物理的に無くなって行くSONYの古き痕跡 [独り言]
2014年2月下旬、SONYのマネージメントはVAIO撤退、テレビ事業部の切り離しなど様々な経営発表を行った。それからしばらくして旧本社ビル、通称NSビルの売却記事が新聞の片隅に掲載された。ストリンガー体制になって品川の港南に本社が移った後、ここには大賀典雄氏が残された。井出伸之氏に社長を委譲した彼は、その後のストリンガー時代には、かつてのマネージメントの要衝でひっそりと旧本社ビルの番人となった。
やがて、旧本社周辺を不動産会社に売却され、大賀氏は朽ちて行くソニー村を見ながらこの世を去った。
その後の経営陣となった平井一夫氏の1年目終了時、VAIO撤退、テレビ事業部の切り離しなどと共に旧本社ビルの売却情報がひっそりと公表された。
この情報がVAIO撤退時に同時に公表されなかったのは一定の計算があったのことだろう。
井深、盛田氏が生み、多くのSONYの有能なタレント社員らが日本の一時代を作ってきたかつての本丸NSビルは、文字通り消滅する。
時代の変遷とは言え、実に寂しい気がするが、これが企業の生き残りのリアリティーなのだろう。
御殿山の八ッ山橋からSONY本社前を通り五反田駅前へ下る路はかつては「SONY通り」と呼ばれた。2014年現在、旧本社ビルがあった周辺は、高級マンションが立ち並び往時を偲ぶ事は難しい。それでも旧本社ビルと数棟のSONY関連ビルがその偉業を思い起こさせてくれるシンボルとして残っていた。しかしそれらもやがてこの世から完全に消える。
ソニー旧本社を住友不動産に売却 161億円で:(東京新聞ニュース/2014年3月7日)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014030701002106.html
多少ノスタルジックだが、かつてこの周辺がソニー村と呼ばれた時代を経て、「輝かしい村」の一部が不動産会社に売却されると発表された2007年春、私は消えゆくSONY関連のビルや周辺写真を撮影した。
またその後、2014年3月に撮影した同所の変化も残しておく。
追加写真として、2008年に撮影した解体が進む大崎工場とその後に建築されたSONYビル姿と2009年に撮影した再開発の様子も掲載しておく。
今で言うベンチャー企業が世界のSONYになっていく根拠地だった。
---------------------以下、2014年3月撮影分----------------------
旧SONY本社ビル(通称NSビル)
栄華を誇った時代を見て来たこのビルもまもなく消滅する。
ここの6階にあった経営管理室が会社の管理中枢だった。
4号館前にあるビルの位置を示す表示。
随分とビルが減った。
旧2号館付近。現在は高級マンション。
旧本社の向う正面に出来た高級マンション。
右の道を上がると「ソニー歴史資料館」がある。
資料館だけは残るらしい。
ソニー歴史資料館へ向かう坂。
かつてはこの坂の左右にはソニー関連の施設等があった。
坂の上部から旧本社ビル方面を見た様子。
往時のソニーを見続けていた御殿山食堂。
NSビル前にまだあった。
---------------------以下、2007年5月撮影分----------------------
旧本社側から見た旧2号館
五反田からソニー通りを御殿山方面に向かった時に見えた光景。
中央奥が旧本社ビル。
さらにソニー通りを御殿山方向に進んだ様子。
正面が2号館。ビル上部の壁のロゴが撤去されているのは
既に経営陣によって売却が公表されたあとだからです。
ソニー村の坂の入口付近にあった施設。
確かここの受付が修理だったんじゃなかろうか?
坂の途中からの光景。
旧8号館付近からの光景。
旧2号館と屋上に見える運動施設。
産業保健部の入り口。
かつてソニーを牽引していた大崎のテレビ工場。
やがて時代の波に押され、ソニーの最大のお荷物になってしまうというのは
その後、2009年頃から、旧ソニー村の再開発が開始した。かつての周辺は工事によって取り壊され新たなマンション群が立ち並ぶようになる。
2009年4月に撮影した映像を見ると、全く別の場所にように感じる。
ただ、旧本社ビルがあることで、なんとかここが、かつてのソニー村だった事を伺わせてくれた。
旧本社ビルの向かいは再開発が開始。
旧2号館付近は更地になっていた。
左中央部の建物は旧本社ビル。
従って右の道路は旧ソニー通り。
8号や11号館に向かう坂道の方向。
昔の面影は全く無くなった。
旧本社ビル前の歩道橋からの光景。
同じ坂の右側方向の様子。
果たして今後のソニーには何が生まれ、何が残るのか・・・。
まさか、金融を中心とする会社になってしまうのだろうか?
もうAV機器を作って儲かる時代じゃないしな・・。
涙が出るほど懐かしいお写真をありがとうございます。新卒で入社し、人生の殆んどをこの周辺で一生懸命働きました。思い出の場所がなくなるのは悲しく思いますが、人知の及ばぬ世の習い。みんな頑張って仕事をしていたあの頃、末席でも一員であった自分を幸運と思いましょう。
by NS東京 (2014-03-07 16:19)
ラジオ。ラジオは残る。被災地で自然エネルギー原動力の手巻きラジオが活躍するよ。「地震なんてないよ」って事実を隠蔽するような人間の思い上がりに天罰はおちる、これはさけられなかったけど。
by by はちまき (2014-05-06 16:49)
コメント頂き恐縮です。
>被災地で自然エネルギー原動力の手巻きラジオが活躍するよ
私も手巻きラジオ買いました。最近はラジオを良く聞きます。年齢のせいか、テレビのバラエティーは殆ど見なくなりました。テレビはニュースかドキュメンタリー系、映画ばかりですね。
ラジオは落ち着きますし、面白いですよね。音声メディアには想像力を掻き立ててくれるものがあります。
by コロン (2014-05-07 10:50)