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何故か余裕のあるアラサー世代(って誤解?) [独り言]

 

  たまたま私の周辺にそういう若者がいるだけかもしれないが、音楽での自立を目指す若い人たちで30歳前後になっても親元や地元で生活している人たちがいる。どうやら彼らは自宅や地元を拠点にして音楽活動をやっていわゆるミュージシャンを目指しているが、当然それでは殆どロクな生活出来ないため、不足分を親の財力等で補っている人たちだ。
時代も違うので現代の30歳と私の時代の30歳の社会的位置の相関関係は若干異なるかもしれない。サラリーマンでも30歳だとプロジェクトリーダーになる人もおり、それなりの能力を発揮する時期になるのだが、こういう人たちは30歳まで経済的自立もせず夢を追っており、展望もないままだ。

ミュージシャンで飯を食うというのは相当なハードルを超えるチャレンジだ。
私も嘗てそういう人間であり、貧乏生活だったがキチンと自分で稼いで夢を追っていた。
だから夢追い人が親とは言え、財政的な負担をかけてやることじゃないと考えていたからだ。いや、親だからこそ、好きな道に進むのなら絶対に頼ってはいけないと考えていた。

私個人の場合、
結果的に生活に困窮する事態が私の夢の終わりの覚醒へと導いた。
その時
35歳。
そういう事もあってこういう寄生系の人たちにどうも共感出来ない。

もちろん自立している人もいる。彼らがどの程度の収入レベルで生きているのかさっぱり分からないが、何故か悲壮感がない。皆それなりにオシャレだし、明るいし前向きだ。
また共通しているのが「全くガツガツ」した感じがないのだ。
例えば、メディアを紹介されても「何とぞお願いします!」って感じもないし、東京に出てきて活動するより地元にいてそこそこの活動で十分な感じなのだ。
東京に出てきても、知り合いの家をジプシーするのを楽しんでいる。
自然に作った自分達の音楽や友達が自然に広まればいいやって感じなのだ。ライブも数十人程度でいいし、別にせめぎ合っている感じもない。
そういう彼らに会うと、脂ぎっているこっちが恥ずかしい感じがするくらいだ。

でも私の中で疑問がもたげてくる。そんな余裕かまして60歳までもしくは高齢時代を生きていけますかねえ・・と。今の彼らの世代が20年後に50代となる。当然その頃、彼らと同じような若い世代が登場し、彼らと衝突し競争になるだろう。
私の時代だとフラワー世代の人達が近いが、中央線沿線に住んで、未だに髪の毛が長く、ウッドストックに出てきそうな人々だが、彼らの殆どは飲食店(バー)とか衣料品店なんかで生計を立てているようだ。自由だがちょっと貧乏でもある。
私自身も自然に質素に生き、せめぎ合わず生きて行ければいいなとは思う。でも私は世の中がそんなに甘くない事を知っている。
私小説的な世界観を曲にしてお代を頂戴し、20年、30年生きて行けるなら、それはそれで幸せだろうが、芸のお代を頂戴するのはそんなに甘い考えでは通用しないと思う。

超草食系とも言える彼らは、私から見ると既に軽く枯れているようにも見える。達観しているのかもしれない。ネット社会になり、東京を中心とした音楽活動でなくても一定程度出来る時代になったいるのだとも思う。「矢沢永吉氏」のような「ビッグになって金持ちになります!」っていう時代から、「地元に根を張って地道に出来る範囲で無理なく楽しくやります」っていう感じになっているのかもしれない。
「頑張らない」事が特に悲観的でない時代なのだろう。
何となく蟻とキリギリスの話を思い浮かべるが、彼らの20年後がどうなるのか期待したい。

私の下の甥も典型的に依存型の夢追い人だが、全く親頼りといういう事について罪悪感がない。1円も自分で稼ぎもせずに飯を食いホームレスにもならず、社会人として当たり前の税金も払わず、負担をかけるだけで自分の夢だけを追っている自己完結したバカな甥だ。
自己正当化に関して余りにも幼稚な論理を振りかざす。
要するに子供なのだ。
親心は分からんでもないが、長期的人生を俯瞰すると子供を不幸にしている事には気がつかないようだ。子供の幼稚さも気になるが、親の幼稚さも原因だと思う。

ただ、そういう人の中で成功を収め、世の中の役にも立ち、高額納税者にでもなってくれればまだ良いのだろうが、30歳という年齢が人生の中でどういう位置になるかも把握できないまま40代へと向かう人たちに正直戦慄を覚えている。

 

私は音楽業界に20年近くいたのでプロのミュージシャンの凄さと厳しさを体感している。かなりのプロでも、ずっと音楽だけで飯が食えるのはそのプロの中でも数パーセント程度だ。プロになり、売れても、長期間活動を継続し、それを60代になっても継続出来る人たちというのは、プロ中のプロしかいない。
また、プロになっても何らかの形でブレークしなければならないのだが、私の調べたところ、平均して26歳までにはヒット作品を世に送り出している。
30歳を超えた人も若干居るが、全体からみれば例外と言っていい。つまり26歳を過ぎると何故か、ヒット作品を生み出すチャンスが減って行くのだ。
私は何らかの形で脳と関係しているのだと考えているのだが、野球選手も
2526歳でピークを迎え、次第に下り坂になり、30歳を超えて活躍出来る選手というのは少数派となる。
野球などは肉体の変化に最も敏感なプロスポーツだが、音楽もそれに類似したような事が起きているのだろうと推察している。


つまり、30
歳前後になって売れて居ないという事は、かなりの確率で音楽を職業に出来ないと考えた方がいい。もちろん例外はある。しかし大多数は確実の別の職業を選択する日を迎える。

大卒でも就職が困難な時代だ。以前なら35歳まで音楽しかやって来なかった連中の受け皿だった音楽業界は、今や斜陽産業となり、その受け皿の余地が殆どない。
また一般サラリーマンなら課長に任命されるような年齢である35歳に、音楽しかやって来なかった人間が一般の会社に入る余地は殆どなかろう。
プロ野球選手が戦力外通告を受けて一般社会に降りてくると相当苦労する話はTBSの番組や書籍でも語られているが、音楽をやっている人たちも同様だ。

そういう意味で、自宅で親の世話になりながら音楽活動をやっているというのは、自分の才能を客観的に見極める機会を逸し、ダラダラと無駄な人生を続ける事を許容する要素を持ってしまう。プロになる前の音楽愛好家には野球のような戦力外通告はないからだ。


彼らは誰にも迷惑かけてないからホッておけという言い分もある。しかしそれは誤りだ。こうした人たちは親が死に、自立生活に困窮すれば必ず社会が税金によって支えなければならない予備軍になる可能性が高い。

夢を持つ事は大事だし、それに向かって行く事も大切だ。しかし、そうであるのならまず、自立してやるべきだ。
自分の本当の能力に気がつくのも才能と言えるが、自分で稼いだ金ではない方法で飯が食えて、屋根の下で寝られる間は、自分に厳しくなれないのが人間の性だろう。
若い方々で夢を追っている諸君。やるなら自立して思い切りやりなさい。また夢の期限を決めましょう。
10
年かけて、好きな事をやっても自分の生活すらままならないことを仕事にしようとするのは、そもそもそれが無理な事だからです。
職人技だって10年やればそこそこの技能を確立できる。

音楽を続けたければ趣味の範囲で幾らでも出来る時代です。そうした活動の中でひょっとしたら注目を浴びる日が来るかもしれません。
35
歳を過ぎてから社会の本当の厳しさを知ると死にたくなる程辛いです。
私もそうでしたから・・・。
この世は、「蟻とキリギリス」です。


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