SSブログ

ニート株式会社の行方に注目 ~ニートとゆるい就職という現象の果てにあるもの~ [独り言]


ニート株式会社の行方に注目 ~ニートとゆるい就職という現象の果てにあるもの~

先日ネットにニート株式会社の関係者による告発めいた内容の記事が上がり一部に注目を浴びていた。その後その記事は、削除され、記載者の謝罪記事が載っていた。

http://anond.hatelabo.jp/touch/20140914141229


私がニート株式会社に注目しているのは、同時期に慶応大学特任教授の若新雄純氏が提唱した「ゆるい就職」という考え方が出ていたからだ。


http://yurushu.jp/

http://skjmmsk.blog.so-net.ne.jp/2014-09-03


ニート株式会社もゆるい就職も共通するのは、従来型の雇用形態や従業環境の打破だ。それはすなわり新しい人生設計の構築とも言える。

失われた20年を経た日本社会で規定的なサラリーマン生活を送るのではなく、もっと自分らしく働いて生活出来る環境を望む人たちが出て来たのは歴史の必然かもしれない。それは、かつて戦後の日本が高度経済成長の入り口に立った時、ヒッピーのような人々が自立的コミュニティー社会を形成し、消滅していったのに似ているからだ。



ニート株式会社の関係者による告発めいた内容の記事の主題は、結局ニート株式会社の人材にはかなり難があるという一点に尽きていた。

まあ、それは想像に難くない。だってニートなんだから・・。

一般社会で労働してみると分かるが、特に一部上場企業とかになれば、優秀な人材も多く、高度スペックを要求されるし、中小企業にしても優秀な人がおり、会社の業績を引っ張っている。


ニート株式会社の中にも、一部の能力に秀でている人も少なからずいるかもしれない。しかし協調性がないとか、人とのコミュニケーションが困難とか、一般的なスペックからはみ出してしまうことがハンデになっている。

実際、人間は死ぬまでの長い時間の大半を労働(家事・育児を含む)することで過ごし、糧を得る。逆に言えば、労働をせず、糧が減れば生きている大半を無駄にすることになる。

企業は人材(人財)によって成り立っていると言っても過言ではない。また社会生活の中で我々が様々に利用するものは、自分以外の第三者の努力の賜物によって支えられている。

従って人的能力は、社会設計に欠かせず、個人視点では、人生設計そのものとも言える。


ニート株式会社の人々が、一般社会やグローバルとなった現代が要求するスペックに対して、違った意味や価値で対抗出来る方法を見つけられれば、彼らが作ったこの会社の思想は成功するだろうし、そうでなければ単純に価値の無い集団として消えて行くだろう。

ゆるい就職にしてもニート株式会社にしても、机上の空論なのか、実質的効果を持つアイデアなのかはまだこれからの評価になるが、いずれにしても、分母が全く違うスペックが同じルールのリングで戦う社会構造の中で、この2者が残るのはそれほど容易でないと思う。それでも多少の成功例が出てくれば、そこから次の可能性を見出す事だって出来るだろう。

 

そういう意味で、私はこの2つの現象を見守っているのである。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。