SSブログ

ダリルホール&ジョンオーツ Abandoned Luncheonetteの逸話 [音楽に関わるブログ]

本ブログでようこそ。以下の記事は海外に掲載されていた ダリルホール&ジョンオーツ Abandoned Luncheonetteの逸話を(勝手に)翻訳しまとめたものです。本名盤の裏側に潜む話、日本では一般的ではないですが、興味深いので少し長い記事ですが、本作が好きな方はお読みください。

 

ホール&オーツが40年を経て語る名盤“'Abandoned Luncheonette

1970年の中期、ホール&オーツのファンたちがケニルワースを走る724号線から雑林地域に少し入った場所に立っていた荒廃したダイナーを興味深々で捜していた時代があった。
結局のところ、ロックの歴史的遺物をお土産にしようとするファンの一団は、かつてポッツタウンにあり、長い間放置されていたロズデイル・ダイナーをバラバラにして持ち帰ってしまった。


Abandoned Luncheonette.jpg



ダリル・ホールはそのダイナーの一片を今でも持っている。

「ファンの連中は世界各地からやって来ていた。ダイナーの持ち主には申し訳ないことになったが、連中はダイナーを破壊し、一片一片はぎ取って持って行ってしまったんだよ」とダリルは語った。
「誰だったか忘れたが、ファンの誰かがずっとあとになってその一片をオレにくれたんだ。おかしな話さ。」

実際おかしな話だ。しかし40年を経てこの話は地元だけでなく、ダリル・ホール&ジョン・オーツというロッンロールの世界で最も成功したディオグループのファンにとっても象徴的なものになった。
この古きロズデイルダイナー、かつてポッツタウン(ペンシルヴァニア州)のハイストリートにあって営業をしていたロズデイルダイナーは東コベントリー群区の街はずれに引っ越し、ホール&オーツのアルバム“Abandoned Luncheonette”のカバー写真を飾ることになった。

Abandoned Luncheonette,”と命名されたこのアルバムは、ポッツタウンのオーエン・J・ロバート高校を卒業したホールと、北ウェールズの北ペン高校を卒業したオーツの地元ミュージシャンをスタータムに押し上げることになる。
1973
年の発売から40年もの時が経過した今でも両名ともこの作品を誇りにしている。特にオーツは個人的にこのアルバムをもっとも気に行っている。

ナッシュビルで行われたオーツのインタビューの中で、このアルバムにはとても特別なものがあるんだと語っている。

“あのアルバムには物凄く特別な何かがあるんだよ”とオーツは最近ナッシュビルでのインタビューに答えている。
“ああいう感じのアルバムは計画して出来るものじゃないんだ。でも出来てしまったんだよね。実際に、現在に至るまでボクはあのアルバムの曲を演奏しているし、今でも曲を書いた当時と同じくらい素晴らしいサウンドをしている”

両者ともダイナーの存在がアルバムのマーケティングに大きな寄与をしていることを認めている。まだハイストリートにダイナーがある頃、ポッツタウン生まれのダリルは少年時代両親にロセデイル・ダイナーに連れていったもらった記憶があるという。ダイナーの所有者はタリマッジ・W・“ビル”フォークと言った。

フォークがダイナーを占めたのが1960年代中期。彼はポッツタウンの数マイル外にあり彼が所有する724号線沿いに建物に移築したんだ。その場所の近くにはダリルの祖母が住んでいた。

Rosedaile.jpg



ホール&オーツの2枚目のアルバムにはホールが書いた“Abandoned Luncheonette.”というタイトル曲が入っている。
「もし歌詞を読んでもらえれば分かるだろうが、子供心に強者のみが生き残れるって感じていたんだ」とホールは近年のニューヨークのインタビューで語った。

「ボクは挫折は大きいほど次への一歩の原動力となり、小さな挫折では立ち止まってしまうという事をテーマにしたんだ。
つまり、自分の人生は自分で何かを成し遂げなくちゃならないってことなんだ。とにかく進むしかないんだよ。少なくともボクの場合はそうだったと人生が証明している」

ホールは曲の中で挫折しても、立ち上がって人生を送る人たちを描いている。
「最初は‘Abandoned Lives.’ってタイトルの曲だったんだ。挫折をして、同じ場所で堂々巡りして、生き方が下手な人々の事を曲にしていたんだよ」
ホールの説明ではアルバムのタイトルを決める時期が来た時、オーツが“Abandoned Luncheonette.”を提案した。そしてアルバムジャケットのデザインをどうすべきか検討している際、ホールはポッツタウンにある閉店して荒廃してしまった祖母の家の近くのダイナーを思い出したという。
「それでボクは、この場所は朽ち果てているから直ぐにでも写真家を連れて写真を撮ろうと云いだして実際にそうしたんだよ。でも現場に行ってみると、不法侵入で警察に放り出されてしまった。でも何とか写真を撮影することが出来て、それがアルバムのコンセプトになったんだ。曲から来たんじゃないんだ。コンセプトが決まったのは偶然の産物なんだ」

1983
127日、ポッツタウンにあるマーキュリーで新たな物語が生まれた。フォークは1973年の夏の当時を振り返り、当時二人の音楽坊やが俺の所に来て自分たちのニューアルバムの表紙の写真のためにダイナーの写真を撮影させて欲しいと承諾を得にやって来たんだと語ってくれた。
「一人は顔見知りだったな。ヤツはかつての俺みたいに貧乏だった」
フォークは1983年に語った際、ホールをそのように表現した。
「写真は撮っていいと言ったんだ。でも中には入るなと言っておいた。危険だからな。不慮の事故でケガをして欲しくなかったんだ。でも奴らは中に行っちまったけどな」
40
年後、オーツはこの話に信ぴょう性を与えてくれた。
「ボクらは殆ど押しこみのような感じでダイナーの中に入ってアルバムの裏に写っているような写真を撮ったんだ」

Back.jpg


Continued.

オーツはアルバムの写真撮影者で、“B. Wilson”とクレジットされている人物について付け加えた。
B. Wilson”とはバーバラ・ウイルソン(Barbara Wilson)のことで、当時のオーツの彼女だったのだ。彼女は学生で、後にフィラデルフィアの芸術大学で学ぶことになる。オーツによると彼女の学校時代の先生はアルバムのジャケット写真の作業を担当してくれて、手作業で着色したような雰囲気を作り出してくれたのだという。
「今振り返っても最高のアルバムジャケットだと思っている」とホール。
「とにかくイメージにピッタリに仕上がった。本当に芸術的だと云えるし、他のアルバムと比べても全く遜色ない出来だと思う」

ビル・フォークは“ランチョネットは724号線のあの彼によるご厚意”とクレジットされた。
ダイナーはポッツタウンの名物となった。
ホール&オーツが名声を高めて行くに従い、ファンが押し寄せお土産とばかりにダイナーをはぎ取って行った。そのためダイナーの荒廃を促してしまったのだ。
1983
年、ホール&オーツの代理人がダイナーを買い取る交渉をし始めたと地元新聞のマーキュリーストーリーが伝えている。

「売ることに異議はなかったよ」フォークは言う。
「何年もの間にファンが押し寄せて壊して行ったんだからね。彼らに買ってもらった方が良かったんだよ」
しかし交渉はとん挫する。1983年までにはダイナーの状態は最悪だったからだ。
「あの音楽坊やたちが成功して喜んでいるよ」とフォークは語る。
「彼らはサイン入りのアルバムとTシャツを贈ってくれたよ。その後もファンが押し寄せてダイナーのかけらを欲しがるので、いつも奴らを追いまわして追っ払っていたがね」
ホールは彼とオーツがダイナーを買い取りたいと思っていたのかどうかやどの程度興味を持っていたかについて、はっきりと記憶をしていないと語る。
「言ったのかもしれないねえ、買って手元に置きたいと思ったんだろう」とホール。
「ただ、当時ダイナーのオーナとの関係性は必ずしも良好じゃなかったんだ。敷地が荒らされたことでボクとジョンを責めていたしね」Continued...

東コベントリーにあったトーパス公園の入り口に鎮座し、1980年にリッジという会社による管理焼却によって廃棄されたダイナーの元オーナーのビル・フランクは2007年に亡くなった。

ホール&オーツを死ぬほど好きなファンなら知っておきたくなるような“Abandoned Luncheonette”に収録されているオーツの筆による“Las Vegas Turnaround.”についての逸話を紹介しよう。

オーツによれば、フライトアデンダント、当時はスチュワーデスと呼ばれていた人物に会い、1970年初頭のニューヨークに住む女友達のことでオーツとフライトアデンダントの間で話が弾んだというのだ。フライトアデンダントの名前はサラといい、彼女と彼女の友達が“Las Vegas turnaround.”をやろうとしていると話始めたという。

「何の話をされているのかさっぱり分からなかったよ」とオーツ。
「彼女たちは、ギャンブラーのグループをラスベガスに連れて行き、それでUターンして帰ってくるというんだ。それを聞いてピンと来たんだが、作曲家はこういう話題をピックアップして曲にしてしまうんだよ」

オーツは偶然にもホールにサラ・アレンを紹介するが、その後30年間に渡って彼らの関係は継続する。
彼女は1976年、デュオグループとしては全米初のトップ10に入り、最終的にトップ4に輝いた曲“Sara Smile,”のモデルとなった。
オーツとは異なり、ホールは. Abandoned Luncheonette”をキャリアの中で最高の作品だとは思っていない。しかし・・・。
「人生において興味深い経験をしたことだけは確かさ」とホール。
「それはあのアルバムが好きだというのと同じ位の意味なのさ」

2015年10月、久々の日本公演を武道館で見た。会場の盛り上がり方は近年見ない感じだった。WOWOWでも生放送されたようだが、She's Goneが演奏された時は本当に嬉しかった。生で聞くことはないかもな・・なんて思っていたからだ。
Abandoned Luncheonette”はいわゆる渋いアルバムの部類に入る。大学時代の私が初めてこのアルバムに触れた時、最初はちょっと取っ付き難い感じがあったのは事実だ。それでも”She's Gone”は光輝いていて、それを手がかりにアルバムを愛でたという訳だ。あれから40数年、メンバーは2名とも還暦を過ぎ、我々も50代中盤を超えた。

「良い音楽に恵まれた時代だった」。それは我々の世代に共通した認識だろう。


Abandoned Luncheonette Later.jpg


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。