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年功序列廃止社会の先にあるもの・・・。 [独り言]

年功序列廃止社会の先にあるもの・・・。

 

安倍政権は、企業の賃金体系を年功序列を廃止するように要請している。民主主義社会で私企業の賃金体系に政府が言及するのは異様な光景だ。

アベノミクスの第三の矢を確実にするために焦りを見せた、周辺のエコノミストが安倍首相の耳元に語りかけたのだろう。

 

さて、思い起こせば十数年前、上場企業がこぞってカンパニー制度を敷いた時期がある。企業内部門を1つの独立した会社のような会計管理し透明化し、全体最適を目指すというものだった。

当時私はカンパニー制度を敷いた会社の殆どが機能しなくなるだろうと予測した。理由は簡単だ。カンパニー制度を敷いた社内の各部門は、自部門の生き残りを優先するというインセンティブが働き、本来会社全体の利益を得るために各部門が連動しなければならない案件に対しても、経営的に自カンパニーに不利益があれば、会社内の連携をしなかったからだ。

そもそも自分で起業した訳でもない事業部門を、まるで独立採算の企業のように運営させる事自体は発想そのものが無理だったのだ。会社の人事構造で作った部門は企業ではないからだ。やがてこの方法が上手く行かないと分かると企業は元に戻すようになる。

いまどきカンパニー制を敷いている会社は少数派だろう。部門のPLなどは、管理方法の問題で、会社が部門長にキチンとしたPL管理を強いればいいだけだ。全社で持たねばならない経費を部門に配分する方法も殆ど無意味と言える。カンパニー制は耳触りが良かったため企業群の間にヒット曲のように流行ったが直ぐに凋んで行った。

 

何故私が年功序列廃止の主題に対してカンパニー制度の話をしたのかと云えば、この2つは非常に似ていると考えているからだ。

年功序列廃止を主張するエコノミストや企業経営者は、40歳以降の人間で企業戦力として不十分な社員の給与が高すぎると考えている節がある。

私は基本的には年功序列廃止には反対の人間だが、その主張をしたくなる気持ちは良く理解しているつもりだ。

サラリーマンの7割は管理職になれない。また部長以上になれるのは1割以下だし、役員の座席は数席から10席程度だ。

出世競争に敗れた社員に高い給料を払うより、ピチピチで若くて元気で有能な連中に高い給与を払ってインセンティブを上げ、業績を上げたいという理屈も分かる。実は韓国ではこれに近い制度を取っており、40歳以上で幹部社員になれない人材は「名誉退職」という名目で強制退職させる。韓国では自営業者が異常に多いが、それはサラリーマンから落ちこぼれた人材の墓場のようになっているからなのだ。韓国経済はいま一つ上手く行かない理由はこういう環境にもある。

日本で年功序列廃止するとどういう社会や人生が待っているのだろうか?

実は、年功序列廃止にはカンパニー制度と同じ胡散臭さを感じている。

そもそも私を含むサラリーマンになる連中は、矢沢永吉氏のように飛びぬけた才能を持っていて、更に自分の能力だけを頼りに自立出来ている訳ではない。企業の看板と資本とインフラに支えられながら、僅かなその才能を使い組み合わせる事で生きている。中にはノーベル賞を取るような才能を持った社員も居るが全体からみたら極僅かだ。

一部の識者の語る年功序列廃止の経済学的な理屈は、一見成立しているように見える。

しかし前述したように、サラリーマンの基本素養は「凡人」なのだ。「凡人」への優劣や評価の仕方にどの程度の意味があるかどうかは良く考えた方が良いと思う。



仮に若い時代に同年代平均よりも高額な給与を手にし、それが数年続いた人たちがいたとしよう。

大抵の人は、生活水準をその給与水準に引き上げるだろう。

しかしその中の人達でもやがてパフォーマンスが落ち、給与が下がって来る人たちが出てくるだろう。競争による生き残りは、どんな場合でも数%になるというのは歴史が証明している。



もっと簡単に言おう。

殆どのサラリーマン、多分9割程度は、それまでのサラリーマンが受け取って来た生涯年収をかなり下回る事を強いられるということだ。

仮に若くて力のある人がいて、給与が良くなっても、60歳までそれを続けられるヤツはかなりの少数派だということだ。当然多くは、若い時にも対して給料が上がらず、尚且つ中年期にも、それまでの水準を下回る可能性が高いのだ。

前述のようにサラリーマンの基本素養は「凡人」なのだ。

年功序列そのものは賃金体系として完ぺきな解決策ではないが、それでも多くの利点がある。まず生活設計を考えやすいとい点だ。それによって家を持ち家族を持ち、子供を持つインセンティブが出てくる。

私は15年以上フリーランスをやっており、収入が安定しなかった。従って家も買えず、結婚も考えられず、当然子供もいない。来年の収入の見込みも建てられないのに、10年後、20年後の負債を抱えられる訳がない。

 

企業のサラリーマンに、WALL STREETの金融屋のようなインセンティブを求めて仕事をさせるのなら、そもそも会社という組織は不要という議論にもなる。

年功序列でも出世競争の勝ち負けが存在する。そこには多くの微妙な人間心理があるのだ。

企業内を競争社会で満たし「凡人社員」にサバイバルゲームを強いる事は、不安定さを助長するし。結果的に企業力を削ぐだろうと予測する。働かないヤツに払う金は無いという理屈は当然のようにあるが、社会全体から見たら「凡人社員」の優劣の差なんて誤差なのだ。

我々の世代は、若い時代に搾取されてきた。長時間労働、パフォーマンスや成果に見合わない給料。そういうものに耐えて来た末に中年期になって、やっと辻褄を合せてもらっているとも言える。

若い連中にはこれが納得出来ないだろうし、当時の私もそうだった。

社会環境も変わったので、ゲームのルールを変えますっていうのは1つの理屈だと思うが、仮に年功序列廃止をするならかなりのリードタイムを必要とする。つまり今直ぐ変える場合、35歳~50歳の連中は相当損する部分があるという事だ。

 

エコノミストなどが年功序列廃止を語る時必ず忘れる事がある。それは企業の売上や利益を出しているのは実は、「凡人の集団」だという事だ。

「凡人の集団」である人間はロボットじゃない。

親、家族、友人がいる。従って様々な心理状態が存在するのだ。こういう要素を排除して年功序列廃止を考え実行する経営者を持つ会社は、中・長期的に会社を弱体化させると断言しておこう。

そもそも営業部隊の成果と総務部の成果をどうやって同じ秤で計測するというのだ。分母の違うものを同じように計算するためには通分せねばならないが、営業、総務、法務、人事を通分するのは無理があるというものだ。

従って成果計測は最初からフェアーではなく歪んでいるし、「凡人の集団」優劣なんてドングリの背比べみたいなものなのです。


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