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勝手ながら「誓い~奇跡のシンガー」問題をまとめてみた [独り言]

勝手ながら「誓い~奇跡のシンガー」問題をまとめてみた。

本件は著作権絡みでのちょっと仕事柄興味を覚えてしまいますね。
土屋アンナ氏と主催会社社長で演出家の甲斐智陽氏(=高橋茂氏)及び原作者の濱田朝見氏の主張はそれぞれ食い違ってます。

私は当事者でもなく、細かい事情も知らないが、報道と濱田の主張等で世間に出ている情報を元に今回の状況を推察してみた。

まず、ややこしいので簡単に各立場の現状の主張を整理してみた。

主催者側の主張:

   原作者の許諾は取っている。代理人経由。時期は20134月。

   原作者と主催者間での舞台化の契約書はない。(報道)

   原作を舞台化したのではなく、「原案」として利用したのみ。(プレス書面)

   土屋氏は台本のエンディング内容にクレームを入れてからリハを放棄。

   土屋アンナさんが約束した回数のリハに現れず舞台興業が中止になった。

原作者側の主張:

   主催者への許諾は一切行っていない。

   1年半前にストリートライブ中に出版社の人と監督らが挨拶に来た。

   この挨拶を許諾行為と言われており心外だ。

   主催者の説明には多くの嘘がある。

   台本の内容も事前に確認させてもらってない等。

 

土屋アンナさんの主張:

   パーティー(716日)での原作者側の主張を聞いて主催者側に問い合わせた。

   主催者側は原作者との間の契約書を証拠として開示しなかった。

   原作者側と主催側の主張の異なる舞台に出演出来ないと判断した。

   台本内容に不信感を持った。

出版社(光文社)の主張:

   本件には関与していない。

時系列(スポニチより)

▼約1年半前 主催者で作・演出の高橋氏が濱田さんの路上ライブを訪れてあいさつ。濱田さんは「この時のあいさつで許可を取ったと言っているのでは」

 ▼今年3月末 製作側が土屋に出演オファー。4月に承諾

 ▼5月中旬 高橋氏、濱田さんらが話し合い。高橋氏は「この時に舞台化の許可を得た」

 ▼7月16日 都内で公演PRのライブ。濱田さんが土屋に手紙を渡す

 ▼17日 土屋や共演者の事務所スタッフが、台本の内容を変えてほしいとプロデューサーと話し合う

 ▼18日 稽古場で土屋と高橋氏が衝突。土屋は「原作者の許可が取れないと出演できない」と、以後の稽古に不参加

 ▼22日 土屋の事務所スタッフと主催者側が話し合い

 ▼27日 濱田さんの元に台本が届く

事の発端は「誓い~奇跡のシンガー」という舞台の主催者である株式会社タクトの代表者、甲斐智陽氏こと高橋茂氏側のIR(会社広報)発表である。以下がその全文。

公演中止のお詫びとお知らせ

当社は、土屋アンナ氏の舞台初主演公演「誓い奇跡のシンガー」(本年8月6日~9日東京公演、8月16日~18日大阪公演)を企画、準備してまいりましたが、主役の土屋アンナ氏が公的にも私的にも何らの正当な理由なく無断で舞台稽古に参加せず(参加予定の稽古(本番直前の通し稽古を除く)8回中最初の2回のみ参加し、その後すべて不参加)、専らそのことが原因で同公演を開催することができなくなりました。
本公演を楽しみにし、さらにはすでにチケットを購入してくださったお客様、関係者の皆様には、多大なご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。
心からお詫び申し上げますとともに、購入されたチケットは本日以降払い戻しをさせていただきます。
今後、当社としましては、土屋アンナ氏に社会人としての責任をお取りいただくべく、損害賠償訴訟を含む断固たる措置を講じる所存です。

平成25年7月29日
株式会社タクト代表取締役 甲斐智陽 こと 髙橋茂
http://chikai.tact-be.com/

 

なお、甲斐智陽氏は自身のfacebook上で2回に渡って反論を掲載している。7月30日と81日だ。それを簡潔にまとめると以下です。

 

(1)土屋氏側が台本で主人公が死ぬと言っているが、死を暗示させる演出であるだけで実際には死んでいない。倒れただけ。

(2)原作者との許諾は土屋氏もいる席で(濱田氏の代理人の(赤沼)弁護士が本人同席うえ承諾したと認めている。この席で土屋氏側が台本にNGを出してきた。

(3)土屋氏側とは出演契約をしている。

(4)赤沼弁護士を代理にして光文社に舞台化の報告をし、原作の承認を得た。

(5)原作使用ではなく、原案使用で、内容も変更することを伝えている。

(6)濱田氏の代理人の承認は濱田氏の承認と同等である。

さてこれに呼応した土屋アンナ氏側のIR情報は以下だ。

「公演中止のお詫びとお知らせ」につきまして

 この度は皆様に大変ご迷惑、ご心配をお掛け致しまして心よりお詫び申し上げます。

 舞台「誓い~奇跡のシンガー~」のホームページに掲出された「公演中止のお詫びとお知らせ」につきまして、弊社と致しましては、その事実無根の内容にただただ困惑しております。

 経緯と致しましては、本件舞台稽古期間中に、原案の作者の方から「本件舞台の台本を見てないうえ、承諾もしていない」という連絡があり、制作サイドに対し、原案の作者の方の固有の権利に万全の配慮を尽くすよう対応をお願いしておりましたが、本日突然、制作サイドの代理人より、一方的に公演中止の決定と損害賠償請求の書面が届き、それと同時にホームページにもアップされたという次第です。

 

 弊社としては、突然の中止決定に対し、現在事実関係について早急に調査をし、しかるべく対応する所存です。

 今後につきましては、進展があり次第ご報告させていただきますので宜しくお願い致します。  

  平成25年7月29

                            有限会社 モデリングオフィスAMA

                            取締役  土  屋  眞  弓

http://www.officeama.com/news/2013/07/post.html

 

本舞台の制作記者会見に関わる情報は以下となっている。

(㈱イズミクリードの制作記者発表情報と情報訂正)

http://www.value-press.com/pressrelease/111167

 

(㈱イズミクリードの制作記者発表情報の訂正)

http://www.value-press.com/pressrelease/111201

 

さて主催者の中止発表と土屋アンナ氏への訴訟主張を受けて、原作家の濱田朝美氏はブログで以下のコメントを掲載した。

重大なお話!

2013-07-29 23:58:23


皆さん、ご無沙汰しています。
この濱田朝美ブログの方ではもう書かない予定でしたが、急遽皆さんにお伝えしたい、
いえ、しないといけない事があり、書かせて頂きます。
長文になりますが、お付き合いください。
皆さんももうご存じかと思われますが、私の本「日本一ヘタな歌手」が舞台化される事になりました。
その事について、どうしても納得がいかない事があり、この場を借りて事実をお話したいと思います。
実は今日、私の舞台の主演である、土屋アンナさんが、自分勝手に舞台練習を休み、そのせいで八月の公演が出来なくなったという内容が、舞台の公式ページに発表されました。
その発表は、全くの事実無根です。
これから、お話する事が真実です。

実は、最初の段階でこの舞台の話に関して、私は制作者側から全く許可を取られていませんでした。
私が舞台の存在を知ったのは、友人からネットに出ていたよ!というメールが来たのがきっかけでした。
その知らせに、慌ててネット検索してみた時には、もう舞台の記者会見の一週間前でした。
その時、私は何が起こっているのか全く把握できず、ただただ驚きました。
何日か後に、こちらから連絡を取り、本の出版社の元担当と舞台の監督(演出家)に会う事が出来、事情を説明して頂きまた。
すると、既に私から舞台化の許可を取ったと言われ、詳細の説明や正式な謝罪もありませんでした。
ですが、許可を取ったという内容を聞いていると、常識ではあり得ないものでした。
一年半ほど前に、私が多摩センターで路上ライブをしていた時
元担当が私の元に監督を連れて来て、"今後何か協力して下さるかもしれないから、ご挨拶して。"と言いました。
私はただ、自己紹介と今後何かありましたらよろしくお願いします。と言いました。
その事を、許可を取ったと言っているようでした。
しかし、その時は舞台化の話などは無く、その後も監督とお会いする事も、元担当からそのようなお話をされる事はありませんでした。
お二方の言い分は、それがこの業界では許可した事になるのだ。という事でした。私は何度も、それでは許可にならない。と言いました。
すると監督は"そんなに許可と言うのなら、別に貴女でなくとも、障がい者はたくさん世の中にいる。違う人に頼んでも良いんだよ!"とおっしゃいました。
また、原作とは内容が多少異なるため、そんなに許可と騒がなくてもいい、と言う事を言われました。その言葉に、私は憤慨し、この方にはいくら言っても理解していただけないのでは。と思いました。
一応元担当が、監督を宥め、今度近いうちに舞台の台本を私に見せ、そこで舞台化の許可を正式にして欲しいと言う事になりました。
その後いくら待っても台本は届かず、1ヶ月以上が経ち、突然716日のプレミアムライブ「舞台の成功をみんなで祝うパーティー」の案内が届きました。
許可もしていないのにそんな案内が届いた事に、とても不愉快な気持ちでした。
しかし、それに行けば監督に会えると思い、参加する事にしました。
ですが、パーティーでは監督とは話をする事は出来ませんでした。
でもそこで、主演の土屋アンナさんにお会いする事が出来ました。
土屋さんはとても親しくしてくださり、"舞台の台本を見ましたか?貴女は本当にこの内容で許可を出したの?"と聞いてくださいました。
私はそこで今までの経緯をお話しし、舞台に関して困惑している事を打ち明けたところ、土屋さんも共感して下さり、協力して下さる事になりました。
そして、何も出来ない私の代わりに、監督に"濱田さんが納得出来るものにしてください。"と掛け合ってくださったのです。
また"原作者が納得し、許可した舞台でないのなら、出演出来ません"と伝えたそうです。
しかし監督はそれを全く聞き入れる事はないそうです。
私の所にはただ一枚の舞台の同意書のみを送りつけ、台本も詳しい内容説明もない状態で、毎日のように同意書にサインするように、と言う内容の電話ばかりかけて来ました。
私は説明も無しにサインは出来ないと思い、内容を教えてくださいとその度に言い、サインを断りました。
やっと台本が送られて来たのが2日前の事です。
そしてその台本を見ましたが、私の本が原作とは思えない程、内容が異なっており、自分の人生を侮辱された様な気持ちでした。
そこでやはり許可はしたくないと感じ、私の作品を原作と書かず、全くのオリジナルとしてやって頂きたいという意向を伝えようとしていました。
そして本日、舞台の公式サイトに、土屋アンナさんが無断で練習に出ないため、8月の公演は中止という内容の記事が発表されていました。
その発表は全くのデタラメで、これが真実です。
それに対し、私はとても怒りが鎮まらず、皆さんに真実を訴えたくなりました。
土屋アンナさんは、全くの無実です。
ただ、私のために監督に伝えて下さっていただけなのです。
皆さん、どう思われますか?
それでも土屋アンナさんが悪いということになりますか?
普通の大人なら、大きなことをやる時には、許可を取るものではないでしょうか?
それともこの監督さんは、私が何も出来ない障がい者だからということで、どうでもいいと思われていたのでしょうか?
ただ、こんな発表の仕方はあり得ないし、大の大人が考えるような事では無いと思います。
長い文章にお付き合いくださいました皆さん、ありがとうございました。
長々とすみませんでした。

濱田朝美

http://ameblo.jp/sakura-smile-for-you/entry-11582675117.html

 

なお、出版元の光文社は、「今般の舞台化につきましては関与しておりませんので、 コメントは差し控えさせていただきます」(広報室)と取材に答えている。

しかしこの広報室のコメントは怪しくて、記者会見に場所を提供している情報がイズミクリードの制作記者発表情報にあり、光文社宮本修氏が協力として名前を連ねているので、全くの無関係であるはずもない。
但し、出版社が舞台化に関する許諾をする立場にないという意味かもしれないが、舞台化に関与していないなら、記者会見場の提供は筋が通らない。


また報道によれば制作者側は、濱田氏から契約書の形で許諾を受けてないと応えているが、4月に原作者の了解を取っていると主張している。

2013419日にアップされていた本件舞台に関する情報露出は制作者側が418日以前に主張する行動を取っていれば蓋然性があると云えるが、書面がない。

 

2013419日にアップされていた本件舞台に関する情報:

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:9R4WA6kwZJgJ:blog.livedoor.jp/tp_ac/archives/26905099.html+%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%80%80%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E7%BE%8E%E7%94%B7&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

さらに81日のスポニチには以下の報道があった。

 

 台本の内容に不満を持った出演陣に、7月18日に高橋茂氏が説明の場を設けた。そこで、土屋は濱田さんから受け取った手紙を見せていた。出演者によると、土屋と高橋氏の間で次のような口論があった。

 土「原作者の許可なしに舞台をやるのはありえないでしょ」

 高「許可なんてとっくに取ってある」

 土「それなら、この(主人公が死亡する内容の)台本はおかしい。濱田さんに台本は見せた?」

 高「あの人は心が病んでて、被害妄想がある。だから、台本は見せられないんだ」

 土「その言葉そのものが差別だよ」

 高「あくまでも原案。彼女の原作は関係ない」

 土「それならどうして16日のライブに濱田さんを呼んだの?」

 高「本人が来たがっていたからだ」

 土「ともかく濱田さんに台本を見せて、許可したサインを見せてほしい」

 高「向こうは了解している。大丈夫だ」

殆ど大人のやりとりとは思ない内容である。

 

さて、この問題はどう解決すべきか?

芸能界ではよくあるが、彼らは殆ど契約を書面で締結しないまま仕事をすすめる傾向がある。

従って本件が訴訟になった場合、最も強いカードは契約書の存在となる。

契約書がなければ、交渉過程等に残されたメールやファックス等の証拠を集めるのと客観的で検証可能な証言によって各主張の根拠を探らなければならなくなる。

まず作家と光文社の出版契約が最も注目すべき書面だ。ここに二次使用に規定がなければ主催者は作家から直接許諾を取らねばならないし、光文社に二次使用や人格権が保留されていれば、主催者は光文社との間で契約があるはずだ。しかし光文社は本件舞台化に無関係と主張しているため、契約書に二次利用規定がないと想像でき、主催者は作家から直接許諾を取る必要があると推定できる。

 

解決へのポイント:

   まず作家と光文社の契約を検証する必要がある。特に二次利用に関する部分。

   本件舞台化の権利や翻案権が作家に残っている場合、原案使用であっても主催者は原作家から許諾を受けなければならない。もしもオリジナルと云い張るなら、客観的にそれを証明しなければならない。しかしいずれにしても光文社が協力しているのだから、原作を利用したか原案を利用したことは間違いないし、主催側のそれを認めている。
ただ作家が許諾を完全に否定し、尚且つ実際に契約書がないのは主催者側に明らかに不利な要素となる。
口約束も契約とみなされる場合があると言われているが、民法上では、その内容や流れによっては無効とされるケースもある。甲斐氏が作家の代理人から承認をもらったと言っているが、代理人の承認効力がどこまであるのかは契約書の捺印相手が誰かによる。
また相手が弁護士なら最終条件までつめて許諾契約書を作るはずであり、途中経過で交渉の余地がある場合は、書面作成は保留するだろう。
記者会見用のプレスリリースに記載のあるストーリーの内容は、原案利用というよりも作家の原作利用と同様と見え、従って原案という言い方はただの方便とみなされる恐れがある。

   舞台出演に際しての土屋アンナ氏と主催者の契約状態を検証する必要がある。多分契約書なんてないだろうから、マネージメントと主催間でのやりとりの証拠が提出出来るかどうかがポイントになる。リハーサルを含めて出演条件の取り決めや過程は内容は大きなポイントとなる。

   主催者側が公演中止を、関係者との間でどのような交渉を以て判断したのかは重要な要素となるだろう。この過程が余りにも短絡的だと主催者に不利な条件になる可能性がある。

   土屋アンナ氏が事前に主催者側と事前に決定していた参加出来るリハーサル期間内に、どの程度を任意にスキップしたのかは問題になる。仮にパーティーの席で作家から事情を聞いた事で、主催者の事情に対する曖昧な態度だけを根拠として勝手にスキップを判断したとすると、出演契約不履行と言われる恐れは多少残る。少なくとも一定期間を取って内容証明を送るなりするような後々にキチンとした交渉の手続きが残るような方法を経てから判断すべきだっただろう。こういう部分は法務部を持たない事務所の弱点だ。
但し、出演契約条件に、本件舞台の作家からの許諾が完全にされており、それに基づいて出演を了解しているというエビデンス(メール、議事録、メモ等)があれば土屋氏には多少有利となる。
だが、本来は出演決定に際して、最終台本を読んでから出演の決定をしたり、契約関係の有無を他のルートを使って確認したりするものだが、そういう部分に注意払うべきマネージメントの仕事が、キチンと仕事を行っていなかったとするとマネージメント管理を責められても仕方ないかもしれない。相手が決定に必要な情報の開示に対して曖昧さを残す人物であると事前に分かるのであれば一緒に仕事をするのはリスクがあると判断出来るからだ。

   協力という形で関わっている光文社と主催者との関係性や立場は明確にする必要がある。少なくとも記者会見場を提供しているのは光文社であり、また出版者として作家の作品の舞台化について、無関心を装うのは余りにも不自然だ。

 

結局この問題は、舞台化に際して主催者(+出版社)、土屋氏、濱田氏の三者間で見えている景色が少しずつ違っていたという事だ。いくら主催者が許諾を取っていると主張していても実際に契約書がなく、原作家が否定している場合、許諾に実効性があるとは到底言えない。

これは主催者側の最大のマイナスポイントだ。彼は自分の正当性を主張しているのだが、殆どは彼の発言だけが拠り所なのだ。過去に何十本も舞台化をやって来ているのなら、契約の重要性を知らないはずがないが、日本の演劇界のいい加減な体質を経験上で積み重ねてしまって来たとすれば、彼にとって書面より口頭契約が実務上の上位だったのだろう。
原作者があくまでも一切の許諾をしていないと主張し、尚且つ契約書の書面がないとなれば、基本的に許諾が履行されていないとみなされても仕方ない。
主催者が許諾を取ったと主張するならば、原作者との間でどのような条件で許諾をもらったのかを蓋然性のあるエビデンスをつまびらかにする必要がある。
特に金銭や人格権への対応に関わる部分は重要だ。
実際、本件の問題の根幹はここだけなので、この部分は主催側が自らクリアーしなければならない。

作家の濱田氏の主張は、本人の主張通りであることを第三者が検証出来る形で証明しなければならない。少なくとも作家と主催者の契約が無い点は有利だが、その過程において、主催者側の主張を退ける蓋然性のある根拠は担保しておいた方がいいだろう。

土屋氏は、出演に際して当然のごとく主催者が舞台化において作家の許諾を済ませていることを前提でなければ出演して演技することは出来ない。出演を決定した後、作家本人から許諾をしていない話を聞き、主催者に確認をしたようだが、キチンとした回答がなく埒があかないため、リハを休むという強行突破をしてしまったが、もう少し冷静な対処の方が彼女に有利だったと思う。
少なくとも524日の記者会見までにこうした点を確認することをしていれば不利な形でこの事件に巻き込まれる事はなかっただろう。ここの部分はマネージメント側が事前にやるべき確認を怠ったからで、マネージメントの失敗だと云われても仕方ない。マネージメント会社は、何を行うべきだっただろうか?

   主催会社の背景確認と代表者の経歴チェック。

   光文社の立ち位置の確認。「協力」というのは何を意味しているか知るべきだったろう。

   舞台化に際しての権利関係状況の事前チェック。光文社が間に入っているようにみえたのでこうした点について問題ないと鵜呑みにしてしまったのかもしれないが、一定程度はやるべきだった。

   最終台本の確認。今回の経緯を見ると、明らかに最終台本を見ないで出演を決定してしまったようだが、これは明らかに事務所や本人のミス。

   出演契約の作成と捺印。結局これを作成しなかった事が土屋氏の立場を追いこんでしまった。許諾関係やその他業務を進めるために事務所が認められない事象が発生した場合、リハを含む出演を任意に中断し、確認出来るまで再開しないという条件を付けていれば、一定程度歯止めになっただろう。

光文社はこの問題を遠くから見ているようなスタンスに居るが、記者会見場所の提供をしていることから、主催者が舞台化する流れを最も初期の段階から把握していたはずだろう。
その流れの中で出版社がどの程度関わっているかは不明だが、主催者と一体の関係であると推定されても仕方ない立ち位置にいるため傍観者には成れない。また推察だが、当時の担当者が既に退社しているように見える点も光文社の本件への対応への鈍さの原因だろう。

ただし、光文社は舞台化による話題作りで書籍の追加販売を得るメリットがあるだろうし、光文社の宮本修氏が協力で名前を連ねているので、彼や会社関係者からも証言を取る必要があるだろうし、光文社は説明責任から逃れる事は出来ない。

教訓:

「言った言わない」を争うのは低レベルの子供の喧嘩と同じだ。
特に大型プロジェクトでこういう初歩的な躓きが起こるのは、殆どの場合、統括責任者であるプロデューサーに問題があると言われても仕方ない。
本舞台化において主催側のプロデューサーが、1つ1つの仕事を丁寧にしていれば、こういう問題は絶対に起きないというのが今回の大きな教訓だ。勝手に決めた先々のスケジュールに合わせて事を急いだ事で、やるべき事を全くやってこなかった事で今回の問題が起きたと言われても仕方ないだろう。
どんな仕事でもキチンと丁寧に時間の余裕をもってやりましょうということだ。

特に利害関係者が多い場合、覚書にせよ、メモランダムにせよ、議事録にせよ、交渉相手との過程をキチンと記録して残しておけば事後のリスクを減らす事が出来るという初歩的なミスを犯しているのは相当に痛い。

また、土屋氏も完全な免責とはならないだろう。やはり舞台降版の対応の仕方についてもう少し慎重であるべきだった。
またマネージメント側も事前に確認すべき点を洗い出した上で出演決定をしなかった点は責められるべきだろう。交渉現場において相手を疑う感じの交渉は確かにやり難いが、一定範囲はクリアーしないと今回のように面倒な事になる訳だ。これは今後の教訓となるだろう。

作家の許諾に関して光文社の存在を無視するのは不自然だろう。記者会見場を提供している立場であるから主催者と一体と言われても仕方ない。出版社として作家に寄り添う立場の会社が、作家を放置するような言動をするのはイメージを損なうだろう。この点は早急に改善をしないと遺恨やイメージ悪化を招く。

また作家本人も著作権の二次利用等の知識についてもう少し武装しておくべきだったかもしれないし、もし難しければ、早い段階で法律専門家等を代理人する程度の知恵は欲しかったと感じる。

本プロジェクトは、結果的に誰も幸せにならなかったし、誰も幸せにしなかったということになってしまいそうですね。
実際、関係者それぞれに微妙な瑕疵が存在するのだが、やはりこの企画を立案し、構築した主催者側の非が最も大きいと言わざるを得ない。冒頭の時系列を見ても分かるように、土屋氏の出演決定は4月だが、主催の主張する原作家の最終許諾時期は5月だ。どう考えても仕事の流れが逆だし泥縄仕事なのだ。

本騒動での教訓:

 

   口約束で契約の成立が行われたりしないように、蓋然性のない情報で意思決定をしない。

   何よりも契約書もしくは覚書や交渉過程を記録に残し、双方に言った、言わないの余地を少なくしてリスクを減らす。電話での会話は、メールでその内容を送っておくことで担保させる効果を生む。

   最終台本のない仕事は選ばない。

   相手の情報は出来るだけ取り、慎重に選ぶ。

   業務環境周辺の情報を出来るだけ正確に把握すること。

   著作権の知識やリスク管理の意識を持った人間をマネージメントに配しておくことは、芸能活動をする上で重要なポイントになる。

 


そして、2017年3月10日、以下の結果となった。

 

「土屋アンナ勝訴確定 舞台中止の損害賠償 3年半の訴訟に決着」 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170310-00000085-spnannex-ent 

 


お疲れ様でした。双方にとって後味悪い仕事になったようですね。 

 


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