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「自省録 / 中曽根康弘著」を読み始めて [独り言]

ちょっと硬い話をさせて頂く。


中曽根康弘氏は昭和を代表する政治家だ。

100歳を超えまだご健在でその影響力は多方面に渡っている。

田中、竹下政権下での金権政治の狭間で活躍した首相であり、

時代の生き証人として昭和政治の裏表を体感した数少ない人物だ。


その中曽根氏が著した「自省録」を読み始めた。

だいたい本というもは最初の10ページ位でその本の価値の有無を感じさせてくれる。


読み始めて数ページ、私は本を置いてしまった。


冒頭の書き出しは、小泉純一郎元首相が中曽根康弘氏を選挙の比例名簿から

事前の告知もなく外し、それを問い質すために小泉氏に説明を求めると、

「(あなたは)他に仕事もあるのだから・・・」の一点張りで、

ろくな説明もせず黙ったままだったという恨みつらみから始まる。

中曽根氏は、自民党の長老であり貢献者である大先輩の自分に非礼だと断じる。


当時の中曽根康弘氏はその功績から永久比例名簿1位を自民党から与えられていた。

同時に党の規則には70歳定年も謳っていたという捻じれたルールがあったようだ。

つまりダブルスタンダードだったのだ。

いずれにして中曽根氏は、永久比例名簿1位を得てほぼ永遠に議員となれる資格を手にしていた事になる。


私はこの記載を読み非常に違和感を持った。

まず、中曽根康弘氏の政治家としての功績は事実として認められるものだと言っていい。

また永久比例名簿1位を自民党から与えられていた経緯やそういう対応がどうかはともかくとして、

小泉純一郎元首相が事前に何の断りもなく名簿から外してしまったというのが本当なら、

自民党総裁としての手続きにちょっと瑕疵があるとも思った。

悪法も法であり、一定の民主的方法で決めたルールはルールだからだ。


しかし、それよりも私の違和感は中曽根康弘氏の考え方だった。

中曽根氏の主張は一貫して自分のような功績がありしかも小泉氏よりも年長である自分に対して、

このような扱いは非礼だといい、永久比例名簿1位は当然だといわんばかりだった。


確かに小泉氏は非礼だったかもしれない思う。

また悪法も法とは言えルールを変更する方法もスマートではない。

しかし中曽根氏があれだけの功績と人格を持っていながら自民党の永久比例名簿1位を当然のように受け、

そのポジション居座ってしまった点については彼の人間的資質の限界を見る思いがしたのだ。

そもそも選挙によって国民から選ばれる政治家が、自民党のルール変更とは言え、1議席を特別に与えるような形に当然のように乗っかってしまった中曽根氏の政治家哲学とはどのようなものなのだろうか??


私は正直ガッカリした。


何故中曽根氏は、永久比例名簿1位を提示された段階で、

自分やこれまで日本国の政治家としてやれることはやった、

これからは若い政治家諸君を大所高所から育て、

必要があれば相談に乗る、議席は国民のものであり、党や個人が支配すべきものではない、だから辞退する・・位のことが言えなかったのか?だ。


ひょっとしたら最初は辞退したのかもしれないが、

結果的にはその場所にいるからそれが事実として残るだろう。
つまり中曽根氏はそれで良いと思った訳だ。


中曽根氏は自分の才能や実績に相当な自信があったのだろうし、

永久に「現役政治家」としてやれると考えていたのだろうやりたかったのだろう。

しかしそれは群馬の選挙区から若い政治家が出現するポジションを奪う事になる点について中曽根氏は一切考えているように見えないし、言及もしていない。

中曽根氏は自分が居座る弊害については全く考慮していないように見えた。


私は本を置いてしまったのはそこだった。


会社でもそうだが、50歳を過ぎて定年までの間で、管理職以外の人間の身の処し方は難しい。

現場仕事は少なくなり以前よりも手持無沙汰になり、自分の役割が狭まった感じがするからだ。
正直辛い時期だ。

中には我慢できず若手の現場に不要に分け入って混乱を起こす連中も多い。

従ってそういう立場になれば、グッとこらえて若手のサポート役に廻れたり育成役が出来るかどうかが重要でもある。

これは人生哲学かもしれない。


中曽根氏にとって小泉氏は若手議員だ。

しかし当時の小泉氏はかつての中曽根氏と同じ「自民党総裁であり日本国首相」なのだ。

中曽根氏は本書の中で随分と小泉氏の自分に対する非礼を書き連ねていたが、

当時は一議員である中曽根氏の立場から日本国首相の小泉氏の立場への配慮は全く見られない。

書きっぷりだけで見ると完全に体育会系で、

目下で後輩なんだから先輩の自分に対して敬意を払えという感じだ。
つまり上から目線なのだ。

中曽根氏は、相手が総理大臣ではなく、ただの後輩議員だと思って接しているようだったと思う。

それは筋が違うだろう・・というのが読んでいた私の感覚だ。


中曽根氏は本書の中で、小泉氏は言葉足らずで「他に仕事もあるのだから・・・」とつぶやくだけで

説明らしい説明もせずにその言葉だけを言い残して事務所を出て行ったとあった。

官僚上がりで頭も良いはずの中曽根氏ならその時点で、

「ああ、自分で潔く身を引けと言っているんだな」と気が付くべきだったろう。
もしくはエリート官僚で総理大臣経験者である彼だからそういう事が思い浮かばなかったのかもしれない。

小泉氏のやり方は確かにスマートではなかったし、

氏が怒りをぶつけているのも多くは「情に欠けた行為」その部分だが、

前述したように、日本国首相に対しているという敬意が全く感じられない文面だった。
中曽根氏はだからこそ、わざわざ総理であり、総裁である小泉氏が来た訳だ。
しかし氏は体育会系単純思考で当時の小泉首相と対峙していただけなのだ。


もちろん小泉氏が事前の通達もなく中曽根氏をリストから外してしまったのは怒りを招く行為だと思うが、

100歩譲って中曽根氏の気持ちは理解できるとしても、自分の立場、相手の立場を踏まえて考え、

行動できるからこそ中曽根氏のような修羅場を踏んできた政治家に価値があると思わなかったのだろうか??


こうなると小泉氏は、あのような方法でも取らないと頑固な中曽根氏は

悪法を盾に永遠に居座り続けただろうという危機感からの行動とも考えられる。

つまり小泉氏は70歳定年の例外である中曽根氏を理屈では説得出来ないと考えたのだろう。

そもそも例外規定だし、特別扱いだからだ。
そもそもルール違反のルールならば、小泉氏がルール違反を承知で強制的な方法を取ったとも言える。


またこうしたやり方をマスコミに晒すことで中曽根氏が身を引かざるを得ない状況に追い込んだともいえ、

確かに中曽根氏からしたら非礼で腹立たしい事だったかもしれないが、

そもそも永久政治家という民主主義の本質では本来あり得ない状況に安住し、

その地位に恋々としようとした中曽根氏が「自ら招いた事態」とも言えるのだ。


そういう視点については中曽根氏からは全く言及がない。

多分本人には全く自覚がないのだろう。


本書の冒頭に書いてあるという事は、この件が氏にとって非常に重要な記憶であり伝えたい事だったと解釈できる。

しかし逆に言うと、氏はこの辺りに限界があった政治家とも受け取れなくもない。

少なくとも私にはそう取れたし、本書を読み進める上で逆効果だった。


結局私は「自省録」という本を冒頭数ページで読むのを止めた。

それより先に何が書いてあってもこの本から得られるものは無さそうだと思ったからだ。


本書にはかなり期待をしていたが、冒頭でつまずき、とても残念な気持ちだった。
最後に書いてあったら全部読んでから時間を無駄にしたと思ったかもしれないから

冒頭で良かったのかもしれない。


タイトルに「自省録(中曽根康弘氏)を読み始めて」と書いたのはそういう理由でした。










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