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音楽業界の苦境は乗り越えられるのか? [音楽に関わるブログ]



音楽業界の苦境は乗り越えられるのか?





時代の流れというのは恐ろしいものだ。そして一度流れ出した時代の変化は誰にも止めようがない。



「音楽業界」。



私も20年余りを過ごし、今でも一番好きな業界だ。



アナログレコード、CDと音楽メディアの変化はあったが、パッケージビジネスモデルは50年近く変化がなかった。



2000年代アップルがituneを出すまでは…。



2015年、ituneitune
music
に、そしてLine MusicAWA、スポティファイなど音楽配信サービスが最後のパッケージビジネスの聖地日本を直撃している。
しかし2015年10月に入手したある情報によれば、Line Musicは、無料会員ID800万加入に対して課金IDは15万件(1.8%)、AWAに至っては、無料会員ID300万加入に対して課金IDは3000件(0.01%)だったという。JASRACなんかも配信サービスによる伸びでの印税収入を期待していた向きがあるが、これでは期待に応える事は難しいだろう。配信サービスという最後の切り札も日本のマーケットで成立しない雲行きになると、音楽業界の生き残りはかなり厳しい様相に見える。



そういえば先日NHKクロズアップ現代で以下の特集を放送していた。


「あなたは音楽をどう愛す? ~新・配信ビジネスの衝撃~」



http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3681.html





ここには私に知人も多く出演していたが、全体的な印象として音楽産業はまだまだ未来があるという感じの演出だった。



ところで改めてだが現代の音楽産業って一般ビジネス的な視点で見るとどの程度の産業なんだろう?と



2014年度の音楽ソフトだが、生産レベルで約2500億円程度だ。音楽ビデオは約677億円程度。音楽配信が約430億円。(日本レコード協会調べ)

合計で3200億円。(生産レベルなので実売上はこれ以下だ。多分7割程度だろう)

これにライブエンタ産業の約2700億円、JASRAC(日本音楽著作権協会)が約1000億円を加えて総額約7000億円。



これが現在の音楽業界のだいたいマーケットサイズだ。昔レコード産業は、豆腐産業と同じなんて言われ方もしていたが今はそれ以下だ。



ちなみに約7000億円は、1997年のピークだったレコード産業だけの生産額とほぼ同じだ。当時は周辺ビジネスを入れて約1兆円近くはあったのだろうかと思うが、ここ20年で確実に市場サイズは縮小していることが分かる。

業界は違うが2014年のトヨタの売上は2兆円、ソニー辺りだと連結だが8兆円以上ある。

現在の音楽産業はそれらの数分の一のサイズに過ぎず、そこに様々な人間(財務系の人たちはプレイヤーというが・・)が無数に関わっているというのが実態だ。(どの程度の人間が関わっているかは勘定出来ない)





こういう狭くて過酷なマーケットで生きていると確実に発生する事案がある。



格差だ。勝組と負け組が鮮明になる。確実に中間層がいなくなるのだ。



サザン、ミスチル、B’z、嵐、AKBなど我々が良く知っているような人たちで、アリーナクラスやホール級を間違いなく埋められるようなアーティストは実際のところ、極々一部だ。

他の人たちは良くてもZEPP級、もしくはそれ以下だ。

場合によっては街場のライブハウスをツアーしている人だっている。それでもライブハウスで客が埋まればまだまだ良い方だろう。

ここ20年間の音楽ビジネスモデルの変化は、ミュージシャンや周辺関係者の収入構造に大きな変化をもたらした。

つまり印税だ。

これまでパッケージに関連する印税収入によって時間的モラトリアムを得ることで次の作品を作るエネルギーや金を得ていたが、それが無くなり収入と時間の両方を一挙に失ってしまった。

ここ数年ライブビジネスが急激に成長した理由は、ミュージシャンたちにとって日銭を稼ぐ方法がこれしかないからだ。当然キャパの大きな場所で演奏すれば、効率的に対価を得られる。それでもアリーナ級を埋められるのは一部に限られるし、ホール級で全国ツアーして動員できるアーティストも同様だ。

ライブは興行なのでリスクがある。客が埋まらなければ損を出す事だって覚悟しなければならない。

またミュージシャンの収入がライブ活動によるものが主になるということは、知的集約型から労働集約型の比率が高くなったという事になる。



こうした変化はミュージシャンに暗い影を落としている。

NHK
クロズアップ現代でも取り上げていたが、売れる音楽の多様性が本当に無くなってしまった。理由はパッケージモデルの崩壊で、レコード会社が多様なミュージシャンに投資できる環境が無くなったからだ。



音楽は趣味嗜好が強いため多様性の確保が重要だ。しかしビジネスモデルの変化で新人に時間と金をつぎ込めなくなり、レコードメーカーは苦境にたっている。また新しい才能も以前ならデビューしてチャンスをつかめることが出来た素材も現在では自力で世に才能を問う事を迫られている。





私が音楽業界に入った1980年代、音楽産業は成長軌道にあり、多くのミュージシャンが華を添えていた。才能が才能を呼び、Center Of Universeという気分にさせてくれるような時代だった。レコード会社はある意味ドンブリ勘定な部分が多く、売れているミュージシャンとまあまあ売れているミュージシャンの利益を未来の才能につぎ込む余裕があった。

様々な企画を持ったレーベルを立ち上げて色々な音楽分野に挑戦を了としていた。それは当時のレコード会社が全般的に売れているミュージシャンの金を再投資出来たからだ。


1950年代から始まったロックンロールブーム以降既に65年余りが経過し、ロック、ポピュラーミュージックは殆どの音楽形体が出尽くした感がある。もちろん時代を背負う若い連中が新しい解釈を加えて世に問う方法は変わらずあるだろう。

表現者が変わり、過去を知らない人たちには“新しい”と映るに違いない。

しかし、私のような世代には、いつか来た道だし、若い連中には「新発見」でも、我々で代には「再発見」でしかない。

市場や表現が飽和し、成熟した領域では伸び代を探すのが難しい。
また少子化の影響は相当あると思う。
1947年から3年間に生まれた団塊の世代は約800万人余だ。比較して現代では2015年までの3年間に生まれ世代は400万人余だ。約半分程度だ。当然特殊な能力が生まれる確率も半分以下になる。



現代の音楽業界に息苦しさは、そこら辺りにも原因があるのだろう。



クロズアップ現代ではクラウドファンディングを利用した音楽活動サポートモデルを紹介していたが、あのやり方で音楽を「職業」として一生やり続けるのは至難の業だろう。



かつてのヨーロッパでは、宮廷が芸術家のスポンサー役だった。損得のない世界だったため、多大な文化への貢献をした。

やがて音楽は多くの大衆をスポンサーにして成り立ってきたが、これは団塊の世代というマスマーケットが居たことが大きく、それはレコードの発展と時を同じくした時期と重なる。最近ある若手のオタク系評論家が、芸術に経済を持ち込む事そのものが間違っている。昔は宮廷などのスポンサーシップで芸術を支えており、本質はそれだ!と言っていた。気持ちは分からなくはないが、資本主義の根差した現代で、そんなお花畑な話をしていても全く先はない。残念だが、芸術家も市場に晒される運命で、それによって淘汰が起きる。もちろん少数の支持者だから作品の質が悪いという訳ではないが、ゴッホのように死んだ後に評価されることを含め、芸術家はそもそも生きにくい人種だと割り切るしかない。

音楽家にしろ噺家にしろ画家にしろ、「芸」を売り物にする職種は、自分の芸を大衆に向けて発信し、対価もしくはスポンサーシップを得られなければ成立しない。

そういう意味で、対価を得られる「芸」もしくは「芸風」でなければ職業には出来ないとも言える。これには論議があるのを承知だが、現実でもある。





数十年前、ミュージシャンになる人の動機の多くには一旗揚げる=有名になって金持ちになるというのが一般的なものだった。もちろんそれだけじゃなく、純粋に音楽を突き詰めて生きて行きたいという人もいた。そしてそのどちらも許容できるビジネス規模が存在していた。



私の時代に比べてミュージシャンを目指す門戸は相当狭い。実際私の周辺にも路頭の迷っているのか音楽やっているのか分からない人びとが無数にいる。

そういう人たちを見ると、私はかなり複雑な気持ちになる。



50
年後、音楽産業があるだろうとは思う。しかしその時代の音楽産業には対価を払うべきアーティストがどの程度残っているのかは懐疑的だ。ひょっとしたら50年後は“アーティストが人間ではないかもしれない”とも思っている。でもやはり、「人間業」だからこそ感動も深い。

仮に人工知能が奏でる音楽が素晴らしくても、アルゴリズムが導き出したとすれば、興ざめするだろうことは疑いないだろう。

そういう時代が来ない事を祈るばかりだ。




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スナップバックス

はじめまして 同じソネットブログから来た者です

自分もブログを開いている者ですが、昔からの音楽好きな者として、コメントさせて頂きたいと思いまして。こちらに書かせて頂きました。

ブログ主様は音楽業界に携わっていた方みたいですので、私みたいな一般のリスナーとは違いプロとして業界内のことや音楽理論等を分かってらっしゃる方だと思いますので、

自分としても主様のブログ記事を全て見たわけではないですが、「なるほどなぁ」「やっぱり音楽関係者の方もそう思っているんだなぁ」と思いまして、こちらの記事を見させて頂きました。

私は現在60歳でして 70年代の音楽で青春時代を過ごして来た者ですが、洋楽を中心として本当に良い音楽時代を過ごさせてもらったと思っておりますし、自分としてもポピュラー音楽史上最も輝いていた70年代に良いタイミングで合うようにこの世に生まれて来て本当に良かったなぁとしみじみ思っている者です。

お陰で音楽大好きになりまして、あくまでもリスナーとしてですが、「人生音楽そのもの!」ってくらい音楽と一体で人生を過ごしてきました。

最近「ニッポンの編曲家」などの本を読んだりもしてましたが、プロの音楽家や音楽関係者の方も、立場上現在も音楽関係の業界に携わっている方は現状の音楽業界を全て否定は出来ないと思いますが、

やはり昔からの音楽に携わっている方も(昔からの音楽に携わっていたからこそ)素直に「今の音楽は退屈だ」そしてあのマドンナも口にしたように「今の音楽はどれも同じに聴こえる!」と言う意見も結構持ってらっしゃる方もいらっしゃると思います。

自分はあくまでも素人ですので、素人感覚の意見でしか言えませんが、単純に先ず音楽環境としての時代背景が昔は良かったという事があって、若者を中心として、そして多くの国民が音楽にのめり込む時間や趣味として持つことが出来た時代だったと思います。

やっぱり今は情報社会の中で音楽でもスポーツでも、娯楽が余りにも多様化してしまったし、その上で少子化ですから、中にはもちろん例外もあると思いますが、音楽だけでなく多くの市場で分散化されて需要が縮小している傾向はあるでしょうね。

昔から聴いて来ている世代の者としては、でもやっぱり今の音楽は退屈なんです。

私は楽器は何一つ弾けないですし、音楽は大好きですが、詳しい音楽演奏上のテクニックとか音楽理論とか用語も分からないものもあります

でもやっぱりレコードで聴いても、生の演奏で観ても、演奏の凄さとか迫力を感じて感動もしてきたのです。

シンセサイザーの登場も、打ち込みも、私も最初は否定していなかったし、音楽の曲作りの使い方で楽曲として素晴らしい作品に仕上げるものだとも理解しておりましたが、

やはり打ち込みもサンプリングのネタ不足、そして素人プロに関わらず、もう多くの人々の心に訴えるメロディ、心地良いメロディは出尽くしちゃったのかなとも思っております。

多くの者達がポピュラーミュージックとして心地良いと感じる音楽は結局は曲作りとして、もうある程度は法則として決まったものがあると思うし、いくら音符の組み合わせが無限大とは言っても、それこそコンピューターでも自動で作曲出来るような曲ばかりで退屈なものになってしまったのだと思います。

今の時代の音楽しか知らない者は、それでも聴くものが新鮮でかっこいいと、自分達が青春時代に感じて来たような同じ感覚で音楽を聴いているのでしょう

でも、昔から音楽を聴いて来ている者、その中でも色々と音楽を聴いて来た者にとっては、「やはりどこかで聴いたことがある」「何も新鮮さを感じない」「皆同じように聴こえる」ってことになるのでしょう。

ニルソンの名曲のあの「ウィザウト・ユー」もオリジナルはバッドフィンガーの割とシンプルな曲だったのに、あの大袈裟過ぎるくらいのポール・バックマスターのストリングスアレンジが名曲に仕上げたと思います

だから例えカバー曲でも、優れたアレンジャーによっては、現在の曲でも素晴らしい出来栄えの楽曲に仕立て上げられることもあるのではないかと思っておりますが、

そう言う才能のある方がいないのか、リスナーとしてそのような音楽の需要が無いのか、どうなのか分かりませんが、とにかく音楽市場はますます縮小して行くのは間違いのないことだと私も思っております。

個人的には、例えば韓流のあの決まりきったような、どれも同じような気持ち悪いくらいのバラードなんて聴いていたら反吐が出そうになります。まぁ~個人的な感情なんで申し訳ない意見なんですが・・・

自分としても今の音楽でも良いものはあると思ってますが、90年代までの洋楽が精いっぱいで、それこそヒップホップもグランジも聴いていたくらいなんですが、2000年以降はもうすっかりその後の音楽に魅力も興味も無くなってしまって、聴かず嫌いになってしまったという事も否定出来ないんですけどね。

結論的には諦めてしまったコメントで〆るのも何なんですが、やはり時代の流れとともに、環境も世の中も変わり、今の音楽業界を悪くした当事者も当然いるとは思うのですが、誰が悪いと言えるような事とハッキリと言えることもなく、時代の流れでこうなってしまったと言える部分もやっぱりあって仕方がないのかな?と、自分は思っています。

何か本当に自分の素直な意見を書かせて頂きましたが、いち音楽リスナーの意見と思って聞いて下さい

ありがとうございました
by スナップバックス (2018-08-30 05:17) 

コロン

コメントありがとうございます。
時代、時代を生きる人それぞれに、それぞれの音楽や体験があるのだろうと思っております。
音楽嗜好は35歳までの経験で決定されるという学術的意見がございますが、ある程度正しいでしょう。

少なくとも日本は人口減少で、異能の出る確率が減っております。団塊の世代は3年間で約1000万人が生まれましたから、才能豊富な人材を生んだと言えるでしょう。我々のような世代はその恩恵を受けているので、必然的に才能への目利きが厳しくなります。昨今の若い才能に物足りなさを感じるのはその辺りでしょう。それでも様々な分野で若い異能を見る事はあり、それに期待するばかりでございます。
by コロン (2018-08-30 09:39) 

スナップバックス

コロン様 返信 ありがとうございます

確かに音楽の話でも、身近な話として最近は演奏テクニックでも凄いものを持っている若者が結構いると聞いています。

コピーも含めて、いとも簡単に演奏出来るテクニックを、それこそ昔の時よりもネット等からでも動く情報として手に入り、たやすくコピーも出来てテクニックを身に付けることが出来るようになったので、そのようなことにもなるのでしょうね

「でもやはり何かが足りない」と、音楽に関連した人からも聞いてます。

スポーツ界なんて本当に世界でも通用するような才能の人物(アスリート)が今沢山出て来ているくらいですから、時代も変わり良い面も出ているのでしょうけど、

こと音楽に関してはやはり芸術性の面からも表現力、独創性が求められることになりますから、これだけ情報量が多い世の中になってしまうとアイデアも出てきにくいのかも知れませんし、出てきたとしてもブームとして受け入れられても、昔と違ってその期間も短く、安定した音楽活動もしにくくなっていると思います。

クラブDJのように、それこそ70年代前後のソウル、ジャズをやはりカッコいい音楽と思う感性を持っている若者もいるんです

ですから やはりそのような流行りものと違った昔の音楽を、現代の音楽と融合して、それこそカッコいい音楽として若者にアピールして行っても良いと思うんですけど、R&B系の音楽はそういう傾向もあると思いますが、いかんせんそれは一部の若者や音楽好きにしか支持されてないので商業的に成功する動きとはならない。

結局レコード会社などが財政的にそのような余裕が無ければ、そういう流行りもの以外の音楽を育ててアピールする活動も出来ない

まぁ~少子化も含めて、我国の財政問題も結局、経済状態として我々の生活、世の中の大きな動きとして密接に絡んで来る訳で、その中での産業としての音楽業界としての在り方も確かに厳しいものはあると思っています

コロン様の他の記事も今読ませてもらっているものがありますが、やはり音楽関連の記事でコメントさせて頂きたいような記事もありますので その節は宜しくお願い致します
by スナップバックス (2018-08-30 16:13) 

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