楽器構成だった。日本の某有名イケメンな歌手のようにライブ中に10台近く無闇にギターを変えるようなことはしなかった。
ニールのエレキの下面にはティア・ドロップ型のピックが8枚程度貼り付けてあり、ピックを変える際はここに手を伸ばしていた。ソロの際は基本的にオルタネイティブ奏法(各音ごとにピックを動かして弾い奏法)を中心としていた。彼の演奏を見ていると、エレキギターのお手本のような美しさがある。それにリズム感がいいギターリストなので、演奏に切れがあり、演奏パターンの引き出しも多いのでこうした点がこれまで彼が生き残れた原因なのだろうなあと思いながら見ていた。

ANY WAY YOU WANT ITのヒットしていた当時、私もこの曲をコピーをしたので、御本家の演奏を目の当たりにできたのはなかなか有難いものだった。

天才少年として登場した彼もキャリア50年近い人生をギターとJOURNEY一筋で過ごしてきた。浮き沈みも経験したミュージシャンのステージというのは色々な意味で見ごたえがあるものだ。

ところで、他のブログを読むとピネダのヴォーカルに多少厳しい評価を下している人もいたが、初お目見えの私には十分だった。
特にバラードではワイヤードのマイク(テンポの早い曲をやる際に使用するワイヤレス無線マイクではなくて、マイクにコードがついているタイプ)に変えて唄ったのだが、ワイヤードのマイクの方が圧倒的にピネダの中低域が出て彼の元々の太目の声質が反映されていたからだ。ピネダのヴォーカルに多少厳しい評価を下した人は、ワイヤレスを使用した際に失われる中低域に謎の違和感を持ったのだろうと推察する。そういう意味では、ワイヤレス無線マイクで歌うと声質がバンドの音圧に埋もれ気味だった事は確かに私も感じていた。ライブ全編をワイヤードマイクで聞いてみたかったが、パフォーマンスもあるので難しかったのだろう。
フィリピンでホームレス生活をしていた彼が、アメリカのメジャーバンドのメインボーカリストになるというのは、マイク・ウォールバーグ主演の「ロックスター」を彷彿とさせるシンデレラ・ストーリーだが、映画が現実に飛び出してきたようなものだ。彼には永遠にスティーブ・ペリーとの比較論が付きまとう運命だが、それに負けないようにアジアの代表として頑張ってもらいたい。

全体的に武道館の反応は全体的に好意的で良かったと思う。演奏された曲もヒットソングのオンパレードだった点もあるが、入門者にも、あの時代を通過して人にもヘビーユーザーにも悪くないセットリストだったろう。

しかしバンドを見るとお互い歳を取ったもんだ・・というのは最近毎回感じる事だが、段々こうしたバンドを生で見る事が出来る機会もなくなりつつあるのが実感だ。あと10年もしたら我々が通ってきた現役のロックバンドが東京にライブに来ることも殆ど無くなるのだろうと思うと寂しい限りだ。

なお、JOURNEYはドキュメンタリー映画を公開している。東京は新宿だけだったが、非常によく出来たドキュメンタリー映画で、ピネダ加入の経緯や、バンドの浮き沈みの歴史、メンバーのキャリア過程での心理、バックステージの様子などが克明に記録されていた。一部惜しむべきは、Sペリーの脱退経緯については掘り下げられていなかった点だが、本映画は基本的にピネダの発掘物語だからそれも良いかと思って見ていた。
3月20日は休みだったのか満席で、若い人も多かった。当初否定的な評価をされていたビネダの地に足のついたコメントを聞くと、ちょっと今後も応援したくなった。またメンバーもヴォーカリスト探しに苦労したせいか、ピネダに対して非常に気を使っているのが分かった。

http://journey-movie.jp/



武道館の帰りに垣間見えた靖国神社の様子が非常に印象的だった。

130312靖国神社 (2-2).jpg


データ:

場所:日本武道館

チケット代金:9,000円(税込)

座席:アリーナA8-66番(ステージ上手寄り)

SETLIST


-1. SEPARATE WAYS (WORLDS APART)
-2. ANY WAY YOU WANT IT
-3. ASK THE LONELY
-4. WHO'S CRYING NOW
-5. ONLY THE LONELY
--. Neal Schon's GUITAR SOLO
-6. STONE IN LOVE
-7. KEEP ON RUNNIN'
-8. EDGE OF THE BLADE
-9. FAITHFULLY
10. LIGHTS
11. STAY AWHILE
--. Jonathan Cain's KEYBOARD SOLO
12. OPEN ARMS
13. JUST THE SAME WAY
14. ESCAPE
15. DEAD OR ALIVE
--. Neal Schon's Guitar Solo (2台を持ち変えの技あり)
16. WHEEL IN THE SKY
17. DON'T STOP BELIEVIN'

=ENCORE=
18. BE GOOD TO YOURSELF

東京公演 311日 大阪公演 312日 広島公演 314
名古屋公演 3
15日 金沢公演 317


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ASIA 2012年9月25日 渋谷公会堂 [ライブ・コンサート]

ASIA 2012925日 渋谷公会堂

(記事アップ:2013122日)

 


AISA
の来日公演に行ったのは初めてだった。オリジナルメンバーでの来日は20072008年に続く3度目。しかし先日、理由は不明だが、スティーヴ・ハウが脱退表明をしてしまったので、年齢的な問題を考えても、このオリジナルメンバーでの来日はもうないかもしれない。
そういう意味でも貴重な体験だったと云える。なんだかんだ全員元YESのメンバーだし、色々な意味でロック史を飾った面々を直接見るというのは嬉しい体験だ。同じ年の419日には同じ場所でYESも見ることが出来た。

やはりジョン・ウェットンのヴォーカルが一番しっくり来る。レコードで聞いていた声が目の前で再現されるというのはライブの醍醐味だ。齢63歳にもなっている彼だが、唄の力は落ちていないと思った。高音も苦しい感じもなく唄っている姿は、ロック魂を感じさせてくれるものだった。

座席が一列目のやや上手寄りだったので、ステージ奥に鎮座していたキーボードのジェフ・ダウンズの真正面になった。

現代のライブステージではもう見られなくなった3面にキーボードを積みまくって、弾きまくる演奏スタイルはなかなか見ごたえがあった。
全部で12台位は使っていたのだろうか? それぞれのシンセの役割は良く分からないが、ガンバッテ演奏している姿は見ていて楽しいものだった。それにしても実に細かい演奏しているのが分かった。4人であのサウンドを再現するのはとても無理だが、シンセで何とかしようとする姿は確実にあった。

それにしてもコーラスがキチンと再現されていたのはちょっと驚いた。ドラマーがヘッドフォンをしていた訳でもないので、Pro Tollsを使ってでのシンクロじゃないのだろうから、あのメンバーでの再現なのか、ステージ脇に覆面コーラスがいたのか?

スティーヴ・ハウは、科学系の研究者の様相だったが、相変わらず神経質そうな表情でギターを弾いていた。意外に一番リズムにうるさいのは彼かもしれない。ステージ上で演奏中の段取りに問題が発生したような雰囲気をメンバーに訴えていたがほとんど無視されていたのには苦笑した。
ああいった感じの蓄積が脱退へ繋がったのかもしれない。そうでなければ金の問題だろう。
しかしYESにしてもASIAにしても一風変わったギターのアプローチは彼の功績と言っていいのかもしれない。

実は前から感じていたのだが、レコードを聴いていてもASIAってドラムがなんとなく走っているよね・・という点だ。Heat of the momentの最後のクリア返しのドラムのフィルから着地なんて、完全に前のめりだしなあ・・とずっと思っていたのだ。
今回
カール・パーマーの演奏を実際に見て、ずっと聞いていて理由が良く分かった。

このドラマー、基本的にずっと走り気味のドラマーなんだね。テクニックは相当あるのだが、リズムのキープ面という点ではちょっと難点があるドラマーだなあというのはレコードで感じていた通りだった。
また、フィルの後とかにリズムの着地が乱れる人なので、他のメンバーは結構演奏し難い面があるだろうなあ・・と思って聞いていたが、それでもずっと一緒にやっているので、あのリズムキープには多少難点があるが、勢いのあるドラムスタイルは彼らの音楽にとって魅力的だったのだろう。
そういえばビリー・ジョエルが長年演奏活動を共にしたリバティー・デヴィートも、フィルのあとに結構走る人だった。
彼は後年、ビリーの新しい音楽プロデューサーにクビにされ、ツアーメンバーからも消えたが、もともとビリーの幼馴染で勢いのあるドラミングはビリーの好みだったようだ。

まあ、人間のやる演奏にはそういったクセがあり、好き嫌いはともかくそれも一つの魅力でもある。

 

来日メンバー:
ジェフ・ダウンズ(key)、スティーヴ・ハウ(g
カール・パーマー(ds)、ジョン・ウェットン(vo, b

 

2012.09.25 ASIA@渋谷公会堂 Setlist

01. Only Time Will Tell
02. Wildest Dreams
03. Face on the Bridge
04. Time Again
05. Ride Easy
06. One Step Closer
07. Mood for a Day (Yes cover,Steve Howe Solo)
08. Second Initial (Steve Howe Solo)
09. I Know How You Feel (Wetton-Downes Duo)
10. Don't Cry (Wetton-Downes Duo)
11. The Smile Has Left Your Eyes (Wetton-Downes Duo)
12. Without You
13. Cutting It Fine
14. Drum Solo
15. Here Comes the Feeling
16. Open Your Eyes
---encore---
17. Sole Survivor
18. Heat of the Moment

ライブ中にセットリストをメモして再現してくれている方々に感謝申し上げます。
私にはとてもできません。

ASIA Japan Tour 2012 日程
2012
924() 渋谷公会堂(演奏セットA版)
2012
925() 渋谷公会堂(演奏セットB版)
2012
926() サンケイホールブリーゼ
2012
927() Zepp Nagoya


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桑田佳祐様 I Love You 横浜アリーナ 2012年12月30日 [ライブ・コンサート]

桑田佳祐様 I Love You 横浜アリーナ 

 20121230日 天気:雨


121230桑田さん横浜ブログ-2.jpg

食道ガンの手術から初の全国ツアーを開催するまで回復した桑田佳祐様のツアー終盤を見に行く。1230日を選んだのは、翌日に帰省をする予定があったからだ。当日は冷たい雨。桑田さんのライブはサザンを含め80年代から見ている。もう何回見たのか記憶にないが、私の人生の一部を彩ってくれている音楽である事は間違いない。

121230桑田さん横浜ブログ-1.jpg



座席はアリーナでステージからほぼ正面の位置。距離はあったのだが、双眼鏡を持っていたので舞台の様子は良く見えていた。やはりライブは演者の視覚認識がないと盛り上がらない。会場は立ち見も出て超満席。開演前、来場者の期待感が伝わる。結果的には3時間30分に及ぶ濃密なライブとなった。

実はその直前のミュージックステーションに出演していた桑田さんの唄声を聞いていてちょっと不安になっていた。声量に力が無い感じがしていたからだ。やはり手術の影響はまだあるのかな?と思わせた瞬間だった。
つい先ごろ
中村勘三郎氏が同じ食道がんを患い、57歳で亡くなったニュースに触れたばかりだったが、桑田さんも同世代で同じ病気を患った人間としてこのニュースに心痛しただろうことは想像に難くない。

しかし、ライブ開始の一曲目を聞いてそれも払拭。紛れもなく往時の声であった。(良かった)

演奏も音も良く、照明、映像の演出も抜群で、相変わらず良いスタッフィングで良い仕事を見せてくれていた。切れ目ない映像素材の構成は相当大変だったろうと思う。照明も細かい演出を施していて、見ていて関心させられた。
横浜アリーナは、クラシックほど残響は強くないが、それでも余りデッド(無残響)じゃないので、会場内に音が廻って歌が聞きにくい場合があるが、今回のライブはビートが強く利いていても歌が鮮明でPAが良い腕をしているのが分かった。
K-POP
のライブとかはカラオケを使うため、音の分離が悪くて未だに出音が酷いけどねえ。

前回見に行ったソロツアーは2007年の『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』だったと思うが、その頃と違ったのは、ステージを縦横無尽に走り回る姿が失せた点だけだろう。さすがに体力的な問題だと思うが、その分歌をじっくりと楽しめるライブだったので私には有難かった。

本人もMCで酒を止めた(煙草は以前から止めていたようだが)と云っており、病気を経て様々な事があったのが伺えた。

121230桑田さん横浜ブログ-3.jpg

セットリスト:

1.悲しい気持ち(懐かしい曲だ)
2.
今でも君を愛してる
3.
いつか何処かで(これも懐かしい曲だ)
4.
本当は怖い愛とロマンス
5.my little hometown
6.
真夜中のダンディー(これも懐かしいなあ)
7.
東京(渋い良い曲だわ)
8.
月(サムライな感じの曲だよねえ)
9.
幸せのラストダンス(会場内で2013年度初頭に結婚する人を指名して歌を送るという企画。桑田さんの友人の子供さんが指名されたが、偶然か仕込みかは不明。しかし企画としては斬新で周囲も幸せな感じになり、楽しめた。)
10.CAFE BLUE
11.
明日へのマーチ
12.
愛しい人へ捧ぐ歌
13.
声に出して歌いたい日本文学(18分の大作を一挙演奏)
14.
現代東京奇譚
15.
白い恋人達(星のような照明演出に泣けた)
16.
ダーリン
17.
銀河の星屑
18.Let
s try again
19.
メドレー:
 YMCA
 ライディーン(YMO)
 止まらないhaha(E.YAZAWA)
 恋人はサンタクロース(YUMI MATSUTOYA)
 波乗りジョニー
20.100
万年の幸せ(ちびまる子ちゃんとの映像コラボあり)

アンコール:

21.涙をぶっとばせ!!docomoCMで使用されている曲。桑田さんとしては多分直球の曲だろうが、やっぱりこの曲はアンコールの最初として盛り上がった!)
 22.ROCK AND ROLL HERO(この曲は今の世相にもピッタリだ!)
 23.可愛いミーナ
 24.祭りのあと
 25.月光の聖者達
 26.明日晴れるかな


 

ライブトピック:

◎桑田さんのライブは年齢層が広い。親の世代から子供の世代への移行がはっきりとあり、彼の音楽が幅広く支持されているのが良く分かる。凄いことだ。

◎気がつけば3時間30分のライブ。アッと云う間だった。これだけの曲を歌うのは相当な体力が必要だが、ここまで回復したのだろう。

◎この日のライブは全国の劇場でも生中継されていた。いわゆるライブビューイングだ。全国でどのくらいの人が見ていたのだろう?

◎どこかのタイミングかは忘れたが、ビートルズのIn My Lifeを弾き語りして、ジョン・レノンの入れ込んだ姉との逸話をMCする場面もあった。
楽しい話だったが、桑田さんの心の中に姉の死を悼む感じが過ぎっているように見えた。

◎ヴァイオリンの金原千恵子さんはクラシック出身者の美貌とテクニックとはかけ離れて、終始ノリノリで演奏しており、見ていて楽しかった。
ああいうクラシック出身者の方がいらっしゃるとクラシックが堅苦しい音楽でなく、またクラシック出身者にも多様性を感じられて楽しい。
アンコール時に着用していたミニスカート風Tシャツも色っぽくて最高だった。桑田さんのMC
葉加瀬太郎氏にストーキングされていたなんて云われていたが、彼女の美貌や魅力ならまんざらウソでもないだろう。

◎メドレー・コーナーでYMOのライディーンの触りが演奏されたが、現在のYMOよりオリジナルに近いシンセの音色で片山が演奏されていたのには笑った。最近のYMOは音がちょっとフニャっとしているしなあ・・。

◎コーラスは女性1名が新しく加盟していたようだ。高音が綺麗な人だ。

◎アンコールで桑田さんは“SUPERFLY”のTシャツを着用。

◎ギターで中シゲヲ氏が入っていなかったのはちょっと寂しかった。

◎ライブの最後で、桑田さんが1分に近い時間、観客に対して深くお辞儀をして頂いたのは印象的だった。吉田拓郎氏の時もそのような風景があったが、困難を経たミュージシャンの本当の気持ちだったと思う。

◎桑田さんのライブは何度も見ているが、毎回心躍る体験をさせてくれる。これからも健康に気をつけて唄い続けて欲しいものである。彼はもはや人間国宝級だと思う。

バンドメンバー:
斎藤誠(gt,cho)→桑田さんが最も信頼するギターリストだろう。
片山敦夫(key)→もはや桑田さんに無くてはならないKeyだろう。
河村カースケ智康(drums) →今や日本で最も忙しいドラマーと紹介される。真実である。
シュアーでセンスの良いドラムを叩く人だ。ドラマーはリズムの良さとフィルの入れ方を聞くとレベルが分かるが、この人は日本でも最高のレベルに居るだろう。スティーブ・ガッド風な背中を丸めた叩き方がカッコイイ。
角田俊介 (bass)→この方は上手いベース弾きだよね。
深町栄(key) →還暦とは思えない若い演奏をする方。
金原 千恵子(Violin) →素敵なヴァイオリンプレイヤーだ。
山本拓夫(Sax)→この方売れっ子ですよね。
西村浩二(Trumpet)→この方も売れっ子ですよね。
角谷仁宣(Computer Operation )→彼も桑田さんの音楽には無くてはならない人になったね。
安奈陽子(chorus)→コーラスのバンマス的存在。
竹沢敦子(chorus)→美しい高音が素敵だ。
佐藤嘉風(chorus)→芸達者なコーラスの方だ。


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松任谷由実&プロコル・ハルムツアー ~Back to the beginning [ライブ・コンサート]

YUMING.jpg
                                           at昭和女子大 人見記念講堂

                                                                                        20121211

 

ユーミンさんの楽曲は時代と共に殆ど聞いているがライブに行ったのは天国のドア/THE GATES OF HEAVEN YUMI MATSUTOYA CONCERT TOUR以来だろう。あれから随分と時間が経ってしまった。

私がユーミンさんをコンスタントに聞くようになったのは1979年の“悲しいほどお天気”からだった。

それまでも“ひこうき雲”“潮風にちぎれて”“翳りゆく部屋”など個別の楽曲で好きなものはあって、多少知っていたがアルバムを買って聞くということはなかった。それは彼女の声質が苦手だったことが理由だ。

大学時代のある日、近所に住む大学の同級生のH君が近所の喫茶店でバイトを始める。そこで同じくバイトをしていた上智大に通う美しい女子大生は、毎日“悲しいほどお天気”を店内でかけていたのだ。H君も居るし美しい女子大生もいるので私は毎晩その喫茶店に遊びに行っていたのだが、知らないうちに“悲しいほどお天気”を全編聞くことになった。そして何気なく歌詞カードを見ながら聞いていると松任谷由実の世界観にズッポリはまってしまった訳だ。特に“緑の街に舞い降りて”や“DESTINY”は秀逸な作品で今でもipodで聞いている。

何故今まで聞いてこなかったのかと自分の不徳を恥じたほどだったが、程なくしてそれ以前のアルバムを全部聞き、遅ればせながら彼女の才能の素晴らしさにのめり込む様になる。

私は山下達郎さんが好きなのだが、売れてない時代の彼はユーミンの楽曲でかなりのコーラスワークをしており、そうした発見も嬉しかった。

彼女の楽曲は彼女が表現者として最もオリジナリティーを持っていたのでそれ以降は声質への苦手意識は全くなくなった。

そういえば昔、私が音楽業界に居た時代、銀座のONKIOハウスというレコーディング・スタジオである夜仕事をしていると、同じビルの別のスタジオで仕事を終えたユーミンさんが帰り際に現れるということが数回あったが、いつも明るくてオシャレな人だった。

今回彼女の音楽的ルーツであるプロコロ・ハルムともコラボライブは、本人の弁を借りれば、“最初は企画に抵抗があった”ということだ。
きっと企画はWOWOWが持ち込んだんでしょうね。
でもそれについては最終的に本人も了解し、判断が未消化だが、現実となった今を一生懸命咀嚼しているというニュアンスでMCを聞いた。

ユーミンファンにとってプロコロ・ハルムへの馴染みが深いとは言えないかもしれない。ほとんどの人はプロコロ・ハルムで知っているのは“青い影”位だろうし私とて同じだ。しかし洋楽ファンには一時代を築いたプロコロ・ハルムの来日は、セット企画と云えども心擽られるものだった。
ユーミンさんのライブと言えば苗場のような小屋を除けば大規模で物凄い演出をショー的に魅せてくれる印象がある。しかし今回はそういった演出を排除したライブだった。私にはある意味でそちらの方がありがたかった。
コンサートは“ひこうき雲”のピアノの弾き語りから厳かに始まった。ライブの冒頭は比較的キャリア初期の曲が多く、私には心に染みるものだった。大学時代の友人との時間や光景が走馬灯のように駆け抜けた。

121211ユーミン人見記念.jpg

会場の昭和女子大学 人見記念講堂
昔、セルジュ・ゲンスブールを見たのもここだった。

プロコロ・ハルムと彼女が“ひこうき雲”と“翳りゆく部屋”を英語版でコラボする演出があった。
ある意味でこの楽曲群の元ネタを作家自身がバラしている訳であるが、“ひこうき雲”→“翳りゆく部屋”→“青い影”と聞いて行くと彼女がプロコロ・ハルムから受けた影響が絶大だったことが非常によく分かる。また受けた影響を非常に作家的に処理して自分のオリジナル楽曲を作り上げた彼女の有り余る才能を堪能することが出来て非常に興味深い演出だった。40年のキャリアはこういう演出に耐えうるということだろう。

しかし芸歴40年は本当に凄い。
彼女がこの長い期間、時代の波を超え、厳しい音楽業界で生き抜けることが出来た素養の根源には、極めて優秀な作家の才能があった点が大きかったのだろうと感じた。特に歌詞の持つ世界観は文学をも超える高度なものなのは今更言うことでもないほどだ。

さて、人見記念講堂は天井がかなり高い講堂で、基本的にはクラシック向きに作られているため残響が多く、リズムが強く出るポップミュージックやロック系には不向きな面があるが、PA(音響)の腕が高かったせいで音の抜けが良く、ヴォーカルや楽器の分離がキチンとしていたのもライブの質を上げてくれていた。また照明も過度でなくツボを押さえた構成で、全体的に聞きやすく見やすい良いライブだった。同じ場所で見た井上陽水さんの時は、会場の残響を考慮せず、彼のヴォーカルに過度なリヴァーブがかかり過ぎていて非常に聴きにくかったが、今回はそういうこともなく助かった。

私は1Fの上手寄りの後ろから3列目付近で見ていたのだが、双眼鏡を持参したのでステージ上の演者の表情や動きがはっきり確認出来た。やはりライブは視覚的な情報量も重要だ。
ユーミンさんの衣装も楽しみの一つだったが、やっぱりセンスのいい人である。イヤモニ(耳にはめているイヤホン型のモニター)にしても色のコーディネートしていたからなあ。あれって特注なんだろうなあ。
彼女は齢57歳になろうとしているが、驚くほど元気ハツラツなのは凄いなあ・・と思いながら見ていた。還暦になってもきっと同じなんだろうと思うと、この年代のミュージシャンって本当にパワフルだなと感心した次第だ。

プロコロ・ハルムのギターのジェフ・ホワイトホーン氏はTシャツだったが、二回目に出てきた時は“Procol Harum”のロゴが入ったTシャツを着ていて気になった。
それにしても齢67歳となるヴォーカルのゲイリー・プレッカー氏の声は当時のままと云えるほど健在で、“青い影”を聞いた時はジーンと泣けてきたなあ。
またハモンド・オルガン奏者のジョシュ・フィリップス氏が、左手で小まめにレズリースピーカーの回転を変えて音色に変化を与え演奏に華を添えていたのが印象的であった。

ユーミンさんもアンコール前のMCで感極まった表情を見せ、こちらもちょっとウルっとした。
ライブ全編を通じて彼女の少女のような初々さ感じられたそんなライブだった。
今更言うことでもないが、ユーミンさんは稀代のエンターテナーである。時代を作る人のエネルギーは凄いものである。

一点だけ惜しむべきは、曲によってはオリジナルキーを下げて演奏されている楽曲が散見されたことだけだろうか。彼女のヴォーカル力は2000年代に入ってから、以前に比べて発声度合いが落ち始め、それをご本人も気にしているという報道も見聞きしていた。
その現実的な対策がやむなくもキーを
下げることだったのだろう。
確かに年齢が上がると高域がキツクなる。
夫の松任谷氏は意図してボイトレを彼女にさせなかったとインタビューで答えていたのを読んだ事があったが、私の見解としてはやはり加齢に伴う喉の筋肉が衰えや変化に対応するためには、一定程度のボイトレによる声の使い方への対策は必要だったろうと思っている。
実は山下達郎さんは数年前、レコーディングで使用しているマイクを変えたと語っている。この理由は不明だが、やはり年齢による声質の変化によって従来のマイクでは以前のような感じを100%補足できなくなったからだろうと推察する。
ポールマッカトニーだって古希になり流石に昔のようには唄えない。これは人間なら仕方のない変化なのだ。
特に裏声は年齢と共に急速に出なくなる。若いころとは違う味を出す意味でも、喉のケアーは重要なファクターだろう。
彼らの年代のヴォーカリストは、納得できる質を維持した状態で、現役でいつまでやれるのかが大きな問題なはずである。いつかは唄えなくなる日が来るが、ファンのためにも出来るだけ現役で出来るレベルを維持して欲しいと願う。

ユーミンさんのキー落としの演奏は事実としてあったのだが、それでも演奏や曲の良さは変わらない。今後も彼女のツアーがあるだろうから、また改めて行こうと思った。

ちなみに長年ユーミンさんのバッキングヴォーカルを務めている松岡奈緒美さんは、1990年代初頭、キングビスケットタイムという企画的な女性グループのメンバーだったが、私もアレンジや楽曲提供をした事があり、一時期六本木のスタジオに籠って一緒に仕事をした時期もあった。残念ながら全く売れなかったが・・。(笑)
彼女は当時と変わりなく元気にステージで活躍しており、客席から見ていて懐かしくも嬉しかった。

以下の当日のメンバーとセットリストを強力なファンが作ったページから引用させて頂く。ファンの力は本当に凄いもんだと思う。

メンバー、セットリスト(曲順)情報: 

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yuming-kobe/12tour/procol_harum.setlist.html


そういえば全然関係ない話だが、昔出した彼女のあるアルバムで、クレジットが“松任谷由美”になっていて発売後回収したという事件があったのを思い出した。“松任谷由実”なんだけディレクターの確認ミスで気がつかなかったとい話なのだが、身体極まる事件だったという。まあ文字校正はいつの時代も重い仕事なのだということだろう。


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吉田拓郎様 2012ライブ at NHKホール 2012年11月6日 [ライブ・コンサート]

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ブログを書くのにちょっと間が開いたのだが吉田拓郎様のライブに行ってきた記事を書きます。
実は1979年の篠島アイランド・コンサート以来だ。あの日、朝日を浴びながら“人間なんて”を聞いてからもう33年たったんだ。ちょっと行くのに時間を開け過ぎましたなあ。
おいらも50代になっちまったし。

2009
年の生
涯最後の全国ツアーと銘打ってスタートした<Have A Nice Day LIVE 2009>が、慢性気管支炎の悪化により中止。そしてやっと復活した。齢66歳。どんなライブになるのか楽しみだ。

会場はやっぱり50代以上が圧倒的。若い人もちらほら。会場外でチケットを譲ってほしいという看板を手にしていたのは何故か30代の女性が多かったのが意外だったが・・。

今回は東京近郊の4か所のみのライブだった。
10/22(
) 東京国際フォーラム 10/25() 大宮ソニックシティ 10/29() パシフィコ横浜、そして11/6()NHKホール。総動員数で18千人程度。全国のファンにとって垂涎のライブだったろう。
こういう時によく思うが、東京に住んでいて良かった。まあチケットも取れてよかった。

チケット代:9,000円

座席:2階C14列23番(2階のセンター付近だが、後ろから数列目)
 

開演前の会場内は、なんか熱い空気に満ち溢れている。矢沢永吉氏とは違うが、熱さは似ている。開演時刻が迫ると、拓郎!!という声と逸る心を抑えきれない観客の手拍子が響く。

照明が暗転すると拓郎さんが一人でアコギを持って登場。そして以下のセットリスト順で演奏が始まる。このセットリストは他の3か所と同じだったようだ。

1.「エマニエル夫人」のテーマ曲(独唱)
2.
ロンリー・ストリート・キャフェ(独唱)
3.
落陽:おお! 待ってました。声も凄く出ている!
4.
こうき心
5.
僕の道
6.
白夜
7.
家へ帰ろう
8.
ウィンブルドンの夢
9.Voice
10.
白いレースの日傘
11.
虹の魚
12.
ふゆがきた
13.
慕情
14.
歩こうね
15.
花の店
16.
伽草子:本当にいい曲だ!
17.
流星:家の親父も好きだった曲だ。
18.
全部抱きしめて
19.
春だったね:拓郎節全開だ!
20.
僕達はそうやって生きていた
21.
純情
——————————–
22.
リンゴ:70年代の学生運動時代の日本の様子を思い出す。
23.
外は白い雪の夜:本当に聞けてうれしい。あの唄い方は拓郎さんしかできない。マジで泣いて聞いていた。

深々と長いお辞儀をしてステージを去っていた拓郎さんの姿が印象的でした。

NHKホールは多目的ホールで、どちらかと言えばクラシック寄りのホールなので残響も多く、ロック系のビートを利かせたライブを見るには余り向いてないと感じていたが、今回はPAの音もメリハリがあり、ロックなビートで音の分離も良く満足だった。中盤の曲は知らないのが多かったのは私の不徳の致す所だ。


声の野太さは依然にも増していた。気管支系の病気をしたという事で心配していたが、心配の必要もないほど唄声がパワフルだった。
ご本人は4本で十分だったろうが、日本のファンにはもっと色々な場所でやって欲しかっただろう。まあそうは言っても66歳。体力的な面や精神的な面での対応が必要だろうから簡単ではないのだろう。
でもすげーなあ、本当に66歳かなこの人・・。この年代の人たちは本当に凄いんだよなあ。こういう人たちだから、あの時代の圧倒的な空気感があったんだよなあ。やっぱり人間力って時代の空気を作るんだよね。

外に出ると小雨模様の夜でした。

メンバー:

Drums:宮田繁男、Percussion:朝倉真司、Bass:松原秀樹、
Keyboards
:武部聡志、

Guitar:鳥山雄司(下手)、Guitar:渡辺 格(上手)、
Chorus:今井マサキ、岩崎元是、大嶋吾郎

このメンバーなら演奏も音も安心のはずです。



記憶のあるMC:

(1)本当今日が最後でうれしいんだよ。俺この位の本数がいいだよな。4-5本が最高だって分かったよ。これでこの後に大阪とかでもう1-2本あったら、もう全然やりたくないしさあ。

(2)俺今朝起きた時、凄く機嫌が良かったんだよ。だって今日で最後なんだもん。

(3)今日はテレビで撮ってますから。滅多な事は言えないだよ。この間の大宮の時なんて、エロ話が脱線し過ぎて、バンドには受けたんだけどさあ、客が引いたよね。今日はそういうのは出来ないな。

(4)俺、本当は唄うのとかアンマリ好きじゃないんだよ。だからもう早く終わりたいんだよ。(まあまあそう言わずに・・)

(5)俺さあ、最近原宿とか全然怖くて行けないんだよ。若い奴らが怖いんだよ。昔は肩で風切って歩いていた俺がだよ。もう絶対行くのは無理だなオレ。

(6)昔自分が20代の頃は客が10代でピチピチしてたんだよな。30代になると客が20代で・・・。俺今60代なんだけど、それを考えると恐ろしくて客席見れないよなあ。照明が暗くて良かったよ。拍手もパサパサしているしなあ。ねえ、みんなの拍手ってちょっとパサパサしてない?

(7)俺さあ、寒い所がダメなんだよ。だからスキー場とか行くなんて信じられないんだよ。ああいう所でさあ、コンサートとかやってる怖い女の人とかいるじゃん。誰とは言えないけど。いやあ、本当に怖いだよ、あの人たちは。ねえ(と言いながら武部さんに視線を向ける。武部さんは、●-ミ●さんと仕事やってまうからね。)

今後もがんばってほしいです。


過日、BSプレミアムで沢田研二氏との対談をやっていた。沢田さんの方が拓郎さんより年下だが、なんか拓郎さんが随分気を使っているようだった。沢田さんのロングインタビューってあまり見た事がないが、彼ってかなりはっきりした自己世界を持った人だなあと感じた。ちょっと中に入りずらい世界が体の周りに構築されているような印象だった。それが沢田研二という人の個性なのでしょう。
印象的な話だったのは、一時期ライブの集客がかなり落ちて、ガラガラのところでやるよりイイヤということで小さいホールに変えたら”落ち目”とか言われたんですよと苦笑いして言っていた時だ。自分にとってちょっとマイナスな情報なのだが、そういう事を言える年齢になっただなあと思いました。両氏とも時代を作ってきた人々なので、その存在感は凄いものがあります。
拓郎さんも妻がNHKのドラマの撮影の仕事で京都にいるので生活が不自由で困っているなどと語り非常に興味深い番組であった。


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八神純子様 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール 2012年11月19日 [ライブ・コンサート]

八神純子様 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

八神-5.jpg

青砥駅前にあるモーツアルト像
会場へはこの方面から進む。


 


2012
年に始まった八神純子様のツアー。今回で3回目の参加となる。1年の間に一人のアーティストのライブに3回行くなんて、山下達郎さんのライブでもやったことがないなあ。
さて京成線の青砥駅を降りて徒歩約10分。かつしか
シンフォニーヒルズモーツァルトホールが今回の会場。会社を若干早めに退社しないと行けない場所だった。なんせ品川区内の会社から1時間程度かかるからだ。

八神-4.jpg


当日券も若干あったようだが、見た感じ、会場はほぼ満席。今回は早めにチケットを買ったので1階6列23番という前方の座席だった。初めて至近距離で見ることが出来た。ウレシイ! チケットは会場で受け取る。
会場の年齢層は概ね50代以上が主。ご夫婦連れも多い。
また高齢の方もチラホラ。
でも演歌な感じはない。

八神-1.jpg


過去2回参加したライブとはセットメニュー(曲順)が随分と異なっていた。冒頭はグリーンのジャケットと白いパンツ姿でアクティブな感じでございました。
途中では写真のような衣装にも変えていたので新しい感覚で楽しめました。他のブログの写真を見ると色々なドレスを持っていらっしゃるようです。
さて、2012年に入って彼女は全国で何回ライブをやっていたのか・・?。

公式WEBを見ると「翼・私の心が聞こえますか。」ツアーだけでも47回はやっており、それ以外の名目でもライブをやっているのでトータルで60回近いかもしれない。またその他にも被災地でのボランティア・ライブをやっているようなので、2012年は彼女にとってかなり忙しい年だったろう。

八神-2.jpg



相変わらずの美声で安心して楽しめるライブだ。
やはりプロの歌手とはこういう人を言う。私は歌のへたくそな人のライブが本当に嫌いなので助かります。
彼女のMCによると、2013年冒頭はライブツアーメンバー達とレコーディングをし、春頃からツアーをするらしいので、またその時に歌が聴けそうである。東北・列車ツアーも企画しているらしい。

そういえば、2012年初頭に出したアルバム「Vreath」のタイトルの「V」の意味を教えてくれました。「V」の使用の由来は、ヴォーカルを歌う際に強声(Breath)する部分にV字チェックを入れるとの事だが、「Breath」の冒頭に「V」を使うという発想から
、BをVに変えたということだ。なるほど。考えられている。

さてツアー途中から始まったらしい恒例の写真撮影コーナーで撮影した写真はご覧の通りだ。常連の人は携帯ではなくカメラで撮影していた。ちなみに私も同様である。
それでもシャッタースピードを100以上でキープするのはある程度ISOを上げないと難しい。そうでないと被写体の動いているためブレた写真になってしまうのだ。

どうやら近いうちに19歳の息子が来日するらしい。母のライブを見たいということだが、来日の時がライブの日程と重なり、無事に到着するかを心配していた。まあ可愛い子供には旅をさせろである。息子も人気者の母の姿を見たら、尊敬が増すのではないだろうか?

八神-3.jpg


コンサートの最後の曲は客席に降りて、アカペラで唄ってくれた。マジ、本当に感動する声であった。こんな歌の上手い人が親戚に居たら自慢だなあ。 堪能しました!


多分演奏したと記憶している曲の一部リスト(曲順不同):

約束(新曲/40-50代の恋を描いた作品)、クジラの唄(新曲)、さくら証書枯れ木に花を咲かせましょう(震災被災をした小学生たちからのハガキに触発されて書いたという曲)、思い出は美しすぎて、みずいろの雨、ポーラスター時代(作・中島みゆき)傷ついた翼(作・中島みゆき)思い出のスクリーン(この曲は当時、南米に行った時、余りにも南米に惚れてしまった自分の心の内を描いた作品だと話をしてくれました)、パープルタウンラブ・シュープリーム 至上の愛(この曲の声は聞き惚れますなあ/2回目に行った際は当時のエピソードを話していたっけ)、夜間飛行(大好き/後藤次利さんが初めて他人に作曲した曲というエピソードを知る)、Mr.ブルーなど。

データ:

日時:20121119() 開場 18:00、開演 18:30 終演:21:15

会場:かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

料金:6,000円(税込)
座席:1F6列23番(若干上手寄り)



かつしかでのライブを見てPA様等へのご要望(いつもホントうるさくてスイマセン):

■ヴォーカルのバランスはいつも最高に良いです。歌詞やニュアンスが聞き取れて助かります。この調子でお願い致します。

■この日はなんとなくでしたが、E-GR(エレキギター)の抜けがもう少しな気がしました。フロントスピーカーがEV製だったので、普通はもっと堅い感じにもなりそうだが・・・。
音量なのかEQなのかマイクのセッティングなのか会場の問題なのか?
それともギターのセッティングなのか演奏方法なのか?  もう少しだけ硬い音の方が音楽にカチっとくる感じがしました。(それとも座っている位置の問題だったのか?)

■みずいろの雨のイントロのストリングスのシーケンスのバランスはもっと大きい方が原音源に近いイメージだと思いました。これは以前にも指摘しましたが、イントロが始まった瞬間がイマイチ分からないです。

■八神さんのCP-70は、もう少しバランス的に出してもいいのでは?と思いました。その方が中域が厚みを増して、音像感が安定したバランスになるように思えました。
■ドラムスがシンバルなどでオカズ的なリズムを刻む時、表のビートだけでなく、裏にさりげないビートを入れたりすると、もっとグルーブが増すかなあ・・と感じてました。

本当にいつも生意気ばかり言ってスイマセン。


 2017年、渋谷のオーチャードホールで開催されたオーケストラとのコラボレーションコンサートを見た。ここに書いたライブを見てから5年。活動を再開し始めてから6年近い時間過ぎて八神さんは随分と近年の活動に手ごたえと自信を持った印象がした。


集客が安定し、初期の時代に一緒にやっていたような一流のスタジオ系ミュージシャンをブッキング出来るようになった事もあり、ここに記載した当時のライブでバックを務めたメンバーとはもう一緒に演奏をしていない。正直言うとこの当時のメンバーは二線級だったの
ある意味当然なのだが、彼女の元々のレベルを考えればそうなって必然だと思う。プロというのはそういうものだ。横浜のコルドンブルーでは村上ポンン秀一氏などと組んだバンドでやったが、レベルの違う演奏を聴き、八神さんがその違いを最も判っていたはずだろうと思った。
自身の音楽環境のレベルが一旦上がってしまったら下げる事は難しい。

葛飾で見た当時の彼女はまだ日本での活動が手探りな感じだったし、それに合わせたメンバー陣容で活動をしていたと思うしそれは適切だったろうと思う。
オーケストラとのコラボレーションコンサートを見て一杯の観客を集めた彼女は、ある意味実力通りの彼女を披露していたし、これからもそうなると思う。
そういう意味で、この当時の初々しい感じの彼女は現在では見れなくなったと言って良く、私もオーケストラとのコラボレーションコンサートを見てある程度の満足感を満たしたと言っていい。この先彼女のライブに行くかは分からないが、彼女が還暦を過ぎてから見てみたいな・・とは思っている。




以上です。


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THE DUKES OF SEPTEMBER RHYTHM REVUE Set Menu at Budokan [ライブ・コンサート]

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THE DUKES OF SEPTEMBER RHYTHM REVUE Set Menu at Budokan

1 Nov 2012


(Set List)

PEOPLE GET UP AND DRIVE YOUR FUNKY SOUL

WHO'S THAT LADY

SWEET SOUL MUSIC

I KEEP FORGETTIN (EVERY TIME YOY'RE NEAR)/ Michael McDonald

TROUBLE MAN

KID CHARLEMAGNE

THE SAME THING

MISS SUN

I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE

YOU NEVER CAN TELL

IF YOU DON'T KNOW ME BY NOW/ Michael McDonald

WHAT A FOOL BELIEVES

HEY 19/ Donald Fagen

LOVE TKO/ Boz Scaggs

(TAKE A LITTLE) PIECE OF MY HEART
PEG/ Donald Fagen
LOWDOWN/ Boz Scaggs
TAKIN IT TO THE STREETS
REELIN IN THE YEARS

- Encore –


LIDO SHUFFL
PRETZEL LOGIC
THANK YOU (FALETTINME BE MICE ELF AGAIN)
THEM CHANGES
PEOPLE GET UP AND DRIVE YOUR FUNKY SOUL

Menbers

Donald Fagen
Michael McDonald
Boz Scaggs

Jon Herington (guitar), Freddie Washington (bass), Shannon Forrest (drums), Jim Beard (organ), Jay Collins (horns), Michael Leonhart (horns), Walt Weiskopf (horns),
Carolyn Escoffery (vocals) and Catherine Russell (vocals).


Michael McDonald
Boz Scaggsを見るのは初めてだった。Boz Scaggsはキャリア・ピークの頃に武道館ライブがあったが行き損ねた。当時の彼を見た人に聞いたが、男の色気がムンムンしてたという。
洋楽の女友の間では
Michael McDonaldThe Doobie Brothersに悪影響を与えた事をかなりネガティブに感じている人が多かったが、私には余り関係ないので見に行った。


武道館は完全に一杯ではなかった。東西の二階席の後方に若干の空席があったが、いわゆる見切り席が満席だったのでチケット販売での不手際か・・・。
全体で7,500
人程度は入っていただろうから十分だ。
19
05分、バンドの演奏をバックに上手から3名が登場する。いやあ、ちょっと興奮したなあ・・。
Michael McDonaldは風貌が現在のジョージ・ルーカスかと思うほど似ていた。Donald Fagenは巨匠の雰囲気がムンムンしていた。Boz Scaggsは歳を取ったなあと思いつつも、颯爽としてカッコ良かった。


私の座席はアリーナ
A6-30番で、上手寄りの前から3列目でBoz Scaggsの斜め前だったので、ずっとBoz Scaggsが視線の先にあった。アリーナA5-6の後ろかB-5-6の前方が一番見やすい場所だったろう。でなければ1F南の前列だろうか。

ドラムスとトランペットの演奏者がDonald FagenYAMAHAのピアノに隠れてしまって見えなかったのが残念だった。また音響的には席が前過ぎたため、ステージ突端に設置されていたスモールスピーカーの方が若干大きく聞こえる位置であったのだが、概ね演奏の仔細も聞こえたので思ったよりは悪くはなかった。
中央のDonald Fagenのピアノの演奏風景が非常によく見えたので、あんな風に演奏する人なんだな・・と思いながら見ていた。リズムの終わる部分で体ごと演奏を“切る”んだよね。あれが彼の独特なリズムの取り方なんだろうね。
Boz Scaggs
のギターのカッティングを見ていたのだが、ピックを大きく内側に廻して演奏する癖があって、16ビート系の演奏がちょっと大変そうに見えた。ライブ中、もっともギターをチェンジしていたのはBozだった。意外と地味なバック演奏系が多かったが音にはこだわってる感じがした。
下手(しもて)に居たギターのJon Heringtonは銀行員のような風貌の人だが、骨太の音がするギターを演奏する人でかなり素晴らしいギターリストであることが分かる。

セットリストにあるような楽曲が演奏されたのだが、各人のヒットナンバーになると歓声も大きかった。正直もう少し彼等のヒットソング系を聞きたい気持ちはあったなあ。
それにしても、なんか”アメリカ”って感じがヒシヒシとしたライブだった。本当に個性的で能力の高いミュージシャンがアメリカには居るよなあ・・・というのが私の率直な感想だった。そしてその中でも個性的な3人が音楽史に残る活躍をしたのも頷けるなあ・・と改めて思いながら見ていた。まあ、音楽のメジャーリーグの人たちですからね。

会場には萩原健太氏なども見えており、業界人も多数いたのだろう。萩原健太氏は“いやあ、楽しかったなあ・・”と退場時につぶやいておられた。実際私も楽しかったです。
そうでなかった方はご愁傷様。

記録:

開催日:2012年11月1日
チケット代:12,000円(税込)
主催:UDO
場所:東京・日本武道館
私の座席:アリーナ B6ブロック30番
開演:19時05分
終演:21時15分


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由紀さおり&ピンクマルティーニ 最終公演(2012年10月31日) [ライブ・コンサート]

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初めての日本ツアーを敢行した由紀さおり&ピンクマルティーニの渋谷Bunkamuraオーチャードホールでの最終公演を見る。
10月に全国で22本の公演を行ったのだから、かなりのハードスケジュールだったろう。
由紀さおりさんは、201110月に発売した「1969」によってちょっとした運命の悪戯を感じたかもしれない。
ピンクマルティーニのリーダーでピアニストの
トーマス・M・ローダーデール氏が、地元ポートランドの中古レコード店で由紀さおりのファーストアルバム『夜明けのスキャット』(1969年発売)のアナログ盤(レコード)を発見し、いわゆるジャケ買いしたことがきっかけだと言われている話は有名になった。
レコードを聞いた彼は由紀さんのヴォーカルに魅せられポートランドから彼女へのコンタクトを取る。
そして「1969」につながり世界各地で公演をするにまで至ったという次第だ。
世界中を年中ツアーで廻っている彼が各地域のポップミュージックを研究しバンドで演奏するためにレコードを買い漁っていた行動が、見知らぬ1人の歌手の活動に大きな影響を及ぼす様を見ていると、運命とは見知らぬ誰かに作られる部分があるのかもしれないと感じた。いわゆるバタフライ・イフェクトだ。
日本では歌謡曲が廃れてしまい、若い人たちは昭和の名曲を聞く機会すらないのが実態だが、「1969」はそうした層への訴求を掘り起こすキッカケが感じられるものだった。レコードメーカーは、当初このレコード(CD)の売上予測を2万枚程度を予想していたらしいが、50万枚という大ヒットとなり、アメリカのビルボード誌のチャートに日本語の歌唱のままでは坂本九さんの「上を向いて歩こう」以来のチャートインとなった。

由紀さんもお姉様と地道に歌い続けて活動をしてきた方だが、60歳を過ぎても見事なヴォーカルを維持出来ていたのはこうした活動の蓄積の賜物だろう。
神様もたまにはシャレた事をするなというのが、今回の由紀さんの活躍を見た私の想いだ。

さて、会場の客層は50代以上が主だった。
710分になって赤いランドセルを背負ったバンマスのトーマス氏がメンバーと共に登場。満席の会場にマルティーニの演奏が響き、軽妙なラテンのリズムがこだました。数曲演奏した後、由紀さんが登場するという趣向だった。1部はパープルドレス、そして2部は赤い煌びやかなドレスで登場。
彼女の透明な声質は
Bunkamuraのホールに良く馴染んでいた。
1969」からは、ブルーライトヨコハマ、いいじゃないの幸せならば、夕月、パフ、夜明けのスキャット、マシュ・ケ・ナダ、Is That All There Is?、真夜中のボサノバを演奏したと記憶している。
Bunkamura
1日目には夕月のオリジナル歌手である黛ジュンさんも会場に来ていたそうだ。
由紀さんはご本人の出番でない時にも後方に廻ってパーカッションをしていたりとステージにいる時間が多かったと思う。
トーマス氏はマシンガンのようなスピードで英語のトークをする人なのだが、きっとエネルギッシュでアイデアマンで頭の廻る人なのだろう。彼のそうしたエネルギーが今回の奇跡を生んだとも言える。

Is That All There Is?”はアンコール時に、トーマス氏が英語で歌い、由紀さんが日本語で歌うというちょっと複雑アレンジバージョンでの演奏をするおまけ付いた。
今後2013年にはフランスでの公演と7月にはロスのハリウッド・ボールで3日間ライブを行うということだ。由紀さんの益々の世界での活躍に一人の日本人として応援をしたい。

最後の曲Brazilは、会場にいた客をステージに上げて踊らせるという粋でサンバな趣向を凝らしたコンサートの幕を閉じる。
退場時由紀さんとマルティーニの女性ヴォーカル・チャイナさんが「またね!」と声を合わせて言って舞台を降りていった。

開演が710分で途中15分程度の休憩を挟み、終演したのが夜10時だった。外ではハロウィーンを楽しむ仮装した若者たちが渋谷センター街にあふれかえっていた。
10
月中に日本全国22公演をこなすというスケジュールを終えたメンバーやスタッフの打ち上げはさぞかし賑やかだっただろう。
お疲れ様でした。

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何方かのブログに載っていたセットリスト。
渋谷公演も基本的にはこの内容と同じでした。
 

記録:
チケット代8,400円

主催:サンライズプロモーション東京
協賛:日本通運
私の座席:1F31列8番

開演:19時10分

終演:22時01分


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山下達郎 シアターライブ 1983-2012を見た夏の日 [ライブ・コンサート]

チラシ表.jpg

 


私は山下達郎氏の音楽が好きである。もうかれこれ
41
年近い(2019年現在)。
1人のミュージシャンにこれほどコミットしたことは実は達郎さんを除いて他にない。おまけに私のブログの中でこの記事だけがダントツにアクセス数が多い。
達郎さんのファンはかなり濃い人が多く、音楽にも詳しい人おり、加えて
70年代のデビュー時からライブハウスで見ているような人もいるので、その方々に比べれば私のファン度なんぞは全く大した事はない。

2019年のツアー開始が迫る5月29日夜、陰を落とすような情報が公開された。達郎さんの長年の盟友であるキーボード・プレイヤーの難波弘之氏が白板症という口蓋の病気でツアー離脱するというのだ。

達郎さんがご自身のラジオ番組内でゲネプロに入ると言っていたことから推察すると、6月6日の市川市民会館は既に延期対応になったが、宇都宮以降はまだ公表がない。

2019年5月30日、難波さんのfacebookに以下のコメントがアップされた。

皆様、ご心配をおかけしましてすみません。たくさんのメッセージありがとうございます!

達郎バンドのメンバーやツアーのスタッフ、そしてEraスペシャルのメンバーや和久井さんはもちろん、様々な方からお見舞いと励ましのメッセージを頂きました。
特に、入院時期と重なってしまい、せっかく初日を目指して練り上げていた中での達郎の公演延期は、メンバーやスタッフはもちろん、楽しみに待っていてくださった皆さんに対しても、大変申し訳なく、残念です。
とは言え、あり過ぎる候補曲にまだ迷っているものの、達郎リハは絶好調で続いておりますし、二日のセッションライブは普通に行います。
どうか皆さん、あまりご心配なく!


達郎さんの心中は想像もつかないが、リハは進んでいるようなので、その言葉を信じよう。

また難波さんほどの一流キーボードプレイヤーで、尚且つ50本のツアースケジュールにピッタリと開いていて、達郎さんのような高い要求に応えられる演者は、残念ながら日本には殆どもう居ないと言っていいが、誰かを探し当てるしかないだろうから、我々は待つしかない。
それでも、Show must go onの世界でもあり、対応しなければならない。大変の仕事である。

1ファンとしては、難波さんの一日も早い回復と復帰を祈り、また達郎さんや関係者の方が2019年ツアーを導いて下さる事を心から祈るばかりである。

 

 

さて、話を戻す。
そもそも達郎さんがデビューした当時である1975年頃、私はまだ田舎で中学・高校に通っていた時代だ。従って情報も殆どなく、ラジオからDown Townがかかってきたのを聴いた記憶がある程度だ。

ちなみに私の特技は達郎さんの唄マネである。周囲では結構評判が高く、クリスマスの時期になると俄かに声がかかる。(笑)[わーい(嬉しい顔)] 

自分で作った曲に多重コーラスを施すこともあるが、実際やってみると本当に難しいのが良く分かる。タイミング、ピッチ、ニュアンスなど声を数多く入れれば入れるほど音響的な処理が難しくなる。それなりな感じにはなるのだが、とてもON THE STREET CORNERのようには簡単にならない。やはり達郎さんはレベルが違いすぎるのだ。


私の最初の達郎さんの音楽との出会いは、1975年のSUGER BABE時代の名曲DOWN TOWNだった。当時まだ私は田舎の高校生で、深夜ラジオ(主にオールナイトニッポン)から流れるのを聞いていた程度だ。山下達郎という人物を意識はしていなかったし、私の周囲の友人にも全く居なかった。

私が達郎さんの音楽を意識し直したのは1978年に東京の大学に入学のため、上京をしてからだった。田舎から出てきた私の最初の友人となった調(しらべ)君が“Go Ahead”をカセットに録音して渡してくれたのだ。

貧乏大学生の私の自宅の4畳半にはAIWAのカセットデッキとヘッドフォンしかなく、ターンテーブルが無かった。そんな中で私はもらったカセットを聞くともなく毎日聞いていた。
そして何度も聞いている間に妙なハマり方をしてきた。特に達郎さんの声が私のハマった最初のポイントだった。アカペラも新鮮だった。
私は高いキーで歌える男性歌手に魅力を感じる傾向があったからだ。
だから中学、高校時代はずっと井上陽水さんやサイモンとガーファンクルなどのファンだった。長野県の山奥の田舎の学生なんて洋楽ファンも少ないし、スティービー・ワンダーだって理解されるギリギリな感じだった。

1978年という年は、サザンが6月にデビューし、CHAR、原田真二などが輩出され、日本のロックシーンが俄かに活況を呈してきた時期と重なる。
ただ、達郎さんはまだ超マイナーなミュージシャンだった。CM作家をやったりコーラスアレンジをやったりして口糊を凌いでいた時期だ。後々詳しく知るようになるが、荒井~松任谷由実さんのコーラスなんかを達郎さんがやっていたのはこの70年代後半の時期に重なる。以下の達郎さんがユーミン関係で参加した曲を列挙しておく。達郎さんという切り口でユーミンを聞いてみるのも楽しいかもしれない。ipodだったらプレイリストで簡単に作れそうだそ。

山下達郎氏が参加したユーミン関係のコーラス参加作品

1974年 「MISSLIM」 荒井由実:
「生まれた街で」(シュガー・ベイブと吉田美奈子)
「瞳を閉じて」(シュガーベイブ)
「12月の雨」(シュガーベイブ):秀逸なコーラスワークが聴ける!

「あなただけのもの」(吉田美奈子、山下達郎、鈴木顕子<現・矢野顕子>、大貫妙子)
「たぶんあなたはむかえに来ない」(シュガー・ベイブ、吉田美奈子)

1975年 「コバルトアワー」 荒井由実
「ルージュの伝言」間奏で達郎のコーラスがフューチャー。当時からこのコーラスは印象的だった。
「少しだけ片想い」

1976年 シングル
「翳りゆく部屋」 荒井由実:爆発的なコーラスが印象に残る楽曲です。

1976年 「14番目の月」 荒井由実:
「天気雨」
「避暑地の出来事」
「14番目の月」
「さざ波」
※なお大貫妙子、吉田美奈子とともに参加。

1978年 「流線形'80」 松任谷由実:
「真冬のサーファー」:達郎さんが全面的フィーチャーされている曲。

1979年 「OLIVE」 松任谷由実:
「甘い予感」
「稲妻の少女」
※ 吉田美奈子と参加、「稲妻の少女」では多重コーラスが堪能できる。

さて、“Go Ahead”のジャケット画を見る限り、達郎さんがイケメンじゃないことは確かだったが、ビジュアルとのギャップが益々私を惹きつけた。きっとこの人は凄い人だと感じたのだ。
おまけにこれだけの才能なのに、周囲で注目している人が居なかった点も天の邪鬼な私のサブカル心をくすぐった。今思うに、達郎さんってアメリカのポップアートに造詣が深いのでこういう感じになったのだろうと推察する。一般的な評価をともかく、私はデザインも音楽も好きなアルバムだ。


GO AHEAD! (ゴー・アヘッド! )







達郎さんの曲調は洋楽的で、歌詞も印象派的な匂いを感じていた。そしてこのアルバムによって初めてアカペラという言葉を知ることになる。
その後私は、80年代に入ってからこのアルバムの1曲目のOVERTUREという曲を、「男の36回ローン」で買ったTEACの244という4チャンネルレコーダーを使い、自分の声を重ねて録音し、アカペラ・コピーを試してみることになる。出来上がりは友人にはバカ受けだった。

1979年のアルバム“Moon Glow”(当時はLP)を渋谷の道玄坂にあったヤマハ楽器店(現在は自転車屋)で買った際、調君の親戚の女性が働いていた事で、“Come Fly With Me”(下写真)というプロモ盤をもらう。当時700枚を宣伝用で生産したらしい。
この年の6月2日、コンサートツアー
FLYING TOUR '79 PART-1』全4公演を開始する。

実は6月27日の大阪サンケイホールのライブは達郎さんにとって初の大阪のライブだった。実は当時のライブ演奏はビデオ映像で撮影されておりプロモーション用オンリーの宣伝用のビデオとしてまとめられているが一般解禁されていない。
遥か昔だが、幸運にもこの映像を全編見る機会があったのだが、「ついておいで」で始まるライブは、当然Go Ahead以前の曲で構成されており、LOVE CELEBRATIONのような、現在ではほとんど演奏されないような曲も含まれていた。(アレンジはレコードと異なりテンポが速い)

クリーム色のストラトキャスターを演奏する若干26歳の達郎さんのパフォーマンスは、現代の26歳のミュージシャンと比較すると物凄い高いレベルである。当時のメンバーは以下だ。

上原裕(Drums)
田中章弘(Electric Bass)→最近は高中正義氏のライブで見かけます。
椎名和夫(Guitars)
難波弘之(Keyboards)→今でも達郎さんのバンドの要。
吉田美奈子(Background Vocal)
大貫妙子(Background Vocal)

さて、"Come Fly With Me"は、後にCD化され、Come AlongⅠとして登場するのだが、小林克也氏の軽妙な英語のDJによって繰り出される数々の名曲を聞いて益々ハマってしまった。小林氏はその頃まだ世間に名前が出ていない頃だったが、こんな英語の上手い日本人が存在するなんて・・・と驚いたものだ。現在でもBS朝日でベストヒットUSAをやっているが、英語の曲の紹介は古希を迎えても全く衰えない。

いずれにしても当時達郎氏の音楽を語れる友達は周囲に調君しかおらず、初期のプチ・タツマニマとしては寂しい境遇だった。
大学時代の週末の深夜、車で友人と湘南方面を目指す際にカーステでヘビロテしてたが、友人連中には殆ど理解されなかった。連中はサザンやユーミンがお好みだったが、それはそれで私も好きだった。

120904達郎LP (1).jpg



そんな中、週刊少年ジャンプ(チャンピオンじゃないか?というご指摘もあったが・・。私はチャンピオンを買わない人だったのだが・・・。記憶が曖昧・・)に連載をしていた「とり・みき」さんが女の子のキャラクターに山下達郎とテキストで書かれた
LPまがいのものを抱えさせて登場させたシーンを何度か見て、メジャーな人でも達郎さんを認めている人がいる事に強く心を支えられ、自分たちの感性が満更でもないと感じた事もあった。
そんな時代だった。

1979年になるとJAL沖縄路線のCMに”Let's Kiss The Sun”が使用され、画面内に彼の名前もクレジットされる。
確かコカコーラのアカペラのCMも1979年だった。
この時も達郎さんの名前がクレジットされ、自分の息子の活躍を見る親のような気分でとても嬉しい思いだったが、なんでこの才能のある人がもっと売れないのかと、日本の若者たちの音楽嗜好の偏向具合と無理解さに本気で憤っていた頃だ。

私が達郎さんのコンサートに初めて行ったのは19801223日の中野サンプラザだった。今じゃ考えられないが、マクセルのカセットCMに本人が出演してRIDE ON TIMEが流れていた。ジャケットはマクセルのポスターが巻かれており、後年、ファンクラブの会報のインタビューで、ポスター写真をジャケットに採用することだけは死ぬほど拒否したらしいとあった。

契約で縛りがあったため、事務所の社長が苦肉の策として、ポスター仕様にしてジャケットに巻きつけて二重構造とする方法で解決をしたらしいが、あのジャケットの裏にこんな話があったんだと改めて驚いた。

さて、RIDE ON TIMEは
大ヒットし、あっと言う間にスター扱いになったのだ。この曲を最初に聞いたのはニッポン放送のオールナイトニッポンで、確かタモリさんの日だった。冒頭1曲目にかかったが、AMラジオから流れてくるピアノの音がうねる波の音のように感じた。

曲のヒットと共に、芸能人関係者が昔から彼に注目していたなどというコメントを出し始める。ご本人にとっては70年代の長い日陰者扱いが嘘のような大変化だっただろう。

(マクセルCM:残念だが海で撮影したヴァージョンじゃないが・・。)
http://www.youtube.com/watch?v=9srsJW7BXgQ&playnext=1&list=PLD058070462D17EED&feature=results_main


私はこっそり友達と育てていたサブカルのアイドルが世間で陽の目を見てしまったことに嬉しくも悲しくもあった。ファンとはわがままなもんである。
その後も達郎さんのツアーは、1ツアーに必ず
1ライブを見に行く事になり、それは幸運にも今日まで続いている。
当時はチケットを買うのにさほど苦労しなかったが、やがて取り難い状況が発生したためファンクラブにも入る。

いつのコンサートか忘れたが、達郎さんが「いつまで現役でステージに立てるか分かりませんが、その内レコード会社の制作部長か何かになっているかもしれません」とMCで発言していた事があった。当時の感覚としては40歳を超えて現役のロック歌手をやっているなんて想像を超えていた。その達郎さんも2013年2月4日で還暦となった。隔世の感がありますなあ。



2011-12
年に行った60本を超えるライブツアーでは、もはや死ぬまで現役を貫くしかないとMCで語り意気込みを示してくれた。
それは私の初めてのライブ体験から
39年余りが経過しており、立場は違うが、お互い自分のキャリアの先を考える年齢になったなと感慨深かった。
そして私はまだ達郎さんの音楽を支持している。多分人生で一番聴いたミュージシャンかもしれない。なんで飽きないのかと思う時もあるのだが、やっぱりイイんだよねえ。良く出来てるし。毎回発見があるし。職人芸ってそういう感じを味わえるんですよ。
彼の音楽をマンネリという人もいるが、個性の強いミュージシャンは反動的におのずと誰でもマンネリズムが生じる。

桑田さんだろうが、ローリングストーンズだろうが、個性的なミュージシャンには指紋の如く識別可能な個性が現れる。
その副作用をマンネリと言う人もいるが、別に嫌になったら聞かなきゃいいし、私には気にならない。好き嫌いは個人の嗜好の問題なので議論に適さない。

逆にある日突然達郎さんがマリリン・マンソンみたいに大変身された方がこっちが困る。予定調和を支持している訳じゃないが、個性を大幅に逸脱するために策を弄して欲しいとも思っていないだけだ。そうやって消えていった人も多い。

達郎さんのファンはそれぞれの理由でずっと達郎さんを応援していると思うが、私の主たる支持理由は、「圧倒的な音楽性」「頑固なまでの職人気質」を貫いているからだと自己分析している。
「心は売っても魂は売らない」という一徹さは、現代人にはなかなか貫徹できない部分だ。社会で長く生きていると人生が妥協の産物だと思い知らされる。もちろん達郎さんも妥協が全くない訳じゃないだろうが、
そういった意味を踏まえ、自分に不足しているものを必死に体現している彼は、私や他のファンの方々にとって時代を超えた“憧れのアイドル”なのだと思っている。

私もかつて20年程音楽業界に身を置き仕事をしてきたが、ミュージシャンが自己表現を徹底的にやり続けるというのはかなり至難の業だというのを現場で見ている。

ミュージシャンのクリエイティブは、どうしてもビジネス(つまり金の問題)との折り合いから時間的、予算的・時間的に制限が加わる事が排除出来ない事実があるからだ。

達郎さんもMoon Glow以前にはそういった場面に遭遇していると語っている。“Go Ahead”が自分の最後の作品だと腹をくくって作ったというコメントからもその様子が伺える。
企業は、年度内にキチンと売れて回収出来ないものは作れないというのは、年度毎で会計を締めなければならない企業の副作用とも言える。償却出来なければ、企業のBSに残価が在庫として蓄積される。場合によっては特損対象となり、企業側からすれば営業利益を圧迫する直接的な原因となる。

アーティストは作品の質の向上のために無制限のクリエイティビティーを追及したがる傾向があるが、ビジネス的に儲けが出なければその行為を続けさせて上げられないという鶏と卵の構図のせめぎ合いが絶対に避けられない。

結局この解決の方法は幾つかしかないが、ミュージシャンが金のリスクを取れるのであれば自分で稼いだ金を原盤制作に再投資をすることだろうし、レコード会社がそのミュージシャンに本気で賭けることができれば資金投資をするだろう。
しかし事はそんなに簡単ではない。

いずれにしてもクリエイティブとビジネスの折り合いはいつも解決の難しい問題なのだが、達郎さんはそうした修羅場を数々超えてきたに違いない。

私にしても、多くの市井の人々にしても、日常で多くで妥協や折り合いをつけながら生きている。選べない上司、クライアントに対して自分の正論を貫けない悶々とした日々など、サラリーマンをしていると人生が妥協の産物になっていて腹立たしいと感じる人は多いだろうことは前述したとおりだ。
核心的部分は出来るだけ拘ろうと頑張ったりもするが、自我を貫き通すのはそれなりの覚悟とエネルギーが必要だし、サラリーマンなんぞをやっていると、給料と人事という人質を取られており、年齢が上になるほど成果の度合いも高くなり、比例して悲哀の度合いも高くなる。

自営業にしたって客がいなければ成り立たず、頭を高くしてばかりもいられない。

達郎さんが自身の生活の全てにおいて、自我を貫き通し、全く妥協をしないで生きているとは思っていないが、少なくともクリエイティブにおいて職人的観点から拘りを貫いているのは達郎さんの発言からも作品からも分かるし、そんな姿勢を戦いながら貫いている姿は羨ましくも神々しくもある。

達郎さんの音楽スタイルである「強いリズムと美しいメロディー」は時代を超えて変化がない。きっと私はこのシンプルさを美しくて心地よいと感じているのかもしれない。

サンプリングやシンセの発達した80年代後半に、こうした保守的な音楽性向は古めかしいと評価する人たちも多かったが、達郎さんは時代時代の目新しいものを慎重に取りこんだ事によって時代にその風化に耐えている。むしろ当時の時代を先取りした音楽は最も早く朽ちて行ってしまったと言える。
最新のものは最も早く最古になるのは世の習いだ。

シンプルなコンセプトや目新しさだけに走らない音楽作りは、30年を超える時代に負けない音楽を作り出した一因だろうし、達郎さんの支持者がなかなか減らない理由かもしれないとも思う。
もはや自分はガラパゴスを貫くと言い切る彼のスタンスには、どこかしら日本のファンの心理に共有感があるのだろう。
過日の中国での反日デモやグローバル化の果てに訪れたアメリカの超格差社会に直面すると、グローバル化に路を求める故の多大なリスクを改めて考えてしまう。

そんな達郎さんの全時代を網羅したオールタイムベスト盤がこの時代になって発売されるのも感慨深い。レコードメーカーの違う原盤権の処理や選曲はさぞかし大変だったろう。
CDジャケットは、私と友人の調君だけが達郎さんを好きだった、タツマニアの孤立期に唯一著名人で達郎さんを表だって応援していた”とり・みき”さんが描いている。


OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)






この夏、
1983年から2012年の19年間に渡る達郎さんのライブ映像を集約した映画が公開された。このライブ映像にはある特徴がある。
それは主役が“演奏(
Performance)”だという点だ。
毎回の舞台美術は演劇的演出が施されているが、照明も特殊効果も決して演奏を邪魔することはない。そういう意味でこの映画は全く映像的ではない。時代も様々なため、映像の質も均一でない。

しかし圧倒的な達郎さんの演奏は時代を超えて素晴らしく、演奏が主役の映画であるために、観客はシンプルに演奏に集中することができる。
彼のライブにはアトラクション的な過剰舞台演出が不要だと理解するのに時間はかからない。そうした事から達郎さんがライブの本質を徹底的に突き詰めていることが分かる。
また映画を見ていると達郎さんのギターの弾き方がハッキリ見えて嬉しい。それに結構色白の方ですよね。

音楽産業はCD売上の不振によってビジネスモデルの変化を余議なくされている。達郎さんでさえも音楽ビジネスの変化により激減するCDによる印税収入は、以前のような売上を期待できない状態だろう。

2005年以降からは、ここ数年間かなり不定期だったライブツアー活動を定期的に開始したのは、こうした事情が少なからずあり、ビジネスの変化の影響が色濃かったことは伺える。

しかし達郎さんには数十年に渡って蓄積してきた圧倒的ライブパフォーマンスという大きな得意技があったため、厳しい時代の変化にも柔軟に対応出来たと言える。それでも長年一緒だったメンバーの交代はかなりシンドイ事だったろう。音楽の根幹が変わってしまう可能性もあるからだ。

音楽業界の人に聞いても、今後はライブパフォーマンスで集客の出来ないミュージシャンは殆ど行き残れないという声が圧倒的だ。そんな中で達郎さんはキャリアも音楽制作もパフォーマンスも一級品のレベルにある。

私はミュージシャンを目指す若い人たちに、お金を取って音楽を生業にするというのはこのレベルのミュージシャンと同列の世界に入るのだという事を改めて認識してもらうためにも是非ご覧になって頂きたいと思う。
そんな強烈な個性をもった職人ミュージシャンと同じ時代の息吹を感じ、音楽が一番面白い時代を共有出来た我々は幸運と言えるのではないだろうか?


そんな彼の仕事に対するインタビューが掲載されている。是非ご参考に。


★職人でいる覚悟:山下達郎が語る仕事

Part-1~4:

http://www.asakyu.com/column/?id=1028

http://www.asakyu.com/column/?id=1031

http://www.asakyu.com/column/?id=1034

http://www.asakyu.com/column/?id=1037

朝日新聞:フロントランナーの記事 

http://doraku.asahi.com/hito/runner2/121016.html


 

補足記事:山下達郎を売るための全包囲PR

http://adv.asahi.com/modules/feature/index.php/content0576.html

補足記事:開業女医に力与えた山下達郎の「空白の3年間」

http://dot.asahi.com/aera/2012092800055.html




ぴあ Special Issue ~山下達郎“超ぴあとコラボでこんな雑誌も発売された。インタビューやデータも多くてファンには堪らん内容でした。「生タツの記録と記憶」のコーナーでは、1980年の欄に私が投稿したコメントが掲載されていた。編集部がリライトしていたが、リライトの方が文面が的確になっていた。ちょっとした嬉し恥ずかし経験になりました。自分の人生の経緯と達郎さんとの音楽のシンクロ具合が改めて分かった次第。"FOR YOU"発売前にツアーが始まって、まだ知らない曲が4曲位続いた時の模様をコメントしている人がいたが、懐かしい思い出だ。確かモーニング・グローリーは上手にあった生ピアノを達郎さんが弾いて歌ったような記憶がある。


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私は達郎さんのギターを持って演奏している立ち姿が好きだ。
ブラウンのテレキャスと
右手の結婚指輪と時計のセットがおなじみの姿。
2019年5月、奥様の映画の再上映に伴って達郎さんのシアタームービーの再上映が決定。
改めて見ておきたい。以下はシアタームービーの曲目リストと、不祥私の解説です。


·     曲目リスト(シアタームービー)

(自分のメモ用のため一部ネタばれありのためご用心/尚、記憶違いの記述はご容赦を)


01
SPARKLE

1986.7.31@中野サンプラザホール(PERFORMANCE '86

33歳の達郎さん。実は私、とある仕事の都合でこの前年の9月にご本人と会っている。仕事だったので特にファンだとは言えず、モヤモヤしたがとてもドキドキした光景を思い出す。その際、とある人が写真を撮ってくれたが、さすがに公開できないので悪しからず。
さて、この曲を初めて聞いたのはサンプラザのライブだったが、私の記憶が確かならまだ”FOR YOU”が発売される前での演奏だったはずだ。ライブツアーにアルバムの発売が間に合わなかった時だったと思う。
本曲はライブアルバム“
JOY”でも聞く事ができるのだが、信じられない程に圧倒的だ。コーラスの佐々木久美さんが今に比べてかなり痩せている。(失礼) またコーラスには故CINDYさんの姿も見える。SD画質なので43の画格だ。
この当時のツアーは、自分の座席がサンプラの1階のちょっと後方だったので、改めて演奏の様子が確認出来た次第で嬉しい。この曲をコピーした事があるが、本当に唄いながらギター弾くの難しいんだよねえ。特にラストのフェイク部分は圧倒的で誰にも真似出来ない。最近こんな凄い演奏する33歳のミュージシャンなって居ない気がするが・・・。
全くの余談になるし自慢したくて書くつもりではないが、「JOY」に収録されている1986年10月9日の郡山市民文化センターの本曲の収録映像を見た事がある。本映画ではサンプラザでのバージョンだったが、次曲のLOVELAND ISLANDが演奏されたコンサート(ツアー千秋楽)のバージョンを見ている。演奏は2曲目だった。ジャケットにネクタイ姿の達郎さんなのだが、CDの音源でも分かるような物凄い演奏を見せてくれる。当時の映像はフルバージョンで残っているようだが、この映画では
サンプラザホールになっていた。
 

02LOVELAND, ISLAND

1986.10.9@郡山市民文化センター(PERFORMANCE '86

赤いシャツが印象的な映像に変わりライブでは終盤に演奏される本作が2曲目に登場。本映像は、当時収録を目的とする追加公演的な形式で演奏されたものだという。
またこの曲は当時サントリービールのCMソングとして作られた曲で、
サンバのリズムに乗って踊る女性の踊りのテンポに合わせて作られた曲だという。
演奏終盤に多少の御愛嬌があるパフォーマンスだが、演奏そのものは圧倒的。
本演奏はアルバム“
JOY”で聞ける音源と同じはずだ。
この曲も高気圧ガール同様、ギターのカッティングがポリリズムなので見た目より演奏しながら唄うのが難しい。
アルバムFOR YOUが発売になった時には、前述のようにサントリービールのCMソングとして
タイアップされており、I LOVE YOUという歌詞の部分は
”サントリービール”という歌詞に置き換えて唄ったバージョンで放送されていた。
当時シングルカットの要望もあったが、本人の意思でカットされなかったという。



03)メリー・ゴー・ラウンド

1985.2.24@神奈川県民ホール(PERFORMANCE '84-'85

スパゲッティーのイルミネーションが釣り上げる演出があったのは確かに覚えている。
こんなポップな舞台装置だったっけ?と今更ながらに思う。青山純さんと伊藤広規さんのリズムは最強の音をしている。
当時のライブだとこの曲の直後に二人の長いリズムバトルがあったと記憶しているが
残念ながら本映画には出てこない。
最近のライブでは昔のような演奏廻しが少なくなったが、以前はかなり長いソロパートがあった。
私はこの曲の詞の持っている映像的で現代抽象画的なアプローチが好きだ。


 

04SO MUCH IN LOVE

1986.10.9@郡山市民文化センター(PERFORMANCE '86

アカペラコーナーからの一曲。本当に歌が上手いなあ・・と思わず小声で呟いてしまった。
あの細い体で何であんなに声量あるのかねえ・・。

05)プラスティック・ラブ

1986.7.31@中野サンプラザホール(PERFORMANCE '86

このヴァージョンのアルバム“JOY”と同じだ。女性の音域をライブで歌うのはなかなか難しいものだが得意のファルセットで歌いこなしてくれる。コーラスとのコンビネーションが素晴らしい。


06
)こぬか雨

1994.5.2@中野サンプラザホール(Sings SUGAR BABE

確かSings SUGER BABEは東京でしか公演をやらなかったと記憶している。
それ故チケットが争奪戦になったライブだった。
このライブは音楽業界に居た時代だったので、
コネを駆使して何とかチケットをゲットして見に行けたっけなあ・・・と思い出した次第。
映像がこの映画の中の映像の日だったかはちょっと記憶が曖昧だが、
ゲストに大貫妙子さんが出たことでも話題だった。
本曲では佐橋氏とのギターの掛け合いが見もの。
(ちなみにピックを使ってのリードソロが苦手という達郎さんだが、本演奏はピックを使用している)。
ソロとリズムギター時に足元のイフェクターを切り替える達郎さんの姿もとらえている。

07)煙が目にしみる(SMOKE GETS IN YOUR EYES

1999.2.4@東京・NHKホール(PERFORMANCE '98-'99

この映画に登場するライブの中で、自分がライブに参加した事を唯一記憶しているものだ。
確か1列目の上手側の座席だったろうか。
普通に買ったのになんであんないい席取れたんだろう?と今でも思う。
この演奏は確かに本当にすごかった。
青のスーツも覚えている。
たしか唄う直前のMCで”こういう風に歌うとディナーショーとか揶揄する連中がいるが・・”と
ちょっと怒った感じのコメントをしていたような記憶があるが・・・。
とにかくこのパフォーマンスは、見ていてその素晴らしさに仰天+鳥肌したのを今でも覚えている。


 

08)ずっと一緒さ

2008.12.28@大阪フェスティバルホール(PERFORMANCE 2008-2009

残念ながら2011年に閉館した大阪フェスティバルホールでの演奏。
達郎さんには愛着のあったホールらしい。
この映像からハイビジョンになるのだが、まだフル解像度映像ではない。
語りかけるような歌唱が印象的。
確かステージ下手後方から撮影していた映像カットもあったと記憶しているが、印象的だった。


 

09DOWN TOWN

2008.12.28@大阪フェスティバルホール(PERFORMANCE 2008-2009

同じく大阪フェスティバルホールでの演奏。いつ聞いても良い曲だ。
曲や歌詞の持つポップな映像感は時代を超えても褪せることがない。


 

10)希望という名の光

2012.4.1@神奈川県民ホール(PERFORMANCE 2011-2012

震災以来、本楽曲が違ったベクトルを持ったという中盤のMCや語りかけるような演奏が印象的。
最初は地味な曲だな・・という印象だったが、聞くごとに歌詞の深みにはまってお気に入りの曲になった。
”だからどうぞ泣かないで そんな古ぼけた言葉でも 
”魂で繰り返せば あなたのため祈りを刻める”なんて
人生を重ねないとなかなか書けない詞です。
NHKの高倉健さんのインタビュー特番で判明したが、
「あなたへ」という主演映画を撮影している時期に、
この曲を毎朝聞いていたという発言があった。
ファンとしては嬉し情報だった。

11)今日はなんだか

2010.10.27@神奈川県民ホール(PERFORMANCE 2010

SUGER BABE時代の楽曲。うねるような16ビートに絡みつく、

ゆったりとしたメロディーラインが印象的な曲だ。


12)アトムの子

2012.4.30@大宮ソニックシティ(PERFORMANCE 2011-2012

ビートが効いた本曲は、ライブの空気感を大きく変えてくれる。
音域の広い曲なのでヴォーカルの負担が重いはずだ。
バックでずっと鳴っているTOMの音は録音済の音源だろう。
ここから映像はフルハイビジョンになり明瞭さが格段に増す。
ステージ上の小物まではっきりと確認できるので、
使用されている楽器等の機材類の様子まで楽しめる。
やっぱりゴジラのフィギュアありましたね。
このゴジラ80年代からずっとステージに立ってるよね。
もはやレギュラー陣ですわ。


 

13RIDE ON TIME

2012.4.30@大宮ソニックシティ(PERFORMANCE 2011-2012

1980年の名曲の登場。途中の歌のフェイクに対応した舞台上の演者の反応は見ていて面白い。
また大宮のお客さんの粋な掛け声はちょっとやられたって感じ。
なかなか客もやるな!って感じ。
唄は30代前半のイメージそのままだった。


 

14)恋のブギ・ウギ・トレイン

2012.4.30@大宮ソニックシティ(PERFORMANCE 2011-2012

アン・ルイスさんに書いた曲のカバーだ。作詞は吉田美奈子さん。
完全なディスコナンバーでアルバム“
JOY”にも収録されている。
ライブでは終盤に演奏されることが多く、盛り上げるナンバーだ。


 

15)さよなら夏の日

2010.8.14@石狩湾新港樽川埠頭横 野外特設ステージ(RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO

オープニング映像にちょこっと出てきたRISING SUNの映像はこれだった。
達郎さんのラジオでは聞いた事があったが、やっぱり映像で見ると印象も異なる。
若い女性の観客が“さよなら夏の日”を達郎さんの唄に合わせて唇を動かしながらそっと歌い、
涙する映像に釣られて私も泣いてしまった。
赤いシャツが印象的でした。
初めて達郎さんを見た人にはどのように見えて聞こえたのかな?
映画館の外はまだ残暑が厳しい季節だったが、
確かにさよなら夏の日にぴったりの初日の公開日だった。



竹内まりあさんがコーラス隊に交じっている曲があるがそれは見てのお楽しみ。
残念ながらライブでは一度もセットリストから漏れた事がなかったLet's Dance Babyはシアターライブでは登場しませんでした。

私にブログ記事にしては、沢山の方が訪問されているようです。最後まで読んだ人がいらっしゃったらここで御礼を申し上げておきます。

2019年もツアーがありますねえ。楽しみです。60歳を超え70歳も見えてきた達郎さんがどんなパフォーマンスを見せてくれるのか期待感が高まります。個人的にはなんとか2公演分は席の確保したいが、最近は本当にチケットが取れない。
特に東京近郊はねえ・・・。
昨今の東京公演は女性のお客さんが増えたせいか、客層が良い感じになり、達郎さんも演奏に集中出来ている感じが好きだ。
皆さまがグッドフィーリングで盛り上げることこそが彼のパフォーマンスを向上させるので頑張りましょう。


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トレヴァー・ホーン&ロル・クレーム The Producers at Billboard Tokyo [ライブ・コンサート]

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 東京ミッドタウンにあるビルボード東京に行く。かつてこのエリアには防衛庁があった。1980年当時、乃木坂に事務所があったため、この辺りは毎日通っていた場所だ。近くの龍土町にはインクスティックなどのカフェバー(もはや死語だな)があり、坂本龍一氏などの名うてのミュージシャンが深夜集っていたエリアだ。

今回ビルボード東京がトレヴァー・ホーン(Trevor Horn /ex Yes etc)、ロル・クレイム(Lawrence Creme/ex 10cc)が中心に組んでいる"The Producers”の公演を開催。ホーンはイギリス人プロデューサーで作家で演奏家だ。Wikipediaをコピペすると「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで知られるバグルスイエスのボーカリストを経て、1982年に音楽出版社のパーフェクトソングス、1983年ZTTレコーズを立ち上げ、プロデューサーとしての活動を始める・・・という経歴だ。

特にイエス時代の名曲「Owner Of A Lonely Heart / http://www.youtube.com/watch?v=ELpmmeT69cE
」のプロデュース振りは世界を圧倒し、その後ZTTレーベル時代の「The Art Of Noise」は80年代を席巻したサウンド形態で、彼のプロデュースの真骨頂とも言える。

またロル・クレイムもイギリス人で、言わずと知れた10ccのメンバー。その後脱退し、ゴドレイ&クレームで80年代に斬新なサウンドを構築した人物だ。シンセプログラマーだった私にとって、この二人が”音楽家のアイドル”だったことは言うまでもない。あのサウンドの秘密は音楽業界に携わる者なら話題にしない人がいない時代の先端を走っていた伝説的なミュージシャンたちなのだ。その二人がまとめて来日となれば触手が動かないはずもない。

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開演前。ステージの背景にビルの夜景が見えている。


2012年8月6日、21時30分からの最終ライブを待っていた。友人の音楽関係者と3名で席に着く。今日は一体何を演奏するやら想像つかないね・・なんて話していた。会場には鈴木慶一氏も来場していた。
待っている間、アレンジャーでもあるI君に初期のYMOのワールドツアーの時に、プログラマーの松武さんがある曲のシーケンサーのデータが飛んでしまい、前の曲の演奏中にシーケンスデータを手入力したという伝説話の可否を聞いたところ、本当の話だったらしく、ファイアークラッカーという曲のデータが飛んでステージでベースのデータを入れたというのが真相だった。凄い時代の凄い肝っ玉話だ。

さて、ほぼ定刻通りにメンバーが現れる。なんと9人もいる。凄い力入っているなあと感じる。
そして1曲目は”Video Killed A Radio Stsr(Buggles)”だ。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=laZw3Y3JCJ8

トレヴァー・ホーンは当時のアルバムジャケットと同じような分厚いフレームのメガネをかけて唄い始めた。客の心理を分かっている。またレコードと全く同じ声だ。私はあの声がなんらかのイフェクターを使ったモノだと思っていたが、実際は彼の地声だったのだ。発見だった。アレンジも音色もレコードと同じ。マジすげー!! ホーンの左隣りにクレームがギターを弾いている。中盤にはOwner Of A Lonely Heart(Yes)まで飛び出す!!(ヴォーカルは女性が担当)
後半にはクレームがキーボードを弾く演出でI'm not in loveを演奏。やばい。泣けてきた。
クレームのつぶやきで分かったのだが、どうやら下手の彼の前に座っていた男性グループは2日4公演を全部見ていた人たちのようだ。「Hard to get out of these guys」と言ったいたから、東京の公演時は、ずっと彼の目の前にいたのだろう。しかし彼らの気持ちが分からんでもない。この人たちも凄い熱が入っていた。
そんな最終日、最後の演奏のセットメニューは以下だ。

01. Video Killed A Radio Stsr(Buggles)
02. Two Tribes(Frankie Goes To Hollywood)
03. Kiss From The Rose(Seal)
04. Rubber Bullets(10cc)
05. All The Things She Said(t.A.T.u.)
06. Downtown Train(Rod Stewart)
07. Slave To The Rhythm(Grace jones)
08. Living In The Plastic Age(Buggles)
09. The Dean And I(10cc)
10. We Can Fly From Here
11. Soon
12. Owner Of A Lonely Heart(Yes)
13. Prayer For The Dying(Seal)
14. I'm Not In Love(10cc)
15. Johnny On The Monorail(Buggles)

アンコール
16. Check It Out(Nicki Minaj and will.i.am)
17. Everybody Wants To Rule The World(Tears For Fears)

このセットリストを映像でまとめたサイトがあるのでご参考に。
http://park.drillspin.com/matome/view/501ffc1e4ab7a

アンコールの1曲目は”ラジオスターの悲劇”のカバーヴァージョンを彼らが演奏するという趣向。アンコールの2曲目がTears For Fearsだったのは単純に好きだった・・ということらしいのと、上手に居たギターのPhil Palmerがこの曲のソロを弾いていたという流れらしい。
才能溢れるミュージシャンの演奏は本当に聞いていて楽しい。20代の頃の好奇心旺盛だった自分が戻ってきたように純粋に楽しめた。チケット代は12,000円だったが、価値のあるライブだった。
高いお寿司やステーキよりも私にはこちらが良い。
終演は23時過ぎ。最近サマータイムで朝が早く、通常なら寝ているそろそろ時間だったが、久しぶりに深夜の六本木を噛みしめるように歩きながら80年代の景色を思い出して歩いた。そして日比谷線経由で帰宅する。帰った頃にはなでしこのフランス戦が始まる時間だった。

BLBTKIO-3.jpg

終演後のステージ模様

なかなか大人な夜でした。





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