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あるコンサートに行って感じた違和感。 [独り言]

先日、私が中学時代からファンであるアーティストAさん(イニシャルではなくただの記号として記します)のライブに行ってきた。昨年も2回行き、ここ10年近くはコンスタントにAさんのライブに行っている。

Aさんが現在ツアー中なので、あえてアーティスト名を伏せて感想を書きます。
またツイッターを見ると例外なく好意的な感想ばかりなのだが、私はあえて批判的な感想に終始してしまうので予めご容赦願いたい。


今回はAさんの通常動員からすればかなり小さ目の小屋のツアーが始まったからだ。いわゆるライブハウスよりは大き目だがホールよりはかなり小さめという感じだ。
そんなAさんのライブ企画に興味をソソラレて、チケットを申し込んだ。一番行きたかった小屋は抽選に2回漏れ、別の都内の小屋で当選したので同伴者と行ってきた。
同伴者はここ10年位Aさんのライブに一緒に行っている人物だ。

ステージにメンバーとAさんが登場し、演奏の布陣が見てとれた。今回は小屋も小さいため昨年のホールツアーと比較してメンバーで3名少なく、またキーボード以外のメンバーは全員新しいミュージシャンだった。編成構成はドラムス、ベース、ギター、キーボード、歌(+ギター)。

1曲目が始まった。Aさんの名曲の1つだ。そしてその後もAさんの名曲群が演奏される。しかし私は1曲目開始直後から違和感を感じており、それがずっと解消されなかった。1曲目開始直後の違和感の象徴的だったのはいつもAさんが弾いているギターにコーラスがかかっていたことだ。これは過去10年近くライブで見聞きして初めてだったと思う。
何故Aさんのギターにコーラスがかかっているの?? まずそこから引っかかってしまった。そのままの方がいいのに・・。

その後も素晴らしいセットリストが進むのだが、全く楽しくない。何故だろう? 
1部と2部構成だったが、2部の最後の曲が終わるまでずっと違和感が消えなかった。
モヤモヤしたままだったのだ。

今回のツアー、小屋を小さく設定しただけでなくいつもとは違うミュージシャンを使って人数も違う編成でパフォーマンスしていた。
AさんのMCでの説明もあったがこれは意図的なものだ。

終演後、会場を出て帰路につく途中で同伴者がポツンとつぶやいた。

「なんか、ピンと来なかったね・・」

私はその言葉を聞き思わず「えっ、そう思ったの?」と聞き返した。

実は同伴者にAさんの音楽を紹介したのは私だが、ここ10年近く私よりもAさんの音楽を聴く程なっていた。同伴者が私とAさんのライブに行くようになったのは前述したようにここ10年程度だが、絶頂期は知らないまで多少の変遷を経験している人だ。同伴者はめったに批判的なコメントをしない人物なのだが、その人が一言ピンと来なかったと言うのを聞いたのは私にとって重い言葉だった。


「私もピンと来なかったんですよ・・、何でしょうね? この違和感は・・。気の抜けたビールみたいだったよね」と返答した。同伴者はちょっと笑ったまま答えなかった。

私は違和感の正体を考えてみた。

まず、バックの演奏者が大幅に変わった。Aさんの説明では若いミュージシャンと一緒にいつもとは違う小さめの小屋でやってみようというライブコンセプトだったようだ。それはそれでいいのだが、バックのメンバーが変わり編成人数が減るということは、各自の演奏力が高くないと演奏全体がまとまり難いと言うデメリットがある。
従って各自の演奏の「繋ぎ」的な音像を作るために演奏力の高いミュージシャンであることが要求される。ライブを通じて感じた違和感の1つがバンドの演奏力のなさだったと思っている。
少なくともAさんが通常のライブで一緒にやっているバックミュージシャンは一流と言えるレベルなのだが、今回のキーボード以外のメンバーは全員30代~40代前半までの人たちだ。メンバーの経歴も調べてみたが、なるほど・・という感じだった。少なくとも経歴を見る限り、いつものメンバーとは経験しているミュージシャンの層が全く違う。

私のような見方をしていた観客は多分居なかったと思うが、メンバーの出音(楽器を鳴らす力)や演奏構成力が圧倒的に足りないと思った。

音はPAされているのでそれなりに出力されているのだが、楽器があるべき姿として鳴っていないのだ。
フォーリズムを構成するメンバーの楽器が鳴ってないからバックの音がひ弱で貧弱なのだ。キーボードだけはいつものメンバーなのだが、鍵盤だけでどうにもなるはずもない。そこにAさんの唄とコーラスのかかったギターがいる。
いつもならもっと歌えているAさんの唄は、バックの貧弱さに足を取られているかのように貧弱さを露呈しており、時折ピッチも外してしまう。年齢によって歌が昔ほど歌えないAさんにとって今回のパフォーマンスはちょっと致命的にも思えた。

特に私の同伴者はAさんが今までのように歌えていなかった点に不満をもっていたが、その理由の1つにはバックメンバーの選定ミスがあったと思っている。カラオケ屋で経験があると思うが、歌唱というのはバックの音の密度やグルーブに信じられないほど影響を受ける。
1曲目の名曲の歌い方も、私の視点からは手抜きのように思える感じだった。リハーサルでもしているのかな?と思うような感じで、あれが本番の歌い方だとしたらちょっとリラックスし過ぎだと思った。

そうなのだ。何かAさんの今回の唄には「魂」が感じられなかったのだ。
「魂」が感じられなかったのは本人の責任が一番大きいが、バックの演奏がAさんの唄をサポートしエネルギーの度合いを上げられなかった点もあるだろう。これは先ほど記したカラオケ屋の話と同じだ。

Aさんはどのように理解しているか分からないが、若いミュージシャンたちはいつもの一流のミュージシャンたちの半分程度のレベルで、残念ながらAさんのレベルとは釣り合わなかったのだと思う。
若いミュージシャンたちは30代後半から40代前半だと思うが、残念ながらこの年代のミュージシャンは本当に上手くて要求の厳しいミュージシャンたちとセッションをしてきた経験が圧倒的に少ない世代だ。
従って全体的な技量も落ちる。またデジタル時代のレコーディングが主流になってからのミュージシャンであるため、アナログ録音時代の人々よりも演奏技量の細部の詰めが甘いため、特に少人数のライブでの技量の甘さが露呈しやすい。
私と同伴者はそうした違和感の総和を感覚的に感じてライブを見ていたのだ。実際私はライブを見ながら演奏のダメ出しをしているような状態だった。(だから楽しいはずがない)

同伴者は私のような経験のない人間なので、私のような分析をできないが、明らかに同じような違和感を感じた点において凄いなと思うと同時に、質の劣化を直観的に理解していたのだろう。

2011
年に日本でのライブ活動を復帰させた八神純子さんのライブを初めて見た時、一番の違和感はバックの演奏力のなさだった。八神さんは自分のピアノだけで十分歌える人物なので歌への違和感は全くなかったが、バックの演奏の貧弱さと物足りなさは以前ブログにも書いた。

その後八神さんは日本でのライブ活動が想定よりも集客できることで自信を得て、バックのミュージシャンの選択も一流どころになった。当然だが、一度一流と演奏したら二度と二流とは出来ない。2011年にやっていたバックとのコンサートはなくなり、現在は村上ポンンタ秀一氏などのお歴々とセッションをしている。彼女のレベルなら当然だろうと思う。

一流のミュージシャンと二流のミュージシャンの間には限りないギャップが存在する。
今回Aさんは残念ながらミュージシャンの質を落としてしまったことでご自身の唄の質まで落としてしまったようだ。バンマスでキーボードの方がその変化に一番気が付いているかもしれないと思う。

この先、ツアーは夏まで続くようだが、次のツアーは是非とも元のバックメンバーに戻してホールツアーとして再開して欲しい。ミュージシャンは自分のやることに飽きてしまって時折やらなくていい事をするが、Aさんに置かれましては今回の件を最後に、元のクオリティーに戻すようにご配慮願いたいという感じです。

特に来年は大事な周年が待っておりますから。


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