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Queen“Bohemian Rhapsody”のサウンドの秘密を探る Part-14 (最終回) [音楽に関わるブログ]


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1975
年、ヒアフォードシェアーでの3週間に及ぶBohemian Rhapsody”のレコーディング用のリハーサル、1975年4月25日にモンモウス近くのロックフィールドスタジオ1で始まった“Bohemian Rhapsody”のレコーディング、またその他4つのスタジオ、ラウンドハウス、SARM(East)やサセックスなどを曲の完成のために利用した。
フレディーは、レコーディング中、この曲に対して非常に明確なヴィジョンを持っていて、セッションを通じてメンバーにキチンとした指示をすることが出来ていた。おびただしい数の曲の各パーツは、ガイドクリックだけを頼りとして別々に録音され、後に1つに集約された。

フレディー、ブライアンとドラマーのロジャー・テイラーは、彼らのコーラストラックを1日12時間余りもかけて重ね続けた。ある個所だけに限れば、180を超えるオーバーダビングがほどこされている。当時、24チャンネルのアナログレコーダーを使用していたために、おびただしい回数の多重録音を行うためには1回当たり3人編成で歌う必要があった。そうして出来上がった音源をミックスして別のトラックにコピーしてサブミックスとした。この反復により最終的な音源は(最初の世代から数えて)8世代を経る事になった。最後のバージョンを作り出すために数えきれない程のテープの切り貼りが行われた。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の本作の録音シーンで、メンバーがマスターテープの再生回数に不安を募らせるシーンがあったのを記憶しておられるだろうか?
私はあれを見ていて、随分マニアックで細かい演出するな・・・と思っていたが、あれは何を意味しているかと言えば、当時のアナログテープは、録音・再生をする毎に蒸着している磁気成分が剥がれ落ち、耐久性と録音再生が落ちるという欠点があった。だからメンバーは度重なるダビングに耐えられるかを心配していたシーンなのだ。

1975
1010日、シングルがリリースされ、“Bohemian Rhapsody”はアッと云う間に国際的な成功を収めた。イギリスでは驚異とも言える9週連続というナンバー1に輝き、ロック史上3番目に位置するセールスを記録したのだ。当時、本作はかつてない程、最も制作費をかけ、綿密な作業によって生み出されたポップ・ロック曲だった。
また、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエルそしてオランダなどでも1位に輝き、アメリカでも最高9位ながらも非常に好評だった。

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フレディーは本作についてこんな風に語っている。
「この曲は幻想的な感じに満ち溢れているんだ。多くの人々にはただ耳を澄まして聞いて欲しいと願っている。そして曲について考えてもらい、曲が何を言わんとしているのかを酌み取って欲しいんだ。“Bohemian Rhapsody”はどこからともなくアイデアが浮かんできた訳じゃないんだ。ほんの少しだが曲のためのリサーチだってやったんだ。でも結果的には皮肉めいた擬似的オペラになったけどね。でもそれで良かったんだよ。」


あとがき:

改めて“Bohemian Rhapsody”に触れると、この曲の偉大さを痛感する。本作のアナログ24チャンネルのマスターテープとして現存している物は私の知るところ1本分しか存在しないようだ。各パーツで録音されたものはどこを調べても出てこず、パーツを集約した1本のマスターのみが存在しているようだ。
このマスターは既にデジタルコピーされている。
マスターのアナログテープはそもそも耐久性に限界があり、何度も再生すると磁気部分が摩耗して音質が著しく劣化するからだ。

それにしても“Bohemian Rhapsody”の発想力とそれを現実に作り出した力には未だに驚嘆されられる部分が多い。
またこの楽曲の独創性は、他のミュージシャンによるカバーを容易に許さない点でも明らかだ。どんなヴァージョンを聞いてもQueenの演奏とフレディーの声の影がチラつく。当時のレコーディング技術を文字通り駆使して作り上げたこの作品への情熱は、時代を経ても色褪せることがない。
過去の音楽から影響を受けているにしても、それをオリジナルに昇華したという事はこういう事なのだろう。

当時の手法を苦も無くこなせる現代では、あの質感を作り出す事は不可能だろう。アナログレコーディングと24チャンネルという技術的制約が副次的にあの質感を生んだ部分もあるからだ。また制約の中を潜り抜けたからこそ時代を超えるものになったとも言える。
クリエイティブのエネルギーの集約とは時代を貫く力がある。
しかしその根源はフレディー・マーキュリーという才人の発想力から生まれたことだと言ってよい。
そして彼のリーダーシップとベイカーという理解者が核となってメンバーたちの能力と技能の集約が作り上げたとも云える交響楽的な発想のロックオペラをチームで仔細微細に構築し、我々の耳に届く形に昇華させたことは時代の変遷を考慮に入れても驚くべきことだ。
2018年秋にはこの名曲の名を冠したQUEENの映画が公開される。楽しみだ。

私が16
歳だった当時、この曲を聞いた自分の意識の中には、こんな事を可能にする人類が地球のどこかに現存していることに驚いたというのが実感だった。日本人の我々には到底発想しえないものだったからだ。

洋楽ファンは様々な観点で洋楽の“圧倒性”にノックアウトされるものだが、この楽曲もそうした例に漏れない。そしてリアルタイムの時代の流れの中でこうした驚愕する洋楽に出合えていたのは、未成熟なティーン時代の脳に大きな刺激として刻みつけられたのだ。あれから38年が経過し、多くの同時代を生きていた人々が改めてこの曲に触れる時、また新しい発見をすると考えている。

以上。


2013年5月5日 初稿


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コメント 2

えっつい

1-15 拝読しました。 素晴らしい記録で感激しています。
有難うございます。

きっと記載されたもの中では、CLASSIC ALBUM, The making of A nightat the Operaなども参照されていますか?

えっつい拝

by えっつい (2016-02-28 13:58) 

コロン

えっつい様、元になった記事は、アメリカで編集された音楽レコーディングを扱ったもので、そのレポートでございます。読んで頂き恐縮です。
by コロン (2016-03-02 16:51) 

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