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1983年 ローディー時代の景色 Part-6 [ボーヤ時代 1983年]

ローディー(ボーヤー)家業の日常について:

衝撃のスタジオミュージシャンたちとその経済学:
 

 体験の無い方々にスタジオミュージシャンの凄さを形容するのは容易でない。ただ楽器の経験者であれば多少は感じるかもしれない。有名アーティストのコンサートなどで演奏しているミュージシャンの多く(年齢的には40代以上)はスタジオでのレコーディングなどでも演奏している人々である。人によっては参加曲数が数千曲のセッションに関係している強者もいる。 昨今はYOU TUBEで一般の方が演奏をしてアップしているのを見る事が出来、中にはプロ裸足の演奏を披露する方々も多い。
しかしプロとアマには決定的な壁がある。
それは一流のプロが認める高度な演奏力と音楽理解力、それとコミュニケーション能力、また独特の個性だ。
プロの現場では様々な音楽的、演奏的要求をぶつけられる。中には自分の引き出しを超えていたり理解を超えるものもある。そういう時、自分の力をキチンと無駄なく伝えられる能力がないとプロとして長期間活躍出来ない。
少なくとも演奏技術的に難がある場合はその時点で先がない。また息の長いプロは必ず他の人にはない「独特の個性」を持っている。
つまりプロのミュージシャンは技術以上の所で戦えないと仕事として成立しないという事だ。

 

当時も今もスタジオミュージシャンは業務成果制だ。つまり演奏稼働しないと彼らには売上がたたない。(例外収入は、隣接権からの収入だろう)
1980年代前期当時の彼等の追加収入はソロやダビングをした際の追加演奏料や楽器のレンタル代のようなものだったと思う。
またCDのレンタル等の二次使用から支払われる著作隣接権に関わる収入もある。ただCMのような短時間で終了してしまう演奏に関しては、時間制ではなく、1セッション幾らのようなスタイルに変っているようだ。

 
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 当時はミュージシャンのランクにもよって料金が違っていたが、1時間5.000円~12.000円位だったのではないだろうか? スタジオ・ミュージシャンは当時の雇用形態を属性的にカテゴライズすれば、日雇い労働者と同様のカテゴリーだ。ただしその分野では断然に収入面が良い。

セッションが終了すると「インペグ屋」と呼ばれるブッキング・エージェンシーの人間が彼らに仕事量に対する対価を計算し現金で支払いを行い(これを「取っ払い」と呼んでいた)、ミュージシャンから個別に領収書を貰って清算していたのである。もちろん事務所所属のミュージシャンの中には請求書処理もあったが、私が見ていた現場のミュージシャンは現金取っ払いが多かった。つまりインペグ屋さんは、常時大量の現金を持ち歩いていた訳だから盗難などを考えればリスクのある商売とも言える。

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インペグ屋さんはこうした現金支払いをするため常に多額の現金を持って移動していたのだが、インペグ屋さんはミュージシャンへの支払い額に一定の自社手数料を上乗せした分をレコードメーカーの担当者に請求をして清算するという構図なのだ。
インペグ屋さんは、レコード会社からレコーディングに関係するミュージシャンのブッキング・コーディネートと支払い(清算)代行を業務委託されていることになる。メーカー側のメリットは、制作に関わる細々とした個々の請求等を割愛出来るメリットがある。インペグ屋さんの語源は聞いた事があるが、忘れてしまった。

当時インペグ屋さんと呼ばれる会社には、ミュージック・ランド、テントーフなど数社があったため、各社はレコード・メーカーから仕事を取るために、音楽制作担当者にキックバックを渡していた。あるS社の担当ディレクターは、業務上横領に問われるなどの倫理問題になったこともあった時代だ。(そりゃ当然だろうが・・)


 
売れっ子のスタジオミュージシャンともなれば、それこそ年間1,500-2,000万以上近くは稼ぐ事もできたろう。あるキーボーディストが、「週に1日の休みを入れて、1日8時間働いても2500万円が限界だな・・」と呟いていたので、そんな感じだったのだろう。しかし当時の新入社員の初任給が12万円の時代で、彼等の年収が1,000~2,000万円程度だったことを鑑みれば、スタジオミュージシャンの高給ぶりが分かるだろう。

現在と異なり
80年代はアイドル全盛期の時代であったから、作詞家・作曲家・アレンジャー・スタジオミュージシャン・エンジニア、シンセプログラマー、スタジオ等への仕事需要が広範囲だった。
90年代に入ってからのアイドルの減少、オリジナル作品を自分達の演奏や作曲でヒットさせるアーティストが増加し、シンセサイザーの技術的発展と普及が音楽に関わって仕事をする人々の業務環境に多大な影響を与えた。
しかし現在でも一線で活躍するミュージシャンの地図には大きな変化がなく、
20年以上前の地図がそのまま使えるとも言えるような状況であるが、やはり仕事の絶対量という点では減少傾向だ。また若い人達から彼らを超える優秀な人材が出てきていないという点は、日本のミュージシャンの層の薄さを象徴した部分でもある。  

 さて私が生まれて初めて体感したプロのレコーディングセッションは、後に「外人天国」というタイトルになる大村憲司氏のソロアルバムと「
WAKUWAKU」という大江千里君という大阪出身でEPIC SONYのオーディションを経由してデビューを果たした歌手のデビューアルバムであった。
六本木のPIT INNがあるビルの5階にあった六本木SONYスタジオ(通称六ソ)は、リズムセクションのレコ-ディングが可能な「Aスタジオ」とダビング、ボーカル入れを主とする「Bスタジオ」の2つから成り立っていた。この点は以前に記載したので参考にしてほしい。

当時このスタジオは業界でもエッジの立ったアーティストが使用しており、大滝詠一氏の「LONG VACATION」、山下達郎氏の「RIDE ON TIME」や「クリスマスイブ」等はこのスタジオでレコーディングされたものであり、ロビーで彼らの姿を度々見かけることもあった。

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 憲司さんはこの時期、六ソを気に入っていたようで、殆どホームスタジオのように連日ここでの作業を選択していた。当時の詳細なスケジュールは現在手元に存在していないので記憶を辿って書き記そうと思う。
  
この頃の私は、音楽業界に関して全く無知であると同時にプロのレコーディングに関する楽器等のセッティングなどについて、全くの未経験者だったため、様々な事に驚いた記憶がある。

憲司さんの前任者ローディーから引き継がれた慣れない業務内容を確認するようにAスタジオのメインブース奥(ピアノの右横当たり)に彼の楽器等をセッティングした後、他のミュージシャンたちのセッティングがそれぞれに終わり、演奏が始まる頃になると、コントロールルーム入口直ぐ右にあったステュ-ダーというメーカーのアナログ
24chテープレコーダーの前に丸イスを置いてちんまりと座り、他の人の邪魔にならない用に勉強のためスタジオの進行を見守っていた時期がある。頃合いを見てエンジニアに質問をすると、煩わしそうで、ちょっと小バカにしたような表情で答えてくれたりもした。

ミュージシャンの演奏用譜面のコピー等をしている時に初めて気が付いたのだが、譜面にはコード進行と簡単なおたまじゃくしが書かれているだけなのだ。
初めてこれを見た時、この譜面でどうやって演奏をするのか検討もつかなかったというのが私の率直な感想だった。
  
ブース内のミュージシャンがそれぞれ準備を整えると、大村氏がメンバー達にその日の曲のアレンジ進行や方向性の説明をし、イメージや演奏のパターン等を簡単に解説し「じゃあ一回やってみようか」という言葉を合図にシンセのオペレーターがドンカマ(シンセで作るテンポを司るガイドクリック)でテンポを出し演奏が始まるという具合だった。

彼らの演奏を初めて見た(聴いた)瞬間の驚きは今でもはっきり覚えている。譜面に詳細な記譜がないのにミュージシャン達は澱みなく様々なフレーズを紬出したのだ。また彼らは初見演奏であるにも関わらず、演奏自体に目立ったミスがないのである。

私は「こんな人達が世の中にいるんだ・・・」と驚愕しショックに打ちのめされた。今でこそ演奏テイクの良し悪しをある程度認知できるが、当時はそれこそ細かいテイクのニュアンスや違いを聞き分けることなど不可能だった。またスネアの音の違いで延々と作業をしている姿さえも当初は全く理解出来なかった一つの事象だ。全くの異次元だった。

こんな感じで私の業界生活が始まったのだ。

 当時は、ミュージシャンや音楽に囲まれた環境はそれだけで当時の私には充分であった。音楽を作っている環境に自分が身を置けると言うことだけで生きがいを感じていた。今にして思うと精神的にかなり幼稚なものだった。
全てが新しく驚きの毎日だった。たまにスタジオロビーに顔を見せる有名人に会える事も仕事の余禄として充分であった。しかし私の心根の中では何かしらの「身分」の違いを感じざるを得なかったが、それは大した問題ではなかった。また自分が今聞いている音楽が2~3ヶ月先に発売されるものであるというのも私の心をワクワクさせていた。まあそれだけ田舎者のドシロウトだったという事だ。今とは似ても似つかぬ当時の自分の写真を見ればそれも納得出来る感じだ。

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なんちゅう髪型だったのか・・と今にして思う。
(当時通っていた大学にて)


*******************

(スタジオ・ミュージシャンの経済学) 

スタジオ・ミュージシャンは、事務所に所属していたり、自営(個人マネージメント)していたりとビジネス運営形態は様々だが、事務所所属の場合、事務所側が手数料として売上の20%程度を控除する。事務所はこれを元でにミュージシャンに担当マネージャーをつけたり、楽器運搬のサポートをする。
仮に1人で年間売上1,500万円のミュージシャンが居たと仮定した場合、手数料が20%としても300万円が事務所に控除される訳なのだが、事務所側としては、このミュージシャンに専属のマネージャー1名を常駐でつけたら赤字になる。社員の場合、給与の他に社会保険費や事務所管理費などが加わるからだ。これに加えてローディー(楽器管理者)をつけると全く採算が合わない。
そのため通常それぞれのスタジオ・ミュージシャンには専属のマネージャーはつけられず、大抵は数名を囲い込んでマネージメントする必要がある。さらに事務所のビジネスモデルとして売上の規模を追うためには、契約ミュージシャン数を増やすしか方法しかなく、従量労働型のビジネスモデルである以上規模の拡大に限界があるため、通常は音楽出版や、タレント、レコード契約ミュージシャンなどの複数のビジネスを抱える必要に迫られる。

スタジオ・ミュージシャン側から見ると、結構な手数料を取られる割には自分の身の回りが余り楽にならないと感じるかもしれない。それは前述したように、彼等の一人一人の売上規模がビジネス運営上から見ると手数(人出)を掛けるられる程大きくないことが原因だ。そのため採算性の問題からミュージシャンの人数を束ねる必要がある。実際、1部上場企業だと1社員辺りの売上を1億円と設定する。その位の規模にならないと人的管理者を置くのはなかなか困難だということになるだろう。

スタジオ・ミュージシャン側からすると、自身の能力を超えるような、事務所のパワーによる仕事の獲得がない場合、概ね自営する方がメリットを感じ易いだろう。ミュージシャン側は手数料を支払っている事から、出来るだけ様々な待遇や経費面の負担を事務所側にさせたがるものだ。しかし事務所側はスタッフの人件費や事務所の維持管理費などの固定費以上の負担を嫌うため、手数料が何の対価になっているかについて双方の解釈の齟齬が生じる場合が出る。

実際、年間1,500~2500万円程度の売上のミュージシャンであれば自営にしていた方が利ざやのメリットが高い。事務処理やボーヤを個人で雇用するなどの直接負担はあるが、大抵のミュージシャンには恋人や結婚して家族いるため、事務処理程度ならそうした人材を利用すれば効率的な内製化が可能である。ボーヤへの出費も事務所への手数料を考えれば経費範囲だろう。
いわゆるマネージメントと言っても、スケジュールの調整と請求書の発行と入金の確認程度だからだ。契約書のやり取りをしなければならないような煩雑な業務はかなり稀な方だろう。
もちろん仕事の種類によっては多少の先方との交渉もあるだろうが、実際にやってみれば自分たちでこなせないほどでもないだろう。ミュージシャンは音楽に専念すべきという考え方もあるが、ビジネスを成立させなければならない以上、その理屈は余り説得力はない。

ミュージシャン1名の売り上げが5000万~1億円となると仕事量や質が異なるため、マネージメント事務所との契約を考えても良いが、この規模でも内製化が可能のレベルだ。ただ平均的に1億円の売上を超えるレベルになると、自前でスタッフを雇って会社化するか、外部のマネージメントを必要とするだろう。少なくともこのクラスの売上をするミュージシャンは、スタジオミュージシャンとしてだけでなく、ライブや他の活動でも売上があり、活動範囲が大きくなるため工数がかかる。

サラリーマンなら、「会社の売上÷社員数=1億円」が会社として必要な売上規模と言われているから、これはミュージシャンにも当てはまる。
いずれにしても人を雇うには、人的物的な維持費を超えるだけの稼ぎが必要で、それに対応できる能力を磨く必要もある。
よくプロ野球選手に対して野球バカという表現があるが、音楽バカでは現代のような時代を生き抜くのは難しい。少なくとも自分の仕事に関連する税務、経理、ビジネス契約、ビジネス環境に最低限度精通する必要はあるだろう。
山下達郎氏などはそれに早くから気がついて、音楽だけでなく音楽ビジネスの仕組みを理解して早期に活用を始めた人物だろう。
それに音楽クリエイトの能力があればまさに鬼に金棒だし、実際にそういうクリエイターも少なくない。
80年代前半で、トップスタジオミュージシャン&アレンジャーと言われていたのは以下の方々だろうか。全員書けないし、記憶による記載なので表記違いや名前の漏れがあったら予めお詫びする。


(敬称略で順不同)


ギター:大村憲司、今剛、松原正樹、鈴木茂、鳥山雄司など
ベース:高水健司、富倉安生、後藤次利、伊藤広規など
キーボード:難波弘之、中村哲、佐藤準、今井裕、小林武史など
ドラム:村上(PONTA)秀一、青山純、山木秀夫、林立夫など
パーカッション:ペッカー、斎藤ノブ、浜口茂外他など
シンセプログラマー:松武秀樹、藤井丈司、遠山淳、迫田到、ハンマー軍団など

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